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1994-04-13 第129回国会 参議院 国民生活に関する調査会 第6号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成六年四月十三日(水曜日)    午後一時一分開会     —————————————    委員異動  三月二十四日     辞任         補欠選任      釘宮  磐君     平野 貞夫君     —————————————   出席者は左のとおり。     会 長         鈴木 省吾君     理 事                 清水嘉与子君                 竹山  裕君                 三重野栄子君                 小島 慶三君                 浜四津敏子君                 吉岡 吉典君     委 員                 岩崎 純三君                 太田 豊秋君                 加藤 紀文君                 溝手 顕正君                 青木 薪次君                 菅野  壽君                日下部禧代子君                 栗原 君子君                 佐藤 三吾君                 谷本  巍君                 村沢  牧君                 笹野 貞子君                 和田 教美君                 下村  泰君    事務局側        第二特別調査質        長        小林 正二君    参考人        立教大学社会学        部教授      庄司 洋子君        国民生活センタ        ー調査研究部調        査役補佐     木間 昭子君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○国民生活に関する調査  (本格的高齢社会への対応に関する件)     —————————————
  2. 鈴木省吾

    ○会長(鈴木省吾君) ただいまから国民生活に関する調査会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  去る三月二十四日、釘宮磐君が委員を辞任され、その補欠として平野貞夫君が選任されました。     —————————————
  3. 鈴木省吾

    ○会長(鈴木省吾君) 国民生活に関する調査を議題とし、本格的高齢社会への対応に関する件について参考人から意見を聴取いたします。  本日は、お手元に配付の参考人の名簿のとおり、立教大学社会学部教授庄司洋子君及び国民生活センター調査研究部調査役補佐木間昭子君のお二人に御出席をいただき、順次御意見を承ることになっております。  この際、庄司参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。  本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会への対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますけれども、まず参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。  それでは、庄司参考人にお願いいたします。
  4. 庄司洋子

    参考人庄司洋子君) 御紹介いただきました庄司でございます。どうぞよろしくお願いいたします。  このたびこのような機会をお与えいただきまして大変うれしく存じております。私自身専門家族社会学という領域でして、家族問題を専門にしている者でございます。  これまでに高齢者の問題については専門先生方のいろいろなお話がございましたようですし、また家族に関しましても、既に私のよく存じ上げている先生お話がございました。私は、家族社会保障社会福祉領域をつなぐ視点といいますか、そういうことについて少し広い範囲で全体像をとらえてみるということをさせていただきまして、その中から特に差し迫って今必要とされています問題解決の方策というようなものについて、私なりの考えを述べさせていただくつもりでおります。どうぞよろしくお願いいたします。  そもそも家族ということでございますけれども、家族というのは何といいますか特殊な集団というふうに見られておりますし、また実際に現代社会の中ではある意味ではっきりしない領域に入れ込まれている、そういうことがあります。したがいまして、ある意味では大変都合のいい、特に政策観点で申しますとそこに大いに期待したいという、しかし場合によっては、お金をかけないでもその期待が実現するかもしれないという、大変際どいところに置かれている社会学的に言えば社会集団ということになると思います。  私自身はやはり、特にことしは国際家族年で、家族にも目を向ける、そして家族の大切さということを非常に強調するいろいろな行政の催しゃ民間の取り組みというものもございますけれども、家族が大切だということはもう今あえて言うようなことではないわけでして、むしろ家族福祉関係のあり方といいますか、そういったものに少しでもよりよいものをもたらすようなはっきりとした方向性というものを探していくべきではないか、そんなふうに考えております。  大変限られた時間でございますので、メモとしてお出しいたしましたものに従って一通りのところに触れさせていただきまして、特に私なりに強調したい論点を申し上げたいと思います。  まず一番最初に、何かちょっと教科書じみた表現で、家族という集団特殊性といいますかそういったこと、つまり家族とは一体そもそもどういう特徴を持った集団なのかということから、そこをできる限り分解しながら、家族に固有のものと福祉とのかかわりとして、例えば家族生活のうちのどこの部分福祉対象となり得るかとか、福祉の施策が求められているかとか、そういったようなところを少し細かく点検してみる必要があるのではないか。漠然と侵しがたい領域として神秘的な意味を込めることがないように、つまり人間のつくる関係としてほかのところにも幾らでも一般化されていくことができるような関係を含んでいるわけでして、そういったものと、家族ならではというところとは一体何がどう違うということになるのか、そういったことを少し探ってみたいというふうに考えました。  家族機能というものを分解してみますと、その中で、ここの部分福祉によってサポートされる、あるいは代替されるというような、そういうところが一体何であるのかが少し見えてくるのではないかということがまず最初に一点として挙げられます。特に私はここではあえて、相互に関連し合っているとはいえ、一応操作的には三つ機能に分けてみました。  個人にとって家族というのは、家族の中での一定地位を得るだけでなくて、社会における一定地位をも与えられる、そういった働きを持っている。例えば子供の場合などがこの典型です。だれを親にして生まれてきたか、そういうことなしには子供というのは社会メンバーとして登録されることもできない、そういう面があります。それから、もっと平たい意味で言えば、ある人が結婚しているとか、その家族生活が安定しているというようなことはその人の社会生活での信用を増すというような、そういう面も持っているわけです。こういった一般的に地位を付与する機能。  それから二番目には、一般社会保障社会福祉の一番重点的な対象となっている家族働きは、社会メンバー一人一人の生活を、家族という枠組みの中で、少々自立度の低い人がいてもそのメンバーであることによって、家族としての自立という、そういった単位個人生活が維持できるという働き。  それから三番目は、これは多分に多くの人はこここそは家族ならではと思っているわけですが、極めて特定の、特殊な関係にある人間同士の緊密で持続的な関係、この人でなければだめなのだ、ほかの人に取りかえることができない、俗に言うかけがえのないという言葉もございますけれども、そういった関係の中で人間として学びまた育っていく、そういったもので、私個人は、これは子供だけではなくて、人間は一生こうした関係の中で成長していく、そして学び合っていくものだというふうに考えております。大きく分けるとこういった三つ働きがある。  しかし、これは非常にうまくいった場合にこういったことが評価されるのでして、よく家族にまさるものはないという言葉がありますけれども、実は家族というのは大変落とし穴がありまして、特に近代以降の社会というのは、例えば個人の自由とか平等とかそういった基本的な原則も、個人としてではなくて家族としてそのような状態になっていれば、家族関係内部ではそれは私的な自治にゆだねられている領域だと。ですから、どんなに家族の中で平等の原則に反するようなことがあったとしてもお互いによければそれでいいじゃないかという考え方がある。ある意味で非常に不思議な社会単位になっている。つまり、家族というのはそれ自体が個というふうにとらえられるという、そういう面を持っているわけです。  そういった家族に個々の人間が属するというのが、特に子供はそこに生まれてくるわけですが、実に平等でない不公平な事態というのが生まれてもそれ自体をどうすることもできないという、そういった運命的に帰属する集団としてあるという問題とか、それから一般家族はよきものとされておりますけれども、生活を維持していく上で、あるいは人間関係を切り結んでいく上で、いつもすばらしいものでは決してないわけです。多くの家族がすべて生活がうまくいっているとか、深い愛情で結ばれているというのは掲げられている理想の姿でありまして、現実家族がそういうものばかりではないということはだれでも知っているわけです。  例えば働き過ぎで死ぬという過労死も、多くの場合は家族のために働いているという、非常な重圧をしょっている男性の姿であるわけですし、それから家庭の役割をしっかり守ろうとして、その中で非常に苦しんでいるそういった女性たちというのもたくさんいるわけです。そういう状況。しばしば家族の中で暴力ざたとか、極端な場合は殺人事件とか、そういうことが起こっているのは、これはもしかすると家族でなければこういうことは起きなかったかもしれないというような、家族ゆえに非常に悪い関係にまでいってしまうというような、そういうことというのは実際にあるわけでして、やはり家族をやたらとすばらしいもの、よきものとする、そういった見方というものをある程度ぬぐい去りながら、福祉の問題との現実的なすり合わせをしていかなきゃいけない、私はそんなふうに考えております。  そこで、現実家族状況というのは常に理想的なものではないというのは明らかなわけですから、実際に起こっている問題というのもこの三つ挙げたうちのいずれかの機能に何らかの問題が起きている、うまくいっていない。機能障害という言葉もございますけれども、そういったものとして見ていくといろいろの問題が多分家族の問題としてとらえられる。  例えば、結婚しないで子供を産んだ母親と子供母子家族の問題とか、外国人家族の問題とか、それから中国帰国者としての孤児の問題とか、それから養護施設等に入ることになってしまった、親に遺棄された子供とか、こういった問題というのは第一の機能とかかわる問題ですし、それから一般社会福祉の主要な対象となっている問題、特に経済的な問題それから子育てとか高齢者介護とか障害者の介助とか病人の看護とか、それから家族員全体の生活を円滑にするための家事を負担するというような仕事とか、こういったことにかかわるような問題というのが二番目の機能関係している。  三番目には、家族内の人間関係としては、どんな家族にも何らかの家族関係上のストレスというのがあるんですが、それが家族に起因する形で外の生活にも影響していく。例えば子供が学校に行くことができなくなるような状況の背後に家族関係の問題があったりとか、最近では大人も会社になかなか出ていかれないとか、逆に家に帰ってくることができないとか、いろいろな状態があらわれたり、それから家族の中では暴力ざた傷害事件というのはないのが理想ですけれども、現実にはたくさんあります。そして、最終的には家族関係が破綻する、そういうようなことが実際に起きていますので、こういったそれぞれに対する対応策というのが求められているということになるわけです。  ことしは国際家族年で、日本では必ずしもそのような取り組みが十分になっておりませんけれども、国際家族年一つの重要なテーマとして家族を平等に扱うということで、外国人家族がどれだけ権利を守られてしるかというようなことについて先進国の多くが問題にしております。日本は大体がそういった国際化への対応というのは大変後発の国で、まだまだ先進国の悩み、苦しみに学んでいかなければいけないという状況があるわけです。まず第一点としては、家族個人に対して公平に制度が適用されるというのが大前提でして、今の制度がこうであるからそれはできないとか、そういう発想に立っていたのではこれは国際的に完全に時代おくれでして、むしろそれは日本制度に欠陥がある、不備があるというそういう方向家族の問題にまず対処していかなきゃいけないということが第一点としてあると思います。  それから二番目には、所得保障ばかりでなく、やはり家族全体の生活基盤としての住まいの問題とか、それから通常であれば家族員のだれかがあるいはみんなで分かち合う形でこなしている家族メンバーのいろいろな世話であるとか、家族全員のための家事であるとか、そういったようなものが家族生活の場において外側からのサポートによって守られていく、そういうようなことが大変強く求められてきているわけです。  しかし、すべてを在宅でというのは一つ理想論でして、他方では、本来もっともっと十分でなければならない施設福祉の方も、在宅福祉に力を入れようという形で、施設が足りない問題というのは地域レベルでは少しずつ焦点がずれて緩和された形になってしまうという危険もあるわけです。これは在宅福祉を強調するだけでなくて、やはり必要な施設を本当に各地域につくっていくということと両輪でなければいけない。私はどちらかというと、そういう点で、施設福祉がどれだけ充実されているかということの点検を忘れて在宅福祉に力を入れるというようなことが起こっていないかどうかというものを常にチェックしていかなければいけないというふうに思っております。  それから三番目に、これは必ずしも福祉領域の問題というふうには十分になってこなかったところがございますが、つまり家族内部には立ち入らないというのが公的な機関のある程度の原則になっているというところもありました。  しかし、実際に福祉領域では、例えば親と子供関係をどういうふうにつないで家族関係を修復していくかとか、また特に子供施設に入っているというような状態のときにこういった部分というのは大変弱いわけです。一度施設に入ってしまいますと、児童相談所はたくさんのケースを抱えていて十分な取り組みができない。施設にはそういうことを専門にするソーシャルワーカー的な人を置くことができないというような問題というのがあちらこちらにあるわけです。これは乳児院においてもそうですし、高齢者施設においてもそうだと思いますが、こういったかなり家族内部に積極的に、社会福祉言葉では援助的な介入という言葉があるんですけれども、そういったかかわり方をしなければ問題が解決しなくなっている。在宅であるいは施設で直接の対象となる人へのサービスの提供だけでは、やはり家族関係をつないでいくとか発展させていくとか、そういうことを通して家族全体の問題を解決していくということができない。まずとりあえずは、本人に対するケアを提供するとか本人施設に入れるとか、そこの中で本人に対する処遇のレベルアップをするというようなところにどうしても力点が向いてしまって、家族に対してどうかかわっていくかというのは従来の福祉では大変弱かったということがございます。  大体以上のようなことなんですが、特に私は、日本社会福祉政策の中で家族という観点をかませてみると大変難しい論点が幾つかあるということで、あえてちょっと二つほどここで柱を立てておきました。この辺については余り詳しく触れることは時間の制約上できないのですけれども、実は家族社会福祉関係ということを議論しますには最も重要なところであろうかと思います。  一つは、社会福祉制度というものを見ますと、個人家族というのが、個人単位として扱われたり、家族という単位として扱われたり、先ほど申したことで言えば、家族が個として扱われるのか、個人が個として扱われるのかということでもあるわけですけれども、そういう意味でここら辺に大変難しい状況が起きているということがあります。  そういうことを一つの背景にして、家族社会福祉は言ってみればあいまいにもたれ合っていて、個人に対する社会的な責任をとらずに家族に何とか任せたい、そういう力が働いてくる。そういう意味で私は、ちょっとおかしな表現かもしれませんが、個人家族のせめぎ合いと家族福祉のもたれ合いがある、そういうふうにこの状況を見ております。  大ざっぱに言いますと、日本社会福祉制度というのは民法上の扶養義務というものを優先するという、特に生活保護法などに明確にされている一つ考え方がありますし、それから社会保障制度全般世帯中心というような考え方が貫かれております。特に生活保護だけでなくて、一般社会福祉制度を利用するときの、例えば所得制限とか費用徴収というときには民法かなり広い範囲扶養義務者所得というものを含めて考えている。こういうような形での家族というもののとらえ方が時代に即しているかどうかという、大変大きな枠としてまず一つ問題にしなければならないところがございます。  それからもう一つは、そういう中でも家族単位では済まされない状況というのがある。これは特に欧米を見ますと、例えば一番こういう点で先進国として展開してきたのは北欧諸国ですが、かなり社会保障単位個人に絞り込んでいく。そういうような考え方日本ではまだ明確には出ておりませんが、家族というものを、例えば国民家族という単位で把握するということだけでは状況が十分につかめないということで、実は一九六〇年代の後半に住民基本台帳法というのが出てきまして、これはこの台帳をごらんになればすぐわかるんですけれども、ちょっと見ただけではだれとだれが夫婦で、だれとだれが親子なのかというのはわからないという表記になっているわけです。しかし年のころからしてこういう男女がいれば夫婦だろうとか、ちょっと年の離れぐあいからすると親子だろう。こういう台帳のつくり方というのは個人単位という考え方のあらわれだと私は思っております。  このころから日本社会にも少しは個人単位国民を見ていかなければいけないという発想がひょっとしたら出てきたのではなかろうかと私は思っているわけでして、こういうことがかなりはっきりと一つ出てきましたのは一九八六年の年金改革で、女性、特に無業の妻という立場にある女性年金権がない状態をつくり出さないようにということで、女性個人としての年金権を持つ制度というものができてきたということ。この中に一つ個人単位考え方というのが日本社会に一歩進んで出てきたと私は考えているわけです。こういう状況はある意味一つ先進国型の国際的な動向にも合致していると思います。  他方日本では、この辺はなかなか微妙なところですが、女性政策という言葉がなじむかどうかはわかりませんけれども、法律上は例えば配偶者という言葉で、これは女性の実質的な地位向上を図る一環として配偶者相続分が引き上げられております。そして、その後単に男性女性との平等という考え方で、実質的に妻が子供よりも相続分が少ないのはおかしいのではないかという考え方以上に、御存じのように年金とか税制では非常にはっきりと、妻として、特に実質的な専業主婦と俗に言われておりますような自立的な経済基盤を持たない働き方、ハート収入などで一定の、俗に言う百万円の壁ですけれども、そういったところで、それ以下で働いている方が有利であるという状況をはっきりさせるような政策がとられてきました。このことは個人単位という形で女性年金権をという考え方と一体どういう関係にあるのだろうかという大変微妙な状況にあると私は思っておりまして、この先はやはり国民としての選択が非常に大きく影響する そういうふうに思っているわけです。  それから二点目に、ちょっと極端な書き方をあえてしましたが、制度家族を破壊しているのではないかと思われるような問題状況もないわけではない。つまり、一方で家族は大事ですよと言いながら、例えば先ほどの生活保護公的扶助制度の中での扶養義務者調査というのがありまして、本来扶養する責任があると思われる人は、同居親族はもちろんですが、かなりの広い範囲にまで、これは民法上は直系血族兄弟姉妹、それから状況によっては三親等内の親族にまで及ぶという、これは先進国としては例外的に広い範囲扶養義務者範囲というものがあるわけですけれども、こういったことを本格的に追求すればもうこれは家族関係親族関係が壊れていく、そういう制度でもあります。それから、世帯単位ということがありますので、実際には同居していても形の上では世帯を分離しなければいけないとか、あるいはある制度を利用するためにあえて別居しようとか、そういうようなことをせざるを得ないような状態を生む制度があるということが一つ言えます。  それからさらに、私は特にきょうここでぜひ強調しておきたいと思いましたことは、施設を利用するときに、これは日本に限った状況であるとは思いませんが、施設を利用するというそれが必要な状況になると家族というのは解体する、そういうことを余儀なくされるということ、このことを私たちはどういうふうに受けとめていったらいいのかという問題です。  例えばいろいろな例がありますが、一つの例として、一九九一年に高齢者夫婦心中事件がありまして、これはNHKスペシャルで何度か再放送されたものです。「二人だけで生きたかった」というテーマのドキュメンタリーです。大変つつましく年金生活をしていた高齢者夫婦が、妻の方に痴呆が出てきたために夫が介護者としてとても自分の手だけでは解決できないような状況にまで進行してきた。そういう中で、普通は周りから見ればお幸せだというふうに言われそうなことですが、息子夫婦から引き取りといいますか呼び寄せの申し出があります。ところが、この高齢者夫婦はそれを望まなかったわけですね。そしてぎりぎりまで頑張って、結局何とか特別養護老人ホーム夫婦で入れてもらおうということで申請をするわけです。そうしますと、妻の方は確かに該当する、しかし夫の方は無理ですと。無理ですというのはどういう意味かというと、まだ弱り方が足りませんと言われているのと全く同じわけですね。つまり、こういうような状況ですと、夫の方にぎりぎりまで介護したいという意思があっても、あるいはかなりの力があっても、ここで夫婦としての生活というものを絶たれて妻だけが入居しなければならないという状況があるんです。  これは私、特殊なことではないと思いますけれども、なぜここでぜひ強調したいと申しますかというと、これからは極端なことを言いますと家族介護というのは配偶者間の介護しかなくなるかもしれない、そういうことがあるかもしれないわけです。少なくとも高齢者高齢者介護をしているという実態というものは物すごく広範にあるわけです。特に夫婦の間で介護がし合える関係というのはそれなりに意義ある関係であるわけでして、一般夫婦関係、あるいは一般介護・被介護関係、例えば高齢の親を若い世代が見るという関係とは違って、やっぱり本当は人生の終末期をそういう関係の中で充実した周りからの温かい支援でやり抜いていく、少なくともやり抜きたいという意思がある人に対して、それを支えられないような制度だとしたら一体これは何だろうということをやっぱり今から本当に考えていかなければいけないと思うわけです。  どちらかというとまだ日本社会では介護というのは何か若い世代の方が高齢世代の方を見るというところに関心が向いていますが、それは実態をよく知っていればそんなことではないというのはわかるんです。私は学生を相手にしています。学生のように頭の中で介護問題を考えている世代というのは、例えば「高齢者とその家族」という卒論を書きたいというふうに持ってくるんですけれども、そういうとき、家族ってすごくあいまいだけれども、それどういう家族、だれと言うと、大体は子供とか孫とか、そこしかなくて、夫婦家族なのよということをわざわざ言わないと頭が回らないということが実際にあります。  これは例えば私たち家族社会学領域で見ましても、やっぱり高齢期の夫婦関係というものを本格的に研究したり調査したりということは大変おくれているんです。やはりしかし、家族の基本というのは夫婦であるということがようやく日本社会で定着してきたといいますか、そういう状況に私はなってきつつあると思いますので、あえて高齢期の夫婦介護関係というものをきちんととらえてそこをサポートしていくシステムというものを本格的に考える必要がある、私自身そういうことを考えております。  ついでにこのケースのことで申しますと、この夫婦はすぐには施設に入れずに息子夫婦に引き取られるんですけれども、そのときに息子夫婦とのいろいろな葛藤がやっぱりあったように思われるんです。その中の一つの大きな問題として、この夫婦は自分たち福祉事務所を通して特別養護老人ホームに入居申請していることを息子たちには言わないでくださいとケースワーカーに頼んでいるわけです。ところが、ケースワーカーはすぐ息子夫婦に連絡をして、おたくの親御さん方はこう言ってきているけれどもどうしようと。この老夫婦は再び非常に深く傷つくわけです。やっぱり自分たちの問題は自分たちで考えさせてほしいとか解決させてほしいとか、できることなら二人だけで支え合って生き抜いていきたいという意思が非常に強い夫婦だったわけです。  これは日本のケースワーカーの一般的な常識からいったら決して逸脱した行為ではなかっただろうと思うんですけれども、しかしそういうことを考えますと、やはり夫婦関係を大事にするとか高齢者自身を本当に尊重するとか、そういうところがかなり弱い状態で今の例えば特別養護老人ホームヘの措置というものが進められているのではないか、そんな感じがするわけです。この夫婦はやがて息子夫婦の家を出て、そして放浪の旅に出ながら途中でさんざん迷い抜いたあげく心中するという、こういう事件だったわけです。  こんなことがございまして、今の日本社会福祉制度も諸外国に比べて十分でないところもありながら、しかし見学者などがアメリカから来ますと、日本施設の職員というのは非常に行き届いた優しさを持っていてすばらしいではないか、そういう評価もあるわけですね。ですから私は、そういう両面が確かにあると思うんですけれども、事家族との関係という点ではまだまだもっともっと掘り下げた考え方が必要だというふうに思います。  時間が来てしまったようですので、とりあえずちょっと半端ですが、また補足させていただくということで、ここでひとまずこのお話を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  5. 鈴木省吾

    ○会長(鈴木省吾君) 以上で庄司参考人の御意見の陳述は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  6. 竹山裕

    ○竹山裕君 自民党の竹山であります。  きょうは庄司先生には我が調査会にお出かけをいただきまして、大変示唆に富むといいますか、ある意味では身につまされるような思いの中で、御専門家族社会学先生なればこそという思いで伺わせていただきました。  日本の場合は欧米先進国に比べますと家族の結びつきが強い方だと言われてきたこと、私も外国生活はしておりませんが、戦後の五十年の中に大きな変化はあったとはいえ、まだまだ日本家族感覚というのはあるように思われます。ただ傾向として、特に大都会周辺と地元へ帰った農村部との違いとか、しかしこれからはどうなるだろうかということを 今お話を伺うにつけ 我が国の家族制度の今後の傾向、ますます家族の結びつきが薄らいでいく、まさに夫婦が最後の家族だというような感覚も、私自身もそうなのかなと思いながら身につまされて伺っておりました。  子供の数が減っていくあるいはひとり暮らしが多くなっていくということに対して、日本型の家族の将来像を描きながら、高齢者対策あるいは子供への対応という面での家族支援というんでしょうか、そういう基本的な対応姿勢と同時に、この傾向が、昔は教育勅語などというのでいろいろ啓発、精神構造へのある意味のプレッシャーもあったわけでありますが、そういう方策を御専門観点からどう持っていくべきか、あるいは具体的な支援対策はどうしていった方がいいのかというようなことを、ほとんどのお話を伺っている中でなお補足、御所見を例えればと思うのが一つでございます。  それから、世帯単位から個人単位、核家族、ひとり暮らしという傾向の中で、社会保障の問題あるいは税制の問題これもお話の中にはございましたが、変革をしていく具体的なあるべき姿と言っていいでしょうか、どういうふうな持っていき方をしていくべきか。個人単位にならざるを得ない傾向は、これは日本列島全体にそうした流れが事実ございます。そういう場面の具体的対応策を伺ってみたい。  それから、今の長寿社会での個人の選択の幅、最近は、これまた日本はそう離婚率は高いわけではないようでありますが、しかしだんだんとこの率も上がるだろう。家族のあり方がいろいろな面で複雑化してきている。これらの家族構成に対しての、お話のあったとおり、妻への遺産相続分のアップ等々、経済的な面から見て複雑になれば当然いろいろトラブルも出てくるわけでございます。長寿社会の中での複雑な選択の中での生活保障の視点、あるいはどういう制度が必要なのかという点。以上三点についてとりあえずお伺いをさせていただきます。
  7. 庄司洋子

    参考人庄司洋子君) 一点ずつ申し上げるよりも、少しまとめてお話しさせていただきます。  私が一番はっきりさせておく責任があると思います論点一つですが、特にこの家族単位個人単位というところに、とりわけこれは、成人男性家族あるいは世帯を代表しているという立場が一般的ですので、どちらかというと女性の問題になるかという気がいたします。  そういう観点から女性の問題を見ましたときに、私のメモの少し先の方に触れておきましたが、女性自立志向というのが一方では非常に強まってきているわけです。他方で、こういった自立志向が今日の例えば家族介護あるいは子育てを困難にしてきている、そういう見方で、できるだけ女性には余り強い自立志向を全面的に持たないでもらいたい、そういった政策対応が現在あるのではないかと、女性としては多少勘ぐってよいかという気がいたします。  しかし、この考え方なんですが、女性制度の単なる受益者にしていくような、何といいますか誘導ですね、つまり、例えば今サラリーマンの妻として一定所得以下ですと自分で年金を拠出しなくても年金権が獲得できるという、こういう考え方が本当にいいのかどうか。まだそういう女性が次の世代である子供たちを育てていくということなんですが、私はこの考え方は少々疑問に思っています。これは何か、働いている女性が働いていない女性の面倒を見るのがおかしいじゃないかという議論だけでまありませんで、やはり一人の人間として、もちろん状況によって負担できないような状況を減免するとかそういったことがあってもよいと思いますけれども、原則的にやはりこれは社会全体で支えていく制度なのだという観点に立ちますと、健康である成人女性を特別扱いしていく、ある種の保護ですね、こういう考え方には疑問を持っています。  つまり、依存層ですね、そういったものをわざわざつくっていくような仕掛けよりは、もっと積極的に負担はみんながするんだという国民的合意をつくっていく、そういう考え方が必要ではないか。そういう観点から見て、今の家族単位というのが家族あるいは世帯に依存する女性というものをつくっていく考え方になっているので、もっと積極的な個人単位考え方を定着させていくのがよろしいのではないかということ、これが第一点です。  それからもう一つは、自立志向が強まってきて、しかしなおかつ多くの高齢世代も、そして自立していきたいと考えている女性を中心とした若い方の世代も、やはり親を親として子を子として大事にしていく、そういった環境を維持したいという気持ちは非常に日本国民の中には強いわけで、これを疑う人はいないですね。むしろ、なぜこんなに大変な中で特に若い世代の方が親のことを心配するのだろう、そういうふうにも言われているわけです。しかし現実には共働きをしたいとかしていかざるを得ないとか、そういうふうになったときに、やっぱりもっともっと積極的に共働き対応福祉サービスといいますか、今の在宅福祉の基本というのはやはり家族に基本的な介護者がいる、そういった介護者を少し休ませてあげないと続けられないからという考え方に立っているわけですね。  これは、在宅ケアというものがどういうふうなものかというのをもっともっと先進国に学んでいかなければいけないと思うんですけれども、今の例えば三時間とか四時間の滞在型のヘルパーという形ではなしに、一人一人の自立度に応じた見守り型のケア、いつもべったり時間単位でついているのではなくて、必要があれば緊密な関係のもとで飛んでいけるとか定時に見回るとか。そのためには、システムだけがそういうものになるのではだめで、やっぱりサービスの受け手がそれなりの覚悟とか教育訓練を受けていなければならない。  ですから、そういうことを提案する私たち自身が世話を受けるときにどういう構えでなければいけないかという私たち自身の課題にこれからなっていくと思うんですけれども、そういう点で、私はやはり個人単位社会福祉社会保障システムの方向へということと、共働き対応在宅福祉サービスの充実ということをきょうは特に強調しておきたい、そんなふうに考えておりました。  さらに続けてよろしいんでしょうか、あるいはもう一度何か御質問いただくことになりますか。
  8. 竹山裕

    ○竹山裕君 ありがとうございました。それじゃ時間も少なくなりましたので。  高齢化の一方で出生率の低下、停滞といいますか、一・五〇というような数字も出てきております。国としても保育所の充実 育児休業給付の新設などそれなりの対応はしているわけでありますが、これぞ妙案というようなこともなかなかぴたりと出てこないような気もするわけでございます。  先生は必ずしも少子化は悪いばかりではないというような御指摘もあるようであります。少なく産んで大事に育てるというようなこともあるでしょうが、しかしこのまま一・五〇ということでは、これらのテーマはやっぱり国家的な憂慮されるべき事項だと思います。出生率の向上を目がけられた国々も先進国でも若干あるように伺っておりますし、また先生もレジュメの中で若干触れておられるようですので、その辺のことを伺わせていただければと思います。
  9. 庄司洋子

    参考人庄司洋子君) 出生率低下の問題というのはヨーロッパ等々の先進国ではいずれも起こっていることですが、日本で大変深刻なのは、もうそろそろ回復するという予測が立てられたにもかかわらず歯どめがかからずに何年か下がり続けてきたということではなかろうかと思うわけです。ですから、逆にスウェーデンとかドイツとか、そういったようなところでの出生率の回復は一体何によって起こったのかということをやはり考えてみざるを得ないということが一つあると思います。  いずれの国もやはり並み大抵ではない努力をしてきていると思われます。特にこういった状況が起きるよりもかなり早い段階で、フランスは児童手当制度を非常に大きく進めることで出生率の低下に歯どめがかかったのだろうと言われてきました。それから北欧、EU諸国、女性が圧倒的に働くようになりまして日本のような子育て期に労働力率が下がるということがない、いわゆるM字型ではない台形状にずっと労働力率が展開するというような国々では、やはり共働き対策としてずっとやってきたわけですが、それも従来の保育所制度の充実ではなくて、いろいろな形の育児休業や育児手当といったようなものに莫大なお金をかけて、そのことが一つ効果があったということがあります。  特に北欧などでは、私が意識しておりましたのは北欧のこととも大分関係があるんですが、個人単位での社会保障制度をつくっていくということは完全に個人生活責任原則というものが貫かれるということですから、やっぱり女性自立度というものが大変意識の上でも高くなります。そういうことから、下手な結婚はするわけにはいかないとか、自分の連れ合いとしてどういう男性がいいだろうかということについて非常に厳しい目を持つようになる。まさに日本も今、女性男性を選ぶと言われているわけですけれども、女性の求める男性像に男性が接近するよう努めていくというような状況を通して、やはり男性女性の役割関係というのはヨーロッパ諸国では非常に大きく変わってきているということがあるわけですね。  そのことによって子育てをともに楽しめるという関係社会的に生まれてくる。このことなくしては幾ら手当をよくしても休暇を与えても、解決しないのではないか。やっぱり楽しい子育てができるかどうかというところに最終的にはいくように思われますので、そういう意味では一面的な対策だけでは解決しないだろうという感じを持っております。
  10. 竹山裕

    ○竹山裕君 ありがとうございました。  終わります。
  11. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 きょうは貴重なお時間を割いていただきまして本当にありがとうございます。  大変な共感を持ちながらお話を承っておりました。特に、高齢期の夫婦の問題に焦点をもっと当てるべきではないかということ、そしてさらに高齢者自身自立した個として認めるということが必要ではないかという御指摘は私も非常に同感でございます。  まだ日本では欧米ほど多くはございませんけれども、次第に高齢者夫婦だけの世帯、お年寄りの単身世帯というものがふえてきております。ですから、こういった日本状況の中でも、ぜひとも先生の御指摘なさいましたような観点からとらえていくという姿勢がますます必要になってくるのではないかと思います。  それからもう一点、これからの政策というのは、共働きということを基本に置いた社会的なシステムというものをつくり上げていかねばならない、そういった点でも私も大変に同感でございました。  ところで、私、二、三質問をさせていただきたいと思いますが、まず最初に、人口の高齢化ということで、先ほど同僚委員も御質問ございましたけれども、出生率の低下ということが非常に大きな話題というか、課題というふうに現在日本社会でとらえられております。これは主に、いわゆる生産人口と老齢人口というふうな分け方を人口構造でいたしまして、扶養する側される側というふうな形でのとらえ方というのが今一般に行われているとらえ方というふうに思います。先生はこの点におきまして、出生率の低下した社会というものを必ずしも否定的な面だけではとらえられていらっしゃらないように私はお伺いしておりますけれども、この点いわゆる少子社会というものの先生のとらえ方というものをまずお伺いしてみたいというふうに思います。  また同時に、出生率の低下ということは女性の高学歴化がもたらしたというふうにも言われております。この点も含めまして、まず出生率の低下ということについての先生のとらえ方をお聞きしたいと思います。  それから二番目に、日本の場合には伝統的に家制度という制度がございまして、老親のみとり、あるいは貧困、失業問題というものが家族問題として吸収されてしまいまして、社会問題として長らく顕在化してまいりませんでした。家制度が廃止されておりますけれども、今日でも、かつての家族というものが社会保障福祉の代替機能を果たしてきた、そういった点ではかなり根強いものがあるというふうに思います。家族による、つまり私的扶養機能への依存というのが、現在日本社会ではまだまだ強いというふうに思うわけでございます。  そういった観点から、例えば障害を持つ人々が親から独立がなかなかできないとか、あるいは同一世帯であるがゆえに非常に大きな負担を担わなければならないとか、あるいはまた老人ホームの入所の場合に、自己負担金の算定の場合には本人のみならず扶養義務者の収入も算定基準の中に入れられるというふうな形で、私的扶養への依存性というのは非常に強いというふうに私は思っております。  そのような風潮といいますか現状の根底には、やっぱり生活保護法の第十条にございます世帯単位原則というものが非常に大きな影響を持っているのではないかというふうに思うわけでございます。これは御承知のように、藤木イキさんの訴訟によりまして、いわゆる世帯分離というのがそのとき初めて認められたわけでございますが、こういった観点から、生活保護法の中にございます世帯単位原則親族扶養優先の原則という点におきましても、今見直しということが必要なのではないかというふうに私は思っておりますが、先生のお考えはいかがでございましょうか。それが第二点でございます。  それから第三点、我が国の児童政策あるいは家族政策ということについての質問でございますが、我が国の出生率の低下ということは、もちろんこれはさまざまな理由がございますが、その中で、子供を持つということが非常に親にとって負担になる、経済的な負担ということもこれはあるのではないかなというふうに思います。  先ほど先生はフランスなどの児童手当の問題にもお触れになりましたけれども、我が国では児童手当というのは三歳までということでございますが、例えばスウェーデンですと十六歳未満が原則でございますが学生だったら二十歳まで、あるいはドイツの場合には学生だったら二十七歳とか、イギリスの場合でも学生で全日制の教育を受けている場合でしたら十九歳までというふうに非常に児童手当の幅が広いわけでございます。  そういった観点と、それからもう一つ教育費という点から見ますと、我が国の場合には、子供の教育費は高等教育においてまで親が負担するというのが非常に当たり前のような社会でございますが、ヨーロッパにおきましては、高等教育におきまして、これは国立の場合でございますと、これはもう授業料はただでございます、御承知のとおり。そして、さまざまなスカラシップというものが存在しておりますので、日本のように高等教育においてまで親が子供の教育費を負担するということは、非常に先進国の中では珍しい国でございます。私自身ヨーロッパで教育を受けて、日本に戻りまして、大変に日本とヨーロッパと違うなというふうな実感がございますが、こういう観点も含めまして、我が国のこれからの児童政策家族政策のあり方というふうなものについての先生のお考えを承ればと思います。  一度に申し上げてしまいますが、次に、もしお時間がございましたらば、社会保障における家族ということでございます。  社会保障あるしは社会福祉で規定される家族範囲というのは非常に制度によって異なっております。例えば生活保護の資産調査の場合でございますと、これは先ほど私が例に出しました藤木イキさんの問題がございますけれども、同居か否かということが要件になります。それからまた、特養の入居費用負担の算定基準になりますと、これは世帯の生計維持者の所得のみでございます。そしてまた保育園の保育料になりますと 父親と母親、いわゆる双方の所得ということになります。このように社会保障社会福祉で規定される家族範囲というのが制度によって異なるということは、これはやはりいろいろな点での影響が実際面においてあるというふうに私は考えておりますが、この点に関しまして 先生のお考えはいかがでございましょうか。  四点についてお尋ねさせていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いいたします。
  12. 庄司洋子

    参考人庄司洋子君) いずれもなかなか難しい問題だと思いますが、まず第一点の出生率低下、これは是か非かという議論を私はするつもりは特になかったのですけれども、ただ、ともかく出生率低下が問題だというあおり方といいますか、そこのところにやっぱり疑問を感じたと。ですから、極端に言えば、過去には多産多死といいますか、そういう状況で、たくさん産んで何人か欠けてもしようがないというような時代からの経過というのを見ますと、やっぱりそれなりに子供を産むということが意識化され、そして大切にされてきた、そういう流れの一つという面をやっぱり持っているだろうということがあると思います。ただ、出生率低下をいいか悪いかというよりも、むしろどういう意味で問題にしているのかということに私はあえて注意を払いたいというふうに思っております。  つまり、高齢化社会との関係の中で世代間のバランス、特に高齢者の担い手としての子供という大変道具的な子供のとらえ方、これをどこまでもやっていくようではやはり日本子供の未来というのは大変暗いものではないかな、そういう気持ちがございます。  特に、今一番出生率低下が問題なのは、子供自身にとって決していい環境にはなってきていないということ。家族の中でもまた地域社会レベルでも、子供の発達環境として見たときに一定の条件以下のものになっているのではないか。例えば子供が一人、隣近所には子供がいない。そして、子育ての仲間とか子供の友達というのを求めて親が毎日毎日あちらこちらをさまよって、結局は民間の何とか教室というようなところに赤ちゃんのときから高いお金を払って通わせていく。そのうちに、そのつもりでなくてもいや応なしに幼稚園の受験とか小学校の受験へと巻き込まれていく。そういう中で、親が非常にきつい子育てをして少しも楽しめない、こういうような状況こそは子供にとって大変不幸だと。そういう意味では、出生率低下は悪いばかりではないというところがちょっと誤解を与えているようなところがありましたら少し訂正したいと思っております。  それから、日本の家制度の伝統のもとでの私的扶養というものが非常に大きな意味を持ってきたということ。この状況というのは、確かにそれは自然な状況の中で可能であったときに社会的には通用したわけでして、今理念的にそれを求めるということ自体に無理がきているわけですから、やっぱり当然新しい制度の枠組みが必要になってきている、これはもうおっしゃられるとおりだと私自身も思っております。  もし時間が許すようでしたらば、さらにもう少し本来はつけ加えなきゃいけないかと思いますが、大きなことが四点ほど出されておりましたのでちょっと先に進ませていただきます。  子育ての負担というのは、やはり楽しむことができないという心理的な負担と同時に、調査の結果などではもう明らかに教育費とか住居とか、かなり家族経済基盤にかかわるような、制約上三人欲しいと思った人が二人産んでいる、二人欲しいと思った人は一人産んでいるというような実態が出てきております。  特に、日本の児童手当制度というのは、私その専門ではございませんけれども大変疑問です。これは日本国民としてすべての人が抱く疑問ではないかとやっぱり思いますね。所得保障的な意味もないような額ですし、それから年齢的に見ましても、もっともこれは大変ころころと制度に手を加えていじられて、本来何であったのかということが非常にわかりにくい。結局私たちがざっと見ますと、全体の財源といいますか枠はふやさずに内部でいじって、年齢をいじるか額をいじるかそういうような形で、はっきり言って少しも充実しているという感じがしないわけです。  ですから、これは制度の位置づけからいいますと、一般社会福祉社会保障領域では社会手当とか家族手当と言われていて、日本では児童手当と呼ばれているんですけれども、とても手当と呼ぶにふさわしい額ではないので、少なくとも出生率低下に歯どめをかけるような性格のものではない。むしろ、制度がありますと国際社会に向かって言うためにつくった制度ではないかと私は思っています。もともと日本では企業福祉という領域があって、そしてほとんど家族手当が会社から出ているということでつくらないで済ませてきたものが、やはり日本の場合、特に企業間の格差が大変激しいので、そのことからもっと普遍的な制度が必要だ、そういうものを持たないと福祉国家と言ってもらえないということでつくるだけつくったと。ですから、実効性のある制度とはおよそ隔たりがあり過ぎて議論にならない、そういう感じがいたします。  私はむしろ、例えばこれは母子福祉領域などでも感じるんですけれども、日本の母子及び寡婦福祉法の最も重要な柱は貸付金制度ですが、その中にも全然利用されないものがたくさんありまして、その中で大変重要な意味を持っているのは教育資金ですね。これは自治体によっては入学金などにさらに特別な貸し付けもして私立の学校でも入れるようにするとか、国民の大半が大学へ大学へと考えているときに、高校に入るために母子世帯では、私立などでは場合によっては断念してもらうようなことが起きるという状況ですから、私はやっぱり子供の教育費ということに焦点をきちんと当てた施策をもっと手厚くしていくということが大事だと思うんですね。  母子世帯の例で申しますと、よく日本には貧困はないと多くの人が認識しているようですけれども、しかし母子世帯の平均世帯年収というのは御承知のように一般世帯の半分以下です。こういう状況の中で果たして貧困な母子世帯が貧困を世代的に再生産しはしないかという心配があります。日本のように学歴が直接職業にリンクして経済階層を決めていくというところでは、貧困な世帯ほどきちんと教育保障をしていかなきゃいけない、そういう面があるにもかかわらずそこが大変不十分だと私自身思っております。  最後のところは、文字どおり社会保障における家族は、おっしゃられるとおり諸制度の中で家族がばらばらに、それはそれなりにその制度をつくるときには理由があってそのように決められたと思うんですけれども、横並びに並べてみますと実にばらばらで、果たしてその差に意味があるのかどうかというのは結果的には納得いかないものになっています。  これについては、かつて社会保障制度審議会で一九七三年に「社会保障毎度における家族の取り扱いについて」という文書が一回出たことがありまして、そこでは年金とか保険のことが触れられているんですけれども、やっぱりこの種の議論をまたさらにきちんと取り上げて国民に納得のいく整合性のある一定制度をつくっていくという必要があると私も思っております。  以上です。
  13. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 先ほど御質問した中で一つ触れていただけなかった部分、出生率の低下という中に女性の高学歴化ということが出生率の低下の原因であるというふうによく言われるのでございますが、最初の質問の中にちょっとそれを入れさせていただきましたので その点先生どうお考えでいらっしゃいますか。
  14. 庄司洋子

    参考人庄司洋子君) これは、高学歴化が出生率の低下を直ちにもたらしたかどうかということで言いますと、むしろ高学歴化の急激な伸びというのはもう少し早い段階で来ていたという面が私はあると思うんですね。ですから、やはりそれだけではないと思います。  つまり結婚とか家族生活としうものにどういう意味づけを与えているか、あるいはそれが本当に楽しいものとしてイメージされているかというようなことからいきますと、何か女性の学歴が高いことを少子化の元凶といいますか、そういうふうな解釈をするというのはもうこれは全然時代おくれの発想だと私個人は思っております。
  15. 日下部禧代子

    日下部禧代子君 もう時間を過ぎてしまいました。どうもありがとうございました
  16. 笹野貞子

    ○笹野貞子君 きょうは庄司先生大変ありがとうございました。  先生は易しく非常に丁寧にお話しになっていらっしゃいますけれども、なかなか内容は厳しく、進歩的で、ちょっと聞き漏らすと重大な一言が大変な強い意味を持ってりますので、女性としまして私は大変力強く思っております。  そこで、先生には少々のことをお尋ねしても多分びくともなさらないだろうという気持ちで、これから質問というよりもいろいろなことをお聞きいたしたいというふうに思っております。  先生のレジュメの中の「個人家族のせめぎ合い」という項がありますけれども、大変私は興味を持ちました。なぜかといいますと、日本の家制度は、昭和二十一年に新しい憲法ができると同時に廃止されまして、憲法の第十三条にありますところの、人間を見る基本的原点の個人の尊厳という新しい発想が入りました。これは民主主義の最も基本的なる物の考え方ですから当然ですけれども、しかし、今私たち家族とか家庭とかいう言葉の中には、かつての家制度を小型化したというんでしょうか、ちょっとわけのわからない形をまだずっと引きずっているということだけは事実だと思います。  かつての家制度というのは、いろいろ定義の仕方はあると思いますけれども、つまるところは扶養というところが最大のポイントで、戸主たるものはその家制度に附属するもろもろの一族郎党に対してはどんなことがあってもきちっと扶養するという、この扶養という問題が非常に大きく取り上げられていたというふうに思います。そして、この問題を今の家族に当てはめても福祉の面に当てはめても、やっぱりこの考え方をずっと引きずってきているというふうに思います。  そして、先ほど先生は最後は夫婦になるとおっしゃいましたけれども、この夫婦そのものが扶養を引きずったままの夫婦であるということなんです。最終的な二人の間柄でも扶養というものがもうぬぐい去れない最終段階まできているということです。  これを裏づけるものとして先生は先ほどから年金とかいろいろなことをおっしゃいましたけれども、この裏づけとして日本のサラリーマンとかいろんなそういう方の賃金体系の中に既に家族扶養という考え方が全部根強くついているわけですから、そういう点では私はまだまだ憲法が保障する十三条の理念、そして民主主義が求める人権の理念というのは扶養というものの中に具体的にはなかなか定着していないというふうに思っております。  そこで先生にお尋ねをしたいのですけれども、在宅ケアという考え方が今施設ケアよりもどんどんそのパーセントを広くしておりますし、それの方が求められるケアなんだという考え方になってきています。  私は、そういう今の時代の流れの中にあって、この在宅ケアというのはかつての家制度の小型版になっていくのではないか。そして、働かないというと大変語弊があるんですけれども、専業主婦としてそういう在宅のケアをした女性の方が純風美俗に合って、女性としての非常に模範的な生き方として定着していくんではないかというような危惧があります。しかし、危惧じゃなくて本当で、賃金体系の中では専業主婦とした方が優遇されたり、あるいは税制上の控除があったり家族手当があったり、いろんなことがあるわけですから、働いている女性からすると税制の面でもすべての面でも非常におかしな状況になっていることは事実です。  私に与えられている時間は十分しかありませんので、私の発言と先生の御回答で十分というのは大変もったいないですけれども、手短に先生に質問をします。  まず第一、この在宅ケアという今のやり方でいくと私が危惧しているような問題が起きやしないかどうか。そして、その私の危惧を払拭するために、今日本福祉制度はいろいろありますけれども、どこを変えるととにかく危惧をとめることができるかというのが二番目の問題です。  また、先ほど先生は最後は夫婦の問題だというふうに言われましたけれども、夫婦といえども個人の尊厳であるならばいろんな諸政策個人としてしなければなりません。先ほど先生は戸籍の問題をおっしゃいました。日本夫婦の片一方を筆頭者あるいは世帯主という呼び方で呼んで、世帯主じゃない方の戸籍は出ないような仕組みに今なっています。これはつまり私から言うならば個の尊厳じゃありません。そういう意味夫婦の氏名、氏の問題、そしてその戸籍の問題をこれから先生はどのようにお考えになっているか。  以上三点お聞きいたします。
  17. 庄司洋子

    参考人庄司洋子君) それでは、手短に申し上げなければならないかと思いますが、在宅ケアに関しましては、私は先ほども少し申しましたが、これのみを重視していくというところに大変危惧を感じているということです。  といいますのは、在宅ケアが充実されるのは大変ありがたいことだとは思いますけれども、見ていきますと、余りお金のかからない在宅ケアになっていくのではないかという問題だと思うんです。これは例えば、かつてのように施設も三百人とか五百人とかというような単位で、いわゆる収容施設という言葉があった時代のことですが、そういう施設は大変効率的、経済効率がよろしいということ。それに対して在宅ケアというのは、その個別性が非常にあるわけですし、ある意味で最も非能率なやり方をあえてやっていこうという選択でなければいけないわけです、そういう観点からいえば。  しかし、在宅ケアの展開が図られるようになってからのそこにかけているお金というのを見てみますと、そのメニューの展開ぶりに比へますと、私の印象ではお金がそれほど出ていないという感じです。つまりそれは、さっきも申しましたように、家族が基本的にはやって、つぶれられては困るので時々休ませてあげる、そういうことが在宅ケアだとすれば、これは北欧を初めとするヨーロッパなどで言われている在宅ケアの考え方とはすごく違うということです。西欧の幾つかの国あるいは地域では、本当に驚くほどの重度障害者でも地域でひとりで生活している。それは本当に徹底した在宅ケアがあるからです。そういう点でいいますと、私も全くそういう意味ではこのままではやはりおかしい。  ですから、その一つの具体的な展開の方向として、共働き家族にも対応する在宅ケアシステムというものを開発して、けば、やはり本当に文字どおりひとりでも地域生活ができるというようなこともいずれ追求されるようになるだろう、そういう考え方です。ちょっとはっきりしないかもしれませんが、そういうことです。  それから、在宅ケアに関しましては、私はやっぱり子育て期とも大変つながっていると思います。  結局ずっと働き続ける女性というのは、子育て期を非常に苦労しながらも自分の職業経歴を維持していく。そうしますと、中高年期に差しかかったころに自分の親は高齢になって、やはり何とか働き続けながら親のことも心配したい、そういうふうになってしくと思うのです 子育て期に一度子育てのために仕事から引くという形をとりますと、その後非常に条件の悪い形で働くかどうしようかと言っている間に、親の世話、ケアが重なってくるという中で、何となく決心がつかないまま心ならずもずっと介護の役割をとり続けるというような形になっている、そういう人も多いわけですね。  ですから 若年期の共働きをどう支えるかというのがその後の問題にもつながっていくという、まさにこれは女性の生き方の選択でもあると同時に、今女性自身にはそれほど私は選択があるというふうには思っておりません。非常に現実的な判断を学生などはしておりまして、今の男の人の働き方では子育て期を働きながら乗り切るのはもう無理である。だから、若い時期にそれなりに楽しくて待遇のいい、条件のいい働き方をして、やめるときは思い切ってすっぱりとやめて、今度は子育てに本気でかける、そういうような形の選択にやっぱりなりがちだということがありますね。ですから、在宅ケアというのは、子育て期にある親の支援というのをどういうふうにしていくかということと一連のものだというふうに私自身は考えています。  それから、戸籍のことがちょっと出ました。高齢社会のこととは直接関係がないにもかかわらず、私はあえて家族の全体的な問題の中でこれを出しました。おっしゃられますとおり、日本の戸籍制度というのはかなり特殊な面がありまして、これに極めて近いのは韓国、台湾、そして日本ぐらいではないかと、私の乏しい知識の範囲では思われるわけです。  氏のことに関していいますと、日本のように未婚時代の、いわゆる結婚後で言えば旧姓ですが、それが姿形をとどめず全部なくなるという形をとっている氏の制度というのは世界じゅうでもほとんどないようなんです。何らかの形でメイドンネームという親の姓をそのままミドルネームに残すとか、それからどちらかを選択するとか、そのまま維持するとか、いろいろなバリエーションがある中で、日本のようにずっと生きてきて上半身全く影も形もとどめずにというような、そういった名前に適応していく女性というのも一体いかがなものだろうかと私は改めて疑問に感じるくらいに、世界じゅうを眺め回しますとむしろまれな制度です。そういうことをきちんと例えば学生などに伝えますと、学生は最初はこの先生本当に何か変なことを言っているとか、危ない考え方なんじゃないかとか、そういう反応ですけれども、時間をかけて勉強していきますと、だんだん当たり前に思っていたことにおかしいことがいっぱいあるというふうになります。  私は、戸籍というのもいろいな問題がありまして、出生差別につながるという問題をどうするかとか、それからやはり自分がずっと使ってきた名前を自分の意に反して変えなければいけないというようなことに対して鈍感であっては、やはり自分自身を大事にしていることにならないのでいけないというような教育をあらゆるところでしていく必要があるのではないか。  特に、これは女性の問題というふうに一見見えるわけですけれども、自分を大事にしない人は相手を大事にできないし、相手を大事にしない人は自分を大事にできない。今の制度というのはどちらか一方にしなければいけないわけですから、自分が嫌だから人に押しつければ解決するかというと決してそうなっていないというところに、やはり個人を尊重するという観点から大変私は問題があると思っております。  以上です。
  18. 笹野貞子

    ○笹野貞子君 ありがとうございました。
  19. 浜四津敏子

    浜四津敏子君 本日は、大変貴重な御意見をいただきまして、ありがとうございます。  ことしは先生おっしゃいましたように国際家族年で、家族につきましていろいろなところで語られておりますが、殊に日本における家族の特色として少子化あるいは高齢化、そしてまた多様化というような点が挙げられております。  それぞれその要因なりあるいは対応なりが議論されております。殊に少子化、そして高齢化についてはかなり議論がなされてきているというふうに感じておりますが、多様化している家族、この家族にどう対応し、対応という言葉が適当なのかどうかわかりませんけれども、どう受け入れていけばいいのか、こういう突き詰めた議論がなかなかなされていないかなというふうに考えておりました。日本社会ではいろいろとかさまざまとかいう生き方を認めにくい、画一化あるいは単一化したもの、あるいは人と同じ、こういうものをよしとする社会が続いてまいりましたので、そこから外れた生き方がなかなか受け入れられない社会になってきてしまっているかなというふうに思いました。  そんな中で、実は先日あるシンポジウムがありまして、こういう日本社会の中でいろんな生き方をしておられる方のお話を伺う機会がありました。  これはある若い男性なんですけれども、自分自身も新聞記者でいらっしゃって妻も記者。双子の子供が生まれることになって、どちらかがやめざるを得なかった。いろいろ配慮した結果、夫がやめることになって、そして一年間専業主夫、そういう経験をされたという方からお話を伺いましたが、新聞社の上役からは、おまえは本気か、見損なった、こういうふうに言われたと。また親戚からは、絶対にこのことは周りの人に言ってくれるな、こういうふうに口どめされたと。大変な苦労をされたというお話を伺いました。  また、今、夫婦別姓の問題が出てきましたけれども、この方も二年ごとにペーパー離婚をして、そして戸籍姓を交代していると。非常に不便なので早いところ夫婦別姓を実現してほしい、こんな話もされておりましたけれども、ほかにもいろんな生き方をされていらっしゃる方のお話を伺いました。  そして、これから私たち高齢化社会、少子化社会、多様化社会に向けてどういう家族のあり方がいいんだろうか、こんなふうに議論をしたんですけれども、そもそも家族とはこうあるべきだということをもはや定義づけられない、あるいは枠づけられない、そういう時代に入っている。また、家族とはこうあるべきというふうに限定することは適当ではない、こういうふうな結論に達したんです。  こういう多様化した生き方、また家族というものが、一定の枠で個人を縛るような家族ではなくて、もっともっと社会に開かれた家族といいますか、単なる血縁だけではなくて、いろんな人とのつながり、それも家族と同じような人のつながりという認識の仕方をしていけば、例えば高齢化社会を迎えるわけですけれども、その介護の問題、あるいは助け合いの問題も、そうした中から一つ一つ解決できるんじゃないかなというような話がなされたんです。  そのためには余りにもいろんなところにネックがあり過ぎるかな そしてまたそれを乗り越えるためには今の日本社会において何が必要なのか、一つ一つ解決していかなくてはいけない問題かと思いますけれども、先生はいろんな諸外国の例も見られ、また御専門の立場から、そういう方向に向けて日本で今一番何がネックになっているか、そしてそれを乗り越えるためには私たちは具体的に何をしたらいいのか、何かお教えいただければと思います    〔会長退席、理事竹山裕君着席〕
  20. 庄司洋子

    参考人庄司洋子君) 一つは、家族の多様化の状況に関する御質問と思いますが、家族というのは、一つ子供にとって選べないということ、それから家族をつくっていくということは基本的に自己責任になっております。しかし、いろいろな不本意な状況に遭遇して現実にそのようになっているということはたくさんあるわけです。それにもかかわらず、望ましい家族のあり方みたいなものをキャンペーンとして流すというのは、ちょっと適切かどうかわかりませんが、ほとんど犯罪に等しいと私は感じることがあります。  やはり子供がそのことによって非常に傷ついていたり、それから例えば単純なことですが、いろいろな育児講座みたいなものでも、一人親家族母子家族、父子家族のお母さんやお父さんが聞いてとっても参考になるという講座は少ないとよく言われています。お母さん向けの講座では、お父さんとこうしましょうとか、お父さんにこうしてもらいなさいとか、そういう話ばかりで、そこに行くときほど疎外感を味わうことはない、わざわざ傷つきに行くようなものだと言うお母さんもいらっしゃいます。  つまり、言われているほどには多くの人たち家族の多様化というのを認めていないといいますか、家族は多様化したという評論はするけれども、本当の意味家族の多様化を認知していかないという状況があり、またその一端を行政が担いでいるかもしれないというようなところをきちんとさせていく必要があると私は思います。  実際に、家族のあり方、家族生活の営み方というのは本当に多様であるということと、それから例えばその一つの例として、私は非婚の母子と言っておりますけれども、非嫡出の子供を産んだ女性状況などを見ますと、これは見方によっては、多くの法律学者も、こういう出産をしている人というのは婚姻制度の破壊者であるというような非常に乱暴な見方をする方もあるわけです。  しかし、私が実際に非嫡出の子供を産んでいる女の方々の事例調査などをさせていただきますと、もともと全然そのようになるつもりではなくてそのようになっているという方も非常に多いわけです。大体、母親だけで子供がつくれるわけはないわけですけれども、その場合にもほとんど男性というのは問題にされずに母子の問題であるというふうに社会が取り上げている。  特にマスコミなどは、事件があればそのときの父親はどうなのかということを、マスコミほどの機動力があれば徹底的に捜してくれればいいものをと思うような事件もありますけれども、大概の場合には未婚の母というような扱い方で女性子供にだけ焦点を当てている、そういう現実がやっぱりあるわけです。  そういう中で、例えば父子家族のお父さん方の話などを伺いますと、母子よりもさらに社会的にはきつい立場にある。つまり、中でも一番きつい状況にあるのは、妻に逃げられてしまった、妻に蒸発された男性とその子供というような場合で、これは母子家庭の場合には母親がけなげに頑張っているとか、よくやっている、しっかり頑張れというような、おおむね好意的な見方があることが多いにもかかわらず、男性が妻に逃げられたことでも知られようものなら、男社会の中では女一人をも御していけないような男というような非常に特殊な見方をされたり、それから事実上いわゆる仲間づき合いの時間をとることもできなくなって、母子ですと、お母さんが子供のために忙しいということはだれでもが理解できるわけですけれども、お父さんが子供のために忙しくて何があっても時間が来たら帰ってしまうというようなことをやっていると、どんどんと職場から疎外されたり職を失ったり、そういうようなことが起きているわけです。  そういうことを考えますと、やはり家族の多様化を本当の意味で認めていくためには、そういった個別のそれぞれの状況を抱えている家族に対するサポートというのがどれだけしっかりしているかということ、これが前提になると思うんです。その上でやっぱり私たちの周辺全体の意識が変わってくるということでなければいけない。  ですから、私は、いろいろなイベント、キャンペーンなどでも単一の家族モデルを前提にしているのではないかというようなのは問題があるというふうに思いますし、それから行政の施策の中にも、もっと丁寧に個別に家族状況を支えていくという取り組みがなければいけないというふうに思います。
  21. 浜四津敏子

    浜四津敏子君 ありがとうございました。
  22. 吉岡吉典

    ○吉岡吉典君 私は、前回の参考人の方にお話をお伺いしたときにもちょっと触れたことですけれども、高齢化対策を考える場合に、長寿は人類の長年の夢であった、それが実現して高齢化にどう対応するかということを我々が検討を迫られている、そういう意味で高齢化社会対策というのはすばらしい仕事だなというふうに思っているところですと言いました。  きょうは、少子化の問題をいろいろお話しになりました。実はある大きい新聞に出た記事の中で、出生率を上昇させたスウェーデンではどういうことが強調されたかということで、先ほど女性の高学歴化が少子化の原因ではないと先生もおっしゃったんですけれども、そうでなくて、自分の意思で出生率が下がるということは人々が未来に希望が持てないことのあらわれだというのがスウェーデンでは強調されて、未来に希望が持てるような対策をいろいろ考えた。そういうことの結果として出生率も上がったということが書かれているのを読みまして、これは大変大事なことが書かれていると私は思いました。  先生にもちょっとそのことを、どういうふうにお考えになっているかということを一つお伺いしておきたいと思います。  それと、時間の関係先生お話しにならなかったところで、レジュメで「養育者・介護者の人権と福祉」ということはどういうことを先生お話しになりたかったのか、非常に興味を持っておりますので、この点も一点お話を聞かせていただきたいと思います。  以上です。
  23. 庄司洋子

    参考人庄司洋子君) 少子化というのは、その社会の未来への希望が失われている状況をあらわすのかということですが、社会や未来を見通してみんなが子供を産んでいるかどうかというのはなかなか微妙なところでして、もっと身近なところで状況判断をしているという可能性が多分にあると私は思います。  ですけれども、少なくともかってに比べますと、特に言われておりますことは、女性にとって生きていくすべが結婚だけではなくなったというようなこと。それから、そのこととあわせて結婚や育児に生きるということが相対的にやはり魅力を失ってきているのではないか。それはより楽しいことがあるということよりは、いずれそうしなければいけないけれどもできるだけ先に延ばしたい、回避したいというような状況だとすれば、これはやはり一つ問題状況でもあるだろうというふうにも思います。しかし、単純に結婚や子育てに飛びつかないのが問題だというふうに言えるかどうかということです。  ですから、長期的にどこまでも出生率が低下していくというのはやはり何かわけがあるだろうということは感じますけれども、しかし、かつてのように五、六人ぐらいは産むというような時代でなくなったことを問題だというふうには私は思っておりません。やはり一番日本社会で問題だと思われるのは、少なくともデータなどで見ますと、日本の母親が子育てを楽しんでいないということです。子育てというのは最も緊密な人との個別のかかわりですし、そしてそこに育つものを見ていく楽しみでもあるわけなんですけれども、一人産んでみたらもう懲り懲りだと、そういう選択がどうもあるのではないかというところが私は大変深刻だと思います。  やはり今、かつてのようにいろいろな人の力の中で子供が育つという状況がなくて、一人の女性、母親である女性に全部の責任をしょってもらうという、そのことの実質的な負担もそうですが、負担感は孤立感にもつながっていくわけですね。  特に、今まさに、先ほどの言葉で言いますと、いろいろ女性の生き方がそれなりに多様化していますから、例えば二十五歳なら二十五歳の女性が周りを見ますと、自分は結婚して最初子供を産んだと。しかし、友達のかなりが、同級生のかなりの人たちがまだそれこそルンルンキャピキャピというんですか、以前と変わらず目いっぱい楽しく遊びに行ったり働いたりしている。そういうのを見ていますと、何かこの上なく自分が失敗をしたような気がするという感じですよね。恐らく、今そういう状況があるのではないかというふうに思います。  かつては、とにかく先に結婚して先に子供をつくった人が何か勝負あったというような感じで、まだそうなっていない人のことを気の毒がったり心配してあげたりすると。今はやはりそこら辺が逆転しつつある過渡期の中で、子育てを選んだ女性が非常に動揺して 周りとのいろいろな心理的な摩擦に苦しんでいるという状況がありはしないかなというふうに思っております。  ですけれども、そういう人たちも、子育て仲間を見つけたり、子供にかかわることの楽しさを学習していく中で、もう一人産んでみたいという人も当然出てくるわけです。そういう状況が、ある意味では大変皮肉なことに、保育所で子供を育てるのを手伝ってもらって働き続けているお母さんに案外多いのではないかというようなことが言われていたりするわけです。一人で全部しょっていると、もう一人でたくさんだという気分になっていると。これは正確なデータがないわけですけれども、少なくとも私の手元にはないんですけれども、三人目を産んでいるのはどうも保育園のお母さんではないかという風評は随分聞くんですね。ですから、そのくらいに子育てというのは一緒にやっていく人が必要なのだということをやはりはっきりさせないといけない。  そういう点では、余り社会に希望があるかないかというレベルで心配しても、やれることは何なのかという方策が出てこない。子供を産む気になるようにしかけるというのはやはりこれはおかしいと思うんですね。そういう条件がある中で産みたい人が産める、そういうふうな状況をつくっていくことが私は大切だと思います。  もちろん日本社会の将来がどうなのかといえば、もうそれは心配なことは山のようにあるわけですけれども、しかしそういう心配事を解決していく力というのがまさに子供を産んだり育てている人自身にもあるわけですし、その次の世代の子供たちもそれを解決していく力になっていくわけですから、余り悲観的にそういう見方をしない方が問題の解決につながる、そんなふうに思っております。それから、最後のところでちょっと私が触れるべきところを触れなかったことは、子供の人権とか高齢者の人権ということとあわせて、まさに日本的な文脈の中では、むしろ養育者や介護者がよい母親、よい嫁、よい子供を黙って演じることによって初めて自分の身辺の居心地がよくなるという状況があるために、かなり大きな犠牲を払っているのではないか。  特に、今一番犠牲を払っている可能性があるのは、私は何度も強調しているようですけれども、例えば仕事を続けたいと思った女性が断念して、そうしますと、そこで本当にこの役割を成功をさせるために頑張らなきゃいけないという過剰な頑張りをしていく、そういうところに追い込まれていくということがあるわけですね。そういう点で一つ問題があるのではないか。    〔理事竹山裕君退席、会長着席〕  それから、やはり養育者、介護者というのは一般におおむね孤独です。そして、悩み、苦しみが正当に理解されていない。そういう意味で、社会にきちんと評価されない役割をしょっているというところに、何か私はその人の人権が無視されている、尊重された存在になっていないということを感じるというようなことを申し上げるつもりでした。  以上です。
  24. 鈴木省吾

    ○会長(鈴木省吾君) 以上で庄司参考人に対する質疑は終了いたしました。  庄司参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。  本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査参考こさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  ありがとうございました。(拍手)     —————————————
  25. 鈴木省吾

    ○会長(鈴木省吾君) 次に、木間参考人より御意見をお伺いいたしたいと存じます。  この際、木間参考人に一言ごあいさつを申し上げます。  本日は、御多忙中のところ本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございます。  本日は、本調査会が現在調査を進めております本格的高齢社会対応に関する件について忌憚のない御意見をお聞かせいただき、調査参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いいたします。  議事の進め方でございますが、まず参考人から四十分程度御意見をお述べいただきまして、その後、委員からの質疑にお答えいただく方法で進めたいと存じます。  それでは、木間参考人お願いいたします。
  26. 木間昭子

    参考人(木間昭子君) 本日のテーマは高齢期の消費者被害の実情と対策でありますけれども、被害の全般的なことにつきましては概略を申し上げるにとどめまして、介護を商品化した有料老人ホームを中心にシルバービジネスの問題点をお話し申し上げたいと思います。  もしシルバービジネスが消費者の権利を認識せずに進められるならば、高齢期の消費者被害というのは急速に広がるであろうと思っております。なぜか。その背景にはさまざまなことがありますけれども、そのうちの三点を挙げれば、第一は健康状態の悪い人がふえてくる後期高齢期、すなわち七十五歳以上の人口増であります。健康状態の悪い人の増加がなぜ消費者被害の広がりにつながるかといいますと、健康状態の悪い人をターゲットとする業者がいるからです。このターゲットとする業者というのは決して悪質業者に限ったわけではありません。加えて、脳疾患ですとか心臓の疾患とか高血圧とか、そういうふうに健康状態が悪くなりますと、これまででしたらもう決してそんな話にはだまされなかった、そういう話にもだまされてしまって数十万円とか数百万円もするような不要の商品を購入させられるということがあるからです。  第二は、自分の財布を持ってお金の管理を自分で行う高齢者がふえてきているということです。となれば、当然被害に遭う率も高くなります。八十歳を超えても可能な限りお金の管理は自分で行う、あるいは自分で行わなくても配偶者が行う、ほとんどの人がそうであります。私ども国民生活センターでは毎年高齢者調査を行っているんですが、こういう調査を行いますと、もう健康である限りとにかく子供には任せようとはしていません。  このような自分の財布を持つ高齢者の増加を企業が見逃すはずはなく、第三はシルバービジネスの浸透であります。  このような三点を見ただけでも、高齢者の特質を踏まえた対策がなされなければ被害の拡大は必至と言えるのではないでしょうか。  個人差はあるものの年をとれば視力、聴力は低下し、言語や反応速度も遅くなり、そういう人たちというのはどういう被害に遭っているのか、その被害の特徴とはどのようなものがあるのでしょうか。消費者相談と高齢者生活実態調査の二つの側面からとらえますと次のようになります。  消費者相談から見た被害の特徴でありますけれども、どのぐらいの件数から見ているのかといいますと、国民生活センターのコンピューターに入力されている全国の消費者相談機関で受け付けた相談件数を見ますと、このレジュメの一ページのところに書いておきましたが、この棒グラフの一番上でありますけれども、一九九二年度には約十九万件あります。そのうち六十歳代は約一万四千件、七十歳以上は約七千五百件であります。  そういう相談から見た被害の特徴、実はたくさんありますけれども、二つだけ挙げるとするならば、一つは、高齢の男女については問題発生率は大差がないということです。よく女性の相談者は男性より多い、だから女性は被害に遭いやすいんだと言われます。私はちょっとそのことに疑問を抱きまして そうなんだろうかと思って調べてみました。確かに、七十歳代の相談者の男女比を見ますと、おおよそ男性四対女性六と女性が多いんです。ところが、国勢調査結果においても実は同じような比率でした。男性四対女性六であります。ということは、問題発生率に高齢の男女においては大差なしと言えるんではないでしょうか。  相談から見た被害の特徴の二点目は、七十歳以上の高齢者は健康関連商品の被害に遭う比率が高いということであります。高齢者というのが何歳からということで、六十歳という切り方はおかしいんですけれども、ちょっとコンピューターに入っていますのがそういう分け方になっていますので、年齢別に六十代、七十代と分けてみましたら、七十代になりますと急激に健康関連商品の被害に遭う比率が高いということがわかりました。  健康関連商品というのは、健康食品ですとか、磁気マットレスとか羽毛布団とか健康機器と言われる商品が多いんですけれども、そういう商品についての苦情というのは、高いお金を出して結局は不要な商品を買ってしまったという経済的な被害が一つなんですが、その経済的被害だけではなくて、かえってぐあいが悪くなってしまった。健康食品を食べることによって、飲むことによって気持ちが悪くなったとか、動悸がひどくなったとか、血尿が出たとか下痢が出たとか、そういう健康上の被害も見られます。こうした高齢者の健康への不安とか孤立感をついた販売による被害はどうも少なくなる気配はないと見ております。  もう一点特徴を挙げますと、お金がもうかると言われたのに損をしたという被害が多いということです。金融、保険にかかわる相談を見ますと、悪質業者に限らずに、違法とは明らかに断定しにくい販売行為によって被害に遭っているケースがあります。例えば証券会社とか保険会社とか銀行などによって被害に遭っているという人たちの存在が少し気になるところであります。  次に、国民生活センターが実施してきた高齢者生活実態調査から健康関連商品と資産運用にかかわる被害について見ますと、購入した商品やサービスに不満を抱いている人というのは多いんですけれども、じゃ不満を解決するためにどうしたかというと、何もしていないという人が多いんですね。  例えば健康食品とか羽毛布団とか磁気マットレスなどについて私どもの調査結果から見ますと、男性の三割とか女性の四割は購入しているんです。ところが、そのうちの男性の三割、女性の四割は不満に思っている。不満があった人はどうしているかというと、男性の六割、女性の七割は解決のために何もしていないという結果が出ております。お金に関する被害についてはどうかというと、資産運用、利殖話にかかわる被害も実は同様でありまして、資産運用とか利殖について約半数が勧誘されているんでありますが、これはそううまい話があるはずはないと思う人も多くて、申し込んだ人は一割程度であります。ただし、失敗した人は六割と多い。にもかかわらず、半数近くは解決のために何もしていません。  消費者被害につきまして私ども国民生活センターでは、悪質商法に限らず、保険、証券、銀行など金融機関に関する消費者問題も毎年調査しております。例えば株式や公社債を買ったり勧誘を受けたことがあるか、そういう質問に対して六割ぐらいの人はあると。じゃ、それでどういう経験をしましたかというと、かなりの人が損をしたとか迷惑に思っているとかいう結果が出ております。  この調査結果の中から最新のものを本日のレジュメの五ページと六ページに掲げておきました。この説明は、本日は省略させていただきます。  次に進ませていただきます。有料老人ホームの問題であります。高齢の消費者が高額で購入する有料老人ホームという商品を取り上げて、その消費者被害の実態をお話しいたしたいと思います。  今、高齢者は商品に不満があっても多くは解決のために何もしていないと申し上げました。有料老人ホームについてはどうでしょうか。有料老人ホームの苦情というのは、その多くは解決の道を閉ざされています。なぜかと申しますと、有料老人ホームの入居者の大半は不動産を売って入居しています。解約して戻ってくるその返還金の少なさ、その額を思いますと、退去もままならず、居づらくなるのを恐れて意見を言うことさえ控えているのです。心身機能が衰えて介護を要する身であれば、もう訴訟を起こす体力も時間もありません。  私のところによく手紙をよこしたり電話をかけてきたりする入居者あるいは退去者がいるんですけれども、泣きながら訴えるのには、とにかく意見を言ったら出ていくように言われた。それはどういう方か、まさかそれは経営者ではないと思うんですが、いろいろ世話をしてくれる方なんですけれども出ていくように言われたとか、非常につらい思いをしております。風邪を引いたときに食事を運んでくれるように頼んだらそれもしてくれないとか、それは両方の意見を聞かないとわからないということはありますけれども、私のところにはそういった意見が寄せられています。  今、有料老人ホームについてお話を申し上げましたけれども、先生方御存じとは思いますが、有料老人ホームというのはどういう規定がされているのか簡単に申し上げますと、老人福祉法第二十九条に「常時十人以上の老人を入所させ、食事の提供その他日常生活上必要な便宜を供与することを目的とする施設であって、老人福祉施設でないものをいう。」と規定されています。  一九九三年七月一日現在では有料老人ホームは二百六十一あります。そのうちの半数近くは株式会社でありまして、残りが社会福祉法人とか財団法人であります。入居者は二万人弱といったところです。この有料老人ホームの大半は終身利用権型と言われるものです。終身利用権型とは、入居金を支払うことにより終身の利用権が手に入るというもので、所有権は移転しません。入居金は一千万円台から四千万円台といったところが多いんですけれども、これほどの大金を支払うのに、この入居金というのはいかなる性格を持つものなのか、介護とは何をするのか、介護費用とは幾らなのか、終身利用権とは何なのか、そういうものがあいまいなままに取引が行われて入居してしまうという実態がございます。その結果、最後まで介護するかのように表示してある。パンフレットを信じて数千万、中には一億円をも超す入居金を前払いして有料老人ホームに入居したのに、いざ介護が必要になるとほかの施設に移されてしまったり、雑居部屋に移されたり、病気でもないのに診療所に移されるといったケースが出てきています。  お金に関するトラブルも実は多いんです。トラブルに触れます前に、お金が幾らぐらいかかるのかということを簡単に申し上げますと、今申し上げました数千万円の入居金のほかに、入居時に健康な人が入るホームの場合ですけれども、毎月食費が一人一カ月四万から五万ぐらいかかります。それから、管理費が一人一カ月三万円から十万円といったところが多いようです。この管理費というのはホームの職員の人件費とか共用部分の維持費などが含まれているものですけれども、このほか介護費用が必要になるわけです。中に入居金に含んでいるところもあるんですが、この介護費の支払い方というのは大別すれば二通りあります。  一つは、入居時に数百万円を一括して支払う方法です。二百万から五百万といったところが多いようです。もう一つは、介護が必要になった時点でその都度支払う方法です。この介護費が入居金に含まれているのかいないのか、別途なのか、それがあいまいなために、入居金に含まれているかのように表示しながら実はいざ介護が必要になると別途に徴収されたというケースがあります。  レジュメの二ページをごらんいただけますでしょうか。これは公正取引委員会が一九九三年十二月二十二日に、有料老人ホームの一部の業者に対して表示を是正するよう警告を行ったものです。公正取引委員会が不当景品類及び不当表示防止法第四条第一号及び第二号の規定に違反するおそれがあるとして警告を行った表示とは、二ページの下の方に書いてあるものです。  一番は、ホームの中で重度の介護を実施できるかのように表示しているけれども、実際には、アの部分です、重度の介護はしていない。ホームの中で介護を実施できるかのように表示しているけれども、重度の介護をしていない。介護をしなかったら生きては、けません じゃどうしているのかというと、イのところに書いてあります。介護が必要になったら、入居者が費用負担をして付添人をつける必要がある。私、このパンフレットを見ましたが、本当にわかりにくいですね。よくよく読んだらわかります。確かに介護が必要になったら自分で付添人をつけて費用は負担してくださいとは書いてありました。それであれば、公正取引委員会が言いますように、ホームの中で介護を実施するという表示はいかがなものかという感じがいたします。ウに書いてありますが、提携施設に移しているとあります。重度の介護をホームでするようには表示しているけれども、いざというときには提携施設に移しているところがあるということです。  二番目が、二十四時間体制の介護を実施しているかのように表示しているけれども、実際には介護を要するようになると、ホームに附属している診療所に入院させて介護を実施しているということであります。その診療所というのは、行きますとわかるんですけれども、外側からは確かに診療所とは書いてあるんですが中側からは廊下でつながっていまして移せるようになっているというホームも私は見たことがございます。  三番目が、介護費用が入居金に含まれているかのように表示しているが、実際には別途追加費用を徴収しているという、先ほど申し上げた点であります。こうした点はもう数年前から消費者団体やマスコミなどによっても指摘されていた点であります。  この警告にありますように、消費者被害の大半は契約前に正確な情報提供がなされていないということに起因していると言えます。その情報提供に関する問題点を三つ挙げますれば次のようなことになります。  一つは、入居金と介護費用の表示の不徹底さです。パンフレットに入居金は幾らですということは書いてありますけれども、入居金を払ったら何が買えるのか。お金を払うんですから何かを買うわけなんですけれども、その内容がはっきり書かれていないところが少なくないということです。介護が必要になったらどのようなことをしてくれるのか。それも非常に何か抽象的な、テニスウエアなんか着ましてラケットを持った元気なお年寄りがパンフレットには表示してあるんです。そういうのを見て介護のことをよく考えないで入ってしまう方も悪いのかもしれませんけれども、介護のことをよく書いてない。よく考えないで入ってしまっている。そしていざとなれば今言いましたような被害が生じているということであります。どんな介護かがわからないだけではなくて、費用が幾らかを表示してあるものも少ないということであります。  では、介護基準の表示というのはどうか。介護基準といいますのは、ちょっと大ざっぱに言ってしまいますと、おむつは何回取りかえるのかとか、どういう状態になったときにおふろへ何回入れてくれるのか、体の状態、心身機能状態によってどんなお世話をしてくれるのかといった基準であります。それが「心のこもったお世話」という言葉じゃちょっと困るわけです。これはもう商品、売買なわけですから、どういうことをやったら幾らですよ、何回やったら幾らですよということを明確にしてくれなくてはいけないんですが、どうもその辺が難しいというホーム側の言い分がありまして、明示しているホームが少ないということであります。  実際私も幾つかホームへ行きまして介護基準を見せてほしいと言ったんですけれども、ほとんどのホームが見せてくれません。私は自分の所属するところとかなんか名乗りませんで、なるべくそういうところはおばさん風にして行くといいよと言われて、私も十分おばさんではありますけれども、おばさん風にして、それで私の親がという言い方をして行くんですけれども、もう大体のところが、こんなうるさい娘がいる親なんてとても預かる気はないということで、もうおたくは結構ですとほとんどのところで言われまして、介護基準は見せてもらったことがありません。  二つ目の問題としては、ホームにおけるいろいろなサービスがあるんですけれども、そのサービスというのは例えばお部屋のお掃除とかぐあいが悪いときに食事を届けてくれるとか、それから介護、医療サービスがあるんですが、それはどういうもので幾らかという表示もしているところは少ないです。それが管理費に含まれるのかその都度払うのか入居期に払うのか。いずれにしたって有料老人ホームは福祉でやっているわけじゃない、商売でやっているわけですが、有料にもかかわらず何をやったら幾らかという表示がない。そうすると、表示がないとただなんだろう、ただのはずがないのにただなんだろうと思ってしまう。表示をしているところはかえって高いというイメージがある。そんなことからも、どんなサービスが幾らであるかという表示がないということが一つ問題であります。  それと三つ目は、契約内容の公開と書面の交付といいますか、それが不十分な点です。  契約すると意思表示をするまでは、そして申込金を払うまでは契約書を渡さないというホームがたくさんあります。そうしますとどういうことが起きるかというと、申込金というのは十万円ぐらいのところもありますし、かなり高いところもあるんですが、申込金を払って契約書をもらって、こういうものをもらってきたと家族に見せる、あるいは知り合いに見せる。これは大変なことだと言われたときに、その申込金は戻らない。解約しようと思っても戻らないというホームがほとんどだということです。ともかく契約書を渡す時点が非常に遅いということが問題であります。  必要で正確な情報が提供されていないということがきっかけになりましてさまざまなトラブルが発生しているわけですけれども、とりわけ入居金と終身利用権の性格、終身介護サービスの中身の表示があいまいなために、取り返しのつかない被害が生じています。  そこで、終身利用権と終身介護にかかわる問題の中から三点ほど指摘しておきたいと思います。  一つは、終身利用権について消費者と事業者の認識に食い違いが見られるということです。  パンフレットにあります終身利用権の表示というのは、利用権方式とは入居金をいただくことで、一つは居室、もう一つは共用施設——共用施設というのはロビーとかおふろとかいろいろ楽しむお部屋とかあるんですが、居室、共用施設、そしてもう一つ介護及び日常生活上のサービスを利用できる権利のことだと、こんなことが書かれています。こういうふうなことが書かれていて、それの回りに、心のこもったお世話をいたします、老後の生活はお任せくださいといったような表示があるわけです。その。パンフレットを見まして、さらに実に巧みなセールストークを聞けば、消費者側としては体が不自由になっても終身、最後までホーム内で介護をしてもらえると思うのは当然ではないでしょうか。  ところが、身の回りのことが自分でできなくなると、老人病院であるとか介護専用型のホーム、それから老人保健施設特別養護老人ホームに移されている例が多々あります。契約書の中には、体が不自由になられたら入院して終身介護が受けられます、そこまで示をしているものもありました。終身介護をうたいながら、病院とかほかの施設に移すようなことをこのような表現で盛り込むというのは、余りにも事業者に有利な契約内容と言えるのではないでしょうか。  二つは、介護室をめぐる問題です。  大金を支払って得た利用権であるにもかかわらず、介護室はごく一部のホームを除き雑居部屋であるということです 外に出さないで自分のところで面倒を見るというところの介護室の問題でありますけれども、有料老人ホームというのは契約のときに、例えば一〇一号室なら一〇一号室の終身利用権を得るということが契約書に書かれます。ということは、法的にも雑居部屋であってはならないんじゃないかと思うんです。ですから、一〇一号室という契約をするんであれば、その部屋の排他的な 独占的な利用は認められたと法律的には解釈してよろしいんではないでしょうか。となれば、もう可能な限り自分の部屋で介護を受ける権利があると思います。  どうしても介護室に移らざるを得ないという場合があります。その場合は、これまでのお部屋と同じ大きさの居室が提供されてしかるべきだと思うんです。もしそうでなければ、終身利用権というのは借家権的性質の強い権利でありますし、入居金が家賃の前払い的要素があるんですから、もしその途中で十五坪から十坪の居室に移されるのなら、五坪分の家賃の前払いの部分は返して当然だと思うんです。そうしたこともほとんどのホームがしていません。それどころか、雑居部屋に四人とか六人とか、多いところですと十六人とか二十五人とか、そういう雑居部屋に移しているところがあるということです。もしこれが健康な人が、ある日突然、家賃を一生分前払いしているのに、あなたあしたから雑居部屋に行きなさいと言われたらみんなすごく怒ると思うんです。それが当然のごとく行われているという実態があるということです。  三つ目の問題は、自分の部屋から介護室とかほかの施設に移る基準が非常にあいまい、不明確だということです。  介護に手がかかるようになるということはすなわちお金がかかるということです、ホーム側にとってみれば。そうなれば外に出したいと思うホームもあるわけです。そういう事業者と、いや私はここの利用権を払ったんだからずっとここにいたいという消費者。事業者と消費者の利害が相対立するわけです。にもかかわらず、だれが何を基準に別の施設にあるいは介護室に移すのかという基準が不明確だということです。ホームによりましてはそのホームの医師が判断するというところもあるんですけれども、事業者が指定する医師というのは果たして第三者と言えるのかどうか、これはちょっと疑問であります。やはり消費者の利用権が保障されるためには、自分で意思を決定できる場合は本人の同意が必要でありましょうし、自分の意思決定ができない場合は身元保証人の同意が必要ではないかと思います。  私は、今後、有料老人ホームの入居者の被害というのは拡大化、深刻化するのは必至であると見ております。なぜなら、全国各地のホームで入居者の平均年齢が上がります。有料老人ホームの入居者ってとても長生きするんです。いいことなんですが、どうしてかというと、食事も医療も、お医者さんも週二回ぐらい来ますし、それから何といったって温度、湿度が管理されておりますので、実にいいことですが、長生きします。となれば、介護を要する人の比率も高まるということでありますが、介護についてこれだけの問題を抱えていれば、消費者被害の拡大化、深刻化というのは必至ではなかろうかと私は見ております。  有料老人ホームに対する行政的関与というものは、九一年の四月から非常に規制は強化されました。強化されながらなぜこういう問題が起きるのか。実際、有料老人ホーム設置運営指導指針という行政指導によって指導されているんではありますけれども、その中から類型表示という一つだけを取り上げまして、それが消費者にとってはどのような意味を持っているのかを御説明したいと思います。  三ページの表1の左側をごらんいただけますか。そこに「終身利用型」という言葉が一番上と二番目にあります。終身利用型といっても、同一施設介護と提携施設に移して介護するホームがあるんです。もっとも、同一施設介護とあっても他の施設に移しているホームがあることは公取の警告にあるとおりなんでありますが、これはかなりわかりにくい類型ではなかろうかと思います。  次のページ、四ページの表の2は埼玉県のホームの類型です。埼玉県は、類型1にありますように、終身ホーム内で介護するホームだけが終身ホーム内介護型と規定されていてとてもわかりやすい表示であります。行政の規制、行政的関与につきましては、この一つをとりましてもちょっと問題があるのではなかろうかと思います。  実際、ホーム側は厚生省の行政指導に従い表示をしているのかといいますと、なかなか表示をしていません。表示をしていないんだったら、この際埼玉県のような終身ホーム内介護型と、非常にわかりやすい類型にしてもいいんではなかろうかと思います。  最後に、高齢消費者被害未然防止のためにはどうすればよいのかということを申し上げたいと思います。  まずは、個々の問題にきめ細かな対応策をとることが重要ではないでしょうか。有料老人ホームについていえば、わかりやすい表示の徹底を望みたいと思います。一つは、わかりやすい誤解のない類型表示。二つは、介護の中身と料金の明示。三つは、入居金を払えば何が買えるのかという表示です。  特に介護に関しては、介護を受ける場所、介護の中身と費用、介護職員数、居室から外に移すことを判断をするのはだれかといった表示が必要ではないでしょうか。介護を受ける場所もかなり具体的な表示をさせるということを指導してみてはどうかと思うんです。ホームの中なのかホームの外なのか。ホームの中であれば、自分の部屋なのか介護専用室なのか。そしてそこは個室なのか雑居部屋なのか。そういったことを細かに表示をすれば、もう消費者が誤解をして入るということはなくなると思うんです。  それと、介護職員数であります。量で質を判断するというのは難しいことでありますけれども、介護者数というのは介護の質を左右します。やはり大勢いればいるほど手厚い介護はできると思います。となれば、介護者数の表示というのも必要ではなかろうかと思います。  こうしたものをB4一枚ぐらいの紙に大きな文字で書いてわかりやすく表示をして、あの分厚い高価なパンフレットの中の一ページのところに挟み込むとか、そういった指導がなされればよろしいんじゃないかと思えるんです。  実は厚生省も、契約締結前に重要事項説明書を入居希望者に渡しなさいよ、説明を行いなさいよということは指導しています。ただ、その厚生省が言う重要事項説明書というのはかなり難しいものでありまして、その内容について批判するつもりはありませんけれども、もう少しそれをわかりやすい表現の、今私が申し上げましたようなものでできないだろうかと思います。  それじゃ、どうして厚生省がその指導をしていても重要事項の説明、その作成すら行わないホームもあるのか。そしてそれを手渡さないホームもあるのか。なぜ徹底しないのか。私はその規制のあり方に少し疑問を持っています。  消費者利益確保のためには何もかも法律による規制が望ましいというわけではもちろんありませんが、規制緩和の是非というのは問題の性質によるのではないでしょうか。事業者の自己責任と緩やかな行政的関与により対応すべきという考え方は、高齢の消費者が高額で購入する有料老人ホームという特殊な商品についてはいかがなものでしょうか。有料老人ホームにおける消費者被害を防ぐには、今後、法的強制力を背景とした実効性のある行政的関与を検討してよいのではなかろうかと思います。  次に、有料老人ホームに限らず高齢消費者被害の未然防止対策全体について見るならば、財産管理・保全サービスシステムの整備にあります。成年後見制度が検討されていると聞いておりますけれども、高齢者のみ世帯が増加していく中で財産の管理・保全サービスシステムを整備していくということは被害の未然防止に大いに役立つのではないかと思います。  この問題を消費生活という側面から見ますと、意思能力がなくなった、痴呆という人ではないちょっと手前の人たちでも消費者被害というのはかなり起きています。ですから、心身機能が衰えつつある人、痴呆とは言えないような人たち、そういう人たちの権利擁護も必要であると思います。そのためには 今東京都の一部の区とか福祉公社などが実施している財産管理・保全サービス、そういう援助の全国的な広がりというのは意味を持ってしょうけれども、消費者問題というような側面からだけ見れば、例えばシルバービジネスを展開する企業というのは高齢者の特質と消費者の権利というのをもう少し認識してほしい。金融業界を例にとれば、高齢者には安全性の低い商品は勧めないでいただきたい。電話による勧誘は自粛していただきたい。非常に事業者側にとってはきつい言い方かもしれませんが、高齢者をビジネスの対象として銀行や証券会社が安全性の低い商品を勧めたり、電話によって何だかわからない英語というか単語をばっと並べてわからないうちに契約させるようなことは少し考慮していただけないものかと思います。  もう一つは、地域における福祉サービスの供給体制と消費生活サポートの体制がそれぞれ連携し合っていくことがこれからは肝要ではないかと思います。  それにしましても、どこに住んでいてもどこにいても、それは我が家でも入院して病院にいても、特別擁護老人ホームにいても有料老人ホームにいても、どこに住んでいてもだれでも介護サービスは公費で賄われるというシステムができれば高齢期不安の中の経済的不安は和らぐことになりましょう。そうなれば経済的不安をついたシルバービジネスによる消費者被害は減少するのではないかと思っております。  以上です。
  27. 鈴木省吾

    ○会長(鈴木省吾君) 以上で木間参考人の御意見の陳述は終わりました。  これより参考人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  28. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 自民党の清水でございます。  きょうは大変具体的に関心のあるお話を聞かせていただきまして、ありがとうございました。この調査会でもずっと高齢者問題を勉強しているわけですけれども、本日初めてこういった高齢者の被害の問題をお話しいただいたわけでございます。  非常に具体的な例をたくさん持っていらっしゃるので教えていただきたいと思いますが、最初に、これ一年間ですか、約二十万件近いような被害に関しての御相談があったというようなお話を伺いました。非常に多いような感じもいたしますけれども、こういうものを分析してごらんになって、特にお年寄りの場合に、中身なんですけれども、確かに被害と呼べるような内容のものがもちろん多いんでしょうけれども、逆にお年寄りが誤解をしているとか、あるいは勘違いをしている、過度な期待をしているとか、そういった面。御相談の中身ですからいろいろあると思いますけれども、そういったことも相当あるのではないかという感じもいたしますが、これ随分年代が広がっていますから、特にお年寄りというのはなかなか難しいのかもしれません。もし特徴があったら教えていただきたいことと、それからそういう中でも特にこういう被害をお受けになるお年寄りの何か特別な、例えばひとり住まいであるとか何かいろいろ特徴があろうかと思いますが、もしあったら教えていただきたいと思います。
  29. 木間昭子

    参考人(木間昭子君) まず最初の御質問でございますけれども、この二十万件というのは国民生活センターと全国の消費生活センター、それが国民生活センターのホストコンピューターと都道府県と政令指定都市のコンピューターで結ばれたシステムがございまして、そここ蓄積された件数であります。その二十万件のうちの六十歳以上は一一・七%、約二万件でありますけれども、その中での特徴といいますのは、先生今おっしゃいましたようにもう本当に誤解、過度の期待、それはそのとおりです。  といいますのは、被害者側から見ればセールストークが誤解させるように、過度の期待を抱かせるようなセールストークをするわけでありますから、もう当然そう思ってしまうわけであります。それは豊田商事のときに随分言われましたけれども、とにかく優しくしてあげてもう何もかも世話をしてあげて孤独の老人のところに、それがもうターゲットであるわけでありますから、それは本当に先生御指摘のとおりであります。  そのお年寄りの特徴でありますけれども、家族構成別に見ますと、実は全国の受け付けているところの家族構成というのは聞いておりませんので、その点私どもの調査から申し上げたいのですけれども、レジュメの五ページのところに去年行いました調査結果で図1とございます。  これは、どんなことをセールストークで言われているのかという調査をしたうちの一部なんですが、図1の(1)が訪問販売員にどういう人が声をかけられているかという図であります。夫婦のみとか自分たち夫婦と子どもの家族とか自分たち夫婦配偶者のいない子どもとか、その人たちの方が、点線が女性なんでありますけれども、その人たちの方がひとり暮らしの人、配偶者のいない人よりも声をかけられている比率が高いんです。これはどういうことかといいますと、きょうここに載っておりませんですけれども、夫婦のみの方がどうしてもひとりの人よりも高齢者世帯の年収が多いです。収入が多いです。そうすると訪問販売員も外から見てお金がありそうな家に行くのか、確かに孤独をつかれて販売されるんではありますけれども、やはり収入の多そうな人たち一つのターゲットにされているということです。  その次は、どういう人が被害を受けているかでありますけれども、家族構成に余りかかわらず訪問販売の被害というのはあります。じゃ、それをしまったと思っていますか、それとも思っていませんかというのがあるんですね。SF商法といって会場に集めて高い物を買わされて、しまったと思う人としまったと思わない人がいるんですけれども、それを聞きますと、家族構成別で見ますと、これは特徴的なのはひとり暮らしの人がしまったと思っている人が結構多いということがあります。これもまたひとり暮らしの人が年収が少ないということがあって経済的な被害をしまったと思うのであろうと思います。  この図1の(2)でありますけれども、これはちょっとおもしろいといっては何なんですが、街頭で声をかけられるという販売 これはどういう特徴があるかといいますと、点線が女性でありますが、女性がこの商法のターゲットにされているということは下の実線の男性よりかなり多いということでおわかりいただけるかと思います。こういう点でまず販売する側がどういう人をターゲットにするかということでかなり特質があるということ。  それから、ここに載せました六ページの図4にありますが、六ページの図4の左側、これは年収別のものです。この年収というのは高齢者だけの年収です。家族があり、お子さんたちと住んでいてもその人たちの年収は入っておりません。これを見ますと、資産形成とか利殖話で勧誘されているという人は年収が高くなればなるほど多いということであります これについて、じゃ被害を受けた人たちはどうかと見ますと、やはりこのように年収が高くなれば高くなるほど被害に遭ったという比率も高くなります。  どういう被害に遭っているのかを見ますと、結構お金持ちというのも変額保険ですとか株ですとか、そういうものに何千万というお金を投資してしまって、お金持ちが結構ねらわれているという、かなり大ざっぱですが、そんな特質がございます。
  30. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 ありがとうございました。  拝見いたしますと、そういうお話はあったけれどもうまい話はそんなないんじゃないかとか、信用できないとか、結構そう、うことをちゃんと理解していらっしゃる方が多くいらっしゃいますので、中にはひっかかる方もあるかもしれませんけれども、かなりな方がそういった面では慎重になっていらっしゃる。それは、やはりいろんな被害があるということがいろんなマスコミなんかでも出ているからなのかなという感じもいたします。  さてそこで 今、有料老人ホームについて詳しくお話をいただいたので、その話に移したいと思います。これは社会福祉施設ではないということで、民間がみんなやっている。そこで、厚生省の方針でも民間事業者にこういう仕事をさせるということを推進しようとしているわけですよね。  しかし、健全に運営させようとしているわけですけれども、最後の方に先生介護サービスはやはり公費でやるべきだということをおっしゃいました。それはもちろんそれであるのでしょうが、年をとって恐らく最後の一番大きな買物になるであろうこの老人ホームに、こういったいわゆるシルバーサービスがかかわってくることに対する今いろいろ問題点をお挙げくださいましたけれども、逆に公的なサービスだけではできないメリットといいましょうか、そういった面もあるのかなと思いますけれども、あえてお伺いしたいんですが、ちょっと教えていただけませんか。
  31. 木間昭子

    参考人(木間昭子君) スウェーデンに有料老人ホームがございます。そうするとスウェーデンにも有料老人ホームがあるんだから、選択肢の一つとして有料老人ホームがあっていいという論議があります。確かにそのとおりだと思います。  けれども、スウェーデンで有料老人ホームがあるというのは、公的なものが充実してあるわけですね。ですから、日本でも有料老人ホームがあっていいと言えるには、公的なものがもう少し充実してくれたらいいと思うんです。  確かに私、今被害ばかり申し上げましたけれども、実に楽しんでいらっしゃる方も多いです。介護になったらどうしますかと聞くと、そのときはそのときよという、そういう人生観の方もいらっしゃいます。特に男性方にとって何が苦痛かというと、奥様に亡くなられるととにかく食事をつくることとか、そういう家事がつらいわけですから、そういう方々が特別養護老人ホームには入ったくない、養護老人ホームにも入ったくない、そういう方々でお金がある、そういう方々にとっては非常に満足している人たちももちろんいらっしゃいます。そういう点ではよろしいんじゃないかと思います。ただ、最後が問題だということだと思います。
  32. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 これだけ人の生き方が多様化してまいりましたからいろんなニードに対応できる施設があって、そしてサービスの中身がある程度満足したものであればそれもいいのかなというふうに思いますが、今お話を伺いますと、かなりその内容について、サービスについて不適切なものが多いというようなお話でございました。  そこで、何としてもこれをきちんとしていかなきゃいけないと思いますが、民間ですから今はどうしても自主規制を主にというようなことになっていくと思うわけです。しかし、それを何とかきちんとある一定のレベル、それをつくるということはつまり規制をまた強化してしまうことになるのかもしれませんが、しかしその表示の中身をある程度のレベルまで上げていくことをどうしてもしなければならないと私も痛切に感ずるわけなんですね。ですので、そこをどういうふうにしたら本当にうまくいくだろうか。自主規制のまま、それこそ協会の方がこういったことをやりましようというようなことにして、そこに入ってくる方々がそのレベルを上げていくということもあるかもしれませんが、それはやはりもうちょっと国の方で何々の規制をしていくのか、その辺のお考えを。  それともう一つは、やはり問題が起きたときに、さっきおっしゃったように、苦情を言っていくところが何もない、みんな泣き寝入りをしていると、そこのところを何とか問題を明らかにすることを考えていかなければいけないんじゃないかというふうに思いますが、その辺は何かいい知恵がないんでしょうか、教えていただきたいと思います。
  33. 木間昭子

    参考人(木間昭子君) 全国有料老人ホーム協会が、それは老人福祉法に位置づけられたところがあるわけですけれども、そこは有料老人ホームだけによって組織されている機関であります。そこでどれだけ自主規制ができるのかという問題が一つあろうかと思います。実際に今、老人福祉法三十条、三十一条、そこをきちっと運用すればかなりすばらしい規制ができるはずなんでありますけれども、やはりそれは非常に大きなことしか書いてございませんので、できれば有料老人ホーム設置運営指導指針に書いてあるような行政指導のガイドラインの部分、その辺をもう少し規制を強化していただけたらばありがたいなと思います。とにかくこれは高齢の消費者が買う高額な商品という特殊な事情がございますので。  それで、苦情の行き先の問題でありますけれども、それは国民生活センターもあるわけでありますし社会福祉協議会もあるわけですけれども、何といっても被害を受ける時点というのは心身機能の衰えたときでありまして、体が不自由になったときか、ちょっととんちんかんになっちゃったときかどちらかというときにどこかに移されてしまうというようなことですと、もう苦情が出てこないという問題があります。  じゃその人たちを、オンブズマンのような人が行ってそういう人たちがいないかどうかを見てあげるのかという問題もありましょうけれども、これはなかなか先生御存じのように難しい問題であろうと思います。
  34. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 このホームの類型なんか拝見いたしましても、例えば終身利用の同一施設内の介護、終身介護をいたします、こういうふうに表示があります。終身介護をすると言われたら最後の最後までここにいていいだろうというふうに普通は考えてしまうというふうに思うんですね。しかし実際問題として、家庭の中でもそうですけれども、例えばもう痴呆になってしまって、もう家族だってどうしようもないというような状況もあるわけでしてね。この表現だけで、お年寄りだけでなくて一般の方もこのホームに何千万円入れればもう一生大丈夫だというふうに思われてしまうとやっぱりこれは非常に大きな問題ではないかというふうに私は思います。ですので、さっきおっしゃったようにほかの施設に、どうしても病院に入れなきゃいけない、あるいは福祉施設に入れなきゃいけないというところの基準をある程度明確にするというのは私は当然必要なことでありますし、ここの施設の中だけで全部完結的にやろうというのはやっぱり無理があるんじゃないかなという感じもするんです。  ただ、とは言いながら、前の参考人のときに在宅のケアの問題なんか出てきたんですけれども、やがて私はもう少し、施設の中に収容してサービスするだけでなくてそのサービスが地域に出ていく、あるいは家庭に出ていく、その一つとしてこういう老人ホームにもそういった医療とか看護のサービスが出てくる時代、あるいはもう最後のホスピス、最後にそこでサービスを受けられるというような、そういう時代もそんなに遠からず来るのではないかという期待があるんです。そういったときには、何もどこかに行かなくたってそこでそれこそ最後のサービスまで受けられるかもしれないなという期待もするんですけれども、この老人ホームのあり方というのがやがてもう少し機能が拡大されてくるのかなという気もいたします。  いかがでしょうか、何か今のままで終身介護をやりますよと言われると、何かちょっと誤解がこの表現からもあるんじゃないかなという気がしてならないのですけれども。
  35. 木間昭子

    参考人(木間昭子君) とにかく今のこの類型表示で終身利用型といえば誤解をするのは当然だと思います。  私、病気だったら病院に行っていいと思います。だけれども、介護をするのに外に出すというのだったら終身利用型というこの名称は少し問題があり過ぎると思います。ですから、介護のときは提携施設介護専用型に移すということであればはっきりそれを大きく表示して、介護される場所はどこだということを言うべきだと思うんです。  それから、有料老人ホームというのは今後どうなるかということでありますが、適五年齢というのはあるんだろうかとよく言われました。六十五歳ぐらいの方がそこに入っていきやすいんじゃないかということが言われましたけれども、いやそうじゃないということがこのごろ言われるようになりまして、本当にいよいよになってきたときに入る施設じゃなかろうか。そういうところに変えていくとますますこれは有料介護施設ですよね。そうなると一体有料老人ホームというのはやっていけるんだろうか。介護というのはとにかくお金がかかりますものね。ですから、これを一事業者の問題としてほうっておいていいものかという気がいたします。
  36. 清水嘉与子

    ○清水嘉与子君 ありがとうございました。  私もこれからより関心を持って勉強したいと思います。本当にありがとうございました。
  37. 栗原君子

    ○栗原君子君 どうもきょうばいろいろとお聞かせくださってありがとうございます。社会党の栗原でございます。  先生がお書きになられたものの中に、優劣における格差が大変大きくなっている、質の向上を目指して全国有料老人ホーム協会ができたときに加盟率が低く、五割しか有料老人ホーム協会に加盟していない、必ずしも加盟しているからそれが優秀であるとか、していないから悪いとか、こういうものではないということも言われておられますけれども、加盟率が低いということは、何で加盟されないのか、少しそこを教えていただきたいと思います。  それから、私は今の高齢者に対する消費者教育というのがいまいちおろそかになっているのじゃないかなという気持ちを持っているわけでございます。  例えば、何年か前にありました豊田商事事件一つとってみましても、お年寄りが寂しい老後の生活をしているところにうまくつけ込んで大もうけをする、そういった悪質な業者がはびこるとか、そういうことがありますし、それから私の知っている人の中にも、おばあちゃんが何十万円もするような百科事典を買わされたということもありました。さらにはまた、磁気マットとか羽毛布団とかそんなものを買わされている。それでお嫁さんから随分怒られた、こんなことも聞いたことがあるんです。それで高齢者に対する消費者としての教育ということをもう少しこだわっていった方がいいんじゃないかなと思うんです。  例えば市町村の広報の中に、小さく字をたくさん入れたんでは目も不自由になられた高齢者の方は大変お読みにくいわけですから、図入りで漫画式でやるとか、あるいはホームヘルパーさんとか民生委員の方が回ってみえるときに一言、気をつけなさいよという、教育といいましょうかアドバイスをしてもらうとか、敬老会で皆さんがお集まりになったときに、そこで行政の担当者の方からわかりやすくアドバイスをしてもらうとか、老人学級に出向いてアドバイスするとか、そんなことが今どうなのかなと私は思うんです。そこらを地域で取り組んでいただくならば被害が少しは少なくなるんじゃないかなということを思うんです。  それから、有料の老人ホームでも、とにかく元気なうちに自分たちがためたお金を持って老後をそこでずっと過ごすんだ、みんな不安だからそういうことになるんだと思うんです。だから不安を解消すれば、これは先生もおっしゃったように随分解消できると私は思うんです。  私の周りにも、三年待ってもまだ老人ホームに入れないという人たちもいらっしゃるわけでございます。東京都の例を出していらっしゃいましたけれども、六千五百人ぐらい待っていらっしゃるとかいう事例も書いていらっしゃいましたが、そういうことがもっと公の施設として解消できればいいんではなかろうか。それから、在宅介護制度をもっと充実すればこういった被害も私はうんと少なくなる、こういうことも考えるんです。  そういった面でもっと厚生省の方がこの問題で目をしっかり向けてやってもらうことが私はまず第一ではなかろうかというような気もしているんですが、少し先生の方から御助言をいただければと思います。
  38. 木間昭子

    参考人(木間昭子君) まず、全国有料老人ホーム協会の加盟率の問題でありますけれども、最近も大体半分ぐらいと聞いております。  なぜ加盟しないかということでありますけれども、一々私聞いたわけではありませんので少し不正確かと思いますけれども、非常に小さな規模の有料老人ホームの場合に、有料老人ホーム協会にかなりお金を納めなくちゃいけないということもあるし、そこのいろいろ規制にとらわれたくない、自由にやりたいという小さなホーム、かなり歴史のあるホームがあるというのも一つです。それから有料老人ホームが余り問題になっているものですからいろいろ名前を、英語だけじゃなくてスペイン語だの何だのいろいろつけちゃいまして、そして自分のところは有料老人ホームじゃないんだ、だから協会に入る必要はないんだと。規制をされるのが嫌なところとかお金を納めるのが嫌なところとか、それから有料老人ホーム協会の基準に合わないところもあるのじゃないでしょうか。  私、そこに書いておきましたけれども、有料老人ホーム協会に加盟しているからいいんだと言えないという、それを書いたのは随分前だったんですが、今回公正取引委員会から警告をされたホームがどこであるかを先生がお調べになられればその意味をわかってくださると思います。  それから、高齢者の消費者教育でありますけれども、ともかく次から次からあの手この手でひっかけてくる、どんなに教育をしてもひっかかる。次から次と高齢者になっていくわけです、こちらの方をやってもまた次の高齢者が来るわけです。本当に教育はもちろん重要でありますが、もとを絶たなきゃだめ。もとを絶つためには一つ一つにどういうふうに規制をしていくのかということが一つ大切だと思います。  もちろん教育は必要です。ただ、教育をする上で私はとても重要だと思うのは、お年寄りの方と話をしていて思うんですけれども、今話したことでもちょっとしたら忘れちゃうんです。私が自分の母のところに行って、消費生活センターかどこかが配ったらしいものでこれはなかなかいいなと思ったのは、温度計に「悪質商法には気をつけましょう」というので、イラスト入りだったんです。ところが、それをつくったのが若い人なのか、その温度計が見えないと母は言っているんです、こんな小さいのでしたけれども。お年寄りは結構部屋にいろいろ置いておくのが好きですから、敬老の日にお座布団とか置物とかを配るのじゃなくて、そういういつも置くものに、「気をつけましょう」みたしなものをつける。聞くとすぐ忘れちゃう人が多いんです。教育は重要でありますが、そういう工夫も必要ではないかと思います。  それと私どもの関連で言えば、消費生活センターが、ただ窓口に座っているだけではなくてどんどん老人クラブのようなところに行って、もちろん今やっていますけれども、それをもっと充実していかなくちゃしけなしし 私が先ほど最後に言いました、福祉供給サービスシステムと消費生活サポートシステムが連携しなくちゃいけないというのは、消費者問題の行政の流れと厚生の流れとをばらばらにやるんじゃなくて、その人たち地域で、先生がおっしゃるようにコミユニケーションを図って、そのネットワーキングの中で何かそういう防ぐような教育というのに当たらなくちゃいけないんじゃないかと思います。  それから、最後の不安解消については、もう先生おっしゃるとおりであります。消費者被害がなぜふえるかといったら、精神的な不安、経済的な不安、その不安をお金で解消できるものなら解消したいと皆ひっかかるわけです 最後の不安が少なくなってくれば被害は本当に少なくなろうと思います。そういう意味では私も厚生行政に非常に期待をいたしております。
  39. 栗原君子

    ○栗原君子君 私は、何とかシルバー産業をチェックする機能はどこかにないかなと思って、先生のところもいろいろやってくださっておられるんですけれども、何とかいい手を考えられないものかといろいろ考えてみたんですが、シルバー産業と言えるもの、それからシルバー産業とは言えない、例えば百科事典とかぶら下がり健康器なんというのは若い人だって買うわけですから、なかなかまたシルバー産業かそれともシルバー産業でないかというその区別も難しいし、業者はいろいろ考え出すものですから何かモグラたたきみたいなんです。  これからも本当に頑張ってくださいませ。私たちも一緒に頑張ります。
  40. 木間昭子

    参考人(木間昭子君) シルバー産業として一つ一つの事業を見ていくというとらえ方だとまたなかなか大変でもあるんです。有料老人ホーム業界については先ほど言いましたような規制が大切だと思うんですが、物については手をかえ品をかえ次々出てくるわけです。シルバー産業というかビジネスというか、そこまで言えないものもあります。それは、高齢者高齢者をお世話する家族、それを対象にしたビジネス、これをもうシルバービジネスとしていろいろな対応を考えていかなくてはいけないの、だと思います。  例えば介護保険を買うのはだれかといったら高齢者に限りません。四十代の人たちも買うわけです。やっぱりそれはシルバービジネスの一つとして介護保険の問題を見ていかなくてはいけない、そういうふうな対応をしていかなくてはいけないと思っております。
  41. 栗原君子

    ○栗原君子君 ありがとうございました。
  42. 笹野貞子

    ○笹野貞子君 新緑風会の笹野と申します。きょうは大変興味のあるお話をお聞かせいただきましてありがとうございます。  先生がお使いになっている言葉の中で、高齢者の人権という言葉を使ってらっしゃるのが非常に私には興味深く感じられました。私たちは今まで子供の人権とか女性の人権とかいう言葉を使ってきたわけで、これからは高齢者の人権という言葉を真剣に考える時代になったんだなという、そういう思いで聞いておりました。  そこで先生にお教えをいただきたいんですが、きょうのお話高齢者じゃなくても私も、目が悪いですし、すぐ忘れますし、人を信じてすぐだまされるわけですから、これはなかなか大変な問題だなというふうに思います。今まさに規制緩和の時代と言われているわけですけれども、先生お話を聞いていると、これはやっぱり何らかの規制が必要だという、そういうふうな趣旨にとりました。  まず第一に、この設置基準、ガイドラインというものを厚生省から出しております。これが先生の今までの御所見からすると余り機能していないというふうに受け取りました。そのように受け取っていいのかどうか。もしもこれが十分に機能していればある程度今のお話の被害が食いとめられるのかどうか。機能していなければどのような方法でこれを機能させるかということが一つお聞きしたい点です。  また、確かに高齢者の人権という項目からすれば、やっぱり規制をする。しかし、民法の中にはそれぞれの経済行為の原則というのがあります。例えば契約自由の原則、これなどは自由主義経済の中にあっては侵しがたい原則なわけです。こういう有料ホームというのはまさに契約ですので、この大原則の中に規制としてどのぐらいまで入り込めるものかということは大変大きな問題だと思います。  かつて私たち女性は経済行為ができなかったという、準禁治産者という法的な名前で呼ばれたことがあります。何らかのきちっとした概念がなくて、ただ高齢者だからということで規制をするということは、かつて女性を準禁治産者として経済行為の中から締め出した、その悪かった歴史に逆戻りするという危険性もあります。  そこで私は先生にお聞きをしたいのは、高齢者の人権を保護するための概念とはどこで線引きをしたらいいのか。年齢でいくべきなのか、体力でいくべきなのか、つまり精神的気力でいくべきなのか。ここを間違うとかつての非常に危険な状況に置かれるというふうに私は思います。私は、こういう点で規制するということに対しては賛成をしたいんですけれども、しかし非常にもろ刃の剣のような感じがいたします。ある日突然御乱心かということでするのも困りますし、子供には後見人や保佐人がもちろんつきます。また準禁治産者にも保佐人がつきますが、こういうような法的規制をするときのきちっとしたそういうものをお持ちかどうかということをお聞きします。  また、ドイツでは立法化がなされているというふうに聞いておりますが、このドイツの立法化の内容をもしもあれでしたらお聞かせいただきたいというふうに思います。  私に与えられている時間は全く少なくて、十分しかありません。今何分しゃべったのか。しかし、たくさんのことを聞きたいので時間を無視してどんどんどんどん聞いてしまいますけれども。  今、有料老人ホームの中には公的なヘルパーさんははいれない仕組みになっているということを聞いております。有料老人ホームという民間のホームの中には公的なヘルパーさん、そういうものは入れないというのは私にしてみたらこれまたおかしなことなんですが、こういうことに対してどのように現在は対処していらっしゃるかどうか、あわせてお聞きをいたしたいというふうに思います。  大変大きな問題ばっかりで申しわけありませんが、よろしくお願いします。
  43. 木間昭子

    参考人(木間昭子君) まず、厚生省の有料老人ホーム設置運営指導指針が機能しているかしていないかという大変厳しい御質問です。  実際上それをどこが指導するのかといいますと、各都道府県になります。各都道府県でどこがそれをやっているかというと、高齢者福祉課、高齢福祉課というところです。そこは特別養護老人ホームなどの仕事をしているところであります。となりますと、その方々は、それまでだって物すごい忙しいところに突然こんなものも入ってきてしまった、それで大変な問題が起きているということで、大変お忙しいんだと思います。という回答で、まず第一問。  第二問の、じゃ機能していなければどうするのかということであります。機能していないとすれば、もちろん機能させようと努力をして、問題があるというようなことが時々言われますホームには立入調査をしたりというようなことは聞いております。実際にやったというホームも知っています。ですけれども、全部にはとてもとても行っていませんし、かなり突っ込んだ調査をしているとは思いません。  じゃどうすればよいかということですけれども、例えば埼玉県には有料老人ホーム設置運営指導基準というのがありまして、独自に国の基準、指針よりももう少し具体的な細かな基準をつくっているんです。埼玉県は独自に勝手にやったわけではなくて、厚生省からちょうど埼玉県の課長さん、部長さんに行かれているときにその方たちが中心になっておやりになったもので、実にそこに非常にいい基準ができております。そういうものが全国的に広まって、法律が規制緩和の時代で合わないというのであれば本当に行政指導としてそれを広めていただきたい。  例えば、兵庫県であるとか茨城県であるとか、それぞれの基準をつくっていますけれども、厚生省を一歩突っ込んだ、前進させたものかどうかというところは埼玉県ほどではなかなかないように見ております。ですから、規制緩和が世の流れなんだから有料老人ホーム法というような法律をつくるとかというふうにはどうしてもいかないというのであれば、埼玉県のような基準を全国に広めていただけたらと思います。実際、その立ち入りで調べているなんというのも埼玉県で聞いております。  次は、大変難しい問題でありますが、これはもう先生のおっしゃるとおりでありまして、契約自由の原則であります。  私は、高齢者の経済行為、高齢者の行為を保護するために年齢とかなんとか、そういうことで切るということにもう無理があるんだと。だから、ドイツもフランスもイギリスもスウェーデンもカナダもアメリカの一部の州においても、名称はいろいろありますし、法律もいろいろありますけれども、成年後見制度というのができてきているんだと思います。それは、ドイツは詳しく御説明できないんですけれども、民法を改正するところもあるし、新たにスウェーデンなんか親子法という法律の中で、早く言えば禁治産者、準禁治産者ならどこでもあったわけですけれども、そういうものをなくしてしまって成年後見制度をつくって、成年ですから高齢者だけではないんですが、自分で意思能力が不十分になった人たちの権利を保護してあげよう、人権を保護してあげようという動きが出ていますので、そういう中でとらえていけばよろしいんじゃないかと思うんです。  その流れというのは、一律に行為能力を奪って保護すればよいという制度、禁治産者、準禁治産者の制度から、本人の意思をどこまでも尊重する、そういう本人の意思の尊重を前提として行為能力を必要最小限度に制限していく、またはその行為能力を制限しないで保護をつけるといったものが成年後見制度と聞いております。それについては厚生省も昨年か一昨年あたりから取り組んでいるようでありますし、東京都がバックアップしております精神薄弱者・痴呆性高齢者権利擁護センターだと思いますけれども、そこでもその問題にずっと取り組んでおりますし、そういうところで高齢者の人権保護というものはまとめられていくのではないかと思います。私それについてのやはり概念を申し上げるほどの知識がございませんし、それからドイツについては、立法化の内容というのは、今言いました東京都のそこで成年後見制度云々という本が出ていまして、そこに詳しく紹介がされてありました。  それから、最後の有料老人ホームの公的ヘルパーの問題でありますけれども、有料老人ホームというのは在宅なんです。入っている人にとってみれば自分の家であるわけです、家賃を払って住んでいるわけですから。ということは、公的ヘルパーは入れるんです。解釈とすれば入れるんです。これを厚生省の方にお聞きいたしましたらば、優先順位だそうです。お金のない人を優先する。それじゃお金のある人が大損じゃないかという問題がありますが、実はある県でそれを出した人がいまして、公的ヘルパーさんをつけたホームもありました。あるいは車いすを借りたりしているところもありました。ところが、あるときにみんな引き揚げられてしまったという報告も聞いています。原則でいえば、公的なものは、家と同じなんですから受けられるんです。ただ、お金があるということで優先順位で断られているということです。
  44. 笹野貞子

    ○笹野貞子君 ありがとうございました。
  45. 浜四津敏子

    浜四津敏子君 本日はお忙しいところありがとうございます。公明党の浜四津でございます。  高齢者の消費者被害の実態、それからその防止するための対応につきまして具体的にお教えいただきましてありがとうございます。  いろいろな角度からの対応というのがあるかと思いますけれども、まず立法による対応、それから行政による介入、監視あるいはサービス、そしてまた業界団体の自主規制、大体この三つに分けてちょっとお話を伺わせていただきたいと思います。  立法による対応につきましては、今お話がございました成年後見法というのは、恐らく日本でも本当に近い将来制定されなければいけない段階に入っているのでまないかと思っております。また、例えばエステとかあるいは学習塾などの継続的役務取引に関しましてたくさんの被害がありましたけれども、特に有料老人ホームの契約というのはある意味では最も継続的な役務取引、こういうふうに言えるわけです。将来受けるサービスの内容が前もって十分にはわからない、また信頼関係が非常に大事であるにもかかわらず契約時に大変高額な一括前払い金を払う、こういう形での契約でございますので、実はエステ等に関する継続的役務取引適正化の立法を考えましたときには、私どもは有料老人ホームも対象にするべきだというふうに考えておりました。残念ながら立法化にはなっておりませんけれども、こうした角度からも規制はできるのではないか。つまり、中途解約権を認めるとか、あるいはその場合の解約金を規制するとか、あるいは高額一括前払い金を規制する等の規制も可能ではないかというふうに検討しております。こうした立法に関しても何かアドバイスございましたら教えていただきたいと思います。  それから、行政による介入、監視またサービスにつきましてもいろいろお教えいただきましたが、確かに現在、福祉公社等で財産保全サービスをしているところが、東京に限って言いますと二十三区のうち五区ありまして、また六市が実施しておりますけれども、大部分のところはまだ実施されていない、また緊急に対応できる機関というのが現実にはやっぱりほとんどないと言っていいのではないかというふうに思います。すぐに対応できる機関ということで何かお考えがありましたらお教えいただきたいと思います。例えば、そのうちの一つとして、国民生活センターあるいは消費生活センターの中に何らかの相談機関でも設けて、あるいは相談機関だけではなくて、例えば電話がかかってきたらすぐに対応できるようなそういう機関の設置が可能なのかどうか、お教えいただければと思います。  また、業界団体の自主規制につきましても、先ほどお話しいただきましたが、全国有料老人ホーム協会に加盟している企業が約半数ということで、ここでの自主規制がどれだけ効果があるかということも問題かと思いますけれども、少なくともエステの業界とか自主規制していただいたおかげでかなりの効果を上げたということもありますので、こうしたことも一つの方策かなというふうに考えております。  立法、行政、それから業界団体、この三つの角度からの対策あるいは対応につきまして何か御意見いただければと思います。
  46. 木間昭子

    参考人(木間昭子君) 立法についての対応先生おっしゃいますとおりで、成年後見法に非常に期待しております。ただ、これまでにちょっと年数があると思いますんで、それまでどうするかが問題だと思います。  継続的役務取引については、もう先生がおっしゃってくださるとおりで、私どももこれに何とかできないものかと思っているんですけれども、じゃこの法律をどこが管轄するのかという問題がありまして、私たちはできたら公正取引委員会のようなところがこれを管轄すれば、いろいろなところのも総括的に継続的役務取引について規制できるんじゃないだろうか。ぜひ公正取引委員会が、そんなことは実際可能なのかどうかわかりませんけれども、と私自身は考えたことがございます。  それと、行政による監視でありますが、五区六市ができているわけでありますから、できましたらやはり、そうしうものを福祉公社と区でやっているわけですから、その広がりがあった方が、突然消費者の機関と言われましても、この最初の一ページにありましたように若い人たちの方にずっとなれておりますんで、突然高齢者のと言われましても、それほど専門家が今養成されていません。もちろん、今高齢者の問題やらなくちゃいけないということで、全国でそういう勉強もしているわけですけれども、とりあえずは、すぐということであれば五区六市のような形で広まってもらえないものだろうかと思っております。国センとか消費生活センターが対応できるかどうかというのは、ちょっと私それほどの立場におりませんので、まだお答えかできません  最後の業界の自主規制でありますが、私これは公正競争規約に発展すればよいと思っているんです。公正競争規約というのは、業界の自主基準ではありますけれども、でもこれは不当景品類及び不当表示防止法の十条でしたかに基づいてできている自主基準でありまして、業界の自主基準とはいいましても、公正取引委員会がそれを認定するということで 結局はそのつくったものが景表法の四条の不当表示かどうかということの基準になるわけです。となれば、インサイダーもアウトサイダーもこの公正競争規約によって、アウトサイダーであってもこの規約に違反してれば不当表示ということになるわけですから、ぜひとも全国有料老人ホーム協会は自分たちの今のつくっている基準をもっともっと厳しいものにして、自分たちの自己責任でできるんだということで、公正競争規約に発展すればよいと私は前から言っているんです。
  47. 浜四津敏子

    浜四津敏子君 ありがとうございました。  以上で終わります。
  48. 吉岡吉典

    ○吉岡吉典君 先生の今のお話と、お書きになっている論文を読ませていただきまして大変びっくりしました。私はそれを読んで、法律上はどうか別として、やはり社会的には犯罪行為だというように思いました。  そういうところへ大きな企業が進出しているということですけれども、これは有料老人ホームの場合ですが、もうかっているかどうかということが一つ。結果としていろいろな問題が起こっているけれども、その出発点は利潤ではなくて高齢化対策の一翼を担おうというところで出発しているが、いろいろな問題が派生的に起こったということなのか、やはりこれはもうけをねらって進出しているのかということですね。私、読んだ本によると、アメリカでは十年やれば億万長者になれるというので有料老人ホームに乗り出している状況があるということを、ある人の本では書かれていたから、やはりもうけをねらっているのかなという気もします。  それからもう一つは、すべてがそうじゃなくて中には大いに楽しんでおられる高齢者もあるという話ですから、それは救いにもなることだとは思いますけれども、しかしこういう状況を見ますと、私は社会保障福祉というのはやっぱり民活にはなじまないということを証明しているんじゃないかという気がしながら論文を読ませていただいたり先ほどの話も聞かせていただきました。  もちろん、現在ある有料老人ホームをどうするかということでは、まずおっしゃるようないろいろな規制でそういう被害が起こらないようにしなくちゃならないと思います。そういう点で見れば、先生おっしゃるように規制緩和はすべての規制の緩和じゃなくて、やはり国民生活の障害になる規制は緩和しなくてはいかぬけれども、国民生活を守る規制はきちっとしなくちゃいかぬと私も思います。  しかし、将来の方向はやはり民活、民間じゃなくて、こういうものは公的な施設でやるようにしなくちゃならないということを現実の事態が証明しているんじゃないか。それは規制だけでいけるものかどうかという感じもしますので、その点も含めて御意見をお伺いしたいと思います。
  49. 木間昭子

    参考人(木間昭子君) 有料老人ホームはもうかっているかという御質問ですけれども、最近とても倒産の危険があると言っていたところは、バブル崩壊後にオープンしたホームが倒産の危険というのが随分あったようです。それはどういうことかというと、百人、二百人の入居者のところを十人とか二十人しか入らないというところで、そういうところは大変心配だったようであります。どうしてかというと、有料老人ホームの入居金はどういうふうにして大体決められているかといいますと、土地代と建設費を足したものを入居者で割ってプラスアルファをしたものなんです。ですから、土地代が非常に安いときに、また建設費も安いときに建ててしまったホームと、それからバブル崩壊後にオープンしたところはちょっと有料老人ホームといっても一概にお答えできないんです。  まず、随分前に安い時点で建てたホームというのがどういう状況かというと、非常に長生きをしますので、幾ら入居金を安く取っていても介護費用というのは別途に徴収するところが多いですから、そうしますと介護費が非常に高くなってしまう。ところが、その都度徴収するというところじゃないところが非常に倒産の危険というか、もうからないところなんです。というのは、その当時で計算した二百万とかいう金額を最初にもらっちゃって後はもらわないというようなところはもう赤字です。  どうしてそんなことになってしまったかというと、一つは、こんなに長生きをするとは思わなかったということがあるようなんです。寝たきり老人という言葉は問題がありますけれども、厚生省は全国の寝たきり老人の計算から、百人いれば五人ぐらいは要介護老人、介護が必要な老人であろうということで、五%という計算をしたんです。ですから五%ということで事業計画、収支計画を立てて有料老人ホームは始まってしまった。ところがいざとなったら、古いところは二五%、百人いたら二十五人ぐらいは要介護老人になってきてしまった。そうなると介護費用がかかる、お金がかかる、赤字になるということで、先ほどから言っています老人病院、老人保健施設特別養護老人ホーム、それから介護専用型老人ホームに出すようになってきてしまった。何ももうけようもうけようとして追い出しているんじゃなくて、非常に事業の見通しが甘かったというわけだと思います。  もうけているホームもあるのでしょうね。その辺はよくわからないんですが、次から次ヘホームを建てるところがございます。あれはもうかるから建てているのかと思うと、古くなりますとどんどん要介護老人がふえます。新しいのを建てれば若い人が入ります。それで何とかしようとしているんですが、すぐ要介護老人がふえてくるんです。なかなかもうかるというわけにはいかないようです。もしそれをもうけているとすれば、べらぼうな入居金を設定したところでありましょうけれども、べらぼうな入居金というのは八〇年代後半あたりからのですから、それはやっぱり土地代と建設費にかかっているんだろうと思います。  ただ、これは高齢化社会の一翼を担おうとして福祉の心で始まった事業だなどとは私は全然見ておりません。社会福祉法人とか財団法人とかいいましたって一銭も国からも県からも出てきてないわけですから、やはりこれは収益事業として始まっていることではないでしょうか。ただ、非常に見通しが狂っているということであろうと思います。  社会保障福祉というのは民活にはなじまないという御意見でございますけれども、ともかく介護という問題は私は民活にはなじまないんじゃないかと思います。なぜならば、介護というのは手厚くすればするほど、一人に一人つけばそれだけ人件費がかかるわけです。そうなればもうけが少なくなりますね。そうすると、やっぱり介護をする人を少なくしてしまいます。介護の手は薄くなってしまいます。やっぱり人生最後ぐらい本当によかったと思う死に方をしたい、手厚い介護を受けたいですよ、だれだって。そういうものは、それはどこから財源を持ってくるのか資源配分の問題になってきましょうけれども、やっぱり公的な費用で賄われなければならないんではなかろうかと思います。
  50. 吉岡吉典

    ○吉岡吉典君 どうもありがとうございました。
  51. 鈴木省吾

    ○会長(鈴木省吾君) 以上で木間参考人に対する質疑は終了いたしました。  木間参考人には、お忙しい中、本調査会に御出席をいただきましてまことにありがとうございました。  本日お述べいただきました貴重な御意見は今後の調査参考にさせていただきます。本調査会を代表いたしまして厚く御礼を申し上げます。  ありがとうございました。(拍手)  本日の調査はこの程度にとどめ、これにて散会いたします。    午後四時三十一分散会