○
参考人(
湯沢雍彦君) 御紹介いただきました
湯沢でございます。どうぞよろしくお願いいたします。
〔
会長退席、
理事竹山裕君着席〕
お手元に私のレジュメと資料をお配りしてあると思いますので、それをごらんいただきながらお話を進めたいと思います。
きょうは結局、
日本家族の変化と
老人扶養の
関係がどういう
関係にあるか、それがどういう
方向に向かっていくかということがお話の焦点になるかと思います。
まず、
日本の家族がどう変わったかということでございますけれども、家族そのものの定義というのはどの法律にも規則にもございません。現実の把握は、世帯構成は国勢
調査その他を通じまして把握できますけれども、これがどう変わったかということでないと数的な変化はとらえられないわけであります。
世帯と家族は必ずしもイコールではありません。血縁
関係がなくても同一の場所に住んでいまして生計のつながりがありますと世帯員であるという定義でございますし、一方において、同一の家屋にはいなくてもお互いに家族員であるという認識があれば家族であるという思いがあるわけでありまして、そのようにずれがありますけれども、恐らく九〇%以上は家族イコール世帯であるという思いでありますので、これで代替しているわけであります。
細かい資料はお手元に差し上げてありますけれども、小さ過ぎると思いますし、またこれは後のメモとしてお使いになると思いますので、初めにこのグラフをごらんいた、だきたいと思います。(OHP映写)
日本の世帯、だれとだれが組み合わさって世帯をつくるかということにつきましては長い間わかりませんでした。大正九年、一九二〇年に初めて国勢
調査が行われましたのを、後に戸田貞三という東大教授が分析を個人的にやりましたもので大正九年のことが奇跡的にわかっているために、これを示すことができるわけであります。
今の
言葉で言う核家族というのは、夫婦と結婚していな、子供 これが基本ですけれども、それ以外に夫婦だけ、それから片親と子供も含めますが、そういうのを含めまして左にある五四%ほどが核家族でありました。その次に、これはそれ以外のものを含む、平たく言いますと三世代、夫婦の親が同居しているという場合が多いんですけれども、それを学問的には拡大家族と言います。通俗的には三世代家族です。しかし、実際には四世代にわたるもの あるしは途中が抜けておりましてお年寄りと孫だけという、そういう暮らしの方もここに入ってまいりますが、当時四百三十八万世帯、三九・四%おりました。一番右がひとり暮らし。これは説明の必要がないと思いますが、ひとり暮らしが七十三万世帯、六・六%おりました。
これは何でもないようでありますけれども、実はかなり重要なことでありまして、戦争前の
日本は、家の制度が厳重にあったし、みんなが家族主義であったから、大抵の家族は三世代を
中心とした拡大家族で住んでいたという思いが当時もありましたし、今の
日本人もそうだと思い込んでおります。ところが、現実には拡大家族の方は四割ぐらいでありまして 実際にその当時から多かったのは核家族であったというわけであります。
どうしてそうなったかといいますと、それは
一つは寿命の問題でありまして、お年寄りが比較的早く亡くなられたということ、もう
一つは、子供の数が平均五人というふうに多かったわけです。結婚した後も自分の親と同居する長男夫婦は親との同居が続きますけれども、次男三男と結婚した人は核家族をつくるしかなかったとしうことになるわけですね。そちらの方が多かったためであります。そういう誤解を解くのに必要だと思いましたので出したというわけであります。
戦後に至りまして、昭和五十年がこういうことになります。御承知のとおり、核家族時代という
言葉で非常に多くなりました。拡大家族が割合としては減っております。しかし、実際には減っていないということを後でごらんに入れます。
その次に、一番新しい一九九〇年の国勢
調査ではこういうような分布になっております。最近で注目すべきは何といいましてもひとり暮らし、単独世帯の方が非常にふえたということで、実はこの割合のあおりを食いましてあと
二つは減少に転じているということなんであります。しかし、このグラフはあくまでも
日本の家族の総体でありまして、若夫婦だけとか青年だけの家族もここに入っているわけであります。
今のも個別に申しますと、ちょっと細かいことになりますけれども、昭和三十年から平成二年までを個別にたどりますとこういうことになるわけであります。核家族というのは夫婦と子供、これが
中心ですけれども、これがこのようにふえてまいりました。それから、夫婦のみの世帯というのも少なかったんですけれども、だんだんだんだんふえてまいりました。それから、もう
一種類、片親と子供だけという暮らしもあります。これもこのようにふえてまいりました。全体として合わせたのが核家族の世帯でありまして、このような伸びを示しております。
続いて、その次の三世代、拡大家族というのは「その他の親族世帯」ですが、これは実は割合だけを見ますと減ったかのごときイメージですけれども、このように大体横ばいでありまして、ほとんどふえも減りもせずに、最近ちょっと減っていますけれども、続いてきているということであります。核家族がふえたために拡大家族が消滅してしまったという見方はいけないわけでありまして、依然としてかなりあるということになるわけであります。
しかし、その中でも単独世帯、ひとり暮らし世帯というのが非常にふえてまいりました。昭和三十年は百万もいなかったわけでありますが、今は一千万に迫ろうというぐらいに非常にひとり暮らしがふえてきた。この中でお年寄りのひとり暮らしもふえてきたということが以下の問題になるわけであります。
これは全体的な観察でありますが、次に、これは六十五歳以上の
老人が一体子や孫と同居しているのか別居しているのかを一覧にお目にかけるグラフであります。
一九六〇年、昭和三十五年より前はこのことがわかる資料がありません。なぜか。国勢
調査でそういうことをとっていないからであります。どうしてとっていないか。そのころは
老人問題という
言葉もなかったわけです。
高齢化社会もありませんでした。お年寄りがだれと暮らしているかに関心を持つ人は学者にも行政機関にもいなかったからとらなかったわけであります。昭和三十五年以降に若干問題になってきてやっとその分類をとるようになって、これから初めてわかるようになったわけであります。
初めてとったとき、八七%のお年寄りは子や孫と同居しておりました。その次にお年寄り夫婦だけで暮らしているという方が七%、それから、ひとり暮らしとそれから
施設に入っております若干の方で五・六%、こういう分布でありまして、大
部分は同居でありました
この前がありませんが、私が長野県その他の農村で調べたところによりますと、ほぼやっぱり九〇%の人が同居でありまして、その前の統計は
日本ではないんですけれども、恐らく戦前までさかのぼりましても九〇%のお年寄りが子供や孫との同居をしていたんだろうということが推測できるのがこの値であります。
さて、この割合は五年ごとの国勢
調査でぐんぐん減ってまいりました。一番新しい一九九〇年国勢
調査におきまして六〇%ということになりました。あとの人は同居していないわけですが、夫婦だけ、あるいはひとり暮らしの方と
施設に入っている方、合わせましてこういうふうになってまいりました。こういうふうになりますと、同居が減ったんだから家族の
老人を見る力、
老人扶養力は減ってきて、これが問題だという関心が非常に出てきたわけであります。
しかし簡単にそうは言えないのでありまして、通常新聞やテレビはこのグラフだけを出しまして、同居
老人が減ったために
老人は扶養されなくなった、あるいは孝行子も減ったんではないかということが話題になるわけでありますけれども、これだけ見たのでは実は片手落ちということになるわけであります。
これは、さっきのは割合でありまして、これは実際の数なんです。
実際の数で一九六〇年から平成二年に至る推移を見ますと、子や孫と同居している者はこのとおり実は減ったことがないんであります。どんどん増加しているわけです。このようにふえております。しかし一方において、隣の、夫婦だけの暮らしがもっとずっとふえてまいりました。それから、ひとり暮らしもふえました。
施設へ入る方もふえました。こういうことで全部がふえているんです。全部がふえているんですが、夫婦暮らしゃひとり暮らしの方の増加の割合の方が大きいものですから、そこで子供や孫との同居の割合が減ってきたということでありまして、実数は減っていないということなんであります。
同居していることが一応家族が
老人を面倒見ているということからいたしますと、かなりの数の、約九百万以上のお年寄りは同居家族の中に入って家族が面倒を見ている。これは一口によく、子供がお年寄りの面倒を見ているというように言われますけれども、これも後で触れますけれども、実はお年寄りのおかげで子供や孫が助かっているという面が非常にあるわけであります。この強調が非常に少ないんですが、これは後ほどまた改めて触れたいと思います。
それから、レジュメの方の二番目に移りますと、これから触れていきます
老人扶養というのを一応規定しておかなくてはいけないと思います。
それはどういうことなのかといいますと、扶養を必要とするお年寄り、経済の力がないとか自分だけでは食べられないとか動けないとかという、
介護を要するお年寄りに対する援助、これはまずプライベートのサポートが基本だと思います。これができない人にソーシャルの社会的な援助を与える、公的援助ということも考えなきゃいけませんが、きょうは家族の問題なので、私的な援助は何であるかということを焦点に絞りたいと思います。
まず第一には、自己収入がない人に経済的援助を与えること、二番目に、体力その他がない人に
介護的援助を与えること、それから、孤独や孤立て悩まされている人に精神的援助を与えること、こういうことが
老人扶養の基本概念かと思うわけであります。
そして、三節に移りまして、家族の扶養力です。
子供がお年寄りになった親にどのくらい
お金の援助をしているかというのを見ますと、平成四年の
老人対策室
調査でありますが、平成四年をとりますとこういうことであります。上の方の表は子供たちと同居している親であります。子供たちと同居はしているけれども、
お金の援助は一切受けていませんというのがどんどんふえて七四%になりました。受けている方は既婚の息子からもらっているというのが一番多いようであります。
下の表に行きまして、子供たちと別居している親について調べたものでいいますと、九二、三%は、援助は全然受けていませんと言います。残り七、八%が受けているわけでありますが、その大
部分は結婚している息子から受けている。その次は結婚している娘から受けているという表であります。
一口に申しまして、子供から経済的援助の大
部分を受けているという者は、私は総務庁の
老人対策室の
調査委員を長らくやっていたことがありますので、そのときのデータで申しますと、昭和四十九年でも一六%でした。昭和五十八年にやりましたときは八%でありました。一番新しい平成三年のもので約三%ぐらいと推定されております。つまり、子供から大
部分の生活費をもらわなきゃ暮らしていけないという人は著しく減ってきたということであります。
御
参考までにこの表をごらんいただきたいんですが、これは、年とった親の扶養を子供や孫が十分してくれないということで訴えを
家庭裁判所に起こした事件が全国でどれだけあるか、そういう統計表であります。
昭和三十五年、この種の事件は全国の
家庭裁判所に六百六件起こりました。以下五年置きにとってまいりますと、一九七五年、昭和五十年を境にいたしまして急激に減りました。それから後は三百三十六とか、最近で二百八十六とかいうぐらいの数に減ってまいりました。
これは、一応これだけの数はあるんですけれども数的には問題にならないほど小さくて、例えば離婚事件というのは年間五万件ぐらい
家庭裁判所に係ります。そういうのに比べて著しく少ないわけですね。内容的にも、本当の意味で食べられないのに子供はちっとも面倒を見てくれないというケースは減ってまいりました。私は実は昭和三十年代ずっと
家庭裁判所に勤務していて記憶があるわけですけれども、そのころ、食べていけない、苦しいから
老人ホームでもぜひ見つけてほしいというようなケースが三十年代はかなりありました。そういうのは最近ないそうであります。
私が十五年ほど前に
家庭裁判所で出会ったケースについて言いますと、都内のある盛り場で繁盛しているてんぷら屋さんのお年寄りから起こされた事件がありました。そのおじいさんのいわば言い分といたしましては、子供も孫もいるくせに自分の面倒を見てくれない、けしからぬからちゃんと扶養するように言ってほしいという申し立てでありました。
私が会ってお話を聞いてみますと、それじゃお子さんたちは食事も用意しないし優しい
言葉の
一つもかけないんですかと聞きましたら、いや普通の会話はするというわけです。それから、お食事はどうなんですかと言ったら、朝からおかずは三品ついて一級酒が並ぶんだということでありました。つまり、結構なお食事が出ているわけであります。それじゃ一体何が困るんですかと言ったら、
お金にはちっとも困らない、ところが息子のやつめは――本当は自分はまだ体力があるんですね、しかしいつまでも自分がてんぷら屋さんをやっていたんじゃ子供が成り立ちませんので早目に引退して息子にかわったわけです。その息子さんたちが、孫はピアノだバレエだ何だと高い
お金を使って一生懸命世話している。ところが、私には食事を出して一言二言声をかけるだけだ、それが悲しいから出したんだ、奥さんもいないから、ということだったわけであります。
その心情はわからないではないんですけれども、これは
家庭裁判所が扱う扶養事件にはなりません。肩を百遍たたくような判決をしろとその方は言うわけですけれども、それはいわば法的な執行力がありませんので、たたかないからといって強制執行はできないわけであります。これは引き下がっていただく以外ない。そういう事件が多くなってきたことを聞いております。
総務庁が三回にわたりまして国際比較
調査を
老人問題でやっております。外国と比べた場合の
日本の趨勢ですけれども、これま六十歳以上であるということと、とった年度が一九九〇年であることでちょっと違いますけれども、大体はこういうことです。
日本での今のひとり暮らしの割合は、韓国、
アメリカ、イギリス、合併前の西ドイツの姿と比べますと著しく少ないです。夫婦のみはかなりふえてまいりましたけれども、
日本でなおほかの国にない特色は、この三世代世帯を組んでいるというこちらの姿であります。
要するにここで見ていただきたいのは、
アメリカ、イギリス、西ドイツ等ではこれはほとんどないということなんであります。一%あるかないかというぐらいの数であります。フランスは農業国なんでもう少しあるようでありますけれども、基本的にはないわけであります。
日本は、韓国ほどではありませんけれども、三世代同居というのはなお
相当の数あるということであります。
それから、「その他」にかなりあるんですが、「その他」が西ドイツや
アメリカですと、これは友達同士お年寄りで暮らしているというケースが多いんですけれども、
日本や韓国はそうではなくて、三世代以外の、四世代でいますとか、それから息子はいないんですけれども孫と一緒ですとかいうようなことで、結局同居家族なんです。その方になってくるというわけなんであります。
この大勢からいたしますと、このグラフで大事なことは、
日本のお年寄りが家族との
関係におきましてはなお欧米型ではないということであります。恐らく
調査した上でわかってくる中国と似ているんでありまして、東アジア型の基本型を保っているということを御注目いただくためにこれを出したということなんであります。
それでは、グラフを示すのはひとまず休みまして、レジュメの三章に戻っていただきたいと思います。
今申しましたとおり、経済的に扶養するという問題は非常によく解決されてまいりました。大きくならしまして、お年寄りの方でお子さんから送金を受けているというのは、
調査によって違いますが三ないし七%、ならすと五%ぐらいのものであります。これをもって、近ごろの
日本人の子供は親孝行をしなくなった、親不孝になったという
言葉も聞くわけでありますけれども、これは子供の心が変わったというよりも親の生活
条件が変わったためではないかというふうに思います。
二十年前、三十年前に比べまして、まず何よりも
年金が
充実してきたということと、それから七十まではかなりの職につくことができるようになったということ等、生活
条件が非常に
向上したがために、お子さんが金銭的な面倒を見る必要がだんだんなくなってきたということが主な原因だろうと思います。
それから二番目に、こうしうことかあります。それにしても前だったら九割が同居していたのに、今じゃ六割しか同居できないではないか、三割は扶養力の減退と言うべきではないかという声があります。
これにつきまして御
参考になるのが、その次に同居扶養力が書いてあると思いますが、この数をちょっとごらんしただきた、と思います。昭和十年のときには九〇%が同居していました。ところが、父親、母親によって生存余命が変わりますけれども、実は平均いたしますと八年間でございました。そのとき夫の親との同居期間が八年間でありました。ところが、昭和三十年になりますと同居率は八七%に下がりました。このとき両親の生存期間は十五年間であります。平成二年になりますと、同居率は六〇%に下がりましたが、もし同居を続けている人は生存している親と二十二年間同居しなきゃならないということになります。
結局、これを掛け合わせたものが同居のいわば
負担といえば
負担になるわけであります。そうするとどうでしょうか。昭和十年のときには九〇掛ける八で七二〇だったわけです。それが昭和三十年には八七%が十五年ですから一三〇五という数値になります。平成二年には六〇%が二十二年間ですから一三二〇ということになるんでありまして、実は同居者にとっての扶養
負担というのは前よりも増しているわけであります。総量からいいますと決してどうも減っていないようなんであります。そういうことからいたしますと、今の子供が親の面倒を見なくなったというようなことも簡単には言えないんじゃないだろうかということになるわけであります。
一方におきまして、要
介護老人、
介護を要する
老人、この数をどういうふうに算定するかが非常に難しく面倒なところでありますけれども、ともかく増加は間違いありません。これに対して、面倒を見る者として 今まではまず配偶者、それから嫁が当てにされておりました。それから娘、息子、ヘルパー等の必要が出てきたということで、社会的な扶養力が強まってきたということもあって、子供たちの扶養
負担というのが相対的には下がったと言えるかと思います。
さて、四番目に移りまして、同居している者は貧乏くじを引くことになるのかということなんであります。
現実の問題といたしまして、子供たち、兄弟が複数いる場合には、親が高齢になればなるほど、殊に
介護を要する体になればなるほど引き取った者は大変になりまして、引き取らない者はかなり楽になります。先ほど申しましたとおり、実は九割以上の者は親に一銭も送っていないわけでありますから、この点につきましては圧倒的に別居している子が楽で同居者はつらいということになります。
私が知っている範囲でも、私とは同業の
女性の職員で、実は正職員ですから月給二十万円以上あるんだけれども、親の片方が倒れたということで職業をやめまして、自宅で月給二十万円を捨てて
介護に当たっている、私は親孝行したいですからと。そういう
女性が私の周りにもいましたけれども、一体そういう人の行為は報われることがないのだろうかということになるわけであります。親孝行者ほどばか正直ということになるのは社会的正義に反するように思われてならないというわけであります。
しかし、一方において健康な
老人が実は九割はいるわけであります。これと同居した場合にはどういうことになるかという問題があります。一般に、親は
病気でも困るけれども、健康過ぎると元気がよくて嫁しゅうとめ問題が起こるのでよくない、
日本のガンの
一つだということがよく言われます。ですから同居は避けようということが、まあ激しいテレビ下ラマなどが続きますと、女子高校生でも同居しない道を選ぶんだという話がすぐ出るくらいなんであります。
しかし、それは本当の実態の反映であろうかということなんであります。一口に申しまして、
日本に今約五百万以上の嫁しゅうとめの同居
関係があります。この人たちが争いとか
負担に耐え得なくて困っているだろうかという問題があるわけです。
私はこのことにかなり前から関心がありましたが、全国
調査の資料がありませんでした。いっかしたいと思っていたときに、昭和五十四年にチャンスが回ってまいりました。それはどういうことかと申しますと、大平先生が総理大臣になられたとき、
政策の
一つとして
家庭基盤の
充実ということをたしか四本柱の
一つに掲げられました。私が知る限り、歴代総理大臣で初めてだったと思います。各省庁は慌てて
家庭関係の資料を
充実することに迫られたようであります。経済企画庁は年度末の限られた予算をかき集めまして、
家庭生活に関する
調査を行うからということで私のところに声がかかりました。私はその
調査の
委員長をやらされたんですが、そのときに、子供夫婦にとりまして同居している親のことは
負担だろうか、あるいはプラスなんだろうかということを
調査する項目を入れてほしいと言って、これが認められました。それがこれであります。(OHP映写)
同居している者につきましてもいろんな問題があるわけでありまして、人間
関係がうまくいくかうまくいかないかという問題があるわけです。それから、経済的
負担があるのか大変になっているのか。それから、家事
負担などについては、助かっているのか
負担が大きくて大変なのか。それから、体の世話も
負担があるのか大変なのかとあるわけですね。その中間には普通というのがあるわけです。
さて、普通の場合をゼロ、
負担が非常に大変だという人はマイナス二のところに印をつけてください。ちょっと大変な人はマイナス一にチェックしてください。それから、むしろ同居していることによって助かっているという子供さん夫婦もいるでしょう、そういう人はプラス二につけてください。ちょっと助かっている人はプラス一につけてくださいということにして、三千組の夫婦について調べたのがこれなんであります。
そうしましたらどうでしょうか。うまくいってない、同居が
負担で困っているという方が右の方に出るわけであります。人間
関係でうまくいってないで大変なんだという人は、出ましたけれども、一・五%でした。その次に、ちょっとというのが、マイナス一が三%であるということなんです。普通が二二%。過半数は、実は非常にうまくいっていますよ、人間
関係も、というようなのが半分を占めました。あと、経済的
負担、家事の
負担、体の世話ということで、こういう分布になりました。
これを総合得点にいたしましたのが下の表であります。全部がプラス二、すべてうまくいっていますよ、親と同居して非常に助かっているわというのが、集めますと、プラス二が四項目ですから全部でプラス八点ということになるわけです。一番まずいのがマイナス八点になるわけです。この間にどういうふうに分布したかというのがこの下のグラフであります。このバツで掛け合わせたのが実はかなり大変と
感じている子供たちですね。一番大変だというのはここで一%でした。それから三%、五%ということです。一〇%の子供夫婦は、プラスでもマイナスでもないですよ、まあ普通ですよというふうに言ったわけであります。ところが、全体の八一%はこちらの方に答えました。プラスの方に答えたわけであります。実は、同居していることによってかえって助かっていると判断している夫婦の方がよほど多いということがわかったわけであります。
このことがかなり重要でありまして、これが
一つ出るのは、はっきりしたデータで言えることはこういうことであります。親と同居しているために子供夫婦は共働きがしやすいということが明白にあります。全体的に言いまして、中年夫婦の共働き率は五二、三%というところなんですけれども、これを親と同居している者、それから親と別居した核家族というふうに分けてみますと、核家族だけで共働きができているのは、一口で言いますと四〇%であります。しかし、親と同居している夫婦の方が共働きがしやすくて六〇%であります。これはやっぱりうちのことをうまくカバーしてくれる親、特にお母さんがいるからだという返事が返ってくるわけでありまして、こういうメリットがあるわけであります。ですから、同居していますといつも
負担のことばかり言われますけれども、実は反対の側面もあるということも忘れてはいけなしんだと、うふうに思うわけであります。
その次に、②に書きましたが、
介護を要する
老人、寝たきりになられた方とかぼけの進行が甚だしい
痴呆性の方とかと同居している者の
負担は大変なことは言うまでもないことだと思います。これは御承知だと思います。
その下に「人要り
老人」という聞きなれない
言葉を入れておきました これはどういうのかと申しますと、実は、まあ非常にひどい
病気ではない、軽い病弱
程度だ、しかし、ひとりではいろんな意味で過ごすことができないのでだれかの人手が要るというようなことであります。
卑近の例を挙げて恐縮ですが、私は今九十歳になる私の母と同居しておりますけれども、ひとりで遊ぶときとか友達と温泉に行くときなんかはバスに乗って集合所へ行くぐらいの元気はあります。それではひとりで完全に暮らせるかというと、朝御飯、昼御飯は自分でやりますけれども、夕御飯でちゃんと中身があるものはつくることができないということで、これは私のワイフがつくったものを一緒に食へております。
そういうこと以外に、日常的に困ったことを時々勘違いして起こすということが生じます。つまらないような話ですけれども、例えば昨年、ふだん使っていない目覚まし時計で音を鳴らさないで使っていたわけであります。ある日に突然それがどうしたかげんか鳴り出したわけであります。何で鳴り出したのか、どこが鳴ったのかもわからないわけでありまして、何かガスその他が漏れた非常の警報かもしれないと思って隣の奥さんを呼んできたんですけれどもわかりません。そこで二人は警察に電話をいたしまして救急車か何かがやってまいりました。調べてみたら、結局目覚まし時計が壊れて鳴り出しただけだというようなことがわかったというようなことであります。それが私どもの留守の間に起こっていまして、私が帰ってさましたら何だか救急車が着いている、おかしなことだ、そういうような類似なことは時々起こるわけであります。そういうことのためにはやはり同居者がいた方がいいだろうというような、実は家族というのはかなり大きな働きをしているんではないだろうか。
それで、平たく言いますと、そういうふうにはっきり分離できないいろんな雑種の機能を総合的に果たすのが家族の扶養の意味だろうと思います。そういう意味で、やはり七十五歳を過ぎた後期
老人層ではかなり人手が要るようになるんではないだろうかということなのであります。やはりその場合には家族というのは非常な助けになるであろう、そういうことなのであります。
〔
理事竹山裕君退席、
会長着席〕
それから、その次の五節へ移っていただきますと、実は、子供は親を法律的に扶養する義務があるかどうかということの問題であります。
御承知のとおり、民法には、明治民法以来、それから改まった今の民法におきましても、老親扶養の義務は、直接には書いてありませんけれども、直系血族は相互に扶養する義務があるという文言であるわけであります。しかし、これの徹底は非常に薄くなっております。
昭和六十年の総務庁の全国
調査のときにこの項目を入れていただいて一般の世論がわかったわけでありますが、民法の上でも扶養の義務というのは規定されているでしょうかということで質問をした場合に、答えはちょうど五〇対五〇に割れました。半分の人は法律にもあると思っていますし、半分の人はもうないのではないかというふうに思っておりました。これは私どもの大学、女子大学でありますけれども、私が担当しております民法の時間でここに触れるちょっと前に、内容を教える前に、授業の初めに学生に毎年聞くようにしております。そうしましたら、以前は大体五〇対五〇でしたが、今はもう七〇から八〇%ぐらいの女子学生は、民法にはそういう規定はないんじゃないですか、子供の扶養義務はあると思いますけれども、というふうに判断するのが多くなりました。
それで、その次に私が、それじゃ民法には規定がないからあなた方は親の面倒を見る気はなくなっているのということを聞いてみますと、いやそんなことはありません、十分親孝行をしたいと思いますと全部の者が手を挙げるわけであります。どうしてそういうふうに感ずるのかと私どもの女子学生に聞きましたら、それは何のためかと言われても困るけれども、直接的には、今郷里からかなり高い
お金を払って東京の学校にやってもらっている、これはかなりかかっているらしい、その恩は感ぜざるを得ませんねというふうに言うわけであります。それで、民法の規定なんかなくたって私たちは親を面倒見なきゃいけないという気持ちは高いんですよというわけであります。ほかの人もそうだと思います。
それならばいっそのこと、先ほど言いましたように実際の事件になることもとっても少ないんですね、今全国で千何百万とお年寄りがいながら数百件しか事件こならない。ああいうような法律が今でも要るんだろうかという問題にも逢着するわけであります。民法から扶養の法律を外した方が、例えばイギリス法はありません、外しました。そういう方がかえってすっきりいくんではないかということを質問項目に入れていただけませんかということを私はいっか総務庁に言いました。しかし、それは総務庁の判断によりまして、もしなくてもいいということになったら大変な問題になると思われたらしくて、削除されて、わかっていないわけであります。
六番目に、それでは今の子供たちの扶養意識はどうなんだろうか。青少年の国際比較
調査から言いますと、どんなことをしてでも親を養うという答えが、何カ国
調査いたしましても
日本がいつも最下位に出てくるので、若干問題になります。しかし、これは意識度の違いでありまして、
日本の青少年が親の面倒を見るのを放棄したためというふうにはとても見られないわけであります。
もっと具体的に見るために、私は昨年度、私についておりますゼミナールの四年生、ですから大体二十二歳ぐらいの女子がどう思っているかということを直接聞いたことがあります。そうしたら、こういうふうに言ったわけであります。富山県、石川県それから山形県出身の女子学生は、私は結婚したら夫の親の面倒を見るつもりよということを言いました。夫の親の面倒を見るというふうに言うわけです。それは従来からありますように、長男の嫁さんが面倒を見るというのと同じタイプであります。そうしましたら、それ以外の者が、あなたよくそういう気持ちになるわねということを言いました。自分の親の面倒を見るというのならわかるけれども、夫の親の面倒をよく見られるわねというようなことを言いました。そしたら、それは好きになった人の親だから見るのは平気だということを言ったわけであります。そういうふうに育ってきているし、周りもそうだからと言うわけであります。
それで、ほかの者がどうしてそうなるのと聞いたら、そうしなければ家や土地がはっきり自分たち夫婦のものにならないでしようと言うわけです。そこまでして家を守ることが大切かと言いましたら、家というのは冬になって一生懸命雪おろしをしなきやつぶれてしまうぐらい大変なものなんだということでありまして、雪おろしがかなりこれを守っているんだというようなことが少しわかってきたわけであります。
そうしましたら、今度は東京の娘さんとかそれから大都市を転々としている転勤族の娘さんは、見るとしたら、自分の親なら一生懸命見るけれども、夫の親なんか見られるものですかということを断固言い放ちました。それから、もう
一つ変わった
意見といたしましては、北海道の小さな都市、具体的には北見出身の女子学生は、結局人間というのは年をとったら夫婦で暮らす、片方が死んだら一人で暮らす、それが一番いいのよということをもう自信満々で言いました。ほかの学生が冷たいんじゃないかと言いましたら、そんなことはないですよ、私の周りは親も祖父母もみんなそうやっているんですからと言いました。ということでこの人はどちらとも同居しないという意識で結婚生活に入っていったわけであります。
こういうふうに、私どものゼミナールはたった七人なんですけれども、見事に三つ以上
意見が分かれるわけであって、さまざまな
意見が出てきたということであります。
もう与えられた時間がなくなってきましたので、七番を言ったところでおしまいにいたしますが、七番は、要するに家族のあり方、
理念というのが非常に多種多様になってきたということでありまして、どれでいかなきゃいけないというタイプがはっきりしないために、したがって
老人扶養の基本原則とか、それから同居している者に対してどの
程度ヘルパーその他が援助すべきなのかなかなか決められない社会であるということがはっきりしてきたわけであります。
日本は核家族をしてきたといいましても、それは若い人が結婚当初で親が元気な時代であります。親の片方が倒れたりあるいは二人ともかなりの
病気になった場合どうするかと聞きますと、今でも、中高年の人だけでなくて若い人も、それは同居の方がいいんだということを言うわけです。この辺が欧米的な考えにはちっともなっていないというわけです。これは、要するに若い都合がいいときだけの核家族主義で、中年以降は拡大家族主義だということになるわけで、二本立ての精神です。拡大家族ですと、今の韓国や中国の大
部分の人のように最初から同居でいくのが当たり前という考えでしくへきなんですが
日本人の場合はごっちゃになっております。私はこれを見まして私なりのことわざをつくったんですけれども、
日本人は親同居の問題について顔は
アメリカ心はアジアという、こういうことで分かれているんじゃないだろうか。こういうのを心理学ではアンビバレンツ、両極端の心理と言いますけれども、その中で右往左往しているということが混乱の、要するに老親扶養のタイプがしつかり打ち立てられない基本問題ではないかしらというふうに思っているというわけであります。
まだ少し残っておりますけれども、一応時間が参りましたのでここで打ち切りまして、それは質問に応じてお答えするということで処理させていただきたいと思っております。
私の一応の報告は以上でございます。