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参考人(
吉田和男君) 京都
大学の
吉田でございます。よろしくお願いいたします。
私は
大学で数理
経済学とか財政学をやっておりますが、財政学の一環として国際公共財という観点から国際的な問題にも興味を持っておりまして、きょうはその点に関してお話しさせていただきたいと思います。
私がまず第一に申し上げたいのは、戦後の世界というのは世界史全体から見ると物すごく異常な時期だったように思うわけです。米ソというのが世界的
規模で地球を分割するという、こういった勢力圏をつくった。もちろん非同盟
諸国もありましたですけれども、基本的に、これだけ大きな
地域を、しかも非常に大きな力をもって分割するというのはかなりやっぱり異常な時期だったように思うわけです。
そういう
意味におきまして、近年の動きというのは非常にわからないことが多くなってきたわけです。民族紛争とか宗教紛争とかいうのが非常に出てきたわけですが、ある
意味でこっちの方が従来の感覚からすれば普通で、むしろ今までの米ソが非常に大きな力をもって支配していたということの方がずっと異常だったのかもしれないというふうに、まず出発点から
考える必要があるんじゃないかなと思うわけです。
そのメカニズムをまず私なりに整理させていただきますと、やはり私は一番大きな導因は核というものだったのではないかなと思うわけです。核兵器というのがほかの兵器と根本的に違う点は、いわゆる
経済学で言います
規模の利益があるわけです。すなわち、開発費が非常に高いわけでして、それから設備費も大変かかるわけですが、これは一度できてしまうと、後は比較的ローコストでどんどんできてしまう。ですから、フランスなんかもそうですけれども、軍事費が開発するときにはぱんとはね上がるわけです。そういうふうな性質を持っている。
これは、実は従来の
軍事力の
均衡というものを
考えたときに、従来の形、つまり核以前の形とは随分大きな違いが出てくるわけです。すなわち、
規模の利益ですから大きくなれば大きくなるほど単位当たりの影響力、力というもので
考えますと費用がどんどん安くなるわけですから、でかければでかいほど効率的であるという従来にないことになるわけです。
従来の
軍事力ですと、大きくしようとしますとたくさん兵隊をリクルートしなきゃいけない。そうすると反発も起こるし、またそれからたくさんの資源を引き揚げるわけですから、それによっていろんなダメージを受ける、あるいは国民が非常に負担に感じるというマイナスが出てくるわけですが、核兵器の場合には、どんどんつくればかえって効率がよくなってしまう。一たんつくってしまいますと、これはもう大変な力を持ってしまうという性質があるかと思うんですね。
したがいまして、
アメリカが単独で核兵器を最初持ったわけですが、それに対してソビエトが核兵器を持つ。そうすると、お互いに効率的な軍事バランスをつくろうとすると、大きくなった方がいいわけですからどんどん大きくしちゃう。
アメリカの場合もソ連の場合も、ほとんどクレージーと言っていいほど、ばかでかい核兵器体系をつくってしまう。何か地球を四回か五回壊してもまだ残っているという、そんなばかげた水準まで競争するわけですね。
それから、もう
一つの点は、核兵器を持っている国に対抗するために、自国で対抗できる国というのはそうたくさんないわけです。なぜないかといいますと、先ほど言いましたようにお金がまずかかるということです。技術的な蓄積をするため開発費にも非常にお金がかかる、そうすると、どこの国でもできるわけではない。自国でつくるよりも、むしろ同盟を結んでほかの中核的な国に
軍事力を集中させた方が効率的になるわけです。安上がりになるわけです。大量報復戦略の
時代のダレスの
言葉にも、こういった
大国に依存するような形で
安全保障を確保するのは近代的な
やり方だということがあるわけなんです。
これはちょうど彼の表現を使えば、
地域でだれも家の前に武装ガードマンを置かない、警察がみんな抑止してくれるから大丈夫なんだということで、ある
意味で
アメリカは各国にフリーライドを勧めたわけです。そうすることによって非常に効率的な
安全保障を得ることはできる。特に
アメリカの場合には、
戦争でたくさんの若者をリクルートして、それを帰さなきゃいけない、ところがソ連との対立がある。とすれば、核兵器でそれを代替すればこれは非常に効率的に、しかもいろいろな公約を同時に満足できたわけです。
そういった力というものが特にミサイルとくっつきましてどこにでも運んでいけるわけです。そうなりますと、非常に広範囲なところに絶対的な力を及ぼすことが可能になってしまうという過去には見られなかったことが起こったと思うんです。
各国は米ソを軸にして二つの勢力圏に分割していくわけでありますが、それによって
安全保障を軸とした共同体というのができてきたわけです。戦後、米ソというのはいつ
戦争するかわからないという恐怖があったわけですが、もう何回となく、いやというほど
戦争をしていたドイツとフランスが
戦争するなんてだれも思わなくなってしまったわけです。それは、まさに
一つの
安全保障共同体のようなものがつくられることによって、ある
意味で大きな国が二つになってしまったという面があるかと思うんです。
そういった共同体ができていったことは、実はそれを
アメリカは特に
自由貿易体制という形で運営していくわけです。ソビエトの場合には国際分業ということでコメコン体制というものをつくるわけであります。この
自由貿易体制というのが世界に非常に大きな繁栄を及ぼすわけです。特に
日本は、この
自由貿易体制に乗ることで大変な
経済的
発展を遂げる、
経済的享受を受けたわけです。そういう
意味で、安保条約という条約を通じて
アメリカの体制につながったということが、
自由貿易体制をふんだんに利用できたという面では非常に大きなプラスであったかと思うわけです。
もちろん、
アメリカという国もお人よしでやったわけではなくて、それは
アメリカの
安全保障と、それからもう
一つアメリカの
経済的
発展のために自由
貿易を各国に、当時ですとほとんど押しつけに近いわけですが、プレッシャーをかけては自由
貿易をさせると。
日本も最近米がどうこうと言っていますが、同じような話を工業製品についてはずっとやってきて、まだだめだ、いやもう自由化しなきゃいけないということで、押し合いへし合いして自由化をしたわけです。自由化をしたおかげで
日本も
発展するし、世界
経済も
発展するということになったわけなんです。
そういったもともとの大きな枠組みでありますガットあるいはIMFという体制自身、
アメリカの非常に強いリーダーシップでできているわけでありまして、これは逆に言いますと、
安全保障を確保するために共同体的な構造をつくっていったことが、これが一方で平和、一方で繁栄という、もちろん米ソ間のすき間のところでは大
戦争がたくさんあったわけでありますが、しかし全体として見て世界
経済というのは非常に
発展したわけです。また、ドルを基軸通貨としたIMF体制の結果、
アメリカがちょうど貯蓄超過国になっておりましたから、その貯蓄超過を世界の
経済成長のためにも使うということが行われて、ある
意味で
経済とそれから
安全保障というのが両輪になって、
アメリカにとっても好循環、世界にとっても好循環をつくっていったかと思うわけです。
しかし、七〇年代に入りますと、あるいは六〇年代の後半からだと思うんですが、そういったメカニズムは随分変わってきたのではないかなと思うんです。
一つは、やはり核というものの性格が変わってきて、核が使えない兵器であるということがわかり出す。非脆弱化ということでありますが、お互いに第二撃をするための能力を温存することが可能になってきますと、核というのは一発ぶち込めば全滅ですからそれなりの力があるわけですが、しかし第二撃能力があれば、撃った方も全滅するわけですから、相互に全滅というのは極めてナンセンスな話になるわけですから使えないという形で、核が完全に抑止される
時代になるわけです。
さらに、核というのが非常に困ったことにどこの国でもできるようになってしまうということが起こってくる。そうすると、米ソ以外にも
中国とかフランスとかが持ってくる。今常任
理事国の五カ国以外は持っていないことになっていますが、持っているのは間違いないわけでありまして、既にインドは実験をしたりしているわけでありますし、いろいろな国が持っているというのはもう公然の秘密になっているわけです。最近、北朝鮮の問題で疑惑というふうなものがあるわけでありますが、逆に言えば、どこの国でもできるというふうな
状況になってきたかと思うわけです。
ですから、そういったものが使えない、使えないだけではなくて、だれでもできるということになりますと、余り有効な
手段ではなくなってくるということが起こってきまして、そうすると、それに対してむしろ通常兵器が補完的な
役割を果たすというふうな
関係になってきたのではないかなと思うわけです。そうしますと、先ほど申しましたような
規模の利益とちょうど反対
方向に動くことになるわけですから、対立は小さく、同盟は多極化するというふうになるのはごく自然なことではないかなと思うわけです。
そして、先ほど申しましたけれども、自由
貿易によって
アメリカは非常に大きく
経済的にも
発展するわけですが、それは生産技術においても
規模の利益があったわけです、大量生産技術ですが。それを
アメリカが十分に活用することによって
規模の利益に係るようなところに関する
経済的な特化、要するに、例えば自動車の大量生産技術が
アメリカで確立される。そうすると、自動車を
アメリカは集中的に生産することによって、ほかの国はそれを輸入することで自動車を利用するというふうな形が、自由
貿易ですから、もちろん自由
貿易といっても完全ではありませんからいろいろな障壁があったわけでありますが、自由
貿易というのはそういう
方向に動くわけであって、そして
アメリカというのはそういうものを十分活用していわば富を蓄えたわけであります。
先ほど申しましたように、一九七〇年ごろから
安全保障の形態がだんだん変わってくる。それに合わせて
経済のシステム自身も変わってきたように思うわけです。
規模の利益というものを追求する形で
アメリカが大きな利益を得ているという形がだんだん崩れてきて、むしろ
日本のような
経済の方が、鉄鋼とか、後では自動車なんかで優位になってくる。相対的な
アメリカの
経済の地位はどんどん落ちてくる。そして、先ほど申しましたように、六〇年代ごろまで政治的な力と
経済というものが好循環で両方がうまくいくという
状況は、今度逆向きに流れ出して悪循環になっていくわけです。特に
アメリカは
ベトナム戦争で敗退する、莫大なお金を使ってしまうということで、それも非常に大きな原因だったと思うんですが、
軍事力のために
経済が弱くなる、
経済が弱くなるとそれが負担できないというふうな構造になっていったわけです。
これはもちろん
アメリカだけじゃなくて、ソ連も同じことをやっていたわけであります。一九八〇年代になりまして、七〇年代の
ベトナム戦争の終結以降、
アメリカは若干そういうことで
経済的な問題もあって撤退の
方向にいくわけでありますが、それに対してソビエトは逆にアグレッシブに、積極的に世界戦略に打って出る。それの揺り戻しとして八〇年代、最後の冷戦の戦いをするわけでありますが、ある
意味で消耗戦をやりまして、結局ソビエトは社会主義体制自身が崩壊してしまう。
アメリカにしても、莫大な
財政赤字をつくって、これが経常収支
赤字を生み、
経済の根幹をある
意味で腐らしてしまったわけです。
こうなってきますと、米ソともこんなあほなことはやめた方がいいというのはごく自然なことであって、特にソ連の場合には体制自身が崩壊してしまうわけでありますから、対立がなくなってくるということ自身、冷戦が終結するということ自身自然な
方向であったかと思うわけです。
しかし、冷戦が終結して平和が来たというふうにみんな思ったんですが、実はそうではなかったということはすぐわかるわけでありまして、何だかんだと
地域紛争が
拡大する。また、宗教を理由にして
戦争が起こる。私らも、特に
日本人の場合は余り
経験がないものですから、よくわけのわからない
戦争が世界じゅうでふえてくるというのは非常に困ったことだなと思うわけです。こういった新たな紛争が出てきたということで、我々
考えなきゃならないことが非常に多くなってきたわけです。
先ほど申しましたように、
アメリカという国は米ソの対立があったために世界じゅうにいろんなコミットメントをして、軍事的なコミットメントもしますし、
経済的なコミットメントもしますし、それから、うちの市場をどうぞ使ってください、フルオープンですよ、あるいは技術でも料金さえ払ったらどうぞ使ってくださいと非常に寛大な
政策をとることができたわけです。しかし、米ソの対立がなくなってしまえば、世界にいろんなものを供与しようというインセンティブ、誘因というのはなくなるわけです。何で
日本のためにこんなにしてやらにゃいかぬのやとみんな思うのは、これはごく自然な発想であるかと思うわけです。
それから、そういった意欲がなくなるだけじゃなくて能力もなくなってきているわけです。
経済的にかつての相対的な
アメリカの地位というのは大変な水準にありましたが、全部合わせればまだ高い水準にあるわけですが、といっても相対的には非常に下がってきた。しかも、傾向的に下がっているということはますます問題が大きいわけです。世界の問題に対して
介入と申しますか
自分が積極的に参加して、そして世界の秩序をつくっていく、あるいは世界の繁栄のために何か寄与するという意欲、それから能力もなくなってきている、低下してきているということが今までの事態と非常に大きく変わってきたというふうに
考えるわけです。俗に言うと、パクス・
アメリカーナと言われた
時代というものが終わりつつある。
今度は翻って
考えてみますと、
日本という国はまさにそのパクス・
アメリカーナにどっぷりつかってきたわけでありまして、世界の市場を自由に使わせていただけるし、あるいは石油でも、戦前は石油の一滴は血の一滴とかなんとか言って頑張ってやっていたものが、非常に廉価に、しかも先ほど申しましたようにドルを安定させることによって世界に投資する、もちろん石油開発なんかにも大量に投資されたわけですから、非常に安い石油をふんだんに使えるというふうな
状況になったわけですね。
安全保障の面におきましても、それほど心配しないで何でもやってもらっている。
日米安全保障条約という条約は世界の軍事同盟の中でも非常に例外的な条約で、どこの国も戦後の軍事同盟の場合には片務性というのは必ずあったわけです。すなわち、核を持っているのは
アメリカだけですから究極的にイーブンな同盟なんか結べっこないわけです。しかし、形式的にも片務的な条約というのが
日本と
アメリカの条約なわけですね。ほかの国は形式的には片務性がないようにされているわけです。そういった中で、ある
意味でパクス・
アメリカーナのおいしいところだけを享受できたという
時代が、戦後の特に七〇年代までの
日本ではあったように思うわけです。これは、先ほど申しましたように
アメリカの力、
アメリカがつくり出した力というものが非常に強大であったということであると思います。
これが七〇年代ごろから、やはり
日米間で
経済問題というのがいろいろ出てきます。
貿易摩擦で最初の大きな問題でしたのはあの繊維交渉でありましたが、この場合に典型的なように、産業品目の中でさして
アメリカにとって重要でない産業ですらああいうふうな摩擦を引き起こす、政治的に
解決しなければならないというふうな話になってくるわけです。
昭和四十六年にいわゆるニクソン・ショックというのがありまして、ドルが基軸通貨からただの一国の通貨になる。そして、四十八年からはもう変動相場制であるというふうになってくるわけですね。ですから、その中で我々の
経済というものも対応しながらやっていかなきゃいけない。
アメリカにどっぷりというわけにはいかなくなってきた。
対応しながらずっとやってきて、今度は一九八〇年代になりますと、
アメリカの
経済政策の欠陥もあるわけでありますが、
アメリカが非常に
赤字になる、経常収支
赤字になる。それに対応して
日本が
黒字になる。その結果、延々と
貿易摩擦というのが議論されることになるわけです。こういった変化というものも、
アメリカの力の衰退ということではないかなと思うわけです。
この衰退に対応してどういうふうな対応が行われてきたか。まず、
安全保障の面に関して申し上げますと、国連の機能の強化ということが言われることになるわけでありまして、例の湾岸
戦争を機にしまして、新しい秩序づくりのための協調体制というものも言われるわけであります。また因果
関係としましては、冷戦の終結と複雑な
関係にあると思うんですが、ヨーロッパにおきましては
安全保障体制に関してCSCEが、パリ会議が開かれまして、機能するようになってくる。またそれから、最近はEUと言うようですが、ECがEUとして政治的統合まで進めていこうというふうなことになってくるわけであります。また、湾岸の後始末としましても、あの
地域の
安全保障に関して湾岸
諸国の連携というのは強くなってくるといったような動きが見られることになるわけですし、国連と
地域というものが
一つのパラダイムとして
安全保障の枠組みというふうな
方向に徐々に移行しつつあるのではないかなと思うわけです。
経済の方で見ますと、
一つの
方向と申しますのは
地域主義、これは先ほど申しましたように、やはり
アメリカという国を中心にして世界が共同体として機能するような
背景があって世界的な
自由貿易体制があった。それに対して、今申しましたように、
地域というものが中心になって
安全保障体制をつくる共同体的な動きをするということになりますと、
経済が
地域的な動きに近づいてくるというのもこれもまた自然な
方向であるかと思うわけです。
それから、ガットの場合、いろんな問題を徐々に
解決してきて、今農業とサービスとかそういったところで非常に大きな議論になったわけでありますが、それ以上に、ガットの枠がありながらガット外の規制、特に
日米間に関していいますと自主規制というやつですね。何か自主規制というと本当に、
アメリカの学者と話していましたら、ボランタリーだからいいんだなんという話をするわけですが、
日本人から見たらどれ
一つとしてボランタリーなことはなかったわけでありますが、そういったガット外の形でまた保護的な動きになる。
あるいは、ヨーロッパの動きの中には、今申しました
地域的な動きと同時にセーフガードの対応というのはしょっちゅう行われるわけですね。何か山奥でビデオテープを通関させたり、原産地の割合がどうこうでなきゃいけないとか、非常に厳しい自由
貿易に対するひずみと申しますか危機というものが生まれてきたんではないかなと思うわけです。
それからまた、途上国の問題を少しお話ししたいんですが、途上国の問題に関しましては戦後自由
貿易が行われるわけでありますが、自由
貿易が行われて、それから
アメリカの投資が来るということになって、戦後独立した国にとっては一般的にはプラスなわけですね。自由に物が売れるわけですから、あるいは開発するための資金が来るわけでありますから。しかし、一次産品問題というのは難しいところがありまして、つくれば安くなってしまうというところがありまして、交易
条件という形で
考えますと必ずしもよくならなかったわけですね。
ですから、開発して
輸出したけれども結局貧乏になってしまったというふうなこともあって、そうしますと
経済が不安定、
経済の不安定は政治の不安定ということになりますので、それを埋めるために
アメリカが積極的に援助をするわけでありますが、この援助をしていた力も相対的にだんだん弱くなったということでありまして、これに対して
日本が随分肩がわりをする。今や援助の額につきましてはそれこそ世界で一番大きな援助
大国というふうなところまできているわけです。
途上国の問題というのは今非常に分裂しているかと思うんですね。一方で、いわゆる債務が累積して開発資金が入ってこないという問題を抱えている国がたくさんあると同時に、
アジアを中心にして今や世界の
経済成長の中心になっている。大西洋の
時代から太平洋の
時代へというふうなことが言われるほど大きな
経済成長をしているわけであります。
それに
日本が大きくかかわったということは、私は自慢していいことだと思うんです。やはり
日本が途上国、特に
アジアの途上国に大きな援助をすることによって、これがどこまで実際寄与したのかそれはわかりませんけれども、少なからぬ、大きな
役割を果たしたということは間違いないことで、これが、いわゆるNIESとか
ASEANの
諸国、それから
中国は今度とうなるかということになるわけでありますが、こういう国に対して
日本が援助したことが非常に大きなプラスになっているということは間違いないんではないかなというふうに思うわけです。
以上、戦後の流れを私なりに整理させていただいたんですが、戦後、もちろん米ソの対立ですから、ソ連側、ソ連圏というのはあるわけでありますが、米ソの対立を通じて、基本的に
アメリカの力によって平和と繁栄が維持されてきたということは否定できないことであったわけであります。
それが、七〇年代ごろから技術的な
関係も変化することによって、いわゆるパクス・
アメリカーナを成立させていた
条件自身がどんどん崩れて変わってきたわけです。そこで
日本の
役割ということが出てきて、ある
意味で、戦後五十年ですが、意外に短いような気もするわけです。
アメリカはあれほどの大きな国であって、私
たちも小さいときはやっぱりすごい国であるというふうに思っていたわけでありますが、何か最近の若い人なんかは余りすごい国だというふうには思わなくなってきていると。相対的な
関係というのは随分変わってきたというふうなことが言えるかと思うわけです。
あと十年以内に二十一
世紀になるわけでありますが、今申しました変化に対応して私
たちの
日本というのも大きく対応を変えざるを得ない。表現は適当でないかもしれないですけれども、パクス・
アメリカーナという温泉にずっとつかっていたわけです。温泉の温度がどんどん下がってきた。これを、温泉に入っていろいろ享受するという
立場から、むしろ我々の方が世界の秩序あるいは繁栄を支えるために努力しなきゃいけないという
時代になってきたように思うわけです。
まず、
安全保障の面から
考えましても、近年PKO法もできて国連に対して貢献するということになるわけでありますが、国連というのは
安全保障機構でありますから、そもそも世界の平和を維持するための
軍事力の使い方に関する同盟であるわけですから、
日本が何らかの形で寄与するというのはこれはもう当然のことであって、要するに国連に加盟しているわけですから、国連憲章上の義務というのを履行するのはこれは当たり前の話なわけであります。今までもいろんな議論があって、どこまでできるかというふうなことの議論があったわけでありますが、しかし今
アメリカの力が相対的に低下し、世界でいろんな形の不安定が生じているときに我々がやらなければならないということは、これはもう避けられない話ではないかなと思うわけです。
もう
一つの
安全保障上の問題は、
日本の
安全保障にも非常に大きく関連する問題でありますが、
アジアの政治的安定をいかにつくるか。先ほど申しましたように、ヨーロッパにおいては非常にうまくと申しますか、非常にきれいな形で集団
安全保障体制ができつつあるわけでありますが、
アジアというのは非常に複雑ですから、そうは簡単にまいらないかと思うわけです。しかし、かといってそのままずっとこの
状況が続いていくわけでもありませんので、
アジアの
安全保障をどういうふうにつくっていくかということに関して
日本も相当積極的に参加せざるを得ないというふうに私は思うわけです。
今まで
アメリカが、ともかく第七艦隊がどんとおったわけでありますが、しんどい話、面倒くさい話はどうぞ
アメリカさんやってくださいということでは済まされないことになってきているんではないかなと思うわけです。さらに、その前にまず
日本が自国の
安全保障問題に関してもっと真剣に対処していく必要も出てくるのではないかなと思うわけです。
日米安全保障条約というのは、私は非常に不幸な条約だと思うんです。先ほど申しましたように片務性が条約上にもあるわけですから、
日本人が感じるものと
アメリカ人が感じるものの間に大きなギャップが生じてしまうわけなんです。
アメリカはこれだけやってやっているというふうに思いますし、
日本はいや大したことないじゃないかと、お金もちゃんと払っているというふうな認識のギャップというのは非常に大きいと思うんです。やはりこれが
日米関係をぎくしゃくさせる根本にあるような気がして仕方がないんです。
細川さんが大人の
関係というふうにおっしゃったわけですが、今の条約の中で、
アメリカが大人の
関係と認めるということはやはり自然なことではないように思うんです。したがって、我々も二十一
世紀にかけてどういう
安全保障体制が望ましいのかということをもっと議論していく必要があるのではないかなというふうに
考えるわけです。
経済的な側面で申しますと、先ほど五十嵐先生もおっしゃいましたけれども、
日本が一千億ドルも
黒字を出しているということ自身、これは世界の
経済の不安定要因であることは間違いないわけですから、これをどういうふうに
考えていくかというふうなことが必要になってくるかと思うんです。
そこで、重要なことは、貯蓄超過国としての
日本経済の
役割ということになるかと思うんです。経常収支が
黒字であるということは、
国内の貯蓄が
国内の投資を超過しているということでありますから、いわばその貯蓄というのは外国において投資されているということになるわけです。問題は、どういうふうな形でそれが使われているかということかと思うんです。もちろん経常収支の
黒字が一千億ドルもあるというのは、これ自身が問題であることは間違いないわけでありますが、同時にこれがどう使われているか。
アメリカという国が一九五〇年代には経常収支
黒字だったわけです。
黒字だからけしからぬなんという話は
一つも出てこなかったわけで、むしろIMF体制というのは
赤字国責任なわけで、
赤字国の方がイニシアチブをとって改善しなきゃいけないというのがIMF体制の
立場であったわけです。それが今や、何か
黒字になってけしからぬというふうに怒られているわけでありますが、それ自身の問題というのが先ほども申しましたようにあるわけでありますが、同時に
アメリカが当時やったことというのは、やはり重要なことではないかなと思うわけです。
一つは市場を開放していたということであって、それからもう
一つは
黒字を世界の成長のために活用していたということに尽きるかと思うわけです。
実は、経常収支
黒字というのは、先ほども言いましたけれども貯蓄と投資の差額ですから、そんなに長期間
黒字が続くとはとても私は思えないんです。貯蓄率というのは長期的には下がっておりますから、いずれクロスするのはこれは間違いない話で、それがどれぐらいの期間になるかというのは正確にはわかりませんけれども、いずれ
黒字はなくなるわけでありますから、逆に言いますと、それだけ
経済余力があって、世界のために貢献できるチャンスなわけでありますから、これをいかに活用していくかということが重要かと思うわけです。
一つは、ODAという形でソフトローンを供与するということも大切であります。グラントとソフトローンとどっちがいいかという問題もありますが、私はグラントは余りよくないんじゃないかなと。一般にはグラントエレメントが高いほど質のいい援助であるということになっておりますが、しかし、人間どこの国でもそうでしょうけれども、お金もらってよくなるということは余りないんです。やっぱり、お金を借りて、そして責任を持って返す、そういうふうな
立場があるからこそみんな頑張るわけです。もらっちゃったら、まあいいや、せっかくもらえるんだからまた来年ももらえるやろということになるのがこれは人間だと私は思うんです。ですから、
日本が特に東南
アジアに対してローンの形で供与しているということは非常にプラスだと私は思っております。
さらに、ODAだけじゃなくて民間の資金として、特に
アジアに関しても最近たくさんの資本進出をしているわけでありますが、それはいろんな技術とか経営のノウハウを移転しているわけです。そういうものを通じて
日本の技術、経営のノウハウが伝播していくということがまた非常に重要なことですから、そういうことが行われやすいようにまたODAを使うということも私は大事なことではないかなと思うわけです。
かつて援助は膨大に行われました。特に
アメリカのやった援助というのは激しいほど援助をしたわけですが、どう見てもそんなにすごく成果が上がったなということにはならなかったわけです。やはり先ほど申しましたけれども、せっかく
黒字の期間、これをいかに活用するかということを
考えていく必要があるかと思うわけです。
最後に、私一言申し上げたいのは、二十一
世紀に向かってやらにゃいけないということは、やはり私は、
一つは
戦争の反省もありますけれども、戦後の反省というのも必要ではないかなと。戦後、平和と繁栄というものを享受してきたわけですが、その間に忘れたことも随分あるんではないかなというふうに思うわけです。
それのまず第一は、やはり人々の生き方の中に理想というものがなくなってきた。まあもうかりゃええやんかというふうな発想で行われるというのは非常に問題であって、理想というものもイデオロギーという
意味の理想ではなくて、我々が人間として持っているもっとオリジナルな発想からくる理想というのを私は
考えたいと思うわけです。
それは、例えば私
たちが子孫に繁栄してほしいし平和であってほしいと願うことは、これは私
たちの親も
考えていたわけですし、その親の親も
考えていたわけです。ですから、国というものをどういうふうに
考えていくか。それは、死んだ者と生きている者とこれから生まれてくる者と、それの精神的な連帯みたいなものだと思うんです。それが私は理想だというふうに理解すべきであって、したがって、戦後
アメリカのパクス・
アメリカーナの中で大変いい
条件に恵まれて
経済成長をしてきたわけですから、これをどういうふうに
日本が世界の中で役立てていくか、あるいは
日本人としてどういうふうに生きていくか。そのためにどう使っていったらいいかということを
考える必要があるかと思うわけです。そのためにやらにゃいかぬことというのは山みたいにあると思うんですが、二十一
世紀までもう十年を切っているわけですから、もっとアグレッシブに議論が進められていくことを私は期待しているわけでございます。
時間でございますので、終わらせていただきます。