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参考人(
小島明君)
小島でございます。
私は一新聞記者、それも経済を
中心にずっともう二十九年ばかり勉強しているもので、
文化の
世界からは距離があり過ぎて、なかなかとらえにくいということではありますが、最近、さはさりながら、経済の面における
日本の急激な膨張と、広く
文化の面における状況とのギャップが非常に大きいことを痛感していますし、それがまたいろんな
日本問題と称するものを生む背景になっているということを痛感しております。
そういうことで、私の実際の仕事あるいは生活にまで及ぶいろんな面での体験といいますか、あるいはエピソードをお話ししながら、私の日ごろ感じている
文化及び
文化交流、
国際交流に関する
一つの危機意識というものを御報告したいと思います。
私自身、後で個々詳細に申し上げますが、その危機意識から、ちょうど三年前に
一つ妙な努力を始めました。妙なというか小さな努力を始めました。それは、我が家の庭に空き地がありまして、そこに二階建ての簡易な建物を建てました。
外国のお客さんあるいは国内のお客さんでもいいんですが、ホテルに泊まって週末をぼっつりとしているよりも、時差の調整もあり、我が家に来ておふろに入ってゆったりと週末を過ごしてもらう。その間、そのお客さんによってはいろんな
専門があります。いろんな関心があります。そういう関心が
共通な人をまた数人集めて、ささやかなフォーラムを
個人的にいろんな格好でやっています。今週末もアメリカのスミソニアン・インスティチュートの幹部の人が来ます。この人を二日、土日と泊めて小さなフォーラムをやろうと思っています。
そのきっかけというのは、危機感、要するに仕事をして、経済の取材をしているわけですが、何かそれで終わってしまう。企業も出たら、ビジネスをやったらそれで終わってしまう。何か残る
交流といいますか、お互いにさらにつき合っていきたいという
人間的な何かが潜在的にはあっても具体的に出てきていない。そこで、具体的に何か努力をしてみようというのが始まりだったんです。三年半の間に、もうかなりの人が我が家にやってきました。国もたまたま仕事の
関係でアメリカ
関係が多いんですが、アジアの人もおります。
例えば、こういう人たちもいます。
日本でいわゆるリビジョニストと呼ばれている人たちですね。ジェームズ・ファローズとかプレストウィッツとかチャーマーズ・ジョンソンという人のお名前をお聞きだと思いますが、みんなある時期我が家に来て、泊まったり何か雑談したりしていました。その結果、そういうリビジョニストが生まれたということじゃないのかといって、アメリカの友達から、おまえの教育が悪いと批判されたりあるいは冷やかされたりもしておりますが、そういう人がいたり、たまたま普通の
民間人であった人が国によってはあるとき
政府の高官に抜てきされています。
例えば、今言えるのは、アメリカの
政府ですと、ジョーン・スペロというなかなかチャーミングた女性の国務次官がいます。彼女もアメリカン・エクスプレスの副社長のときに我が家に遊びに来た人ですし、CEAの
委員でアラン・ブラインダーというばりばりの学者タイプの人がいますが、そういう人たちもしょっちゅう我が家に来ていた人たちです。
それがいつの間にか何か口コミで伝わりまして、文芸春秋に何か
交流のやり方みたいなもののエッセーを書けと言われたこともあります。口コミはアメリカその他の国にも及んで、どうも
東京に行くとあいつのところへ電話すればおもしろいやつに会えるらしいというので、だんだんそのネットワークが広がり始めております。非常にその
意味では
個人的な小さな喜びを感じているところであります。
しかし、
日本社会全体として見ますと、経済においては貿易不均衡、輸出より輸入が余りに小さいというギャップ。それから、資金、物、そういう面における大きさと、
文化の面における動きの鋭さ、この大きなギャップ。それから、
文化については
文化関係とあるいは
交流というふうにもっと広く言ってもいいかもしれませんが、ここの面におけるギャップ、要するに輸入超過ですね。
日本からの
発信が少ないというのもそうです。それから、最近は若者がおよそ
大学へ行きますと、大体三割ぐらいの
学生、あるいはもっと多いかもしれません、四年間の
大学生活のうち、ある時期、短い人は何週間単位でしょう、一年行く人もいます、
海外をいわゆる
ホームステイとして体験する人が非常にふえています。逆に
日本に来る人、これは来たいという人がいないのが
一つでしょうし、それから来たいと思っても
受け入れ態勢が十分でないということもあるかもしれません。したがって、人の
交流、若者の
交流のそういう
意味でのギャップが非常に大きい。
いろんなところで
日本のほっておけたいギャップが生まれている。このギャップは、放置すると非常にゆがんだ社会、少なくとも
日本が
世界においてゆがんだ形で映るという、ゆがんだ鏡をどんどん
世界じゅうにつくっていく、そういうプロセスになるのかもしれません。そういうのが
基本的な問題意識であり危機意識です。
幾つかそれに関連したことの痛感したエピソードを申し上げます。
一つは、実は先週一週間参加して帰ってきたばかりです。スイスの山奥、トーマス・マンという小説家が「魔の山」という小説を書きました、その「魔の山」の
舞台になるスイスの山奥のダボスという小さな村、ここで毎年この時期、かなり巨大な会議が開かれます。もう十何年ですか、毎年ですね。その会議に行って、私三度目です、ことしか三度目で、ますます強く感じていることがあります。それは、小さなスイスの山奥にあれだけの人たちがどうして集まるんだろうかということと、それからそういうふうな多くの人が集まる中で、どうして
日本から
参加者がいないのかということです。合計千人を超えるような人が出たり入ったりする、五日、六日間にわたる会議です。
どんな人が来るかというと、各界のいろいろ大変な有力者ですね。政治家ですと、コール・ドイツ首相が来ていますし、ロシアからチェルノムィルジン首相も来ています。新聞、テレビでトップニュースになったPLOのアラファトさんとイスラエルの外務大臣も来ていましたし、そこで交渉も裏でやっていました。ヨーロッパはたまたま近いこともあり、あるいはスウェーデン、ノルウェー、ベルギー、首相クラスがみんな来ているわけですね。
日本からはというと、政治の方はたまたま御案内のことがありましたので一人も来られなかった。経済人、これは不況だということで、交通費節約か
交流交際費節約か知りませんが、もう不況にたるとがたんと落ちてしまいます。経済大国とまくら言葉で使いながら、実際の行動は全くお粗末限りもないという感じがします。
日本からのいろんな話を聞きたいといっても、全く
日本がそういう大きな
舞台で陥没しているのが実態です。せっかくメッセージを発する機会がある、しかし行こうとしない、その問題があります。
それからもう
一つ、その関連で四年前に行った会議では、ある経団連
関係の偉い人が出ていました。これは周りの人につつかれて本人嫌々行ったような気配があります。行ったことはいいんですが、身柄は行きましたが、メッセージがゼロに近い。演壇に立って
世界じゅうのすごい有力な人たちが千人も集まる中で、その人の番が来て
発言をしたんです。しかし紙を読んで、しかもその紙は
日本の経済についての報告でした。経済企画庁の課長さんが月例経済報告をいろいろ説明するようなたぐいの内容です。
日本は合成長率が〇・何%、失業率は何%、何人、そんなたぐいの数字、コンマ以下の統計とかそういうものがぞろぞろと出てきているわけです。それで終わりという感じです。
そういう
日本を
代表する経済組織のトップの人は、だんだんそれを言っているとだれかすぐわかってしまいますが、あの人は経団連の
会長だった人です。経団連
会長というのは財界のリーダーなのかあるいは単なるボスなのかといって話題になったきっかけになった人でもあります。そのボスと称される人が行ってそういうメッセージです。
日本の経営者、あれだけ
世界に影響力を与えている
日本の経営者がどんな哲学でどんな
世界観を持っているのか、どんな哲学で経営をしているのか、どんな哲学で
日本の経済を見ているのか、どういう
気持ちで
日本の政治なんかも関心を持っているのか、その人のひとつ何といいますか
人間性が出てきたようなやはり強いメッセージ、哲学、そういうものをみんな期待しているわけです、コンマ以下の数字は統計集を見ればあるわけですから。それをそういう期待とは全く反対に失望を大変多く生んだということで非常に気恥ずかしい感じがしました。それから、
参加者そのものが余りに
経済力と比べると陥没しているということです。
それから、
日本での会議で、欧米からこういう会議を
日本で開きたいんだがというのでいろんな呼びかけを受けることがあります。そのとき時たま感ずるのは、物理的な問題まで出てくる。要するに
受け入れる箱がないんです。ホテルでやることもできます。しかし非常に落ちつかないわけです、出たり入ったり。むしろホテルでやりますと忙しい人たちはもうしょっちゅう電話に飛びついたり、また抜けたり出たり入ったり、自分のビジネスやってまた戻ってくるということになります。
しかし、なぜスイスのダボスの山奥で、チューリヒから車で行くと二時間半、三時間ぐらい山の上にひたすら登っていかなくちゃいけないところです。入ったらめったにというか、もうなかなか戻れないところです。隔離するわけです。隔離することによってそこにしかない
共通の
世界が生まれるわけです。多くの人は家族も連れできます。もっと家族を通じた
交流もあります。隔離するというか、自分たちでそういう
世界をつくって共有して徹底的に触れ合うという、そういうハードウエアが
日本にない。あるいはそういうハードウエアがあったとしても、それを恐らくうまく活用していろんないい人が集まってこようという
気持ちになるようなソフトもないんじゃないか。
ソフトはあるけれどもハードがなかったというケースももちろんあります。そのときは、何度か経験があることですが、ある企業の研修所、これは宿泊施設もあり会議場もありいろいろ便利な施設を持ったところです、を使わせていただいたことがあります。いろいろ聞きますと、いろんなグループがそこの好意に甘えてその施設を使っている。それは実は純粋に
日本の企業ということではありません。
日本IBMの伊豆の山奥にある施設です。どうもそういうものが、経済大国としてハードすら持っていない、ソフトも十分持っていないということに対する失望と危機感というものを最近しきりと感じているわけです。
民間
ベースで、日米あるいは日欧ですか議員
交流というのがあります。
日本国際交流センターという
民間グループがやっている、ある
程度もう伝統にたっていると思います。そこで若い人を含めて
海外の議員の先生方が喜んで
日本に来るわけです。
日本に関心のない人も、じゃ一度行ってみるか、せっかく声がかかったからといってかなりやってきます。ごく最近もそういう人たちが間もなく来るようですが、そのときに、例えば航空券、ファーストクラスの切符を渡しますと、かなりの人がそれをエコノミーに崩しまして奥さんを連れてくるというケースがあります。奥さんまで連れてきたその
海外の議員の
方々というのは、
日本を引き続いて勉強するといいますか、そういう
気持ちが非常に強くなるようです。それもですから
一つのソフトウエアだと思います。
日本の経済というのは、
日本の社会というのは、ハードでは非常に強くなりました。しかし、ハードは為替調整ですぐその競争力を失います。一時アメリカ社会で大騒ぎになったソニーのコロンビアピクチャーズ買収事件がありました。あのときは、
日本の資本はアメリカの
文化、心まで買うということを彼らは議論しました。しかし、実態は全く逆であります。
日本はアメリカにハードは持っていきました。お金も持っていきました。しかし、心は買うところか、むしろその
日本のハードに乗っけて
世界じゅうにアメリカの心を売りまくっているわけです。
日本にも輸入しました。ソフトがないわけです。映画がつくれない、十分な映画がつくれない、
世界に売れる映画がつくれないという、やはりそういう
文化そのもの、それがその
交流と同時に、あるいはそれ以前の課題かもしれませんが、
交流する中身、内容、そういうものとしての
文化、広く
文化、これをいかにして魅力あるものにできるのか、
文化を生み出す社会的なシステムあるいは制度的な応援体制、
人々の
価値観、そういうものが非常に重要じゃないかという感じがします。
これまた大変ショッキングに勝手に思ってショックを受けた出来事があります。昨年ですか、フランスのミッテラン大統領がベトナムを訪問しました。ベトナムとフランスは昔戦争をやった間柄です。ディエンビエンフーの戦場でフランス側が大敗北して引き揚げたわけです。ミッテラン大統領が行ったところはまさにそのディエンビエンフーです。それで兵士の墓に花をささげました。しかし、その墓はベトナムの兵隊ではなくて、そこにわざわざ出かけて戦死したフランス人の兵士の墓です。恐らく
日本がそういうようなことをやったら、アジアでやったら、とんでもない問題を起こすんじゃないかと思います。
私が
個人的に
考えますのは、ベトナムもベトナムの人たちも、そういうフランスの大統領の訪問の仕方に対してかなり複雑な
気持ちも持っていたに違いないと思うんです。しかし、それが表に出たい。それは社会主義、統制主義の経済であるという、政治体制であるということももちろんあるでしょう。それ以上に、あるいはそれと同時にあるものは
文化じゃないかと思うんです。フランス的な
文化、それは生活の
文化でもあるし、もっと高度な
文化もあります。フランス的な
文化に対する一般的に広く言うあこがれ的な、あこがれといいますかそういうもの、尊敬、ああいう
文化に接したいというそういう
気持ちというのがあるいは強くあるんじゃないか。恐らくそれは
冷戦が終わった
世界ではもっともっと重要な国の影響力、指導力になる。
日本の社会みたいになりたいという国があればあるほど、
日本が何を言ってもそれを聞いてくれる国々の人たちの耳は研ぎ澄まされるということだと思うんです。
そのミッテラン氏の訪問の仕方は、要するに蓄積したフランスの
文化に対する複雑なその思いがベトナムの側にあった、それがそういうことを可能にしたんじゃないかという、それは私の思い過ごしかもしれませんが、そうだとしても、
文化というものがこれからの
日本の、どの国にとってもそうですが、外交といいますか、国と国とのおつき合いにおいて非常に重要な要素として出てくるんじゃないかと思います。
それで、
文化にも幾つかのレベルがあります。先ほどから言っている生活レベル、私がやっているのは生活レベルで、我が家に来てくれ、家族を見てくれ、友達もこういう友達でこんなことを議論しているんだという、それは生活
文化の一部だと思います。生活
文化も非常に必要です。今の
日本が一般的に何を
考えているかということです。
普通の国という議論があります。あれをめぐって韓国で議論が起きています。実は、日韓の首脳が昨年十一月に慶州で会談をしたときに、日韓の
交流を始めようということで合意があって、その最初の会議が昨年あって出てきました。
日本の普通の国論、
日本ではまだ十分議論していません。しかし、普通の国ということだけ言って終わってしまっていることから、かなりの誤解を生じています。韓国みたいなところは、まだ朝鮮半島においては
冷戦は終わっていません。緊張
関係が続いています。したがって、韓国の多くの人たちは、
世界的な
冷戦が終わった後もバランス・オブ・パワー、パワーポリティックスですね、そういうような発想で物事を議論する人がまだ非常に多い。
そういうことですと、普通の国ということは、
経済力が大きくたる。それは、当然それに伴って経済的利権を守るために軍事力も大きくなる、
日本は経済大国、そういう状況で普通の国を言えば当然軍事大国だと。
日本は軍事大国への急激な傾斜を始めようとしているのではないかという議論をする人がかなりいます。
しかし、仮にそういう議論をしている人が
日本の社会に来て、
日本で具体的な
人々の生活に接し
人々の
考えに接すれば、
日本の社会が軍事大国に急傾斜しているというような先入観というのは一夜にして消えるはずだと思うんです。それは、日韓の
交流がまだ足りないことによる議論のすれ違い、だと思います。
生活
文化というものは、
日本が今どこを向いて
考えているかということを理解させる上で非常に重要だと思います。もっと高いレベルの
文化、それは先ほど言ったミッテランの背後にあった伝統的、歴史的な蓄積としてのフランス
文化、これは直接物は言わないけれども大変重い影響力を対外的に持ち得る大変有力な外交あるいは対外
交流上の
国家としての道具になると思うんですね。ですから、それはいかにどういうシステムにしたら、どういう状況にしたら
文化というものが勢いよく絶えず生まれ続けるのかということについて、もう少し真剣な議論と知恵を出していかなくてはいけないんじゃないかと思います。
また消費税の議論が出ていますが、思い返しますと、消費税、売上税の導入に絡んでいろんな議論がありました。そこで私が一番感じたのは、私の税金がふえるということ以上に、
文化に絡んだ、要するに
価値観に絡んだ問題でした。じゃ売上税は具体的にどれを課税対象にする、どれを免税にするという議論がありまして、例えば歌舞伎を見に行った場合にはこれは無税、歌舞伎は払わなくていいという話ですね。ところが漫才を聞きに行ったらこれは有税だという議論があったわけですね。どちらの
文化が高いのかということをある省が勝手に議論していいものかどうか。
そういう議論ですと、
文化というものは既に評価が決まったものにしか認められないで、したがって、予算というか財政的、社会的支援もそういう既に評価が決まったものにしか流れない。新しい
文化、それは最初はもやもやしたものだと思います。
〔
会長退席、理事
大木浩君着席〕
ベルサイユ宮殿のあれも最初は、成金でひどいものだと言われたものです。しかし、今になってみると、あのときそういうものがあってよかったという格好で
文化遺産になっているわけです。
新しいもの、
文化というものが生まれる過程というのはみんなもやもやしているはずです。もやもやしているけれども、やはり真剣にそれに取り組んでいくそういう姿勢、そういう人たちをいかにして社会が支援できるか、いろんなレベルで支援できるか。それが十分支援できる国というものは高い
文化を絶えず生み出し、その
文化は、住んでいる我々だけではなくて、外からもああいう
文化に接したいというあこがれが生まれる。したがって、そういう国に対して、来てほしいということをあるいは言われなくても、どんどん一級のお客さんがやってくるということだと思うんです。
交流の原点として
交流を量的にふやすことが重要ですが、同時にどういう
文化、何を
交流するか。
交流するもののレベルが高いことがいいわけです。レベルが高いことと、それから
草の根までいく広さと高さがともに必要であって、それは制度的に何かもう少し工夫があり得るんじゃないかというのが
個人的な印象です。
また、こういう話もあります。ノーベル賞というのはこれをもらった人は、あれは大分賞金もありますが、無税なんでしょうか。
日本でそのノーベル賞に対抗して科学賞、何とか賞と地名がついた賞がありますね。かなり大きな賞金を出す賞です。
外国の
研究者に出す賞です。それは、ごく最近時点の税制は確認しておりませんが、少し前まで聞いていた範囲ではこういう税制になっています。
その賞で二つの種類があります。科学、サイエンス、自然科学の方ですね、あるいはエンジニアリング
関係、技術と言った方がいいかもしれません。そういう技術について功績をだした
外国の受賞者に対しては、その賞金は無税です。しかし、
文化一般、それで功績をだした人にやっぱり同じ金額の賞金を与えるんですが、それは国税庁の書類が同時に渡されて、そこで書類に書かなくてはいけない。有税。
日本の社会というのは、要するに物的キャッチアップを意図する余り、途中で
文化を切って物的な競争力に専念したわけですね。その辺から新たな
文化的な競争力をみずから犠牲にしたんじゃないかという感じがします。そのギャップが、要するに冒頭に言った
経済力と
文化とのギャップでありまして、それは放置できないところにきているという感じがします。
それから、これは最初の先生もおっしゃられたところですが、民間、
個人、それと公的なものの役割をどう
考えるかということは、
文化においては決定的に重要だと思います。
文化はやはり
個人が生み出す、あるいは
個人の固まりとして要するに民間が生み出すものだと思います。公的部門は
基本的には
文化遺産の管理、これに徹すればいいと思うんですね。新しい
文化をどうやって生み出すのか、どんな
文化が生まれるのか。それの選択というのが自由に社会に与えられていて、その支援のためにお金が必要だというのは、全く色のついていないお金、例えば
個人からの寄附金、これが自由に使われるという仕組みがないと、本当の
意味の活力のある
文化というのは生まれてこないんじゃないかという感じがします。
先ほど、漫才にするのか歌舞伎にするのかどうか、税制上のあれがありました。恐らく、資源配分を公的チャンネルを通じて行った場合には、この
文化は応援するけれどもこの
文化はよろしくないというときに、やはり
価値観が決まったもの、社会的に既に評価が決まったもの、
外国で評価が決まったものとかノーベル賞をもらったところに、その関連の
文化活動あるいはある特定の人かもしれません、そういう人たちにその財政的な支援が行く。まだもやもやしている、これから何かを生み出すというものは何ら事前に立証ができませんから、応援が生まれないといういびつな感じがします。経済的威力が強くなった国においては、やはり
文化を大事にするとすれば、そのもやもやしたまだ何とも方向がわからない、そういう
文化を模索しだから創造しようとする努力そのものを社会的にどう支援するかということが極めて重要であるというのが私の感じです。
それから最後に、
文化交流に関連して、先ほどIBMの施設を言いましたが、やはり
日本においてちょっと物が高過ぎる。
日本で会議を開きたい、
世界的ないろんな会議をしたい、しかし来る人が少なくなる
理由の
一つは
日本では高過ぎる。
日本はそういう
交流の競争力、
交流活動の
国際競争力すら今失おうとしています。
例えば、いろんな
海外の各国の有力企業がいろんなところで株主総会をやります。役員総会もやれば重役会議もやります。そのときに自分の国だけじゃなくて転々といろんなところでやることがあります。
日本をバスするケースが多いわけです。
日本は余りに高過ぎる、したがってシンガポールに行く。その方が何分の一がでできるわけです。これはどうしたらいいのか。
それは為替レートが
一つあります。為替レートは
日本が輸出一方で余り輸入したいということをやめれば自動的に円安になるわけで、そちらからの調整の余地はあります。あるいは
東京周辺にしか、それもしかもホテルという格好でしかそういう施設がない。田舎に行けばもっと安い土地もあり、安い施設をつくろうと思えばそういうハードがつくれるわけです。その辺の社会的な財産というのが
日本にまだない。むしろ
地方につくって、
東京のビジネスを
世界から隔離して、そこで
一つの、
交流の
参加者だけの
世界をつくってあげる。それは重要なハードであり重要なソフトであると思いますが、そういうものを工夫する手はないのかどうか。もしそれができないと、
日本は
国際交流における対外的な競争力がますます失われる
世界になってしまう。
日本は絶えず経済でしか見られたいという感じがします。
それから、実は私、きょう報告する話は全く違う話を用意してきましたが、平野先生のお話を聞いてそれを具体的な例で補足したいということで、もう
考えてきたことと全く違う内容といいますか素材を報告しました。
最初に
考えてきたのは、メモにあるとおり、非常にかた目のシステム論的な話です。この中で
一つだけちょっと最初の
計画どおり申し上げたい点があります。それは上の方から三つ目の、
冷戦が終わったことの持つ重さ、安全保障とかいう問題、これをどう
考えるかなんです。
実は最近こんな本を読みました。アンソニー・サンプソンという私と同じようなジャーナリズムの仕事をしているイギリスの有能なライターです。彼が「兵器市場」という本を書きました。
冷戦が終わって、ソ連とアメリカがぶつかるというような、要するにそういう大国間の紛争というのはもうなくなっちゃったわけです。しかし、紛争はいっぱい起きています。それは国と国との紛争でなくて民族と民族がぶつかり合ったり、そういったぐいのものがやたらふえています。同じ国の中で戦っているという格好がまたふえています。国と国との、大国と大国の紛争じゃない。
となりますと、これまでのパワーポリティックスで議論していた核兵器による抑止力とかそんなものはもう全くきかなくなっちゃったわけですね。同時に、
冷戦が終わって起こっている一番の問題は、軍縮を一方で議論していながら武器、兵器の輸出競争が依然として激しいことです。ここで言っているのは、武器輸出競争を言っているわけです。サダム・フセインがクウエートに侵攻するまでの十年間ぐらいでイラクが買った武器は、八百億ドルとか言われています。
その売り手は、ロシアいわゆる旧ソ連であったり、アメリカであったり、フランスであったり、イギリスであったりです。そのような軍縮を言い平和を言う国が一方で武器を輸出しているわけです。それは、イデオロギーの闘いを支援するためとか正義を支援するとか言いながら、よく見ますと先進主要国の武器はイラクにもイランにもみんな行って、それをもとに、そういう国々が輸出した武器を使ってお互いが戦っているということです。このまま放置した場合にはこれは大変なことに、第二、第三のサダム・フセインが出てきてもっとひどい
世界になるかもしらぬということ、これは実証的に調べたものです。軍事
専門家のコメントも頻繁に引用しています。
そういう中で、
日本のことを最終章で議論しています。
日本は武器輸出禁止の三原則があり、
冷戦の終わった今こそ
日本のあり方というものが重要じゃないかと。
日本のメッセージは九一年のG7の会議でもある
程度それは取り入れられたということもありますし、従来の安全保障というものを
冷戦の終わった枠組みの中でとらえ直すと、従来の
冷戦時代ともう少し違った
日本の貢献というものが非常に生きてくるということを痛感しました。
そういうことで、「兵器市場」という本を暇があったら、
情報いっぱい、ああこんなことがあったかというエピソードもいっぱいあります、読んでいただければという感じがします。
ちょっと時間を超過してしまいました。失礼いたしました。