○石原(慎)
委員 ありがとうございました。
今三っ事例をお挙げになりましたが、その中にも、数字が書いてあるもの書いてないもの、それからまた、教科書は何も教科書ゆえにすべて事実を、史実を正確に数字を含めて記述しているとも思えない節がほかでも多々ありますが、いずれにしろ、例えば借行社のように、かつての陸軍の有志たちがつくっている組織がこの問題を非常に重要なものととらえて詳しい調査をしている。その中には日本にしかない資料もあります、それを含めて。それから同時に、何人かの生存しているあのとき南京にいた外国人のジャーナリストにも日本の新聞記者がインタビューをして、その
人たちの証言もある。
例えば、もう亡くなったかもしれませんけれども、二、三年前に、九十過ぎたばかりぐらいの年で、サンディエゴにダーディンさんというニューヨーク・タイムズの記者がおられた。それに産経の古森記者がインタビューして、かなり長い
記事を新聞なりあるいは雑誌に書いてありましたが、その中で、ダーディンさんの
記事というのはなかなかおもしろいんです。
あの人のニューヨーク・タイムズに対する通信をずうっと見ますと、
最初にシナ軍は、焦土決戦を覚悟して、南京の城外で非常に邪魔な市民をシナ人自身が殺すんです。それは非常に野蛮な行為で、チンギスハーン以来の大残虐だということを、ダーディンさんだけじゃなしに、ほかの外人の記者も書いている。
そしてまた、あのとき日本とドイツの関係はちょっとまだよくなくて、特にドイツの外務省は日本が嫌いだったものですから、それを通じて、蒋介石の国民
政府軍に顧問団としてついているドイツ人の軍
人たちは、城内で戦ったりすると余計な被害者がふえるので、ぜひ、要するに城を捨てて、とにかく城外で戦いなさいと進言するんですが、蒋介石は、
自分の師でもあった孫文の故地であるこの南京、しかも国民
政府の首都である南京を一戦も交えずに放棄するわけにいかぬということであえて戦闘をするのです。そして陥落して、その後いろいろな出来事があった。それについていろいろな人がいろいろな
報告をしています。
ダーディンさんが言っていることは、結果としてシナ軍も日本軍も非常に無節操になったということが書いてある。そして日本人がやった大虐殺についても報道していますが、彼の挙げている数字は三万ということでした。それで、たしかあのとき南京の人口は二十万しかいなかったはずだけれども、何で三十万になったか私は理解できない。同時に、南京が陥落した後、城外に逃げていたシナ
人たちもたくさん戻ってきたという報道もあるわけです。それをもって私は絶対のものといたしませんが、つまり、大事なことは数字なんです。
日本人は過去に戦争で悪いことをした、私はそれを何も否定はしない。戦争のいい部分もあったとは言いません。ですけれども、あの戦争が侵略だったか進出だったか。皮肉なことに、正当性のない東京裁判で日本を裁いたアメリカ、イギリス、フランスという国々は、裁判の中で日本の論告に日本が侵略したとは一言も言っていない、不思議に。それは
自分の、つまり天につば吐いて
自分の顔につばがかかってくることだから、日本を一方的に裁いた連中も、日本の例えばシナ大陸進出を侵略とは書いていない。つまり、やったことは実質的に彼らと同じだと。言ってみれば、先進国、先進軍事大国の縄張り争いの巻き添えをアジアの
人たちは食った、それは本当に申しわけないことだと思いますけれども、それを勝者という形で一方的に裁いた東京裁判では、皮肉なことにアメリカさんもイギリスさんもフランスさんもオランダさんも、日本のやったことを侵略と言っていないんですよ。
私は、だから日本のやったことが侵略じゃなくて進出だと言いませんよ。しかし、その過程でいろいろなことがあった。確かに南京で捕虜を含めた非戦闘員をかなりの数殺した、これは本当に忌まわしいことですが、これが万単位のこと、三十万という、当時の人口が二十万しかいなかっただろうというほとんどの人の証言にかかわらず、教科書にはいろいろ書いてあるみたいだけれども。
共産主義
政府が南京に建てた記念館に私行ったことないが、日本人はここで三十万殺したと書いてあるそうですな。閣僚の中でごらんになった人いますか、だれか。いたら挙手願いたい。いや、ごらんになったことが罪でも何でもないですよ、それは。見るものは見たんだ。私南京という場所へ行ったこともないから、どなたかおられますか一いないみたいだ。三十万と書いてあるそうですね。
だからといって、一つのイデオロギーを持った
政府が、その
政府の力で建てた記念館に三十万殺したと書いてあることで、私は日本人がすなわち三十万殺したとはとても思えない、いろいろなほかの証言を突き合わせると。しかも大事なことは、あの東京裁判で私たちはまさに寝耳に水で、南京でとんでもなく悪いことをしたという、そういう事実を裁判で突きつけられた。愕然とした。
しかし、興味のあるのは、あの南京が陥落した直後ですね。日本のジャーナリストは優劣いろいろありますけれども、最もすぐれた文人である林芙美子、石川達三、大宅壮一という
人たちが従軍報道班員ということで南京に入っている。この
人たちがあそこで日本人が三十万と、言ってみればホロコースト、ジェノサイドをやったということは一行も書いていないし、私はそのことを実は石川達三さんに聞いたことがあるのですよ。
この人は「生きてみる兵隊」を書いて陸軍ににらまれた人だ。それからまた、一部の左翼が
自分の味方だと思ったのでしょうが、あの人は自由にも二つあると言って、自由に関するダブルスタンダードという非常に勇気ある発言をして、日本のそのころリベラルか左翼か知らぬけれども、そういう連中たちに何か非常にひんしゅくを買ったことがある。しかし、非常に冷静な勇気のある人だった。
その石川さんに私は、一体日本人が、あなたは報道班員で行っていて、そんなことやった形跡ありましたかと言ったら、いや、実にあれは不思議、不可思議な話だな、僕に関する限りそういう記憶は、印象は全然ない、実にあれは怪しげな話だよと言いました。これは戦争裁判で突然出てきたのです。
例えば、話は飛びますけれども、ジェノサイド、ホロコースト、ホロコーストというのは大虐殺、ジェノサイドも大虐殺ですけれども、これは皆殺しの意味があるんですけれども、ホロコーストと辞書を引きますと、事例として何が出ているかというと、アメリカが広島、長崎に原爆を投下して瞬間的に数十万の人間を殺した、後遺症でもたくさん人が死んでいる。もう一つは、ナチスが
計画的にやったユダヤ人、ジプシー、そしてポーランド人のこれは皆殺し作戦です。この二つが、順は逆だけれどもちゃんと載っている。私たちが南京でやったことがその同列にされたら、これはちょっと民族の資質、それにかかわる非常に不名誉な話だ。
ちなみにダーディンさんはそのインタビューの中で、私が認識している限りは二万から三万の人が殺されたと思う、しかし人間というのはいろいろ業が深いところがあって、戦争という極限状態の中で人間が一種のヒステリーを起こしたときに、あの程度といったって三万の人が死んだのですけれども、そういう
事件が起こるということは、私は人間の過去の歴史に照らしてあり得ることだと思う、だから私は、あの
事件を目撃した人間の一人として、日本人が非常に他の民族と違って資質の違う人間とは思わない、日本人を特別に見ることはない、ということを言っている。
そのとき、これは私の憶測だけれども、ダーディンさんが東京裁判の実態を考え、
自分たちが二発の原爆でほとんど非戦闘員を殺して、今日まで、とにかく後遺症で死ぬ人を合わせれば三十万人が死んでいるわけだ。辞書にもジェノサイドの、ホロコーストの典型的な例として載っている。そういうものを思い合わせて、つまり一種のギルティーコンシャスで、南京
事件をそういうふうな認識でとらえたのかどうか知りませんが、いずれにしろ、三十万の人間をわずか六週間、六、七、四十二日で、あの質と量しか持ってない軍隊、兵器の性能もあるでしょう、それが殺したということはまず物理的に私は無理だと思うけれども、そういう
事件があり得たのかなと。
総理は
総理でいろいろこの問題について心を悩まされたでしょうが、まずその以前に一人の人間として、あなたも戦中を生きてその記憶はあるだろうし、東京裁判の記憶も。要するにその経験、認識を踏まえて、南京の何とかという記念碑に書いてあるような実態があったとお思いですか、お思いじゃありませんか。
〔中西(績)
委員長代理退席、
委員長着席〕