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1994-03-30 第129回国会 衆議院 本会議 第13号
公式Web版
会議録情報
0
平成
六年三月三十日(水曜日)
—————————————
平成
六年三月三十日 午後五時 本
会議
—————————————
○本日の
会議
に付した案件
田名部匡省
君の故
議員近藤元次
君に対する
追悼
演説
平成
六年度
一般会計暫定予算
平成
六年度
特別会計暫定予算
平成
六年度
政府関係機関暫定予算
午後五時三分
開議
土井たか子
1
○
議長
(
土井たか子
君) これより
会議
を開きます。 ————◇—————
土井たか子
2
○
議長
(
土井たか子
君) 御
報告
することがあります。
議員近藤元次
さんは、去る二月十六日逝去されました。まことに
哀悼痛惜
の至りにたえません。
近藤元次
さんに対する
弔詞
は、
議長
において去る二月十九日既に贈呈いたしております。これを朗読いたします。 〔
総員起立
〕
衆議院
は 多年憲政のために尽力し さきに
農林水産委員長
の
要職
につき また国務大臣の重任にあたられた
議員従三位勲一等近藤元次
君の長逝を
哀悼
し つつしんで
弔詞
をささげます
—————————————
故
議員近藤元次
君に対する
追悼注視
土井たか子
3
○
議長
(
土井たか子
君) この際、弔意を表するため、
田名部匡省
さんから発言を求められております。これを許します。
田名部匡省
さん。 〔
田名部匡省
君
登壇
〕
田名部匡省
4
○
田名部匡省
君 ただいま
議長
から御
報告
のありましたとおり、本
院議員近藤元次先生
は、去る二月十六日逝去されました。
近藤先生
は、去年の一月半ば、当時の
宮澤総理大臣
に
内閣官房
副
長官
として同行し、
ASEAN諸国
を歴訪中体調を崩し、肋膜炎と診断されましたが、持ち前の
責任感
の強さから、猛暑の中を
PKOカンボジア派遣隊
の慰問を強行されました。帰国後、医師の本格的な治療を受け、二月の終わりには公務に復帰されました。私も何回となく無理しないように進言したのですが、何としても
責任
を果たそうという
決意
を翻そうとしませんでした。七月の総
選挙
で六回目の
当選
を果たしたのでありますが、暮れには病が再発し、
和枝夫人
を初め御
家族
、御兄弟が
文字どおり一丸
となって病魔に立ち向かったものの、そのかいもなく、ついに不帰の客となられたのであります。まことに
痛惜
の念にたえません。 ここに、私は、諸君の御同意を得て、
議員一同
を代表して、謹んで
哀悼
の
言葉
を申し述べたいと存じます。(
拍手
)
近藤先生
は、
昭和
五年六月、
新潟
県
佐渡
郡
相川
町にお生まれになりました。
新潟県立新潟工業高校
を
卒業
後、戦後
日本
の
建設
に役立ちたいとの
考え
から、
日本大学理工学部
で
土木工学
を専攻されました。
大学時代
には
応援団長
を務めて多くの人々を統率する術を学び、早くも将来の
日本
のリーダーとしての片りんを見せておられたとのことであります。
大学卒業
後、
郷里
の
佐渡
にお帰りになりた
先生
は、家業の
建設業
の経営に当たる傍ら、推されて三十一歳で
相川町議会議員
に
当選
し、次いで三十六歳で
新潟県議会議員
になられ、合わせて十八年間を
郷土佐渡
と
新潟
の
発展
のために尽くされました。 その間、
先生
は多くの県民から寄せられた切実な訴えや願いに心を動かされ、これらを
国政
に反映し、
政治
を真に
国民
のものにすることがみずからの使命だとの
決意
を固められ、
昭和
五十四年の第三十五回
衆議院議員
総
選挙
に「身近な
政治
の
実現
」を掲げて立候補し、見事初
当選
を飾られたのであります。(
拍手
)時に
先生
は四十九歳でありました。 本院に議席を得られてからの
先生
は、
予算
、決算、
農林水産委員会等
の
委員
、
理事
を務め、
地方議会
で培われた才幹を遺憾なく発揮してめきめき頭角をあらわし、その卓越した
調整能力
は万人がひとしく認めるところでありました。
先生
は、
郷里
の
新潟
県が
日本有数
の米どころであり、また
水産県
であることから、特に
日本
の
農林漁業
の安定に心を砕かれ、
平成元年
には
農林水産委員長
の
要職
につかれ、その温かく懐の深いお
人柄
と公正円満な
委員会運営
によって、
与野党
を問わず絶大な信頼を得られたのであります。(
拍手
) また、
自由民主党
にあっては、
国会対策
副
委員長
、
北方領土問題特別委員長
、
総合農政調査会
副会長、
農林部会長
、
財務委員長
などの
要職
につかれました。中でも
北方領土問題特別委員長時代
には、
国民
の悲願であります
北方領土返還
の
実現
に向けて、元住民の
方々
の生活安定を図ることや
国民
への啓蒙などを柱とする
北方領土
に関する
特別措置法
を
議員立法
で成立させる中心となり、早くも
政治的手腕
の確かさを強く印象づけたのであります。
先生
は、
国民生活
を支える
逓信関係
の
政策推進
にも大きな力を発揮され、
党通信部会地方政策委員長
として全国二万四千の
郵便局
を未来に向けて活性化させる
施策
の取りまとめに当たられ、そのおかげで、
郵便局
は今日、本来業務のほかに種々のサービスを行うようになり、
国民
から一層親しまれる存在となっているのであります。 さらに
先生
は、社会的に弱い
立場
の
方々
に温かい目を注がれ、日の当たらない
精神障害者
のために
社会復帰促進議員連盟
を創設されましたが、これは今では
精神障害者
の
家族
の大きな支えとなっているのであります。(
拍手
) この間、
政府
にあっては、
昭和
五十九年十一月、
農林水産政務次官
となり、翌年パリで開かれた第十一回
世界食糧理事会
に
政府代表
として出席されました。 その後、
平成
二年十二月には、第二次
海部内閣
において、その見識の高さとそれまでに培った経 験の豊かさを買われて
農林水産大臣
として入閣をされました。(
拍手
) 時あたかも、
ガット
・
ウルグアイ・ラウンド農業交渉
で、いつ米問題が焦点になってくるかという段階であり、
先生
に対する
期待
は極めて大きなものがありました。
先生
は、
ガット
・
ウルグアイ・ラウンド農業交渉
に当たっては、
日本
は
世界最大
の農産物純
輸入国
として
農業生産
の持つ
特殊性
や
食糧安全保障
の
考え
方などを強く主張していくべきだとの
立場
に立たれ、米については国内産で自給するという
基本方針
を堅持されました。このため、みずからが
ダンケル
・
ガット事務局長
、
マディガン米国農務長官
、
マクシャーリーEC農業担当委員
らと精力的に会談し、
日本
の
立場
を粘り強く主張し、説得を続けられたのであります。 一方で、
先生
は、
後継者難
に悩む
日本
の
農業
の将来に
危機感
を抱き、次代を担う若者が希望と誇りを持って
農村
に住み、
農業
を営めるようにしなければならないとの
考え
から、
むらづくり対策本部
を設置し、
農山漁村
を通じた美しい
村づくり
に尽力されました。また、
消費者
の
立場
をも視野に入れた
農政
の抜本的な
改革
を目指し、新しい食料・
農業
・
農村政策検討本部
を設け、
中長期的展望
に立って多様な
農業
の担い手の育成などの
基本課題
の
検討
に着手され、
日本
の
農政
に大きな足跡を残されたのであります。(
拍手
)
先生
は、
平成
三年十一月に
宮澤内閣
が発足するや、
宮澤総理大臣
にその
手腕
を買われて、
内閣
と党との接点である
内閣官房
副
長官
に起用され、
閣僚級大物
副
長官
として
国民
の注目を集めました。
先生
は、
国民
の
期待
にこたえて
与野党
との折衝から
政策
の
調整
まで、まさに
内閣
の柱として一年九カ月にわたりて粉骨砕身の
努力
を重ねられました。 とりわけ、懸案でありました
国連平和維持活動等
に対する協力に関する
PKO法案成立
を、昼夜を分かたぬ御尽力によって見ましたことは、
日本
がようやく国際平和のために積極的に
責任
を果たす姿勢を
国際社会
に示し得たという点で、歴史に残る偉業だと確信するものであります。(
拍手
)
先生
はまた、ミュンヘン・サミットを初め
宮澤総理大臣
の
外国訪問
にすべて同行し、
内閣
のスポークスマンとして活躍されましたが、
病気回復
後まだ十分とは言えない体を押して、去年四月、
アメリカ訪問
、オーストラリア、
ニュージーランド訪問
に相次いで同行され、
日本外交
のために尽くされたことは、
先生
の
責任感
の強さを示したこととしてまことに感慨深いものがあります。
自由民主党
が
政治
改革
問題をめぐって大きく揺れ動いた際、
先生
は常に、党内の対立を先鋭化させることなく
調和点
を見出すことに腐心されたのであります。
宮澤内閣
の柱として、これを
最後
まで支えられた
先生
の御心労のほどは察して余りあるものがあります。
先生
は、
内閣官房
副
長官
を離れられた後は、
自由民主党改革本部
の
運営機構担当座長
に就任し、病と闘う中で
最後
まで
日本
の
政治
のあり方を心にかけられていたのであります。 私は、
先生
の後を継いで
農林水産大臣
に就任し、米問題を初めとする
農林水産
の難問題に取り組みましたが、その間
先生
が
内閣官房
副
長官
としておられたことがいかに私の励みになったことか、終生忘れることはできません。 私は、
先生
と同じく
昭和
五十四年に初
当選
以来、
農林水産
、
逓信
、
環境問題等
を通じてすべての
政治活動
をともにし、兄弟同様のつき合いをしていただきました。
先生
を「
コン
ちゃん」と呼んで常に敬愛もしておりました。どんなときでも、
先生
がその大きな体を幾分前かがみにさせながら姿を見せますと、あたりに何やらほっとさせる温かい空気が流れました。
先生
は、まさに温厚篤実でありながら物事の本質をずばりとつく鋭さをあわせ持っておられました。
相手
の話をじりくり聞いた上で自分の意見をぽつりと言われるその
一言一言
に動かしがたい重みがありました。
先生
の
洞察力
の鋭さ、深さは天賦のものであると同時に、
先生
がこれを積極的に磨こうとした
努力
によるところもまた大きかったのであります。
先生
は、各方面にわたって豊かな
人脈
を築こうと努められ、そこから得たさまざまな情報を
もと
に的確な判断を下されていました。その
人脈
は、
与野党
の
国会議員
はもちろん、官民を問わず、また国外にも広がっていましたが、
もと
をたどれば
先生
の温かいお
人柄
がそのような幅広い
人脈
を可能にしたのであります。
先生
は、よく「愛と寛容」という
言葉
を好んで揮毫しておられましたが、まさに
先生
の
政治
の原点は、
国民
への愛情と
相手
に対する寛容にあったのであります。
先生
は、本
院議員
に連続して
当選
すること六回、在職十四年五カ月、
農林水産
、
逓信
、
環境
、防衛等さまざまな分野でこの
精神
を
政策
に生かすことに努められてきました。この間、
日本
の
国政
の進展に果たされた
功績
はまことに偉大なものがございます。(
拍手
) 戦後幾つかの曲折はありながらも順調に
発展
してきた
日本
は、今大きな曲がり角に立たされています。我々は、鋭い
先見性
と、どのような人をも包み込む温かい
人柄
とを兼ね備えた
先生
が再びその元気なお姿を、あの独特の「オー」という
一言
とともに我々の前に見せていただくことを
期待
していましたのに、永久にお目にかかることはかなわなくなりました。
先生
は行年六十三歳、このように前途あるかけがえのない
政治家
を失いましたことは、
自由民主党
は
もと
より、本院にとっても、また我が国にとってもまことに大きな損失と言わなければなりません。(
拍手
)
コン
ちゃん、十四年五カ月、私の人生の中で最も充実したときでした。
コン
ちゃんと
一緒
に、米価やマル優問題そして新
農政
の展開と、
日本国
の真に豊かな
発展
を目指し、身を粉にし、体にむちうって取り組んできたことがたくさんあります。
お互い信義
を重んじることに徹した友情が私たちの心のきずなを一層強固なものにしました。 この政局の中にあって、
近藤先生
ならどんな座標軸を見出すのかと、議論できなくなった今、まさに無念で悔しくてなりません。 今では、最愛の
和枝夫人
と
ボランティア活動
の支援で
一緒
に旅行したときの、
先生
の温かですがすがしい顔がよき思い出となりました。 名残は尽きませんが、ここに、謹んで
近藤元次先生
の人となりをしのび、生前の御
功績
をたたえ、心から御冥福をお祈りして、
追悼
の
言葉
といたします。(
拍手
)
—————————————
井奥貞雄
5
○
井奥貞雄
君
議案上程
に関する
緊急動議
を提出いたします。
平成
六年度
一般会計暫定予算
、
平成
六年度
特別会計暫定予算
、
平成
六年度
政府関係機関暫定予算
、右三案を
一括議題
とし、
委員長
の
報告
を求め、その審議を進められることを望みます。
土井たか子
6
○
議長
(
土井たか子
君)
井奥貞雄
さんの
動議
に御
異議
ありませんか。 〔「
異議
なし」と呼ぶ者あり〕
土井たか子
7
○
議長
(
土井たか子
君) 御
異議
なしと認めます。
—————————————
平成
六年度
一般会計暫定予算
平成
六年度
特別会計暫定予算
平成
六年度
政府閥係機関暫定予算
土井たか子
8
○
議長
(
土井たか子
君)
平成
六年度
一般会計暫定予算
、
平成
六年度
特別会計暫定予算
、
平成
六年度
政府関係機関暫定予算
、右三案を一括して
議題
といたします。
委員長
の
報告
を求めます。
予算委員長山口鶴男
さん。
—————————————
平成
六年度
一般会計暫定予算
及び同
報告書
平成
六年度
特別会計暫定予算
及び同
報告書
平成
六年度
政府関係機関暫定予算
及び同
報告書
〔
本号末尾
に掲載〕
—————————————
〔
山口鶴男
君
登壇
〕
山口鶴男
9
○
山口鶴男
君 ただいま
議題
となりました
平成
六年度
一般会計暫定予算外
二案につきまして、
予算委員会
における審査の経過及び結果を御
報告
申し上げます。 まず、
暫定予算
の概要について申し上げます。 この
暫定予算
三案は、四月一日から五月二十日までの
期間
について編成されたものであります。
一般会計暫定予算
の
歳出総額
は十一兆五百十四億円でありまして、
暫定予算期間
中における
人件費
、
事務費
などの
経常的経費等
について
行政運営上必要最小限
の
経費
を計上いたしております。 なお、新規の
施策
に係る
経費
は原則として計上いたしておりませんが、
生活扶助基準
の引き上げ、
国立大学
の学生の増募等、教育及び
社会政策上等
への配慮から特に措置することが適当と認められるものについては
所要額
を計上いたしております。 また、
公共事業関係費
につきましては、
暫定予算期間
中における
事業
の
継続的執行
を図るため、
一般公共事業
及び
災害復旧等事業
において
所要額
を計上いたしております。
歳入総額
は三兆八千二百八十六億円であり、
暫定予算期間
中の税収及び
税外収入
の
見込み額
を計上するほか、
建設公債
二兆四千七百億円の発行を予定いたしております。 したがって、七兆二千二百二十八億円の
歳出超過
となりますが、国庫の資金繰りについては、必要に応じ
大蔵省証券
を発行できることといたしております。
特別会計
及び
政府関係機関
につきましても、
一般会計
に準じて
暫定予算
が編成されております。 この
暫定予算
三案は、昨三月二十九日
予算委員会
に付託され、本三十日
藤井大蔵大臣
から
提案理由
の説明を聴取し、
質疑
を行いました。
質疑終局
後、討論、採決の結果、三案は、いずれも
賛成
多数をもって原案のとおり可決すべきものと決しました。 以上、御
報告
申し上げます。(
拍手
)
—————————————
土井たか子
10
○
議長
(
土井たか子
君) 三案を一括して採決いたします。 三案の
委員長
の
報告
はいずれも可決であります。三案を
委員長報告
のとおり決するに
賛成
の皆さんの
起立
を求めます。 〔
賛成者起立
〕
土井たか子
11
○
議長
(
土井たか子
君)
起立
多数。よって、三案とも
委員長報告
のとおり可決いたしました。(
拍手
) ————◇—————
土井たか子
12
○
議長
(
土井たか子
君) 本日は、これにて散会いたします。 午後五時二十七分散会 ————◇—————