○小森
委員 なかなか難しいということでございますが、そういう難しいことがいまだ実績を上げざるうちに、それにさらに加えて自社株の
取得に今回いささか道を開くということになると、
我が国経済が、先ほど来いろいろな
委員の方が御指摘になっておられましたけれ
ども、危惧すべきことがまた一つふえるのではないか、こういうふうに思うのであります。
民事局長が御答弁になっておられますことは、遠回しな答弁でございましたけれ
ども、大体言われんとすることは私もわかるわけでありまして、例えば三菱グループ、私が先ほど
株式の
持ち合い率が三五・五%だということを言いましたけれ
ども、この三五・五%というのは、三菱グループの中のAという
会社とBという
会社が相互に持ち合っておるというよりは、この三菱グループなんかは金曜会といいまして、社長会へ集まってくる
企業の数だけでも二十九社だと聞いております。この二十九社が複雑に絡み合いますと、それはまあ四分の一は、相互には四分の一よりはるかに下のところで抑えることができるわけでありますから、実際は議決権のところに余り影響がないのではないかというふうに私は見ておるわけであります。
そういうことでありますから、さらに三菱グループのことについて、今度は役員の派遣率というのを調べてみたら、驚くなかれ、役員の派遣率は九六・六%と相互に入り乱れております。そうなると、これはまあ
株式の持つ
意味の民主化とか
企業の民主化とか、もっと言うならば
企業の社会性あるいは社会的責任というのを、何人か強引な
会社の経営者がおったら、それはなかなか国民のサイドから見てうまくやってくれないじゃないかというようなことになると思うのですね。
国益からいうと、それが国際競争力に勝てる
我が国の一つのシステムかもしれませんけれ
ども、それでは憲法が言うところの「自国のことのみに専念して他国を無視してはならないのであって、」この憲法の精神を私は守っていないということになると思うのですね。
この数年間、例の湾岸戦争のときに盛んに、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」というのは、
日本が
外国に軍隊を送らないで、自分のところだけ平和で豊かにやっておる、それではだめだというような
意味に悪用されていますけれ
ども、
我が国憲法の精神というのは、「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」というのは、あの戦争によって物すごい被害を諸
外国に与えた、だから「自国のことのみに専念して他国を無視してはならない」、国際主義的な
考え方に立たなければならぬということを言っておるのでありまして、やはり
アメリカが少々腹を立てるのは無理もないと私は思うのですね、こういう
我が国のシステムでは。
ということを申し上げまして、そういった
我が国の基盤の上に立って日常生活しておる者の意識というものがどういうふうになるかということを、いつも私は人権闘争の
観点に立って、人権というのはすぐれて人間の意識の問題ですから、だから、いつもそういうことを考えるのです。
この際に、この
商法及び
有限会社法の
改正の提案
理由の説明のところで、まず
商法のところで出てきますが、「まず、
商法につきましては、第一に、
会社は、正当の
理由があるときは、定時総会の決議に基づき、
配当可能利益の範囲内において、発行済み
株式の総数の百分の三を
限度として、
使用人に
譲渡するために
自己株式を
取得することができることとする」「
取得した
自己株式は六月内に
使用人に
譲渡しなければならないこととしております。」こういうふうに、
使用人、
従業員持ち株制度という言葉が、
持ち株会とか持ち株
制度という言葉が先ほど来盛んに使われておりますが、こういうことに
法律が道を開くことから出てくる
問題点というのは、一体どういうことであろうか。
これは簡単に言うと
規制の
緩和でありますけれ
ども、言葉は過ぎるかもわからぬが、都合のいいところは
規制緩和をして、都合の悪いところは、いやなかなか複雑でありますので、なかなかうまくいかぬのですと言う。私は、今回の、一般的に各党が問題にしておる
規制緩和、それぞれ研究は始まっておると思いますけれ
ども、
規制緩和にはしっかりした哲学がないとだめなんです。
規制緩和すればいいというものではないのです。極端に言うと、公害問題なんかもっと
規制を厳しくしなければいけないのです。
ところが、
規制緩和が何か正義であって、それにもし刃向かう者がおったら、社会的不正義を主張しておる。まあ今の政治改革の議論もそうですけれ
ども、政治改革おかしいじゃないかと言うと何か不正義であって、いや、政治改革は政治資金の
規制がうまくできていないじゃないかというようなことを言ったら、何だかあいつは保守派だとか守旧派だとか、私は
日本で一番進歩的と思っておるのですけれ
ども、どうもそういう烙印を押されそうだということで、言葉がひとり歩きをするのですね、
規制緩和の問題についても。
したがって、この
規制緩和というのは、私がこれまでのいろいろな運動的取り組みの中でいたく痛感することは、これは
従業員、ここでは
使用人という言葉を使っていますが、労働者に対して、
会社に対する帰属意識を持たせて、
会社のやっておることが社会的に正当でなくても、
企業の社会的責任を十分に果たしていないようなときでも、要するに、おれは
会社の
株主なんだ、都合によって油にまみれて働いている、おれはれつきとした
株主なんだ、こういう一種の錯覚に近い、私はこれを哲学的には自己疎外と呼んでいますけれ
ども、おのれの
利益を忘れてしまって、自分の
利益を棚に上げてしまって、それこそ殉国の精神、我々は少年
時代には、天皇に忠誠を尽くすのを殉国の精神と言っておりましたが、殉国でなくて殉社精神ですかな、殉
会社精神に基づいて、専ら忠勤を励む。一種のこれは、私が恐れるのは、労働問題として、労働者が本当に労働組合法が保障するような労働者の権利というものを主張し得ないように少し骨抜きにしていくことになりはしないか、これを私は心配しておるのですね。
今ごろ労使対立なんか、これも
時代おくれだと言うかもしれませんけれ
ども、私はこれは
時代おくれじゃないと思いますよ。ソ連が崩壊したのは、ソ連の独裁主義的な政治形態が人々の権利意識というものをだんだん損ねていって、ああいう形で崩壊したと私は思っています。基本的に社会の中にあって利害の対立するものが、双方が平等な
立場に立って権利を主張し合うということは、これは要するに、洋の東西を問わず、歴史的な若干の時間的ずれがあったとしても、それは私は決して間違いではないと思っているのです。そういう
意味で、このことは、労使問題に悪い影響を持ちはしないか。
これに類似したことで、
会社に対する帰属意識というのは、大きな
会社は大概やっていますけれ
ども、提案
制度というものです。うちの
会社のどこをどう直したらいいか、ちょっと提案せいといって、私の知っておるある
会社、当時約三万人ほど
従業員のおる大
会社でありますけれ
ども、年間九十万件提案があるのですよ。三万人が年間九十万やるのです。だから一人平均三十件ぐらいやることになるのですね。それで、一番よい提案をしたと思われるものは賞金十万円なんです。一番つまらぬものでも、採用されたということになったら二百円なんです。たばこ一個なんです。それで、私が言うたことを採用してくれた、それだけでも
会社に対する帰属意識があるし、ひどいのは、作業現場のコンクリートがちょっとこげておるの、あれちょっと塗り直しておけよなんという提案をしたら二百円で、明くる朝行ってみたら塗り直しておるから、おらが大将じゃ、わしが言うたとおり聞いておる、こうなってくるのです。
それで、その
会社には実に立派な附属病院があるのですけれ
ども、
会社のために忠勤を励まなければいかぬといって、受診率が物すごく悪いのです。そして私は、その
会社の中の作業工程を視察するのに、労働組合の三役にずっと連れて歩いてもらった。そうしたら、労働組合の三役がどう言うかといったら、息ができぬほどのあのラインの中にもぐれて手を休める暇もなくやっているのですね、どうですか、うちの
会社、ようやっておるでしょう、こう言うから、一体労働問題の
観点から言っておるのか、どういう
観点から言っておるのかと思って、それは
会社の専務が言うのならわかるけれ
ども、組合の幹部が言うのにはわからぬなと私は思って、ちょっとがっかりしたことがあるのです。
これは要するに、労働者が経営者側の方に身も心もつまり吸い取られてしまうというようなことになりませんでしょうか。全然角度は違いますけれ
ども、私はそういうことは問題だと思うのですね。