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白川委員 そのハンドブックには細かく書いてあるから大丈夫だと。具体的なことを書いてある。幾ら社内のことといえ
ども、これは今度は逆にその社の横暴というものですよ。極めて抽象的なものしかない。そのかわり、今度この下にあるのはもうあれしろこれしろということをしていたとしたならば、それは社長の
報道の自由は
確保されるかもわかりませんが、本当に
番組を制作するプロデューサーや、実際のそこの担当する人の自由がなくなると思うのです。ですから、その大原則、抽象的なものは、みんな意図することはわかると思うのです。それをもう少しかみ砕いた準則というものがないといけない。そして、その準則をさらに具体的なところで個々の制作者が使って、できるだけ公正であろうとする、この努力がなかったら、今度は公正であるために、社長もしくは社が余り細かいことまで決めて、例えば政党間で寄るときはどういうふうにしろなんてばんと決めてしまったら、中間的な実はエッセンスがない中でそんなのを決めたら、それはまた極めて正しくない基準になるのだろうと思うのです。
それで、私も前から関心を持っていたのでいろいろなところを調べたのですが、私もまだ勉強不足ですが、やはり諸
外国は、我々のところよりも自由だとか民主主義という問題がかなり先に出てきている関係で、参考になるものほかなりいっぱいございます。
例えば「BBCプロデューサー・ガイドライン」というような相当膨大なものがあるわけでございまして、この中で、読んでもいいなと思うところが相当あるのですが、時間がございませんので……。例えば、このような基準を事細かに決めているということが参考になるのじゃないかというので、
委員の皆様にもお聞き取りいただきたいので、ちょっと幾つかのところを読んでみたいと僕は思うのです。
報道の分野では、
番組制作者は誤りがないよう細心の注意を払わなければならない。
ニュース判断はその場で一番の専門家によって下されるべきである。
ニュースの選択は社会の
一般的通念と、何が重要であり、何故重要であるかについての議論の上に立って行われなければならない。ひとつの
ニュースを伝える場合、疑問があったらとことん調べようという意欲を持たなくてはならない。
それから、
川口会長も似たようなことをおっしゃいましたが、
良いジャーナリズムとは
視聴者やリスナーが他人の
意見について
自分自身の態度をよりよく決められるように手助けをするものである。
最近の
日本のいろいろな
放送を思い浮かべながら、ああ、こういう基準に照らせば、あの人のああいうやり方は問題だなというのが思い浮かぶようなのがあると思うのです。こんなのはずばりだと思うのですね。
質問は明確でなければならないが、
同時に丁重でなければならない。インタビューアーは重要な留保や不満はすべて表明しなければならないが、敵対的な態度をとってはならない。
随分敵対的な
質問をするいわゆるインタビューアーもいますわな。
質問はすべての側に対して同じ調子で行わなげればならない。
それから、特におもしろいな、やはりこれはかなり考えた上で、しかもまとめたのですから、意味があると思いますよ。
すべての
意見は、その
意見が国の中でどの程度の深さと広がりを持っているかに焦点をあわせつつ、適切な割合で
放送に反映されなければならない。
こういう
考え方がないと、全党並べて全部一緒ということになってしまうのです。例えば、自民党なんかはそういうところに随分不満を感じましたが、「適切な割合で
放送に反映されなければならない。」「深さと広がりを持っているかに焦点をあわせつつ、」なんというのはなかなかいい言葉ですな、原文はどうだかわかりませんが、訳がいいのか原文がいいのかわかりませんが。これはBBCのプロデューサー・ガイドラインでございます。
それから、例えばこれはフランスの
放送法の第十三条でございますが、フランス語というのはなかなか味のある表現をしますね。「視聴覚最高評議会は、」
アメリカのFCCみたいなものですが、「国有
番組会社の
番組、とくに政治
報道番組における、思想・
意見の諸潮流の多元的表現の尊重を
確保する。」なかなかこれだけの文章は書けないと思うのですね。ただし、何を言っているのかよくわからない。これがわからぬと意味がわからないのですが。
フランスの「
業務運営規則」には、「会社」この
放送局、「会社は、
ニュース・
報道、特に政治問題の
放送において、CNCLの勧告を尊重しつつ、誠実性、独立性、多元性を保証する。」この「CNCLの勧告」というのがわからないものですから、具体的にはこれが何を言っているのかわかりませんが、これらを見るとかなり参考になることが書いてあるのじゃないかなと思います。
例えば、ドイツの州間協定の第二十条、「民間
放送は、その内容において本質的に
意見の多様性が表現されなくてはならない。政治上、世界観上、社会上重要な勢力および団体は、総合プログラムにおいて相応の発言の場を
提供されなくてはならない。少数者の見解は顧慮されなくてはならない。」こんなのが書いてあります。
ちょっと時間がないので、例えばこんなのもおもしろいと思うのですね。ドイツ、これは州がかなり決めているので、ノルドラインウェストファーレン州の
放送法の一部でございますが、その十二条の(二)に「いかなる
放送番組も、一方的に一部の
意見に肩入れしたり、一方的に特定の政党あるいはグループ、利益共同体、思想、信条に与してはならない。」椿さんなんか、これが問題になったわけですな。これを見ると、彼はまさに、彼がやったかどうかはわからぬですよ、今調査中なんですから、政治的に公平であっなかなかったかなんというのじゃなくて、椿さんのあの言動が、少なくとも頭で思ったことはこのものずばりに違反するわけです。「いかなる
放送番組も、一方的に一部の
意見に肩入れしたり、一方的に特定の政党あるいはグループ、利益共同体、思想、信条に与してはならない。」彼はくみしようと思ったんですね。五五年体制を突き崩すことがいいんだ、自民党をたたくことが今は正義なんだという、まさにこれなどに具体的に違反しているわけでございまして、あなたが政治的に公平であったか公平でなかったかなんというよりももっと具体的なことが実はここに書かれているわけでございます。
おもしろいので、私も勉強してそのうち本でも出したいと思うのですが、その前にひとつ郵政省出してください。
FCC、
アメリカですね。これは廃止されたとは言っておりますが、実は具体的に書いてあるから廃止せざるを得ない問題が出てきたということを忘れてはならぬと思うのですね。FCCの原則がなくなったというのは大間違いですよ。具体的に書き過ぎたからかえって問題が出てきたから、ちょっとこれは見直そうということなんですが、どう書いてあったかというと、「
放送事業者は公共的な争点の
放送に
放送時間の適正な比率をあてなければならない。」だから、比率がもう逆に決められてしまうわけです。例えば、原発賛成であるというと、反対の人にも一定の割合で出せ、しかしそれが、さっき言ったとおり広さと深さとの関係でバランスを感じていたから反対
意見の方を余計例えば
放送せざるを得なかったとか、そういうことで実情に合わないなということなんであって、抽象的で
意見がないからやめたんじゃないんだということは忘れてはならぬと思うのですね。
それで、実は今
アメリカの、これはなくなったけれ
ども、アメヅカ社会はどんどん訴訟を起こす社会でありますから、判例法上どういうのが、今
放送局がどうあるべきか、そして
放送の倫理、原則に違反した場合は実はどういう損害賠償を払ったとかというのを私は調べている最中でございますが、そういうのを調べないと、昔はこういうのがあったけれ
ども、FCCもこのフェアネスドクトリンも廃止になりました、だからもうそういうことは意味がないんですというのは全く的を外れている話じゃないかなと思います。
それから、例えばFCC規則七十三条、これはまだ廃止されていませんけれ
ども、「特定の公職の候補者を支持し、または批判するような内容の論説
放送を行った際は、二十四時間以内に他の支持されなかった候補者または批判された候補者に通知しなければならない」などの
規定がある。こういう具体的なことを書いているということが意味があるんだということを私は申し上げたいのです。これがいいか悪いかは議論の余地があると思うのです。ただし、具体的な基準があるということが、実は公平性がよりすべての人にとって具体的だということが言えるんだということなんでございます。
カナダもなかなかいいものがありますね、カナダも。これ、ちょっと長過ぎて、読むと時間がなくなるのでやめますが、要するにこういうことです。
さてそこで、いろいろなことがあると思うのですが、私が今申し上げたような形で公平性、これは何も法律でばんと書くものでもございません。私もそんな気持ちはございません。ただ、お互いに本当に公平性である、人から見ても公平性であるといっためには、準則に基づいて公平であるということが私は大事だということを申し上げたいのです。それが少なくても
日本の
放送やマスコミで十分でないことは、他の大勢の人が認めていいことじゃないかと思うのです。
ここへのアプローチの仕方は三つぐらいあるのじゃないかなと思うのです。まず何よりも、関係者が個々の
放送番組作成の中でいろいろな試行錯誤をやると思うのです。そして、時には怒られたりクレームをつけられたりすると思うのですが、そういう成功や失敗の過程で確立されてくる
一般的な準則というもの、これが積み上げられていく必要があるのじゃないかなと思います。
川口会長が、これは長い経験がありますけれ
ども、いいかおまえらこれに従えよということを百条述べたのでは、私はそれはやはり問題があるのじゃないかと思うのですね。こういうアプローチの仕方がある。ぜひひとつ
NHKでやってもらいたいなと思うのです。
二つ目としては、それぞれの国、民主主義、自由主義も、まだ世界で必ずしも確定された理想の自由主義、民主主義はないと私は思うのです。みんな試行錯誤の段階だと思うのです。それと同じように
放送の公平性、どこの国でも公平でなくてもいいなんて言っている国は一つもありませんが、これも多分各国が試行錯誤をして、我々よりも進んでいる国もあると思うのです。おくれている国もあると思うのですが、やはり諸
外国の試行錯誤を一生懸命学ぶ必要がある、これが
二つ目のアプローチじゃないかなと思うのです。
三つ目としては、
日本に
川口会長を初め学識経験者、こういう方がいっぱいいるわけでございますが、こういう方々の、本当の公平さとは一体何なのか、今
国民が求めている
放送とは何なのかという、そういう
調査研究が要るのじゃないのかな、私はこう思います。こういうものをやる、このことをバックアップすることを公権力でやっても、それは公権力が公平の内容を定めたということにはならないと私は思うのです。実際問題、諸
外国のいろいろな例を調べるなどということは、これはなかなか大変なことでございまして、役所がぜひやってもらいたいと思うわけでございます。
そんなことで、やっているかやっていないかはよく聞きませんけれ
ども、郵政省では、今言ったような問題は江川さんがもちろん専門なわけでございますが、さらにこれを具体的に担当している課はどこなのか、仮になかったら、今後どこにこの問題を担当させようか、ひとつお答え願いたい。
また、
NHK会長には、こういう問題はどこが担当し、どういう形で
充実していこうかということをお聞きしたいと思います。