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福田委員 細川総理が大事な決断をするときは、何かいつも時間がないような感じがするのですね。この日米問題も極めて大事なことであり、そのために
国民福祉税という大問題を真夜中に出した、それもいきなり出してきたというぐらい大事な問題であるということは十分承知の上で、相当な犠牲を覚悟してあの問題を出してきたというふうに私は思います。だけれども、どうも何か最後の詰めがいつも甘いような感じがいたしまして、そのことが実は心配なのであります。
それで、その会談をした後の記者会見、例の大人の
関係という話、これにつきましてはいろいろ言われておりますけれども、しつこいようでございますけれども、直後は財界もマスコミも大変もてはやした、本当に直後だけでありますけれども。しかし、翌週に円高になるというふうなことがありまして、何か非常に慌てていろいろな対策を講ずるべく動かれたというふうに、動くというか指示をされたというふうに承知しておりますけれども、細川総理の気持ちは、何か
日本がようやく大人同士のつき合いができる、そのぐらいの力がついたんだというふうな意識を非常に強くお持ちになっておられたのじゃないかというふうに思いますけれども、国際
社会で
日本が大人になったんだという意識を
日本人が持ったというのは、これは歴史的に言いますと二度目なんですね。
一度目は、日露大戦で勝利をした一九〇五年、その後なんですけれども、あのときも
日本人の意識が大変高揚したということがございました。私はそのことで思い出したのは、徳富盧花が「ああ
日本よ、爾は成人せり。果して成長せる乎」ということを言っているのです。要するに、
日本はいよいよ大人になったんだ、国際
社会で大人の仲間入りだということですけれども、これから果たしてうまく成長していくかどうかという心配も同時に込めてそういうことを言ったのではないかと思います。
そういうことを考えますと、何か歴史は繰り返すというふうな気持ちがいたしまして、実は私はそういうお考えについては心配もしているのですよ。
問題はこれからどうするかというふうなことでありますけれども、正直言って、今はスーパー三〇一が発表されるというふうなことで、何かちょっとまずい方向に一歩、まあ半歩かもしれませんけれども歩み始めたのじゃないかな、そのぐらいな
認識を持っていなければいけないのじゃないかな、こんなふうに思っているのです。
一九〇五年のころは、おもしろいのですね、これはエール大学の朝河貫一教授が
日本の経済的黄禍論というのがアメリカにも当時芽生えてきたというふうに言っています。エール大学でずっと教鞭をとっておられまして、アメリカのことについては詳しく知っている方がそういうふうに言っておりました。これは
日本が非常に危ないんだというふうなことを言っているわけでありますけれども、そのときに、
日本人は驕慢になってきた、こんなふうにも言っているのです。これはどうも私どもに対する大変な警告じゃないかな、こんなふうに私は思っておりまして、ぜひそういう方向にならないような
認識、御配慮をお願いしたい、こう思っております。
昨日、朝日新聞の世論
調査の発表がございました。これは二月二十七、二十八日の
調査結果でございますけれども、日米
関係は「うまくいっている」というのが二〇%、「そうは思わない」が六四%ということで、これは驚くべき数字であるわけでありまして、米国側が今どのように米
国民が思っているかということを
調査しましたらば、やはり似たようなことが出てくるかもしれない。ただ、アメリカの場合には
日本の情報というのは余り伝わりませんからそこまで深刻に考えていないというふうには思いますけれども、しかし、そういう傾向はアメリカ・サイドにもあるんじゃないかな、こういうふうに思っております。
私は、先ほどこれも
大臣言われましたけれども、
日本の世論とか
国民とか、その同士打ちのような対決が起こるということになりますとこれは大変なわけでございますので、ぜひそういうふうなことにならないようになるべく早い機会にいろいろな処置をとっていただきたい、こういうふうな
政治的な配慮をお願いしたいと思います。
本当の成熟した大人の
関係というのは静かな
関係の中で物事が進行すること、これは文化人類学者の青木保さんという方が二、三日前の新聞に書いておりましたけれども、そういうことではないかと思います。今はそういうことではないというふうに私は申し上げたいと思います。
細川内閣の外交全般でありますけれども、私は、細川内閣というのが
政治改革優先の内閣であるというふうなことでそっちの方に力を注いでおった、したがいまして景気対策も遅れた、その結果が今日の事態かもしれません。それと、外交についても、これも私からすれば不満であるというふうに申し上げなければいかぬ、こういうふうに思っております。
細川総理が外交面で目立つことをされたというのは、昨年の十一月に韓国に行って謝罪をされたということですね。それから、同じく十一月、直後でございますけれども、シアトルのAPECに出席をいたしまして、これはアメリカとアジアの取り持ち役というふうなことであったようでありますけれども、細川総理が何をされたか、何となくマフラーの写真が印象に残る、私にはこんなふうな感じしかしないのであります。それから、先般の日米経済協議で決裂をした、こういうふうなことであります。
実は、クリントン外交、クリントン大統領は一体どういうことをしてきたかということをちょっと調べてみたのでありますけれども、細川総理が就任されました後と同じ期間だけとりましても、昨年の九月に、イスラエル、パレスチナ解放機構の和平合意。これは調印式がワシントンで行われて、アラファトが出てきて、そして一緒に写真に写った、こういうことがございました。それから、十一月にはAPEC閣僚
会議が行われた。これはシアトルで行われたわけであります。まさにアメリカの顔を立てたような形になったわけであります。そして、十二月にはウルグアイ・ラウンドが決着した。本年一月になりましてNAFTAの発効があったわけであります。これも、昨年秋に、相当な
努力をクリントン大統領自身されているわけであります。一月初旬にヨーロッパを訪問されています。NATOの首脳
会議に出席したのでありますけれども、ここでは、それ以外に米ロの首脳会談をしておりまして、
ロシアをPFPに参加させるということに成功したわけであります。そしてまた、米、ロ、ウクライナの核兵器の廃棄について合意を取りつけております。
まだございますね。ベトナムの経済制裁の解除、それからまた今進行中の北朝鮮の核査察の実施、そういうふうなことで、今申し上げただけでも随分あるわけでございまして、
日本と米国の外交力の違いというふうに私は見ておるのでありますけれども、
大臣、どうですか。