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浦田勝君 まず冒頭に、
細川総理にこの
新聞をちょっと見てもらいたい。(
資料を示す)
細川総理に、これは足元になるが、
熊本県の
農民が
国会に乱入をいたしました。それから、これも
熊本です。今、
熊本の
生産農家の
農民が
熊本県庁でも座り込みをいたしまして、不当な今回の扱いに対しての
抗議集会をやっておるわけであります。
特に
熊本県の場合は、
細川総理に非常に期待する面が多かった。私自身も
総理に対しまして、
知事になられるときにも、本当にこの人は新しい時代を担う、これからのやはり
政治家というのはこういう人だなというふうに私は感じました。したがって、その
調整に当たっては、
幹事長という職責の中で私は、
細川先生と
沢田先生の間で県連は
調整をいたしまして、政争県
熊本の汚名を返上して円満に交代をいたしたことも事実でありました。
ところが
知事は、「権不十年」ということで、権力の座に十年もあることはまずいんだということで唐突としてお
やめになったわけです。三期
不文律ということになっておったわけでありますけれども、十年でお
やめになった。その深さというものには敬服もしたが、いささか私も驚いた次第でありました。もっともっと性根を据えて、せっかくおやりになった新しい
テクノポリス構想やあるいは新
農業政策、こういう
熊本県民のいわゆる
農業と工業の
産業が調和された県政ということで
日本一づくりをおやりになったその成果も上がるやさきにお
やめになられたわけでありまして、私はそのときなぜだろうかと思いました。
ところが、考えてみますと、やはり
総理は、非常に勇気があると申しますか
決断力があると申しますか、
自分が信じたことについてはだれが何と言っても聞かない、
自分の初心を貫く、こういうような
タイプの人だなと思ったわけでありました。
私は、
総理が
総理になられたときにびっくりもしましたが、喜びもしました。そして、
田中角栄先生を思い浮かべたわけであります。お倒れになる前でございましたが、二月の雪の降った日でございましたが、
細川という男は殿の中でもあれは本物の殿だ、
総理大臣になる男だよ、こう言われました。ここの中に入って、写真に出ておった連中も何人かは来ておったわけでありますが、みんな後になって、やっぱりなるべくしてなった人は本当になるんだな、こういうことでございました。
ところが、
総理がいろいろと御本の中にお
示しになっていろいろと言われておりますけれども、それはそれなりとして、
政治家にとってはそれぞれのビジョンがあるわけですから、
自分の思うことは本に書いたり言ったりしていいわけであります。しかし、一国の宰相となられてから、今回の米問題について全然本当の真実というものが語られなかった、
密室の中で来た。あるいは、我々は
情報を判断するのにやはり
新聞の
資料でなければ判断ができないという場面がたくさんあった。
九月のころから
政府はひそかにアメリカとの
交渉をしておった、あるいはまた十月には合意に達した、これはもうマスコミ、
新聞にも書いてあるからわかるわけでありますが、その中にまた、
やみ将軍と称する人がヨーロッパ、ECに行ってこの問題の解決に側面的な支援をしたとか、こういうことがあったわけでありますが、この問題について
骨子を我々にお
示しになったけれども、この
骨子が一から二、三までありますけれども、あの
骨子の後ろにあったものは全然表に出てこなかったわけであります。言うなれば、我々をだましたということであります。
前の
宮澤総理は、
うそつきだ、こう言われましたけれども、今回の
うそは大分違う。
宮澤さんの場合はやろうとして
努力をしてできなかったから
うそつきになったわけで、今度は最初から
うその
うそで固めて、二枚も三枚もやって
政府が発表してきた、あるいは
情報を横流ししてリークして
世論操作をしてきた、悪意に考えればそういうようになる。本来なら
細川総理はそういう人じゃない、真っ正面から堂々とおやりになるもんだというふうに私は信じておった。その期待の裏切りがこれなんです。
熊本県のきのうの演説をお聞きになったかどうか私は知りません。だけれども、彼らが言ったことは、本当に申しわけない、
熊本県知事だった
細川さんは
農業に
理解のある人だと我々は期待しておったんだ、しかし
日本農業を壊滅的に追い込んできた元凶となるということは我々としては憤りにたえない、また、したがって
全国の
農民に対して心からおわびをする、そのためには、
自分たちがみずからの
行動によって起こさなければ、これは本当に犠牲にならなければ
全国の盟友に申しわけない、ということでの
行動であったということであります。この点につきまして
総理の御感想を承りたいと存じます。