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吉村剛太郎君 今日の政治
課題で最大のものは、今続いております不況をいかに脱却するかということであろうかと思います。そういう折に、
通産大臣、また経企
庁長官に就任されましたお二人に大いにその腕を振るっていただきたい、このように考える次第でございます。
新しい細川政権になりまして、国会の
質疑はなるべく
政府委員の
方々に頼らないで政治家同士が討論をするように持っていきたいというようなことも言っておられます。そういうことで、私の方もなるべく各論を避けまして、きょうは総論に終始していきたい、このように思っております。それだけに、両大臣の生の声をぜひお聞かせいただきたい、このように思う次第でございます。
今申しましたように、今日大変な不況下であるわけでございますが、たまたま私は先日テレビを見ておりましたら、終戦直後のニュース、
日本ニュースでございますか、それが放映されておりました。一九四六年、七年、八年、そういう時代のニュースがありのままに放映をされておったわけでございますが、そういうものを見ておりますと、そこに映し出されております我々
国民の姿、また子供
たちの姿、本当に戦後の瓦れきの中で大変貧しかったな、こんな
感じを深くしておるところでございます。ちょうど、私は終戦の年は小学校一年でございます。
通産大臣とほぼ同じ世代ではないかと思いますが、学校に行くにははだしで通っておったというようなことでございましたが、それから見ますと、今日のこの平和で豊かな社会といいますものは、まさに隔世の感があるわけでございます。
今日そういう不況下といえども、
日本の今日の経済的豊かさは、我々
日本人があの太平洋戦争という大変不幸で過酷な経験をしたが、私が常々考えますに、そこには国としての大変なある意味では幸運と、またその後の
日本の政治を担った政治家の
政治的判断また決断がすばらしいものがあったんではないかな、このように思っております。
確かに、昭和二十年八月十五日、
日本はポツダム宣言を受理して全面降伏をしたわけでございますが、確かにあの戦争といいますのは不幸せなものでありましたが、幸運といいますのは、この
日本国土がいわゆる自由主義の国のアメリカに占領されたということが
一つの幸運であった、このように思っております。それと同時に、ドイツや朝鮮半島のように分断されずにほぼ一〇〇%自由主義の国のアメリカに占領されたということ、これは大変な幸運であったと私は思っております。
もちろん、御存じのように北方領土、これは本来
日本の領土でございますが、これは余談になりますが、八月十五日以降の八月十八日に
ソ連軍が千島列島の最北端に南下してまいりまして、九月五日までずっと南下してきたということでございます。したがって、本来ならば
日本国有の領土であるわけでございますが、それ以外はほぼアメリカに占領されたということでございます。北方領土の問題は直接この
委員会と
関係ございませんので、これはまた別の面で論じさせていただきたいと思いますが、そういうことで自由主義の国のアメリカにほぼ占領された、そして分断国家にならずに済んだということでございます。
そして戦後、瓦れきの中からいろいろと苦労をしてきたわけでございますが、昭和二十六年に時の吉田総理がサンフランシスコにおきまして単独講和、いわゆる自由主義陣営との講和
条約を結びまして、ああいう中で
日本を自由主義陣営の中に位置づけした。あの当時単独講和反対、そういう世論もたくさんあったわけでございますが、端然として吉田さんは
日本という国を自由主義陣営の中に位置づけをした。
そしてそれと同時に、もちろんその当時は米ソ両大国を
中心にしまして東西相対立した時代でございますから、
日本国民の生命と財産を守らなければならないということでアメリカとの安保
条約を結び、
国民の生命と財産、安寧をまず
確保したわけでございます。そして、その後
日本はまさに日米安保
条約のもと、アメリカの核のもとで、ある意味では防衛というものにそう気を使わずに、またお金を使わずに経済一本で進んでくることができた。その延長線上に今この
日本の平和と豊かさがあると私は思うところでございます。そういうことを考えますと、時の吉田さんの
政治的判断、決断といいますもの、まさに政治家の判断、決断というのはこういうものかな、このように思う次第でございます。
そういう
一つの幸運と、また幾つかの政治的な判断、所得倍増政策、また
日本列島改造論、いろいろなことがあるわけでございますが、いずれにしましてもその延長線上に今
日本のこの社会といいますもの、平和と繁栄といいますものは位置づけされている、このように思う次第でございます。
そういう中で、三十八年間自民党は
日本の政治をお預かりをしてまいりました。何も私が、自民党がよかった、このようにここで言うわけではございませんが、自民党が政治を担当し、そして折々にその路線上で打ち出しました政策に
国民の
方々が大変
協力をしていただいたおかげだ、このように思う次第でございます。そして、三十八年間の自民党政権に終止符を打ちまして、新しく細川政権が誕生をした次第でございます。
もちろん、細川総理もこの自民党政治を継承するということを言われでおるわけでございますが、そういう中で今歴史を振り返りまして、サンフランシスコ講和
条約からそして安保
体制といいますもの、それと今日の平和と繁栄といいますもの、こういうものについて
通産大臣はどう評価をし、どうお考えになっておるか、大臣の言葉でぜひ答弁をいただきたい、このように思う次第でございます。