○
参考人(
鶴田俊正君) 専修大学の
鶴田でございます。本日は
参考人として
意見を述べる
機会を与えていただきまして大変ありがとうございます。
お
手元に「二十一
世紀への
産業経済の
変化と
企業の対応」という私の
レジュメがございますけれども、この
レジュメに沿って
お話をさせていただきたいと思います。
私の問題意識は、
日本が国際
社会の中で生きていくためにはどういうふうな枠組みが必要なんだろうかということが
一つと、もう
一つは、
日本社会の中で市民、消費者と
企業がバランスよく共存していくためにはどういう仕組みが必要なんだろうか、こんなあたりに私の問題意識があります。当然、
日本の
経済の制度なり構造なり慣行の見直し、また
企業構造の
あり方をも
考え直していくと
ころが多々あるんではないかというふうな問題意識に立っております。
特に、私はこの何年間か、公正取引
委員会の中で政府規制等と
競争政策に関する
研究会というのがございますが、そこで座長を務めさせていただいて、政府規制の問題についてかなり勉強させていただきました。また、独禁政策につきましては、例えば流通問題
研究会の座長を務めさせていただくとか、折に触れて
競争政策の
あり方等について勉強させていただく
機会を与えられましたものですから、そういうものにも触れながら御
意見を申し上げたいというふうに思っております。
まず、問題の糸口として、ことしの文芸春秋二月号にソニーの盛田
会長が問題提起をされておりました。ちょうど一年前の去年の二月号にも盛田ソニー
会長が
日本の
産業社会の仕組みについてやや批判的な論文をお書きになり、それが大変話題になった経緯があります。ことしの文芸春秋では、ソニー盛田
会長がフォートレス・ジャパンという
概念を使っていらっしゃるわけです。フォートレス・ジャパンというのは要塞国家
日本という
意味でございまして、
日本の政治
経済システムは自由
競争の徹底あるいは
世界経済の
発展のためにブレーキになっている、こうしたシステム全体を要塞国家
日本と呼んだ、こういうことでありました。
盛田さんの論文に接しているときに、たまたま次のような新聞記事に接したことがあります。それは、ことし皇太子が結婚されることになっておりましたから、当時でございますが、もう既に結婚されましたけれども、そうしますと赤飯需要が増大するに違いない。ところが、モチ米が不足しているのでモチ米を輸入しなきゃならない。しかし、米を輸入するについては、国会の決議がございますから輸入できない。しからばどうするか。そこで、モチ米に砂糖を二〇%以上入れて調製品として輸入するんだというふうなことがございました。これは輸入してから砂糖を取ってしまえばちゃんとしたモチ米になるわけです。
その記事を読んだときに、有能な官僚がなぜそういうことに知恵を使わざるを得ないのか、やっぱりこういうところに要塞国家
日本を象徴しているものがあるんじゃないか。官僚はあすの
日本はどうあるべきかということを
考えるべきであって、砂糖をまぶして調製品として輸入するというのは堕落中の堕落だろうというふうに私は思ったことがあります。
これは
一つの感想でございますけれども、やはり
日本の
経済の仕組みを見ておりますと、どうも有能な官僚たちがいろんなつまらない仕事に携わって、あすの
日本を構想する暇さえもないんじゃないかという感を持っておりますけれども、それは後で申し上げます規制の問題に全部関係してくると思います。
それから二番目に、ソニーの盛田
会長は、
日本企業が
発展したほどには人々の生活は豊かになっていないということを言われております。確かに、生活環境とか住宅・通勤環境とか労働時間の長さあるいは内外価格差の存在など、
社会資本投資が必ずしも十分じゃないことを
考えますと、生活は豊かになっていないのかなという印象さえあります。
特に、今
小山参考人からるる
お話ございましたように、大変厳しい
不況下にあってなおかつ円高になっております。本来であれば、円高メリットが生活に反映できる仕組みがあればこれほどの
不況にもならなかったかもしれないし、あるいは消費者も実生活の豊かさをエンジョイできたこともあり得たんではないかと思います。しかし、なかなか円高になっても差益は還元できない。これはやはり
日本の仕組みのどこかがおかしいわけであって、それを改善しない限り人々が豊かさを実感できる
社会にはほど遠いなという気もいたします。
後でも触れますけれども、労働時間の長さ、最近では
不況で残業がなくなっておりますから、むしろ逆の問題があるのかもしれません。それにしても今は異常な時期でありまして、通常であれば労働時間も長いし、何よりも住宅・通勤環境が非常に悪い。通勤のために一時間半も二時間もかけなきゃならないというのが、これが本当の
人間生活なのかなというふうに思わざるを得ないところがあります。
三番目に、
日本社会の基本問題を
考えてみましても、どうも関係依存型
社会であって、いわゆる近代市民
社会の特徴でありますルール型
社会になっていないんじゃないかという気がいたします。
例えば政府と
産業との関係、これは政府規制制度によってかなり政府が
産業活動にコミットしている。また、
産業と
産業との関係を見るとカルテル体質が非常に強い。あるいは
労使の関係を見ましても過度に協調的過ぎる。そんな印象を持つわけであります。したがいまして、
日本の
社会の仕組みを見直しながら、こういう関係依存型
社会から、ある
意味ではマーケットでの機能に対してルールを決める、そういうルール型の
社会に転換していくことが必要だろうという気がするわけであります。
四番目に、
日本の
産業組織の特徴を見ますと、
日本は
競争社会だと言われますけれども、どうもそうじゃなくて
競争的な
部分と非
競争的な
部分が共存している、そういう二層の構造になっているんだという認識を私は持ちたいと思っております。
特に私たちの生活の周辺を見てみますと、いかにも当たり前のごとくなっておりますけれども、価格が横並びであるという現象が非常に強いと思います。例えばビールとか化粧品、医薬品、文房具、あるいは銀行手数料、証券手数料等々、周辺を見ますとこういう横並び現象が極めて見えるわけであります。しかし一歩、市場で
考えてみますと、これは市場
経済でございますからマーケットの中で形成される価格はまちまちであってしかるべきであって、むしろ横並びであること自身がおかしいのですね。それはやはり
日本の
社会の中においてそういう自由な取引なり自由な価格決定ができる仕組みというものが必ずしも十分に保障されてないなという気がするわけであります。
また最近では、談合入札、ラップカルテル、セメントカルテル等々いわゆる独禁法違反事件が頻発いたしました。まだまだ十分改善されたとは言いがたいと思うのでありますが、こういうカルテル体質というのは非常に強靱なものがあるなという気がするわけであります。よく指摘される
企業集団内系列取引というものも外国から批判されておりますから、この中でも実質的な
競争をどうやって確保していくのかということがこれからの大きな課題になってまいります。
そういうソニーの盛田さんが提起した問題に対して、じゃ
日本の
社会のすべてが悪なのかということを翻って
考えてみて、一体二十一
世紀に
日本が残すべきものは何であって、逆に改善すべきところは何かということを
考えるために、
日本モデルの特徴というものを多少
考えてみたいなと思います。
そこで、まず最初に
企業と
企業との関係でございますけれども、
一つの例としてトヨタとGMの生産台数と従業員の関係を見てみると非常に象徴的であろうと思います。ともに年間の生産台数が五百万台弱でありますが、従業員はトヨタの場合七・五万人であって、GMは実に四十万人いるわけです。これは
アメリカはいわゆる垂直的統合
社会であって、GMが部品生産を一貫生産しておりますから非常に人が多い。トヨタの場合ですと
社会的分業型といいましょうか、いわゆる外注
企業に依存して車をつくっております。そういう
意味では、GMとトヨタの車の生産台数と従業員の多寡の中に
アメリカ型
社会と
日本社会の特徴を示すものがあると思います。
よく
日本の系列は参入障壁が高いんだと言われますけれども、理論的に
考える限り、
アメリカのGMのように垂直統合している
企業の方が参入障壁が絶対高いはずであって、
アメリカの方は
日本の系列を批判しますけれども、
日本はなぜかGM
のような一貫生産型の
企業形態を批判しない、これは片手落ちだなという気がいたします。
そういう
意味では、
日本は
社会的分業システムでありまして、それは幅広い優良な中小
企業を
基礎とした分業が形成されているからでありますし、また
企業と
企業との関係では、長期継続的な取引の中で
お互いに情報生産をあるいは共有して
共同で
研究開発してすぐれた財・サービスを生み出していく。これはやはりこれからの
社会主義国、旧
社会主義国なり、あるいはASEAN等々、東南アジア諸国に対して伝え得る
日本からの有力なメッセージの
一つだろうという気がいたします。そういう幅広い中小
企業を
基礎とした
社会的分業システムを
発展させるということは非常に大事なことだろうということであります。
それからもう
一つ、多少崩れつつありますけれども、長期的雇用の慣行というのが
日本にあります。これもやはり
日本の
企業の
発展を
考えますと、例えば長期的な観点から人材育成が可能であるとかあるいは熟練技能形成においてすぐれているとか、また技術革新等々においても非常に効果を発揮するとかあるいは雇用の安定とか、いろんな面で長期的雇用の慣行というものが
日本的な特徴になっております。これなんかもやはり
企業が安定的に
発展するためには今後も維持されなければならない枠組みだろうと思います。
ただ、今回の
不況でこの長期的雇用の慣行というものは崩れつつありますが、しかし私は、やや楽観的かもしれませんけれども、
企業の中にはこういう
日本的な長所を残しながらこの
不況に対応しようという
考え方が依然として強いのではないかなというふうに思います。
こういう長期的雇用の慣行の中から、いわゆる品質を埋め込むという
日本独特のコンセプトが生まれてまいりました。
企業社会に参りますと、ラインの中でどこでも品質のチェックをしながら、ラインから車が出ていくときには完全に良質のものができている。これはある
意味では
アメリカ社会にない
日本社会がつくり出した
一つの
産業のシステムだというふうな理解もできるかと思います。
それから三番目、これは六、七年前にOECDによって統計的にも検証されているわけでありますが、相対的な
意味で分配の公正というものが
日本は図られているということであります。労働組合から
経営者への昇進ルートも開かれておりますし、また
日本の
産業社会ではインフォーマルな参加というものが大前提になっていて、それがQCサークルとか品質改善あるいは
現場主義へとつながっているんだというふうに言っていいと思います。これなんかでもやはり
日本の
産業社会の仕組みを
考えた場合に、後の
アメリカのモデルとの非常にいい対照的なポイントであろうという気がします。
それから、
企業内組合が
日本の
一つの特徴だと言われていますが、これには長短ございます。長所としては、
経営情報の伝達とか
経営と従業員との情報格差の是正とかそれなりにすぐれた面があるわけでありまして、問題点としては、後でも触れますけれども、カウンターベーリング・パワーとしての機能が弱いなということでございます。やはりそういう長所を残しながら改革をしていくということが
一つのポイントだろうという気がします。
それから五番目に、
経営者は長期的な視点を持てる。これもやはり
日本社会の
一つの特徴であって、そのことは成長分野に集中的に投資し、そして長期的な観点からの株主対策を実践できるというようなことでありましょう。
そういう特徴はございますけれども、この一ページの表題のところに書いてありますように、その根底にあるものは何かといいますと、
日本というのは信頼という財・サービスの流通する国であるということです。つまり、諾成契約の
社会であって、
お互いに了解することによってそこで契約が成り立つ。それは要するに
日本の
社会の中で信頼というものがビジネス関係なりあるいは人と人との関係、
企業と
企業との関係を
考える場合に非常に重要だということであって、これはそれゆえにこそ後での制度改革の重要性が出てくるのでありますが、ともかく信頼という財が流通する国であって諾成契約を非常に大事にする国であると。それは、
日本は単一民族の国だと言われますが、ルーツを探ると幾つもあると思いますけれども、その中で共通の
言葉を持ち、そして共通の思考様式を持っておりましたから、そういうものがビジネス活動の
基礎にあるんだということだと思います。
反面、
アメリカモデルの問題点は何かといいますと、その結論
部分からいうと信頼という財・サービスの流通しない国であります。ここが非常に
日本と対照的であって、したがって
アメリカから見ると
日本社会は
お互いが何か関係依存型であって、そして以心伝心といいましょうか、外から見ると排他的な
人間関係なり
企業関係ができているんではないかというふうに
考えがちなところになると思います。
アメリカというのはそうじゃなくて、人種のるつぼと言われるくらいに
お互いが知らない民族から成り立つ。また、
言葉が通じない場合もある。したがって、ともかく文書契約によって
お互いの
立場を確認し、そして
お互いの何を思考するかということを文書で確認をしながらすべての活動が行われる。ビジネスとビジネスの慣行においても非常に長い契約書というものが
交換されるわけであります。特にビジネス
社会ですと、将来の不確実性に対して対応していかなければなりませんが、将来起こり得ることを全部書いておりましたら相当長い契約書になっていく。それだけ全部読んでいたら切りがないと思いますけれども、ともかくそういう契約
社会だということであります。それは信頼という財・サービスの流通しない国だからだということであります。
また、
企業の中における
人間関係等々を見ても、ここに
テーラー・システムと書いてございますけれども、
人間を単純労働化しちゃって、要するに物を言わない
人間、要するに機械のかわりとして使うというような思考が非常に定着している国であって、それがある
意味では行さ詰まったのが一九六〇年代、七〇年代だったと思います。
それにかわるものが自動車の
世界ではトヨタ式生産方式だというふうに言われておりますけれども、そのことについていち早く気づいて、やはり
人間を
人間として取り扱おうというふうに発想を変えましたのがボルボの社長のユーレン・ハンマーという人であります。この人は「
人間主義の
経営」という本を書いたんです。つまり、労働を限界的資産のように取り扱うんではなくて、やはり
現場のことは
現場の人が一番よく知っているという発想に立っているわけですね。
特に、ボルボが
経営難に陥りましたのは一九六〇年代から七〇年代でありますけれども、そのときに
技術者と
経営者たちが集まってどうやってボルボを改善するかという議論をいたしましたが、結局何にもその答えは出てこない。そこで、
労働者に偶然のことから
発言の
機会を与えたところ、いろんな知恵が出てくるんですね。そこでユーレン・ハンマーが言うのは、
労働者は知恵の宝庫だと言ったことがあります。それ以来、ボルボでは
日本流のインフォーマルな参加が進んでいった。
こういう仕組みというものが少なくとも今
アメリカ社会にも
日本から取り入れるべきものの
一つとして導入されているわけでございます。数日前の新聞を見てもそうでありますが、かんばん方式が
アメリカの
社会を大きく変えてしまったという記事がございました。やっぱりそういうメッセージは、
日本から
アメリカなりあるいはアジア諸国あるいは旧
社会主義諸国ヘメッセージとして伝えることができるんだなという気がします。
それから、
アメリカ社会では
資本対労働という視点が非常に非協調的であって、どちらかというと対立的でありました。また、所得格差が非常に大きいことも言うまでもありません。八〇年代に自動車の輸入自主規制化で多くの自動車メーカーが独占レント、超過利潤を獲得しましたが、結局
それは
経営者が巨額のボーナスを獲得してしまうとかということがあったわけであります。そういうことはやはり
労働者の
企業への参加意識を損なうことになって、決してすぐれた面ではないだろうと思います。
それから、
企業経営者が短期的な視点に立っていることは言うまでもありませんし、また
労働者の部門間の移動を阻害するセニョリティー・システムというものもある。
また、
企業と
企業との関係を見ましても、
日本のように長期的な取引の慣行ではなくて非常に短期の取引という視点に立っておりますから、
企業を限界的資産のように簡単に切り捨ててしまう。つまり、
労働者に対してもレイオフ制度がありますから、
アメリカ社会というのはどちらかというと限界的
企業に対しても非常に冷たく取り扱うし、
労働者に対しても非常に冷たく取り扱う。そういう
意味では
日本が決してまねてはいけない
社会であるし、また
アメリカから見ると
日本異質論というのがございますけれども、
日本から見れば
アメリカ社会が非常に異質なんだなという気がいたします。
よく
アメリカの長所を語る方が
日本にたくさんおられますけれども、確かに
アメリカという国は市場
経済を大事にし、そして民主主義を原則としている非常に偉大な国家でございます。しかし、その
社会の中で、必ずしも
社会を構成しているすべてのものがすぐれたものではないし、少なくとも
産業社会の中では多くの限界を持った仕組みであったということを私たちは理解しなければならないと思います。
そういう日米の長短を見ておりますと、その中で
日本が改善すべきことは何だろうと。少なくともこの
日本の
社会の中で二十一
世紀に残すべきメッセージというものがあるとするならば、そういうメッセージを有力なものとしていろんな国に間違いなく伝えていくためには、その周辺にある制度、構造等々を改善していって誤解のない印象をいろんな国に与えておかなければならないだろうというふうに思うわけであります。
そこで四番目に、
日本の
経済システムの何を改善すべきかということでございますが、私はまず真っ先に申し上げたいことは、政府と
企業との関係を見直すというこの視点であります。
現在、細川内閣の中で規制緩和ということが政府の政策の
中心的なテーマになりつつあります。この規制の問題というのは、一九七九年にOECDの勧告がございまして、
日本ではそれ以来少しずつ手がけてきたテーマでございますけれども、冒頭に申し上げましたように、公正取引
委員会では一九八九年に大きなリポートを出しております。その当時はまだまだ規制緩和については恐る恐る
発言していたのを自覚しておりますけれども、しかし今では政策の
中心になりつつある。それだけやはり国際的な要請も強いし、国内からの規制に対する批判がそれだけ高まっているからだというふうに思います。この政府規制の問題というのは、言うなれば政府と
企業の関係はどうあったらいいのか、混合型
社会の中でどうあったらいいのかという点に尽きるだろうと思います。
政府規制の問題点は、大きくいえば生産者保護の仕組みであって、消費者
利益を軽視する仕組みだということであります。その中で幾つかございますが、
中心的なポイントは、
経済的規制に限定いたしますけれども、参入障壁があります。これは形式要件を問うだけではなくて、行政指導によってその参入障壁が異常に高くなってしまっているのが問題であります。
特に政府規制制度といいますと、現在GNPの約四〇%であります。第一次
産業から第二次
産業、第三次
産業、特に第三次
産業を
中心としてでございますけれども、付加価値の四〇%ですから大体GNPの四〇%と見ていいと思います。それだけ非常に多くの分野で規制が行われているわけでございます。
経済的規制では参入規制と価格規制が両翼でございますが、参入規制でも形式要件だけを問うならばさほど問題ではない。しかし、行政指導によってそれが人為的にゆがめられてしまっているところに大きな問題がある。
いろんな
企業の中で行政指導によって参入障壁が異常に高くなっていることに戸惑いを感じている
方々はいっぱいおられると思いますけれども、それがまず第一であります。
それから第二番目は、価格規制があります。価格規制によって横並びが一般化しておりますけれども、そのことが価格の硬直性をもたらす大きな遠因になっているということであります。当然のことながら
経営効率が反映されない仕組みでありますし、分配の不公正が発生いたします。先般大きな政治
社会問題になりました佐川急便さんの場合でも、結局は政府規制
産業でありまして、そういう規制
産業の中で独占レントが発生していることは私は
日本社会の分配を不公正なものにしていると思いますし、また既得権益を擁護するような仕組みというものが、実はこの六番目に書いてあります政官業のゴールデントライアングルと言われるものであって、これが結局は今崩壊しつつあるというのが私の認識でございます。
そういう
意味ではやはり制度改革を即刻行わなければいけませんけれども、その場合の視点というのは、消費者
利益を重視すること、
競争による効率化を推進すること、分配の公正化、透明性の確保でございますが、もう一点つけ加えるならば、納税者の負担を軽減するということが非常に大事であります。
多くの役所で本当に多くの人を抱えて仕事をしておりますけれども、
企業であったらばもっともっと効率性という観点から
人間の配置、
人間の数と質、あるいはすべての仕組みを問い直さなければ絶対に生きていけないと思います。官僚国家においてはそういう
競争がございませんから、むだな仕事をしながら存在しているものなんかかなりあるんじゃないか。例えば冒頭に申し上げましたけれども、砂糖をまぶして輸入すればいいんだというつまらないことを
考えて高額の月給をもらっているのは私は許しがたいなという気がするわけであります。やはり
日本社会のことを十分
考えながら月給をいただくというふうな
社会になっていかなきゃいかぬというのが私の基本認識であります。
この規制の問題を三つの視点から整理させていただきます。
一つは、混合型
社会でございますから、政府が
産業に対して何らかの監視をしなければならない分野がこれあるのは事実であります。例えば自然独占ですね、電力料金とか電話料金。こういう自然独占の場合にはやっぱり政府が価格を決めていくというのは大事であります。あるいは信用秩序を維持するためには、どういう
企業が参入しているのかということを政府は熟知している必要がありましょう。そういう
意味では参入規制というのはあってしかるべきでありますけれども、しかしその場合には形式要件だけを問う。例えば
資本金は何十億円以上でありなさい、それ以外に何も問う必要はないと思うんです。
ただ、
日本の場合には参入規制といって行政指導が行われていますけれども、それは需給調整方式といったり、あるいは資格要件を問うとかあるいは事業遂行
能力を問うという裁量、官僚の裁量性が余りにも多過ぎるというのが私の率直な印象であります。そういうところでは、例えば電力とかの自然独占
産業の場合には価格規制が必要です。ただし、この場合でも発電設備の参入を規制する必要があるのか。現在では自家発電をいろんな
産業でやっていますから、発電に関しては自由に参入できるようにする。あるいは信用秩序の維持のために参入要件を問うとしても価格規制が必要なんだろうか。つまり、政府が何らかの形で介入する必要がある領域においても
日本の現状は余りにも過剰規制が多過ぎるというのが私の認識であります。
それから二番目は、
経済学的に
考えても常識的に
考えても規制なんか必要のない分野でごてごて規制がある。
例えば酒類免許制度、なぜ酒類の販売店に免許を与えなきゃいけないか。そもそも免許制という
のは昭和十二年に日支戦争が始まったときに戦費調達のために入った仕組みでありますが、現在でも依然としてそれは使われている。戦前の税制は間接税方式でありました。特に物品税
中心でありましたが、そういう
意味では税収の安定確保という観点からああいう制度を入れたのは理解できますけれども、今なぜそれが必要なのか。大蔵省は酒の販売を自由にすると未成年者がアルコールを飲み過ぎるということを言いますけれども、だったらば未成年者飲酒禁止法があるんだからこれをきっちり適用したらいいじゃないか、罰則規定まであるわけでありますから。そういうものをルーズに運用しながら免許制でもってそれを代替しようということは非常にけしからぬなというのが私の認識であります。
そのほか、例えば倉庫業に対してなぜ参入規制、価格規制が必要なんだろうか。トラックも本当に価格規制が必要なんだろうか。あるいはタクシーも同一地域同一運賃であるべきである必要があるんだろうか。参入規制が必要なんだろうか。そういうものを逐次数え上げてみますと切りがないくらい必要のない分野に規制が入り込んじゃうという、これをやっぱり抜本的に見直すことが大事ではないかというふうに思います。
第三番目は、本来規制が必要だけれども、ほとんど何もしていないかしていてもルーズな対応しかしていないという点であります。
この点について
一つだけ申し上げますけれども、一両年来、証券
不祥事が起こりました。あれはなぜ起こったかといえば、マーケットの中で守るべきルールを監視する仕組みがなかったんですね。本来であればマーケットの中で自由に行動するのが原則でありますけれども、しかしその場合にはある一定のルールの中で行動しなければいけません。そういうルールを監視する機能というものがようやく大蔵省の外局にできましたけれども、しかし政策官庁と規制官庁が同一であっていいんだろうか。それ
一つを
考えても、本来規制があるべきところが非常にルーズになっていると思います。
規制に関してはこういう三層の問題があるわけでありまして、それをやはり改善していくことが非常に急務だということであります。
そのほか、そういうふうに規制を緩和するということは、独占禁止法によってマーケットのルールをもう少しきっちりつくることが必要でありますけれども、そうなりますと独占禁止法適用除外制度を抜本的に見直す必要があるわけでありまして、これも私どもの公正取引
委員会の
研究会で、独禁法適用除外制度の問題点、どう改善すべきかというリポートを二年ほど前につくってございますから、それを参照していただきたいと思います。
最後に、残された時間三分でございますが、
日本社会、
日本の
企業が二十一
世紀に生きるために何をポイントに
考えるべきか、過当
競争体質をどう改善するかということだと思います。
私の
言葉で言いますと、
日本という
企業は安直にリスクをヘッジできる
社会だったということが大問題であります。つまり、他の
企業に追随していって国内で売れなくなったら海外で物を売る、あるいは国内で困ると通産省に駆け込む、あるいはカルテルで
不況カルテルを結成する、お金がなくなるとメーンバンクに泣きつく。あるいは一番今の本題は、時間外労働時間を前提として生産計画を組んでいることが
企業の行動を非常に安直にしているんじゃないかという気がするわけであります。
したがって、安直な製品政策なりマーケティングなり、他者追随型、模倣型の
経営から脱出するためには、そういうリスクがヘッジできる領域を閉ざしていかなければなりませんけれども、今唯一残っているのが労働市場での問題であります。恐らく
日本は非常に長時間労働であって、特に残業がバブルの
時代に大変多かった。そのことが残業を前提とした生産計画を組ませ、そして
企業から見れば、生産量をふやすときには雇用をふやさなくていい、また調整するときには時間外労働だけをカットすればいいと、非常に安直な
経営ができるわけであります。そうじゃなくて、やっぱり本物志向、本物の
経営をするためには、
労働者の労働時間を大事にして大事に使う、そしていいものをつくって長期的に
経営を安定させていくということが私は必要なんだろうという気がするわけであります。
やはり
労働者といっても
人間でありますから、
人間としての生活を十分にエンジョイしながら、そして会社の中で生き生きとした仕事に携わるためには、やたらに時間が長くてはだめで、それなりの限られた時間、有限な時間の中で、少なくとも先般宮澤内閣で目指したような年間千八百時間ですか、そのくらいの範囲内でおさめるような努力をして、そしてどこの国からも
日本の
企業が批判されないようなそういう仕組みにしていかなければならないだろうというふうに思うわけであります。
したがいまして、結論的に申し上げますと、政府規制制度を見直して
企業のフロンティアを広げていくことが非常に重要なポイントでありますし、また市場のルール、独禁法をきっちり適用していくことがこれからの
社会では必要であります。また
企業は、いわゆる他者追随型でなくて、模倣
経営でなくて、本物志向の
経営に転換していくことが二十一
世紀に
日本の
企業に課せられた大きな課題ではないかなということだと思います。
ちょうど二時半になりました。御清聴ありがとうございました。