○
参考人(
廣野良吉君) どうもありがとうございました。
実は、この
ところしゃべり続けてのどをちょっとやられちゃっているものですから、座ったままでよろしゅうございますでしょうか。
本日は、二十一
世紀に向けた
日本の
責務ということにつきまして、
調査会の
参考人として
出席するようにという
お話がありました。私、どの
程度御
参考になるかわかりませんが、ふだん自分が考え、また行動している事柄についていろいろ
お話を申し上げまして
皆様方の御
参考に供したい、そう考えております。
皆様方のお手元に若干の論文を提出させていただきました。
お忙しい皆様方でございますのでお読みになったかどうかわかりませんが、ぜひ御
参考にしていただければと思います。
きょうは、実は
皆様方のお手元に今すぐ配付されると思いますけれども、私のきょうの
お話の簡単な
アウトラインを、
レジュメを提出させていただきました。その
レジュメに沿って
お話をさせていただきたいと思います。
私の簡単な
アウトラインは一応二つに分かれております。
一つは、二十一
世紀の初頭に向けた
世界の
状況がどうなっているのかということについて、
一つは
国際経済の面、もう
一つは
国際政治の面についてそこに記しておきました。それから第二番目は、そういう二十一
世紀初頭に向けた
世界の中における
日本の
責務ということについて、そこに
項目別に幾つか並べておきました。
私はもともと
経済学者ですので、
政治、
安全保障については余りよくわかりませんが、一応
政治、
安全保障の問題も
経済の問題と非常につながりがありますので、私のごくわかっておる範囲内で触れたいと思っております。
まず第一に、二に書いてあります二十一
世紀初頭に向けた
世界の
変化の
基本的方向ということについて述べさせていただきたいと思います。
まず第一は、
国際経済の側面でございます。
御存じのように、一九四五年に第二次
世界大戦が終結しまして、その中で台頭してきたのは当然
アメリカでございます。その
米国が巨大な
経済力、
軍事力、
政治力を持って、少なくとも四〇年代の後半から五〇年代、それから六〇年代の中ごろまではそういうような
米国の巨大な
経済的支配というものが強かったのが
世界経済ではないかと思います。
しかし、六〇年代の中ごろになってまいりますと、いわゆる
欧州共同体、当時
経済共同体と言っていましたけれども、当時のEECでございますが、それが台頭してまいりました。やがて六〇年代の終わりから、あるいは七〇年代に入ったころから、
日本が同じく大きな極として台頭してまいりました。そういう
意味で、七〇年代に入ってがらはまさに
日米欧三極
体制ができ上がったと言って過言ではないと思います。
その
日米欧三極
体制は、その後、八〇年代に引き継がれてまいりまして、そして現在の九〇年代に入ったわけでございますが、その
過程で非常に大きな
競争、
国際競争が激化してまいりました。そういう
国際競争の激化の中で、
かなり熾烈な一種の国家間の
経済的利益の追求ということがされるようになりまして、その名目はどうであるにしろ、
かなりそれぞれの国の威信をかけた、そういうような
競争が生まれてまいりました。それが実質的には例えば
日米間の
貿易戦争であるとか、あるいは
経済摩擦であるとか、やがてその後の
日米のいわゆる
構造協議という問題になりましたし、また同時に
日本と
EC諸国、あるいはまた
米国と
EC諸国の間の
お互いのそういう
摩擦というものに展開していったと言ってよろしいと思います。
八〇年代から特に強くなってまいりました
国際競争の激化、その中での
お互いの
摩擦、こういうものはもちろん九〇年代に引き継がれて、やがて二十一
世紀に引き継がれていくということは間違いないと思います。すなわち、
日米欧三極は今後においても
かなり貿易摩擦なりあるいは
経済摩擦というものをこれからいろんな形で繰り返しながら二十一
世紀に入っていく、こういうふうに言って差し支えないと思います。
そういう中で、実はこのロにあります
欧州連合、これはヨーロピアンユニオンということの
日本語訳でございますが、
御存じのようにことしの一月一日、ECの
市場統合ということによって、それの言ってみれば
経済的な基礎がつくられまして、
欧州連合が誕生してまいりました。と同時に、先日、
アメリカの議会によって、
かなり少数でございましたけれども、それにしましても一応
北米自由貿易協定が可決されるというようなことがありまして、
欧州連合の
市場統合とこの
北米の
自由貿易地域というものが九三年になってまさに本当に一歩を踏み出したと言ってよろしいと思います。この両者については、九〇年代がこれから進むに従って、いろんな試行錯誤はありますけれども、
欧州連合の
市場統合は今後も進んでいくと考えてよろしいと思います。
もちろん、
通貨統合とかいう難しい問題がありますので、この
市場統合がいわゆる
経済統合として一体化していくということはいろいろ困難がありますけれども、そういうことは当然最初から考えられていることであって、それにもかかわらず
欧州連合としてはそれを進めていこうという
一つの
政治的な決意があると考えてよろしいと思います。
それに対して、
北米の
自由貿易地域につきましては、もう既に
中米諸国四カ国ないし五カ国が一九九五年には
北米自由貿易協定に参加したいということを言っておりますし、また一九九七年にはアルゼンチンそれからブラジル、ウルグアイ、パラグアイ、現在もありますこの四カ国の
協定がやがて
北米自由貿易協定とつながるという
方向で今話が進んでおります。
そういう
意味で、
北米自由貿易協定は単に
カナダ、
アメリカ、メキシコだけでなくて、今申しましたように中米の五カ国及び南米の四カ国がそこに参加していくということが西暦二〇〇〇年までに起こってくるであろうということになりますから、これはまさに
北米ではなくなって、もう既に
米国大陸と申しますか、いわゆる
アメリカンコンチネント全体を占める
一つの
自由貿易地域の拡大ということが進んでいく。これが二十一
世紀の初頭にはますますその
方向が強化されると言ってよろしいと思います。もちろん、その
過程でいろんな難しい問題がありますので、そう簡単にいきませんが、その
方向を少なくとも
基本的方向として私
たちはつかんでおく必要があるのではないかと思います。
それから、ハとしまして、他方では
東アジア・
西太平洋地域ではどうかと申しますと、この
東アジア・
西太平洋地域には
欧州連合に見るような、あるいはまた
北米自由貿易協定に見るような、そういう
一つの
枠組みづくりというものは制度化されておりません。確かにAPEC、
アジア・
太平洋経済協力閣僚会議というのがありますけれども、これはそういうような制度的なものでもないし、また同時に、常にその中で
日本も主張してきたように、これは開かれた
地域主義というような言葉であらわされておりますように、
かなり開放的なものに持っていきたいという
考え方がありますので、
欧州連合やあるいは
北米自由貿易協定に見るような、確かにそれ
自身はまさに
域内での
自由貿易を志向しますけれども、対外的にはそれがいつでもいわゆる閉鎖的なものになり得るような、そういうものとは異なります。
そういう
意味で、
東アジア・
西太平洋地域におきましての
地域内の
経済協力をこれから考えていきますと、相変わらずこれは
日本自身も指導しておりますように、これはいわゆる
市場のメカニズムを通じた
格好での
域内の
経済協力の進展、それにプラスアルファとして
東アジア地域における
ところの
先進国並びに新たに生まれてきたより
先進国化していく
途上国、例えばシンガポールとか香港、あるいは台湾はこれは
地域でございますけれども、そういうものとか、あるいはまた韓国、そういうような
ところも
一緒になっていわゆる他の
途上国に対する
ところの
ODA、
政府開発援助を拡大していく、こういうような中で
かなり緩やかな
地域経済協力が今後も進展するものと思われます。
もちろん、こういう中でも、例えばマレーシアのマハティールさんが言うように、いわゆる
東アジア経済の何らかの連合体をつくるべきである、こういうような
考え方もありますが、それについてはいろいろな
意見がありまして、今の
ところはそれが完全に、すぐ実現するというものではないと思っております。
そういう
意味では、
欧州連合あるいは
北米自由貿易協定のような、そういう制度的な
枠組みのないままに
東アジア・
西太平洋地域においては、
日本、
欧州、ニュージーランドというような
先進国を
中心に、
あとASEAN、それからちょうどきのう、きょうと
日本の
外務省主催による
ところの
インドシナフォーラムが高輪プリンスホテルで行われております。そこから私参ったわけですが、そういう
インドシナをある
程度考えたような将来の
域内経済協力が今後も進展していくと。しかし、
制度的枠組みのない
格好で進展していくのではないかと思われます。ただし、
欧州連合あるいは
北米自由貿易地域の出方によっては、
東アジアにおいても将来何らかの制度的なより強い
枠組みを持ったものにしていくという
可能性もないわけではないと申し上げたいと思います。
他方、二で
開発途上諸国の一層の分化とありますが、
御存じのように、
開発途上諸国はかつてG77という
格好でもって
かなり力強い意気を見せた時代があります。しかし、これは一九七四年の例の
国連の
経済総会において、新しい
国際経済秩序の形成に向けてという宣言が行われ、また
行動綱領がつくられましたけれども、そういう中で、だんだんと
世界経済の
発展過程で、特に
東アジアの
途上国を
中心に非常に急速に
経済が
発展してまいりました。これは、私
たち今までいつも言ってきたことですけれども、ごく最近ではそのことをはっきり認めるという
格好で
世界銀行の「
東アジアの奇跡」という、ああいう
報告書も出たわけです。
そういう
意味で、
開発途上国の中では
かなり急速に
経済が
発展していった
国々、それから七〇年代の後半から八〇年代にかけて
かなり累積債務を抱えて大変な
状況になりましたけれども、その後の
国内の
経済改革を
中心に進展していた
ところのいわゆるラテン
アメリカ、
中南米諸国があります。そういうものとまた別に、
南アジア、これは八〇年代に入りましてからは大体三・二、三%の
実質経済成長率を示しておりますから、
かなり将来は成長するであろうと考えられておる
ところですけれども、特に九一年以降の
インドの新しい
経済改革の中で、その後の進展が
かなり期待されております。
しかし、
サブサハラ・
アフリカの
国々は、何といっても五〇年代、六〇年代とは違って、七〇年代以降
マイナス成長になり、あるいは
経済の低迷が続きまして、今やある
意味では
世界経済がら完全に突き落とされたというような感じの国があります。そういう国のことを考え、先日、
日本の政府におきましても
国連と
GCAというグループと
一緒に
アフリカ開発会議を東京でもって開催した次第です。
そういうふうにして、
開発途上諸国が
かなり分化していくのは、これからもまさに九〇年代を通じて起こり、二十一
世紀に相変わらず続いていくであろうと考えられます。そういう
意味では、
開発途上諸国が一丸となって、かつての
南北対決というようなものは到底見られない
状況になるんではないかと思われます。
それからホとしまして、
移行経済諸国の
経済的困難の持続という問題があります。これは、たまたま私
自身も非常に
かなり深くかかわってまいりましたのでちょっと申し上げたいと思いますけれども、一九八六年、私は
ベトナムに参りまして、
ベトナム共産党の
中央委員会で
市場経済の
移行の
重要性を
お話ししたことがあります。同じく八九年、
モンゴルに行きまして、
モンゴルで同じようなことをやりました。
こういう中で、確かにこれらの旧
社会主義諸国が
市場経済化の
方向を出してまいりました。こういうような
東アジアにおける
ところの
移行経済、中国もそういう
意味では
移行経済といってよろしいと思います。
政治体制は相変わらず
共産党の一
党独裁といっていいかどうか知りませんけれども、一
党政権でございます。そういう
意味で、
東ヨーロッパのいわゆる
政治的な
改革と
経済改革を
一緒に進めた、あるいは
モンゴルのように
経済改革と
政治改革を
一緒に進めた国とは違って、これらの
東アジアの旧
社会主義諸国はまさに
移行経済の
過程で
かなりスムーズにやっておりますけれども、そうでない
移行経済は
かなり経済的な混乱に陥っております。あるいは困難に陥っております。
この
状況は少なくとも
東ヨーロッパ及び旧ソ連の、特に旧ソ連のかつての
共和国がたくさんありますけれども、そういうものを見てみると、そんなに簡単に
移行経済が完結するというふうには考えられません。そういう
意味では、少なくとも最低これから七、八年はかけてじっくりとその
経済的な困難を解決していくということより道がないではないかと思います。そういう
意味では、二十一
世紀の初頭になっても相変わらず
移行経済はそういう困難な道を抱えるんではないかと思います。
それから最後に、そういう中で
国際経済体制の
枠組みがだんだん
変化してまいりました。ちょうどこの十二月十五日が一応
ウルグアイ・ラウンドの
最終日、これは
アメリカが一方的につけた日でございますけれども、こういう十二月十五日という
最終日を迎えて、今
世界のいろいろな
国々が、
日本もそうでございますけれども、
ウルグアイ・ラウンドの成功のため、特に農産物の面での
貿易自由化のためにいろいろやっておりますが、こういうような
貿易体制の問題、あるいはまた最近はいわゆる
ODA、
政府開発援助が過去のように急速に伸びなくなってまいりました。いろんな国が、特に
先進国が
国内の景気の低迷を迎え、また
国内における
ところのいろんな質的な
変化から、そう簡単に
ODAを拡大するということのできない
状況になってまいりました。そういう中で、これからの
ODA体制をどう持ったらよろしいかというような問題もこの中に入ってまいります。
また同時に、これは先日、イタリアのベラジオで
ODAの
専門家の集まりで私申し上げたことでございますけれども、やはりそういうような
ODAに対してある
意味での圧迫をするようないろんな動きがあります。それはどういうことかと申しますと、特にこれは後に出てまいります
国連の
安全保障機能と関係してまいりますけれども、いわゆる
PKOの拡大でございます。
世界的に
PKO活動が大きくなりまして、膨大な支出を要請しております。そういう支出はすべてほとんどが
先進国の負担になるわけであって、
先進国は当然そこでそういうようないわゆる
PKO活動と
ODAの二つを抱えて、どちらによりお金を出すかという問題に迫られている。典型的には
カナダ、デンマークがそういう
状況でございます。
こういうような中で、いろいろ難しい問題を抱えておりますのがこれからの二十一
世紀初頭に向けた
世界の
変化の
基本的方向と言ってよろしいと思います。
それから、
国際政治と
安全保障については私はもう本当に素人でございます。ただ、私の考えている
ところだけをこれは
項目別に申し上げるだけです。
まず第一に、
唯一の超
大国、これは
米国のことでございますけれども、
唯一の超
大国に対する
ところの挑戦がこれから続くであろう。いろんな国が
唯一の超
大国米国に対して挑戦していくであろうと思います。そういう挑戦する中で、
地域的な
政治大国が出現してくるであろう。現在、
細川総理は、
日本自身は当然いわゆる
地域的な
政治大国にはならないということを
お話ししておりますけれども、
アジア諸国、きょうの
インドシナ三国のための
国際フォーラムでもいろんな
アジアの国がたくさん出ておりましたが、好むと好まざるとにかかわらず
日本が大きな
政治的な役割を果たすことを要請されております。その中身についてはいろいろ
意見があるわけですけれども、少なくとも
政治的な役割を果たすということは要請されているわけであって、そういう
意味では
日本もこの
アジア地域における
政治大国にならざるを得ない、こういう
状況にあります。同じように、
ヨーロッパにおいてもそういうことが出てくると思います。
そういう
意味で、このイの問題がありますが、同時に口としまして、
皆様方も
御存じのように、
世界各地における
国内紛争、
対立が、これは
アフリカだけでなくて、もちろんユーゴスラビアあるいはまた
アジアでも、今までのいろんな形でもって、
インド国内で、アフガニスタンで、最近カンボジアの問題は解決しましたけれども、そういう
国内紛争、
対立の芽というものはあるわけであって、こういうものが今後はいわゆる
米ソ冷戦体制の崩壊とともに激化されるであろうというのが一般の
政治学者たちの
考え方です。
私はこれについてイエスともノーとも言えませんけれども、ただ
政治学者がそう申しますからそういう
方向になるのかなという、若干無責任な言葉ですが、素人として見るとそんな芽があるかなということも考えられます。となると、当然そこで
地域的な
安全保障体制の
重要性というのが出てまいります。これはいろんな
ところでこれからも議論されてくるんではないかと思います。
それから、ハとしまして、
国連の
安全保障機能の強化ということが行われてまいりました。特に、
ブトロス・
ブトロス・ガリさんが
国連の
事務総長になってからは
かなり積極的に
PKO活動に
国連が参加するようになりましたし、
PKOだけでなくていわゆる
ピースメンテナンス、あるいはピースクリエーティブと申しますか、そういう
方向まで
国連がいろんな機能を強化していく。アジェンダ・フォー・ピースという、「平和への
課題」というのを発表されましたけれども、そういう
方向で
国連の
安全保障機能の強化ということがこれからますます重要な
課題として二十一
世紀初頭に向けて起こってくるのではないか、こういうふうに考えます。
以上、二十一
世紀初頭に向けた
世界の
変化の
基本的方向ということを
経済とそれから
国際政治、
安全保障について、特に後者については簡単に触れるだけでございましたけれども述べましたが、じゃ、そういう中でこれから
日本の
責務というのを私
たちはどうとらえたらよろしいかということがきょうの私の
参考人としての重要な
課題だと思っております。
日本の
責務、これを
経済と
国際政治、
安全保障にまた分けますけれども、特に私は
自分自身が
経済学者ということだけでなくて、
日本というのは何といっても
世界の
経済大国でございます。もう既に
皆様方も御承知のように、
世界の
GNPの総
生産高、これの一四%ぐらいを
日本が今占めております。それから、
世界の
貿易の全体の一二%ぐらいを
日本が占めております。これは昨年のデータです。それから、
世界の
民間企業の直接
投資のうち、何と一八%が
日本でございます。そういう
意味で、
日本は
GNPにおいても
貿易においても、あるいはまた直接
投資においても非常に巨大な
経済大国になっております。
そういう
日本のような巨大な
経済大国、これは本当に大きな
責務を持っているわけでございまして、
日本が
国内的にどうするかどうしないかということ、これは
国内のいろんな問題、例えば
日本の予算をどの
程度、ことし、あるいはこれから二十一
世紀に向けて拡大していくのか拡大しないのか。あるいはまた、
日本の
国内のもろもろの
公共投資を今後どうしていくのかどうしていかないのか。あるいは
日本の
国内における
ところの雇用をどうしていくのか。あるいはまた、
日本の
国内の、特に老齢化していく
日本の社会において
健康保険あるいは
厚生年金、こういうものをどうしていくのかどうしていかないのか。こういうことを、
日本が
国内的にいろいろ決定する事柄がすべて
世界にいろんな形で影響を与える、こういうようなぐらいに大きな
経済大国に
日本がなりました。
そういう
意味では、実は私はこれが一番大切なものだと思っておりますけれども、一番大切な
日本の
責務は
日本の
経済の安定と
発展を目指した
国内努力をするということ、これがもう非常に重要でございます。これは
日本人にとって重要だけでなくて、
世界の国にとって重要である。これはもう本当に最も大切なことではないかと思います。
もし、
日本経済がこれから二十一
世紀の初頭にかけて何らかの大きな
混乱状態に陥る。
御存じのように、
株式市場が低迷する云々というのは、これ
自身は
一つの単なる兆候でございますので、根源的な
ところでいろいろ問題があるわけでございますから、そういうものを考えると、一体
日本経済は今後混乱するのかどうかということが
世界経済全体にとって非常に大きなインパクトがあるわけであって、そういう
意味では私は、
日本の
皆さん方のような
政治家の
方々すなわち立法府の
方々、あるいは行政府の
方々、あるいはまた
学者、
産業人、
労働組合、農民、すべて含めて
日本経済の安定と
発展を目指したどういう
国内努力をこれからしていくか。
しかし、この
ウルグアイ・ラウンドに見られますように、
米一つの問題をとりましても
国内のいろんな
対立もあるわけであって、そういう中でどうやって
日本経済の安定と
発展を目指した
国内努力を今後していくかということ、
国内調整をしていくかということ、これが非常に重要な
課題で、それが私は
日本の
責務の一番重要な点ではないかと思っております。
次に、ロの問題としまして、
日本経済の安定と
発展を目指した
国内努力をすることが重要ですが、同時に
日本の
市場開放と対外障壁の着実な低減ということがあります。これも私に一番目と同じように重要な
課題だと思います。
一九六〇年、私は
日本に
米国から帰ってまいりましたけれども、
米国から帰ってきたときからもう既に私は
世界経済の
発展のために
日本は
市場開放すべきであるということをずっと過去三十数年言い続けてまいりました。また、いろんな
意味での対外的な障壁はこれは削減すべきであると。もちろん、それは計画的に削減することしかできません。一方的に極端にやりますと混乱が起きますので、当然計画的にやることが重要です。そういうようなことで、いろいろ今までも主張してまいりました。新聞、ラジオ、テレビ、あらゆるものを通じましてやってまいりましたけれども、こういう
日本の
市場開放と対外障壁の着実な低減は二十一
世紀初頭に向けたこれから
日本の大きな
責務として考えなくてはならないと思います。時まさに
ウルグアイ・ラウンドの終結
状況にあるわけであって、そういう中で
日本はしっかりと
政治的な決断力を持って
日本の
市場開放並びに対外障壁の着実な低減もやっていくべきであると思います。
もちろん、
日本の
市場開放と対外的な障壁の着実な低減は、これは二つの目的で行うわけです。
一つは、そうすることで
日本の
経済、
日本の国民そのものがそれによって得するということです。と同時に、他方ではそれによって
世界全体の市骨開放、あるいは
世界全体における
ところの
貿易の自由化が促進されるということでございます。
一九三〇年代に我々がやったような、ああいうようないわゆる保護主義的なやり方、その中で
お互いに平価の切り下げを
競争的に行った、それが第二次
世界大戦につながりました。ああいうことは絶対あってはならないと思います。そういう
意味では、私
たちは非常に大きな
政治的な決断力を持ってこの
市場の開放と対外障壁の着実な低減、計画的な低減ということをしていかなくてはならないと思います。
ただし、この場合に重要なことは、
日本の
市場開放や対外障壁の着実な低減は国民
経済全体としてはよろしい、あるいは
日本の国民全体としては消費者の利益になります。
ところが、それによって損害を受ける人々があります。すべてのことには必ず表があれば裏があります。そういう
意味で、それによって損害を受ける人々に対しては当然得をする人々から何らかのそれに対する救済の手を差し伸べるということが重要だと思います。そういうことがない限りは、損害を受ける人々は最もこれは抵抗するでしょうし、その抵抗が
日本自身の国際的な
責務に反するだけでなくて、
日本経済そのものの今後の安定的な
発展にも反することになります。
そういうことのないようにするためには、一方で
市場開放を行い、あるいは対外障壁の着実な低減を行い、他方ではそれの
過程で損をする人々に対して、損をする
地域に対しては私
たちは徹底的に救済の手を伸べるということが重要であって、それをやらない限りうまくいかないというのが、これは私の信念です。これは我々
経済学からも説明できますけれども、まさに私
自身はシカゴ大学、自由
経済の学科を出ておりますから申し上げるわけじゃありませんが、私
たち自由
経済を尊重する者も、まさにそういう自由
経済の
過程で生まれてくる利益を特定の損するグループに対して配分するということの
重要性を常に訴えてまいりました。当然、そういう
意味では、もうこれは現在
ウルグアイ・ラウンドが最終段階に至りまして、言わずもがなかなと思います。
それから、ハの点でございますが、
日本の
民間企業の国際貢献に対する支援、これが重要です。
日本の
民間企業というのは、先ほど申しましたように、
世界の直接
投資額の一八%を占めております。これはあくまでも
投資額でございます。対外資産の保有高、それから
世界全体の雇用に占める
日本の企業の海外雇用の割合とか売上高あるいは利益、貢献、あるいはそれから生まれる
ところのその国に対する税金の支払い、あるいはその国における地方社会に対する貢献、
地域社会に対する貢献ということを考えますと、そう言うと失礼でございますけれども、実は
日本の
民間企業は
日本の政府以上に重要な貢献をしております。私は、そういう
日本の非常に活力ある
民間企業がそういう
意味で国際貢献をしておりますので、それを
日本の政府が側面から支援していくということは非常に重要だと思っています。
民間企業はもちろん自分の金もうけのためにやっていることです。ですから、当然これは自分の金もうけですから、彼らは自分のリスクでやっているわけですけれども、しかしその活動の反面で彼らは国際貢献をしているわけであって、その国際貢献に対して
日本がいろんな形で支援していくということは非常に重要だと思います。
例えばの
一つでございますけれども、そういう
民間企業で海外へ出ていく人々、
皆さん方がいつも困るのは自分
たちの子弟の教育の問題です。この点については、例えば私
自身の大学を含めてそうですが、そういう海外子女教育ということについて我々成蹊小・中・高・大学においてもいろいろやっております。こういうことがだんだん
日本でも行われるようになりましたけれども、これはたった
一つの例でございますが、そういう
日本の
民間企業の国際貢献を側面から支援していく、そういう
体制を官民ともにやっていくことが重要ではないかと思っております。
それから、四番目としまして、
途上国に対する
協力の拡大と質的向上でございます。これは私は
日本の
責務として特にきょう
皆様方に訴えたいと思います。すなわち、現在、
途上国に対する
ところのいわゆる
ODAというもの、これは
世界全体で今六百億ドルでございますけれども、その六百億ドルの
ODAのうちの百二十億ドルが
日本の
ODAでございます。そういう
意味で
日本の
ODAはついに現在では、ここ数年ですけれども、量的には
世界の第一位になりました。
日本の
ODAが大きな額になった、百二十億ドル。また、
世界で第一位になったということで、今、
日本の
国内ではもうそろそろ
日本の
ODAは拡大する必要はないんじゃないか、こういう声も聞かれます。しかし、ぜひ
皆さん方にお考えになっていただきたいのは、もちろんその当時の
アメリカと
日本との差はあります。しかし、私は一九四五年から少なくとも一九八〇年までの
アメリカのあの
ODAが
世界に占めた割合、あるいは
アメリカの
ODAが、いろいろ内容的に問題はありましたけれども、果たした役割というのは非常に大きなものがあって、そういうことを考えますと
日本はこれからも
ODAを量的にも拡大していくべきだと考えております。
もちろん
GNPの〇・七%という国際的な
一つの
方向、決められた
方向に達するのはこれは並み大抵ではありません。相当長い時間たっても達成できないかもしれません。現在〇・三二%、〇・三三%という
ところを動いておりますので、〇・七%になるなんということは到底ちょっとこの近いうちには考えられません。しかし、そういう
GNPの何%ということとは別に、自主的に
日本の
ODAを拡大していくということは、先ほど申し一ましたような
意味からも非常に重要でございます。
と同時に、
世界の他のいろんな
国々が今
ODAに対していろんな形でもって
国内的な制約からそれを削減、あるいは増大するのをちゅうちょするような状態になっております。そういう中にあって、私は
日本はできるだけ、例えば
一つの例を申しますと、
世界の
先進国の軍事費の支出、これは
GNPの四。八%が
世界の
先進国のいわゆる軍事費の支出の平均値でございます。それに対して
日本は一%なんです。
軍事力拡大のために
日本は
日本の
GNPを無造作に使ってこなかったということです。ということは、その分だけほかに回すことができるわけです。
それは、もちろん
日本の
国内の
公共投資とか、
日本の国民の生活の福祉の向上とか、あるいはその他老齢に対する
ところのこれからの対処の仕方とか、いろんな面で我々が
日本の
国内でやらなくちゃいけないことがありますが、同時に対外的にも
ODAという
格好で、
日本が軍事費に対する支払いを
GNPの一%にしている限りは相当の余裕があるわけでございますので、何とかして
日本は
ODAの絶対額を今後も自主的に増大させていくということに努めることが重要ではないか、こういうふうに思います。
そして、私は、
日本のように
軍事力でもって海外にいわゆる国際貢献のできない国、あるいはまたできないだけでなくてそうしたくない国、こういう国はやっぱり
経済の面でもって国際貢献していくことが非常に重要であって、そういう
意味で
途上国に対する
協力を今後も自主的に拡大していく、量的に拡大していくということが重要ではないか、こう考えております。
また、それと同時に質的な向上、これは非常に重要でございます。この点につきましては、いろんな新聞報道もありますので私がここで申し上げることはありませんけれども、
日本の
ODA自身は
世界的に
かなり私は評判がいいと思っております。しかし、評判がいいからといって、じゃ、すべてがうまくいっているかというとそうではなくて、当然そういう中で我々は質的な向上を今後も進めなくてはならない、こういうふうに考えます。特に、
世界の
ODA全体の伸びが低減しているわけでございますから、そういう中において
ODAの質的な向上は非常に重要でございます。特に、我々がいろいろな
意味でコントロールできる
ところのこの
日本の
ODAの質的向上というのは重要ではないかと思います。
そういう
意味では、その点で特にこれからの
日本の
ODAの
方向、どういう
方向に
日本の
ODAを持っていくのか。今までどおりにいわゆる
経済的なインフラ
中心でいくのか、あるいは社会的ないろんなセクターにもこれから
ODAをやっていくのか。教育、特に初等中等教育、保健、栄養あるいは環境、こういうようなことに
日本としてはこれからも当然拡大していくべきだと思いますし、その
方向が一歩一歩出ているのは大変うれしいことでございます。
と同時に、
日本の
ODAにおいては私はNGOというものが果たしている役割が非常に大きいと思います。いわゆる民間の非営利団体ですが、
日本でもついにNGOが三百五十を超えるほどになりました。こういうような
日本のNGO、ごく最近、これが一九八九年から拡大してきたわけでございますけれども、そういう非常にたくさんのNGOがありますが、NGOによる
ところのいわゆる
ODAの拡大、あるいはNGOによる自分
たちの民間資金を使った拡大、
途上国に対する
ところの
経済協力、これは非常に重要なことと考えております。それをまた
日本の政府も側面から支援する必要がある。
さらに、追加しますと地方自治体、私はたまたま武蔵野市でございますけれども、武蔵野市においてもそうですが、その他幾つかのたくさんの
日本の地方都市において今国際理解から国際
協力へという
方向に流れが変わりつつあります。昔は国際親善のための例えばシスターシティーの
協定とかということをやっておりましたけれども、今、市民はそれに飽き足らずに国際
協力へという
方向に動いております用地方自治体レベルでのそういうような
途上国に対する
ところの支援というものは拡大してきておりまして、これは非常にいい傾向でありまして、こういうことも今後ぜひ拡大していくことが重要ではないかと思います。それをまた拡大するためにも
日本の政府が側面から支援していくということも重要ではないかと思います。
それから、ホとしまして
移行経済に対する
協力の拡大と質的向上、これは
途上国と全く同じような面で私は強調したいと思います。ただ、
途上国と違うのは、
移行経済の場合には相当の
経済的混乱が今ありますので、どうしても一部の
途上国と同じように、いわゆる国際収支上のそういう緊急支援ということが例えばお隣の
モンゴルに対して
日本がやっているように重要でございます。しかし、いつまでも緊急支援だけをやっているのではなくて、やがてこれらの
国々の長期的な
市場経済への
移行並びに
発展のために我々がだんだんと
ODAを
方向転換していくということがこれらの場合にも重要ではないか、こんなふうに考えております。
時間がありませんのでその次に行きますが、そこにヘとトが逆になっておりますので、への方を先に申し上げます。これは地球的
課題、特に人口、難民、環境、エイズ、こういうもろもろの複雑な地球的
課題がだんだん拡大してきております。そういうような地球的
課題に対して
日本が積極的に対応していくことが重要ではないかと思います。
御存じのように、
日本は今まで既存のいろんな問題に対しては
かなり対応も懸命にやってまいりましたけれども、こういう地球的
課題に対しては
日本の対応というのはまだまだの感があります。こういう面で私
たちはもっともっと積極的にこれらに対して対応していくということが重要ではないか、こんなふうに思います。
もちろん、難民においては我が国をある
意味で代表するようにUNHCR、
国連の難民高等弁務官として緒方貞子さんが非常に活躍なされておりますけれども、ああいうような例に見るように、我々としてはもっともっと積極的に、単にお金を出すだけではなくて人的な面にも貢献して地球的
課題に対応していくということが重要ではないか、こういうように思います。
また、特に環境については、かつて
日本自身が環境、特に産業公害で悩まされた国であります。そういう
意味では、我々は
日本自身が開発した産業公害を低減するためのいろんな技術も持っておりますので、こういう環境技術の面からもいろいろ
日本が貢献していくことが非常に大事ではないか、こういうふうに考えます。
それから最後に、
経済の側面としましては、
自由貿易、
投資、通貨安定、対
途上国協力のための国際
体制の強化という面での
日本の
責務でございます。これは先ほどからちょっと触れておりますので、私、ここで特に申し上げる点は次の二点でございます。
それは、こういうような国際的な
体制はすべて、かつて一九四四年にブレトンウッズ
体制ができ、一九四五年に
国連ができました。そういう中で国際的な
体制というのができたわけですが、その一九四四年の
体制、一九四五年の
体制というものは今やもう時代にそぐわなくなりつつあります。そういう
意味で、私
たちは二十一
世紀初頭に向けての
世界のこういう
変化の中で、新たな微調整だけでなくて、もうちょっと鋭い
改革を含めて我々がこのブレトンウッズ
体制の
改革並びに
国連の
改革ということをやっていく。そのためにも、私
たちは単にお金を出すということだけでなくて、やはり知的な貢献をする、インテレクチュアルな貢献をするということが重要ではないか、特にその面での人を出すということが重要ではないかと思います。そういう
意味で、ぜひこの点で我々
日本の
責務としてこれをこれからますます強化していくようにしていただきたいと思います。
それから、時間がありませんので、最後の
国際政治、
安全保障、これは同時に私
自身も素人の分野ですから、ここに書いてあることだけを一言で説明いたしますと、そういう二十一
世紀初頭に向けた
世界の
変化の
基本的方向を考えた場合に
日本としてはどういう
責務があるかというと、私は何といっても
日本は核攻撃を受けた
世界の
唯一の国でございます。そういう
意味で、私
たちは
世界全体の非核化ということを積極的に進めていくべきだと思います。これは非現実的なことだと言われる方もいると思います。しかし、どんなに非現実的であったとしても、私
たちは自分
たちの良心に従い、一人一人の良心に従い、
世界全体の非核化ということを積極的にこれから言うべきであると思います。もちろん、核拡散防止条約についてもいろいろ難点がありますので、これを改善していくということも重要ではないかと思います。
それから、
地域的な
安全保障の面においても
アジアにおける確立がこれからだんだん叫ばれると思います。きょうの
インドシナフォーラムでも一部の
アジアの
方々からそういう御
意見がありましたけれども、そういうような
地域的
安全保障について
日本が少なくとも
アジアにおいてはより積極的な役割を果たすことが要請されていると言ってよろしいと思います。
そして最後に、
国連の
安全保障機能の強化において
日本がもっともっと積極的な役割を果たすべきだと思います。これは単に
PKOの面で
日本がこれからあるべき姿を追いかけていくというだけではなくて、
国連の
安全保障理事会そのものも含めて、我々がより新しい二十一
世紀に向けて
日本としては
世界の平和の確立のためにどういう
安全保障機能を強化したらよろしいかということを考えるべきだと思います。しかし、時間もありませんし、また私
自身これについても素人でございますので、きょうはここで終わらせていただきたいと思います。
どうもありがとうございました。