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国務大臣(
伊藤茂君) 率直な御
質問でございますので、私も
気持ちを率直に述べさせていただきたいというふうに
思います。
私もこの
大臣に就任をいたしまして、私の担当分野の大きな仕事でございますから、ただいま若干御紹介もございましたが、この間の
社会党のとった態度、そしてこの二十数年間にわたって自分は何をしてきたのか、どういうことだったのかということを含めましていろいろと振り返り、資料も読み直し、また考えてみました。
考えてみますと、
社会党がこの問題についてとった態度は三
段階あったと
思います。御紹介ございました当初の
段階ですが、いずれにいたしましても現実は、地元の農民からいたしますと、
空港計画が天から降ってきたみたいな印象をお持ちになったという
状況であったわけでありまして、私どもは、やはり安定した農業を営みたいという
気持ちで抗議と反対
運動が起こったという
経過だったと
思います。
あのときに、当時の
運輸委員会の先輩の
皆さんとも私ども
大衆運動にかかわる者も必死に勉強をいろいろやった覚えがございますけれども、
空港にそもそも反対という
気持ちではありません。あそこに
空港をつくるのが適切なのか、空路その他の問題も勉強して、そして羽田をもっと広げる方がいいのか、別のところがあるのか、いいのがあるのか、
航空政策あるいは
空港、特に
首都圏におけるところの
日本の玄関としての
空港の
あり方などについて、いろんなことを勉強した覚えがございます。頭からそれを否定するというふうな
気持ちではございませんでした。政党としてはある
意味では当然のことだと
思います。
もう一面では、火つけ役という
気持ちはございませんで、やはり政党ですから、現地で抗議、反対に立ち上がるさまざまな地元の
皆さん、農民の
皆さんを
支援するというのが
基本であろうということでございまして、言葉その他いろんなこと、文章の中にあったと
思いますが、そういう二つが
基本にあったというふうに私は振り返っております。
同時に、
空港が現実に進んでいくという
状況の中で、これを白紙に戻すことはできないというのも現実でございまして、また一面では非常に少数のといいますか、幅の狭い過激な
運動の方が表面化するという
状況がいろいろございました。私どもは当然そういう性格の
運動と共同でやるという立場ではございませんので、その面での区切りと申しましょうか、立場はきちんとすると。また、その前後に私ども、多くの議員の
皆さんが一坪地主になっておられたわけでございますけれども、それも解消いたしまして、所有者の
皆さんに全部お返しするという
措置をとったわけでございます。
そうして、最近と申しましょうか、この数年来でございますけれども、地元の
社会党の
皆さんあるいは私どもも含めまして、やはりいろんな
意味で新しい
段階になった。一番大事なことは、地元の
皆さんとのやはり共生共存という
関係でこれをどう仕上げるのかということではないだろうかということで、そのほか騒音問題や落下物やいろんな問題もございますけれども、大まかにはそういう方向で今考えているというわけでございます。
過去の誤りその他という御発言がございました。私は、政治家としてもまた担当
大臣としても人間としても素直にこの
経過をある
意味では真剣に振り返ってみるわけでございまして、やはり一つの不幸な
時代だったなという
思いを深くいたします。前
大臣も、それから先輩の前々
大臣も向こうにいらっしゃいまして、そしてこの二十数年間の
経過の中で政府のやり方も非常に御迷惑をかけましたということを率直にお認めになりまして、
反対同盟の方が、まあ一派ですけれども、その一言を早く聞きたかったと言って何か感動して二人で握手をしたというような姿も、話を聞きまし て、またテレビでも見まして、ああ非常にいいことになったというふうに思っております。
過去をどう振り返るのかという場合に、片っ方がすべてよくて片っ方が全部悪くてという
関係ではない、何か一つの
時代の反映としてあったというふうに私は思っております。その
経過の中で、もっとどうすべきだったのか、どうあるべきだったのかということを、常に過去を素直に振り返りながら、今やるべき新しい
展開について力を尽くして
努力をするというのが政治家としても人間としてもあるべき態度ではないだろうかというふうに思っているわけでございます。
そういう
意味でのことを考えますと、過去にそういうかかわりを持ち、過去を振り返りながらどうするのかというだけに、私はやはり特段の大きな責任というものを持ちながらやらなければならないという
気持ちでおります。