○曽根
公述人 慶応
大学の曽根でございます。
私は、四点に絞りましてお話をいたしたいと思います。一番目は基本認識、二番目は原理的な問題、三番目は
政党の役割、四番目はこの
法案では余り触れてない問題ということで、お話をしたいと思います。
一般に
政治改革というのは、安全保障や国際
政治のようなハイポリティックスでもない、あるいは貿易、経済のようなローポリティックスでもないという言い方がされます。あるいは現実の景気対策、規制緩和、税制改正、米という問題が緊急に迫っているではないか、こういう御
指摘もあります。しかしながら、
政治改革というのは、
政治を行い政策を実行に移すいわば基盤であります。インフラストラクチャーであります。このインフラストラクチャーであるところがゆがんだ土俵であったり、あるいは穴だらけのグラウンドであったりいたしますと、いかにすぐれたプレーヤーといえ
ども立派なゲームができないわけです。
そこで、このインフラストラクチャーという例えを申し上げましたけれ
ども、これは現実の
政治の場では
制度及びルールの問題になります。それと、どれだけよい政策あるいは
政党間の競争ができるかということは、また別の問題というふうに理解いたします。ただし、ルールの改正、ルールの変更というのは、ゲームの内容に大幅な影響を与えます。そこに
改革のねらいがあることも、また事実であります。
そして、このインフラストラクチャーの問題でありますけれ
ども、このインフラストラクチャーが
国民の信頼をどれだけ得ているかどうか、この
不信感ということが、
政治改革のねらいの
一つであるわけです。そういう
意味で申し上げますと、リクルート以来、
政治改革という問題が前面に出てきたわけですが、いずれもまだ決着はしていない、つまり具体的な解決はなされていないというふうに理解した方がよろしいかと思います。
既に、
政治改革をめぐりまして二つの
内閣がつぶれております。そういう点では、大変重い問題であります。つけ加えて申し上げれば、本
国会では
政府案と
自民党案の間にほぼ合意ができるところまで、私の観察では来ていると思います。それは、
海部内閣当時
提出されました並立案と現行連立政権下の並立案では、その
意味が異なっているのではないかというふうに思います。中には、中
選挙区でも
政権交代があったではないかという御
指摘がありますが、実は、
政治改革をめぐりまして党を割る勢力、党を割る
動きがなければ、政界再編、
政権交代はなかったわけでありますから、そういう
意味で
政治改革というのは、
日本の
政治において非常に重要な争点であることは間違いありません。
そして、現行連立政権下の
並立制というのは、いろいろな試算がございますが、
与野党間の競争というものがかなり拮抗しているという予測が多いと言うことができます。この点に関しまして、厳密に、
制度を変更しても
制度自体が中立性を保つということは言えないわけですけれ
ども、ある程度の可能性を持ちまして合意ができるのではないか。つまり、
制度はそれほど、どちらに得でどちらに損だと一言で言い切るほどの変更点はなかろうというふうに認識しております。合意の高い案でありますので、
自分の利害にのみ固執しなければ、私は合意ができるだろうと思います。
合意案というのはイコール最良の案というわけではありませんけれ
ども、この貴重な合意のチャンスを逃がすことはないと思います。あるいは、合格点を百点に近く設定いたしますと、あらゆる
改革案というものは
成立いたしません。そういう
意味で、この
政治のインフラストラクチャーあるいはルールというものを充実することによりまして、
政治のプレーが、ゲームが充実を増すということを期待するわけであります。その点では、そのプレーの水準というのは、
国民の意識にも左右されるわけですから、単に
政治家だけの問題ではありません。そういう
意味で申し上げまして、時計の針を逆戻りさせるようなことは、今の段階では控えた方がよろしいのではないか、こう認識しております。
既に、七
項目あるいは二十一
項目の相違点というのが出ておりますけれ
ども、これは
並立制の中での相違でありまして、小
選挙区と
比例代表という全く異なる考え方をこの場でいきなり
妥協せよという、そういう提案ではないわけであります。そういう点では、合意ができる代表的な例であります。
ただし、よりよい
制度というものは何であるのか。
制度変更という問題は簡単なものではありませんけれ
ども、実施をいたしまして不都合があったならば変えればよろしいのではないか、そういう覚悟で臨むことが必要なのではないかと思います。
大学の入試
制度のように、目まぐるしく頻繁に変わりますと、
学生は甚だ迷惑するわけでありますが、逆に言いまして、いかなる入試
制度でありましても、その
制度が想定いたしますすぐれた
学生、すぐれた入学者というのは必ずいるということも、これまた事実であります。そういう点では、柔軟な姿勢が望まれるというふうに思います。
ここで、少々原理的な問題を申し上げます。私は、
選挙制度に関しまして、四つの基準というものが必要であろうと思います。それは、公平、平等、簡素、選択の多様性という四点でございます。これは、税制を考えるときにも、あるいはそのほか
制度改革を考えるときにも、非常に
関係してくるわけでございますけれ
ども、特にこの点では、有権者の選択ということを重視しております。そういう点で、公平、平等、簡素、選択の多様性という点を主張したいと思います。
私がここで申し上げます
選挙制度というのは、得票を議席に転換するシステムというふうに簡単に理解しております。その点では、小
選挙区であっても
比例代表であっても、いずれもある種の転換方式でございます。その点では、得票イコール民意というふうに理解してもよろしいのですが、いずれの
制度も民意を反映する
方法であります。ただし、それぞれの方式には相当癖がございます。一方を世論の集約、もう一方を世論の反映という見方もできますが、いずれも得票を議席に転換するということでは変わりがございません。
ただし、
比例代表の思想的背景を申し上げますと、
比例代表がヨーロッパ大陸において導入されたときには、その背景には人種、宗教、言語などの
対立があったという点で、単なる小
選挙区では機能しないということがございました。それが
比例代表の歴史的な背景でございます。その点では、
日本には人種、宗教、言語などの非常に厳しい
対立というものは存在しておりません。そういう
意味では、
制度の選択においてはかなり自由度はあろうかと思っております。
次に、一票制か二票制がという問題について
議論をしてみたいと思います。単純に申し上げますと、一人一票制というのは個人の選好、好みですね、好みの第一順位をカウントする、計算するというシステムです。その票を平等、公平に扱い集計するというのが原則であると思います。ということは、各個人が持っております第二順位以下の好み、選好というものは全く考慮していないということになります。あるいは、一位と二位の差は無視をしているという前提であります。あるいは、
自分ではこの人を落としたいということを思ったとしても、それは投票にはあらわすことはできないわけです。これは
日本の
選挙、
日本だけではございませんが、
日本の
選挙の特徴として単記非委譲型投票の顕著な点でございます。
そこで、小
選挙区
比例代表制を考えるときに、一票制か二票制がという問題が出てくるわけですが、一票制の場合には、小
選挙区の選好第一位の候補者への投票をもって比例区の第一位ということを推論するという、非常に難しい問題がございます。本来、小
選挙区の候補者への好み、選好と、比例区の
政党への選好というのは違いがあるんだろうと思います。あるいは、両者の選好において形が似ていたとしても、両者は独立しているというふうに理解しております。
そういたしますと、すべての組み合わせということを、小
選挙区及び
比例代表のリストに載せる必要が出てまいります。リストに載せるということになりますと、それは事実上の二票制と同じことになってしまいます。ですから、一票制が生きるという場合は、小
選挙区と比例区の選好、好みが
一致した場合のみでございます。その点では、私は二票制の方が、有権者の選択の多様性ということに関しては生きてくるのではないかというふうに理解いたします。
ここで、選択肢の多様性と選択の多様性と、二つのことを分けております。特に小
選挙区になりますと、選択肢は間違いなく減ることになると思います。そこで、選択の多様性を重視するということになりますと、有権者の方が順位をすべてにつけるという
方法もございますが、この順位を全部につけるということなどを採用いたしますと、簡素という、先ほど申し上げました簡単であるという原則に抵触するわけであります。その点では、選択の多様性を生かすということでは、完全とは言えませんが、
並立制による二票を行使することによって、有権者の選好の多様な表現を確保するということが重要であろうというふうに思います。
比例制は、しばしば多様性ということに合致するという見方もありますが、これはリストを提供する
政党に候補者の選択を任せている
方法でありますので、有権者の選択の多様性が増加するということではありません。これは私は、比例というのはある
意味でお任せという
制度であろうというふうに理解をしております。
ここで、
並立制における理論的な欠陥と前から
指摘がございます、異なる理念に基づく二つの
制度をここでくっつけるということはいかがなものかというような御
意見がございます。それを、二票制を行使することで多様な選択が可能にならないかということが、
一つの工夫であります。これは、
選挙の際に、あくまでも
一つの
選挙であるということが明確になる必要があります。これは、ドイツなどは投票用紙に、これは
一つの
選挙でありますよ、あなたは二票持っていますという記述がある場合、それは明確になるわけですが、
選挙執行上は非常に工夫が必要になる点だろうと思います。つまり、同一
選挙で二つの
選挙を行うんではなくて、
一つの
選挙で
自分の意思を二つに分けて表明することによってその人間における選択の多様性をあらわす、有権者において選択の多様性を持つ、それを有権者が強く持てるような執行上の工夫がないかということが、
一つ提起する問題でございます。
それから、
選挙制度というのは、通常これは三つないし四つの基準から判断することができます。一番目には、いかに転換をするのかという転換の公式、方式でございます。二番目は議席の大きさ。三番目は票をいかに行使するか、その方式。この三つくらいが代表的な考え方であります。そうしますと、
並立制は、第一の基準で申し上げまして、二つの原理が採用されております。この点に関しては、
与野党案両方とも同じでございます。そうしますと、議席に関しましては、小
選挙区は一であります。そこで、比例区の方が全国単位と県別という二つの案が提案されております。投票
方法では、今触れました一票制と二票制の
対立がございます。そして、この
議論の延長として、総定数を幾つにするのかという問題が出てくるわけです。これを第四番目の問題として理解しております。
それで、第一の問題に関しては、相違点はないというふうに思います。その点で、
併用制と違いまして、比例の当選者の確定というのは基本的には名簿によるわけですから、両者の違いは一票制か二票制がということで、これは既にお話しいたしました。そこで、原理的な問題として、小
選挙区部分が三百、二百五十において決定的な
対立点があるのかというふうに考えるかどうかになりますが、私はこれは原理の
対立てはない、全体の
選挙制度の構成上の問題であると理解しております。そういたしますと、仮に二百七十五という
妥協案というのは、両方の原理を損なうことにはならないというふうに考えます。
むしろ、原理的な問題というのは、比例区における全国と県別の相違であります。比例の基本的な原理から申し上げれば、得票にできるだけ議席を近づける
方法ということが、比例のその特徴でございます。そういう点で申し上げれば、
選挙区の規模が大きい方がよろしいわけです。ただし、名簿の規模というのが同時に大きくなってしまうので、これは執行上の問題として出てくるわけです。ところが、県別比例というのは、小
選挙区との並立てはなくて、恐らく中
選挙区の代替案としては成り立ち得るものであるだろうと思います。すなわち、小
選挙区と中
選挙区を並立しても、私自身は
意味は余りないだろうというふうに理解しております。つまり、全部を県別比例という原則に立って案をつくるんでしたらわかるんですが、百七十一を県別にいたしますと、二議席区、三議席区というのがかなり出てきてしまうわけです。これを比例で行うのは、
制度の趣旨からいって、甚だしく比例の趣旨を生かしてないというふうに認めざるを得ません。
そして、小
選挙区を生かして、かつ比例区で少数党を救うとするならば、全国区の方が
意味があるというふうに理解いたします。本来、県別やブロックというのは、阻止条項を使わずにミニ
政党の乱立を防ぐという
意味が一方ではございます。そういう点では、三%阻止条項が入っていれば、全国区であってもその趣旨は十分生かせるものと理解しております。
それから、重複立候補に関しまして若干申し上げたいのは、これは両案とも惜敗率あるいは善戦率という工夫がございますが、小
選挙区の落選者を比例において当選とする根拠を今から決めておく必要があるだろうと思います。小
選挙区の当選者を比例の当選者確定に使うという
併用制であればよくわかるんですが、小
選挙区での落選者の敗者復活という
意味での重複立候補は、単なるこれは過渡期の問題である、移行期の問題であるとするならば理解できるんですが、恒常的な問題とするのかどうか、原則確認が必要になると思います。
小
選挙区では落選したけれ
ども、高位の得票をとったのであるから比例区では当選資格があるとしたのでは、比例区の地位が一段低いものになってしまいます。また、小
選挙区で落選させた有権者の意思を無視することになります。そのときに、小
選挙区でのいわゆる死票を救うという
意味であるなら、比例区そのものの導入の
意味が薄れてしまうわけであります。もしこのとき、
制度の趣旨を一貫させるとするならば、小
選挙区
選挙におきまして、小
選挙区代表としてはふさわしくないけれ
ども比例代表として認めるという有権者の意思表示が何らかの
方法でとられるならば、これは理解される
制度となるわけです、これは執行上非常に難しい問題があると思いますけれ
ども。
この案、両案を拝見いたしますと、基本は
政党による解決ということを目指した案と読み取ることができます。
選挙区
制度、
政治資金法、それから
政党助成にしても、
政党の役割を重視した案でございます。そのとき、
政党とはいかなるものであるか、具体的なイメージを早急に
国民に提示することが必要でありますし、それから、
制度改革によって
政党政治システムがどのようなものになるかも、
国民に示す必要があるというふうに思います。現
法案では、
政党の定義というのは、専ら
議員数が何名あるいは得票率が何%という、数による定義しかありません。そういう
意味では、
政党を一種のブラックボックスにしてしまうのは得策ではないわけです。政策立案、
選挙の主体、いかに責任を持つかということが、
政党の役割の重要な点になると思います。そういう点では、連立を含めまして、それぞれの
政党の具体的なイメージの提案、それから党内民主主義の手続といった問題の透明化、これが最も重要な点であるのではないか、私はこう考えます。
政党に関しまして言えば、
選挙は
政党が行うのか、個人が行うものか、あるいは小
選挙区の候補者の選定における決定手続、公認問題、あるいは比例区における名簿掲載上の方針はどうするのか、非常に重要な点がございます。
また、二点目には、
政治資金の受け皿を
政党にするということは、
政党がどれだけ責任を持つのかという点にかかっております。この点では、英語で、同じ責任でもアカウンタビリティーという言葉がございます。どれだけアカウンダブルなものになるのかという点が、公開制と透明性をどれだけ高めて
国民の
不信感を取り除くことができるのかということで、重要になる点であります。これは
政治資金、それから
政党助成に関しましても、
政党というものをいわゆるマネーロンダリングの
機関として考えてはならないというふうに思っております。
それから、
政党助成は文字どおり
政党に対する助成でありますが、公的な資金を仰ぐということは、腐敗防止ということと絡めて出てきた案であると思います。その点では、税金が使われている点におきまして、絶えず
国民の監視下に置かれるということは考えられるわけですが、その点に関しまして、自由な
政治活動という原理と
公的助成に基づく原理というのは、実は
対立する原理であります。そういう
意味において、献金を中心にするのと
公的助成を中心にするということでは、これはいわば
並立制でございます。両案がここで混在しているわけでございます。
この点に関しては、軸足をどちらに置くのかという点を明確にすることが必要なんではないか。そういう点では、もし
政党助成に頼るというのだったら、献金を一切使わずにゼロから出発するということも
一つの案でございます。これはかなり乱暴な
改革案でありますけれ
ども、そういう点はあり得る案だろうと思います。献金に関しまして申し上げれば、実は献金額あるいは献金よりも、やみ献金と言われる問題の方が大きいわけでして、この点に関しては、私は単に
政党助成あるいは
政治資金規制だけの問題ではなくて、やみ献金をどうするかという点が最大の問題かというふうに思います。
さらに一、二点つけ加えますと、本
法案には出ておりませんけれ
ども、
政党が政策立案能力を高めるということが今期待されているわけですが、もしそうであるならば、来年当初から採用されます、実行されます政策秘書というものは、
政党の政策立案能力の向上に使われるべきでありまして、個人秘書というよりも、
政党がシンクタンク機能を持つときの有力な人材源として使うことが望ましいのではないか、かように思います。
もう一点は、区割りに関しましてですが、区割りというのは実は人口動態、生活の実際に即したものでつくられることが必要なわけですが、現時点では人口比が平等であるといたしましても、将来的には人口変動が起きます。通常、人口の変化というのはS字曲線を描いて変化すると言われておりますが、それが増加時の数なのか、減少時の数なのかという点を見きわめる必要がございます。あるいは、人口比が一対二未満におさまらないときには、必ずしも行政区にこだわらずに生活空間を重視すべきではなかろうか。そのためには、国勢調査の統計区データやメッシュデータなどをもっと利用すべきであるというふうに考えます。そういう
意味で、人口統計学者や経済地理学者などの
意見を聞くことが必要かと思います。
以上、速やかな合意に向けましての感想と提言を申し上げます。(
拍手)