○衛藤(征)
委員 私は、
自分の反省も込め、自戒の念も込めて申し上げておるのでありますが、中
選挙区
制度そのものが疲労を起こし、あるいは
制度が悪いので、この
制度を変えれば
政治がよくなるというものではないような感じも私はするのです。
我が国におきましては、御案内のとおり、明治、大正、昭和と、大、中、小と三つの型の
選挙制度をそれぞれ経験をいたしました。問題は、その
制度にある
政治家のビヘービア、
政治行動、それにあるんじゃないかな、私はそのように思えてなりません。とりわけ今回、確かにいろいろのスキャンダル等々が起こってまいりましたし、また、
国民の
政治に対する
信頼というものは地に落ちておる、これも事実です。
そこで、我々注意しなければいけないのは、我々の姿勢、我々のビヘービア、行動、
政治行動、そういうものが大変指弾を浴びた。そして中央の
政治がよくないということで、結果的には連鎖反応で地方の方も汚染してしまっているんじゃないか、こういうような
指摘もあるわけでありますが、問題は、
制度が悪なんだからこれを取ってかえれば何かいいものになるかもしれないというような
一つの、何といいますか、置きかえといいますか、そういう風潮というものが出ておったのではないかなという感じが私はしてならぬわけです。
極端に言えば、中
選挙区
制度は悪い、小
選挙区
制度は善なるものだというような、とにかく今の
政治は悪いんで、とにかく
政治をいいものにしなきゃいかぬ、とにかく
政治を変えなきゃいけない。
政治を変えるということは、
選挙制度そのものをドラスチックに変えてしまうと、ああ変わるんだなという
期待感がここに生まれるだろう。意識革命ですね。それを私
たちは非常に過大に
期待し過ぎてはいないかという感じがいたします。私自身はそう思っているわけなんです。
問題は、時の
政府なり、時のいわゆるシャドーキャビネット、
野党なりのいわゆる統治能力といいますか、いわゆるガバナビリティーですね、それからリーダーシップ、指導力、その欠如が結果としてこういう
政治不信を生み出してしまった。これは否定できないと思うんですね。私ども三十八年間
与党の
立場で、
政府の
立場にあった。深く反省をします、私もその議員の一人でしたから。十六年間
国会議員としてやってきたわけでありますから、大変自戒もし、反省もしておるわけであります。
しかし、問題は、何か新しい
制度に変えれば新しい
政治が生まれる、そこに
国民の意識革命もできて、何か新しいものが新しい力を生み出し、善なるものを生み出すだろうというこの
期待感というものが非常に大きいわけなんですね。そのために、
政治家が、何か知らないけれども萎縮している面があるんですね。それから、何となく肩を張って、自然体ではない。堂々としてど真ん中を胸を張って歩くような、そういうようなさまが見られなくなってきておる。とりわけ、
選挙制度問題を論ずるときに、中
選挙区制のことに言及すると、もうそれは守旧派なんだというようなレッテルを張られることを大変恐れてしまっている
国会議員が余りにも多過ぎて、何かいびつになっているということを私は
心配しているわけです。
問題は、やはり
政治家たるもの、
政治家の存在がびんびん伝わってくるような、
政治家そのものの存在ですね。そういったものがあってほしいし、問題は、かつて風格のある云々と言われたけれども、やはり風格なりあるいは風圧を感じさせるような、そういうような
政治家の存在というものがあってほしいなと私は
自分でこう思っているわけなんです。
この前提に立って、いろいろとこれからの問題について申し上げたいわけでありますが、そのために、
コンセンサス型の民主主義よりも、何か多数決型の民主主義、つまりこれは英国型の多数決民主主義の方が、今の
政治状況から見ると、より強力なガバナビリティーとそれからリーダーシップを生み出すのじゃないかという強い
期待感があるわけですね。もっと言うならば、
政治が混迷している、混乱している、
政治が地に落ちている、こういう
状況の中で、だれもがもっと強いガバナビリティー、統治能力をみずからつくり出していこうという意識が非常に働いているんじゃないかという感じがしてならないわけです。そのことが強いリーダーシップのもとに
日本の
政治をよくしていく大きなともしびになっていくんだというふうな、そういう
考えが強くにじみ出ておる、現にある、こういう感じがしてならないわけでありまして、私は、だから結局、
制度改革とか
制度改正とかシステムを変えるとか、そういうことに余り目を奪われるのではなくして、もう少し自然体で、私
たちはこれから来る高齢化社会を、国際化、情報化、こういう環境の中でいかに国際貢献をしながら
日本国民の福祉を、
政治を、そして経済を、地域社会をより豊かにするかということを
考えていくべきではないか、このように思っております。
そこで、過去二十年間の西欧先進諸国の
選挙制度、これを小
選挙区
制度と、
日本の中
選挙区制はこれは比例
選挙と見ていいと思いますが、小
選挙区
制度と比例
選挙に分類して、経済成長率とかインフレ率とか失業率等々を、経済運営能力というんでしょうか、そういうものをいろいろと調べた学者がおるんです。これはカリフォルニア大学のリップハートという教授なんですが、いろいろ比べてみた結果、いわゆる小
選挙区制と、それから比例制と、どちらがまさっておったかと言ってみると、大差はない、小
選挙区であっても、中
選挙区制であっても、比例制であっても、それは大差はないんだということを彼は述べておるわけなんですね。私は、これはかなり、このリップハート教授のお
考えというものは的を射ているんじゃないかなと、私はこのように思うわけであります。
こういうときに当たりまして
我が国が、御案内のとおり、
世界でも珍しい、小
選挙区制と
比例代表制の二つの
制度を
一つにくっつけたいわゆる並立制をやるわけであります。また、この並立制というのは、
世界の中で韓国とかあるいはメキシコとかベネズエラとかセネガルとかマダガスカルとか、こういう大統領制をとっている国では
世界の中で五カ国のみがこの並立制を採用しておる、このようにも言われておりますし、ましてや議院
内閣制をとっておる先進諸国の中では、
一つといえども並立制を採用している国はない、こういう
状況にあるわけですね。そういう
状況の中にあって、私どもはあえてこの小
選挙区
比例代表並立制をこれから実験的に試みようとする、やるわけであります。
先ほども言いました、
我が国は大、中、小の
選挙制度を全部経験してきた。そして今回、全く新しい小
選挙区
比例代表並立制をテストしてみよう、こういうことなんでありますが、私は、これについてはよほど慎重に十分なる
議論を重ねてやる必要があるんではないかなということを申し上げたいわけなんであります。
例えば、今回の区割りについて、区割り案というものが今回は一体のものとして出されてないわけなんですね。大正十四年の
衆議院議員選挙法改正案あるいは昭和二十五年の
公職選挙法改正案、いわゆる
内閣が出した閣法、
選挙制度改革法律案には、
選挙制度改革の半分以上を占める、それ以上の大きな
意味を持つ
選挙区の区割りそのものが必ず併記されて出てきておるわけなんですね。大切なことです、これは当たり前の話ですから。それが今回区割り案が出てないということについては、私はいかがなものであろうかと思うんですね。
それは、
一つは、前
内閣、前
政治改革特別委員会で、とにかく与
野党そろって
政治改革をやろうという
一つの大きな
コンセンサスがあった。そして衆議院解散・総
選挙。
選挙のときにも、ほとんどの衆議院
候補者がそのことを訴えた。
政治改革をやります、
選挙制度改革もやりましょう、とにかく急がなければならない。そして連立八会派の細川
内閣ができました。細川総理も声を大にして、年末までには必ずこれを断行する、最近は、四
法案一括成立させる、こういうふうに述べていらっしゃるわけであります。
私は、時間がない、時間がないということで、少し急ぎ過ぎたのではないかなと思うんですね。やはり今次、この区割り案というものは一緒に出すべきではなかったのかということを申し上げたいのでありますが、
自治大臣、お
考えをお述べいただきたいと思います。