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鈴木参考人 鈴木でございます。
規制緩和について私の考えを述べよとのことですので、せっかくの機会ですから基本的な問題について、お
手元にレジュメを差し上げておりますが、それに従って
意見を述べさせていただきます。
その前に、私の
規制緩和についてのスタンスを御
理解いただくために、私の経歴を若干紹介させていただきます。
私は、昭和三十四年に製造業である旭化成に入りました。もう三十五年近くになります。このうち二十年ほどは、四つの事業
分野で販売の仕事をしてきました。この中には、新規事業で
規制とは全く無
関係のものもありました。しかし、百年以上の歴史を持って
規制でがんじがらめになっておる
業界もありました。ですから、
規制の持つ
意味というのは実務体験で知っております。
九一年から九二年にかけましては、第三次
行革審の
行政手続法部会と豊かなくらし部会の専門
委員をしました。後で申し上げますけれ
ども、
行政手続法は
規制緩和の
視点でもとらえておりました。くらし部会はもちろん
規制緩和がメーンテーマでした。現在では、
旭リサーチセンターというシンクタンクを預かっております。
本日は、以上の私の経験に基づきながら、主に製造業に携わっている一員としての
立場から
意見を述べさせていただこうと思います。
まず、本日
意見を述べさせていただくのは、お
手元のレジュメにあります五点であります。
第一点は、さきの
緊急経済対策での、九十四
項目ですか、その
規制緩和策に対する評価です。第二点は、
規制緩和の必要性に関する私の
意見でございます。第三点は、今求められている
規制緩和策は何かという点であります。第四点は、
規制緩和を進める上には、どういう切り口によっていったらよいかということでございます。第五点は、
規制を受ける側の姿勢の問題です。
まず第一点でございますが、
緊急経済対策に対する評価。
御承知のように、この対策は、八月十九日の閣僚
会議で、円高だとか冷夏という新たな要因が加わって、非常に深刻さを増しております今回の不況からの脱出の策として、円高差益還元とともに、緊急に措置を要する
景気対策として取り上げられたという経緯を持っております。
規制緩和というのは、従来事あるごとにその必要性が説かれてまいりましたけれ
ども、緊急の
経済対策として取り上げられたというのは、私は初めてではないかと思います。
問題は、これが当面の
景気対策になるのかという点でございますが、全くならないと言うつもりはありません。しかし、例えば手続の簡素化、迅速化というのをとってみても、
規制緩和としては必ずしも本質的なものとは言えないかもしれませんけれ
ども、今行われている金目の
景気対策というものを早く実行に移すためにも、早急に実施すべきものだと考えております。
しかし、今のこの九十四
項目では、極端に深刻化して、
最後の一線である人員整理にまで突入しかねない
日本経済の現在を救う方策とは、到底言えないと思います。この点については、
政府においても既に御認識のことと思います。ですからこそ、
緊急経済対策は、仕上がりの
段階では、財政、税制上の措置も加わって、
我が国の中長期的な課題の解決に向けての第一歩を踏み出したものとして位置づけられておるというふうに
理解をしております。
私も
規制緩和は、今大きく変わりつつある
日本経済の構造
変化を適切に促進するのに主眼があって、
景気対策としての側面は、無
意味とは思いませんが、主役ではないというふうに考えます。実は、このことをはっきりしておきませんと、
規制緩和に
景気対策という
役割を与えたとして、その
規制緩和がそれに対して無力だということがわかったときに、今後営々として進めなくてはならない
規制緩和というものに対して、
国民の失望を買うということを私は恐れておるわけであります。
この
規制緩和の
内容ですけれ
ども、この九十四
項目、従来、
臨調を初めとして数次にわたる
行革審などでしばしば指摘された事項が多いというのが私の第一印象です。
ただ、従来、
行革審等では随分小さな
規制の
緩和を出すのにも、各省庁にそれをのんでもらうのに随分な時間と労力をかけてきたということを考えますと、わずか一カ月で、その気になれば五十近くは新しい事項が出せるのだから、
総理のリーダーシップが発揮されるとここまでも違うものか、そういう好意的な評価もあろうかと思います。五十
項目というのは、私がチェックしたら大体新しいものがそれくらいということでございます。ただ、新しいものの中には意義がかなり薄いものが入っておるということもあわせて指摘させていただきます。
第二点としては、
規制緩和の必要性でございます。
今、
日本は、戦後の
経済の変遷過程の中で、平成景気を区切りとして新しいステージに移行しつつあるというふうに思っております。それは、
日本が西欧並みの成熟
社会に入ったということであります。この
段階に達した
経済では、
経済の再
活性化のために
規制緩和が何よりも重要になります。
現状を打破するためには、二つの点を考えなければいけないと思います。
一つは、成熟
経済のもとで低成長を覚悟して、そのためのリストラを図らなければならないということです。もう
一つは、資源がほとんどない
日本の生きる道は、世界に先駆けて新規技術の開発を行う、そして、他の国に従来の製品
市場のうち後進的な部分を譲っても、それでもなお加工貿易を続けるようにする、そのためにはどうしたらいいかといったら、先端
分野の開拓をしなければならないということ。そうするためには、
日本人が持っておる唯一の財産である勤勉さが何よりも求められている、そういうことだと思います。
この今申し上げた二点が今後の
日本の歩むべき道についての私の結論であります。
若干詳しく述べさせていただきます。
第一の、低成長を覚悟でそのためのリストラというのは当然のことでございまして、現在
産業界、特に製造業では大変な努力をいたしております。今回の不況は、私
どもも幾つかの不況を過去に経験してまいりましたけれ
ども、それよりはるかに深刻だというのが今までの不況を切り抜けてきた私
どもの実感です。今までは合理化だとか
効率化というので何とかしのいできました。しかし、今回はそういう前向きの手段だけではだめで、必要なら事業のある部分を切って捨てる、そういう覚悟も迫られております。
第二番目の問題は、
産業構造の調整が不可避だということです。すなわち、当面及び今後にわたって必要な課題は、行き過ぎた円高の原因となった貿易収支の黒字幅を適正な水準に抑制することです。そのためには当然、手段は輸出の抑制と輸入の促進ということになります。
今、製造業は円高のために
海外脱出をますます
推進しようとしております。一部にはその可能性がなくて、廃業に追いやられる者も出ようかというふうに思います。こういう国内製造業の空洞化というのは、個別
企業としてはやむを得ない生存のための選択ですけれ
ども、しかし、
規制や国境に守られた生産性の低い
産業や非貿易財
産業が、それだけが国内に残って、
国際競争力を持った製造業が
海外に製造拠点を移すなら、
日本経済にとっては大変な問題だと思います。
理由は、言うまでもございませんが、資源が全くと言ってよいほどない
日本としては、
国民生活
維持のためには、資源を得るために必要な外貨を獲得して、それで加工貿易をして、次の生産のための外貨を得る、それしか選択の道がないという事柄であります。この外貨獲得につきましては製造業が完全な主役であって、他のどの
産業もそれを補佐する以上の
役割を担うことはできません。
日本は、今までは技術開発を実は欧米に依存して、
日本独特のプロセス技術でその量産化と高品質化というのを進め、それで成功をおさめてきました。しかし、今は欧米にそういう新技術のソースを期待することは難しくなりました。なぜかというと、欧米には加工貿易国
日本のように、後進部分を他に譲っても、それでもなお外貨獲得力を
維持するために先端
分野の開拓をする、そういう事柄にシフトしていくという必要性が
日本ほど切実ではないからです。
こういう
状況にある
日本にとっての生きる道は、創造性を養って技術開発を世界に先駆けて、今度は自分の問題だという事柄で先駆けて実行する、そのためには
日本人の持つ唯一の資源である勤勉さを
維持する。突き詰めて言っても二つあると思います。別な言葉で言えば、先駆性と
競争原理の
確保という事柄であって、またさらに言えば、自立精神と自己
責任の確立だと言えます。
今後必死になってやらなければならないこういう
日本産業の構造
変化の妨げになるのが
規制であります。先駆的な
分野を開拓するのを
規制が妨げるという事柄が見られます。これは認められません。後進
産業の生き残りに手をかす
規制も構造
改革をいびつなものにします。これらの理由ゆえに、私は、徹底した
規制の撤廃を行って、製造業が何とかして
日本に残る基盤をつくることが必要だと主張しておるのであります。
規制緩和の必要性についてはそのほかいろいろ言われております。四つほど挙げてみます。
一つは、新事業展開への道を開く、今私が申し上げたことです。
二つ目は、
競争環境の整備が結局は強い体質の
産業をつくる、これも申し上げました。私は
規制業界での仕事をしたこともあると最初に申し上げましたけれ
ども、どういう感想かと問われるならば、これほどぬるま湯の中で楽な
業界はないというふうにお答えを申し上げます。
競争というのは、やっております当事者にとっては決して楽しいものではありません。楽しいところか苦痛です。
競争というのはそういうものです。しかし、そういう
競争によって絶えず
変化への対応だとか自律自浄のメカニズムが働いて、
産業として強いものになっていくのであります。
三つ目の、輸入促進と内外
価格差の解消、これも申し上げました。
四つ目が、
行政の減量は仕事、すなわち
規制減らしからということを申し上げたいと思います。
行政の減量というのは十二年前に
臨調のときからの課題でした。現在までに何が変わったのだろうかというふうに思います。我々の製造業は、今回のような不況のときには、まず管理部門の人減らしというものからスタートします。スタッフ部門というのは
成果を量的に把握することが難しいので、人があれば仕事をつくります。国家の管理部門である
行政というのも、本当はこのやり方で仕事をやらないと、仕事つまり
規制というものは減らぬと思います。しかし、なかなかこの理屈が通りません。ですから、この際、
規制緩和を思い切ってやっていただいて、
規制緩和の
成果だけでなくて
行政の減量、そういう
行政改革の最大の課題の達成も期待したいと思っております。
第三点は、今求められている
規制緩和は何かという点であります。
法律は
国民生活に対するルールであって、そのルールは
許認可という方式で実現されていく場合が多いということがあるから、よかれあしかれ、
法律のあるところに
規制があるのはある
意味では当然です。その数は一万九百四十二件と言われておりますが、私は、数だけを問題としませんけれ
ども、数に対して無
関心または鈍感であってはいけないと思います。この前の九十四
項目も、考えてみれば、一万九百四十二件の中の九十四
項目で一%にも及びません。
規制が
経済と
国民生活のさまざまな
活動の自由を奪っているという事柄を考えますと、まずもって数の
削減を行うのが第一歩だと考えます。
それから、
規制は大物からまとめてという
考え方の必要性を強調しておきたいと思います。小さな
規制緩和の数合わせだとか大きな事項の小骨
一つというのでは、
規制緩和はかけ声倒れに終わってしまいます。
規制緩和の本質というのは、成熟国家となった
日本の再
活性化にあります以上、今
日本経済の中で
活性化していない大きな
分野とは何だということを考えて、それの徹底した構造
改革が必要かと思います。
そういう
活性化していない大きな
分野として私に挙げさせていただくならば、農業の
分野、
金融の
分野、電力のエネルギー
分野等があると考えられます。これらの
分野はいずれも
日本経済社会の中核にありますけれ
ども、ともに
活性化がおくれております。いずれも特徴は、コスト・プラス・フィー的な方式が
規制の中で守られており、そして、国家なのか
民間なのかがはっきりしないという点です。また、通信や交通の
分野も、
日本の高度化のために一層
活性化に取り組むべき
分野だというふうに考えます。地ビールも結構ですけれ
ども、取り上げるならば、こういう大きな
分野に取り組んでこそ初めて
国民が
規制緩和の本当の
意味を
理解することになります。
第四点として、
規制緩和を進める上での方法について述べます。
規制緩和は、その最大の
項目としての
許認可の
見直しが系統的に論議されて実践に移されていったのは
臨調以来だと言ってよいと思います。その
臨調と、それからその後の数次の
行革審での
許認可削減の方向を眺めてみますと、二つの方法論が浮かんでまいります。
第一は、具体的な
許認可そのものの
緩和、廃止などを提案してきた流れであります。これは、
臨調の初仕事になりました昭和五十六年七月の緊急
答申から始まっております。この
答申では、緊急に処理すべき
許認可の
削減が
議論されました。
事務局が用意できました
削減対象の候補というのは、トラホーム患者の診断届け出の廃止だとか米飯提供業者の登録等の廃止などの数
項目にすぎませんでした。これは昭和五十六年のことです。こんな制度がまだ残っていると思った人は極めてまれだと思います。これでは
答申にならぬとして急遽加えられたのが、
車検制度と運転免許証の
見直しでした。
ここで大切な事柄は、トラホームから始まって現在に至るまで、各次の
答申でいろいろな事項についての
規制緩和策が打ち出されましたけれ
ども、打ち出される都度、
答申の
内容が、少しずつですけれ
ども、深みを増していった、こういうことであります。これは、各省庁に対して繰り返して
規制の
見直しを求めていく過程で、従来から
意味もないのに温存されていた
許認可が次第に放出されて、
許認可の在庫整理が進んだということを
意味します。
規制緩和というのは、こういう飽くことのない繰り返しによって一歩一歩前進させていくものかもしれません。ただ、この方法は各省庁の既存の権益を一枚一枚はいでいく方法ですから、抵抗も大きいし、歩みも今までは遅々としておりました。
第二番目の方法は、第三次
行革審が平成三年七月に出しました、
需給調整条項の十年以内の廃止という省庁横断的に
規制の整理を迫るやり方であります。この方法は特定省庁ねらい撃ちという面が少ないので、個別の
規制に肉薄するときよりも霞が関流には抵抗感が少ないというふうに言えるかもしれません。しかし、あくまでサブの手法だと考えるべきだと思います。今世の中では、
経済的規制の全廃とか、大変元気のいい
意見が多いようです。しかし、できないことを言っておっても仕方がない。ですから、まずできることをやることだと思います。
そこで、以上の二つの方法に加えて、今後のやり方として、次の二つを提案したいと思います。
一つは、ソフトな手段で
規制緩和を迫るという方法だと思います。それは、
行政手続法の制定によって、
許認可について、審査
基準の具体化とその公表、それから
申請の到達主義と標準処理期間の
設定、それから、
許認可を拒否した場合の拒否理由の明示、
行政指導の書面化、こういう一連の方法で
許認可の審査というものを全く裁量の余地のないものにする。そうすることによって、官庁がそういう
許認可権にこだわることの無
意味さを悟らせるやり方だと思います。
次に、
規制緩和の進捗を量的に把握、評価するシステムをつくる必要性を強調したいと思います。
第三次
行革審は、十年間に
公的規制の実質半減というものを提案して
議論を呼びました。半減とは言いましたけれ
ども、実際にこの数年間で
許認可というのは数を増し続けております。この
行革審の第三次
答申では、十年間に半減と言ったのは実質という
意味で、その心は、よりソフトな方法に
許認可が移行することによって、
国民の
負担が実質半減したと感じるようにするという
意味で言ったのであって、数として半減と言ったのじゃないんだといういささか苦しい言いわけをしております。
確かに、
許認可を届け出にしたことによって、
規制の数は減らないが、より緩やかにしたという
効果は評価すべきだという
議論はあり得ましょう。それからまた、NTT、
電気通信分野のように、公社形態から民営化した結果、公益事業としての
規制が必要となって、
規制の数がふえたということもありましょう。いずれも
規制の実体は
緩和だけれ
ども、数は減らないということであります。
そこで、私が提案したいのは、実質面の
緩和を評価できる、そういう計量的な指標をつくるという事柄であります。
規制緩和の
項目の重要度に応じてウエートづけをして、それを評価して、結果を公表する、そして、確かに十年間で実質的に半減したということを検証できるようにする、そういう方法です。
我々
民間会社では、こういう十年間実質半減という
目標を立てたとすると、必ず実質半減の算定式をつくります。そして、そのとおりにやっているかどうかを逐年チェックする、そういうシステムをつくって数量管理をするわけです。
ところが、官庁はこの
議論がなかなかわからないようであります。
経済的規制と
社会的規制では
意味が違うだとか、あるいは
大蔵省と通産省の
規制をどうウエートづけしたらいいかとか、そういう細かい
議論を展開されて、結局はできないという結論を出そうとします。そして
最後には、
規制緩和には政治、なかんずく
総理の
指導力が大事だという版で押したような答えで済ませてしまうのです。
幾ら政治が
指導力を発揮しようとしても、やり方がはっきりしていなければ
指導力の発揮のしょうがないと思います。今後、
規制緩和案は引き続き各省庁に提出するように強く求めていかれることと思います。しかし、
許認可等の在庫母数は一万件を超えるということを忘れないでいただきたいと思います。小さな
項目がさらに細分化されて、いかにも協力的ですという格好で出てきたとしても、感激しないでいただきたいということであります。
最後に、
規制を受ける側の姿勢について言いたします。
規制は、新たに
参入しようとするものにとっては障壁だけれ
ども、
規制の中に既に安住するものにとっては防壁だというふうに言われております。今回の
規制緩和策をつくるに当たっても、一番反応が少なかったのは
規制を最も強く受けている
業界だった、そういう
批判も聞きます。今後、
日本の発展のリード役であり続ける
産業界、とりわけ製造
業界のプライドといいますか矜持にかけても、我々は
規制に甘えることなく、自主自立に向けて努力すべくみずからを省みる必要がある、こう考えております。
以上で私の
意見表明を終わります。ありがとうございました。(拍手)