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国務大臣(
宮澤喜一君) 先ほどもちょっと申し上げかけたことでございましたが、
岩崎委員の
お尋ねでございましたか、これはいろいろ難しい問題だと思っております。
私自身は、無論
日本の
立場から申せばなかなかそういうことには
我が国としては参画はできないなということなんでございますけれども、この間ソマリアでああいうことがあって、
最初はアメリカがやりました。これは
国連でないということでやりました。それで、ともかく何百万人という人の飢餓を防いだということであったと思いますけれども、アメリカもそういつまでもこれはかかわっておれません。引くということになってほうっておけば、また飢餓者がたくさん出るということでございますから結局
国連が引き取って、そして、かといってアメリカの将軍のもとにやるわけにいきませんから、トルコでございましたでしょうか、第三国の軍人さんを指揮官にして、そして
国連の行動に切りかえざるを得なかったということであろうと思います。
政府がいわばないような
状況ではたばた人が死んでいくということを見殺しにもできずに
国連がテークオーバーしたということであったように思いますが、あの場合それならどうしたらよかったのかということは、問題としては確かに新しい問題であったというふうに思います。アメリカが帰ってしまったら後は知りませんというわけにいかないじゃないかというのは、恐らく関係者の多くがそう思われたんだろうと思うんで、それはそういう
一つのケースにぶつかってしまったとでも申し上げるべきなんでしょうか。
ただ、そこから、ですから今後
国連の
平和維持活動というものがいわば第七章的なものにどんどん変わっていって、そして
重大器を持ってあえて戦闘を辞さずに、その場合、当事者の合意というようなこともしたがって余り確かなことでなくなりますが、そういう方に
国連が行くにしてはまだまだ私は
国連というものがみんなの
国連というだけの十分な信任を得ているとは申しがたいだろう。つまり、英米、
米ソが
国連、殊に安保理事会について
自分たちの都合の悪いときは大体ビートーをしてしまうという、これは全く
国連が
国連でないような
時代でございましたが、今度は急にすべてのことが
国連の肩にかかってくるというような思いを恐らく
ブトロス・ガリさんがしているんだと思うんですね。
そうしますと、何かしなきゃならない、ソマリアのような
事態はということで、それが「平和へのアジェンダ」というようなものになってきたんだと思いますが、そうかといって、たまたまソマリアのケースがありましたから、それでそれを例にして平和執行
部隊といったようなものをいろいろな場合にこれからつくっていくということになりますと、私は問題が多いと思います。
それで、今やっておりますことは、安保理事会は、ともかくガリ氏の提案を一遍読んで、そしてさらに報告を書けと、こういうことになっておるようでございますから、安保理事会としてああいうことをするという決定をしたわけではないように承知いたしますが、十分に
議論をしてもらわないといけないことである。おっしゃるように、あるいは七章の問題として正面から取り上げる方がいいということであるかもしれません。
我が国はどっちみちそういう実行行為には参画できないと思いますけれども、なお
議論をしていきますときに、ただいまのお話も十分に参考にさせていただきたいと思います。