○証人(
田代一正君) 話しますと大変長い話でございますけれ
ども、そこをはしょって
お話しさせていただきたいと思います。
私が平和相互
銀行に参りましたのは一九六〇年ごろだったと思いますが、そのころなぜ私が平和相互
銀行に縁を持つようになったかと申しますというと、やはり当時の諸情勢等によりまして、
銀行経営というものが完全なもので施行されては必ずしもないということと、それに
関連いたしまして相当の能力のある人でもってこの
会社を守り立てなければならないという感じがしたわけでございます。そんなことがいろいろ反映されたりいたしまして、私は平和相互
銀行の初めは相談役、それから監査役ですか、そういうものを歴任いたしましたわけでございます。
その時期に、いろいろなことがもちろんあったわけでございますけど、何とかこれでやっていこうということで、そういったことをお
考えになる人をどちらかというと自主再建派と当時言われたものでありますが、自主再建派というものを少し強くしていくことによって問題はある
程度解決するんじゃないかというぐあいにも思ったわけでございますが、実際に自主再建派でもってやってみますと、どうしてもどこかそれでも足らないと。独立
手段としてやっていくためにはやはりそれじゃちょっと不十分じゃないかというようなこともいろいろ出てまいりまして、そこでこの際合併した方がいいのか、それとも自主再建をさらに推し進めるという形でもって問題を解決したらいいんではないかというようなことになったわけでございます。
ちょうどそういう議論の時点において、直前ぐらいに私が平和相互
銀行の今度は
社長になったわけであります。
社長になって一体どういうぐあいに決断したらいいのか、またどっちの方向をリードしたらいいのかということで非常に思い悩んだわけでございます。しかし、いずれにいたしましても、三千三百人ぐらいに上る職員を擁している相互
銀行でございます。それをつぶすわけにはまいらないです。絶対にいかない。生かしながら、同時に健全な社会の相互
銀行らしい相互
銀行としてやっていける道を
考えなければならないということになるわけでございます。
そういった配慮のもとにいろんな模索がまた始まったわけでございますのですが、いずれにいたしましても、早く何とか決着をしなきゃいかぬかということにつきましては、我々が思っていたよりも速いスピードで世の中が変わってまいりまして、とても自立再建では難しいんじゃないかということで、そういうことならばぼつぼつ物を
考える時期に来ているんじゃなかろうかということにもなりまして、そこで中の重立った重役諸公といろいろ相談をいたしまして、それで方針を、従来の方針といいますか、それを変えてどこかの
銀行と合併するという路線を
考えたわけでございます。
そういったことでどんどん進めてまいったわけでございますけれ
ども、じゃ合併の相手を一体どこにするかということになりますというと、これまた本当を言うとなかなか難しい問題でございますけれ
ども、そういう合併の方針で行くということが若干の社会的にリーク、漏れるということになりますというと、おのずから私が合併の相手になりたいという
銀行も出てくる、まあ特にそのときは相互
銀行になりますけれ
ども。
そういうことになってまいりましたさなかで、やはり水の中で何となしに話が出てくるということで、そういった幾つかの名のり出そうな感じの
銀行が幾つか出てくる。その中に住友
銀行があったと。いろいろ話を調べてみると、住友
銀行が合併に際してどうも前向きで判断してくれそうであるというようなこともだんだん、おいおいわかってまいるわけでございます。そんなようなこともございまして、我々は住友
銀行と合併するという方針を、方向を選んだわけでございます。
これが相互
銀行に
関連いたしましたやっぱりことし、じゃなくて、ここ十年来の大きな問題の
一つになったかと存ずるわけでございます。
どうも年をとりまして話の仕方が下手になりましてまことに申しわけないんですけれ
ども、冒頭はそういうことで御勘弁願いたいと存じます。