○山本正和君 我が国が、諸外国とのいわゆる貿易戦争といったらおかしいんですけれども、そういうもので余りにも強者であり過ぎる。その一方、それじゃ日本の国内を見たらどうかといえば、子供たちの状況を見ると受験競争というよりも偏差値競争に悩まされて、そして、しかもそれが私学のいい小学校へ行くときちっと情報教育の設備から何から全部あるわけですね。公立はもうないんです。東京都の子供たちは四年生になったらどこの私立の中学校へ行こうかといって頭を悩ます。公立にきちっとした施設をつくってやって、教育のそういう問題も含めてきちんと格差なしに、公立の小学校、公立の中学校へ行くのは国の責任でもって保障しますよということをしなきゃいけないと思うんですね。そういう意味からいったら、私は、社会資本の充実の中で一番大切な部分だろう、こう思うんです。
景気振興のことでいろいろ
議論してまいりましたけれども、これから二十一世紀を背負うのは私たちじゃないんです、子供たちなんですね。その子供たちに私たちは何をしてやれるか。この不況の時期で、べらぼうに一千億ドルを超すような黒字でどんどん外国から攻撃を受けているときに、今こそ少々苦しくてもやらなきゃいけない。
財政法四条というのは、公共事業のためなら国債を
発行すると、これを認めているんですね。きちっと認めている。じゃ、国債を
発行するのはどういう基準かといったら、これは公共事業等というけれども、その
中身はどこが決めるかといったら、
国会で決めるとなっているんです。だから私は、二十兆や三十兆をこの際我々の世代で後のためにほうり込もうという決意を持っていけばできぬことないと思うんですよ。それを、お金があるじゃ、ないじゃという、その部分にとらわれて、財政法を狭義に解釈して今までの長い流れの中でやってきているから、発想の貧困の中でつぶれてしまっている、財政が。財政の硬直化というのは発想の硬直化でないかと私は心配してならないんです。
そういう意味で、ひとつぜひとも、本年度
予算には間に合わぬけれども、次のときには、政府はそういういろんな今までの
議論にとらわれずに、日本の国はどうあるべきかという観点から基本方針を出して、従来のシーリング方式だとか、かつてのこれはこうだとかいう発想は一遍全部ゼロにしてから
予算の編成をし直してもらわぬことには、本当の意味での今からの我が国の対応というものがし得ないんじゃないかということが気になってならないんです。
そこで、余り時間がありませんから、もうしゃべりっ放しの方がいいからしゃべりますけれども、例の赤字公債はけしからぬと、こういうことを盛んにおっしゃるんです、
大蔵省は。しかし、その赤字公債というのはどうかといってこれも調べてみた。一九六五年に
議論されて、一九七五年に発します。そしてさらに、
昭和五十九年には特例公債のまた借りかえしたんですね。随分
議論しておられる。政府は一生懸命にそのことの必要性を、もう本当にどうしても論理に合わぬでもとにかくお願いしますということでこれやってきたんです。それを解消しようというんで解消してきた、中曽根内閣のときからね。解消して、赤字国債ないから、この隣どうしてもこれはだめですと言っているんです。ところが、それはお化粧されたものであって、
中身は違うんですよね。
皆さん御承知だと思いますけれども、
大蔵省の皆さん御承知だろうけれども、隠れ赤字、隠れている赤字公債に匹敵すべき部分は五十兆円、我が国の政府の
予算全体を見ると。五十兆円隠しているんですよ、これは。百八十二兆というけれども、そのうちの三分の一近いものが隠れている。私はこれはもうゆゆしきことだと思う。堂々と出すべきなんですよ、これは赤字国債として。そして、そこで本当に
国民がこんなことでどうなんですかという形で
議論しなきゃいけない。それを
所得税減税が云々というようなだけで話してもらったんじゃ私は困ると思うんです。赤字国債の問題について申し上げますけれども、隠れ赤字というか、粉飾されているこの部分というのは、
大蔵省はどういうふうにお考えになっていますか。