○中村鋭一君 私は、民主改革連合を代表いたしまして、今回
衆議院を通過いたしました
環境基本法と、先日京都で開かれましたIWC総会に関連する鯨の問題について、二、三
質問をさせていただきます。
まず、最初の
質問でありますが、
環境基本法はいわば二十一世紀に向けての
環境憲法と言うべきであります。しかしながら、この
理念を実現するための具体的な
実施規定は残念ながら不十分と言うほかはございません。
五月二十一日付の朝日新聞の社説でありますが、「
法案をつくる段階で、関係省庁の省益がぶつかりあった部分をそっくり削り落としたため、条文には「努める」「
配慮する」があふれた。残念というほかない。」と言っております。試みに私が
法案の中で数えましたところ、「努める」が二十四、「
配慮する」が七ございました。
もとより
基本法でありますから
理念に重点を置くのはわかりますけれども、それにしても、
実施規定と将来に向けてのプログラムに乏しいと言わざるを得ません。「努めるものとする」は、
努力をしたができなければ仕方がない、「
配慮する」は、大いに気は使うけれども、これまた結果がだめなら仕方がないというふうにもとれます。これについて
総理の、私の
質問に対します
配慮ではなくて熟慮の結果としての明快な答弁をお願い申し上げます。
この「努める」「
配慮する」のファジーさが例えば
アセスメントの
法制化を妨げているのではないか、このように思います。
環境アセスメントの
法制化は
環境行政の大眼目であります。
昭和五十六年に、当時の鯨岡
環境庁長官は辞表を懐にされまして、不退転の決意でこの
法制化に当たられました。当時私は参議院
環境特別委員会にありまして、野党ではありましたけれども、鯨岡さん頑張ってくださいと異例の留任要請をした記憶がございます。残念ながら、他省庁の介入、牽制、横やりその他の事情がございまして、成立に至らず今日に至っております。本
法律案では二十条に「必要な
措置を講ずるものとする。」にとどまっておりますが、今ここで再び
総理の
法制化に向けての御決意をお聞かせ願いたいと存じます。
次に、本
法案の二十二条について
お尋ねをいたします。
第二十二条、特にその第二項の
規定の意味するところがどうも私にはよくわかりません。ちょっと二項を読ませていただきます。
国は、
負荷活動を行う者に対し適正かつ公平な
経済的な
負担を課すことによりその者が自らその
負荷活動に係る
環境への
負荷の
低減に努めることとなるように誘導することを目的とする
施策が、
環境の
保全上の
支障を防止するための有効性を期待され、国際的にも推奨されていることにかんがみ、その
施策に関し、これに係る
措置を講じた場合における
環境の
保全上の
支障の防止に係る効果、
我が国の
経済に与える
影響等を適切に
調査し及び研究するとともに、その
措置を講ずる必要がある場合には、その
措置に係る
施策を活用して
環境の
保全上の
支障を防止することについて
国民の理解と
協力を得るように努めるものとする。この場合において、その
措置が
地球環境保全のための
施策に係るものであるときは、その効果が適切に
確保されるようにするため、国際的な連携に
配慮するものとする。
となっておりますが、同僚議員の皆さん、この
規定はよくおわかりになりましたでしょうか。おわかりにならないという声が多かったように思います。聞けばこれは
環境税の導入に含みを持たせた
環境庁苦心の条文であるとのことでありますが、
環境庁長官、ひとつその辺のところを、この中のどの文言がその含みにつながるかを明快に御説明願いたいと思います。
我々は安易な大衆課税には反対であります。だが、一方では、
環境負荷の抑制でありますとか
環境保全に
国民が等しく
負担をすることは当然やっていかなければいけないと思います。
政府は
環境税を想定しているのか。とすればそれは新税なのか、あるいは
現行のエネルギー諸税、例えば
石油に上乗せをするような課税を考えておいでなのか。それとも単にこの二十二条の二項において論議の余地を残しておこうとおっしゃるのか。御答弁をお願いいたします。
次に、昨年ブラジルで
地球サミットが開かれました。私も
参加をさせていただいたのですが、この
会議に残念ながら
総理はお見えになりませんでした。肩身の狭い思いをいたしましたが、これは御事情がおありであったと推察をいたします。
総理はその節ビデオテープでメッセージをお寄せになりましたが、その中で、
日本としては
環境ODAとして五年間に九千億から一兆円を援助すると述べられました。この
環境ODAの具体的な
内容、またその優先順位について
総理のお考えをお聞かせ願いたいと思います。
次に、ODAの
実施に当たっては
透明性を
確保すること、また被援助国における
事業がかりそめにも
環境破壊等につながることはあってはならず、したがって現地における
徹底した
アセスメントが不可欠であると思いますが、この点についてのお考えをお聞かせ願いたいと思います。本
法案では三十五条に「
配慮するように努めなければならない。」と言うにとどまっております。
次に、今後現実に
開発途上国にありましてNGO、民間団体が
活動してまいりますが、本
法案では三十四条に、民間団体の「
活動の
促進を図るため、
情報の提供その他の必要な
措置を講ずるように努めるものとする。」と
規定がございます。先般の湾岸戦争における重油流出の処理の際にNGOは大きな危険にさらされたと聞きます。また、カンボジアにおいては、仕事の種類と目的は違いますけれども、中田厚仁さんがとうとい犠牲におなりになりました。当然今後とも、
地球環境保全のための
活動でNGO、民間ボランティアが大きな危険にさらされることが予想されます。PKO論論の際にも、我々は文民に迫る危険について論議を深めなかったのではないかという反省がなされています。今度は後手に回るわけにはまいりません。対応策は
確保できているのでしょうか。三十四条は各項すべて「努めるものとする」「努めなければならない」と
規定するにとどめておりますが、その点に私は大きな不安を抱きます。いかがなものでございましょうか。
次に、これも先ほど江本議員から御
提案がありましたが、早急に
環境庁を
環境省に格上げいたしまして、
環境庁に他省庁のすべての
環境関係の権限を移譲し、
国民から
環境行政の顔はまさに
環境省であると信頼と愛情を持っていただける官庁にすべきであると思いますが、いかがでございましょうか。
六月五日が「
環境の日」と決まったことは大変うれしいことでございます。これも公明党の横尾議員から御
提案でございましたが、私もまたこの日を、
環境に対する
国民的関心をさらに高めるためにも祝日とすべきと思いますが、いかがでございますか。
さて、最後に鯨の問題について
お尋ねをさせていただきます。私の
質問は、捕鯨再開を是とする立場からの
質問でございます。もとより捕鯨の問題には多様な意見がございます。私の意見も、民主改革連合の会派としての意見を代表するものではございません。私個人の意見であることをお断りさせていただきます。
先般、京都で国際捕鯨委員会が開催されました。
国民各界各層の注目を集めましたが、結果としては、南氷洋鯨類サンクチュアリーの設定は回避されたものの、捕鯨再開は先送りをされ、
我が国沿岸小型捕鯨に対するミンククジラ五十頭の暫定救済枠も否決をされてしまいました。ミンククジラは南氷洋に七十六万頭、沿岸に二万五千頭の
生存が確認されています。海域全体では百万頭を超える生息が確実であります。そのうちのたった五十頭すらとってはいけないという、何の根拠も科学性もない、いわば理不尽な言いがかりをIWC総会においてなされたのであります。
昨年の
地球サミットでは、持続的
開発の
原則に沿って、鯨類を含む海洋生物
資源を保護しながらその余剰分を持続的に
利用していくことが合意されています。
我が国では古くから、鯨を含めて海洋生物
資源を子々孫々にわたって持続的に
利用してまいりました。この
環境基本法案に
衆議院で付されました附帯決議におきましても、生物多様性の重要性にかんがみ、
自然環境の
現状を
認識するための
調査研究に努めることとされています。したがって、鯨の問題は、今日、感傷や感情に基づくものではなく、科学的根拠に基づいて冷静な議論がなされるべきであると思います。
鯨を食べる文化のない国の人にそれを強制するつもりは全くございませんが、逆に言えば、自国にそのような文化がないからといって
日本人が鯨を食するのを妨げる
理由は絶対にないと思います。ヨーロッパの人たちは子羊の肉をラムとして大いに珍重しているではありませんか。
また、今次の会合でアメリカは、
環境保全ではなく
政治的
理由によって捕鯨再開は認められないとはっきりと明言をしているのであります。このような
状況の中で、果たして
我が国は国際捕鯨委員会の中にとどまっている必要があるのでしょうか。捕鯨再開へ向けての科学的根拠は出尽くしています。また、IWC総会後に公表されました五月十七日付の
日本経済新聞の世論
調査におきましても、最新の世論
調査でありますが、捕鯨再開に賛成する人は六五%、反対をする人は一五%、これは再開に向けて全
国民的支持が得られているものと理解されます。
したがいまして、
我が国としては、名実ともに存在の意義を失いましたIWCを潔く脱退して堂々と捕鯨を再開すべきであると考えますが、農水大臣の御見解と御決意を伺いまして、私の
質問を終わります。(
拍手)
〔
国務大臣宮澤喜一君
登壇、
拍手〕