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参考人(
佐高信君)
企業というものは大変に非合理なものでありまして、とりわけ
日本の
企業というのはまさに
封建時代の藩と同じく非合理の塊みたいなものでありますけれども、それにどう合理的ないわば網をかけていくか。日々何かジャーナリスティックにそれをやろうとしている者にとっては、今度の
改正案を拝見しまして、
マイナス八から
マイナス六というのを
進歩と言うかどうかというふうな、私はまだ
マイナスであるという
立場ですのでその
マイナス八から
マイナス六も
進歩と言うのかどうかという
かなりの疑念がありますけれども、まあやらないよりはましだろうという、正直言ってそういう感想です。
昨年の夏に、私は長崎大学というところで一週間
集中講義をしたわけですけれども、そのときに、
日本の
企業というふうなものに、いわゆるいい
会社、
一流企業と言われるところに
サービス残業や
過労死というふうなものがあると
学生に話をしましたら、
学生は信じないわけですね、いわゆるいい
会社というのはそんなものはないところだというふうに思っているわけですから。いい学校からいい
会社へという神話の中で、全然そういうことのない、
一流銀行に月一人大体百時間もの
サービス残業があるというふうなことを言っても信じない。いろいろ
実態をお話ししますと、次に彼らが言うのは、
労働組合はないんですかというふうに聞くわけです。私はそれに対して、
組合はあるけどないんだというふうに答えたんです。
それと同じように、
日本の
企業に対する
チェック機能、
監査役なんかを含めまして、そういうのはすべてほとんどあるけどないの
状態なわけです。それをどうあるけどあるというふうなものに近づけていくかというためには、
日本の
企業の
現実というふうなものがどういうものであるかというものを私の
立場から見るともう少し深刻に知る必要があるんじゃないかという
感じがするわけです。
今から十二年前ですか、一九八一年の
商法改正がありまして、
総会屋の追放を主眼としたものだったように言われているわけですけれども、そのときに私は、その
商法改正というのは
ハエの
発生源をきれいにしないで
ハエを追うようなものであるというふうに批判した覚えがあります。
どういうことかというと、
総会屋というのは悪いやつだということでそれを取り締まろうとするわけですけれども、
総会屋というふうなものは
企業の
暗部ですね、内紛とか汚職とか
粉飾決算とか、そういうところをつっついて出てくるものであって、決して逆ではないわけですね。もちろん、
総会屋という
存在は非難さるべき、あるいは排除さるべき
存在ですけれども、その
企業の
暗部の方が
前提としてあって、それをどうなくするかということが先決、そうしないで
総会屋を退治しようとしても私は無効であるというふうに言ったわけです。
総会屋というものの
存在の数は少なくなっていますけれども
暗部はなくなっていませんから、あの八一年の
改正の結果、いわゆる
総会屋に金を渡したとかして
企業の
総務部長が逮捕されるというふうな結果は出てきましたけれども、そんなにその
効果というのは上がっていないんじゃないか。要するに、
企業の
暗部をなくするという意味では
効果は余りなかったのではないかという
感じがするわけです。
それで、
総会屋というふうなものが怖いものだと、
かなり数としてはなくなっていますからその怖さというのは少なくなっていると思うんですけれども、
企業というのは非常に変なことを今現在やっている。いわゆる一部
株式上場企業の、ちょっと数はあれですけれども、三月
期決算の九割近い
企業が六月末の同じ日の同じ
時刻に一斉に
株主総会をする、こういう本当に異常な
事態ですね。それは全く
株主総会を開いていないのと同じことであるわけですけれども、
総会屋のはしごを恐れるというふうな形のことで同じ日の同じ
時刻に一斉に
株主総会をする。あれをやめない限り、私は
チェックというふうなものはほとんど何にもならないのではないかと。
あの
異常事態を
企業というふうなものがどう考えているのか。
経団連の
行動基準の中に、例えばそういうものを盛り込んで、
経団連の
会長、副
会長会社だけでもせめてほかの日にするとかいうふうなことでなければ、
企業の
社会性とかいうふうなものは全然ないわけですね。
株主総会というふうなものを公開しないという
企業もたくさんあるわけで、一昨年公開したけれども去年はそれを公開しないようにしたとか、むしろ全体の流れとして
進歩しているようには見えませんし、そういう
企業の
封建性とか非
社会性あるいは反
社会性というものをどう虫干しするかということですね。それが、一年一回の虫干しがいわば
株主総会であるわけですけれども、そういうものがほとんど
機能していない。
そういう
状況の中で、
監査役というふうなものを強化してもどのくらい効力があるのかなという、
マイナス八から
マイナス六、あるいは
マイナス八から
マイナス九かもしれないという、その辺の
疑いみたいなものがあるわけです。
監査役というふうなものの
存在、
前田先生がアカデミックにお話しくださったので、私はジャーナリスティックというか、いわば扇情的にお話ししますけれども、
監査役というふうなものの
実態ですね。
私は、昨年、
日本監査役協会の
総会で
講演せいということで、五、六百人集まるその
総会で
講演したわけですけれども、四、五年前も同じようにその
総会で
講演したんです。その四、五年前に
講演したときに私は、
日本の
企業の
実態を固有名詞を挙げて具体的に話して、例えば世襲とか、
社長が兄から弟へとか、あるいは親から子へというふうなことが何の
疑いもなく行われていると。そして、そういうふうにして就任した
社長が、
同族企業と言われるのは心外だと、それこそ心外なことをしゃべっているというふうな
状況の中で、その
企業の
監査役というのはどういうことをやっているのかと、
監査役だけがある
種救いのことをやってくれなくては困るみたいなことを具体的に
企業名を挙げて話したわけですけれども、そこに
企業名を挙げられた
会社がたくさんいたわけですね。
その
監査役協会の
総会での
講演というのは「月刊
監査役」という雑誌に載せるというふうなことがありまして、事前に私は了解を求められて、ああいいですよというふうにしていたわけですけれども、
講演が終わった後に係の人が
かなり青い顔をして来まして、申しわけないけれども掲載を遠慮させてほしいということだったわけですね。私は、別にいいですよというふうなことで済んだ。それが四、五年前の話で、昨年また何を間違ったか呼ばれましたので、最初にその話をして、きょうはどうなりますか注目しておりますと言ったけれども、やっぱり載らなかったんです。そのぐらいやっぱり
企業監査役というふうなものが全く
社内監査役となっているということですね。
それを
社外監査役にするということはまさに必要なことでありますけれども、私なんかから言わせれば何で一人だけ、三人全部が
社外監査役でいいんじゃないか、何で一人だけが
社外監査役なのかと。ほかの二人というのはいわば
社内監査役で、ほとんど役に立たないという言い方はあれですけれども、ほとんど
社長とかに厳しいことを言えるはずがない、今の
状況の中で。そうすると、三人の中でたとえ一人を
社外というふうなことにしたとしても、すぐにそれは
社外は
社内に変わっていくんですね。
社長なんかに物を言えない。
株主総会というふうなものが全く
機能していない
状況では、外の世界の後押しもないわけですからすぐに
社内監査役になってしまって、いろんな
使途不明金の問題を含めて、
粉飾決算というふうなものをどこまで
チェックできるか非常に疑問である。
経済界の方では
人材がいないとかいうふうなことを言いますけれども、私なんかから言わせますと、
人材がいないというのは、
自分たちにとって非常に安心のできる
人材がいないというだけの話だろうと。
人材というのは育つものであって、育てるものでもあるわけで、私は、一人だけ
社外というふうなことをやるよりも、この際三人全部
社外というふうなことでいいんじゃないかという
感じがします。
株主総会、
労働組合、
監査役あるいは
消費者運動とか、そういうふうなものがほとんど
機能していない
日本の
企業、社会の
実態では、
経営者は完全なる裸の王様であって、もうやりたいほうだいということなんですね。
そういう中で、
代表訴訟とかそういうことはある
程度の
進歩だというふうに思いますけれども、今の
日本の
企業の
実態というのは
かなりひどいものであるということをもう少し、例えば
株主総会の
実態とかいうふうなものを調べて、それを全部
法律で取り締まるというのも自由経済とかなんとかということで非常にまずい話だと思いますけれども、私はそういうことについてだけは行政指導というものを認めてもいいのかなと、皮肉な意味でそんな
感じもします。
社債の
発行限度額の問題につきましては、限度を設けるのは合理的でないというふうなことで、合理的でない
企業について彼らが合理的でないということを認めていいかどうかという問題もあると思いますけれども、投資家保護というふうなことをきちんとやればしょうがないかなという
感じです。
全体として、
株主総会のあの
実態、同じ日の同じ
時刻に一斉に
株主総会を開くという異常な
状態を一方に置いておいてディスクロージャーというふうなことを言うのは全く説得力を持たないということだと思うんですね。だから、
株主総会の
実態とか、ああいうものを何とかする方向を示しながらディスクロージャーというふうなものをやらないと、
株主保護とか投資家保護というふうなものも絵にかいたもちというふうなことになるんじゃないか。銀行が不良債権の額を公表しないとか、いろんな
実態があるわけですけれども、そういうふうなこと。
日本の
企業の非常に非合理な、あるいは理不尽な
実態にどのくらいこの
法律が有効なのかということについては、
かなりの疑問というか、がありますけれども、先ほど申し上げましたように、やらないよりはましということかなと。
ある
経営者が、
労働組合というのは
企業の病気を知らせる神経だということを言ったんですけれども、
日本の場合、
株主総会もそうですけれども、
労働組合もさまざまな
チェック機能を果たすべき神経が全く麻痺しているということですね。その神経というふうなものの
機能をどう回復させるかというのは、まず
日本の
企業の大変にひどい
実態というものを知って、その上で有効なメスを入れていくということが必要なんじゃないか。この法案というのはまだ、長崎大学の
学生程度とは言いませんけれども、
企業の
実態というのはそうひどいものとは思っていない形で出されているんじゃないかというふうな
感じがいたします。
何か余りに言葉がストレートというか、汚い
感じのあれで、これが記録されると問題になるかもしれませんけれども、そういうことで一応私の感想めいたものを申し述べさせてもらいました。