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喜屋武眞榮君 あと七年で二十世紀は終わりを告げ、二十一世紀に突入するわけでありますが、顧みて、二十世紀の人類は主として陸上に産する
資源、陸上
資源に頼って今日まで生き延びてきたわけです。主としてというところに
一つ重点事項があるということを申し上げておきます。
二十一世紀に向けての人類は主として海洋
資源に頼って生きていくんだと言われておりますが、私もこれには同感をするものであります。
ところで、宮澤総理は二度にわたって私の質問に答えて沖縄に行くことを一応約束しておられるんです。ところが、総理の念頭には二つの未解決の問題が絶えずのしかかっておるように察せられるわけです。その
一つはお察しするのに戦争マラリアの未処理の問題、二つは厚生年金の格差是正の問題、この二つが宮澤総理の念頭に絶えずのしかかっておるということを私はお察ししておりますが、まさしくこの二つの問題は戦後処理の中で未解決の問題として取り残された最も重要な問題であると私も思っております。
そのことについて宮澤総理が絶えず念頭に置いてもらっておることは大変いいことであると思うんですが、念頭に置いたってしょうがない、問題は、どうこれにこたえていくか、解決していくかということに問題があるわけですが、そこに今、戦後処理の国の問題として残された大きな問題があるということをひとつ農水大臣もぜひ念頭に置いていただきたいと思います。
そこで、私はもう国会に籍を置いて二十年を超すわけですが、いちずに追及しておる
問題点がございます。それは何かと申し上げますと、詳しいことは申し上げませんが、あらまし申し上げると、去る戦争に向けて、沖縄戦に児童生徒がおることは、これは戦争に邪魔になる、困る、いろんな面からこれは言われておるんですが、それで九州を
中心として疎開をすることになったわけなんですね。その疎開学童六百名余り、父兄と合わせて千五百名前後ですね、大島沖の悪石島沖で米軍の潜水艦に直撃を受けまして沈没した、悪石島沖で沈没した疎開船「対馬丸」。この「対馬丸」がいまだにその船の行方を、どの辺に沈んでおるということは、ずっと私の追跡によって四カ所の場所を、このあたり、このあたり、このあたり、このあたりとA、B、C、Dの場所らしいということは答えておりますが、問題は、それならば、早くそのA、B、C、Dの場所のうちこれであるということを確認して、その沈んだ疎開船の「対馬丸」を引き揚げて、遺骨もきっとあるでしょう、その遺骨をそれぞれの遺族にお返しするという、こうして遺族はその遺骨を受けとめて自分たちのお墓にお祭りをすると。その遺族ももう百歳近くに、八十を超しまして、老父、老母になって、いちずにそのことを夢見て生き延びておるという状態でございます。私は、その遺族のためにも早く国の力でこの疎開船の「対馬丸」を突きとめて引き揚げて、そうしてそれぞれの遺骨をその遺族に返してあげるべきである。そうしない限りこの問題は終わらない。
去る戦争で沈没した船というのは、
政府が調査をしまして百七十隻、約二百隻近い日本近海で沈んだ船があるということもはっきり調査でわかっておるわけでありますが、この沈没船、その中に「対馬丸」という学童疎開の犠牲になった沈没船があるわけです。
今まで私は何十回となく質問主意書やあるいは委員会においてそれを取り上げてまいりましたが、今までの
政府の答えは、予算がないとか
技術的にとか、いわゆる
人間の潜水能力というのは三十メーターまで潜水ができるといった
時代がありました。ところが、今日では三十メートルどころか、三百メートルどころか六千メートルも沈下できる日本の科学
技術を持っておりますね。それからすれば、やってやろうという意思があるならばこれはもうたやすいことであると私は思っております。お金の問題にしても、そういうものにこそ国の予算を使ってしかるべきである、異存はないと私は思うわけであります。
現時点において、この沈没した学童疎開の「対馬丸」、これが今A、B、C、Dの四カ所が概略調査で浮かび上がっております。まず、その一点はA、B、C、Dのどの点であるかをはっきり確認するということ、それを確認した暁にはそれを引き揚げる、このことが今回の追及の私の心であります。どうかひとつ農水大臣、そのことは私の分野じゃないと、そうはおっしゃらずに、国の責任において大臣とされてこの問題を戦後処理の
一つとして自分たちの問題として受けとめてもらって、ぜひこの問題を解決の
方向に、前向きに心も
技術も金も結集してその実現に
努力してもらいたいということをまず農水大臣に要望いたしますが、いかがですか。