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武田邦太郎君 PKO活動について国論が二分されているわけですね。これは、自衛隊の存在なり安全保障についての国論が二分されていることを
意味しておりますし、本日の
委員会でも、
質問なり問題提起をなさった
委員で一人も
政府の
答弁に満足された人はなかったんではないか、こういうふうに思います。
仮に、この問題だけに限定して
国民投票に問うたならば、多数の
国民が野党の提示した疑問なり不安に同調するのではないか。これはよしあしは別です。そういう可能性を非常に大きな悲しみとするものであります。双方のこの主張に伝統的な政策論理がございまして、にわかに
一つになるということは到底望むことはできませんが、極力その距離を小さくしたい、こういう熱願は抑えることができません。
その
一つとして、相当長期にわたる近未来展望といいますか、少なくとも二十一世紀初期にまでわたるような展望の中で、現実の推移を冷静に見ながらこの問題をどう掘り下げるかということも
一つの見方じゃないかと思うんでありますけれ
ども、これは戦争の歴史あるいは軍事学の
立場で申しますと、予算
委員会でもちょっとお話ししたんでありますけれ
ども、一九六二年のキューバ事件、フルシチョフのソ連とケネディのアメリカとが核兵器を持ってにらみ合ったときに、もしあのときにやっておったならば、それはやる可能性はかなりあったわけでありますけれ
ども、両国は壊滅する。戦争はその日のうちに終わってしまう。そして人類は、少なくとも人類の文明は破局に陥る。
こういうことはまず疑えなかったと思うんでありますけれ
ども、人類の戦争が進化の極限に達しているということは、その
意味では言えるのではないかと思うんですが、その後の戦争というものはそれまでの戦争と違いまして、国と国とがつぶれるまでやり合うというようなことはまずない。いわば人類の世界における内乱的状況でありまして、だらだらと長く続く。
これは、ベトナム戦争からアフガニスタン戦争を含めてそうでございまして、これを何とか処置するということになりますと、これは一国のつくった国軍、アメリカの軍隊が幾ら強くてもベトナムは解決できませんでしたし、最近のソマリアの問題のごとく、圧倒的に力があるアメリカの軍隊のおかげで何とか助かるような状況でありましても、ソマリアの
国民はアメリカ帰れといって石を投げた。
こういう状況は、恐らく近い将来に旧ユーゴにアメリカ、フランス、イギリス軍が行ったとしても大した効果はないだろうというように思います。なぜかといえば、それぞれの国軍はそれぞれの国の利益に反することはやらぬだろうと。ただ一筋にユーゴの平和と共栄のために、それを最高の目標としてやるだろうということをユーゴの諸民族、諸国家は信じないわけですね。そこにこれから先の地球上の治安を保つのは国連軍、国連警察軍と仮に申しましょう、国と国との戦争じゃないわけです、警察でありますから。そういうものが完成しないとうまくいかないんじゃないかというふうにも考えられるわけですね。
そうなりますと、国連というものがすべての民族、特に途上国の民族に信頼される必要がございますけれ
ども、今日の国連は第二次大戦に勝った五つの国が特権を持っておりまして、拒否権を持っておるとか、あるいは核兵器もこれらの国々は持っておってほかの国には持たさない、こういう姿勢をとっております。
ところが、途上国のちょっとした国は、これはイラクとか北朝鮮に代表されるように皆持ちたいわけです。それによって先進国に対抗する力を持てると思っているとしても無理じゃないわけですね。インドは七個の核兵器を近く持つだろうと言われておりますけれ
ども、それならパキスタンが持ちたくないと思うはずはありません。イラクが持ちたいということは世界周知の事実でありますけれ
ども、そうなればイランもシリアも持ちたいのは当然であります。
こういうふうになりますと、アメリカが圧倒的な力でイラクをやっつけたといっても湾岸戦争は私はまだ終わっていないと思います。フセイン政権は健在でありますし、軍隊を依然として持っている。クウェートの領地を解放することには成功したけれ
ども、イラクを完全にやっつけることには成功しておりません。これが今日の世界の状況であります。アメリカ軍が圧倒的な力をもってしてもイラクを完全にやっつけることはできない。ちょうど太平洋戦争で日本をやっつけたようにはやっつけられないわけです。
そういう状況の中で、我々はいや応なしに国連というものを世界平和の維持者として完成しなけりゃならぬ人類史的課題を持っていると思うんです。そうなれば先進国、少なくとも五つの国々の特権を放棄して、十五年か二十年かそれはわかりませんけれ
ども、我々も核兵器を廃絶するから北朝鮮さんもイラクさんも持ちなさんな、こういうような姿勢を五つの国が持てるか持てないか。そして今日では御承知の武器輸出の八割はこの五つの国がやっているわけですね。だから、国連安保理常任理事国は世界の内乱の種を、武器をまいているわけです。
こういう状況に対して、どこかの国がもっと立派な国連をつくりましょうやと提言するとすれば、これは核兵器をつくる力を持っておってあえてやらない。三菱重工の戦車などは飛び切り世界で優秀でありますけれ
どもこれも輸出しない。たった
一つの原爆を受けた国である日本がもし国連を完全に、完全にということはないかもしれませんが、もっと多くの国の心からの信頼を得るような国連にするとすれば、まず発言を始めるのは日本以外にはあり得ないと思うのはこれはうぬぼれではないと思うんです。みずから歴史によってその任務を課せられている、こういうふうに考えます。
そういう中で、自衛隊というものを考える場合には、まあ私などは一国単位に形成された軍隊は今日の平和を維持することはできない。国連常備警察軍が相当のものができるということになれば、日本の若者が当然それに、これはもちろん志望でなきゃなりませんけれ
ども、参加するということは、日本だけが参加しない特権を持つことは不可能でありますから、国連常備警察軍ならば参加してもいいが、日本の国家単位の自衛隊は、これは憲法が最高か最高でないかは別として、少なくとも違憲であることは間違いない。
そういうことを考え合わせまして、世界の平和に対する日本の国際貢献というものは、かくのごとき様式においで、かくのごとき精神において貢献はしなきゃならないし、またそれは武力をもってだけの貢献じゃなくて、少なくとも先進国の多くは途上国を征服して搾取することによって今日の先進国になっていることは間違いないんでありますから、後進国がせめて一人当たりGNP一千ドルぐらいになるまで、これを抱き上げると言ったらちょっと僭越でありますけれ
ども、そういうことを先進国はみずから課し、あるいは自然災害でありますとか戦乱でありますとか、そういうようなことに対しては当然先進国の自発的な努力によってこれを、自分の国のためにやる国軍なんというようなことを途上国に認識されないようなそういう治安維持のあり方を考えてみたい。
そういうことがはっきりすれば、まず今日のようにPKO活動なり、自衛隊なりあるいは安全保障なりについて国論が真っ二つに割れて到底
一つになりがたい、こういう状況はだんだんと解消されていくのではないかというふうに考えるのであります。
これは、相当の時間が必要になると思いますが、こういうことについて直ちに
答弁らしきものを要求するということは非常に非常識でございますので、こういうことを考えるのは余り間違いではないかどうかということを、
官房長官、いかがでしょうか。