○吉田之久君 まず、
恩給法の改正について申し上げます。
いろいろとほぼ完璧に近い公的
年金と比較して、
恩給受給者の方々に対してなお一層の
改善を図ろうということで総合勘案されまして、平均二・六六%の引き上げを行われる、あるいはまた必要な諸般の
措置を講じておられるということにつきましては私も納得している一人でございます。
しかし、
先ほど高井
委員あるいは聴濤
委員また他の
委員の方々もそれぞれお触れになりましたけれ
ども、
恩給法の改正のたびごとに私
どもが思い悩みますことは、
恩給受給者の方々とその一歩手前にあって全然受給できない
人たちとの間の落差、それが今日だんだん年老いた
人たちの中に非常に複雑な心理的なしこりを残しておる、こういう現実を考えざるを得ないのでございます。いろいろ過去にみんなが趣意書を集めて、特に
軍人恩給の場合十二年で一つの線を引かれたということなのでございますが、今にして思えば、外地勤務も含めまして十二年の経験
年数で線を引いたことが本当に適正なのかどうかという問題を考えるべきときに来ているような気がするわけでございます。
満州事変、支那事変からあの大東亜
戦争に突っ込んでいったわけでございますが、本格的に
我が国が全面
戦争に突入したのは
昭和十六年十二月八日であります。
戦争が終わったのが
昭和二十年八月十五日でございます。現実に計算いたしますと三年九カ月と一週間でございます。あの全面的な
戦争に突入した中で、私
どもの同輩の諸君も
国家のために命をささげようと思って続々と少年兵、志願兵として軍に入っております。その
人たちは四年間の戦いには参加していないわけであります。しかも、少年兵になって陸海軍に入ったとしても、直ちにその日から外地に勤務をするのはまずないはずでございます。内地で訓練を経てから行く。だとするならば、あの大東亜
戦争に真っ向から挺身していった
人たちはどんなに計算しても十二年にならないわけでございます。
一方、
昭和八年に軍籍を置いて
昭和二十年まで勤続して
軍人として服務をした方々もいらっしゃいます。この十二年間を
軍人として務め終わるのは普通の兵隊さんの場合にはちょっとそれは極めて珍しい
ケースでありまして、大体職業
軍人の方々がその範疇に入ると思うんです。
こういうことを考えますと、本当に命をかけてあの
戦争に参加し、あらゆる犠牲に耐えながら頑張ってきたにもかかわらず、
軍人恩給の適格者にはなおならないそういう
人たち、十五歳で少年兵に入った
人たちもそろそろ七十歳に近づいております。また、
昭和八年以降軍役に服された方々、年齢的に二十で召集されたとしてほぼ八十歳になってこられているわけなんでございます。いかに長寿社会になりましても、老い先の短い
人たち、しかしともに戦友として
国家のために戦った、それが集まって一部の
人たちは
恩給をもらっておる。それはそれでいいけれ
ども、おれ
たちは
恩給の受給者になり得ない。この複雑な心理状況の屈折というもの、これをそのまま放置してこの
人たちの人生を終わらせるべきではない。
特に、いま一つ、従軍看護婦の方々も全く同じ立場にあると思うんです。ですからこの辺で、既にきょうまで経過してきた旧
軍人恩給の受給者の方々はそれはそれで結構でございますけれ
ども、その手前で残されて、木杯をいただいたり感謝状をもらってそれで満足している方もあるでありましょうけれ
ども、何ともすとんと胸に落ちないそういうしこりを持っている
人たちもたくさんいらっしゃると思うわけでございます。
今、例えば十年以上経ながら十二年に満たない
人たちがどのぐらい存在するか、あるいはこのまま推移して、
先ほども同僚
委員から
質問がありましたけれ
ども、だんだん受給者が年々減っていくはずでございます。そういう傾向がどういうラインを描いていくか。逆に言うならば、かつての運用の適格者のピーク時においては、適格者が何人おられて、
遺族は何人おられて、受給総額は幾らであるか、現状は幾らであるか、十年から十二年に満たない
人たちはほぼどのぐらいいらっしゃるか、そういうことをまとめて御
説明いただきたいと思います。