○板垣正君 当局としては、これをどうしても建てなければならないという立場において、今おっしゃったようないろいろな制約というようなものを真剣に
検討されたと思います。しかし、この問題はやはり私は国が考えなければならない問題ではないのか。
旧近衛師団司令部が残された経緯というのがありますね。これは現在、北の丸に東京国立近代美術館工芸館として使用されておりまするけれども、これは昭和四十一年一月の閣議で取り壊してしまうと、閣議決定のもう直前まで行った。しかし、これにかかわりを持つ方々あるいは建築学会の方々、こういう人たちのもう非常に切なる思い、署名運動、こういうものが積み重ねられて、昭和四十七年九月に改めて重要文化財の指定を受け、四十八年から五十三年までかかって工事をして、あの明治時代を伝える建物が守られたわけであります。
文化庁や文部省は、史跡として指定されるもの、そういう価値のあるものは少なくとも明治以前のものであって、市ヶ谷一号館のごときはもう文化的な価値もない、建物としての価値もありませんと。これは今のそういう文化財保護法というような立場から言うとそういうことになるかもしれません。古来のそういう遺跡を残すことも大事かもしれません。また、今の旧近衛師団司令部の場合は明治四十三年にできておりまして、そういう意味でぎりぎりに指定を受けたということかもしれません。
我々は、これが重要文化財であると主張するのではなくして、それ以上のものじゃないのか。そうであるならば、
防衛庁としてはもう既に
計画を立てられ、そしてもうあらゆる角度からいって決めたことであり、変えられないと。私は、それで済む問題ではないんじゃないのか。現にまだ建物は存在しているわけでありますから、もう一度
防衛庁の立場で、またきょうは
官房長官にそのことも篤と申し上げたいと思ったわけですけれども、どうしても席を外されるということで大変遺憾であります。
そこで、
防衛庁長官のひとつ政治的な御決断もお願いしたいと思うわけですけれども、さっき申し上げました市ヶ谷一号館の保存を求める会の方々、宇野精一先生が会長で、それこそ著名な、また常にこうした問題について、防衛の問題についても極めて真摯な方々、こうした方々が名を連ねて、しかもこれは発起人であって、幅広い
国民の声が巻き起こりつつあるというのが現状でございまして、その趣意書の一端をご紹介いたしましても、今まさに我々は、日本の歴史と将来を厳正に見詰め直すべきときに来ている。このようなときに、国の防衛の責任を負う
防衛庁が、
国民や
自衛隊員に国を守る心や愛国心を説きながら、このような歴史上の意義に思い至ることなく、日本の現代史のシンボルであり、先人の血と汗のにじんだ市ヶ谷台一号館を取り壊すということは、国を守るべき心や愛国心、そしてまた日本の歴史と伝統をみずから破壊し、踏みにじることにほかならないのじゃないのか、こういうことを訴えておられる。
さらには、これは陸士の六十期という在校中に終戦を迎えた、前宮下長官がこの同期生ですよ。この同期生会が幹部の名を連ねて、やはりこの問題についてこういうふうに訴えています。市ヶ谷一号館が無用の長物のごとく取り除かれていたら、後代の智者の理性と歴史家の炯眼は、これを立案した官僚の無知を怒り、これを容認した為政者の闘うことを忘れた事なかれ主義を侮べつし、さらに一言も発せず黙認した現代人にはあきれるばかりであろうと、こういう切々たる思いを訴えている。
私ども、自民党の衆参の先生方にアンケートをお願いしたわけであります。市ヶ谷一号館は何としても保存すべきであるか、壊されることもやむを得ないか、自民党の衆参の先生方全員に実はこの趣旨を訴え、御見解を伺ったわけであります。三月の五日であります。今日までにご返事をいただいたのは七十九名であります。このうち保存すべきであるというのは七十二名、取り壊しやむを得ないが七名。これをどういうふうに受けとめられますか。私は、数の多寡ではないと思う。この問題について多くの
議員がやはり残すべきである。またこうしたことにお答えなっておられなくても、心情的にはここにあらわれておりますように、圧倒的多くの方が残すべきである。こういうことについて長官、どうぞ御再考を煩わしたい。
官房長官がお戻りでありますから、最後に一号館について、これは歴史的なかけがえのない遺産として万難を排して残すべきである。同時に私どもは、
防衛庁がきちっとした施設を持たれることには積極的な意義を認めております。これをどう調和を図るかということであります。しかも、この建物は生きた歴史である、歴史そのものである、長々申しません。
特に最近、近現代史の教育が非常に不十分であるという、こういうことについて宮澤総理は、この間の二十三日の
参議院予算委員会で質問に答えて、この日本の特に近現代史が教科書の後ろの方にある、あるいは受験に出ない。そういうことで学び得ない、情けないことだと。
官房長官、もしこの市ヶ谷一号館を文字どおり跡形もなくなくしてしまったら、教育の生きた証人をなくしてしまうようなことになったならば、そんな宮澤内閣こそ
本当に情けないじゃありませんか。長官の御見解を承りたい。