○青島幸男君 それは大変よく見えて結構ですね。皆さん方に一々お尋ねするのもなんですから私から申しますと、車の運転免許の場合、大体〇・七以上見えれば眼鏡を使用しなくとも免許をくれて運転していいことになっています。
日本人というのは、どうもアメリカあたりで見ると、戯画化すると、カメラを抱えていて出っ歯で眼鏡をかけているということになっていますけれども、眼鏡をかけている方も大勢おいでになります。眼鏡を調製なさる方も、例えば〇・一とか〇・三の方でも一挙に一・〇とか一・二に調製はなさらないんですね。見え過ぎて不自由なのか知りませんけれども、大体〇・七か八見えればいいと。それから〇・六ぐらいの方は、日常眼鏡がうっとうしいから、むしろ眼鏡をかけないで過ごす方が多いと、こういうことですね。
そうすると、
日本人の視力の程度というのは〇・七が大体平均的な数値ではないか。これはもうそれぞれの方がそれぞれ個性をお持ちになっていらっしゃるわけですから、一々平均的にと申すのはちょっと極論かもしれませんけれどもね。しかし、見る側が〇・七なんですよね。〇・七の視力ということは、大体三メーター離れて八ミリの輪のどこが切れているか判別できないという精度なんですよね、目自体の精度が。それは本当に近くで見る方もおいでになりますよね。テレビの画面に鼻をつけるようにして、おまえのうちのテレビはにおいも出るのかというぐらいきっちりごらんになる方もおいでになりますけれども、やっぱりかなり離れて見ますよね。少し大きくなれば特にそうですけれども。
そうすると、〇・七という視力の限度は三メーター離れて大体八ミリぐらいの片仮名がもう判読できないという能力です。ですから、相当に受像機がよくても、判断する方の人間の目がそれほど精度が高くないわけですから意味をなさないわけですね。特に、家庭でそれぞれの方が今お使いになっていらっしゃる型というのは、私がるる
説明を申し上げましたような家庭生活の変化から、大体十四から十六ぐらいを御家庭でそれぞれパーソナルとしてお持ちになっていらっしゃる。これが大体八〇%から九〇%占めているでしょうね。
そうなると、その方々が一挙に何千万円台というオーダーで、ハイビジョンが幾ら安くなってもそこに乗りかえるということは考えられないですね。ということは、ハイビジョン自体の意味合いが一四インチぐらいのテレビじゃ意味がないわけです。各家庭の部屋をみんな八畳にして三〇インチぐらいのテレビが見られるようになればそれは意味があると思いますが、現実的にはとても不可能なことですね。ですから、ハイビジョンというのは工学的にあるいは電子工学的に見ればとても可能性の大きなものではあるけれども、家庭でそれぞれの方々がそれぞれの部屋でそれぞれ随時にごらんになって
情報を得たりエンジョイメントを楽しんだりなさるについては、ハイビジョンは家庭的には普及しないんじゃないか。ですから、従来白黒がカラーに変わったごとくに劇的に変化し劇的に普及するんだというような前提でお考えになるととんでもない間違いを犯すと私は思います。
ですから、再三先ほどからの
質問で
会長がお答えになっているのは、どの程度に普及するか、あるいはどの程度
受信者の要望があるか、あるいはどの程度のハードが完成されて普及型ができるのかということでちゅうちょしてお答えになっていらっしゃいました。それはやっぱり、そういう不安もお持ちになっていますし、これからどうなるのかなという明確な指針といいますか絵がかけなかったために、そういう不安がそういうお答えになってあらわれていると思いますね。ですから、その方向を前に置いて、そこを視点にして事を運ぶというと大きな間違いを犯すような気がします。ハイビジョンはいけないと申しているわけじゃないんですけれども、研究は大いにしていただきたいんです。そういう家庭用の少なくともパーソナルなテレビとして普及するということは余りお考えにならない方がいいんじゃないか。
それからBSの問題なんです。衛星
放送ができたときは、これは難視聴解消のことからいってもすばらしい効果のあることだと思いますし、大変な発明です。私も心から驚いているんですけれども、これにしても、今のWOWOWの
経営がよくないというのが如実にそれを物語っていると思いますけれども、幾らきれいな音ときれいな映像を流しても、双方向通信でない限りはお仕着せで向こうから来る絵を受けるしかないんですよね。そうすると、
受信者にとっては余り魅力があるものじゃないんですよ。
というのは、WOWOWも一生懸命考えながらいろんなおもしろい
番組の映画を流してくれますけれども、しかし、大体普通都会で生活していれば六波とか八波は見られるわけでしょう。そのほか
NHKさんの衛星もあるわけです。人間一日だれしも二十四時間しかありませんし、そのうち大体八時間は寝るでしょう。そのうち生活に使う時間が何時間もあれば、テレビを見て過ごす時間というのはおのずと決まっていますね。その中でニュースも見なきゃならない、人の話にもおくれちゃならないということになると、ある程度決まったものを見たらそれでもう精いっぱい。ある種特別のものを見たいという方は、それはお仕着せのBSで見ませんよ。
というのは、
ビデオのレンタルショップがありますから、そこへ行けばWOWOWで選別して流してくれる映像が一晩三百円で借りられるわけですよ。それは夜中であろうと朝であろうと随時自分の好きな時間に見られるということになりますと、どんなにきれいな映像、きれいな音で、どんなにいい条件で流してくれても、お仕着せで流してくれる。そのために自分のスケジュールを合わせて見なきゃならないという人は、痛痒を感じてなかなかなじんでいきませんね。
ですから、そういう格好でBSを普及させていこうというようなこと、あるいは普及していくであろうというような想定のもとに事を運んでいくと、これまたWOWOWの二の舞になるんじゃないかと思うんです。
NHKさんだからこそ今一波を持っていて、これ
NHKの
受信料の中でやりくりしていますから何とかもっています。新たに別料金もいただいていますけれども、今の
NHKのシステムだからできるのであって、再三一波減らしてもいいんじゃないかというお話が出ていましたけれども、BSの先の視点をそういうところへ置いて、それを追いかけるととんでもない間違いを起こすことになるんじゃないか。
ですから、テレビはきちっといつでも正確な
報道と、それから望むものが常に見られる、そういう信頼性、いつもスイッチを入れれば普通の映像が流れるということが最大にして最善の結論ではないか。
一時プッシュホンというのが普及したときに、これはスピードが上がるほかに、新幹線の予約ができるとかあるいはコンピューターに接続して計算ができるなんて大変な宣伝をしました。それはおもしろいなと思ったけれども、実際にあれでコンピューターにつないで何か計算している人というのはよほどの専門家ですね。私は当
委員会でも申し上げたんですけれども、電話は確実にきちっといつでも話が通じればいいんだ、それ以上のものでも以下のものでもないんじゃないか、それを求めるのは無理だ、ほかのことでやればいいんだということを申し上げたことがあるんですけれども、
NHKが今まで培ってきた信頼というのは私はそこにあるのだと思います。
ですから、ハイビジョンというものが、すばらしければ何でも追っかければいいのかということじゃなくて、そういう方向で事を追うんじゃなくて、これからの
視聴者対象というものをよく考えて、どういう形で
受信者がテレビと対応していくんだとか、車の中にもある、それぞれの部屋にもあるというような格好でいくんだったら、やっぱりハイビジョンはその意味では何の役にも立たないということを考えます。
相手が人間のことですから、
受信者の対応の仕方も生活様式もそれぞれさまざまに変化していくかもわかりませんし、二十一世紀に向かうに当たってそれこそ生活様式がかなり変わってくる可能性もあります。例えば宅急便、宅配便みたいなもの
一つにしても、田舎のおふくろから小さな小包みが送られてきたという歌がありますけれども、たまに田舎からそういうことがあるのが我々の常識的な世界でしたけれども、今は年中無休、盆暮れなしですね。そう言っちゃなんですけれども、年寄りなんかは要りもしないものをやったりとったりしてかなりむだが多いんじゃないかと思うんです。
郵政省もそうですけれども、荷物が手軽にやったりとったりできるという状況から、通信販売というものとかあるいは地方の産物も手軽に、安直に手が届くということになって、買いだめのありようとかあるいは生活様式まで変わってきていますね。ですから、これから個人個人の生活様式がそれぞれ違った形で幸せを求めるという方向でバリエーションが大きくなりますと、従来ある
視聴者ニーズというものを完全無欠、変化のないものだというような上にのっとって事を進めると間違いが起こるんじゃないかということで、何も
質問しませんで要望だけ申し上げて大変恐縮でございますが、今までも御研さんあって重々お考えいただいていたと思うんですけれども、そのことについてお考えがありましたらお聞かせいただきたいと思います。