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参考人(
野呂昭朗君) 今の
質問の課題というのは非常に大きな課題で、短時間で答えるというのは容易ではないんですけれども、三点ほどに絞って私の
考えを述べてみたいと思います。
一つは、最近地方分権というので言われておることは、制度的にもいろんな改革をされつつあることには私大賛成でございますが、ただそこで
考えなきゃならないのは、どうも財政的に、地方分権のための財政システムはどうあるべきかということについでは、余り具体的な主張というのが見受けられないことは非常に残念に思っているわけでございます。
そこで、私せっかくの機会でございますので、私の日ごろ
考えていることをちょっと御披露させていただきたいと思います。
まず
一つには、なぜ地方分権か、あるいは財政システムを地方分権にしなければならないかというようなことの根本的な点をまず
考えてみる必要があると思うんです。それは、私ども
税負担にしても
考えてみた場合に、責任を持つ財政の運営のあり方というものは自主性がなければ責任をなかなか持てないわけです、ほかのものに依存したりしていたりしたらば。責任を持てないということは財政運営の有効性あるいは効率性というものも非常にあいまいになっていく、明確になってこないという点があろうかと思います。
つまり、地方の財政責任を明確にするためにも地方に財政面での自主性というものを拡充していく必要があるということなんです。これは単に財政だけを分離して税金をふやすとかそういうことだけではなくて、サービスと
負担というもののパッケージ、そういう両面から
考えてもらう。これは地方
政府が、地方団体が理事者を含め地方議員も含めて責任あるそういう行動をとると同時に、
地域の住民もまた
自分たちが受けたサービスに対して
負担をどうするのか、そういうことを自主的に
考えるそういうシステムをつくるべきであろうということで、地方分権の財政システムというものが非常に重要な面だろうというふうに
考えておるわけです。
そうしないと、サービスを提供する、生産する公共機関の生産性、効率性というものが保たれないんじゃないかということなんです。そういう自主性を与えることによってまた地方団体間の競争、住民のためにすばらしいことをしていこうというそういう自主的な競争が生まれてくることによって
地域の活性化、効率化が図られていくんだろう。そういう
考え方をやっぱり
基本にきちんと持つべきだろうということが第一点でございます。
それで、自主性を高めるということなんですが、きょうは地方税を
中心にして
考えておりますので、まず今の
現状を眺めてみますと、地方の自主性というものが非常に制約を受けている。税の面でも、自主
財源であると言われるんだけれどもどうも地方団体が自由裁量でもって税を拡充する余地というものがほとんどない、そういうところに問題があろうかと思います。もう少し地方自治体が自由裁量できる余地を残しておく必要があるということなんですね。
ただ、こう言ってしまうと自主
課税権だというふうに極端に解される向きがどうもあるので困るわけですが、税というのはやっぱり
全国的な統一といいますか、例えば
経済活動からいっても、勝手気ままに
税率が地方団体ごとに違っていたんじゃ
日本全体の調和のある
経済発展あるいは財政の中立性というのは保たれなくなりますので、そういう大枠はきちんと国の方で責任を持って決めてもらって、その中でもう少し自主的な余地、
税率面でもあるいはどういう
独立税が適当なのかというような面から見でももうちょっと考慮すべきであるということなんです。
ただ問題なのは、
日本の
全国を
考えてみますと、最近まで東京の一極集中ということが大きく問題になりましたが、
経済力が
地域によって非常に大きな格差があります。自主
課税権というふうなことを主張しますと、そういう財政力、税源の格差というものはまだまだ非常に大きいものがあるわけです。そういうことを
考えてみると、地方税というものはどの程度の地位が適当なのかということをどう
考えるかということなんです。
まず
一つは、どうしても地方のやっている仕事の中に、これは統一的な
全国的な水準において均一的にやらなきゃならない、画一的な
行政、標準的な
行政と言ってもいいしあるいはナショナルミニマムと言ってもいいと思うんですけれども、そういう
行政も行っていることは事実だし、そういう
行政が存在することも事実だろうと思うんです。
そういう
全国的な立場から見て、どこの
地域でも行われなきゃならないような
行政の
財源は、これはいかに
経済力が低くて税源のない
地域であっても国がきちんと保証する。保証する段階で、保証するのはいいんだけれども、もう少しそういう
経済力の低い
地域でも自前の
財源で住民の要求、ニーズに合った自主的なサービスをしたいと
考えた場合に、やっぱりそれをできるだけの余裕がなければならないと思うんですね。
そういう
意味からいけば、
税負担というものは、そういう例えばナショナルミニマム的なものを遂行するために要する
負担というものはできるだけ低くする。そして、自主的にサービスをしたいという面に住民の理解を得て
課税して、できるものはそういう
負担、先ほどサービスと
負担のパッケージと言いましたけれども、そういう地方
政府自体も住民も責任持って行えるようなそういう
状況をつくり出していくということであります。
今日、残念ながらずっと眺めてみますと、
経済力があって財政力もありそうな、東京はもちろんですけれども、そのほかの
地域でも、地方税というものだけではそういうものを実施できないほどどうも税源が乏しいと思うんです。つまり、国の方に交付税や補助金で依存しないとやっていけない。そういう
地域は国税をいっぱい納めているわけですから地方税としての余力はあるわけですね。だから、そういうところの地方税を拡充するような税構造というもの、例えば所得税を累進化する、今は比例的な税ですけれども、少し累進性を加味していくと
経済力のあるところには税収というものが入ってくるだろうということなんです。
そういう
経済力があって明らかに財政力があるはずの
地域には自主的にサービスをできるようなそういうようなことをしていかないと、財政運営の効率性というものが、もう有効なサービスの生産、提供というものもおぼつかなくなってくるというふうに
考えておるわけです。
大体以上でございます。