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参考人(
山本正君) 本日は、このような会にお招きいただきまして大変光栄に存じております。かつ、日ごろ大変尊敬しております
渡辺先生と御一緒に
発言させていただくということで、光栄に思い、かつ緊張している次第でございます。
申し上げたいことがたくさんありますもので、るるメモにしておるわけでございますが、このレジュメ全部をやっておりますと三十分で終わりませんので、適当にはしょった形で
お話をさせていただきたいと思います。
私が
お話し申し上げたいと思いますのは、二十一
世紀に向けた
日本の
責務を果たす
条件としての
外交のあり方、
外交の
活性化、今の
渡辺先生のお
言葉をおかりしますと、
活性化するための民間レベルの活動の重要性ということを日ごろ民間レベルで活動している現場の人間としての
お話としてさせていただきたいと思うわけでございます。したがって、やや我田引水にわたることも多々あろうかと思いますが、その点お許しいただければと思う次第でございます。
最初のところで私どもの
日本国際交流センターについての概要を書いておりますが、PRめいて恐縮でございますけれども、ここで特に私が申し上げたいのは、私どものセンターは我が国におきまして本当に数少ない、完全に独立した非
政府、非営利の団体であるということでございます。私、しょっちゅう人に聞かれますのは、あなたは外務省の方ですかというのとか、あなた経団連の方ですかとかいうことでございまして、私は私ですと言ってもなかなか御理解いただけないんで、その点特に強調させていただきたいと思います。
私ごとにわたりますけれども、私、一九六二年に米国の大学院を終わって帰ってまいりました後、元衆議院議員の小坂徳三郎先生が経済界におられるころに民間
外交をやっておられたわけで、そのお手伝いとして仕事をさせていただきまして、いろいろお世話になりまして、小坂さんの下で下田会議とか日米の議員交流を始めたわけであります。六九年に御出馬されまして選挙のお手伝いもしたわけですが、当選された後、どうしても私としては国際交流というものは中立の
立場で行われねばならないといういこじな
考えで、いろいろ御恩のありました小坂先生に対して大変不義理をしたわけでございますけれども、わがままをいたして独立させていただいたという、そういった背景を持った人間でございます。
私どもの活動についてはそこに書いてあるとおりで、細かく申し上げませんが、私、やっぱり国際交流というものは
時代の
変化とともにその機能、
役割というものが変わってくるものだと思っているわけであります。戦後の国際交流というものは友好親善を促進するという位置づけでよかったかと思いますが、今の国際交流はそれだけではだめなのではないか。後ほど申し上げたいと思うのでございますが、むしろ政策的なレベルでの対話とか共同研究、それから先ほど
渡辺先生が
変革のための
政治学ということをおっしゃいましたけれども、私どもは、やっぱり最終的に
国家間の
関係というものはそれぞれの国の中身が変わらないとよくならないのではないかという
考えを持っておりまして、その
意味では
変革のための国際交流という多少異端的な
言葉のように聞こえるかも存じませんが、このごろ強くそう信じて活動しておるものでございます。私どものセンターについてはもうこれ以上御説明申しませんが、
一つだけ、一切
政府の補助金をちょうだいしていないという点だけ強調させていただきたいと思います。
それで、タイトルの民間
外交というところに括弧づけで書いたわけでありますが、実は私は民間
外交という
言葉が大変嫌いでございまして、かといって我々の活動をどういうふうに呼んだらいいのかということで悩むわけであります。なぜ
外交という
言葉を使うのが嫌いかと申しますと、やっぱり最終的には
外交というのは
政府間の交渉、先ほど
渡辺先生がおっしゃったようなことだと思うのでございますが、そういったものに我々として立ち入るべきものではないと。例外的に何かお助けするようなことがあるかもしれませんけれども、これはあくまでも
政府の
役割だと私は理解しているわけであります。
しかしながら、先ほど
渡辺先生の非常に明快な御説明の中でなるほどと思ったんですが、
政府なき
統治への
動きがあるというのは、
国際社会においても
国内社会においても、これは全
世界で起こっていることではないかと思うわけでありまして、そういった
意味では、あえて我々の活動を性格づけるならば、すき間産業という
言葉がはやりましたけれども、言うなればすき間
外交なのかなと。
政府だけではとてもやり切れないような
世界になっておるわけなので、これは
国際社会の
関係においても、あるいは
国内社会においてもそうでございますけれども、我々の活動はそういったことかなと思っております。
この我々の活動は、外国においてもインフォーマル・ディプロマシーあるいは補完
外交とかピープルズ・ディプロマシー、民際
外交、いろいろ言われておりますけれども、要はあくまでも非営利で非
政府の
立場での交流活動あるいは国際的な協力活動というふうに御理解いただければよろしいんではないかと思います。
先ほどの
お話を本当に私は感銘を受けて伺っておったんですけれども、このところ非常に目立っておりますのが、私どものような活動をやっておる組織あるいは人間の国際的な連帯、横のつながりをつくろうという
動きが非常に活発になっておるわけであります。これは特に
アジア・
太平洋地域においてもそうでございまして、実は私ども、つい最近
調査プロジェクトを始めたんですが、そのプロジェクトの題名は
アジア・
太平洋の
地域的連帯のための基盤としての非
政府ネットワーク、英語名で言うともう少し簡単なんですが、訳すとそんなようなテーマになろうかと思います。
知的交流というレベルでも、民間の研究機関あるいは大学等を含めてですけれども、これは国際的に、全
世界的に非常にネットワーク化が進んでおります。
たまたま私、きのうECの本部の方と
お話をしておったんでございますが、トランス・アトランティック・ポリシー・ネットワークというのができたんだそうであります。きのう伺ったことをすぐここに書いておってずるいんでございますけれども、同じようなことが、
アジア・
太平洋で
安全保障研究者のネットワークができたり、経済の問題でもそうでありますけれども、民間レベルでのそういった研究機関、大学等のネットワーク化が非常に進み始めておるわけであります。
それからNGOの
世界、いわゆるグラスルーツ活動をやっておるNGOの活動においても、そこに幾つか書いておりますけれども、全
世界的にそのネットワーク化が進んでおるわけであります。
それからもう
一つ、我々民間が国と国との
関係にかかわり合いを深めていることの
一つのあらわれといたしまして、特に最近
日本と諸外国との
関係の中で賢人会議というのをつくるのが非常にはやっておるわけであります。私どもは実はこの賢人会議なるものの運営事務局をしょっちゅう外務省に頼まれておりまして、実はあしたも日独対話フォーラムというのを宮澤首相とコールさんの首脳会談で
決定するわけでありますが、それのお手伝いもするわけでございまして、かつて牛場大使のもとで日米ワイズマングループ、日米諮問
委員会、二度やりましたけれども、あるいは前回のこの
調査会で御
発言なさいました須之部大使のもとで日韓二十一
世紀委員会、それからたまたま来週第九回の会合を行います日英二〇〇〇年
委員会、そういったもののお手伝いもしておるわけであります。そのほかに、日仏、日中、
日本・カナダ等ございます。
政府がこういう民間人の力をかりてと申しましょうか、民間人の参加のもとにこういったワイズマングループをつくる必要性というか、時々便利に使われている面もありますけれども、こういうふうな
動きもやはり
政府だけでは対外
関係を律し切れないということを
政府の方々自身が認め始めておられることかなと思うわけでございます。そういった
意味で、我々は、国際的にも我々の活動、いわゆる民間
外交的なものの重要性というものが前以上に認識されてきているような気がするわけであります。
それでは話を進めまして、なぜその民間
外交的なものが必要になってきたのか、なぜその必要性が高まってきたのかということについて項目的に申し上げたいと思うのでありますけれども、これは余り細かく申し上げなくても御理解いただけると思います。
その第一が
国際関係の中での相互依存性の増大ということでございます。国の中と外との仕分けが余り明確でなくなってきた、あるいは対外
関係にかかわり合う人たちあるいは組織が非常に広がってきておる。アクターと申しますか、それは非
政府アクターという
表現があるようでございますけれども、例えば多国籍企業だとか、あるいは最近は直接的に外との
関係を求めて国際空港をつくりたいという地方自治体が
日本でも非常にふえておるわけでありますが、そういったような
意味での外とのつながりが非常に広い面を通じてのつながりになってきた。点と点の、外務省と国務省といったようなつながりだけでは日米
関係一つとってもうまくいかないという認識は相当広がっているんではないか。あるいは日米
関係においても東京とワシントンだけではうまくいかないのではないか。そういったような
意味で、
政府同士のつながりでの
関係というものが難しくなってきているということが
一つにはあろうかと思います。
そういったものをさらに混乱させるというか複雑化させているものとしては、
国際社会自体が大変情報化しておると。CNNはどこの国に行っても見られる。リアルタイムで外で起こっていることがすぐ茶の間へ飛び込んでくる。米国の
ソマリアへの支援というものが、CNNにおけるあのかわいそうな子供たち、やせ細った子供たちの映像なしにはあれほど早く
決定されなかったんではないかということが言われるわけでありますけれども、事ほどさように、メディア自体が国際化し、それがそれぞれの国の中での意思
決定、政策
決定に影響を与えているようになっているということはよく御存じのことかと思います。
第二に、
国内政治、
国内社会が非常に多様化しているということも我々のような民間の活動を重要にしている
一つのファクターではないかと思うわけであります。すなわち、まとまりのない国
同士のつき合いというものをどうするかという中で、とても
政府だけではだめだということになるわけだろうと思います。これも細かく申し上げる必要はないと思うんですけれども、例えば
日本の中でもかつてのように経済発展のみを
国家的な目標として進んできた
時代があったわけでありますが、今やそれだけでは済まなくなっておるわけです。ですから、価値観が多様化しておる。それから、国内的な利益集団も非常に多様化しておる。
それから、これは
日本のみならず、もちろん先進
諸国全体に起こっていることでありますけれども、
政治への市民参加というものが非常に広がっておる。
政治に対する市民の不信感というものが深まっているということも一面に言われておりますけれども、この間の米国の大統領選挙を見ても投票率は非常に上がっておるわけでありまして、この間たまたま
日本においでになっていた米国下院のフォーリー議長等の議員さんが今回非常に多用しておった
言葉でトークショーポリティックス、すなわちクリントン大統領は御存じのとおりトークショーにしょっちゅう出ていまして、あのCNNの有名なラリー・キング・ライブ・ショーというのがございますけれども、これは全議員がそれぞれの都市のメディアで、地方のメディアの中でトークショーがあるそうで、そのトークショーが
政治の行方を相当
支配するようになってきたと。ちなみに、現在のところ日米貿易
関係はトークショーのテーマになっていないけれども、それがテーマになったときは非常にややこしいことになるんではないかというのが米国議員の感想でございました。
いずれにしても、ここで申し上げたいのは、
政治というものの
方向をメディア自体が相当に影響するようになってきているということが言えようと思います。
日本においても、田原総一朗、筑紫さん、嶌さん、その他いらっしゃるわけでありますけれども、そのように
国内社会自体も非常に多様化してきている。
それから、
三つ目の要件といたしまして
冷戦構造終えん後の
国際社会の多様化ということを言っておるわけでありますけれども、ここでもまた
国際社会の
変化が民間
外交を要請しているということを申し上げたいわけであります。これについても、かつてのように米国対ソ連の対峙の中での
国際社会ということではなくて、非常に
地域紛争等がこのごろ顕在化しておりますけれども、地球的課題も顕在化し、それから宗教的、民族的、
地域的な対立もふえてきておる。
こういった中で、このポイントについて
一つだけ申し上げると、米国もそうなんだろうと思いますけれども、前以上に協議をする中で
物事を決めていく。コンサルタティブ、協議をしながらの対外
関係についての政策
決定というものがふえてきているということが言えるんではなかろうかと思うのでありますけれども、これも
渡辺先生がお触れになったことでありますが、そういったときに国際的なコンセンサスづくりというものが今まで以上に複雑であり、かつ困難になってきているのではないか。その中で民間
外交というんでしょうか、
政府以外のレベルでのコンセンサスづくりが重要になってきているんではないか。この点については後ほどもう一度簡単に触れたいと思うのでありますけれども、そういったこともあって、民間
外交は
政府同士のつながり以上のものが必要になってきているということが言えるのではなかろうかと思うわけであります。
ただいま申し上げましたことをまとめますと、いわく
外交というものが複雑化してきたということになるわけでありますけれども、これは言うなれば
国際社会の相互依存性が深まったということと、それから
国内社会が多様化してきたということをすべて反映しておるわけでありますけれども、国際的な政策調整の必要性が今まで以上に必要になってきておる。
それから、これはもう日ごろ先生方御経験、御体験になっていらっしゃることでありますけれども、対外的な
関係を
考えるときに国内的な利益との調整というものが非常に重要になってきておるし難しくなってきておる。これはお米の問題
一つとってもそうなんだろうと思いますけれども、これが
外交というものをますます複雑化させておる。
それから、国内自身の多様化に伴って国内の政策調整も非常に難しくなっている、国内的なコンセンサスをつくることも非常に難しくなってきていることはよく御存じのことだと思うわけであります。
それから、そういったことを反映して、これは本当に
渡辺先生の領域でございますけれども、
国際関係における
国家というものの
意味合いが、ネーションステートというものの
意味合いが前より相対的に低下してきているのではないか。そういった
意味ではすき間が非常にふえてきている。そこで、すき間
外交の
役割がふえてきているということが言えるのではないかと思うわけであります。
そういったことで、それではいわゆる民間
外交、嫌いな
言葉でありますけれども、あえて
一つのコードネームとして使わせていただきますが、この民間
外交の機能というものはどういうことなのか。よく民間
外交民間
外交といろいろな方がおっしゃるんですけれども、その
意味ということについては余り正確に定義しないで使われている
傾向があるというのが私の印象でございまして、あえて今ここで、非常に雑駁なものではありますけれども、私なりにまとめてみたのがそこに出ておる幾つかのポイントでございます。
一つは、ちなみに民間
外交の
主体としていわゆるシンクタンク、民間の研究機関とか民間の財団だとか、あるいは国際交流団体、NGOといったものがその
主体になるわけでありますけれども、結局
一つは国内的政策論議を起こして、コンセンサス形成のために貢献するというのが
一つの
役割だというふうに私は理解しておるわけであります。
特に、米国の場合、あれだけ多様化した社会の中で、政策的コンセンサスをつくるに当たってシンクタンクの果たしている
役割というのは非常に大きいのであると思うのでありますけれども、これはシンクタンクが政策の選択肢をいろいろ提示いたしまして、それをめぐって論議が展開されるというパターンがしょっちゅう見られるわけでございます。かつ、最近非常に新しい
傾向といたしまして、特にワシントンのシンクタンクでは議会
関係者等々をその活動の中に巻き込んで仕事をする。あるいは彼らの政策研究の成果をすぐに書き物にして、簡単なごユースレターにして議会
関係者等にばらまくとか、最近ワシントン、アメリカで注目を浴びている本に「
アイデア・ブローカーズ」というジェームス・スミスという人の書いた本がございますけれども、これの副題が、英語でございますが、「シンクタンク・アンド・ザ・ライズ・オブ・ザ・ニューポリシー・エリート」、すなわちシンクタンクというものを通じて新しい政策エリートができ始めているよということでございます。
先ほどの
渡辺先生の御指摘にございましたけれども、現在、これ衆議院でございますか、第三秘書というのは。これは政策秘書ということのようでございますけれども、私の乱暴な私見を申し上げると、第三秘書、政策秘書というものが機能できるためにはいろいろな
条件が周りになくてはやっぱりできないんじゃないかと思うんです。結局、とどのつまりは政策秘書が官庁に行って
意見を聞いてきて紙にするといったような
状況が
日本では起こりやすいんではないか。やはり民間で相当自由濶達にいろんな
立場で政策を研究し、政策提言をするといったものが定着していない限りにおいては、もちろん相当できるとは思いますけれども、なかなか議会の中だけでいろんな政策立案ということをするのは難しいのではないかというのが私の印象でございます。
それからもう
一つ、これも米国あるいは欧州の一部において非常に注目すべきなのはいわゆる民間の組織、例えば米国にはワールド・アフェアーズ・カウンシルなんというものがございますけれども、これが全米百都市以上にございまして、そういったところでしょっちゅうその
地域のオピニオンリーダーを集めては国際問題、
外交問題についてのセミナーをやったり、外国の有識者を呼んで話をさせたり、そういった啓蒙活動をやっておるわけです。そのようなことを通じて対外政策についてのコンセンサスづくりの基礎をつくるといった活動があるのではなかろうかと思います。
そこの最後に書いております行政的、党派的、学問分野的な制約を超えた政策の模索ということはありますけれども、多少我田引水ですけれども、これは民間の私どもが仕事をやるときは比較的自民党の先生方も社会党の先生方も、あるいは経済学の先生も
政治学の先生も一緒になって活動しやすいんですね。やっぱり民間であるからぬえ的な活動ができるということなのかもしれませんけれども、非常に縦割り的な社会、特にタコつぼ社会と言われておるような
日本においてはやはり民間機関が果たし得る
役割が非常に多いんではなかろうかと自負しているような次第であります。
先を急ぎますと、今国内的な点だけで申し上げたわけでありますけれども、国際的にはやはり共同研究、対話あるいは情報ネットワークを通じてその共通な政策の模索が行われるということが、先ほど申し上げましたとおり非常に活発になっておるわけでございます。特に、民間のレベルでのこういった活動の強いところは、
政府間の協議によりますとどうしても短期的な視点で目の前の課題に取り組まねばならないという制約があるわけであります。やっぱり民間の場合はあくまでも長期的な観点で、超
国家利益というと言い過ぎかもしれませんけれども、狭い定義での
国家利益ということを一応置いて討議をすることができるといったような長所があるんではなかろうかと思うわけであります。
それから、
政府間の協議の前にインフォーマルな形で、非公式な形で政策についての
意見交換を行うことによって
政府レベルの協議のために役立つというケースがいろいろあるというふうに実際に見聞きしておるわけであります。これもたまたまきのうお目にかかったECの本部の方が言っておられたわけでありますけれども、ECの中での政策
決定過程の中で、
政府間
同士の協議の前にそのような非公式な協議が非常にふえておる、それが非常に役に立っているということを言っておられたわけであります。
そういったこと以外に、そういったネットワークを通じて情報の受け渡しが活発に行われるようになっておる。このように相互依存
関係が深まってまいりますと、他の国が何を
考えているかということは、新聞、テレビ等というよりも、やはり個人的な信頼感に基づいたような
関係の中でより正確な情報が受け渡しされることが、非常にそういったことの重要性がふえてきているというふうに思うわけでございます。
三つ目といたしまして、そのことと
関係してですけれども、私どもの民間の活動を通じてのみというわけではありませんけれども、その方がよりオピニオンリーダーあるいは政策研究者等の間の個人的な信頼
関係をつくることができるのではないかと思うわけであります。申し上げましたとおり、そういったものを通じての情報交換が円滑化されますし、それから信頼
関係に基づいた共同作業ができる。欧米間でしょっちゅう目につきますのは、実際に
物事の交渉をする
政府の担当者がその
政府に入る前に民間のレベルでお互いに知り合っているというケースが非常に多いわけであります。こういったものが交渉自体のあり方にも影響を与えるのではないか。
ヘンリー・キッシンジャーが最近言っておったことですけれども、非常におもしろいと思いましたのは、あるアメリカの
政治家がフランスについて相当批判的なスピーチをしようとすると、そうすると彼の目の前に彼の友達のフランス人の顔が十人ぐらいぱぱっと出る。そうすると彼のフランス批判のスピーチもおのずから相当トーンダウンされると。ところが、
日本について何か言おうというときは一人も顔が出てこないというんです。これをもって顔のない
日本の
外交の限界なのかなというふうに思うわけであります。事ほどさように、これだけメディアの発達した
時代でありますけれども、そういったやはり個人的な信頼
関係を通じての情報の交換あるいは協議というものが重要になってきているんではないかと思うわけであります。
それから、
政府間協議に対する影響ということは、そういった今申し上げたようなことを繰り返しておるわけでありますが、あくまでも限界はございますけれども、民間のレベルでの活動を通じて
政府間の協議に影響を与えるのではないかと思うわけであります。
一つだけ、その項目の中で書いておりますことは、「地球的課題等を重視する超
国家的視点の提供」、ややこしい言い方をしておりますけれども、やはり法と
正義といったような観点が
国家間において非常に重要になってきているときには、非営利、非
政府の
立場での御
意見番というものの重要性はこれまで以上に重要になってきているんではないかということを思うわけでありまして、やはり今NGOの中で人道問題等についての
発言が非常にふえているのは、そういったことの
一つのあらわれだというふうに私は思っておるわけてあります。
最後のところでありますけれども、これは私どものセンターについても申し上げたわけてありますが、
国内社会の国際化を通じた貢献、それぞれの国が国際化していかない限りにおいては
国家間の
関係というのは改善されないし、有効に円滑に維持できない、こういう
世界になってきたんだと思うわけでありまして、そういった
意味で民間の活動を通じての国際化というものが非常に重要になってきている。
最近では地方の国際化というふうなことが起こっておりますけれども、これは我々の
世界の中で非常に明るい
一つの
動きだと思っております。何といっても
日本にとって特に重要だと思いますのは、米国で言うカルチュラルダイバーシティー、文化的多様性をいかに受けとめるか、価値の多様性に対して
日本がいかに対応できるかというのが大きな課題だと思うのでありますけれども、こういったものは
政府の号令だけではできるものではございません。やはり幅広い民間の参加を通じてのみできるんではないかと思うわけであります。
最後に、残された数分で
日本の課題ということを申し上げたいと思うわけでありますが、
一言で申し上げますと、民間レベルでのこういった活動を行う体制は極めて脆弱であると言わざるを得ないと思います。
最近、私どもの敬愛する大来佐武郎先生がお亡くなりになりましたけれども、これは我々民間レベルでのこういった対外活動の
世界においては大変大きな打撃であるわけです。かつて、そういった面で活躍された牛場さん、前川さん、今度は大来さんということで、全く戦艦を全部失ってしまったような
状況であります。とにかく人材が少ない。国際的なネットワークと申しますけれども、国際会議に出るのは金太郎あめみたいなものでございまして、いつでも同じような顔が出ているというのが海外でも有名でございます。なかなか新しい人が出てこない。これは
一つにはやっぱり公益という部門、公益にかかわることについて民間がかかわり合うという伝統が
日本の場合には余りにもなかった。官僚
支配というと多少官僚に対してネガティブなように聞こえるかもしれませんけれども、
日本の優秀な官僚が
日本の近代化を仕切ってきた。そういった中で民間が参加するという伝統が極めて少なかったと思うわけです。
それから、
渡辺先生を前にしてでございますけれども、いわゆる知的な伝統においても大学
関係者等が実際に政策にかかわるようなことに口を出し手を出すのは余り望ましくないというふうに長いこと思われておったんではないかなと思うわけでありまして、学者の方が実際に政策論議等に参加されるのは極めて最近のことであって、したがってそういったことをなさる方が少ない。
それから、国際交流、国際共同研究、そういったもののお世話をする組織、この辺になると本当に我田引水になりますけれども、これが極めて少ない。それの最大の問題は財政的な問題でございまして、これにはやはり免税措置の問題が相当大きいわけでございます。私ども、一九八八年に国際交流寄附免税というものの第一号にならせていただいたわけでありますけれども、それにしても大変な書類の山を築いた上でやっといただくということでありました。現在、特定公益増進法人というのは約七百ございますけれども、その中で
国際関係は約千弱であります。その七百のうちの多くは官庁がおつくりになって、補助金で官庁の方がお入りになって運営されているということが圧倒的に多いというわけでありまして、そういった
意味では本当の
意味での民間ではないというふうに私は思っておるわけであります。
決して官に対する悪口を言うつもりはないわけでありまして、私どもの仕事の中でも外務省等幾つかの官庁と一緒になって仕事をするケースが前よりよほどふえておるわけであります。ただ、やはり基本的に官の
世界にいらっしゃる方が民に対する姿勢というものは旧来どおりということがあると思うわけでありまして、より積極的に民間の活動を評価し、その協力を呼びかけるという姿勢が望ましいと思うわけであります。
一方において、民の方も、ややもすると今までの民間機関あるいはNGOというものは反
政府というのが旗印だったわけでありまして、それなりの理由があるわけでありますけれども、特にこのような
時代になってまいりますと、NGOにしてもより責任を持った形で
政府に協力をするというスタンスを持ってもいいんではないか。そういった
意味では、対外
関係を今後向上させていくためには、あるいは
日本の
外交をより
活性化させていくためには真の
意味での官民のパートナーシップが必要なのではないかと日ごろ感じて仕事をしている次第でございます。
どうもありがとうございました。