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1993-06-11 第126回国会 参議院 環境特別委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成五年六月十一日(金曜日)    午後一時三分開会     ―――――――――――――    委員異動  六月十日     辞任         補欠選任      野間  赳君     野村 五男君  六月十一日     辞任         補欠選任      野村 五男君     野間  赳君      竹村 泰子君     会田 長栄君     ―――――――――――――   出席者は左のとおり。     委員長         松前 達郎君     理 事                 石川  弘君                 西田 吉宏君                 堂本 暁子君                 広中和歌子君     委 員                 石渡 清元君                 河本 英典君                 釘宮  磐君                 須藤良太郎君                 野間  赳君                 野村 五男君                 真島 一男君                 会田 長栄君                 大脇 雅子君                 中尾 則幸君                 本岡 昭次君                 横尾 和伸君                 勝木 健司君                 有働 正治君                 粟森  喬君    政府委員        環境庁長官官房        長        森  仁美君        環境庁企画調整        局長       八木橋惇夫君    事務局側        第二特別調査室        長        小林 正二君    公述人        福岡大学法学部        教授       浅野 直人君        大阪市立大学理        学部助教授    川道 武男君        筑波大学社会工        学系助教授        日本国際ボラン        ティアセンター        代表       岩崎 駿介君        全国公害患者の        会連合会幹事長        全国公害被害者        総行動実行委員        会事務局長    森脇 君雄君        学     生  鈴木 徹也君     ―――――――――――――   本日の会議に付した案件 ○環境基本法案内閣提出衆議院送付) ○環境基本法施行に伴う関係法律整備等に関  する法律案内閣提出衆議院送付)     ―――――――――――――
  2. 松前達郎

    委員長松前達郎君) ただいまから環境特別委員会公聴会を開会いたします。  まず、委員異動について御報告いたします。  昨日、野間赳君が委員辞任され、その補欠として野村五男君が選任されました。  また、本日、竹村泰子君が委員辞任され、その補欠として会田長栄君が選任されました。     ―――――――――――――
  3. 松前達郎

    委員長松前達郎君) 本日は、環境基本法案及び環境基本法施行に伴う関係法律整備等に関する法律案の両案につきまして、福岡大学法学部教授浅野直人君、大阪市立大学理学部助教授川道武男君、日本国際ボランティアセンター代表岩崎駿介君、全国公害患者会連合会幹事長森脇君雄君及び学生の鈴木徹也君の五名の公述人方々から御意見を伺います。  この際、公述人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  皆様には、御多忙中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございました。皆様から忌憚のない御意見を拝聴し、今後の両案審査の参考にいたしたいと存じております。どうぞよろしくお願いを申し上げます。  次に、会議の進め方について申し上げます。  まず、お一人二十分程度で順次御意見をお述べいただき、その後、委員質疑にお答えいただきたいと存じます。  それでは、これより公述人方々に順次御意見をお述べいただきます。まず、浅野公述人にお願いいたします。浅野公述人
  4. 浅野直人

    公述人浅野直人君) 福岡大学法学部浅野でございます。  本日は、意見陳述の機会を与えられましたことを感謝申し上げます。座って陳述をさせていただきます。  私は、環境問題につきまして法律制度立場から研究を進めてきた者の一人といたしまして、本日の議題となっております環境基本法案について意見陳述させていただくことにいたします。  私が大学の研究室に入りましたのは昭和四十一年春のことでございましたが、翌昭和四十二年に公害対策基本法が制定されました。今日ではそれから既に四半世紀以上経過しているということになります。もっとも同法は、当時の我が国環境問題に対処するための政策基本を整理し、公害の定義を初め、効率的かつ効果的に環境施策を進める上で大きな役割を果たしてきたと評価できます。一方、自然環境保全は、我が国では昭和六年の国立公園制度以来の伝統を持った分野であり、昭和四十七年の自然環境保全法は、これについての政策を体系的に整理したものとしてこれまた大きな役割を果たしてまいりました。  しかし、昭和六十二年に公害対策基本法二十周年に際して行われましたある座談会でも申し上げたことでございますけれども、環境政策公害防止自然環境保全の二本立でではなく、統合的で一体性のある政策理念のもとに一元的に進められる必要がございます。  環境といえば、さわやかな空気、豊かな緑、きれいな水辺などとよく標語にされることでございますけれども、さわやかな空気大気汚染防止の問題である、豊かな緑は自然保全の問題である、こういうふうに分断をしてしまいますと、森林が炭酸ガスを浄化し、水源を涵養し、我々への環境の恵みを与えてくれているというようなことを統合的に説明することはできないだろうと思うわけでございます。  また、従来の環境政策法のもとでは、我が国の主要な環境政策課題公害未然防止公害被害の救済、さらに原生自然環境保全地域とか天然記念物といったような言葉に代表される貴重な自然の保護中心になるという印象が強かったことは否めません。もちろん、これらは今日なお政策課題としての重要性を失っているわけではございませんけれども、社会的経済的活動によって、目に見える被害にはつながらないまでも、環境への負荷が増大をし、また身の回りのありふれた自然との共生が困難になりつつあることに配慮する必要がございます。さらに、地球的規模環境問題の解決にも視野を広げた環境政策展開していく ことが求められておるわけでございます。  したがいまして、我が国環境政策を一つの法体系のもとに統一し、かつ従来よりも長く広い射程距離を持って展開するために、またそのことを国の内外に明らかにするためにも、提案されておりますような環境基本法を制定することはぜひ必要でございます。率直に申しますと、やや遅かったのではないかと言いたいような気持ちさえするわけでございます。なお、統合的な環境政策法の例といたしましては、我が国昭和五十四年に当たる年に中華人民共和国環境保護法が制定されているようなこともございます。  以下、提案されております環境基本法案、以下法案と申しますが、これにつきまして六点ばかり意見陳述させていただきたく存じます。  まず、法案第三条から第五条までの基本理念についてでございます。  法案三条の示します環境の健全な維持、とりわけ生態系の均衡の維持必要性、これは環境科学知見が示すところでございます。また、将来世代への環境の恵沢の継承の必要性、これは近年地球規模環境問題を契機として広く国際的にも認識されるようになってきた事柄でございまして、我が国法律条文にこれらが記載されたことは画期的であると思われます。法律専門家の間でもこの種の認識はまだ不十分でございまして、将来世代まで法益の対象としようという発想は、法律学の理論にも影響を及ぼすのではないだろうかという気さえいたします。  また、第四条の環境負荷低減とこれに関するすべての者の公平な役割分担社会システムにさかのぼって環境負荷の少ない健全な経済の発展を図りつつ、持続的発展が可能な社会の構築を目指すとする理念も、主として特定の社会経済活動環境に著しい被害まで引き起こした産業公害以外にも、広く国民社会生活活動に起因するいわゆる都市・生活型公害とか廃棄物増大といったような社会経済システムに起因する問題、さらには地球温暖化のような人間存在そのものに起因するとすら言われる問題を解く極めて重要な理念であろうかと存ずるわけでございます。特に、公平な負担分担は、新たな時代の環境政策課題解決のための重要なキーワードであることを強調しておく必要があろうと存じます。  また、同条が科学的知見の充実のもとに環境保全上の支障の未然防止を図るべきものとするという点も重要でございます。このためには、科学的知見充実のための研究に関して官民を問わず努力をしていく必要がございますし、科学的知見社会システムへの適用実践ということにつきましては、自然科学のみならず社会人文科学との学際的交流が不可欠であろうと存じます。  従来、科学的不確実さを理由に対策を講じないという傾向がございまして、そのことへの反省の余りに、科学的には誤謬と言える事柄についての正確な情報抜きにキャンペーンを行うというようなことが起こりますと、あるべき社会的合意形成をかえって困難にしてしまうおそれもあるかと存じます。  第五条の国際協調は、いわば日本国憲法の掲げる国是とも言うべきものでございまして、何人も異論のないところであろうかと存じます。環境基本法は、国内法として我が国が何をしようとしているかということを明らかにするものでありますが、この第五条の表現は、昨年のリオの会議以降に制定されるものとしては、諸外国にも十分理解され得る理念であろうと思われるところでございます。  ところで、法案のこの基本理念を受けまして、国、地方公共団体事業者国民責務が記されております。責務規定とか、さかのぼって言いますと、そもそもこの基本法といったようなものは実効性の担保に乏しい法律条文であり、こういったような規定には法的意義を見出し得ないとする見解を持っている法学者もおりますけれども、私は国会の御決議による法律に示された政策の記述というものは、次の法政策法技術を生み出す源となるものと考えておりまして、決して軽いものであるとは思っておりません。  ところで、法案の第八条は、事業者に対して、第二項、第三項で製品の製造、加工、販売等に当たっての廃棄物としての処理の適正化、あるいは最終ユーザー段階での製品の使用、廃棄による環境負荷低減責務、あるいは環境負荷低減に資する資材等使用責務を定めております。それらは資源適正利用資源循環確保あるいは環境負荷低減に関する具体的施策ということを考える手がかりになる規定であろうと思われるわけでございまして、高く評価をしたいと思っております。そして、こういったような規定は、公害自然保護を超える新たな時期の環境政策課題の端的な表現であるとも思われます。  法案二十四条では、このような事柄についての国が行うべき施策に関しまして「技術的支援等」と規定をしておりますけれども、これにはさらに経済的措置を含む政策が進められることを強く期待したいものと考えているわけでございます。  次に、法案第十五条の環境基本計画について申し述べます。  私は、法案第十四条に施策に関する三項目の指針が示されており、かつ施策有機的連携確保と総合的、計画的展開を要するものとした上での十五条であるということに特に注目をしたいと存じます。基本理念とあわせて、自然的な環境構成要素の良好な状態の保持、生物の多様性確保と地域の自然的社会的条件に応じた自然環境体系的保全、人と自然の触れ合いの確保、こういったような指針自然環境保全法にも明文の規定がなかった部分でございまして、ここでは人の社会生活と接点を持ち、かつ人との共生を要する自然環境との関係など、国内環境保全施策展開に際して考慮されるべき事項が示されており、これらを受けまして各施策計画的調整推進枠組みとして環境基本計画が定められるべきものとされております。  従来、自然環境保全法に基づく自然環境保全基本方針が定められておりましたが、これは本法案で申しますと基本理念指針に相当する部分を詳細に定めたものということができますけれども、しかし総合的かつ長期的な施策の大綱を示すものではございませんでした。環境に関する施策は長期の見通しを持って推進される必要がある部分を多く含んでおりますので、政府全体で環境保全施策調整推進する制度的な枠組みが法定されるということは大変意義深いことでございまして、ある意味では画期的なことであろうかと存じます。  なお、環境に係る施策は多様でございまして、多くの省庁の施策にわたることでございますから、基本計画で大綱を示す、またさらに総合的、計画的推進を要する事項を定めた上で詳細は各制度にゆだねる方法をとるということも、施策多様性確保する、また各施策への環境配慮の組み込みを促進するということにもなるわけでございまして、合理的な発想であろうと存じます。  各施策環境配慮を組み込むということは、環境基本計画策定手続閣議決定とされていることによっても担保されるものと考えます。つまり、政府の決定する他の計画は、閣議決定整合性を持ったものでなければならないということからいたしましても、当然に環境基本計画の方向に沿ったものとなるべきでございまして、計画間の整合性確保も図られるようになるだろうと存じます。  個別の国の政策は、法案第十九条の環境保全への一般的な配慮条項とも関連づけますとさらに明確になるものと思われるところでございまして、本法案を表面的に眺めて単なるプログラムにすぎないと主張することも自由でございますが、個別の政策段階での環境配慮というのは、本法案のような段階を追ったシステムを構築していくことから始めることが、多岐にわたる個別制度のすべてを徹底的にチェックすることが実際は困難でございますので、適正な問題解決に資する合理的な思考方法ではなかろうかと考えるわけでございま す。  なお、地球温暖化防止行動計画は、地球環境保全閣僚会議決定に基づく政策として定められておりますけれども、本法案成立後は、従来の計画環境基本計画の中に適切に位置づけ、体系的整合を図ることも可能ではなかろうかと考えたりもいたしております。  次に、法案環境影響評価推進について第二十条に規定しております。法案では「必要な措置を講ずるもの」としておりますけれども、この条文の前半では、事業者環境影響調査評価し、その結果に基づいて事業に係る環境保全の適正な配慮をするべきことが当然の前提とされているということに注目をしたいと存じます。  これは、環境影響評価法律で一般的に位置づけられたものと、こう考えられるわけでございまして、現在の閣議決定による環境影響評価システムよりも広範囲に一般的な環境影響評価責務というものを示しているようでございます。総理も、内外制度実施状況等に関し、関係省庁一体となって調査研究を行い、その結果を踏まえ、社会経済情勢変化等を勘案しつつ、法制化を含め所要の見直しについて検討すると答弁しておられるようでございますので、今後必要な措置が講じられるものと存じます。  私は、この場合にまずなされるべき事柄は、公害自然保護を一体的に取り扱うべきものとされた環境基本法制度のもとで、環境影響を考えるその評価についての考え方や尺度を、これから法案成立後に準備されるでありましょう環境基本計画等をも勘案しながら、十分に検討することであろうと考えております。特に、従来、ともすれば数値化された指標、例えば環境基準を達成するということだけに関心が向けられておりまして、統合的な環境把握であるとか、人と環境のあるべき共生といったような事柄への関心が後退しがちであったように思われます。  例えば、環境影響評価事業者あるいは第三者のいずれに実施させるべきかといったようなこと等、環境影響評価制度に関する議論が多いわけでございますけれども、私が述べましたような課題の処理をすることなしには、これらの論議もかえって本質を外れてしまうことを恐れるものでございます。つまり、法制化も含めて環境影響評価制度を見直していくにいたしましても、そのために検討すべき事柄が多くございますので、現行制度の不備を補いつつ検討しようという御趣旨でございますならば、総理の御発言に賛意を表したいと思うわけでございます。  次に、法案二十二条の「環境保全上の支障を防止するための経済的措置」について一言申し上げます。  同条は、第一項で助成、第二項で負担について定めておりますが、経済的インセンティブ手法を用いた環境施策展開を図ることの必要性はかねてから経済学者中心に強く指摘され、国際的にも推奨されているところでございます。法律専門立場からも、広く市民生活の内から生ずる環境負荷につきましては、罰則等を含む従来の規制法技術手法に限界を感じておりました。  例えば、自動車の排気ガスによる窒素酸化物汚染の軽減とか公共用水域家庭雑排水による汚染対策などは、ある意味では在来の手法になじまなかったために、対策が後手に回っていたと言えなくもないように思われます。経済的なインセンティブと申しますと、環境へのコストを経済活動に内部化いたしまして、市場の中で選択させることによって公平を確保する、営業者同士であればその間の公平な競争条件を用意するといったような意味もあるのではないかと思います。  二十二条をめぐる議論は、地球温暖化との関連での環境税の導入の観点のみが注目されているようでございますけれども、もちろん不特定の負荷源に対する施策という意味では、温暖化対策にも経済的インセンティブを利用した施策が有効でございましょう。しかしながら、この手法を導入すべき必要性は今日の環境政策の全般にわたるものでございまして、慎重な言い回しながら、法案が導入に関する調査研究と準備のための手順を示して、制度に理解を示していることの意義評価したいと存じます。  なお、前にも申しましたが、汚染防止にとどまらず、資源適正利用資源循環確保という面での事業者環境負荷低減に関する具体的施策積極的推進のためにも、この経済的措置の果たす役割は大きいものがございます。特に第二項に掲げられました事項につきましては、現行法制度の盲点のような部分でございまして、しばしば経済学者から法律学者に対する勉強不足を指摘されているというような点でもございまして、私は大いに法案に期待をいたしているものの一人でございます。  次に、地球環境保全等に関する国際協力について、法案三十二条以下に規定するところについて申し上げます。  第五条の基本理念を具体化するものとしての三十五条までの条文は、国際環境法を専攻する同僚の意見を求めましたが、大変好評でございます。このような国際協力に関する規定法案に盛り込まれたことは、諸外国に対する我が国の姿勢を明確にし、理解を得るためにも有意義であろうかと存じます。特に、国内法としての法案でございますから、これに記載できることにはある意味では限界があろうかと思われるところでございますけれども、開発途上国地域環境保全や国際的に高い価値があると認められている環境保全への支援、またこれらに関する二国ないしは多国間協力に関する規定は、政策の宣明としては、初めにも述べましたように諸外国に理解されるものと存じます。  また、国の直接的な支援協力だけではなく、この分野では既に地方公共団体民間ボランティア活動が見られまして大きな成果を上げておりますが、法案がきめ細かくボランティア活動にも触れてこれに対する支援規定していることは、今後の余暇活用時代価値多様化時代国民国際化を図り、我が国国際貢献多様化環境面でも図るといったような意味意義が深いものがあろうかと存じます。今後の施策の具体的な展開に大いに期待したいものでございます。  なお、日本事業者の海外における活動のあり方につきましては、公害輸出といったような批判も見られないわけではございませんで、国内法によって事業者行動について直接的な規制を加えるべきであるとの意見も見られるところでございます。しかし一方では、海外活動における我が国事業者環境配慮をしているその実際が、場合によっては経済国際競争力を減殺する結果になりかねないというようなこともあるような話でございまして、こういうことについては我が国国内海外諸国情報が適切に伝わっていないのではないかという思いもしております。  海外活動国内法による規制については、相手国国家主権との調整の問題とかあるいは海外法人化している事業者とのバランスをどう維持するかといったような問題がございまして、理論的には問題も多いように思われますので、当面はモラルコードのような形でのコントロールにゆだねるほかはないかと思われます。  法案は、国際協力に関する国の施策中心規定を置いております関係上、この問題に関する三十五条においても、「情報の提供その他の必要な措置」と記すにとどめておりますけれども、事業者はもともと五条を含む基本理念にのっとって八条四項の責務を負うものでございますので、私の考えているような配慮は今後なされるであろうと期待をいたしたいと存じているわけでございます。  このほか国内環境政策につきまして、従来から地方公共団体役割が随分大きかったわけでございますけれども、法案の第七条は地方公共団体にその区域の自然的社会的条件に応じた施策の策定、実施の責務を定めていることは、これまでの環境政策伝統を踏まえた適切な立法態度であろうと評価をいたしております。  以上、時間の制約がございまして部分的な意見 の開陳にとどまってしまいましたが、私は、本法案はさまざまな点で画期的であり、かつ国際的な水準を上回る内容を含んでいるものであると思います。そして、さきにも述べましたように、我が国環境政策基本的な考え方を整理、体系化し、国の内外に明らかにするためには、このような基本法を速やかに制定すべきであると考えます。無論、理想を述べれば限りのないことでございます。したがって、現段階におきましては本法案の内容を是とし、速やかに本国会において本案が採択されることが望ましいと考える次第でございます。  これで私の意見陳述を終わらせていただきます。どうもありがとうございました。
  5. 松前達郎

    委員長松前達郎君) ありがとうございました。  次に、川道公述人にお願いいたします。川道公述人
  6. 川道武男

    公述人川道武男君) 川道武男でございます。  私は、ナキウサギとかムササビといったような哺乳類の野外研究を二十五年ほどやってまいりましたので、動物学者立場から現在の日本列島状況及び動物生態学者としての要望をまずお話ししたいと思います。そして、法律そのものには疎いものですから、法案との接点については後ほどの質疑でお答えできるかと思います。  じゃ、座らせていただきます。  日本列島というのは非常に豊かな自然がありますが、皆さん御存じのように非常に寒いところから暖かいところまで、亜寒帯から亜熱帯にかけての非常に広い自然を含むとともに、大陸からほどよく離れていて、地質学的に時々大陸と陸続きになったことによって日本列島は非常に豊かな、そして日本国有の動植物が多数現在まで生き延びてきたという意味で、我々の国土を誇りとするものでございます。  ところが、その日本列島始まって以来の大規模破壊が、皆さん御存じのとおり、田中角榮の列島改造論及びそこにおける日本企業の河川の改修及び汚染が広がる、そして同時に、国有林野事業における独立採算制というものが導入されたことによって、我が国の緑の占める国有林の比率の高さからいいまして、この二つが非常に現在もなお大きな傷跡となっているわけです。  さて、ここ十年ではまた新たな展開が自然破壊で見られまして、そのポイントとしては四つございます。  一つはゴルフ場と核家族化に伴います丘陵地帯の自然破壊でございます。これによっていわゆる里山、ふるさとの小川や小さな山ですか、タケノコをとりに行ったそういうものがほとんど機械力によって破壊されている現状でございます。  それから二番目は、半人工的自然の増加に伴います自然破壊でございます。これは、例えば最近、自然に親しむとか水に親しむといったような形で郊外の森林を整備すると称してほとんどが破壊されていまして、そこには野生の動植物がそのまま群集として温存できないような公園が多々出てまいります。  または、自然海岸がなくなったということで、人工的に南半球のオーストラリアから白い砂を多量に運び込んでまき散らすということをしております。特にこれは重大問題でございまして、南半球で独自に進化してまいりました間隙生物が砂と一緒に日本に運ばれてくることでございまして、それに対する消毒、殺菌、全くなすことなく日本の海岸に何十万トンという形で入れますので、多分我々の目に見えないところで物すごい海岸における生物相の入れかわりが起こっているのではないかというようなことがほとんど野放しになって進んでおります。  それから三点目は、本土の四島及び多数の属島で独自の生態系が進化してきたんですが、それぞれがみんな攪乱を受けている。一番重要な一つとしては、外国産の帰化動物ということがございまして、例えば霊鳥類猿の仲間の最北に位置します青森県の下北半島のニホンザルが、タイフシザルを放し飼いにすることによって混血がどんどん進んできている。タイフシザルはしっぽが長くてニホンザルは短いので、その真ん中のしっぽの子供が、日本の猿学で有名なここで起こっている。また、岐阜県可児市においてアライグマを放したら、アライグマがどんどんふえて何百頭にもなっている。  また、袋角というのが漢方に効くということで、角の大きいイギリスのアカシカを生きたまま輸入しまして、これが数千頭も輸入されて、それがしばしばニホンジカのいるところへ逃げてしまう。それでニホンジカとアカシカとの混血が起こりまして、イギリスでは実はニホンジカを導入していまして、アカシカとニホンジカが一緒になってどんどんどんどん雑種ができているので大変痛い問題になっているんですが、日本でも同じように大きな角がとれるということで何千頭も輸入を許可されているというようなことで、混血が起こったり、またはアライグマのように定着が起こってどんどん分布を広げるといったような攪乱、もともと日本列島に全くなかったような生態系の攪乱が起こっています。  また現在、村おこし運動と結びついて、ふるさとのホタルを呼び戻そうということで、人工的に、遺伝的に均一な養殖ホタルやヤマメを放流して、そしていかにも過去あったような日本の自然を呼び起こすことによって村おこしにしようということが行われています。または、春の便りとしてオタマジャクシを四国から東京や大阪に運んできて、それが終わったら、カエルになったら近くの小川に捨ててしまうというような攪乱も、善意のまたは自然に親しむという名のもとに着々と進行しているわけでございます。  さらに、モータリゼーションと道路網の整備によりまして、警察の監視が届かない山道でもって貴重な野生植物を盗掘する、または密猟というものが平気で行われているというような現状でございます。  じゃ、そのような現状を環境庁がどのように把握しているかといいますと、これは非常にお粗末でございまして、例えば環境庁が委託する野生生物調査は、現実に私の友人なんか委託を受けているわけですが、実際、宿泊費も日当も出ない、つまり交通実費しか渡せないような状況だ。それしか予算が回ってこないというような現状であります。  それから、環境庁が絶滅法に伴うところで、一九九一年に日本版レッドデータとして絶滅に瀕する動植物のリストを発表いたしましたが、これに見られることは、環境庁が独自の調査能力を持っていないということを証明するような、非常にお粗末なデータが発表されています。例えば、ニホンジカが対馬に行っただけでツシマジカという独立種にしたり、ニホンカワウソというのを日本国有の種にしたり、ツシマヤマネコというのを対馬だけにいる固有の種類としたりしておりますが、我々ほとんどの哺乳類学者はこのようなことを疑問に思っています。  このレッドデータという言葉は、実は国際自然保護連合、IUCNのレッドデータブックという毎年出される赤い本からきたことなんですが、実はそのIUCNのレッドデータデックの中で唯一絶滅危惧種として挙げられているのがアマミノクロウサギでございます。そして、おもしろいことに、環境庁が出しているレッドデータブックで絶滅危惧種で挙げられているニホンカワウソ、ツシマヤマネコ、イリオモテヤマネコの三つは入っておりません。なぜこのようなことが起こるかといいますと、ニホンカワウソはユーラシアカワウソの一亜種であり、それからツシマヤマネコはベンガルヤマネコの一亜種であり、イリオモテヤマネコは独自の種なんですが、なぜか入っておりません。  じゃ、唯一に入っているアマミノクロウサギが環境庁のレッドデータでは何になっているかといいますと、実はこれは危急種となっていて、一ランク下げられているんです。その一ランク下げられている中にもう一つ、ケラマジカというのがございまして、これは沖縄の慶良間諸島に人間が江 戸時代に放したものでございますが、それがアマミノクロウサギという百万年自然が隔離されてきたものと同じランクでリストされている、堂々と日本版レッドデータとして環境庁が発表するというように、環境庁独自の予算が少ないことと、それの資料収集能力が非常に劣っている。これはひとえに環境庁だけの責任じゃなくて、日本国有種であるかどうかということさえ学問的レベルで決着がつかないというほどに、それぞれの貴重な種類における科学的業績も蓄積も極めて不十分であるということがこれでもって理解されると思います。  さて、そうしたら今後の対策としてどういうことが起こるんだろうか、私としてはこのようなことをしてほしいということが三点ございます。  一点は、この十年行われてきたいろんなたぐいの開発の規制は、本土四島よりもはるかに小さな島においてはもっと顕著に、もっと驚異的な形になってあらわれています。ですから、小さな島では島全体を生態系の固まりとして、面として全般的な開発の規制の網かけをしてほしい。それに特に挙げられますのは、奄美諸島、対馬、琉球列島、伊豆七島の四つの諸島でございます。特に琉球列島または沖縄列島ですが、琉球列島の特に西表島には、皆さん御存じのようにイリオモテヤマネコがございますが、それ以外に特別天然記念物や天然記念物の鳥やカメもおります。ですから、ヤマネコだけの保護ではなくて、西表島の全体が生態系として保存されてなければ、イリオモテヤマネコを含むそれぞれの貴重な動植物が将来の子孫に十分受け継ぐことができないんじゃないかと思います。  それから二点目は、研究者がより参画できるように財政的援助を増額する。一つには、環境庁の野生生物の予算をふやすという点と、文部省の科学研究費の重点配分をふやしてもらうということと、できますならば、希少生物研究所といったような絶滅に瀕するおそれのある固有の動植物の研究も含まれる研究所を設立してほしいという点でございます。  それから第三番目は、三つございますが、一つには日本産の生物の移動、攪乱というようなものをなるべく規制してほしい。それはなぜかというと、蛍の放流とか養殖カブトムシを放してしまうとかそういったようなことで、本土四島でさえもそれぞれの島で固有の生態系ができ上がってきたんですから、橋ができたりトンネルができたからといって、それを北海道から九州までごちゃまぜにされないような攪乱の規制ができないものか。そして、そういうようなことは法律規制だけしゃなくて、環境教育を通じて子供たちに、勝手に四国のどこかでとってきたものを大阪で放すというようなことがないような教育もしてほしい。  つまり、これは生物多様性、とりわけ遺伝的多様性を保持するということでございます。現実に過去では琵琶湖産の稚アユをアユの放流として全国にばらまいているために、アユの遺伝的特質がほとんど均一に琵琶湖産のだけになってしまった、またはキジの放鳥をすることによって、キジの地方的品種が失われて養殖キジの遺伝的特性だけになってしまったというようなことがたくさんあります。  それからもう一つ、外国産生物を放した人の責任でございます。これはイギリスではあるんですが、例えば琵琶湖でブルーギルやブラックバスが大繁殖している。毎年何十億円という被害額が出ているにもかかわらず、これに対して全く罰則規定がない。ただ行政指導があるのみでございます。ですから、それについては何かそれに対する責任、罰則規定をつくってほしい。  それから三番目は、有害鳥獣の許可は狩猟と同時に知事に認可がゆだねられているんですが、有害鳥獣を最近見ますと、物すごい件数の物すごい動物がそれぞれの都府県でもって処理されている。その中には将来絶滅が危惧されておりますツキノワグマなんかも幾らでも入っている。それが各都道府県ばらばらの判断でもってやっている。ですから、私としましては、有害鳥獣の中の九割方を占めるスズメだとかカラスだとかドバトといったようなものは県知事の認可範囲で結構でございますが、ツキノワグマ、ニホンジカ、ニホンザルといった日本に固有の動物を日本全体の分布域の中でどう野生動物管理をやっていくかというようなことは、やはり中央官庁の環境庁長官による認可ということが望ましいと思っております。  そういうことを考えていきますと、この地球環境、それにおける日本の責任というようなことがございますが、実は日本生態系を守るということができて初めてそれが地球環境を守る一番であり、そして、その日本生態系を守るという中で得てきたノウハウを、それらを得た研究者が海外で熱帯雨林やいろんなところでそのノウハウを駆使して、それぞれの生態系を守るということができていくんじゃないかと思うわけです。  まだ幾らか時間がございますので、もう一つ本論から外れて説明したいと思います。絶滅のおそれがあるということが今非常にちまたにはんらんしております。今のIWCの鯨の会議でもそうです。我々普通の一般人というのは、絶滅のおそれというのは、例えばトキであるとかニホンカワウソであるとか、あと三匹か五匹しかいないようなものに対しては何かそれは絶滅させちゃいけないな、守ってやりたいなという認識のようなんですが、それは現実にトキに何十億円、何百億円かけてももうあれは手おくれでございます。そういうような絶滅のおそれどころじゃない、もう重病人でどんな施しようのない人に対してお金をぶちまけたって、医学的には絶対生命は戻らないのでございます。  ですから、絶滅のおそれのあるというのは、何頭でどの面積があれば、将来我々の科学的データは、今例えば三千五百頭いるよというようなことは出ませんから、もっと安全係数を見込んだ形で、将来子々孫々、我々日本人の子孫が住んでいてもまだ絶滅が生ずるおそれのないような政策、十分な安全係数を高めた保護政策を打ち出すのが絶滅のおそれがない保護政策でございます。そこを非常に間違ってとらえられている方がおられるので、ぜひそれは認識していただきたい。  例えばシロナガスクジラでも、日本が非常にたくさんとったことによって現在六百頭から七百頭しかいない。これは、南極海という日本の面積の何倍にわたるところにたった六百頭しかいないということは、雄雌の出会いさえ危険な状態です。ですから、それが捕獲禁止になってから三十年たっても全く数がふえていないわけです。そうしますと、シロナガスクジラにとっては七百頭だってもう絶滅のおそれを超えた段階だったということです。ましてトキのような数羽のときにトキ保護センターをつくったりコウノトリセンターをつくったり、そんなものの問題ではないわけです。ですから、絶滅のおそれがあるということは、もっと広範囲な長期的視野に立った研究を蓄積しながらそのリストアップをしていかなくちゃいけないということを最後に申し添えておきたいと思います。  以上でございます。
  7. 松前達郎

    委員長松前達郎君) ありがとうございました。  次に、岩崎公述人にお願いいたします。岩崎公述人
  8. 岩崎駿介

    公述人岩崎駿介君) こんにちは、岩崎と申します。今日本国際ボランティアセンターの代表を務めております。座って話をさせていただきます。  私自身、日本国際ボランティアセンターといいますNGO、国際協力推進する市民団体を十二年やっておりますが、傍ら筑波大学で教えておりまして、私自身の専門は都市計画です。したがって、むしろ環境保全するよりも都市を拡大することによって環境を破壊するといいましょうか、結果的にはそういうような仕事を長く続けてきたんですけれども、開発途上国等の関連の中で、我々の都市生活のあり方あるいは地球環境との関 連の中での私たちの経済システムのあり方、そういうものを考えるに至って、きょうこのような場を与えられたと考えます。  それで私は、お配りしましたメモと、それからもう一つB4版を二つに折りました「日本市民による地球憲章」の二つの資料をお配りさせていただきまして、これをもとにお話しさせていただきます。  公述メモというふうにありますA4の方が、公述の「公」が既に間違っているあたりも含めて、非常ににわか勉強的で忙しい中、私自身の考えをまとめたメモでありまして、これはあくまでもメモで、私の話はこれをずれて少し多面的な問題について触れていきたいと思います。  まず、ここにありますように、環境基本法に対する基本的な態度としましては、この法案については、法案そのものの成立には基本的に賛成であるが、法案内容には重大な欠陥があるので修正願いたいというのが私の基本的な態度です。  今までも、特に浅野先生が環境基本法が出てくる社会的な背景といいますか歴史的な背景をお述べになったと思いますけれども、私もここに書きましたように、いわゆる公害対策基本法あるいは自然環境保全法時代は、いわゆる日本の戦後経済公害をもたらし、その経済活動に伴う都市域の拡大によって自然破壊を生じたと。一言で言えば公害と自然破壊。自然破壊については、今川道先生が長く論じられましたけれども、そのような破壊が生じた。しかしながら、それは日本国内において当然生じたと同時にある意味で局地的であった、と同時に、その被害被害者限定的であったと言えると思います。  しかしながら、皆さん御承知のように、日本経済がさらに拡大し、国際的なべースを獲得するに従って、その被害あるいはまた環境に対する影響は国際的または地球的規模になり、いわゆる地球環境問題と密接なつながりを持つようになったと思います。  これと同時に、日本国内における環境に関する加害者と被害者の対立を残したまま、つまり被害を及ぼす側と被害を受ける側は、いまだ水俣病を初めとして根源的な和解が成立してないわけですけれども、しかしながら国際的に見れば、その被害者、加害者すべてを含んで日本全体が開発途上国に対して加害者的な位置を占めてくるということがこの歴史的な過程で特徴的であったと考えます。とりわけその資源取得ですね、私たちが必要としている熱帯林あるいはエビ、あるいはきょうも配られておりますこの紙をつくる原材料等々、私たちの生活を支える基本的な資源と生産過程ですね、すなわち工場も安い労働力を求めてさらに海外に進出していくという過程において、環境に関しましては開発途上国に加害者的な立場を強めてきたと私は考えています。  ですから、ここに書きましたように、日本に住む我々は他人を痛めつけることによってみずからを痛めつける状況に陥っている。我々が生きること、生活することが我々の地域と地球の環境を劣化させており、我々の生き方、生活の仕方そのものが問われているという、言ってみれば絶対的なジレンマといいますか、重大なところに私は立ち至っていると考えます。  このような認識といいますか状況把握、これは皆様御承知のように地球サミットにおいても強く表明されたわけですけれども、そのような認識をベースに、今まで二法でこのような問題に対応していたことを、環境基本法というものを成立させながらさらに効果的に対応しようというのがこの基本法基本的な背景といいますか、趣旨であろうと思います。  では、もう少し具体的になぜ環境破壊が生ずるかということで、私は二つそこに書きました。三のところで二つの経路と言っていますが、その第一は直接的な環境破壊。私たちの生活そのものが環境を直接的に破壊する。オゾン層あるいは温暖化、CO2等を初め、非常に我々の生活と一見遠い位置にある資産そのものを直接的に破壊してくる。ここにあります温暖化、オゾン層の破壊、酸性雨、大気汚染、水質汚染、海洋汚染など、生活と生産活動基本的なエネルギー消費に伴う環境破壊。これは私たちの過大な物質要求、大量生産、大量消費、大量廃棄の生産システム。したがって、このことを解決していくには、基本的には物の使用を減ずることによってのみ可能だと。もとより、技術によって物の使用、エネルギーの使用を高めても、なお汚染を防いでいくという技術開発を一方に努力しなければならないにもかかわらず、絶対量として既に問題が生じているというふうに考えています。  その第二は間接的な環境破壊。先進国における第三世界からの資源取得の過程で発生する熱帯林破壊、換金作物栽培による土壌の疲弊と流出、そして砂漠化。この問題は、我々はえてして日本国内にのみ目を奪われる中で、私たちの経済と密接な関係を持ちながら刻一刻と進行しているというふうに考えています。したがって、つくられるべく環境基本法は、このような直接的な環境破壊と間接的な環境破壊に対していかに効果的かということにおいてその是非が問われなければならないと考えるわけです。  したがって、四のところの環境基本法基本的性格です。これらの環境破壊を食いとめ、人類永続のための新しい方向を見出すには、これまでどおりの経済活動に対する規制もしくは救済措置のみではなくて、広く価値観の転換、経済システムの転換、そして生活様式の転換を目標とするという私たちの根源的なあり方まで問うことが必要なんだと思います。したがって、環境基本法はこれらの目標を実現するのに必要な措置が明記されていなければならない。つまり、これらの目標を一緒くたに今を飛び越えて実現することは現実に不可能です。しかしながら、環境基本法はこの目標に沿って何が可能かということが具体的に明記されることによって解決に近づくことができるという保証性を確保できると思うんです。その意味で、私は基本的に三つの要件が環境基本法の中に含まれていなければならないというふうに考えるわけです。それは四のところに第一、第二、第三とあります。  第一に、環境と開発に関する基本理念の確立ということです。これについては後で述べます。第二は、過剰にして不必要な消費を含む過大な経済活動に対する抑制策の確立。つまり、いかに使わないかといいましょうか、使ってもさらに環境負荷増大させないか。第三に、基本的には被害者救済としての国際関係の改善または国際協力推進というわけです。これは俗に南北問題と言われることと関連してくるわけですが、この三つが環境基本法の中に確固たる形で含まれていることが必要だと思います。  そこで、この話す順番なんですけれども、まず第三番目にあります南北問題といいますか途上国との関係改善ないしは国際協力の問題から少し触れたいと思います。  A4の紙の資料の二枚目に参りまして、①が資源収奪を行わない。すなわち、ここの①、②、③と丸で囲った番号のところは、私たちの生活と開発途上国関係の道筋を三つ書いているわけです。ほぼこれに尽きる。しかし、これを落としてはならない。資源収奪を行わない。資源取得の過程、第一次産品の輸入、森林破壊、換金作物による土壌破壊。  これらの事例は、私も開発途上国を数多く歩く中で、例えばユーカリ植林ですね。これは先ほど申しましたけれども、タイにおいては二十万ヘクタールの緑化、いわゆる環境援助というような名目において行われているわけですが、それは言うまでもなく紙の原料としてのユーカリという木なわけです。ユーカリの木は土壌の水分を急激に吸い取り、五年で成木するわけですけれども、土壌に対して甚大な影響を及ぼすという意味において、途上国では深刻な環境破壊の原因になっています。そのような土壌乾燥化あるいは流出化の延長上にいわゆる砂漠化の問題ということが控えており、途上国にとっては砂漠化の問題は最大であります。  それから、温暖化、オゾン層等々の深刻な問題にあるにもかかわらず、多分地球最大の環境問題は砂漠化の問題、土壌疲弊の問題だろうというふうにも個人的には考えております。つまり、資源を取得する過程で開発途上国関係をどうするかが第一点です。  第二点には、公害を持ち込まない。有害廃棄物を持ち込まない。これもAREといいましょうか日本で立地不可能な郊外工場を第三世界において操業するという事例は見られます。そのようなことに対してどういうふうに対処していくか。  そして三番目。援助による環境破壊と人権侵害を引き起こさない。最近の事例で言えば、カンボジアに一億円の農薬援助が行われました。一億円の農薬援助は、FAO、国連食糧農業機関及びIRRIといいまして国際稲研究所が発表したレポートによれば、カンボジアの気候的特性、地理的特性において農薬は必要ないという提言にもかかわらず、日本の援助の中にそれが含まれている。そういう形で環境破壊。特に、タニシあるいは田んぼにいるそういうものをとって食べて生活している、動物性たんぱく源を得ているカンボジアの人々にとっては極めて大きな影響力を及ぼすと思われますが、このようなものに援助が行われているという、そういうことに対する効果的な規制といいましょうか、チェックが必要なわけです。  しかし、原案第五条、三十二条は国際協力という名目においてそこを触れているわけですけれども、ここを見ますと、「我が国経済社会が国際的な密接な相互依存関係の中で営まれていることにかんがみ、地球環境保全は、我が国の能力を生かして、及び国際社会において我が国の占める地位に応じて、国際的協調の下に積極的に推進されなければならない。」というふうに、つまり最初の、ちょっとここで網をかけて言いましたが、「我が国の能力」というのはつまり技術援助、それから「我が国の占める地位」というのは、これは多分お金のことを意味している。なかなかそういうふうにはとりにくいんですが、あえて善意にとって想像力豊かに解釈した結果、多分技術援助と資金援助を言っているんだと思うんです。  この二つは、書きましたように、この援助を過信した、何ら原因者、汚染者としての自覚を欠いて高慢な姿勢に終始していると。つまり、原因をつくっていながら助けてやっているんだというようなすりかえが行われることによって問題をはぐらかしているというところにまず第一の重要な欠点、つまり一方では守りつつ一方では守り切れない、だらだらと守った分だけ外に負担がかかっていくような締まりがない部分国際協力という記述がなっていると思います。  この問題を解決するには、すなわち資源収奪を行わない。収奪という言葉が強ければ取得でもいいんですけれども、あるいは環境税の問題があろうかと思います。ここに書きましたように、環境税または貿易関税法などによって基本的な環境価格を途上国に返還していく。このようにして、古紙などのリサイクルが途上国からの安価な資源輸入によって成立し得ない状況を改善する。ただし、途上国における利益還元の配分が問題であると同時に、ガットの自由貿易概念に部分修正を迫って行く必要がある。  これはもちろんいろんな他の努力を必要とするのですが、環境税は一般に大気汚染あるいは炭素税などと言われているように、開発途上国との関係の中で十分に論議されていないんですけれども、このリサイクルの古紙にも見られるように、本来は森林を持ってくるということは非常に貴重な環境源なんですが、安く買い取る、そのことによって破壊を強めているとすれば、正当な環境コストを払っていくということが必要。そして、それを途上国に還元していく。ただし、問題は、途上国の政府に入ってしまいますとそれが地元に落ちないという欠陥はあるんですけれども、しかしながらそういう努力をしていくべきだろうと思われます。  二番は、進出企業の監視体制の確立。例えば、進出する企業がその地における環境に対して十分な配慮を行うよう指導監督するというような条文を挿入して、こういう問題に対しても対処していくべきだ。企業活動に対する国際監視。例えば、国連における多国籍企業監視委員会などについてもなくなってしまったわけですけれども、これを復活させていくというようなことも努力の方向だろうと思います。  三の問題の解決には、いわゆるODAに関する環境アセスメントを実施するということが必要だと思います。アセスメント法については国内の問題もあるわけですけれども、援助そのものについてもこれを積極的に適用する姿勢が必要です。また開発援助に当たっては、言うまでもなく政府開発援助大綱、ODA四原則の中の第一項、環境と開発の両立及び第四項、基本的人権状況に十分注意を払うということをもっと積極的に遵守していくということが必要だろうと思います。  これが途上国の関連ということで、ちょっと時間を使いましたけれども、次に経済の問題について申します。  過大な消費と経済活動に対する抑制または環境負荷低減については、環境基本計画及びアセスメントの法制化、そして経済的措置という三つが具体的な手段としてここに明記されていると考えるわけです。しかしながら、環境基本法がC02を九〇年レベルで安定させるというような状態になっているんですが、本当に地球環境に基点を置きながら総量の予測を立て、それによって経済配分をしてくるという中をどこまでやり切れるのか。そしてそれがかつ各省庁間においての利害といいましょうか、そういうことの中でどれだけ調整努力を図れるかということがもとより問題だと思います。しかし、このことを定めることは私は結構だと思います。  それから、アセスメントの法制化については、衆議院でですか、検討していくという宮澤首相の御回答があったというようなことですので、これをもとより推進していくべき方向と考えます。そして経済的措置につきましては、いわば環境税といいますか、いわゆるこの二十二条二項、原案では二十一条だった。それが送って二十二条二項で書いてあるわけですね。これにつきましても、実は環境税といった場合に、先ほど申したように、私たちと地球との直接的な関係のみではなくて、開発途上国資源という意味で私たちと開発途上国との関係、それにおける環境税ということが本来議論されてしかるべきだというふうに考えているわけです。  もとよりこの環境税は、税財源としてではなくて、抑制誘導策と書いていますけれども、抑制策としてこれが出てくる。しかしながら、税の行方というものが極めて不鮮明です。この二十二条二は、御承知のように三つの条件ですか調査とか国民の合意等々をとっていくという形で書かれているわけです。しかしながら、これを私の立場としては積極的に推進していくということです。しかしながら、まだ確かに多くの問題を解決しなければならない。これは途上国内における利益配分といいますか、還元配分といいますかそういうことも残されているというわけです。  以上、時間の関係でそこを若干しか述べられませんが、七、上記二つを実現するについての基本的要件としての市民の参加、市民への権限委譲です。  一、あくまで情報公開を基本とする。知ることによってのみ力を発揮することができる。情報公開法との関連において、これが定かでないんだというような御意見を聞いたようなこともありますけれども、言いわけでしかないように感じます。積極的に部分で積み上げ全体を法として成立するという方向で、ここは公開をはっきり明記すべきだと考えます。  二、市民の参加を促進する。市民を客体としてでなく主体として位置づける。これは根源的な問題提起になると思うんですけれども、一例としてこういうふうに書いてあるんです。いわゆる「国 民の責務」というところに、「国民は、国又は地方公共団体実施する環境保全に関する施策協力する責務を有する。」ではなく、国は国民または地方公共団体実施する環境保全に関する施策協力する責務を有するということが本来であって、どうも国というのが強い。この国家主義というのが私はヨーロッパ諸国と比べて日本の最大の欠陥だと思っているんですね。  つまり、もう少し平たく言うと、国がすべて問題を解決するという思想を乗り越えていくといいますか、そこのところ。ですから、ヨーロッパにおいてはECという国家統合を行おうというような歴史的な背景もあって国家が持つ機能限界を自覚している。その分だけ市民にその権限と力を委譲していくという歴史的な動きが見られるわけですけれども、このことに対する日本の自覚が全くないということがいろんなことにマイナスの影響を及ぼしていると思われます。  そして三番、市民参加の手続、また手段、道具を与えよ。市民と自治体に環境保全にかかわる監視と検証を委任するということがもっと積極的に行われていく。  そして四番、NGOへの権限委譲またはNG0の政策決定過程への参加。これは、もとより国連の場あるいは国際会議の場においてNGOを正式なメンバーとして加え、市民の意見を多様に反映させていくという努力、ですから国は、ファジリテートといいましょうか、国民が活発に活動しやすいように支援することが基本なんであって、英語で言うとインテグレートといいますか、抑えつけて、支配してといいますか、そういう立場ではない、基本的に支えるという位置に歴史的に転化しつつあるということを自覚する必要があると考えています。  そして最後の一、先ほど、一、二、三という三つの要件が必要で、いわゆる南北問題と経済の問題について述べたわけですが、その理念につきましては、環境経済より優位であることの基本理念を明確に明記することが本来必要だと思います。環境を守って初めて経済的利益を得る、あるいは金もうけができる仕組みというものができてしかるべきなんであって、決して金もうけをしなきゃいけないんだけれども環境も守らなきゃいけないというんではなくて、環境を守ることによって初めて経済的な利益を得るようなシステムをつくらない限り根源的な解決はできない。  そして二、開発途上国における環境破壊の責任を自覚せず、あくまで我々は技術的、経済的に優位に立っているというおごりの精神を続けるならば、自国を守って自国を守れず、頭隠してしり隠さずのそしりを免れることはできないという状態だろうというふうに考えます。  そして最後、文章が難解にして不可解。例えば二十二条二項。これは、私は学校の教師ではありますけれども、十回読んで少し意味がわかったという程度に非常に複雑にして難解な文章、これももう少し改善を加えていただきたい、かように考えます。  以上です。ありがとうございました。
  9. 松前達郎

    委員長松前達郎君) ありがとうございました。  次に、森脇公述人にお願いいたします。森脇公述人
  10. 森脇君雄

    公述人森脇君雄君) は、全国公害患者の会連合会の森脇君雄です。公害被害者に訴えの場所を与えていただいたこと、厚くお礼申し上げます。また、大阪の西淀川区というところに住んで三十年ほど公害反対運動を続けてきました。この経験から申し上げたいというふうに思います。きょう先生方にお配りしたこのパンフを参考にしながら私の意見も述べさせていただきたいと思います。  座らせてもらいます。  私は、全国公害患者の会連合会の幹事長として、またスモン、カネミ、水俣、新幹線、あらゆる公害被害者総行動実行委員会の事務局長という立場からも同時に意見を申し上げたいと思います。被害者と加害者、裁判を何年もやっている手前、どうしても企業に対しては強い意見を述べるということをまず申し上げて、以下申し述べたいと思います。  まず申し上げたいことは、公害は終わっていないというふうに思います。  最近、東京の公害患者会事務局長、そして副会長、相次いで二人が亡くなられました。一人は加藤恵子さん、もう一人は鈴木好江さんでした。この二人ともぜんそくの発作で悩みながら四十歳前後で亡くなりました。本当にこういう人たちが今続いております。私が出てくるときに三歳の子が病院に運ばれてきました。この子供は明くる日までぜんそくの発作で苦しみながら、どうなるのか、きょう死亡という報告をしようと思いましたが、助かりました。こういう小さい子供が今なおぜんそくの発作で苦しみ続けていることをまず申し上げたいと思います。このような犠牲者が毎日今出ていることが現実です。  公害指定地域解除後の八八年四月、大阪市は十五歳未満に限定された不十分なものですが公害医療費助成要綱をつくりました。この制度の適用を受けた子供たちは昨年三月までで一万六千七百八十一人に及んでいます。この数は、七〇年以降十八年間に法で認定された十五歳以上の認定患者の現在数、九二年三月末ですが、一万四千百三十三をついに上回ってしまいました。しかも、この子供たちは十五歳を過ぎれば一切の補償が打ち切られてしまうのです。  水俣病に至っては、公式発見以来三十七年、いまだその救済が実現していません。高齢化が進み、十日に一人の割合でとうとい命が亡くなっています。命あるうちに救済をと叫ぶ被害者にこれ以上背を向け続けることは決して許されません。  環境基本法は、足元の公害の現実と深刻な被害を直視し、ここから出発しなければならないということを強く訴えたいと思います。被害を救済し、被害が二度と起こらない対策をとることが環境問題の原点だと考えます。次に言わなければならない事項は、昨年五月十九日、環境週間第十七回公害被害者総行動で時の中村環境庁長官が述べた言葉です。長官は私たちの質問に答えて、今なら環境庁は何でもできる、環境アセスメント法もと、こういうふうに言われました。時あたかも、六月のブラジルでの地球サミットを目前にし、国内外で地球的規模環境問題への関心が高揚した時期でもありました。長官の率直な意見だと思いました。  その長官のあの確信ある言葉がなぜ実を結ばなかったのか。この基本法の中には法制化という言葉は出ませんでした。  経団連は、現実に自主的に積極的に取り組みを進め、すぐれた実績を上げているとか、従来の規制重視のスタイルから国民各層の主体的努力を促進することに重点を置くべきと、先日の衆議院環境委員会で述べています。結局は、何ら罰則を伴わない現行のアセスメントで十分効果が上がっており、これ以上企業活動開発行為を規制することなく、企業のこれまでの自主的努力で足りるというものです。  私の地元で、公害患者が最も多い地域にある市営ごみ焼却場の建てかえ計画について、平成二年のアセスメント要綱に基づく公聴会が開かれました。公述人十五人全員が反対の意見を述べました。アセスメントに対する数々の疑問と意見が出されました。  アセスメントでは、自動車公害対策が進んでいくため、操業時には大気汚染がさらに改善されており、焼却場の規模が拡大しパッカー車の数はふえても影響は軽微で問題はなく、環境はよくなっているとされていました。  しかし現実は、さきに別個にアセスメントが組まれ建設が進んでいた大阪湾岸線が開通し、大型トラックが焼却場の前を数珠つなぎになる影響も加わり、直線で二百メートルほど離れた一般環境測定局のN02濃度は、長年保たれてきた環境基準の上限値をついに上回ってしまいました。アセスメントの前提が崩れたわけです。  しかし、アセスをやり直すわけでもなければ、工事が中断され計画が変更されることもなく、建設は着々と進み、来年には操業が開始されます。住民の意見や疑問は単に聞くだけのセレモニーでしかなく、アセスは現状では何らかの実効性を持たない、単に住民をごまかす道具に成り下がっていると言わなければなりません。  私たちが求めている事前アセスを事後のモニタリングや個々の事業影響だけでなく、地域全体の事業計画などを盛り込んだ総合アセスの法制化を行うべきである点は、これ一つをとっても明らかであります。  次に、企業の自主的努力について二つの例を申し上げたいと思います。  一つは、七四年大阪府が導入し、当時大気汚染の改善に大きな役割を果たし、その後国も採用したS02の総量規制です。  公害をなくせの大きな世論の中で誕生した黒田府政が総量規制を打ち出したとき、関西電力の社長は知事室へ日参し、頭をすりつけながら、もしそんなことをすれば企業が全部つぶれてしまうと断念を迫りました。結果はどうだったか。大阪のS02汚染が減少したことは周知のとおりです。また一方、大阪の経済は世界のGNPの一%に達するまでになっており、日本版マスキー法の導入の自動車メーカーの主張とその後の日本車が世界を席巻した状況も全く同じことです。  もう一つの例、私は九〇年六月、日本弁護士連合会の調査団の一員としてマレーシアのブキメラ村を訪問し、AREの被害者と会いました。AREは三菱化成と現地との合弁会社ですが、放射性の原料トリウムを工場内外に野積みしており、安全だと宣伝したため、子供たちはその光る石で遊び、野積みになった畑で遊び、大人は肥料になるといって持ち帰りました。工場から出る排水溝から周辺に流れ、白血病や放射能被害が多発した事実を見てきました。日本ではこんなことは許されるはずがなく、法律で禁止されているのは当然ですが、外国、特に発展途上国に進出する企業は危険性を十分に知りながらも平気でこんなことをしているのです。  私がそこで知り合ったのは、ラムライ・クアンちゃんです。頭の毛は治療のため全くなくなっていましたが、本当にかわいい十三歳の女の子でした。翌年、公害行動デーに母親とともに来日し、外務省や環境庁長官に直接お会いし、要請しましたが、三菱化成は面会すら拒否しました。その後、マレーシアでは住民が訴訟を起こし、AREの操業を停止せよとの判決が出ましたが、AREはなお控訴し争い続けるという、日本にとっては全く不名誉な事態を引き起こしています。これが四日市判決で敗訴した企業であり、懲りない体質と言わなければなりません。ラムライ・クアンちゃんは判決を見ることなく、白血病のため十五歳の短い命を閉じました。改めて企業のもうけ主義、非人間性を怒って震えがとまらなかったことを忘れることはできません。  このように、日本の企業は自主的に公害防止に努力してきたということは全くのごまかしです。国民公害反対運動や公害裁判などを背景に地方自治体の積極的な規制が強められる中で、企業が渋々従ってきたのは歴史が示すところであります。その力が及ばない外国では、昭和三十年代以降の国内で繰り広げた行為を今なお繰り返していると言わざるを得ません。改めて経団連が今、地球憲章でそのことを主張せざるを得なかったのもそのためでしょう。  人の生命は最も尊重されるべきであるのは当然です。国内のみならず、外国でも利益第一、人命軽視の企業活動に適切な規制を加えることは当然なことで、国内規制水準を海外でも守る最低限の義務を基本法に明記することは、地球的規模環境破壊が深刻になっている今日、当然だと思います。  これらの経験を踏まえ、今審議中の法案に幾つかの指摘をしたいと思います。  第一に、環境優位の原則と国民の権利を明記することです。  大阪湾ベイエリア法など、開発志向、環境を破壊するような法律が一方にありながら、環境保全が開発より優位になるという行政の仕組みがつくられていないところに今日の深刻な環境破壊をもたらした原因があります。この点は既に指摘されたので、その必要のみでおさめておきます。  第二に、被害の回復とその救済を基本的な目的として明記することです。  私どもの西淀川公害裁判は既に提訴以来十五年になります。昨年解決した千葉川鉄訴訟を加えると、全国で六つの大気汚染裁判で公害患者が病める体にむちうって、大気汚染物質の差しとめと完全な損害賠償を求めて長年闘い続けなければならないのが現状です。公害指定地域の全面解除により、大阪でも、健康を破壊され、職を失いながら何ら救済の手が差し伸べられず、塗炭の苦しみにあえぐ人たちを見続けなければならない毎日です。基本法理念、目的にこの点を正しく明記し、今後の個別法の正しいあり方に道を開くことが何よりも大切だと思います。  第三に、情報公開と住民参加を制度的に保障することです。  ほとんどの情報が住民に知らされず、住民の意見はただ聞き置くだけとなっています。現行のアセスメント制度が実効を伴わない大きな原因の一つです。事業や開発により直接被害をこうむるおそれのある人々にすべての計画、資料を公開し、よりよい計画のあり方、その進め方をともに考えることが環境問題には特別必要なことで、ぜひ明記すべきです。  時間の関係がありますので、最後に一つだけ指摘しておきたいと思います。  破壊された都市の再生を盛り込むことです。私は、環境保全基本制度のあり方について審議中の中公審・自環審合同部会の第一回ヒアリングに呼ばれ、九二年七月、意見を述べましたが、そのとき強調したのがこの問題です。残念ながら法案の中に明確に位置づけはできませんで、きょうなおこの重要性を述べないわけにはいきません。  私が三十年に及ぶ公害反対運動で貫いてきたのは、二度と再び公害病の苦しみを孫や子供に味わわせたくないということです。失われたのは命や健康だけではありません。都市の自然を破壊され、鉄とセメントで埋め尽くされた人工の町を人々は次々見放していき、工場、事業所と道路のみが大手を振る町となりました。再び被害者を生み出しています。  第一に、汚染された大気や水、土を原状に戻すこと。第二に、失われた健康や生命を取り戻せない場合、完全な補償を行うこと。第三に、破壊された都市を再生し、安心して暮らせ、二度と被害を生み出さないような町づくりを行うこと。このことがやはり環境問題の原点と思っています。西淀川では、日本で最初に被害者みずからが西淀川再生プランを作成し、国や自治体あるいは被告となっている大企業に働きかけています。  ぜひ基本法の中に都市の再生を正しく位置づけられることを強く希望し、私の意見を終わりたいと思います。どうもありがとうございました。
  11. 松前達郎

    委員長松前達郎君) ありがとうございました。  次に、鈴木公述人にお願いいたします。鈴木公述人
  12. 鈴木徹也

    公述人鈴木徹也君) 一橋大学学生、三年生の鈴木徹也と申します。  初めに、このような場所で未熟ながら意見を述べさせていただく機会を設けていただき、大変ありがとうございました。一般公募で公聴会への公述人が選ばれるというのはまことに珍しいそうなので、非常に責任を感じながら意見を述べさせていただきます。  では、座らせていただきます。  初めに、私が今まで環境問題に対して何をしてきたかということを簡単に説明いたします。  私、大学でリサイクル活動に取り組みましたり、あるいは幾つかの学生のグループの運営に携わって、最初は廃棄物問題を中心に取り組んでいました。大学で、空き缶ですとか、空き瓶ですと か、そのようなものをリサイクルして、廃棄物問題の解決の一助になればというふうに考えて取り組んでいました。その後、しばらくするうちに第三世界の問題に関心を持つようになりました。それというのは、幾つかの環境問題や開発問題に取り組む市民団体の活動のお手伝いをするような過程で、そういう問題に目を見開かざるを得なくなるような状況になったのです。  環境基本法への取り組みは、実は私は生まれが一九七一年でして、環境基本法というのは公害対策基本法をベースに案がつくられているようですけれども、その公害対策基本法が一九六七年に制定されていたり、あるいは一連の公害対策法規が七〇年代に制定されまして、私が生まれる前後に制定されたものが今ようやく二十年以上ぶりに改正されるということで、今後恐らくまた二十年間以上は全面的にはこの法律は今決まってしまったら改正されないだろう。そういうことで、非常に大事な法律であるから、これはぜひとも取り組まなければいけないなというふうに感じて、今まで未熟ながら研究などをしていました。  四月二十二日のアースデー、地球の日という日がありますけれども、四月二十二日に全国二十近い学生のグループとともに環境基本法に対しての要望書を書き上げまして、基本法を審議されている衆参両院の議員の皆様に配付してまいりました。そしてまた、これまで審議の傍聴を衆参両方とも行ってきました。その際、四月二十二日にお忙しい中、私たちにお会いしていただき要望書を受け取ってくださった議員の皆様や、傍聴の手続をわざわざしていただいた議員の皆様には、この場をかりてお礼を申し上げます。  それでは、そのときに皆様にお渡しした要望書をもとに意見を述べさせていただきたいと思います。  まず、政府案で不十分であると考える点は、一つは環境権です。これはリオデジャネイロで開かれましたUNCEDにおいて環境と開発に関するリオデジャネイロ宣言で確認されました、人類は自然と調和した健康で生産的な生活を送る権利を有するという精神を尊重しなければならないというふうに考えるんですが、それが法案を見渡してもなかなかそういうことは確認されない。環境権がなければどんな問題が起きてもその問題に対して権利を行使することができないという状況で、例えば国内でもそうですし、あるいは国連の国際機関ですとか、国際条約なんかが環境の悪化を引き起こしている事態もかなりあります。  そういう問題に対しても、例えばガットは自由貿易を進める機関というか条約というか、そういう組織ですけれども、地方自治体で取り組む環境政策とかそういうものに対しても影響を与えるような、つまり地方自治体で環境問題に取り組もうとしても、それが自由貿易に違反するような場合だと認められないという状況があったりして、実際にアメリカでもある地方自治体がある環境規制をしいたところ、ガットがそれは自由貿易に反するからといって訴訟を起こしてやめさせてしまったというような事態もありまして、そういう状況をいかに変えていくかという意味で、環境権をぜひちゃんと明記していただきたい。  次に、海外での事業活動への規制ですけれども、日本国内で、六〇年代、七〇年代、もっと前からある公害もありますけれども、それらの公害に対して公害規制が強まるにつれて海外の緩い環境基準を利用した企業活動などがふえています。それで、現地ではそのために深刻な公害が生じて、多くの人が被害をこうむっている場合があります。  先ほどのお話でもマレーシアのAREの話もありましたけれども、十三歳の女の子が日本に来て、環境庁ですとか三菱化成ですとか、そういう団体に何とかしてほしいと要請しに来て、何かその後すぐ亡くなられてしまったそうなんですけれども、そのときの逸話で、AREのあるところはすごい田舎でして、そばには動物園がない。その十三歳の女の子は、いまだ動物園に行ったことがないということで、時間があいたときに上野動物園に行かれたそうなんです。その後日本から帰って、たしか一年もたたないうちに亡くなってしまったんじゃないかとお聞きしています。  そういう問題もありますし、直接日本の企業が海外へ行って公害を起こすという問題だけではなくて、開発融資、海外で行われているさまざまな開発プロジェクトに対しての融資というのもまたすごい問題ではないか。  例えば、財政投融資というのは、資金がたしか相当額ありまして、日本の国家予算から国債の返済とかそういうものの金額を引いた額とほぼ同じぐらいだというふうに聞いていますけれども、その財政投融資を使って発展途上国へプラントの輸出の促進ですとか、エネルギー資源確保ですとか、製品の輸入の促進ですとか、製造業の海外での直接投資の促進を進めています。これは主に日本輸出入銀行が行っていることなんですけれども、その額が七兆七千億もありまして、その融資の先がどのようにして決定されたですとか、融資の先の状況について全く公表されてないという問題がありまして、これは情報公開にもつながると思うんですけれども、このような海外での企業活動ですとかあるいは融資そのものもすごく海外公害問題を引き起こしたりしています。  これは例えば私はいろんなアジアの学生なんかと話をしたり、あるいはアジアで活動されている市民団体の方々と交流する機会が何回かあるんですけれども、会うたびにこのような問題があって何とかしてもらえないかというふうに言われるわけです。  私的なことですけれども、私、父の仕事の関係で韓国に昔住んでおりまして、そのとき初めて日本が朝鮮を植民地化してしまった結果起きたいろんな問題について知りまして、第二次大戦のときに日本がアジアで引き起こしました数々の悲惨なことに対して非常に遺憾の念を持っているんです。そういうアジアの学生から今もさまざまな形で日本の犠牲になっているんだという話を聞きますと、非常に心苦しく思いまして、いつか何とかしたいなというふうに思っています。ですから、海外での事業活動やあるいは開発融資とか、そういうものを国内並みの基準をもって行われるようにぜひとも改定していただきたいというふうに考えています。  それと関連するんですけれども、環境アセスメントの問題ですが、この政府案ですとチェック機能ではあり得ない。本来環境アセスメントというのは、海外で、アメリカやヨーロッパなどで行われている環境アセスメントですと計画の中止ですとかあるいは代替案の作成なども行われていますけれども、この政府案ではいまだにそういうふうにはなっていない。この環境影響評価ですと、単に事業者が自分たちで行って、それを逆手にとって、こういうふうにアセスメントしたんだからというふうに事業を進められてしまうこともあります。このアセスメント法も、衆議院の環境委員会で傍聴していましたら、宮澤首相がなるべく早期に政府一体となってこれに取り組むというふうにはおっしゃっていましたから、ぜひとも早期にこの環境アセスメント法の制定を考えていただきたいと思います。  次に、持続可能な天然資源の利用についてなんですけれども、これも先ほどの海外での事業活動ですとか公害輸出の問題と関連するんです。これは環境庁の資料なんですけれども、日本は九〇年度において七・一億トンの資源ですとか工業製品ですとか食糧等を輸入しています。この七・一億トンという数字なんですけれども、日本から海外に向けて輸出される生産量というのはちょうどその年大体〇・七億トンだったんです。十分の一しかというか、その製品の量もかなりの量なんですけれども、単純に数字だけを比較してみますと十分の一が海外に流れている。  では、その流れ込んだ残りの十分の九の量は一体どうなるのかといいますと、国内に建造物ですとか製品という形で蓄積してしまいましたり、あるいはエネルギー消費量が三・七億トンとありますけれども、そのエネルギー消費量、つまり石油 ですとかそういうものとかは最終的には熱などとして大気中に放出される。それはまた大気汚染ですとか温暖化の原因につながる。また、廃棄物の排出量が二・七億トンもあります。この二・七億トンも今非常に問題になっていますけれども、埋め立ての処分場がないということで今後これからどうなるのか、本当に大変な問題だと思うんです。  そのように大量に輸入している中で、やはり熱帯雨林の伐採ですとかさまざまな問題がありまして、これもまた一次産品を日本に持ってくる過程で、例えばプランテーションで児童労働ですとかさまざまな問題を引き起こして国内へ運び込まれる。この基本法案で、事業者責務規定する第一章の第八条三項において再生資源そのほかの環境への負荷低減に資する原材料ということについて言及していますが、この部分はかなり先進的な内容であるんじゃないかというふうには評価できますけれども、やはり資源の採取や製造過程において環境負荷を与えるということは、そのままそこへ住んでいる住民ですとか労働者の健康被害ですとか人権侵害を引き起こしてしまうわけですから、そういった状況で輸入される天然資源ですとか製造物は使用しないというふうなことをつけ加えてほしいと思っています。  これは厳密に考えますと、それでは全く資源海外から輸入できないということになってしまいますけれども、そういうことではなくて、明らかに熱帯雨林ですとか伐採してしまったら二度と再生されないようなもの、要するに再生不可能なものに対してこのような規制を加えるべきじゃないかというふうに考えています。  時間もなくなってきましたので最後になりますが、大変未熟な公述で申しわけないんですけれども、ぜひとも一年や二年の先ではなくて、百年先ぐらいのことを考えてこの基本法を制定していただきたい。例えば、たまたまこの国会議事堂はかなりの時間使用できますけれども、東京にあふれている建造物がいつか寿命が来たときに一体それはどこに行ってしまうのか。あるいは、今東京湾に埋立場が幾つかできていますけれども、今の東京湾にある処分場は大体二十年間でもういっぱいになってしまう。百年というスケールで物を考えますと、今の資源使用量、ごみ廃棄量で考えますと、あのような処分場が百年のうちに五つもできてしまう。五つもできてしまったら東京湾は一体どうなってしまうのか。あるいは東京湾だけではなくて、今日本じゅうで、大阪湾ですとか名古屋の方でも湿地が埋め立てられてしまいそうだとかそういう問題がいっぱいありますけれども、ぜひとも一年、二年、十年という単位ではなくて百年先以上を考えて法律を制定していただきたいというふうに考えています。  未熟ながらこれで終わらせていただきます。
  13. 松前達郎

    委員長松前達郎君) ありがとうございました。  以上で公述人方々の御意見陳述は終わりました。  それでは、これより公述人に対する質疑を行います。  質疑のある方は順次御発言願います。
  14. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 日本社会党の本岡昭次でございます。  本日、公述人の皆さん、お忙しい中おいでいただいて貴重な御意見をお述べいただき、ありがとうございました。いろいろと勉強になり、参考になりました。時間があれば皆さんにそれぞれ御質問したいんですが、私にも二十分しか時間が与えられておりません。したがって、皆さんそれぞれに御質問できないことをお許しいただきたいと思います。  それでは、最初に川道先生にお伺いをいたします。  今先生のお話を私は聞きまして、改めて環境基本法の中に野生動植物のことがどのように書いてあるのかということを懸命に調べました。かなりたくさん書いてあるんですね。第二条の二の定義のところ、三条のところ、第十四条の二、第二十一条の四、二十二条の一、そしてまた二十七条の情報の提供、二十八条の調査、二十九条の監視というふうに、割と出ているんですね。そして、その出ていることの中身と、川道先生のお話を聞いておってはっと私はある疑問にぶつかった。というのは、この環境基本法の中に書いてある野生生物あるいは野生動植物というのは人類存続の基盤であるから保存せないかぬ、保護、増殖が必要と、人類の福祉に貢献するとともに国民の健康で文化的な生活の確保に寄与させねばならないから、この種の保存なり保護、増殖が必要と、どうもこう書いてあるように私は読めたんです。今までそういうことを思わなかった。  ところが、先生の話を聞いておって、先生は盛んに動物のことをおっしゃった。そして、それはそれ自体生存することを私たちが考えていかなければいかぬじゃないか、その種そのものが絶滅することを、私たちが生態系の問題として防いでいかなければならないんじゃないかということでしたよね。何も人間が存続するためにとか我々の健康で文化的な生活を維持していくためにという、そういう客体な問題じゃなしに、それ自体の問題として提起されたということに私はあれっと改めて考えさせられた。  そこで、結局この法案は、先生が最後に言われたように日本生態系を守る、そしてそのことを通して世界の生態系を守る、これがすべてだと何か最後結論づけられたと思うんです。そこでまた生態系ということを見ると、これも三条のところに一カ所しか出てこないんですね。なるほど我々のつくる環境基本法というのはこういうところに弱点があるんじゃないかというふうに私は思ったんですが、私のこの感想的な意見はいかがなものでしようか。
  15. 川道武男

    公述人川道武男君) 本岡先生のおっしゃるとおりでございまして、我々動物生態学というのは、生態学者ももちろん我々社会の中に生きているのでございますけれども、まず僕自身の精神として、今のこの壊れつつある日本の自然はなるべく壊さないままに子々孫々に至るまで残していきたいというのがまず基本でございまして、この環境基本法というのは、現実の今我々が自然から利用しなくちゃいかぬとか守らなくちゃいかぬとか得しなくちゃいかぬというような、そういうタームの言葉がどこにでも飾られていることでございまして、僕自身の長期的視野とこの環境基本法における近視眼的視野の法案と非常にそぐわないことが基本にございます。  それから、単なる利用じゃなくてそれがそのままあるということが、自然の中にどれだけたくさんの利用物というような、人間が利用するという観点じゃなくて、自然のメカニズムというものを我々はもっと酌み取って、そしてそれを人類の知恵として、地球号及び日本の自然というものをなるべく長期間人間が破壊しない、より少ない破壊で子々孫々にまで伝えていきたいというような知恵を酌み取る場所として、生態系全体をすっぽり保存していくということが重要であるということです。
  16. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 それで、先生は幾つか現在のお粗末な環境庁の対応とおっしゃって述べられましたね。私たちも、お粗末な環境庁だからもっと環境庁の機能を強化せよ、予算ももっとつけよと、こう言っておるんですが、環境庁はびびりまして、そういうこと言うと他省庁からやられるからと、こう言うんです。そんなことでは困るからと、環境庁は地球的規模のことを考えていくのにもっと自信を持てと言っているんですが、非常に難しいんですね、この環境庁という現在の存在が、他省庁との関係で。だから、お粗末なとおっしゃいましたけれども、その中でもしっかり頑張っておることは頑張りよるんですよ、ある部面ではね。その点はある種の理解も要るんじゃないか、こう思うんです。  そこで、その上で幾つかおっしゃいましたね、財政援助、予算の重点配分、研究所設立とかおっしゃいましたが、あの短い時間の中ですからかなりはしょっておっしゃったと思うんです。どうで すか、緊急策として、特に動物の生息数が減っていく、そしてその減少を食いとめないかぬ、種というものの絶滅というものを絶対させてはならぬということについての緊急策というものを、先生の話の中で幾つかわかりましたけれども、これとこれとこれだけはどうしてもやってもらわないかぬということを補強的にもしここで御意見を例えればお願いしておきたいと思います。
  17. 川道武男

    公述人川道武男君) 別に環境庁を敵視しているわけでございませんで、他省庁と相対的に力をつけてほしいという、私自身も願望していることでございます。  それと、先生の質問にございます緊急策というんですが、生物というのは、例えば我々人間社会の中で不満があったりするとアンケート調査をとりますね。それでそれがコンピューターですぐグラフィックになって出ますけれども、我々、動植物に対してアンケートをして何が不満だとか何が足りないというようなことだって聞けないわけですし、その現状把握でさえも簡単なことではないわけです。ですから、もうたくさんの研究者がたくさんの時間をかけてやっと山の中からデータを拾ってくるという現状ですから、特効薬みたいなものはございません。  ただ、一つぜひ言っておきたいのは、例えば明治維新のときに、ヨーロッパではずっといろんな分類学や生物学なんかが細分化して、それが同時に明治維新に入ってきた。日本政府は、追いつき追い越せということで最新分野ばかりねらってやってきた。そのために分類学とか基本的な自然史、ナチュラルヒストリーと申しますか、そういう自然史の蓄積が日本は非常におくれてきた。だけれども、それと同時に、多様な、非常に豊かな日本の自然ということもありますから、ヨーロッパとは比較できません。しかし、もっと多様で豊かなアメリカが、ヨーロッパより百年もおくれて、日本を既に超えてしまっているということは、日本発想がやっぱり間違っていた。特に野生動物というのは環境のためにすぐ消えていきますから、まず脊椎動物の動物生態学調査、これを種ごとにきちっとやる、それがまず優先する。  それが具体的にアメリカではなぜうまくいったかといいますと、アメリカの場合は野生生物局というのがございまして、それが膨大な野生動物の研究者を抱えている。なぜそういう大きな組織と大きな人員があるかというと、アメリカですと狩猟税が直接そこの野生生物の予算に組み入れられるわけです。ということは、我々が高速道路を利用するときに利用税という形が道路をという感じと同じように、利用者、ハンターの狩猟税が全部野生生物局の予算に組み込まれていく。そういうような形で、殺して済まないけれどもまたそれは保護のためにお役に立つという形がすごくよくなっている。  ところが、日本の鳥獣管理局、鳥獣管理室というのはもう数名がいるだけで、多分アメリカの野生生物局というのは何千人、何万人に近いくらいの働いているスタッフがいる。日本は数人ということでございますから、〇・〇一%ぐらいのそんなお粗末な状況だということも現実に日本の政治の貧しさをあらわしているのだと思います。
  18. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 ありがとうございました。  それで、学生の立場から来られた鈴木さんにお伺いするんですが、あなたは現在大学で学生として学んでおられるんですが、それでは大学における環境教育の実態とは一体何ですか。  この法律の第二十五条には、「環境保全に関する教育、学習等」という項目があるんですね。それでは、現在のあなたはボランティア的にそうして環境に非常に関心を持ち、将来にわたってかくあるべきやという提言も持っておられますが、しかし大学教育の中で、それではお粗末な中身でもこの環境基本法に書いてあるこういうこと、地球規模環境保全を担える市民を、企業人を、行政マンをつくっていくような大学教育であり得るのかどうか。そこのところ、率直に言ってください。
  19. 鈴木徹也

    公述人鈴木徹也君) この間、ある学者のグループが環境教育、環境問題についてどのくらい講義があるかということを調べたんですけれども、それは東京都内の私立の大学を調べたんですけれども、やはり極端に少ないと。  私、考えますに、今のこの環境問題とは、原因結果が簡単にはっきりしているものじゃなくて、特に原因の面では非常に複雑でして、例えば公害輸出の問題なんかは、日本のODAですとか開発融資ですとか、あるいは戦前から続くいろんな問題が複雑に絡み合って生じている問題でして、そういう問題を逆に簡単に教えて、解き明かして説明してくれるような先生がいらっしゃるかというと、多分なかなかそんなにはいらっしゃらないと思うんです。  僕もいろんな場に足を踏み入れて、いろんな方と出会ってようやく何となくその大きな構造が見えてきた、そういうことでして、小学校ですとかそういうところでの環境教育、例えば自然を大切にするとかそういうことは大いにやっていただきたいんですけれども、やはり今の構造的な環境問題に対しての環境教育というのは実に難しいのではないかというふうに考えています。
  20. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 ぜひとも大学の教育の中にどう位置づけるかという問題を、この第二十五条が単にここに書かれているだけでは困るんで、私たちも積極的に取り組んでいきたいと思います。  それで、もう時間もありませんから、もう一点だけ福岡大学の浅野先生にお伺いしますが、この間も私はこの環境委員会の質問の中で、企業の中に環境監査を導入するという問題の議論をいたしました。企業が今会計監査とかいうふうな、経理を公認会計士に見てもらって、そしてそれを公開する、公表する、こういう制度があるわけですが、そこに今度は環境監査を導入しようという試みが通産省なり環境庁の中にもあるわけです。  どういうことかというと、企業が研究開発から製造、販売まで企業活動環境に与えている影響を定期的に点検する、そして環境状況を監査人がチェックして、これを対外的に公認、公表する、こういう制度なんです。こういうものを企業の中に取り入れて、そして先ほども公害の話が出ましたけれども、企業の公害垂れ流しというんですか、そうしたものをチェックする新しい制度、私は非常に有益なものではないかと思うんですが、問題は監査が第三者によって外部監査になるのか内部監査になるのかということによってこれは大分違うわけです。  それからまた、情報公開の問題も、どれほどそれでは企業が情報公開していくかというふうな問題も多分にあって、そうしたことで企業側からの抵抗も相当強いと思うんですが、しかし、こうした制度導入はぜひとも環境保護のためにやらなければならぬと思いますし、企業の公害というのは地域住民に対してさまざまな影響を及ぼすのと同時に、そこに働いている労働者に対してもいろいろ直接的に影響を与えるわけですから、そこに働いている労働者、労働組合も一緒になって、企業の中における環境問題すべてにわたって地域住民と一緒になって環境保全の問題に取り組むということが必要であると思って、環境監査制度というものの導入期待をしている一人なんです。  先生の御専門の分野ではないのかもしれませんが、どうでしょうか、先ほどから相当詳しく環境基本法の各条文に沿って御意見をいただきましたので、こうした環境監査制度というものの導入について先生の御感想なり御意見がございましたらお聞かせいただけるとありがたいと思うんです。
  21. 浅野直人

    公述人浅野直人君) お答え申し上げます。  実は私はこの監査の制度というような分野については正直申しまして専門外でございますので、余り確実なことをお答えすることができないのではないかと思います。  先生のおっしゃるような意味での監査の制度を将来前向きに検討していくということの必要性は、私は全くお説のとおりだというふうに思っております。これまでの制度の中でも企業の中の環境に関するさまざまな仕組みに対するチェックの 制度として、意外と注目されておりませんけれども公害防止管理者制度というのがございまして、これはほとんど注目されてない割に私は随分機能してきたというふうに思っております。  今後、公害ということ以上に、企業活動が単なるポリューションだけじゃなくて地域環境に対して社会責務を果たしていかなければいけないという状況をかんがみますならば、いずれこの公害防止管理者制度のようなものが発展的にそのような形に変わっていくということもあるのではなかろうか。現に企業の社会的責任の強調ということの中では、かなりの企業がそれぞれのセクションの中に環境部などを置きまして相当大きな地位、権限を与えるというような動きも出ておりますので、これらを総合して考えますと、今先生がおっしゃるようなことも可能ではないだろうかというふうに思っております。  ただ、情報公開とダイレクトに結びつけることができるかどうかということになりますと、やはり私企業の中の情報でありますと、いわゆる情報公開制度のようなものとはなかなか結びつきませんので、例えばチェック機関として行政が何らかの報告を求めるというような場合に、その報告を得たものが企業秘密の枠を超えて公開できるかどうかということはかなり情報公開制度そのものの組み立ての中でも大きな問題がございます。  それから、第三者に監査をさせるというようなことも方向としてはちょうど会計士制度と同じようなものがあり得るわけでございますが、残念ながらまだそれほどのプロフェッションが我が国に育っているとも思えませんので、そちらの養成の方から作業をしなければいけないということもあるのではなかろうかと存じます。  恐らくすべての点について今後検討しなければならない課題であろう。ただ、基本法の中には事業者責務ということで先生御指摘の事柄の端緒のようなものがいろいろ出ておりますし、これは今後の芽になっていくのだろうというふうに考えております。
  22. 本岡昭次

    ○本岡昭次君 終わります。
  23. 松前達郎

    委員長松前達郎君) 委員異動について御報告いたします。  本日、野村五男君が委員辞任され、その補欠として野間赳君が選任されました。
  24. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 きょうは本当にお忙しい中、ありがとうございました。五人の方たちに厚く御礼申し上げます。  私はずっと環境基本法の中に自然に対しての政策が非常に少ないということを中心に今まで審議を重ねてまいりましたので、川道さんに主に質問させていただきたいんですが、今度は条文に沿って伺いたいと思います。  環境基本法案の十四条二号ですが、ここに「その他の生物の多様性」という書き方がしてあるわけなんですけれども、この点についてはいかがでしょうか。
  25. 川道武男

    公述人川道武男君) 僕自身は法律に余り強くないんですが、この「その他の生物」というものはその前に「野生生物の種の保存」とありますので、「その他の生物」というものはどうも野生生物以外の生物を指すらしくて、そうなるとこれはどうも稲の品種だとか、そういった人間がつくり出してきたものに対する多様性確保せよというような内容であって、もともとこの二号というのは一号に対応しまして生態系多様性確保中心でございますので、この中に稲の品種の多様性確保というような問題が入ってくるのはいかがなものかと思っております。
  26. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 次に、「農地」という言葉があるんですが、この点についてはいかがお考えでしょうか。
  27. 川道武男

    公述人川道武男君) この環境基本法における自然環境というタームが、定義が僕はよくわからない。つまり、農地というのは生態学者から言わせると明らかにこれは人為的環境でございまして、自然環境じゃないわけです。英語でもナチュラルエンバイロメントですから、そんなものにライスフィールドが入るわけじゃないわけです。ですから、こういう基本法における自然環境というターム自身がそこまで入っているタームだとすると、この環境基本法にふんだんに使われています自然環境という言葉そのものが一体何を指すのかということになってきます。  ですから、先ほどの「その他の生物」とそれから次の「農地」ということを考えますと、どうもこの中には野生生物の生態系多様性というのと稲の品種やサツマイモの品種の多様性を農地でもって確保せよというような問題がごちゃまぜになっているという、とても生態学者にはこの文章は信じられない文章でございます。
  28. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 次に、同じように「社会的条件」という言葉が使われているんですが、ここには問題点はございませんでしょうか。
  29. 川道武男

    公述人川道武男君) これは先ほど述べましたように、これがありますと、ここに結局先ほど言っているように二つの問題が入っている。つまり、野生生物の多様性と、どうも人間がつくった人為的な品種を農地での多様化確保するという二つの問題があって、それに対して自然的及び社会的条件によってという文章がありますが、仮に悪くとれば、野生生物の種の保存も多様性確保社会的条件によって幾らでもどう変えてもいいというような文言にもとれます。  ですから、この二番のこの二つ、野生生物の多様性確保と、それから人間がつくり出した、品種改良によってできました品種等の遺伝的多様性確保という、小学生のような話ですけれども、はっきりその二つを峻別されて、ぜひ基本法案として書かれるように私は希望いたします。
  30. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 次に、二十一条に移りますけれども、二十一条は規制措置について書いてありますが、ここの三号、二十一条の三号について伺います。  三号は、自然保護地区に関しての規制措置、四号には個別の自然保護のための規制措置について規定されているわけなんですけれども、この規制措置規定についての御意見はいかがでしょうか。
  31. 川道武男

    公述人川道武男君) 僕は素人なんですが、例えば素人的考えでいきますと、酸性雨が現在起こっていますですね。酸性雨というのは人間にとって害になっていないですから、いわゆる公害問題としては挙げてないんですが、植物に対しては非常に大きな被害をもたらします。このようなある特定の人がやったんではないけれども、人間がやったことが明らかなようなものがこの三番目の文言の中に含まれているのかどうか非常にあいまいになって、具体的にだれかが盗んだり壊したり、とったりというようなことに対して三番と四番ははっきり書いてありますけれども、特定の人物は特定できないけれども、やったものは人間であると。それが明らかに環境を破壊しているものに対しては不十分な文言ではないかと考えています。
  32. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 自環法、自然環境保全法理念は今回の新しい基本法案に吸収されていますけれども、地域指定についてはまだ自然環境保全法が現存しています。その中の問題について触れたいんですけれども、原生自然環境保全地域あるいは国有林の中の森林生態系保護地域、これは国有林の方ですが、指定については何か問題があるかどうか。日本は指定されていながら、その中に開発とかとかくいろいろな問題が起こってくるんですけれども、そういった問題についてはいかがお考えでしょうか。
  33. 川道武男

    公述人川道武男君) 二つほど問題が指摘できると思います。  一つは、環境庁と林野庁との省庁間のそのようなものが同じ自然保護をする地域として重なっている。そこにおいて、お互いがお互いに勝手に地域を指定したり遠慮したりというような省庁間の官僚的な問題が一つございます。  それからもう一つは、林野庁の方におきましては特にどこまで科学者がそれに提言なり具体的な 調査をして、その指定に対してやっているかどうか非常にしばしば疑問にあることがございます。ですから、現在のこの二つの地域の指定については、その指定するプロセスにおいてどこまで科学者が関与しているかというところにおいては、やや林野庁の方が僕は非常に疑問が多い点です。  そして、両方とも共通して言えることは、指定のしっ放しだということです。つまり、原生保全がされているかどうかについての経過報告及び監視というようなものが二つとも全く行われていないと断言していい程度の、つまりお役人が指定をしっ放しにして、指定したよ指定したよと言っているだけにすぎないようです。
  34. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 第二十三条は、「環境保全に関する施設の整備その他の事業推進」という項目です。この項では、「絶滅のおそれのある野生動植物の保護増殖その他の環境保全上の支障を防止するための事業推進するため、必要な措置を講ずるものとする。」というふうに決めてありますけれども、ここで言う「絶滅のおそれのある野生動植物の保護増殖」、こういった事業推進についてはいかがお考えでしょうか。
  35. 川道武男

    公述人川道武男君) 先ほどの最後にも絶滅のおそれについての私の意見を述べさせてもらいましたけれども、ここにこのような絶滅のおそれのある野生動植物の「保護増殖」というこの二つがくっついた四つの文字に並びますと、ついこれはトキ保護センターだとか、動物園での種の保存何とかというようなことだけが頭に浮かんできます。  一番重要なのは、そういうふうに金を使わないで、自然が自然のままに絶滅のおそれのないように維持されるのが一番望ましくて、かつまたお金が要らないことです。えてして日本というのは絶滅のおそれになるとトキ保護センターみたいなものをつくって、いかにもそこで自然保護がされているように思う。このような四つの文字、つまり「保護増殖」というような言葉は、これは明らかに分離させて、自然下における保護及び人工環境飼育下における増殖と。明らかに最初の方の自然条件下における保護というようなものがより優先するというような文章の文言があったらよりいいと思います。
  36. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 私は、ここの二十二条の中にもっといろいろな形の規制がない限り野生動植物の保護というのは実際にはなされないんではないかという気がしております。絶滅の方向の中で市民による捕獲とかそういったものだけではなくて、もっと大きないろんな形の破壊が今生態系を破壊していると思うんですけれども、そういった中でどういったような事業が今後必要だと先生はお考えでしょうか。
  37. 川道武男

    公述人川道武男君) 最初の陳述で述べましたように、やはりまず多くの科学者がこの研究分野に対して目を向けて、財政的援助を受けて、そしてそれぞれの仕事の、特に希少生物、その中で特に姿を早く消す脊椎動物に関するナチュラルヒストリーというものの蓄積をまず一生懸命やらなくちゃいけない。それで、それができますと、例えばツキノワグマが日本全国に大体何千頭いる、分布範囲はどうだというようなそれぞれのモノグラフが出てまいります。それに基づいて種ごとの適正な指示、アドバイス、それを含めた、例えばそれが集中的に分布している生態系をどう全体をワンセットとして保全していくかというような具体的な方策が生み出されてくるんではないかと思います。
  38. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 今の質問に追加して伺いたいんですけれども、外国なんかですともう少し全体的に、例えばその国の生態系ですとか動物や植物種についての計画的な調査がなされているとか、それから公的なデータが集められているとか、そういった事例はございますか。
  39. 川道武男

    公述人川道武男君) ヨーロッパ、特にイギリスにおいてはいわゆる素人の人が、ナチュラリストの方が鳥の非常に貴重なモノグラフを蓄積するといったような、素人というのは、これつまりプロフェッショナルな研究者やそれで御飯を食べている研究者ということじゃなくて、別の職業を持ちながら週末には鳥の調査をして蓄積するという伝統。それからアメリカにおいては、先ほど言いましたように野生生物局における多額な資金と人員の二つによって急激にアメリカも蓄積しましたし、ヨーロッパにおいてはコンスタントに研究者以上にいい研究が蓄積されている。ところが、日本はその二つともほとんどない。そうすると、残された研究者というのは非常に層が薄い。そのためには、先ほど私が陳述しましたような、ともかく財政的援助その他を期待しております。  なぜかといいますと、我々野生動物をやっているのに一年間の出張旅費というのは一回の学会に発表に行くだけで大体終わりでございます。つまり、普通の実験系でやっている研究者と全く同じ現金しか手に入らない。それは私の大学でいきますと年間十三万円でございます。たったそれだけでございます。それだけで僕自身が年間二百五十日山の中に入っていくお金なんかもうそんなの一回で消えてしまいます。それが現実でございます。
  40. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 その一番大事な基礎調査日本はなされていない。本当に北海道から沖縄までの公的なデータがない国というのは、この日本列島という列島に関しての自分のところの足元の調査すらつくらない国というのは非常に危惧を抱くんですけれども、二十八条は「調査実施」というふうに書いてあるんですね。  この条文、「国は、環境状況の把握、環境の変化の予測又は環境の変化による影響の予測に関する調査その他の環境保全するための施策策定に必要な調査実施するものとする。」というふうに書いておりますけれども、こういったところに今おっしゃったさまざまな予算が十分につくような、そういった内容調査が盛り込まれているようにお読みになりますでしょうか。いかがでしょうか。川道先生に伺っておりますが、二十八条ですけれども、「調査実施」というところです。果たして今先生がおっしゃったような調査が十分かどうかということでございます。
  41. 川道武男

    公述人川道武男君) この環境基本法案におきます、ただ「環境」と書いてある場合には人間の健康及び公害、都市環境というようなものが含まれていまして、もちろんその中には自然環境の方も、先ほど言ったようにおかしいことに農地まで含まれた自然環境というような、そういうような定義でございます。  そうしますと、この基本法案全体に散らばっている条文の量から判断しますと、自然環境に対する調査状況の把握に対する予算が条文の量からいって極めて少ないであろうということがまず一つ。  それから、人間環境への調査は、先ほど言いましたようにアンケートみたいに比較的早く確実なものができるんですが、山の中にいる生物にアンケート調査はできませんので、それを客観的なデータとして取り出すためには非常に労力とお金がかかるということです。ですから、できますならばこの条文の後に、特に自然環境についてはというような感じで状況の把握に対して十分な予算がつくように希望いたします。
  42. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 川道先生、どうもありがとうございました。  岩崎さんから伺ったことも本当に同感なことばかりなんですけれども、環境基本法策定の過程でもNGOの参加が私は非常に不十分だったと思いますが、これから実際にこの基本法施行されていく中で、実際市民がどのようなかかわり方をしていくかを先ほどるる述べられたわけですけれども、あえてもう一度伺いますが、一番市民のかかわらなければいけないところはどういう点だとお考えでしょうか。
  43. 岩崎駿介

    公述人岩崎駿介君) 市民は、御承知のように日本全国いろいろなところに実際に生活し、自分の環境を一番見ているといいますか、そういう立場にあります。したがって、この人たちが積極的に自分の環境に対して調査し、環境保全されて いるか検証していくという動機づけと、その結果上がってきた調査内容をいかに集約して、より公のものにしていくかということが必要だと思います。  したがって、一つは、地域の人々が自分たちの環境監査、調査等々について積極的に行為できるように、と同時にもう一つは、そういう市民のネットワークといいますか、そういうことに対する配慮、率直に申し上げて市民自身の責任ではあると同時に、それを積極的に国ないしは自治体が支援していくということが必要で、NGOは現在のところそれなりの努力はしておりますけれども、そういう調査とかネットワークについての国の支援が全く見られない。ですから、何条でしょうか、ここでは市民を支援するというようなことについては何らかの言及があるんですけれども、そういう状況を正確に把握し、相互に交換し合いながら政策に反映していくという調査研究政策提言機能、こういうことについては市民を基本的に信頼していないせいか何ら条文に見られない。これは環境基本法のみならず、一貫した姿勢としてあるので、ぜひそういう機能についての明記を、この市民への支援部分がございますけれども、そこにさらに付加して内容を豊富にするよう御配慮いただけたらありがたいと思います。
  44. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 きょうは学生の方が来てくださって、それこそずっと陳情に回っていらしたときに鈴木さんに会って、それからきょうまたこういった形でお会いできて、とても心強く思っています。  つたないという言い方をされたけれども、つたないということ以上に、私たちの時代が終わってから実際にあなたたちの時代に大事な環境のことを今私たちは審議しているのだと思うので、若い方がこうやって参加してくださったことをまず大変うれしく思うんです。余り理屈っぽいことではなくて、実際に私たちこの基本法案をこれからもう少し審議してという形がありますけれども、とても大きい質問になりますが、国会での環境の審議に対して、今まで傍聴もしていらしたようですし、一言で言うとどういう希望がありますか。
  45. 鈴木徹也

    公述人鈴木徹也君) 希望ですか、そうですね、例えばフロンガスの問題なんかありますね。今オゾン層を破壊しているフロンガスは大体十五年前のものが今ようやく問題を引き起こしている。これはなぜかというと、フロンガスは空気より重くて、オゾン層にまで達するのに物すごい時間がかかるということで、十五年かかって今ようやく上がっている。この十五年間にじゃどのくらいフロンガスが生産されたかといいますと、大体六千万トン以上です。  私いつも思うんですけれども、この六千万トンが今後十五年あるいはもっとかかるでしょうけれども、次々とオゾン層を破壊していくプロセスに参加していく。そうすると、今例えばオーストラリアですとかニュージーランドで起きている問題が全地球的に起きるんではないかあるいはもっとひどい問題が生じるんではないか、それは僕が生きている間に起きてしまうんじゃないかという危惧を持っていまして、本当はそういうものを食いとめられるような法律になればと思ったんですけれども、でもやはりなかなかそこまでは法案は変わらなかったと、そういうふうに思っているんですけれども。
  46. 堂本暁子

    ○堂本暁子君 どうもありがとうございました。
  47. 釘宮磐

    ○釘宮磐君 自由民主党の釘宮磐でございます。  本日は公述人の皆さん方、大変御苦労さまでございます。二十分という限られた時間でございますので、すべての公述人の皆さんに御意見をお伺いするということができませんので、あらかじめお許しをいただきたいと思います。  それでは、まず浅野先生にお尋ねをしたいと思います。  先生は長年環境法の研究をしてこられ、また審議会などを通じて環境行政に非常に詳しいとお聞きしております。こうした経験から御意見をお伺いしたいわけでございますが、まず第一に環境基本計画についてお伺いをいたします。  先生は法案第十五条の環境基本計画はまさに画期的なものであるというふうにお話をなさいました。    〔委員長退席、理事堂本暁子君着席〕 従来、環境政策では政府として調整推進する枠組みがなかったわけでありますが、今日では環境保全に関する分野における取り組みが一層重要となってまいっております。そういう意味で、今回、国全体の環境保全に向けた総合的な取り組みの大綱を定める環境基本計画が位置づけられたことは非常に重要なことであると思います。  そこで、この環境基本計画環境政策具体的施策の長期的マスタープランとして、その機能を十分発揮するためにはどのようなことが必要であるとお考えでございましょうか。御意見をお伺いしたいと思います。
  48. 浅野直人

    公述人浅野直人君) お答え申し上げます。  私、陳述の中でも申しましたように、この環境基本計画は、環境基本法の中にあります指針に基づいて、さらに長期的な施策大綱を定めるものというふうにされていることが非常に重要だというふうに思っているわけでございます。とかく行政計画と申しますと、比較的期限を限ってその中の計画ということになります。これは、どうしても予算の制約あるいは将来への見通しというようなこともありますので、おおむね五年ぐらいのスパンで計画が立てられるわけでございますけれども、先ほど他の公述人がるるおっしゃいましたように、確かに環境の問題というのは非常に長期的な見通しが必要でございますから、それについては現段階で可能な限りわかる知見に基づいて、長期的な見通しを持った計画策定されるということが必要ではないかと思います。  ただ、こういう環境計画をつくります場合に私思いますのは、やはりできるだけ多くの意見を取り入れ、関係者の合意のもとに計画をつくっていくということが必要でございまして、環境というのはもちろん自然の環境で、自然を中心にという部分もあるわけですが、人間の生活と触れ合う部分環境ということになりますと、これは単純に環境論だけでは済まない面がございまして、やはり計画というのは学術論文ではございませんから合意形成のもとにつくられる、これが何よりも強みであろうかと思います。そういうことがちゃんとできませんと諸計画への反映が難しくなります。  それから、こういう国の長期的な基本計画というものは、おのずから地方で行われるさまざまなプロジェクト、計画にもやはりそれ相応に反映させていくということが必要でございまして、ただ中央でこういうことを決めたということだけではだめだろうと思います。その点は自治体が国に準じて施策をいろいろ行うというようなこともございますので、そういったところでカバーされていくのかなと思っております。
  49. 釘宮磐

    ○釘宮磐君 次に、同じく浅野先生にアセスメントについてお伺いいたします。  環境影響評価については、法案第二十条にその考え方が位置づけられ、その具体的措置については現行制度を適正に実施するとともに、経済社会情勢の変化を勘案しながら必要に応じて見直していくという総理の答弁がなされております。私は、この総理答弁というのは、ただいまの先生のお話の中にもありましたが、情勢を見ながら、その都度見直していくといういわゆる柔軟性というものを考えると非常に適当な答弁であろうかというふうに思うのでありますが、こうした方針及び現行の制度についての御意見をお伺いいたしたい。また、個別法ができなければ意味がないというように言われている点についてどのようにお考えか、あわせてお伺いをしたい。
  50. 浅野直人

    公述人浅野直人君) お答えいたします。  私の陳述の中でも申し述べましたように、環境影響評価制度そのものについて、もちろん現在の制度についてはさまざまな議論があることはよく存じております。例えば、陳述の中でも申しましたように、事業者にアセスメントを行わせるということが合理的であるかどうかという議論がご ざいまして、第三者にやらせるべきではないかとかあるいは計画段階でのアセスはどうかとかというような議論がございます。  これは、それぞれの御議論、やはり一長一短あるわけでございまして、例えば第三者にアセスメントをさせるということは大変いいようにも見えるんですが、反面、そのことは今度は事業者がそのアセスの結果をどこまで事業の中に反映させるかという点での問題を起こしてしまうということがございますし、計画段階のアセスメントというのはこれは大変必要なことだと私も思うわけでございますけれども、計画が未熟の段階でどこまで正確な予測ができるかという難点がございます。ですから、これらについては十分に今後検討していくということが必要でございまして、私は結論的には一律に一つのあり方が正しいというふうにはならないだろうというふうに思っております。    〔理事堂本暁子君退席、委員長着席〕  現在までのアセスメントにつきましては、私の尊敬する恩師であります加藤一郎先生のお好きな言葉なんですが、ないよりはある方がましだろうと先生はよくおっしゃるんですけれども、全く何もないということを考えますと、現在までアセスメントの制度が果たしてきた環境保全未然防止役割というような点も十分に評価できる面もあろうかと思います。ですから、今までの評価できる点を生かしながら、さらに補充をしていくということにすることが望ましいであろうと思うわけでございます。
  51. 釘宮磐

    ○釘宮磐君 次に、国際協力についてお伺いをいたしたいと思います。国際貢献、これは今我が国の最も重要かつ緊急な政策課題であると思いますが、先生は地球環境保全に関する国際協力について法律規定を置き、積極的方針を示すことは画期的なことであると申されました。  しかし、他方では公害輸出国との批判や国際協力のあり方についての批判があるのも事実であります。国境を越えた環境問題について日本として具体的にはどのような国際貢献が必要であるとお考えでしょうか。御意見をお伺いしたいと思います。
  52. 浅野直人

    公述人浅野直人君) お答え申し上げます。  陳述の中で既に私の意見の一部を申し述べましたので繰り返しになるところは省きますが、例えばODAというような場合に、率直に申しまして私は現地のニーズにきちっとこたえるような援助というものは必要ではなかろうかということをいつも思っております。これは我が国の側だけの問題でなく、受け入れ側の問題もあろうかと思います。  つまり、現実に電気がないところに電気でなきゃ動かないような機械を持っていっても意味がないわけですが、現在のODAというのはややその点についてきめ細かさに欠けるというよりも、お互いの意思疎通が十分でないわけです。ですから、この点は例えばアダプタブルユースといいますか、要するに最も適合的な技術を、今その国は何を求めるべきなのかということについても、現在野にJICAなどで途上国からも人々に来ていただいて研修をするというような形でお互いの交流、意思疎通を図るという努力が行われておりますけれども、こういう点が大事なんだろうと思います。つまり、一方的に援助をするということよりも、援助というのはお互いにともに生きるということでございますから、やはり人間関係をつくっていくという点にも重点を置いていくことが必要ではなかろうかと思っております。  それからもう一つは、我が国国際貢献国際協力というときに、ともすれば出ていくことばかり考えるわけですが、日本国内で何ができるのか、日本国内でどういうことをすべきなのか、これはもっと十分に考えていく必要があるかと思います。  例えば、自治体が援助をするという場合でも、すぐ何か人を出していくということばかり考えるわけですが、受け入れるとか、あるいは例えば我が国の温暖化防止行動計画の中で我が国民がこういうことをやろうと決意をした、そのことは我が国内の行動であるけれども、そのことはダイレクトに国際協力につながっているんだということを国民が共感できるというような体制をつくることも重要な国際協力の視点ではないだろうかというふうに思っているわけでございます。
  53. 釘宮磐

    ○釘宮磐君 先生は福岡市の環境委員をなされ、さらにまた地方公共団体環境施策にもかかわっておられるとお聞きしております。  環境基本法においては地方公共団体に関する規定が寂しいのではないかという見方や、一方では地方の独自の取り組みにゆだねるべきである、余り細々と規定すべきではないというような見方もあるようであります。基本法地方公共団体の位置づけにおいて十分であると考えられるのかどうか、その辺についてお伺いをいたしたいと思います。
  54. 浅野直人

    公述人浅野直人君) 結論的に申しますと、私は現在の政府案の立法態度はおおむね妥当であろうというふうに思っております。  と申しますのは、国の法律でございますので、国の法律はやはり国が何をするかということを中心に決めていくことになるんだろうと思います。地方が何をすべきかということを余り事細かに政策基本法律の中で決めてしまいますことは、相対的に地方の自由度を縛るということにもなりかねません。  ですから、国の施策に準じ、さらに各地方公共団体の置かれたそれぞれの領域の状況に応じて、住民の総意に基づいて施策を講ずるべしということがはっきりと国の方針として決まるということは非常に重要なことでございまして、このことによって地方が創意工夫を凝らしてそれぞれの状況に応じた施策を講じていくと。もちろん、国家的なレベルで統一しなければならないような問題を地方がばらばらにやるということは問題でございますから、そういうところは国の施策に合わせていかれることになるんだろうと思います。  例えば、地方自治体の施策が直ちに我が国の貿易政策影響を及ぼすというような問題について、地方自治体が余り自由に行動してしまいますと、場合によっては我が国益に反するというようなことが起こりかねませんから、ある程度国全体のレベルで考えなければならない問題でございましょう。しかし、この現在の法案でございますと、主に第七節のところにたった一カ条しか地方自治体の規定がないということが寂しいという評価になっているのかもしれませんけれども、この条文をよく読みますと、ここで十分に意を尽くしているのではないだろうかというふうに思われるわけでございます。  御質問の点は、十分であるかというお尋ねでございますから、まあおおむね十分であろうというふうにお答えを申し上げたいと思います。
  55. 釘宮磐

    ○釘宮磐君 最近、地方分権ということが非常に声高に言われておるわけでありますけれども、今の先生のお話をお聞きしまして、我々としてもいわゆる地方の独自性というものは認めながらも、しかし国が大枠は決めていかなきゃならないということは肝に銘じておかなきゃいけないんではないのかな、このように思います。  浅野先生、最後に自然保護について先生の御意見をお聞きしたいのであります。  我が国自然保護の法制度について、貴重な自然から身近な自然まで体系的な自然保護のあり方については今後どうすべきか、この点について先生にお伺いしたいと思います。
  56. 浅野直人

    公述人浅野直人君) お答え申し上げます。  先ほど川道先生が自然保護についてるる御意見をお述べになりました。まことに傾聴すべき御意見であると拝聴しておりましたんですが、法律の専門の立場から申しますと、本法案の言っております自然というのは恐らく自然環境保全法理念を受け、そこで考えられていた事柄政策法として一元化するために持ち込んできているというふうに思われます。ですから、純粋生態学の観点から使われる用語と法令上の用語には若干の乖離があるということはある程度やむを得ないのではな いだろうかという気がいたしますし、従前のいわゆる自環法に基づく基本方針の中でも、身近なありふれた自然というようなものから貴重な原生自然まで、先生御指摘のように自然については多くの段階がございまして、それについてそれぞれの段階に応じた議論が行われてきております。  そして、自環法に基づく基本方針の中では、御指摘の農地のような場所、都市近郊の自然あるいは都市内の緑地といったようなものまで含めて議論をしておりますので、それをここでピュアに全部落としてしまって、この自然は生態学的に学問的にきちっと使える自然という用語でなければならないというふうには必ずしもならないのではないかと思っておりますが、これは考え方の問題でございます。  私は、原生自然のような部分の話、あるいは川道先生がおっしゃったような場面での自然保護については十分に既に専門の方々の御議論がございますし、それらの知見を生かした制度がつくられていると思います。それをさらに助長すべきだと思いますが、意外と見落とされておりますのが先生御指摘の身近な自然でございます。これは、ある意味じゃ半人工的な自然と言える部分であるかもしれませんけれども、人間が住んでおりまして、完全に動物、植物の生育区域と人間の住んでいるところをきれいに区切っちゃって二段階に分けるというようなことが不可能でございますから、どうしてもまじり合う部分がございます。この部分での折り合いをどうつけるかということが恐らく自然保護を考える場合の一番難しい問題ではないだろうかと思うんです。原生的な部分については十分な施策がそれぞれ行われており、これについては恐らく議論の余地がないのでいろいろ自由に物が言えるわけです。  それから、完全に人工的な部分については、都市公園の整備その他、既に建設省所管の法令その他でいろいろな手当てが行われております。ところが、そのちょうど真ん中の部分が抜け落ちているような気がいたしまして、これは先ほどの川道公述人のお話の中にもちょっとございましたが、里山の問題とか、そういったようなところはまだまだ施策が十分でございません。この部分にっきましては私はどう調整するかという調整原理を早くつくっていくことが必要だろうと思います。  そして、そこで自然について、序列をつけるということは私は余り好きじゃないので、これは高い価値がある、これは低い価値があるというふうに言うよりも、やはり人間あっての環境でございますので、人間の目から見てこれは我々は非常に重要だと思うものは重要なんだろうという観点がこの共存部分ではどうしても必要になると思うんです。例えば緑でも、自然度が高いか低いかというよりも、目に触れるかどうかというのはかなり大きい要素でございます。ですから、そういったような複数の価値基準を持ち込むこと。  それからもう一つは、おしかりを受けるかもしれませんけれども、ミティケーションといいましょうかそこではある程度人工的に補整をするとかつくっていくという要素が必要でございます。私はよく冗談のように申し上げるんですけれども、政令市の真ん中で人口がふえたから小学校をつくるのに、どうしたって校地を確保するためには今までの木を切らなくちゃいけない。どうしようか。私は、もうそれはしようがないので、一本切ったら十本植えるぐらいの発想でいったらどうだろうかということを申し上げるんですが、そうしますと、十本植えるのはもったいないから切るのはやめようと、多分現在の予算制度のもとでは教育委員会は考えるのでしょうねなどと冗談を申しております。  そういうような発想をあながち否定できないような部分がありますから、きちっと体系を考えるという場合には組み合わせを十分に検討した上で、これを一元的な施策というよりもマルチプルな施策の中で処理をすることが必要ではなかろうか。これは先ほど川道先生がおっしゃった意味での自然とはちょっと観点を異にする自然の議論であるということをお断りしながら、御答弁申し上げます。
  57. 釘宮磐

    ○釘宮磐君 どうもありがとうございました。  時間が余りありませんが、岩崎先生にちょっとお伺いをいたしたいと思います。  資料に沿っての先ほどの先生の意見の開陳の中で、開発途上国との関係改善と国際協力という部分で、資源収奪を行わない、公害を持ち込まない、援助によって環境破壊と人権侵害を引き起こさない、こういうことが述べられております。まさに日本が反省をしなければならない、過去経済優先できた日本に対する警告であり、またそういった反省に私は立たなければならないというふうに思うわけでありまして、その点については私も同感であります。  ただ、これから環境保全経済活動というのは半ば共存していかなきゃならない部分というのは、これも否めないわけでありまして、そこにいろんな意味で制約というものをつくり、そして監視体制を厳しくするということのみに私は走るべきではないんではないのか。逆に言えば、企業のモラルであるとか国民のそういった意識の啓蒙、こういうようなものがこれからの環境保全には非常に重要なんではないのか。特に教育、これはやはり最も重要な私は要素であろうかというふうに思うわけでありますが、その点について先生はどのようにお考えか。  さらに、先生は国際協力については専門家であります。そういう意味で、政府、企業さらには民間団体、これが今後国際貢献をどのようにやっていけばいいのか、具体的に先生のお考えをお聞かせいただければありがたいと思います。
  58. 岩崎駿介

    公述人岩崎駿介君) 二点御指摘があったかと思います。  第一点は、経済環境関係においてモラル、意識あるいは教育の重要性規制のみに頼らない姿勢が必要だという御指摘だったと思います。  御指摘のとおり、企業のモラルあるいは人々の意識、それを支えるべく教育の重要性については全く賛同いたしまして、これをもっと積極的に行わなければならない。そういう意味では、いまだ環境重要性あるいは途上国との国際的な関係重要性についての教育なり情報が不十分で、まだまだ積極的に取り組んでいかなきゃならないと思います。  ただし、規制のみではという御指摘なんですけれども、つまり開発途上国もいわば開発をしなければならない、あるいは経済発展を遂げなければならないので、環境規制のみ空言っていても困るのではないかという御指摘だろうと思うんです。しかしながら、開発途上国で起こっていることは、中心部といいましょうか、あるいは都市部の方々は開発ないしは経済発展によって実は多大な利益を確かに受けていると思います。ただし、開発途上国の平均して七〇%の人口を占める農村の人たちは旧来から自分たちの周辺の田畑や森林とともに生活してきているわけで、この人たちはいわば我々が言う開発あるいは経済開発が行われるに従って生活の劣化といいましょうか、つまり自分たちの生活を支えていた環境資源が奪われることによって生活が落ちていくという現象が際立って見られると思います。  ですから、経済重要性を説くことはもとより妥当だと思うんですが、それに伴う効果といいましょうか、分配が開発途上国の場合には際立って大きな格差を生んでいる。中心にいる者は金をもうけるんだけれども、あるいは豊かになるにしても、途上国の人は、具体的には負債ですね、いわゆる援助に伴う負債は森林を売って、材木を売って返していくというような例にも見られるように、際立って援助が促進するに従って落ちていくということが見られますので、ここについて十分に注意しないとやはり地球全体の問題になってくる。なぜならば、開発途上国のいわば七〇%の面積はそういう部分で占めているわけですから、ここを痛めつけていたのでは、一見華やかに見える都市だけを成長させても問題が解決しないということです。  第二点目の、NGOあるいは企業、政府等の役割についての御指摘で、率直に、私たち国際協力を自分たちの考え方に沿って推進しているNGOと申しますか市民のグループに対してもっと積極的に政府方々が信頼して役割を与えていくということが必要だと思います。カンボジアにおきましても、御承知のようにNGOが政府以前に入って、カンボジアの九二%の農民の人たちと一生懸命生活改善のことを考えているわけです。  現在の開発援助は、政府機関あるいは企業、商社を中心とする企業もしくは自治体の職員を含んでお金の流れに沿って実行されているわけですけれども、結局、開発途上国側に大きな単位のお金で入っていくときに生ずる汚職の問題であるとかそれを十分に社会的に分配し切れないことによって生ずる社会的格差の拡大であるとか、先ほど申しましたように、その結果、負債として積み上がっているものを環境を売って返していくというような状況を改善するには、やはり小さなお金に分割しながら人と人がつき合っていくシステムであるNGOを積極的に支援すると。  現在、NGO事業補助金といって外務省が執行しているお金があるわけですけれども、これはわずか四億円前後で、ODA全体に対しては何千分の一という小さな比率しか占めないわけですが、これをイギリスでは一〇%以上の確率、あるいはそのほかの諸外国、先進国においては大体イギリスを追うような形で実行されているわけです。最終的に各国人よりも地球人としての地球社会が来るとしたらば、多分これはODAの五〇%をそういう民間団体が使っていくという時代が私は来ると考えているわけであります。  そういう意味で、一刻も早く市民の自主的な行為を政府みずからが信頼されて、支えるといいますか、役割を与えていくということが必要かと存じます。
  59. 横尾和伸

    ○横尾和伸君 本日は、公述人の先生の皆様には大変貴重なお話をいただきましてありがとうございます。何点か御質問させていただきます。  私は、一昨日と昨日の二日間にわたって、北海道の釧路で行われておりますラムサール条約の締約国会議にオブザーバーとして参加させていただきました。百数カ国が集まって、人数にしたら千五百人ぐらいいたんでしょうか、正確ではありませんけれども、大変な熱気でございまして、国境を越えた熱気を感じました。問題がラムサールだけに、国境を持たない鳥が国境を越えて地球上をつなぐというような、そんなイメージがありまして、大変感激をいたしました。  そのラムサール、時間の都合でやむを得ず昨日戻ってきて、けさ新聞を見ましたら、このラムサールの会議で、条約事務局のスイスから湿地の開発に当たって徹底したアセスメントの実施を求める勧告案を提案されたと、こうありました。できれば私もそこにオブザーバーとしてでも参画して議論をしたいと思ったわけですけれども、新聞情報で知ったわけです。  そこで、まず川道先生にお伺いしたいんですけれども、種の保存という観点から取り返しのつかない問題が進行しているというお話をいただきましたが、特にそういった観点からアセスメントについての提案が今生々しく行われている。この百何カ国かが集まって行われているラムサールの締約国会議において提案されていて、大変生々しい問題として提起されているわけですけれども、その辺を踏まえて御感想でも結構です、お考えになっている点をお語いただけたらと思います。
  60. 川道武男

    公述人川道武男君) まず、二つ簡単に述べたいと思います。  一つは、私どもも環境アセスメントにいろいろ携わったり学生が携わってよく知っていますけれども、アセスメントそのものは極めてめちゃめちゃに近い形でやられています。安全基準のppmが決まっていますと、それを超えるような数値が出た場合には、そのプロットは調査しなかったことにする、または薄めて数値を誤って出すと。仮にそういうものを正直に出しますと、今度はそのアセスメント会社にアセスメントの依頼が来なくなって、その会社自体が大変なことになるということはもう社長が堂々と言うぐらいですから。それで、かつ仮にそれを行政に対してそういうことを指摘しますと、そんなことをさせているのかと、自分たちじゃなくてそれはいけないということで常に隠れみのになるという両者の悪循環でもってアセスメント会社というのは肥えてお金が入ってきているという現実ですね。  ですから、特に野生生物、ppmみたいな測定はまだいいんですけれども、野生生物の現状というようなものの調査というのは、我々のプロがやったってなかなかわからない頭数や、それがどれだけダメージを与えるかということが出ないものを高校卒や専門学校卒のほとんど専門的能力のない者がさっさと出して、それをアセスメント会社が提出する。そして、影響はほとんどないでしょうというようなものがまかり通っています。  ですから、アセスメント法案について環境アセスを義務づけるかどうかという議論の前に、義務づけてもそれからどうなるのかそれをどんなふうに適正管理をするかというと、またそのアセスメントを管理する会計検査院みたいなものをつくっていかなくちゃいけないというような現実をまず一つ考えてほしいと。  それから、日本における種々のもの、例えばつい最近ワシントン条約のCITES、IWC、ラムサール、これ立て続けにこのように毎年国際会議が開かれる。その政治的バックグラウンドというのは知りませんが、多分に日本というのは公海上及びあらゆるところでの野生生物の消費、略奪を行ってきて、それに対する国際的、つまりバッシングを含めた形でわざわざ日本にこのようなことを、国際会議を円高を含めてやらせているんじゃないかというふうに僕は何となく感じる。だけれども、それが逆にまたちゃんと効果があると。  つまり、それでもっておたおたと環境庁がラムサール条約の湖沼をふやしてみたり、そういうような対応をする。象牙をやめてみるというような効果があるからますますもって国際会議日本でやらせようというような、我々から見たら非常におもしろい国際条約の会議が毎年開かれるというようなことになる。それだけ日本は自分で自制心を失っていて、国際的にたたかれるようなまさにエコノミックアニマルというのをまだやっているということです。こういうふうに僕は感じております。
  61. 横尾和伸

    ○横尾和伸君 次に、岩崎先生にお尋ねしたいんですけれども、まずJVC、あるいは岩崎先生のお考えなのかもしれませんけれども、活字になっているものを読ませていただきますと、活動中心といいますか、初めは難民救済から始まって、現在はその背後にあるものを追求していった結果、環境問題の重要性にたどり着いたというのか、ちょっと正確ではありませんが、そういうことをお伺いしておりますけれども、そこのところ大変興味がございまして、難民から始まって環境問題、そういった一つの流れといいますか側面といいますか、もう少し詳しくお教えいただけたらと思います。
  62. 岩崎駿介

    公述人岩崎駿介君) 二つの事例をとってお話ししたいと思います。  私たちは、今先生が御指摘になったように、タイに発生しましたカンボジア難民あるいはラオス難民、ベトナム難民等々が非常に過酷な状態にあるということで、俗に人道的援助といいましょうか救援といいましょうか、人間として何ができるかという率直に言って非常に素直な気持ちでこの活動を始めたわけです。  タイのカンボジア国境にいましたカンボジア難民に十年以上にわたって私たちかかわってきたわけで、ことし一月から始まりました選挙のための難民帰還まで活動してきたわけですけれども、この人たちとつき合う中で、本当に難民の問題を解決するあるいはその人が置かれている状況解決するということは、二度と難民を発生させないということが必要だろうと思うんですね。そうする と、なぜ難民が発生したかということを考えざるを得ない。その結果、私たちはその人たちが出てきた農村がどういうような状態にあるかということが気になりまして、その三国を初めタイ国内を含めて都市から農村に目を移すようになりました。  そうして気がつきますのは、例えばタイの事例が最も典型的なので申し上げたいんですけれども、タイの東北地方へ行きますと山という山が裸になっていまして、木が一本もないという状態なわけです。どうしてそうなったかといいますと、トウモロコシを植えるために山に火をつけまして山を焼いてしまうわけです。そのトウモロコシはなぜつくるかといいますと、それを先進国に売ってお金を少しでももうけようということで環境破壊が行われるわけです。先進国の人たちがそんなにトウモロコシを食うかと思えば、人間が食うんではなくて、私たちが食べる豚とか年とかの家畜の飼料になって輸入されてくるわけです。  ですから、私たちが豚を食べ牛肉を食べることによって、その豚なりは実はトウモロコシを食べている。トウモロコシは何を食べて大きくなったかというと森林を食べて大きくなったというようなつながりを一方で見ながら、結局その人たちの生活改善、つまり農村を捨てて都市に流入するあるいは故国を捨てて都市部に出ていくということを救うには、あるいは改善するには結局彼らがその地において環境、つまり自分の山やあるいは田んぼとともに生きていく方法を見つけない限りそういう国際的な人口移動といいますか、そういうことを避けられないということを強く感じたわけです。  もう一つの、これも似ている状態なんですけれども、エチオピアの飢餓が発生しました一九八四年ですから今から九年前に私たちはエチオピアに入りました。そこでは百万人以上が一九八四年には餓死したわけですけれども、この方たちがどこで餓死しているかということを見ますと、やはり大変な環境破壊が起こっているわけです。つまり、私たちはアディスアベバという首都から五百二十キロの山奥にキャンプを構えて病院を開き、食料配付をやったわけです。そこで農民たちと話して、二度とこういうような状態を避けるにはどうしたらいいかと。そしたら十分な食料が必要があると当然答えが出るわけです。それで、じゃ農業をやろうというふうに始めましたら、実は水が不十分な状態でしかない。すなわち、山に木がないがゆえに、山に雨が降ってもそれが瞬く間に流出して健全な農業が営めない。  したがって、飢餓になるということを通して、結局、現在世界の実に半分以上の人口、五十四億人のうち二十八億人ですから、五五%前後の人口は開発途上国のそういった農村部に住んでいるわけです。この人たちこそ一方の経済開発と言われている都市の人たちのしりぬぐいと申しましょうか、余波を受けながら追い詰められている。それで難民になり飢餓になり、都会に流出してくるわけですけれども、この人たちが地球とともに生きる方法をさらに見つけるといいましょうか、擁護しなければ結局地球も危なければ人類自体も危ないということで、環境の問題が最も重要であるというふうに考えるに至ったわけです。
  63. 横尾和伸

    ○横尾和伸君 きょうお話しいただいたペーパーの一ページの四番のところで、「環境基本法基本的性格」について基本的に以下の三つが大切だと言われておりまして、一番目、二番目はともかく、三番目について、読み方が違っていたら後ほどまたお教えいただきたいと思いますが、次の五番で、特に三つ挙げたものの三番目の開発途上国との関係改善と国際協力の観点から問題であるとして二ページ以降に問題点を展開されていると思うんですけれども、①、②、③とあります。特に、②の「公害を持ち込まない。有害廃棄物を持ち込まない。」という点に大変興味があります。  実は環境基本法案の審議の過程においても、日本のODAだけではありませんけれども、国際協力の行為の中で公害を輸出するようなことがあってはならないという観点からの質問も何回か出ておりますが、環境庁の答えは国対国の主権の侵害があってはならないということで終始しました。主権の侵害があってはならないということは、これは当然のことでして、それはそれとしてわかるんですけれども、それ一つだけで公害を持ち込まないということに対する答えにはなっていないように私は思ったんです。  そこで、あえて岩崎先生にお伺いしたいんですけれども、「公害を持ち込まない。有害廃棄物を持ち込まない。」という考え方、大変貴重だと思うんですが、環境庁では主権の侵害の観点からむしろそれを最優先するんだということを盛んに言っておられることについて御見解をいただけたらと思うんです。
  64. 岩崎駿介

    公述人岩崎駿介君) 私たちとある国の人たちとの関係は、現在のところ政府つまり国家のやりとりを通して関係が成立しているというのが現状です。もう一つ、本来人と人、つまり国境を越えて人と人がつき合う中で新しい関係を築くという方法が歴然とあるにもかかわらず、そのことに対する認識が不十分なまま国家を通してのやりとりが中心を占めているわけです。  国家のやりとりの中心をなしていますのはいわゆる要請主義と内政不干渉主義ということで、向こうの政府からこういう要請があったのでこういうふうにしました、それが相手国内部でどういうような現象が生じてもそれは相手国内部の問題であって干渉することができない、したがって責任は負いかねますというのが一貫した姿勢だと思うんです。  我々の税金によって援助が行われ、それが相手国政府内部で何が起こったかは、実際相手方の政府の言い分をそのまま聞いて、正しく使われているそうだというオウム返しの答えしか返ってこない。しかし、NGOなり市民のつながりを通してそれがどういうふうな実態になっているかを調査しますと、多くの場合、相手国政府が言う、あるいは相手国政府のインフォメーションあるいは情報をもとに日本政府が言う答弁とは違った実態があらわれてくるということがありまして、このような状況認識の違いをどのように乗り越えていくかが問われているわけです。  そこで私は、いわゆる内政不干渉といいますのは、相手国内部における利害対立について口を挟むことは明らかに干渉になると思うんですが、援助なら援助というものが我々の国から相手側に発する時点において十分な条件なりをつけることは相手国の主権を侵害しないという意味において努力を図っていくべきだと思います。  それの具体的なあらわれがいわゆる政府開発援助大綱ということで、四項目にわたって書かれているわけですけれども、そのことにつきましてこれが現在十分に実行されてないといいますか、とりわけ欧米諸国の対応に比べて日本の場合にはおくれている。なぜおくれているかというと、恐らく援助をすることによって日本側が受けるであろう利益が高いせいか、なかなかその援助という行為自体を中断もしくは中止するようなことが起こらない。そうすることによってさらに事態を悪化させるということが起こっているわけです。ですから、ODA四原則をさらに充実させながら実効を高めていくというのが一つの解決です。  そしてもう一つは、私のメモの二ページ上段の「②の問題解決」というあたりに出てくるわけですけれども、例えば「進出する企業がその地における環境に対して十分な配慮を行うよう指導監督する」ということで、実際進出する企業は合弁会社を形成していますので、本社と思われる日本国内の企業との関連性を法的に疑われる場合はありますけれども、投資もしくは役員の派遣等々の具体的な事象を通して日本国内における責任性を問うことによって相手国内部の責任性を問うということに努力する可能性は大いにあろうと思います。  そういう意味で、今回の条文は、そういう議論は全くないまま、いわゆる技術援助と資金援助をするのは非常に正しいし適切であるというようなことにのみ終始していて、そういうことに対する 何ら反省なり具体的な方策が見られないというのは実に残念なことだと考えています。
  65. 横尾和伸

    ○横尾和伸君 ちょっと時間がないので簡単にお答えいただけたらと思うんですが、もう一つ岩崎先生にお伺いしたいと思います。  このぺーパーの最後のところで二十二条は大変文章が難解だというお話だったんですが、それと正反対というのか、第十五条、「環境基本計画」、大変重要な、今回の環境基本法案の目玉の一つ、あるいは柱の一つと言ってもいいと思うんですけれども、環境基本計画の記述は大変簡明で、簡単過ぎると言えると思いますが、かえってその分解釈も難しいのかもしれませんけれども、この最後に言われた難解な文章に対してこれは簡単過ぎる文章だと思うんですが、御感想を一言いただきたいと思います。時間がないので簡単にお願いいたします。
  66. 岩崎駿介

    公述人岩崎駿介君) では、簡単に申し上げます。  確かに、御指摘のとおり環境基本計画計画といいますのは本来いろいろな価値が対立するわけですけれども、それの調整を図っていく機能が基本的に計画作成過程であるはずなんです。ですから極めて重要な部分だと思うんです。したがって、他の法令との関係、例えば国土利用計画法等々、土地利用等々に絡めながらどういうふうにこの環境基本計画を位置づけるかということについてもう少し積極的に条文を豊富にしていかないと、これは中央環境審議会の云々ということで手続のことが強調されているのみで、内容的な記述が極めて希薄であるというふうに私も感じております。
  67. 横尾和伸

    ○横尾和伸君 ありがとうございました。以上です。
  68. 勝木健司

    ○勝木健司君 公述人の皆さん、本当に御苦労さまでございます。  浅野先生にまずお伺いをしたいと思いますが、環境アセスメント制度についてでございます。我が民社党は、現在閣議決定をされております環境影響評価基準を再検討して、それをもとに地方公共団体地域の独自性に応じてアセスメント条例を制定すべきであるということを従来から主張してきておるわけであります。その理由は、主な点でありますが、第一点、アセスメントの法律を制定いたしますと首都圏の開発も北海道の開発も同じような基準になってそれぞれ矛盾点が出てきはしないかということ、また第二点は、現在国も地方分権を進めようとしておるときでありますので、こういうときに国が新たに地方の独自性を縛るようなこういう内容法律を制定するということは私どもは好ましくないというふうに考えておるわけでありますが、こういう我が党の主張いたしておりますアセスメント制度について御意見がありましたらまずお伺いをしたいと思います。
  69. 浅野直人

    公述人浅野直人君) お答え申し上げます。  私は、先ほど陳述でも述べましたように、現在の環境影響評価制度は将来環境基本法理念等を評価基準の中にうまく反映したようなものに改めていくべきであろうということを申し上げました。ですから、先生御指摘の基準という意味が私に必ずしも正確に把握できていないのかもしれませんが、現在のままの基準をそのまま続けていくということが大変問題を起こすであろうということに関しては私も同感でございます。  すべて条例で処理をするのが適当であるかどうかということにつきましては、これは条例の拘束力がどこまで及ぶのかという問題がございますことと、それから地方と申しましても現在のところは都道府県どまりでございますので、都道府県を超えたプロジェクトの場合には条例間調整ということが必要になってまいりますので、将来の道州制というようなことまで含めて考える場合は格別、現状で都道府県が最終単位という条例ですべていけるかどうかという点は若干検討の余地があるんではなかろうかと思いますけれども、御意見は大変尊重すべき御意見ではないかというふうに思いますので、私も勉強させていただきたいと思います。
  70. 勝木健司

    ○勝木健司君 次に、岩崎公述人鈴木公述人にお伺いをしたいと思います。  現在環境関連の予算は十七省庁にまたがっておるわけでありまして、そういった点でも諸外国から見て日本環境行政の顔が見えないということも言われておるわけであります。その観点からも、私たち民社党は環境庁の省への昇格も主張しておるわけでありますが、この環境庁の省への昇格について御意見がございましたら承りたいと思います。  また、環境庁の省への昇格以外に、環境行政の機能を強化していこう、そういうことについて求められる点がございましたら御意見をお伺いしたいと思います。
  71. 岩崎駿介

    公述人岩崎駿介君) なかなか難しい御質問だと思うんですが、難しいといいますのは、環境庁が環境保全するという、人間が生きていくについてこれからますます大切にしていかなければならない価値といいますか側面を代弁し、行政の中に積極的に生かしていくということはもとより必要なことでありまして、それが庁から省に昇格してその可能性を切り開いていくということは、その字句どおりは大変結構だと思うんです。  しかし、私自身も庁から省に昇格することによって具体的にどういう行政権限が拡大するのかちょっとわからないところもあるんですけれども、なかなか現実はそういうことに名目を、名前を変えても、実質的な各省庁との価値の相克といいますか争い、そこで具体的な力を発揮しないことには意味をなさない。その意味で、そこのところをどういうふうに改善していくかということが必要で、省にすれば例えば人員がふやせるということによって、迂遠的ではあるけれども力を蓄積していくというようなことを含めて、恐らく省にすることはまず何よりも大切なことだというふうに考えております。  それから、環境行政そのものを、あるいは環境そのものの価値をさらに重要な考えていく手だてという御指摘なわけですけれども、私の経験から申しますと、先ほど川道さんも日本国内における自然環境の例えば危機、問題点ということを数多く述べられたと思うんですが、と同時に私たちの知らない開発途上国の奥の奥で大変なことが起こっているということを私たちは余りにも知らな過ぎると思うんです。ですから、私たちの一挙手一投足、食べるエビ、使う紙、捨てるごみ、こういうものが世界の見えない地域とどういうふうにつながっているかをもっと知るような機会がふえるならば、本当にもうこれはまずいんだということに気がつかざるを得ない。  そういう意味でやはり開発途上国、人類の四分の三の数多い人たちが、住んでいる人たちが決しておくれているというんではなくて、私たちの生活を豊かにする過程の中で必然的に落ちていったといいますか、私たちが豊かになるに反比例して、つまり豊かになったがゆえに彼らは貧しくなってしまったという関係に歴史的にあると思われますので、その事実を知るならば、私たちが物質的な欲望を拡大していくことがいかに相対的に、人類全体としてあるいは地球全体としてどういうことを引き起こすのかを自覚することができ、そのことからいわゆる環境問題、自分の足元を含めて自覚することができると思います。  もとより足元の問題を行うことについては何らやぶさかではないし、これにおいても川道さんが御指摘するようにまだまだ不足しているんだとも思うんですが、そういうふうに現在の時点においては地球的に考え地域活動すると同時に、本当に地域のことを考えるならば国際的に行動する、そういう二つの面をあわせて私たちの理解や認識を深め、その結果、環境問題に対する具体的な力を日本全体の国民といいましょうか、市民の中でつくり出すことができると考えています。
  72. 鈴木徹也

    公述人鈴木徹也君) 以前ある閣僚が環境問題についての政府の取り組みとして、各省庁で頑張っているから必要ないというふうにおっしゃっていたんですけれども、各省庁ばらばらでやっていることが問題でありまして、この問題に本気で 取り組みますならば一カ所に集中することがやはり大事だと思います。  例えば廃棄物関連の行政なんですけれども、これは厚生省に権限がありまして、厚生省に権限がありますと、廃棄物処理に関して環境という視点をどうしても入れられないんです。では、どういうふうになるかというと、生活環境保全とかあるいは衛生のためにという感じで、廃棄物に関連する行政がどうしても清掃行政というふうな呼ばれ方、自分の家の周りをきれいに掃き清めるとか、そういうふうに廃棄物行政がされてしまう。先進国で廃棄物に関する権限が環境庁にないというのはたしかなかったと思いますので、こういう分野も含めましてぜひ権限を環境庁に移していくということが大事じゃないかと思います。
  73. 勝木健司

    ○勝木健司君 次に、浅野公述人にまたお伺いしますが、環境保全のための国際貢献についてであります。  海外での経済活動が活発化いたしますと、環境問題も同じように深刻化している中で、日本の企業が海外活動を行う場合に日本国内法を現地においても適用せよという声があるわけでありますが、国内法を他国においても適用することは法制上問題があるということで、企業の自主性に任せるのが妥当ではないかと思うわけであります。しかし、我が国の国際的に置かれた立場等を考えますと、自主的に取り組むだけではもちろん不十分でありますので、やはり事業主が海外活動においても環境保全配慮するようなそういう誘導策を、法律で縛るのか行政指導をしていくのかということでありますが、誘導策をとるべきではないかとも思うわけでありますが、御意見をお伺いしたいと思います。
  74. 浅野直人

    公述人浅野直人君) お答え申し上げます。  誘導策をとるということの必要性は私も感じております。先生御指摘のように、国内法海外で適用するということは、これは少なくとも我が国法律の物の考え方からいうと適当ではございません。アメリカでは実は国内法海外適用と平気で言うわけですけれども、これはやはり国の物の考え方の違いではなかろうかと思います。我が国国際協調主義、先ほど御指摘もありましたように他国の主権は他国の主権として尊重するということでございますから、ダイレクトに法律で縛るということは難しいかと思います。  ただ、確かに国外活動に関しては国内法ということが全く不可能であるかどうか、これは政策決定の問題でございますけれども、先ほど申しましたように仮に国内法で縛りをかけるにしても、海外の法人は縛りようがないわけでございますから、そうしますと、そこで脱法行為が出てしまっては意味がございません。むしろ、そうなりますと岩崎先生がおっしゃいましたように実質的なところで見ていく以外にないわけですが、法的なフレームでそれをやっていくのは非常に難しゅうございますので、これは自主規制と申しますかそういったような方法を講じていただくという方向でまずは考えていくということが必要ではないかと思います。  それと同時に、私思いますのは、我が国はむしろ国際的な基準づくりの中で積極的に発言をしていくということも必要ではないかと思います。条約のような形ができてまいりますと、これは当然に国内にもう一度返ってくるということができるわけでございます。ともすれば我が国環境問題について条約づくりをする場合に受け身の姿勢に立ちがちでございまして、決まってきたから、だから持って帰るというようなことに終始しておりますけれども、もっと積極的に物を言っていかなきゃいけないんじゃないか。そのためには、まず自分の国内でちゃんとやることをやっていない限りは言えませんので、そういう意味でも基本法をちゃんとつくりまして、ちゃんと国内でやりまして、そのことを海外でも言っていくということが必要だと思います。  例えば、援助機関等にもかなり我が国は出資しているわけでございますし、援助機関そのものがさまざまなフレームをつくって動いておりますから、そういうところでのフレームづくりにも我が国の貢献ということがあってしかるべきではないかということが私の持論でございます。
  75. 勝木健司

    ○勝木健司君 岩崎公述人にお尋ねいたしますが、私ども野党共同でODA基本法を現在提出いたしておるわけでありますが、その中での環境部分にっきまして、特に御意見がございましたらお伺いいたしたいと思います。
  76. 岩崎駿介

    公述人岩崎駿介君) ODA、援助基本法にかかわる環境問題については、私のメモの二枚目の部分の真ん中辺にもありますように、援助に伴う環境影響評価実施していくということが日本国内の事情に照らしてもぜひとも必要であるというふうに考えます。  と同時に、環境問題といいますのは、多くの場合にその地域に住んでいる人たちと密接な関連を持っています。ですから、例えば住民、そこに住んでいる人たちを追い出して、たくさん木を植えて緑をつくり、環境を回復したというような手法においては真の意味環境保護したことにならない。追い出された人が必ず何らかの形でまたその追い出された分のマイナス効果をどこかで生じさせますから、あくまでその地域の人々が環境とともに生きられることを尊重していかなければいけない。  その意味で、いわゆる基本的な人権の問題というのをいかに保全するかということが自動的に環境保護にもつながっていくと思われますので、基本的な人権の擁護、それもその地域の人たちがその地域にかかわる援助の是非、計画策定あるいは調査事項等々に参加できるようなシステムを組み入れる必要があると思います。多くの場合、そうすることによって初めて、その地域の人たちが伝統的な文化に依存しながら生活をしてきた延長上に地域環境を守っていくことができると思います。  したがって、援助基本法の中に地域住民の決定過程への参加と基本的な人権の擁護ということをぜひとも強く表現していただきたいと思います。
  77. 勝木健司

    ○勝木健司君 最後に、浅野公述人にもう一点お伺いします。  環境保全は国だけでなく、やはり国民それぞれの取り組みが相まって初めて可能なことは言うまでもないわけでありますが、そのためには国の持っておる環境情報あるいは環境保全に関する情報というのが国民に適切に公開と申しますか、情報が提供されて初めて環境行政の信頼というのが高まってくるんじゃないかということで、また行政情報を有効に活用する点からも、国、地方自治体の持っておる情報の提供あるいは公開というのはやはり必要じゃないかというふうに思うわけでありますが、御意見を承りたいと思います。
  78. 浅野直人

    公述人浅野直人君) お答えいたします。  情報公開と情報提供という用語は、これは現在までのところ、地方で行っております条例の制度フレームの中ではほぼ言葉が定着しておりまして、情報公開というのはどちらかというと生情報をお見せする。それに対して、情報提供はある程度加工してわかりやすくしたものを提供するという言葉遣いをしております。そういう意味でいいますと、環境に関して情報公開というようなことがダイレクトに出てくるかどうかということは、これは特に国レベルを考えますと、情報公開法もございませんので、環境部分だけが突出するということはやや問題があるかもしれません。  しかしながら、既にECでは環境情報公開がEC指令で出ておりまして、EC諸国は環境情報公開に踏み切っております。こういう趨勢はいずれ我が国にも来るんではないだろうかと思いますが、国レベルで考えますと、まず私は情報公開法が先だろうというふうに思っております。  しかし、先生御指摘のとおり、地方の持っております環境情報をしかるべく提供していくということは本当に大事でございまして、既に多くの自治体で環境情報システムを構築しておりますけれども、今後はこういうようなものをすべての自治体につくることができるような支援をしていく。 さらに、そういう情報のネットワークをつくって、どこでもその情報を取り出せる。これば、例えば環境影響評価をする場合でも、先ほど川道先生がおっしゃったように動物の情報などについても自治体で調べていくと結構ある場合があるんです。ところが、それがうまくつながらないという問題もございますので、情報ネットワークをつくる、そしてこれで情報提供機能を充実させていくということは国全体の施策としても十分に考える必要があると思います。  御指摘のとおりだと思います。
  79. 勝木健司

    ○勝木健司君 ありがとうございました。
  80. 有働正治

    ○有働正治君 本日は、どうもありがとうございます。まず、感謝申し上げます。  私は、まず政府原案に対する修正についての基本的な考え方をお尋ねしたいと思います。浅野公述人は、基本的に原案を早く通していただきたいというお考えのようでありましたので、この問題は浅野公述人以外の四人の方にお尋ねいたします。  私は、社会進歩を考える場合あるいは物事、事態を改善する、今流でいえば改革をするという立場、そして民主主義という立場から見まして、政府法律をこれはベストだと思って提案した場合でも、それに対して批判あるいは改善の意見が多々あれば、道理あるものであれば当然これにこたえて修正するというのが、民主主義の立場からいっても社会進歩の立場からいっても私は重要ではないかと考えるわけです。それによって改革、改善が進められるという気がするわけであります。  多くの市民団体の方々、そしてまた環境NGOの方々も、実際に直接携わっておられる立場から、その点では最も専門的な立場であります。そうした点から修正の要求を出されています。我が日本共産党も実効ある立場から修正案を準備しているところであります。また、各野党の皆さん方も修正を求められている。これはそうした国民世論の反映でもある、そういう点では国民主権の具体的な行動のあらわれでもあると私は考えるわけです。そういう点では、政府・自民党の方も積極的にそうした修正に応ずるべきだというのが我が党の立場であります。  この修正問題につきまして、あるべき姿なり基本的スタンスとしてどうお考えでいらっしゃるのか、まず簡潔にお述べいただければと思います。
  81. 川道武男

    公述人川道武男君) 何と答えればいいかよくわかりませんが、環境基本法そのものの字句訂正その他については、先ほどの質疑応答の中で幾らか私自身が思っていることを述べさせていただきました。大体その中で私自身の気持ちは尽くされていると思います。
  82. 岩崎駿介

    公述人岩崎駿介君) 当然皆さんから意見を聞き、訂正すべきは訂正するという姿勢はもとより必要なことと思います。非常に柔軟な姿勢があくまで必要で、それこそそうでなければ地球が救えないという事態に至っていると思います。
  83. 森脇君雄

    公述人森脇君雄君) 私は、基本的には賛成しております。ただ、アセスメントやいろいろ含めて、少しこの点について問題を提起した、こういう状況です。
  84. 鈴木徹也

    公述人鈴木徹也君) 先ほども申し上げましたけれども、法律というのは一度制定されてしまいますとなかなか変えることができない。これまでも、ほとんど新規の環境関連の法律は制定されていませんし、改正もされていません。  ですから、環境アセスメントの法制化等が盛り込まれなければ、この法案はもう最初から要らないんだ、もう一回やり直してもいいんだとかいう人もいらっしゃいますけれども、私は少なくとも運営をする際に市民なり政府なりが努力をしてこの法律意義を高めていくことができるんではないかと考えております。
  85. 有働正治

    ○有働正治君 五人の公述人の方で、四人の方はそうした意見を取り入れるところはできるだけ取り入れていただきたいという立場もお持ちだという、これは非常に重みがあると私は考えるわけであります。  次に、森脇公述人にお尋ねします。  お話の中で、公害は終わっていないということを述べられました。資料として配付されたものを見ますと、例えば「いまも苦しむ公害患者十万人」とか、本当にベッドに横たわっておられる患者の方等々、また生前の写真等々ありますけれども、私は資料を拝見させていただいても、大気汚染などの事態はむしろ悪化しているんではないかと感じるわけでありますが、こうした現状認識についてどう思っておられるのかもう少しお述べいただければと思います。
  86. 森脇君雄

    公述人森脇君雄君) 提出しました資料の二十九ページに、実は大阪府内全体を通して一万カ所ぐらいのNO2測定をやりました。これは五百メートルメッシュと一キロメッシュに分けながら全体でやったわけでありますが、ここに出ているように一九七八年と一九八四年と一九八九年ですか、五年単位に測定しました。ことしが測定する年になっています。この五年単位で測定してみたのを逆に言うと、これ左から右へだんだんよくなっているというふうに見られるわけですが、実は道なんで、右へだんだん悪化している。これが今の大阪府下のNO2の現状だろうというふうに思います。  特に問題なのは、〇・〇五から〇・〇六の間のところが一斉に真っ赤に広がっております。焦げ茶色にあるのは今はそれほど広がってはいませんが、都市の中ではもうほとんどの測定局が〇・〇六を超えていると。これが大阪府下の一万カ所でやった状況の結果です。だから、これを見ていただければ公害はよくなったというふうには全く言えないというふうに思います。
  87. 有働正治

    ○有働正治君 森脇公述人にお尋ねしますけれども、私どもも政治に携わる者としてそういう現実を直視するという点で非常に身につまされるわけであります。森脇公述人公害病の患者の方々の苦しみの問題についても述べられました。資料を見ましても、治療を受けておられる、あるいは生前の写真等々も示されているわけでありますけれども、このパンフだけではその被害者の方々の肉声、苦しみというのはまだまだ私どもに伝わってこない点もあるわけであります。  当事者の方々の苦しみなり苦労、痛み、いかばかりかと私お察し申し上げるわけでありますけれども、今後の環境公害問題を考える上でもそうした生の声をぜひ私自身受けとめたいということで、もう少しリアルにお示しいただければと考えるわけであります。
  88. 森脇君雄

    公述人森脇君雄君) ここは東京ですから東京の話からしたいと思います。  先ほど、加藤恵子さんと鈴木さん、東京患者会の幹部の二人の人たちがぜんそく発作のために亡くなりましたと言いました。この中で、加藤恵子さんについて少し細かく報告をしたいと思います。  昨年の二月六日に勤務先の病院の前で昼休み中に極度の発作を起こし、そしてそこで倒れました。それは植物人間のように八日間全く意識不明のままの状況になりました。その八日後、病院の皆さんや多くの人たちによって命は取りとめたものの、やっぱり言語障害、そして運動機能の障害が残りました。昨年、環境庁長官にもこのことを訴えました。車いすで、本当に言葉の出ない中で訴えました。こういう中でありましたが、去年の十二月、東京都のNOxが一段と高い中で大きな発作を起こし、亡くなりました。  この加藤さんの例を一つとってみても、今多くの人たちがこうやってばたばたと倒れていっているのが現状です。この加藤さんは四十二歳のこれからというときに亡くなりました。公害というのは今本当に厳しい状況被害が進行しているというふうに思います。  私は被害者の代表としてここへ来ましたが、私にほとんど当てていただけなかった。本当にそういう意味では残念に思います。
  89. 有働正治

    ○有働正治君 再度、森脇公述人にお尋ねします。  今基本法案が審議されているわけでありますけれども、私は出身は熊本であります。熊本は水俣病であります。被害者の方々にも私もお会いすることがあります。本当に年老いた方が多く、生きているうちに救済をという痛切な声であります。というのも、十日に一人の割合でお亡くなりになっている、本当に死に切れないということを最後まで言っておられるということを私もたびたびじかにお聞きします。  そういう点で、今公述人もおっしゃられましたように、基本法を制定するスタンスといたしまして、行政に携わる者その他、今現に起こっている環境公害問題を本当に解決することが非常に私は大事ではないか。そういう足元の問題を解決するということを抜きにして、幾らきれいごとを条文上言ってもそれは本当に救われないという面もあるわけでありますが、こうした足元の問題解決基本法とのかかわりにっきましてどうお考えか、お尋ねします。
  90. 森脇君雄

    公述人森脇君雄君) 六十二年の公害指定地域解除のときの中公審の会長の言葉の中で、被害者の声を聞くという点を会長談話の中に載せました。なぜ被害者の声をあのときに会長みずから聞かなきゃならないという談話をしたのか。私はこういう意味では被害に始まって被害に終わるという原点だろうというふうに思っています。そういう点で、あのときは中公審そのものに被害者の代表を入れなかったということから、わざわざ談話に出したんだろうというふうに思っております。  こういう点では、私たちこの足元の問題、私も九カ国ほどこの二年間に行ってきました。フランスも行きましたし、それからブラジルへも行きました。そしてアジア諸国を回りました。この中でも被害者はたくさんいる、各国に。ただ、その人たちが被害者だという声を出すことは大変難しい。なぜ難しいか。被害者が声を出すことがどれほど残酷なことなのか。就職にそして結婚に、すべてのところでその声を出すことによって影響があります。  日本では公害健康被害補償法が今あるから、だから日本だけが唯一物を言える状況になっています。だから、世界的な問題として被害者の声をこれから反映するために私たちが努力すると同時に、足元の問題、特に公害被害者の声を国会では重視していただきたい、つくづくそう思います。
  91. 有働正治

    ○有働正治君 もう一つ森脇公述人にお尋ねします。  先ほど来、情報公開、住民参加の御意見も多々ございました。これは一体のものとして非常に私も重要であると考えるわけでありますが、森脇公述人はこのことも強調されましたけれども、なぜこのことを強調されるのか。そういう体験なり必要性を実感されているからではないかとも考えるわけでありますが、もう少しこの点をお聞かせいただければと思います。
  92. 森脇君雄

    公述人森脇君雄君) 先ほどアセスの問題のところで言いましたが、外国の例を述べますと、私フランスのパリに行ったときに環境省との間で話をしました。そのときに、私たちがNO2の測定をして、翌日にはその東の駅のすぐ隣が何ppmあるかという小さなデータが環境省の中に情報が入っていました。同時に、その情報はそれだけでなくて、すべての情報が各家庭の中でも必要なら見られる、こういう状況を知りました。  日本の中でもしそういう情報をとるならどうだろうか。一回行政に行って、それをとってきたときにまた修正して、そしていろいろな修正を加えた上でこのことを知るというのは一カ月後である。NO2を測定し、お互いに行政との間で図りながら、そしてどの程度確かなのかということを全部やるのに一カ月かかる、こういう状況ではどうあっても情報公開がうまくいっているようには思えません。
  93. 有働正治

    ○有働正治君 もう一点だけ。  非常に私注目いたしましたのは、公害環境問題が地域を破壊する。地域自然環境と人間社会との大きなかかわりがあるという点からだろうと思うんですけれども、森脇公述人は町づくりの問題を非常に強調されました。この問題を述べられたのはどういう理由なのか、どういうふうにこの点お考えなのか、簡潔にお述べいただければと思います。
  94. 森脇君雄

    公述人森脇君雄君) 今私たちは六カ所で裁判をやっております。その裁判は必ずしもお金をもらうということだけではありません。破壊された地域をどう取り戻すのかということが一番大事だろうと思います。そういう意味では、二十四ページから二十五ページにかけて町づくりの案をここへ示しています。  私は、西淀川に住んでいますので、西淀川の中でどういうふうにしたら一番きれいな町になるか、漫画家の人と写真家の人をそれぞれ集めてこういう絵を書きました。ところが、この絵というのは、住んでいくうちでこういうものが必要なんだというものをつくり上げたとき、大阪市もこの西淀新山の端っこにあるようなところのなぎさを残していくとか、それから改めていろいろなところで協力してくれるものがたくさん出てきました。  私たちの運動というのは、地域ごとにすべての人が被害者と一体となって運動するということが私たちの中にあります。被害者のつくった再生プラン、これは恐らく日本で初めてだろうと思います。このことをこれからも実りあるものにしていただきたいと思いますし、これは西淀川だけではありません。西淀川と尼崎、此花、あの阪神工業地帯全体をどういうふうにするのかということが問われる地域、四十一の指定地域すべてのところでその問題をどういうふうにつくり上げていくのかがこれからの課題だというふうに思うんです。開発だけでなく、そこに住んでいる人、そこで働いている人すべての人が、ここに住んでよかったなと言えるようなものをどうつくるかがこれからの道じゃないでしょうか。
  95. 有働正治

    ○有働正治君 最後に、鈴木公述人に。  きょうは学生の立場から基本法案について積極的に意見を述べられまして、非常に感銘を受けました。私も学生時代地域ボランティア活動に参画した一人でありますけれども、鈴木公述人御自身あるいは一緒に取り組んでおられる仲間の皆さん方の共通した動機なりあるいは思いでも結構でございますが、環境問題にどうして積極的に自分が取り組むようになられたのかその思いなり動機なりをお聞かせいただければと思います。
  96. 鈴木徹也

    公述人鈴木徹也君) 自分のことですと、先ほど申しましたけれども、私韓国に昔住んだ経験がありまして、そのときにいやというほど日本が植民地時代に何をしてきたかということを知らされました。  今翻ってみますと、何度も言いますけれども、アジアの各地で公害輸出とかあらゆる問題を引き起こしていまして、そういう道義的な責任を感じて私は取り組んでいる面が強いんです。僕たちの仲間もアジア各地を旅行なんかで回ってそういう問題に気がつくとか、そういうような人もかなり多いんです。
  97. 有働正治

    ○有働正治君 どうもありがとうございました。終わります。
  98. 粟森喬

    粟森喬君 皆さんを拘束しているのは五時まででございます。三人の方にお尋ねをしたいと思いますので、そういうことを御配慮いただきまして、よろしくお願い申し上げます。  まず最初に、岩崎公述人にお尋ねをしたいと思います。先生のさっきの問題提起と文章を見てもNGOへの権限の委譲という問題を言われました。私はカンボジアのボランティア活動も見させていただいたり、おつき合いのある方も何人もいますが、NGOというのは本来的に自主的な運動であって、行政なりから権限を委譲されたらそこに義務も発生するし、私は行政万能主義も余り好きじゃないんですが、権限委譲まで必要なのか。私は、政策決定過程に参加をするとか意見を述べてもらうとか、自主的に運動をやってもらうことについては賛成なんですが、その量と中身による んだと思いますが、ここで言及された意味についてできたら解説願いたいと思います。
  99. 岩崎駿介

    公述人岩崎駿介君) 私は、NGOへの権限の委譲、またはNGOの政策決定過程への参加というふうに述べました。  私が日ごろ市民活動を続けて一番感じますのは、日本の多くの市民の方々、国会議員の方、それから国の役人の方も含むんですけれども、問題を解決するのは国が中心になって事を進めるんだという意識が非常に強いと思うんです。それで、先ほども言いましたように、ヨーロッパの人たちを見ますと、例えばNGOの事業費は我々の約百倍と言っていいんです。百億円を超えているNGOはたくさんあります。しかし、これの半分は国民の税金がNGOに渡されて事を執行しているという状態です。マッチングファンドといいまして、NGOが例えば百万円を市民からいろいろな形で集めると、その同額を政府が補助するというシステムが定着しておりまして、したがってヨーロッパの場合には国家のNGOへの信頼が際立って高いわけです。それは、先ほども言いましたように、今後人類がいろいろな地域や国で生きていくのに、国という単位ですべて物を考えるんではなくて国境を越えた市民同士のつながり、それをNGOが代表していると思うんですが、そういうことにある程度げたを預けていかないと事は解決しないんだという自覚があるんです。  ですから、生活上もあるいは経済上もヨーロッパの場合は他国と密接な関連で動いているわけですけれども、そういうことを踏まえて、国家の権限ですべてものを解決するんではなくて、ある一部分を自国のそういうNGOに渡しながら、そしてその人たちが他国との関係をスムーズに展開することによって最終的には自国が利益を得るという人々の意識もあるし、政府側の意識もあるということです。  ですから、権限の委譲というのは実は表現が必ずしも適切であったかどうか、確かに御指摘の部分もありますけれども、そういう意味ですべて解決するということ、法は国が行うべきことを定めるという先ほど浅野さんの御指摘もありましたが、例えば私がこの文章にも指摘しましたように、国民は国に協力しなきゃいけないんじゃなくて、国は国民協力しなきゃいけないというぐらい主客転倒した形で考えていく時代が近づきつつある。そういう意味で、国家の持っている力あるいはお金、そういうものをできるだけ市民にげたを預けていく。単純に言えば権限の地方分散になろうかと思いますけれども、そういうことを図っていく必要があろうということです。  ですから、政策決定過程への参加といいますと、やはり国が主体で、それにちょっとお手伝いするというような感じなんですが、もっと大胆にやはり市民なりを信頼し、げたを預けていくという姿勢が必要だと思います。
  100. 粟森喬

    粟森喬君 次に、浅野公述人にお尋ねをしたいと思います。  今のこととも関係をするんですが、フィランソロピーの活動日本の場合はメセナもやっていますね。経済界のフィランソロピーに対するかかわりというのは非常に弱い。経団連の中で一%クラブをつくったけれども、金は全部で一千億円になっているかなっていないという話です。税で払うのか、企業はそういう格好で払うのかというときに、環境や福祉の問題に払うべきようなそういう体質に企業なり経済を持っていかないと、税による再配分というのも大事ですが、この部分がこれからの日本における大きな課題だと私は思うんです。  そんな意味で、先生の立場から、日本における経済の歴史的な風土や宗教的な風土の違いもあるんでしょうが、このことについての見解をいただければと思います。
  101. 浅野直人

    公述人浅野直人君) 大変難しい御質問でございまして、的確にお答えができるかどうか自信がございませんが、私は環境の問題に関しては、基本法案の中にも言われておりますように公平な負担といいますか、これは非常に大事な概念ではないかというふうに思っております。つまり、だれかがやってくれるだろうというのは困るわけでございまして、それはお互いに負担をしていかなきゃいけない。  税というのは一つのありようでございまして、税負担をする者は全部国民ですから、そこから集まったものをもう一遍配分するという意味では税負担というやり方も一つの方法かもしれませんけれども、しかし税を集めるという場合には伝統的ないろいろな理屈がございますから、その理屈をそう簡単に壊すわけにはまいりませんので、先生おっしゃるようにもっとボランタリーに負担すべきものを負担するということもある意味では必要なのかなというふうに思います。基本的にはそれぞれが理念のレベルの話にどうもなりそうな気がするんですが、やはり環境については全部負担をしていかなきゃいけないということが基本になきゃいけないと思います。  企業が負担をするという言い方は、一見いかにも企業に負担をさせるように見えるんですが、ある意味では企業負担というのは最終的にはもう一遍価格に転嫁されていくということになりますから、そこで価格に転嫁されることを全員が容認するという社会ができていきませんと、どこか突出して企業が負担しますとそこだけ割を食っちゃいますから、そうもまいりません。最終的には、ここに言われておりますように全国民といいましょうか、すべてのところの負担をするというまず決意がありまして、その上で公平を確保するというような仕組みをつくっていくということになるんではないかと思います。  どうも不十分なお答えで申しわけございません。
  102. 粟森喬

    粟森喬君 鈴木公述人にお尋ねしたいと思います。  先ほどのお話を聞いていて、前にも部屋へ来たときにお話もしたんですが、資源が今のような使い方をされたら地球はどうなるかという懸念の部分で、そこは私なりに感銘深く聞いておるつもりでございます。これからの日本社会の中では、例えば省エネであるとか耐久性といいますか、大量生産をしてすぐモデルチェンジをしたら買いかえるなどというそういう生活の習慣も変えなけりゃならぬ、経済もそういう意味でそういうところにかかわりを持たなければならない時代に私は社会枠組みとしては来ると思うのです。  しかし、一番大事なのは、一人一人の自己改革運動みたいなものがなかったら、結果的に消費の基本的な理念というのは買う側の論理を、広告がどうだとかという意見もございますが、その自己改革運動みたいなのがやっぱりどこかで根づいていかないと、私は環境問題の根源というのは解決できないんじゃないか、こういう思いがします。  そこで、私なんかの育った世代から見れば、今の物があふれた時代に今の学生のトータルの意識として、若い人のトータルの意識としてそういう問題にかかわりを持つきっかけというのはどこでどう展開をしたらいいのか。私は一般的に国家が教育として押しつけるだけではある種の限界があるだろうと。これはある種の情報として提供するというか、これ以上こんなふうにして使っていったらこういうことになるよという情報は提供できるけれども、つまり受ける側の自己改革運動みたいなものが今の若い世代の中で起きるとすれば、それはある意味では鈴木さんがそうであったんだし、あなたの仲間がそうだったんだろうと思うんです。  ただ、まだ多数になっていないような感じもいたしますので、我々政治の立場で考える者にとっても皆さんの考えていることでこういうことについて私ども政活家も協力すべきではないか、こういう意味合いも含めて御意見があればいただきたい、こういうふうに思い ます。
  103. 鈴木徹也

    公述人鈴木徹也君) 大変難しいんですけれども、人間というのは何かショックを受けるときに精神がそれで麻痺しないようにセーブするという機能があります。環境問題もやはりそのショック の一つだと思いまして、この問題をまさに真っ正面から受けとめるならば深刻に考えざるを得ないような問題だと思うんです。  そういう問題に、それでもあえて取り組むように気がつくというようなことというのは、例えば先ほど公害患者のお話がありましたけれども、そういう方に会ってお話をするとか、あるいはごみの埋立場とかありますけれども、そういうところに行ってこんなものが今後百年間でどのくらいできるのかとかそういうふうな説明をされたならば、もう少しこの問題について考えるようなことになるんじゃないかと思います。  ですから、問題の犠牲者ですとか破壊を受けた土地ですとか、そういうところにもうちょっと足を運びやすくするような方策というのがあればよろしいんではないかと思います。
  104. 松前達郎

    委員長松前達郎君) 以上で公述人方々に対する質疑は終了いたしました。  公述人方々に御礼を申し上げます。  公述人方々には、長時間にわたりまして有益な御意見をお述べいただきましてまことにありがとうございました。委員会を代表いたしまして心から厚く御礼を申し上げます。(拍手)  これにて公聴会を散会いたします。    午後四時五十八分散会