○村上国務大臣 新聞の取り扱いが小さいのは、これは
労働大臣の非力でございまして、大物大臣であれば大きく取り扱うところでございましょうが、申しわけないと思っております。しかし、地元紙は相当大きく、この
労働委員会でしたか、公明党の
委員とのやりとりについても大きく報道されておりました。私がそこでお約束した現地へ行ってみたいということも報道されておりまして、NHKのニュース等には私が行った模様等々については流していたようであります。
そこで率直に感じましたのは、まず、日産座間工場の城下町である、そうした印象を私は非常に強く持っておりました。それから、従業員二千五百の方が移転をするようですが、配置転換といいましょうか、そうした従業員の
方々の不安が相当大きいのかな。それからまた、下請の
方々の不安も相当あるのかな。そしてまた、城下町と言われておりますので、座間のいろいろな、例えば散髪屋さんからスーパーさんから豆腐屋さんから、そうした
方々の経済的影響というものも相当深刻に受け取られているのかな。それからまた、市当局、市長さん初め皆さんにお目にかかりましたが、——先ほど言うのを忘れました。市長初め市当局の皆さん方ともお目にかかってまいりましたが、市当局も相当深刻に受け取っているのかな、こういうふうに思ってまいりました。
まず第一の城下町という印象は、それほ
どもう依存はしていない実態である。私はたまたま埼玉県の志木というところに住んでおりまして、隣に和光市というのがあるのですが、ここはちなみに本田があるのですね。これはほとん
どもう本田の城下町なんですよ、和光市は。だから、そういう印象であったものですから、これは大変だと思ったわけでありますが、そんなに依存度はなかった。
それから、下請の
方々、この両副会長さんあたりの考え方、商工会の会長さんからは、これは相当深刻に、第一次下請、第二次下請までは会社が責任持つだろう、しかしその広がりの影響を持つ市民の心理的不安というものは相当大きいということを訴えられ、そうした企業努力が足りないということを率直に私は感じました。
それから、質問の中にもありましたが、従業員の方
たちが移転するについて、三十年もあそこにいたわけですから、日産ですから相当ハイレベルの給料を取っている。持ち家等々についても、社員の
方々はマイホームを持つということは夢ですから、そういうことについての、まだローンも払い切らない方
たちへの会社の取り組む姿勢はどうだろうということもお聞きしました。これは会社で日産不動産というのを持っていて、そこでちゃんとやりますよということでした。それから、二千五百の配置についても、個々に既に三回面談をしている、そして、座間だけではなくして横浜工場も追浜工場もある、三万人の従業員体制の中でそれぞれ
希望を聞いて、どうしても九州へは行きたくない、村山に行きたくないという人は、追浜だとか横浜工場で
対応してまいります、十分本
人たちの意向を聞いてまいります、これは工場長や
人事部長の話でございました。
それから、組合の書記長もおられましたので、書記長には、どうなんだ、そういう従業員の
方々の不安はないのか、動揺はないのかと言いましたら、そういう誠意ある会社の
対応を受けているので、社員としては、従業員としてはそんな不安は感じていない、そういうことでございました。
それから、市当局は、例えば二十三万坪ある中で実際半分は封鎖して跡地になるわけですね、市長さんは跡地という言葉は嫌いだ、残地という言葉を使ってくれと言っておりましたけれ
ども。これについての会社の
一つの今後の計画ですね、やはり市は市としての都市計画がありますので、何か変な業者に売られて変なものを建てられたのでは困る、そうした計画を早く明らかにしてくれという、この点については市当局が非常に強い不安を持っておりまして、市や地元の方
たちの意向も酌みながら、さすが日産だけあってちゃんとした残地処理をしてくれた、地元の要望も聞き入れてくれた、こういう方向が打ち出してもらえればありがたい。
それから、市そのものの財政的ないろいろな面においては、かつてバブルの時代は十一億ぐらいの金が入ってきたけれ
ども、もう既にバブルが消えて、今の
状況の中では年間三億ぐらいというような話でございました。ですから、かつての十一億ぐらいの市の収入ががたっと減るということがあれば大変なことである。それにしても市としては、座間工場が閉鎖されることによっての財政的な影響は相当大きい、こういう
説明をるる受けたところでございます。
よって私の感想も、今申し上げましたように、会社のそれなりの誠意ある
対応を、まあ信頼しているという表現しか今言えませんけれ
ども、期待し、信頼しているということ。それからまた、市の市民に対する、やはりもう少し座間工場のそうした下請
関係についても、そこに残存する下請等々については三万人体制を、追浜だとか横浜工場等との取引によってカバーしていく、そういう話もありましたし、そういうこと等々をもう少し積極的にPRしていくことが大事なのかな。四千人おります。その中の二千五百といいますから、残る
部分もあるわけでございますので、そういうことのPRをしていくということ。それから、会社としての企業責任をしっかり自覚してもらって、後々の計画を早く出していってあげることだというふうに感じて帰ってまいりました。