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1993-02-17 第126回国会 衆議院 予算委員会 第10号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成五年二月十七日(水曜日)     午前十時開議  出席委員    委員長 粕谷  茂君     理事 石川 要三君  理事 小杉  隆君     理事 鴻池 祥肇君  理事 佐藤 信二君     理事 中川 昭一君  理事 串原 義直君     理事 中西 績介君  理事 松浦 利尚君     理事 草川 昭三君        相沢 英之君     愛野興一郎君        粟屋 敏信君     石原慎太郎君        臼井日出男君     内海 英男君        衛藤征士郎君     大石 千八君        倉成  正君     高鳥  修君        戸井田三郎君     中山 太郎君        萩山 教嚴君     浜田 幸一君        原田  憲君     松永  光君        松本 十郎君     村山 達雄君        柳沢 伯夫君     山口 俊一君        綿貫 民輔君     伊藤 忠治君       宇都宮真由美君     関  晴正君        仙谷 由人君     高沢 寅男君        竹内  猛君     富塚 三夫君        楢崎弥之助君     堀  昌雄君        松前  仰君     三野 優美君        水田  稔君     目黒吉之助君        元信  堯君     石田 祝稔君        二見 伸明君     宮地 正介君        矢追 秀彦君     木島日出夫君        児玉 健次君     菅野 悦子君        正森 成二君     中野 寛成君  委員外出席者         証     人 小沢 一郎君         証     人 竹下  登君         予算委員会調査 堀口 一郎君         室長     ————————————— 委員の異動 二月十七日  辞任        補欠選任   唐沢俊二郎君    萩山 教嚴君   三野 優美君    仙谷 由人君   元信  堯君    高沢 寅男君   二見 伸明君    矢追 秀彦君   菅野 悦子君    木島日出夫君 同日  辞任        補欠選任   萩山 教嚴君    山口 俊一君   仙谷 由人君    三野 優美君   高沢 寅男君    元信  堯君   矢追 秀彦君    二見 伸明君   木島日出夫君    正森 成二君 同日  辞任        補欠選任   山口俊一君     唐沢俊二郎君     ————————————— 本日の会議に付した案件  平成五年度一般会計予算  平成五年度特別会計予算  平成五年度政府関係機関予算      —————◇—————
  2. 粕谷茂

    粕谷委員長 これより会議を開きます。  平成五年度一般会計予算平成五年度特別会計予算平成五年度政府関係機関予算、以上三案を一括して議題といたします。  ただいま議題となっております平成五年度総予算の審査に関し、東京佐川問題について、小沢一郎君より証言を求めることにいたします。  この際、証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。  昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び重言等に関する法律によって、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証人証人配偶者、三親等内の血族もしくは二親等内の姻族または証人とこれらの親族関係があった者及び証人後見人後見監督人または保佐人並びに証人後見人後見監督人または保佐人とする者が、刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのあるときであります。また、医師歯科医師、助産婦、看護婦弁護士弁理士公証人、宗教の職にある者またはこれらの職にあった者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについても、本人が承諾した場合を除き、宣誓または証言を拒むことができることになっております。  証人宣誓または証言を拒むときは、その事由を示さなければならないことになっております。  証人が正当な理由がなく宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または十万円以下の罰金に処せられ、また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。  一応このことを御承知おきお願いいたします。  次に、今回の証人喚問に関する理事会申し合わせについて申し上げます。  その第一は、資料についてであります。  証人は、証言を行うに際し、資料を用いることは差し支えありませんが、委員長許可が必要であります。また、これらの資料は、いずれも当委員会に提出していただくことになっております。  その第二は、証人メモをとることについてでありますが、尋問項目程度は結構でございます。  以上の点を御承知おきください。  それでは、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めることにいたします。全員御起立を願います。     〔総員起立
  3. 粕谷茂

    粕谷委員長 議院証言法第五条の三の規定によりまして尋問中の撮影許可しないことになっておりますので、これより小沢一郎君の証言が終了するまで、撮影は中止してください。  それでは、小沢一郎君、宣誓書を朗読してください。
  4. 小沢一郎

    小沢証人     宣 誓 書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、  又、何事もつけ加えないことを誓います   平成五年二月十七日                小沢 一郎
  5. 粕谷茂

    粕谷委員長 宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  6. 粕谷茂

    粕谷委員長 御着席ください。  これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。  なお、こちらから質問をしているときには着席のままで結構でございますが、御発言の際は起立して発言をしてください。  委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で重要な問題につ いて証言を求めるのでありまするから、不規則発言等、議事の進行を妨げるような言動のないよう特に御協力をお願い申し上げます。     —————————————
  7. 粕谷茂

    粕谷委員長 これより証人に対して証言を求めます。  まず、委員長より委員会を代表して総括的にお尋ねをして、その後、委員各位発言を願うことといたしております。  それでは、私からお尋ねをいたします。  小沢証人お尋ねいたします。  平成四年十二月十一日の本予算委員会における生原正久証人証言によりますると、金丸議員自民党総裁辞意表明を行った平成四年八月二十七日の直前、あなたは生原氏とともに銀座ホテルに赴き、そこで渡邉廣康東京佐川急便社長主任弁護人である赤松幸夫弁護士に会い、新聞に掲載された五億円献金問題の対応について話し合いが行われたとのことであります。  また、その会談内容につきましては、あなたと赤松弁護士がお二人でお話しされたことで、生原証人は知らない旨証言されております。  そこで、お尋ねをいたします。  あなたが赤松弁護士にお会いになった日時、場所。目的は何であったのか、また、その会談内容についてお述べください。  引き続いてお尋ねをいたします。  次に、日本皇民党問題についてお尋ねいたします。  平成四年十一月二十六日の本予算委員会における竹下証人証言によれば、昭和六十二年十月五日、東京プリンスホテルの一室で渡邉東京佐川急便社長に会った際に、金丸議員とともに、あなたが同席されていたとのことであります。  また、この会合は、渡邉社長検察官調書によれば、日本皇民党が出した竹下氏の田中邸訪問について協議を行ったものと言われております。  そのような事実があったのかどうか、この会合を開くに至った経緯とその会合内容についてお述べください。
  8. 小沢一郎

    小沢証人 まず最初に、第一の御下問につきましてお答えをいたします。  渡邉社長弁護人であります赤松弁護人とお会いいたしましたのは、たしか二十五日か二十六日、確定できませんが、その晩のことだったと思います。  私は、その目的も、今もって、その内容につきましても、なぜ面会しなければならなかったのかわからないのでありますけれども、いずれにいたしましても、銀座のセゾン、ホテル西洋に参りまして、そこで赤松弁護人とお会いいたしました。そこに小針社長もおられました。また、生原さんも当然のことながらおられました。しかし、私、ただいま申し上げましたように、どういうことで赤松弁護人と会えということになったのか、そのときもわかりませんでしたし、会談した後もよくわからないまま終わっております。  したがいまして、ただいま委員長の御下問に、対応を協議したという表現がございましたけれども、そのような事実は一切ございません。  この五億円の問題につきまして、順を追って御説明さしていただきたいと思います。  たしか金丸会長の五億円授受の話が報道されましたのは八月の二十二日のことだったと記憶いたしておりますが、私はそのとき週末を利用して地方に仲間の応援に出かけておりました。したがいまして、その日ではなくて、多分月曜日のことだったろうと記憶いたしておりますけれども、生原秘書を通じましてこの問題についてどのように対応していこうかということの相談がございました。  私はこのように申し上げたと記憶いたしております。この五億円の献金の事実について、いつなのか、あったのかなかったのか、その点そのものについて私は全く知らない、関知しないことなわけですから、生原さんがその事実関係は一番よく御存じのはずだと。したがいまして、生原さんとおやじさんとよく相談をしていただいて決断を、結論を出していただく以外にないと思いますという趣旨対応をいたしたと思っております。  そして、その最終の結論といいますかをお聞きいたしましたのは、実は会見の前の日の夕方、たしか二十六日の夕方、私の事務所に生原さんがお出かけいただいたと記憶いたしております。ただいま竹下先生とも三、四時間話し合いをしてきましたと、結論といたしまして、あす会見をして発表いたしたいと思いますと、そういうお話を、結論を聞きました。私は、そのように決断をしたということであるならば、その方向でお互い対応を全力でしていこう、こういうことでその日は別れたわけであります。  会見メモにつきましても、生原氏からこのような趣旨でということをお聞きいたしましたが、その中に経世会会長辞任するというお話が含まれておりましたので、この経世会会長というのは、我々の議員の任意のグループ、そしてその総意でもって、みんなで選んだ会長なんだから、それをお一人で辞任するということを公にしてもらうことだけは、いかに会長の御決意であっても困るということを強く申し上げたのを覚えておる次第でございます。  私が、この五億円の問題について二十七日の会見に至るまでの経緯は以上のとおりであります。  その間、ただいま御下問ありました赤松弁護人との件でございますけれども、先ほど申し上げましたとおり、ホテル西洋で、二十五日か二十六日の晩だったと思いますけれども、その日突然、生原さんからだったと思いますが、会長の命によりまして赤松弁護人と会うように、こういう話が伝えられました。  私は、どういうことで会うのかわかりませんでしたけれども、会長からの指示だということでありましたので、わかりましたということで、先ほど申し上げましたように、たしか一つ会合を終えてからですから七時か八時か九時か、その辺の時間帯だったと思いますけれども、ホテル西洋に出向きました。  そこには、これまた先ほど話を申し上げたとおり、赤松弁護人小針氏と生原氏と三人おられました。私、小針さんとは何回かお会いしたことがありますけれども、赤松さんとは全くの初めてでこざいました。まあその赤松弁護人から話があるということで、二人で話したいということでございました。その部屋は、たしか二部屋続きのようなところでありまして、一方の部屋赤松弁護人から私お話を伺いました。その話の内容は、渡邉氏の弁護人として赤松弁護人渡邉氏の今までのいろいろな経緯やら立場やらについてお話をしておったように記憶いたしております。具体的なワーディング、言葉についてはどのようなことをお話しなさったか記憶いたしておりませんけれども、私といたしましては、それが金丸会長の問題と直接関連することではないという認識でありましたので、具体的に、ただいま申し上げましたように、どのようなことをお話しなさったかは記憶にとどめておりません。趣旨意味としてはそのような、ただいま申し上げましたような、弁護人として渡邉さんの立場お話しなさっておったというふうに記憶いたしております。したがって、金丸会長にもたしか特別何もありませんでしたというたぐいの報告をしたように記憶をいたしております。御下問赤松弁護人との件につきましては、ただいま申し上げましたような経過と内容でございます。  それから、第二点の東京プリンスでの会合の点でございます。  この点につきましても、ただいま委員長のお言葉の中に、どのような経緯で、どのような目的で、そして会談内容はどうであったのかというような御趣旨だったと思いますけれども、私は、結論的に申し上げますと、どのような経緯でこの会談がセットされたのか、あるいはどういう目的で行われたのか、そしてその会談でどのような話がなされたのか、私は全く存じ上げません。知っ ておりません。  また、今お話の中に同席という言葉がございましたけれども、言葉づらを取り上げるわけではありませんが、同席ということが一緒に隣に座ってあるいはそばに座って話をしたあるいは聞いておったという意味で使われたとするならば、私は同席をいたしておりません。それが結論でございますけれども、この点につきましても若干説明をさしていただきたいと思います。  まず、当時の皇民党街宣活動でございますけれども、基本的な認識といたしまして、私は、このような街宣活動妨害活動、これは全く関心を持つことなく、無視してほうっておくべきだという意見を持っておりました。幾らこの街宣活動が行われようとも、総裁選挙に何らの影響があるわけではない。当時、我々経世会は既に自民党内におきまして第一派閥の人数を擁しておりました。私はその当時から、次の総裁選びは、民主主義のルールにのっとって、自由民主党の党則に従って公選すべしという議論をいたしておりました。公選になれば必ず竹下総裁は実現する、必ず勝つと私は信じておりましたから、そういう背景的な意味合いにおきましても、私は、また私自身考え方からいきましても、このようなものに対して全く無視していくべきだというふうな意見を折に触れて申し上げておりました。したがって、私自身も全くその内容につきましては関心もないし、何も知っておりません。それが第一点でございます。  それから第二点は、これは皆様総裁公選の際の自由民主党の状況を思い浮かべていただけばおわかりと思いますが、当時はまさに総裁選挙直前でございました。竹下先生はその最有力候補だったわけでありますけれども、候補者としてあちこちを遊説したりあるいは出かけて歩く場合には、これはみな同じ光景がいつも見られますけれども、だれかかれか、ふだんのときとは違って、国会議員が順繰りに都合のつく順番で付き添っていったわけでございます。これはそのときもそのようなことでありまして、私がその日には竹下総裁候補のお供をして、順番として付き添っていたということでございます。  それから、よく金丸竹下小沢ということで、その間柄で知らないはずがないではないかといったぐいのお話いただくことありますけれども、金竹小などという言葉はマスコミがつくり出したごろ合わせの単なる言葉でありまして、私にとりましては金丸先生竹下先生は大先輩であり、しかも我々仲間会長先生であります。私はその会長のもとでの一会員でありまして、この立場を混同するような言動をとったことは私はありません。そういう意味におきましても、私はそのような、特に当時は、今世間で俗に言われているような形の中で私が日常いたわけではないということであります。  それからもう一点、四点目は、私はその当時、渡邉さんという方がどういう方なのか、どのような職業でどんなお人柄の人なのか全く存じ上げませんでした。見たことも聞いたこともありませんでした。したがいまして、その場におきましても、付き添いの人間という立場と同時に、全くの知らない人でありますから名刺交換さえしなかったと思いますけれども、そのときは、その場に渡邉社長さんという方がいること自体私は認識をいたしておりませんでした。それから、最後になりますけれども、それから三週間以上過ぎてからでしょうか、十月の下旬に、吉兆ですか、料亭におきまして御礼の会があったというふうに言われておるようでございますけれども、そのときのメンバーも、皆さんももう御案内のとおり、顔をそろえましたのは、金丸先生竹下先生渡邉さん、それから青木伊平さんと、全く私を除いては赤坂プリンスと同じ顔ぶれであります。私が本当にいろいろな意味相談をし、あるいは話し合いをしたメンバーであるならば、その場にも私が呼ばれてしかるべきだと思います。少なくとも私に何らかの声がけぐらいあっても当然いいのではないかと私は思います、思っておりますけれども、その会合あったことすら私はずっと知らずにおりました。  今五つばかり申し上げましたけれども、そういうようなことを委員皆様もお考えいただきますならば、私の最初に申し上げました結論おわかりいただけることと思います。私は、したがいまして、御下問結論を繰り返しますれば、その会談がセットされた経緯も、また目的も、そしてどのようなことが話し合われたのかも一切わかっておりません。  以上でございます。
  9. 粕谷茂

    粕谷委員長 以上をもちまして小沢証人に対する私からのお尋ねすることは終わりました。  次に、発言の申し出がありますので、順次これを許します。小杉隆君。
  10. 小杉隆

    小杉委員 きょうは御苦労さまでございます。  委員長質問で私の時間が大分食い込んでおりますので、大変時間が限られてまいりました。そこで、私が準備した質問は全部申し上げられないと思いますけれども、まず、今のお話を聞いておりますと、あなたは皇民党問題にしろ五億円の問題にしろ直接の当事者ではないというお話でありました。しかし、多分、金丸さんや竹下さんと常に行動をともにされて実情をよく知っておられるに違いないということで当委員会証人としておいでいただきました。佐川問題につきましては、今司法当局捜査中、特別背任、横領ということで捜査中でありますが、国会としても、前国会以来、佐川問題の真相解明ということで審議を続けているわけであります。あなた自身が進んで証言をしようという姿勢を示されたことは、私は大変意義深いことだと思っております。  つきましては、きょうこの場に証人として出席をされ、どのような気持ちで臨まれているのか、あるいは佐川問題についての国会の果たすべき役割についてあなたはどのようにお考えでしょうか、率直にお話をいただきたいと思います。
  11. 小沢一郎

    小沢証人 この議院証言法に基づく証言証人喚問、あるいはその他国政調査権に基づく種々の国会機能、これは国会の本来の役割を、仕事を貫徹するための補助的な手段としていろいろ機能が認められておるものだと思います。国会の本来の役割は、憲法に定められているとおり、国の唯一の立法機関として立法の作業、すなわち、それで形づくるいろいろな制度の問題につきまして議論を闘わせる場だと思っております。  したがいまして、そういう意味において、いろいろと細かな事実のせんさくよりも、私は、こういうような佐川問題にしろ何にしろいろいろな問題が起き上がってきている。それはどこに原因があるのか、あるいはどうすればいいのか、あるいは政治資金規正法のあり方はどうするのか、選挙法はどうするのか、選挙制度はどう改革していったらいいのか、その面において議論をするのが国会役割だと、私はそのように思っております。  しかし、もちろん私国会できよう証人として出頭要請されました。国会の決めたことでありますから、今も申し上げましたが、私の知っている限りのことはいろいろな事実についても申し上げたいと、そう思って出席さしていただきました。
  12. 小杉隆

    小杉委員 少し具体的な話に入りますが、皇民党の問題についてであります。  先ほどの御発言では、褒め殺しに対して、そんなのは無視したらいいじゃないか、こういうお話だったそうですが、褒め殺しにどう対処するかについて竹下さんから何か相談があったのでしょうか。あるいはまた、あなたがそういった褒め殺しなどは無視せよといった進言について、竹下さんはどんな反応を示したのでしょうか。あなたの目から見て、竹下さんは褒め殺しに大変こう神経を使っていた、非常に気にかけていたというような反応はあったでしょうか。
  13. 小沢一郎

    小沢証人 街宣活動の中止について、私に竹下先生から相談があったということはありません。事実はありません。私がそういう意見だったというせいもあると思います。  また、竹下先生進言といいますとちょっと肩張った文言になりますが、何かの折に私の意見と して言ったような記憶がございます。竹下先生はふだんでも余り自分のお考えを言わない方ですから、そのときも特段の意見といいますか考え方を聞いたような記憶はございません。
  14. 小杉隆

    小杉委員 それでは、五億円献金問題について伺いたいと思うのですが、今までいろいろな証言等で明らかになったことは、平成二年の総選挙の前に、当時の東京佐川急便社長渡邉氏から金丸さんに五億円の政治献金があった。その献金が約六十人の国会議員に配られたのではないか、その献金をどう配分したか、だれに配ったかということについては、金丸さんは生原秘書に任せたというようなことが明らかになっております。昨年の暮れに生原さんが証人として発言したところによりますと、刑事訴追可能性があるので言えないということでありました。  当時あなたは自民党幹事長として、あるいはまた派閥の指導的な立場にあったわけであります。生原さんからこの五億円の配分について何らかの相談があったのではないかと思うのですが、いかがでしょうか。
  15. 小沢一郎

    小沢証人 お答えをいたします。  先生のただいまのお話にあるように、私は、当時、自由民主党幹事長をさしていただいておりました。まさに総選挙を目前にして、その前年の参議院の大敗を受けて、この総選挙に敗北したならば自由民主党政権そのものが崩壊してしまうという危機感で、私の使命は選挙に勝つことということで、まさにその直前の時点であろうと思いますので、党の組織活動広報活動あるいは候補者の調整等々、そのことに、党活動に専念しておった時期でございます。  したがいまして、先ほど申し上げましたが、授受そのものについても私は知りませんし、またその配分についてももちろん知っておらないわけでございますけれども、また相談も受けたことはありません。これはもう先生も常識的にお考えいただいておわかりと思いますけれども、いかに親しい仲でも、お互いにどこから幾ら入ってどこに幾ら使うということを相談し合うということは、これはまずめったにないことだと思います。生原さんが勤めております。その政治団体は、金丸先生を支援する団体であります。したがいまして、その団体の収支について私が相談を受けるということはあり得ないことだと思います。
  16. 小杉隆

    小杉委員 金丸さんは最終的には上申書を提出し、略式起訴という決着になったわけですね。政治資金規正法による量的制限違反、こういうことでありました。これについてなかなか世論では大変釈然としないという批判もあるわけですけれども、最終的に二十万円の罰金というこういう決着に至るまで、あなたが検察側に働きがけたのではないかというような声も聞こえるわけですが、そういう事実はあったのでしょうか。
  17. 小沢一郎

    小沢証人 ただいまの略式起訴に至るまでの問題点でございますが、私が直接検察当局と働きかけるあるいは話し合いをするということは、これまた常識的に考えましてもあり得ないことであります。  ただ、若干申し上げさせていただきますと、この問題につきましては、私は、世間のいろいろなお話と別に、全くある意味で違う考えを持って、感じを、認識を持っております。このたったの二十万円の罰金がということでありますが、今日、法律上、制度上、政治資金規正法違反はそういうふうに定まっておるのでございます。したがいまして、それがよろしくないからもっと違う仕組みにしようとか、そういう議論は幾らしてもいいですけれども、現時点においてはそういうことにたっておる。むしろ私は、今日の日本社会というのは、法と実態の乖離というのが非常に甚だしい。  建前と本音と言ってもいいと思いますけれども、その違いを、法の解釈、運用あるいは執行においてほどほどにバランスをとってこの社会を運営しているというのが日本社会の特徴だと私は思います。  したがいまして、政治資金規正法も公職選挙法も、実態と随分かけ離れた規定がたくさんあると思います。そういう中にありまして、いまだかつて、戦後、政治資金規正法で直接立件された政治家はおりません。それは政治団体の収支の方の違反として処理されてまいりました。例えばリクルート事件におきましても、宮澤先生初め何人かの先生の支援団体に違法献金があったと言われました。しかし、そのときも政治資金団体の収支として、違反として、その団体の責任者が罰せられたということで事件は終了いたしておるのであります。  そういう意味におきまして、私は、今回上申書でいろいろ個人の献金だというようなことで認めさせ、そして政治家本人を立件していくという形はどうしても私は納得できないということを弁護人を通じて申し上げてきたと、そして弁護人にそれをお願いしたというのが私の考え立場でございます。
  18. 小杉隆

    小杉委員 金丸さんは副総裁辞任され、また議員辞職という最高の責任をとられたわけでありますが、あなたは終始金丸さんと行動をともにし、その考え方、その哲学、理念、そういったものは知悉しておられる立場だと思います。あなたから見て、金丸さんが議員辞職をした理由とか心境とか、その点についてはどうお考えでしょうか。金丸さん本人は五億円ももらった、また皇民党事件にもかかわった、すべて責任を持っておれはやめるんだ、こういうことを言っておられますが、それ以外にあなたから感じた辞職の理由はどういうところにあったでしょうか。
  19. 小沢一郎

    小沢証人 ただいま先生お話のようなことだと思いますけれども、金丸会長は本当に深い、しかも権力やそのときのポジションに全く執着したい、そして責任感の強い私はいいおやじだと思っております。したがいまして、このようなこのたびの事件を起こしたことにつきまして、非常にみずから自責の念に駆られておられたのだと思います。それは国民に対しましても、また党に対しましても、同志に対しましてもそういう心情でおられたのではないかと思います。そういう中から決断をなされたことだというふうに私は理解をいたしております。
  20. 小杉隆

    小杉委員 最後に、竹下さんについてその辞任を求める声もあります。しかし、竹下さんがこの院での証言で、少なくとも総裁選出、公党の代表を選ぶあるいはそれがひいては日本の総理大臣を決める際に暴力団が介在をしたということを証明することになるから自分はやめるわけにはいかない、こういうことで終始拒否をしておられるわけであります。  あなたは去る一月二十四日放映の民放テレビの中で、この竹下首相の進退問題についてこう言っておられます。首相までやった政治家だから、みずからどう処すべきかきちんと判断すればいいことだというふうに言っておられます。あなたは常に明快な思い切った発言をすることで知られておりますが、この言葉意味をもう少し国民にわかりやすく説明をしていただけたらと思います。
  21. 小沢一郎

    小沢証人 国会議員の地位、身分は、主権者たる国民の負託によりまして国政を任されておる立場であります。それだからこそ憲法等におきましても特別の身分の保障が与えられておるわけであります。したがって、主権者たる国民から負託された国会議員の身分につきまして第三者がいろいろと言うということは、私は好ましくないし、筋違いだと思います。やはり国会議員たる者、みずからの見識と主権者の国民との関係においてみずから判断すべき問題であろうと思います。特に竹下先生は、内閣総理大臣、位大臣をきわめた方であります。この問題等につきましては十分お考えなされ、十分御判断されておるものと私は考えております。
  22. 小杉隆

    小杉委員 ありがとうございました。終わります。
  23. 粕谷茂

    粕谷委員長 これにて小杉君の発言は終了いたしました。  次に、高沢寅男君。
  24. 高沢寅男

    高沢委員 私は、今ちょっとのど風邪で声が聞 きにくいかと思いますが、よろしく。  それからもう一つ、あなたはきょうは証人としてここへ来ているんであって、聞かれたことに端的に答える、こういうふうにひとつやってください。  初めに、先ほどの小沢証言で、その十月五日の東京プリンス会議、私はその同席者でもなかったと、こう言われたわけですけれども、同席者でもなかったということの意味を、私、具体的にひとつお尋ねしたいと思います。  ここに東京プリンスのその部屋の私は図を持ってまいりました。この図によって、ひとつ小沢さん、お答え願いたい。  この部屋は、廊下から入って、そして控え室があって、控え室から今度は本来の会議室がある。その本来会議室の北隣には大きなダブルベッドの寝室があります。これは恐らく会議関係なかったと思うんです。それから、本来の部屋の南西には、ここにはキッチンがあり、さらにトイレもある、こういう部屋の構造です。  そこで、そのときの出席者金丸さん、竹下さん、渡邉さん、あなた、それから金丸さんに言わせれば青木秘書もい集中尾宏さんもいた、こういうことですね。それに恐らく、これだけの偉い人がいればSPも来ていると思いますが、そのSPは恐らく控え室にいたでしょう。そこで、その部屋の暖炉の前に大きなソファーがあります。このソファー、向かい合った大きなソファーに、真ん中をつなぐ横長の大きなソファーです、合わせて四人は座れる、こうたっていますね。横に今度は縦長の背の高いテーブル、そこに背の高いいすが両側に三つずつ並んでいる。  そこで私は、このいすの配置の中で、どこにだれが座っていたか、そしてあなたはどこに座っていたか、これをひとつ具体的に示してもらいたいんですが、いかがでしょう。  委員長、これ見てもらっていいでしょう。
  25. 粕谷茂

    粕谷委員長 はい。
  26. 小沢一郎

    小沢証人 拝見しましたけれども、この部屋がどの部屋なのか私には一向にわかりませんので、この部屋の、ここで会談をした部屋なのか、どの部屋なのかわかりませんので、これを見て答えられませんけれども、できるだけ手短になら、答えられません、わかりません。
  27. 高沢寅男

    高沢委員 同じものを私ここに持っていますから、具体的に聞きます。  その会議の行われた本来の部屋の中にあなたはいたのか、そうでなくて隣の控えの間にいたのか、どうですか。
  28. 小沢一郎

    小沢証人 この部屋は、その使った部屋なんでしょうか。
  29. 高沢寅男

    高沢委員 そうです。使った部屋です。その隣が控えの間です。
  30. 小沢一郎

    小沢証人 私は、五年も六年も前のことですから、時間を追ってどういう行動をしたかまで、神様じゃありませんので覚えておりませんけれども、私はその部屋に入ったり、隣の部屋に行ったり、出入りしておったというふうに記憶いたしております。
  31. 高沢寅男

    高沢委員 その隣の部屋というのは控えの間なんです。常識的にその控えの間にはSPがいたはずです。そして、この部屋の中の、その四人の後ろの方のところには、恐らく中尾、青木、こういう人たちがいたはず、この部屋の中に。で、あなたはそれらの人が部屋の中にいるのに、自分は控えの間にいて、出たり入ったりしていたと。出たり入ったりは何ですか。要するにこのキッチンへ行ってウイスキーの水割りをつくって金丸親分に出す、こういうことをやったんでしょうか。あなたはホテルのボーイのかわりをこの会議の中で、一々この控えの間から入って、今度はそっちへ行って、キッチンへ行ってつくって出して、また控えの間へ引っ込む、こんなことをしたんですか。
  32. 小沢一郎

    小沢証人 そういうこともしたと思います。  私は、この同じ部屋に、この部屋がどうかそれはわかりませんが、その当時のその会談の行われた部屋金丸先生竹下先生渡邉社長以外の者がずっといたというふうには記憶いたしておりません。
  33. 高沢寅男

    高沢委員 そうすると、青木、中尾の二人はどこにいましたか。
  34. 小沢一郎

    小沢証人 青木伊平さんはおられたのを記憶いたしておりますけれども、中尾さんについてはちょっと記憶がございません。青木さんも控えにおったと思います。
  35. 高沢寅男

    高沢委員 金丸証言では、中尾氏もいたと、こう言っておるわけですがね。  そうすると、中尾、あるいは青木、あるいは小沢、SP、こういうような者はみんな控えの間にいた、そしてこの本来の部屋の中は、金丸竹下、あるいは渡邉の三人ということですか。
  36. 小沢一郎

    小沢証人 先生のお示しになっている図が果たして私どもがそこにおった部屋がどうか確とわかりませんので、この構図に従ってどうかこうかと言われても答えようがございませんけれども、また、SPさんがそこにおったかどうかも私記憶いたしておりませんけれども、このお三人が座ってお話しなさっておった部屋に我々がずっといたということはありません。
  37. 高沢寅男

    高沢委員 この部屋は、東京プリンス十一階のロイヤルスイートルームです。ですから、あなた方の会議をやった部屋に間違いない。私はその部屋を現にこの目でしっかり見てきて、そしてこの図をつくっているわけですから、間違いありません。  それで、その部屋にいたあなたからその本当のことを実はお聞きをしたい、こういうのですが、本来の部屋の中にいたのは三人だけだ、私はいつも外の控えの間にいたと、こう言われるわけですが、それで、出入りするときに、例えば渡邉社長が何かしゃべっていた、竹下さんがしゃべっていたというようなことは聞こえなかったですか。
  38. 小沢一郎

    小沢証人 私も耳が遠くなる年ではありませんから、入りましてそばに寄ったときには物理的に言葉の一言二言が耳に入っておっただろうと、それは思います。しかしながら、私は用あって、用あってというのは今言う雑用の話でございますが、やっているわけでございまして、立ちどまって耳を澄まして聞いておるわけではございませんので、その言葉じりだげで会談内容というのは知る由もないということでございます。
  39. 高沢寅男

    高沢委員 この日の会議はおおよそ時間はどのくらいかかっていますか。
  40. 小沢一郎

    小沢証人 これも私正確な記憶はございませんけれども、励ます会ですか、その後のことでございますから、まあ一時間かそこいらではなかったでしょうか。正確にはわかりません、記憶していません。
  41. 高沢寅男

    高沢委員 その一時間の間、ただ水割りつくったり灰皿かえたりうろうろしていたという、このことは私は、経世会の中の小沢一郎という人の重要度からいってあり得ない、こう思うのです。ですから、今のお話は、あなたはどうしてもそう答える、おれはその会議は関与しなかったという答えのために用意してきた答えであるが、私は、これは国民を欺く答えである、こう言わざるを得ないと思うのです。  そこで、その会議の中で、翌日の朝目白へ行くということになったわけ。目白へ行くときあなたは竹下氏と一緒に行ったわけだ。その目白へ朝早く長谷川参議院議員を呼ぶ、こうなった。この会議の後で、非常に夜遅くまでかかって長谷川参議院議員がどこにいるか見つけて、そして、あなた、あしたの朝目白へ来てくれ、こういう連絡があったはずですが、この電話連絡をやったのはだれですか。
  42. 小沢一郎

    小沢証人 長谷川議員との連絡でしょうか。
  43. 高沢寅男

    高沢委員 そうです。
  44. 小沢一郎

    小沢証人 わかりません。
  45. 高沢寅男

    高沢委員 そうすると、これは金丸さんがかけたということなのか、竹下さんがかけたということなのか、渡邉社長がかけたのか、この部屋からそういう連絡をやったわけですから、それしかあり得ないんです。一体金丸さんがそんなことやりますか。よく知っているでしょう、あなた。竹下 さんがそういう電話かけましたか。彼は、その日約一時間そこにいて、後は自分のうちへ帰った、こう竹下さんは証言している。後、渡邊社長はそこに残ったかもしらぬが、じゃ、渡邊社長が長谷川参議院議員を捜して捜して、あした目白へ来てくれという連絡をしましたか。私は、そういう電話連絡をしたのは、まさに走り使いであったあなたがやったということじゃないかと思う。どうですか。
  46. 小沢一郎

    小沢証人 私はそのようなことはやっておりませんし、どなたがやったのかわかりませんと申し上げておるのであります。
  47. 高沢寅男

    高沢委員 それでは、翌日あなたは目白へ行った、このことについて聞きますが、これはもうはっきり自分の答えのできる範囲ですね。その朝目白へ竹下氏と一緒に行った、その車の中であなたは竹下さんとどんな話をしましたか。
  48. 小沢一郎

    小沢証人 私は、どんな話をしたか全く記憶しておりませんけれども、創政会以来、いろいろなお互いの誤解や世間のいろんなこともありました。ぜひとも目白の田中先生には、たとえ追い返されようが何されようが、あいさつにだけは行ってもらいたい、そういう気持ちでいっぱいでございましたので、突然きょう、けさ行くというお話、連絡を受けたのですが、私は喜んでお供をしたという記憶のみでございます。
  49. 高沢寅男

    高沢委員 実のところ、この五日の夜の東京プリンス会議は、皇民党の稲本総裁と話がついて、褒め殺しはやめましょう、こうたった。その話をつけるのに稲川会の石井会長が働いた。石井会長にそれを頼んだのは渡邊社長金丸さんです。そしてそのことが届いて、やめましょうとなって、本当に十月の二日までで、三日からぴったりとまったんですよ、褒め殺しは。そのときの稲本総裁の条件は、竹下が目白の田中角栄氏のところへ謝りに行く、これが条件だ、こう言ったわけ。その条件もわかったと、こうなった。ところが、十月の三日から褒め殺しは終わったけれども、三日も四日も竹下氏は目白へ行っていない。皇民党から見れば、条件をやってないじゃないか、もう一度やるぞ、こういうまた連絡が来たので、急いでこの十月五日の東京プリンス会議になった、これが歴史の本当の流れなんだ。  あなたはそのことを一切知らたい、こういうふうに言っているわけですが、まあ知らないはずはない。これは知らないで通そうということなんですが、そういうことでもって十月の六日の朝、目白へ急いで飛んでいった。とにかく行ったということだけ皇民党に見せなきゃいかぬということで行ったわけであって、そういう皇民党への対策で行くんだということをあなたは竹下さんと車の中で話したのじゃないんですか。どうですか。
  50. 小沢一郎

    小沢証人 はるかに先生の方がお詳しいわけでありますけれども、私は、ただいま申し上げましたとおり、そのような話を竹下先生とやった覚えも全くありませんし、皇民党云々で目白にお伺いしたという気持ちは、私の心の中にも全くありませんでした。
  51. 高沢寅男

    高沢委員 それでは、これをお聞きしましょう。  十月六日、目白の門前へ行った。門はあかたかった。その日は雨も降っていた。そこに長谷川参議院議員も来ていた。そこで竹下さんとあなたがその車からおりて、傘差して待っていた長谷川さんと何かこちょこちょっと、約三十秒何かささやいて、またすぐばっと立ち去った。その三十秒こちょこちょっと話した。どんな話をしたんですか。
  52. 小沢一郎

    小沢証人 私は、写真でも先生方客観的にお認めいただけると思いますけれども、長谷川議員とは話しておりません。
  53. 高沢寅男

    高沢委員 竹下さんは話したでしょう。どうですか。
  54. 小沢一郎

    小沢証人 話したかと思います。
  55. 高沢寅男

    高沢委員 写真はこう話している写真なんだから、話したかじゃない、話したのは間違いない。それをあなたは至近距離で傘を差していたわけだから、聞こえたでしょう。どうですか。
  56. 小沢一郎

    小沢証人 私は、何を話されたのか、あるいは話したという事実もきちんと確認したわけではありません。そのときは、とにかく目白のおやじのところへ竹下先生があいさつに行ってくれるということで、それで私は非常に満足感に浸っておったと思います。
  57. 高沢寅男

    高沢委員 まあそのときの話は、推定するに、長谷川さんは田中家に竹下さん来るから会ってくれと言ったけれどもだめだった、恐らく長谷川さんはそう言った。それであなた方は、だめでもいいや、とにかく来たことの実績をつくったのだからもういいやと言ってすぐ去っていった、これが実態だと思いますがね。しかし、それはあなたどうしても認めないと言う。  それでは、皇民党問題でもう一つ聞きます。  あなたは竹下さんに、こんなものは無視しなさいと言った。それを言ったのはいつごろで、竹下さんはそれに対して何と言いましたか。
  58. 小沢一郎

    小沢証人 いつごろかどうか、その記憶はございません。そしてまた、先ほどの御下問にも答えたとおり、改まってそのことで申し上げたわけではありません。私の考えとして、あのような行為、行動は無視した方がいい、気にするなどいう趣旨の話をしたと思います。竹下先生は、明確な答えをしたようには記憶しておりません。
  59. 高沢寅男

    高沢委員 その当時の皇民党問題は、経世会にとってもあるいは自民党にとっても大問題であったわけで、したがって、その当時、あの経世会の中でこの対策をやる指揮者が私はいたと思う。その指揮者の人によって、君、行ってくれぬか、君、行ってくれぬか、こう言われて、本当に高松へ行った人もいる、あるいはまた皇民党の稲本総裁会見した人もいるというのが動きですがね。  そこで、その指揮をとったのは、私は、あなたじゃないのか、指揮をとったのはあなたじゃないのか、こう思うのですが、いかがですか。
  60. 小沢一郎

    小沢証人 私は先ほどから何度も何度も、このような行動は全く無視してかかるべきだという意見でございました。したがって、街宣中止の活動については全く関与していませんし、全く関心もありませんでした。
  61. 高沢寅男

    高沢委員 あなたがしたかったとすれば、ほかにだれかそういう皇民党対策の指揮をした人がいるのじゃないですか。いわゆる七奉行の中でだれかいるのじゃないですか。いかがですか。
  62. 小沢一郎

    小沢証人 それぞれ心配なさっていた方は、いろんな方がおったと思いますけれども、指揮したとか、それでなにしたとかというようなことは私はあり得ないし、なかったと思います。
  63. 高沢寅男

    高沢委員 わずかな持ち時間だから次へ進みましょう。  小沢一郎を総理にする会という会がありましたですね。この会は、だれが提唱してそういう会をつくったのか、まずその説明をしてください。
  64. 小沢一郎

    小沢証人 小沢一郎を総理にする会というのは聞いたことがございません。
  65. 高沢寅男

    高沢委員 すると、これは、本当にそうあなたは答えて大丈夫ですか。
  66. 小沢一郎

    小沢証人 はい。
  67. 高沢寅男

    高沢委員 小沢一郎を囲む会というのは、じゃ、ありましたか。どうですか。
  68. 小沢一郎

    小沢証人 私は、きょうお呼び出しを受けた趣旨の範囲内の中で証言しておるわけでございまして、全く政治活動の中で、一般的に小沢一郎を囲む会というのはございます。
  69. 高沢寅男

    高沢委員 その会を主宰していたのはだれですか。東京佐川の渡邉社長じゃないですか。
  70. 小沢一郎

    小沢証人 今申し上げましたように、囲む会というのは最近幾つかつくっていただいております。そういう会ならばあると申し上げたのでございます。渡邉社長がおられた会は、総理にする会とか、小沢一郎を囲む会とかという形で、私は全くそのようには承知しておりません。
  71. 高沢寅男

    高沢委員 その会は、聞くところによると、十三名の自民党議員で構成されていた、こういうのです。その中には、もちろんあなたが中心ですね。そういう人たちは出席のたびごとにお車代五百万円をもらって帰った、こういうことも伝えら れるのですが、そういうことはありますか。
  72. 小沢一郎

    小沢証人 そのような事実は全くございません。
  73. 高沢寅男

    高沢委員 そうすると、あなたは十月五日の東京プリンスのところで初めてこの渡邉という社長に会った、その人はそれまで見たことも聞いたこともたかった、さっきそういうふうに言われましたね。その渡邉という社長とその後のあなたの関係ですね、非常に密接た関係が、おつき合いがあったのじゃないのですか。いかがですか。
  74. 小沢一郎

    小沢証人 密接な関係があったという表現で言われるような関係ではございません。  ただ、その先生が再三御指摘している会合ですが、それは小沢一郎を総理にする会などとは到底思えない顔ぶれでございますけれども、その会合につきまして、たしか自分の秘書の方から事務的に、各派の中堅の先生方がお集まりになる会合がある、出席するかどうかということで、私、出席させていただきました。たしか一、二度出席したと思います。そういう経過の関係でございます。
  75. 高沢寅男

    高沢委員 その会は、毎回四谷のある割烹旅館の福田家でやった、こう伝えられておりますが、そういう会は行ったことありますか。
  76. 小沢一郎

    小沢証人 ただいま申し上げましたとおり、そういう趣旨での会合だということで、一度か二度、福田家の会合出席し、渡邉さんともお会いしました。
  77. 高沢寅男

    高沢委員 そうすると、そこへ渡邉さんも出ていたということは今言われたわけですね。つまり、議員たちが寄る中へ、議員でもない一民間会社の社長渡邉さんがなぜ来ているか。私は、この人が要するに金主であって、いろいろな金を全部この人が持っているという関係で来ているというふうに見るわけですが、そうじゃないですか。
  78. 小沢一郎

    小沢証人 それは全くの当て推量でありまして、そのようなことで集まったという会合ではないと思います。
  79. 高沢寅男

    高沢委員 それじゃ、議員でない渡邉さんはなぜそういう会へ出たのですか。どういう趣旨で出たのですか。
  80. 小沢一郎

    小沢証人 いろいろな会合の中で、議員ばっかりの会合が常にあるとは限りません。議員の方と民間の方、いろいろな方との会合はたくさんございます。たまたまその会合渡邉さんがおられたということは事実でございます。
  81. 高沢寅男

    高沢委員 これはよく言われるまさにタニマチとして、自分の金をくれた、何でも言うことを聞く議員をつくろうという目的渡邉社長は来ておる、こう私は見るわけですが、これは、じゃ私の見解として言っておきましょう。  その渡邉さんからあなたは、あなた個人、あなたの政治団体、あなたの指定団体というところへ献金を受けたことがありますか。
  82. 小沢一郎

    小沢証人 そういう事実はありません。
  83. 高沢寅男

    高沢委員 私の調査では、あなたがそういう献金を受けていた可能性は非常に大きい、しかも相当量の金、こう私は調査で見ています。そのことが出てくると、きょうあなたは一切ないと、この証言は偽証罪になりますよ。三月以上十年以下の懲役ですよ。そのことは承知ですか。
  84. 小沢一郎

    小沢証人 承知いたしております。
  85. 高沢寅男

    高沢委員 それでは、また次へ進みます。いずれ事実は明らかになりますから。  もう一つ聞きたいことは、千代田生命の神崎という社長さんがいます。この千代田生命の神崎社長が、当時竹下さんは大蔵大臣をやっていた。この大蔵大臣から頼まれて、竹下派の若手議員を集める会をつくった。その会はいわゆる京橋会という名前の会であった。銀座、京橋のあの京橋、京橋会、そういう会であったということですが、この会のことをあなた知っていますか。つまり、竹下さんに頼まれて、千代田生命の神崎社長経世会の若手議員を集めて京橋会という会をつくった、こういうことなんですが、そのことをあなたは知っていますか。
  86. 小沢一郎

    小沢証人 千代田生命の神崎さんかどうかはちょっと記憶ありませんけれども、京橋会という会合は、竹下先生の御紹介で出席させてもらったことはあります。
  87. 高沢寅男

    高沢委員 つまり、あなたもその会へ出席されたわけですね。そして、そこにはほかにどんなような人たちが来ていましたか。
  88. 小沢一郎

    小沢証人 ちょっとよく記憶しておりませんので、ほかの方のことですので、正確なものでないので、控えさせていただきます。
  89. 高沢寅男

    高沢委員 じゃ、その会は今でもありますか。
  90. 小沢一郎

    小沢証人 わかりません。
  91. 高沢寅男

    高沢委員 先ほどの小沢さんの証言によれば、例の金丸さんの五億の問題です。この五億の問題について赤松弁護士と会った、こう言われた。会ったけれども何話したかよく覚えていない、これは子供のようだ話ですね。しかも、そのホテル西洋へ行けと言われた、だから行った、行ったけれども一体何を話すのか目的もわからぬし、話した内容もよく覚えていたい、こう言うのですが、行けと言ったのはだれですか。
  92. 小沢一郎

    小沢証人 先ほどもお答え申し上げましたとおり、生原さんからだったと思います。
  93. 高沢寅男

    高沢委員 それは生原さんが命令したのか、金丸さんがそう言っておると言ってきたのか、どっちですか。
  94. 小沢一郎

    小沢証人 これも先ほど申し上げましたように、会長の指示だということで生原さんからは聞きました。
  95. 高沢寅男

    高沢委員 そして、そのときの話が、何か赤松弁護士渡邉さんのいろいろな経過を話した、こう言われましたが、いろいろな経過を話したということの中に、渡邉さんは実は金丸さんに平成元年参議院選の年に五億やった、こういうふうに検察にはあの人は供述していたわけです。そのことも話が出たんじゃないですか。
  96. 小沢一郎

    小沢証人 先ほど申し上げましたとおり、私は何もかも覚えてないと言っているわけではございません。具体的た個々のワーディング、言葉については、夜でございましたし、一席終わった後の機会でございましたので、特に私が覚えておかなければならない、記憶にとどめなければならないということはなかった。弁護人として弁護人立場から渡邉さんのいろいろたお立場お話ししておった、そういう趣旨の話だったというふうに記憶しておるということでございます。
  97. 高沢寅男

    高沢委員 要するに、私もそう見ているし、世間も、赤松弁護士とあなたの話し合いは、もらった五億を平成元年参議院にもらったことにするのか、平成二年の衆議院でもらったことにするのか、どっちにするかの要するに腹合わせでもってお話をされたんじゃないんですか。
  98. 小沢一郎

    小沢証人 それは全く事実と反しますし、ちょっと言葉遣いは悪いですが、先生の独断と偏見だと思います。
  99. 高沢寅男

    高沢委員 それでは後の経過、結局金丸さんはその五億をもらったということで、さっきも話題に出た二十万の罰金を払って、それで略式で決定して、金丸さん前科一犯、こうなったんですね。そして、あとさらには責任をとるということで議員もやめた。こうなった過程で、あなたは会長をお守りできなくて本当に申しわけないと涙を流した、こう言われておりますが、じゃ、あなたは会長をお守りするならば、どうすれば守れたのか。今はどう思いますか。どうやれば守れたのか。
  100. 小沢一郎

    小沢証人 これは少し時間をください。(高沢委員「なるべく手短に」と呼ぶ)はい。  先ほども申し上げましたとおり、政治資金規正法で申し上げれば、戦後、政治家が直接立件されたという例はございません。いわゆる日本社会は、政治に関する法律でもあるいは税法でも道交法でも、いろいろそうでありますけれども、実態と建前というのがかなり乖離している部分もあります。その中において行政省庁が建前と本音の間を、いわゆる法の運用、解釈、執行でもってバランスをとって、この社会を運営しているということだろうと思います。  したがいまして、政治資金も政治資金団体で受けた、それが違法であったということであれば、政治資金団体のその職にある人が罰せられるとい うことで今までも処理されてまいりましたし、今の法制度、社会制度の中では、それが私は法の適用の限界だというふうに考えておりますので、その趣旨弁護人に私の考えとして申し上げておったということでございます。
  101. 高沢寅男

    高沢委員 私は、これは素人考えですが、もし金丸会長を本当に守るというならば、五億もらったのは平成二年ではなくて平成元年の参議院だ、こう言えば既に時効は成立しているのです。金丸さんは訴追されることはなかった。本当に守る気ならば、あなたがそれで頑張る、赤松弁護人にもこれでいこうやということで頑張って、そしてその線で通せば金丸さんは処罰されることはなかった。それが守る道だったと思うのですが、あなたはそう思いませんか。
  102. 小沢一郎

    小沢証人 これは私、事実を全く知らないわけでありますし、それが事実だと言われたわけでございます。それは、うそをついたり虚偽を言ったりして守ることが守ることだとは思いません。
  103. 高沢寅男

    高沢委員 ここには何らの平成元年か二年かの物的証拠はないのですよ。この前生原証人に聞いたら、渡邉社長からもらったとき何か領収証とか受取のようなものを出しましたかと聞いたら、一切そういうことはない。ですから、平成元年か平成二年かというのを示す物証はないのですよ。平成元年だと言えば元年で通るという状況だったことは、私は言っておきたいと思うのです。  もう時間があと五分ということになりましたから、最後の質問に移りたいと思います。  あなたはその後、金丸会長がそうなった後、経世会の内部で小沢、反小沢という大変な紛争があって、二つに分裂しました。そして、今あなたは、私は改革派であるというふうに言っておられるわけですが、引き続いて、ロッキードからリクルートからあるいは佐川と続いてきたこの汚職事件が、この根が絶てないということの最大の理由は、我々の考えでは、やはりそれは企業の政治献金、その企業の献金がわいろであるかわいろでないか、そのことは別として、企業の献金というのがある限りはこういう事件はまた必ず起きる。だから、あなたが本当に政治改革をやる、再びこういう事件を起こさない、そういう政治改革ならば、企業の献金はやめるあるいは禁止するというふうなことをはっきり出されて、私は本当の改革派だと思うのですが、そういうお考えありますか。
  104. 小沢一郎

    小沢証人 きょう招かれました証人の範囲の中にある問題がどうかわかりませんけれども、私、個人的なコメントを申し上げますれば、選挙制度を含めた抜本的な改正をする際に、先生のおっしゃったようなことも十分考慮に入れてやるべきだと個人的には考えております。
  105. 高沢寅男

    高沢委員 きょうは佐川問題で来ていただいたわけですが、だから佐川問題というようなものが今後起きないようにという意味で私は今お聞きをしているわけです。  選挙制度の抜本改革とのセットならば、そういうこともあっていいというお答えですね、企業献金の禁止。ということですね。
  106. 小沢一郎

    小沢証人 私の個人的な見解でございます。
  107. 高沢寅男

    高沢委員 じゃ、私は、政治資金問題は選挙制度の問題と密接不可分であるが、同時に、しかしまた、例えば一人区、小選挙区を選択するかどうかというふうな問題とは、これは別個の問題。一人区になれば金がかからぬということは、全くそうはない、むしろかかるという状況の中では、一人区であるなしにかかわらず、まずそういう企業の献金を禁止するということが本当の政治改革の大前提であるということに思いますが、今小沢さんからは、それに一〇〇%ではないが、個人の見解として、やや、まあ五〇%ぐらいの答えがあった、こう理解したいと思いますが、どうですか。
  108. 小沢一郎

    小沢証人 私が申し上げましたのは、選挙制度を含めて抜本的な改革をやるという場合にはそういう問題も十分検討に値するだろうと個人的には思うということでございまして、そのことだけが切り離してというふうな論理にすりかえられると、私の意見とは違います。
  109. 高沢寅男

    高沢委員 最後に、もう時間がなくなりましたので最後でありますが、竹下さんの、まあさっきからずっと触れてきたわけですが、やはり先ほども言われましたが、稲川会の会長の関与があったということは後で知ったという。あなたは、それよりもさらに後で知った、こう言われましたが、そのさらに後で知ったという、だれから、どういうふうにお聞きになったわけですか。
  110. 小沢一郎

    小沢証人 これは何かの雑談の折に金丸会長から、あの時期は正確に覚えておりませんけれども、竹下内閣が退陣すると決まった時点かあるいは退陣してからの時点ごろだったと思います。
  111. 高沢寅男

    高沢委員 つまり、政治家としての出処進退、さっき言われました、あなた。金丸さんは責任を持って議員をやめられた、竹下さんはおれはあくまでやめないと言っている。この責任のとり方というものの比較において、どんなお考えをお持ちですか。
  112. 小沢一郎

    小沢証人 先ほども御質問お答え申し上げましたとおり、それは議員個人個人が主権者たる国民との関係においてみずから判断し、決すべき問題だと思います。
  113. 高沢寅男

    高沢委員 終わります。
  114. 粕谷茂

    粕谷委員長 これにて高沢君の発言は終了いたしました。  次に、草川昭三君。
  115. 草川昭三

    ○草川委員 草川です。  十月五日、東京プリンスホテル会合出席されたわけですが、どなたの要請あるいは指示で出席されたのか、お伺いします。
  116. 小沢一郎

    小沢証人 先ほども申し上げましたように、その当時竹下先生は最有力の総裁候補でありまして、私ども若い者がどこかへ出かけるときは順番に付き添って歩いて出かけたということでございますので、どなたの指示ということではありません。
  117. 草川昭三

    ○草川委員 あなたは、では何時までそのホテルにおられたのでしょうか。竹下さんと一緒に帰られたのか、お伺いします。
  118. 小沢一郎

    小沢証人 時間については正確にはわかりませんが、一時間ぐらいの後だと思いまして、私は多分両先生のお帰りを見送って、多分帰ったのではないかと思います。
  119. 草川昭三

    ○草川委員 翌朝、目白邸に行くと先ほど言われましたが、竹下さんからの電話でございますか、目自邸に一緒に行こうと話があったのは。
  120. 小沢一郎

    小沢証人 これは多分青木伊平さんからだったと思います。
  121. 草川昭三

    ○草川委員 先ほどのお話を聞いておりますと、このプリンスホテル会合金丸竹下渡邉社長、その以外の者はその席にいないようなお話がございました。金丸さんは数々の証言の中で、実質的に私は関心がなかった、水割りも飲んでいた、こういうことでございますから、竹下さんと渡邉さん二人だけの実質的な会合だということが今私わかってまいりました。実質二人でお話、しかも一時間にわたって丁寧な言葉で話があった。  あなたはその会合について、何か秘密の話をしていると疑問を感じませんでしたか。
  122. 小沢一郎

    小沢証人 先ほども申し上げましたとおり、その相手の渡邉さんという方が、その当時は渡邉さんということも知りませんでしたし、どういう方であるのかあるいはどういう中身で話しておるのかということも知りませんでしたので、特別今先生のおっしゃるような感じは持ちませんでした。
  123. 草川昭三

    ○草川委員 先ほど長谷川さんに一体だれが電話をしたのかという質問もございましたが、これは竹下さんの証言で、多分それは渡邉さんから長谷川さんに連絡が行ったと想像するという言葉があります。ということになりますと、渡邉社長の位置づけというのは非常に大きいわけであります。渡邉さんは暴力団稲川会の石井に皇民党抑えを頼んでおる、こういうことは事実でありますし、この席上で暴力団稲川会の石井の話が出たと実は冒頭陳述の検事調書で述べておるわけでございますが、その点についてあなたの御関心のほどをお願いを申し上げます。
  124. 小沢一郎

    小沢証人 私はその会談内容について全く知 らないと先ほど来申し上げたとおりでございます。その席でそのような話が出たということは、全くのそれこそ想像の範囲で言えば、信じられないと思います。
  125. 草川昭三

    ○草川委員 渡邉さんとは余り面識がなかったやにお伺いをしますが、実は東京佐川の渡邉社長が解任をされた直後に、小沢証人小沢さん自身渡邉氏に何もしてあげられなくてごめんという趣旨の電話をされたと我々は調べておりますけれども、その点はどうでしょう。
  126. 小沢一郎

    小沢証人 私自身がそのような電話をかけたことはなかったと思います。
  127. 草川昭三

    ○草川委員 では、あなたの秘書なり友人を、あるいはまたあなたが渡邉さん直接でなくてその周辺の方に電話をかけたことはございますか。
  128. 小沢一郎

    小沢証人 そのような事実もないと思います。
  129. 草川昭三

    ○草川委員 では、次の方に移りますが、あなたは皇民党が何ゆえに竹下氏を攻撃をしたと思っておみえになりますか、お伺いします。
  130. 小沢一郎

    小沢証人 どうしてあのような街宣活動を行ったのか、全く私は知る由も、知るべくもないのでございます。そして当時は、先ほど来話しましたとおり、あのような活動に関心を払う必要はない、無視した方がいいという意見でしたので、なおさらだったと思います。
  131. 草川昭三

    ○草川委員 余り具体的なお答えはないわけですが、いずれにいたしましても、六十二年の自民党総裁選に絡んで、右翼皇民党あるいはまたそれを抑えるために暴力団が介在したということは事実になったわけでございますが、今改めてその事実についてどのような認識を持っておみえになるのか、お伺いをします。
  132. 小沢一郎

    小沢証人 総裁選挙について暴力団が絡んで動いたというふうには私は理解しておりませんけれども、同じ時期に並行してそのような事実があったと指摘されることについては大変遺憾に思っております。
  133. 草川昭三

    ○草川委員 遺憾というよりは、当時あなたは幹事長という重責であったわけでございますし、それこそ政治的道義的な責任をもっと明らかにすべきではないかと思います。当時は経世会の総務局長でございますか、総務局長でございますし、後に幹事長をなされたわけでありますから、今の時点でもう少し政治的道義的な反省があってしかるべきだと思うのですが、どうでしょうか。
  134. 小沢一郎

    小沢証人 その当時、経世会の事務総長のもとで事務局長、総務局長、政策局長、まあいっぱいいろいろと役職を並べて我々お互いに頑張ったのでありますけれども、その当時そういう認識が全くないということでございました。今になってそのような事実があったということは政治全体についても本当に遺憾なことだというふうに思うというのは、先ほど申し上げたとおりであります。
  135. 草川昭三

    ○草川委員 それで、今小沢証人関心を持たなかったというのでございますが、当時竹下氏の側近の中で皇民党街宣活動について心配をされたいろんな人がいると先ほども重言をされました。どなたがあなたの知っている方で心配をされたのでしょう。例えば梶山さんはどうでしょうか、小渕さんはどうでしょうか、奥田敬和さんはどのようなことをなされていたのか、承知をしている限りのことをお答え願いたいと思います。
  136. 小沢一郎

    小沢証人 みんなそれぞれ竹下総裁をその当時つくりたいという気持ちでいっぱいでございまして、全力投球をしておりました。したがいまして、我々の仲間の中にもあの街宣活動が邪魔になってはと心配する方もあったように思いますけれども、今お話しの具体的な方々がどのような関心を持っておられたかとか、どのようなことかということは私存じておりません。
  137. 草川昭三

    ○草川委員 じゃ、それでは次に移りましょう。  金丸氏に対する東京佐川の渡邉社長からの五億円献金問題が八月の二十二日に新聞報道をされているわけです。生原さんの証言では、金丸氏は生原氏に対し、小沢証人とよく相談しろと指示されたと言っていますけれども、五億円対策については小沢証人を中心に行われたと理解していいのかどうか、お伺いします。
  138. 小沢一郎

    小沢証人 最初委員長の御下問にもお答え申し上げたとおり、生原さんから、多分今先生の御指摘のとおりだと思いますが、会長からも指示があったんだと思いますが、生原さんから相談がありました。私はその事実関係を全く知らないわけでございますので、どうこう対応を練るといっても練りようがないのでありまして、一番事実関係を知っておる生原さんと会長とじっくり相談して決めてください、そう申し上げたわけであります。
  139. 草川昭三

    ○草川委員 では、生原秘書は、八月二十七日の副総裁辞任の声明には関与したと証言をしました。では、その後十月十四日に金丸氏は議員辞職を表明をされましたけれども、この表明に至るまでの打ち合わせに生原秘書は参加をしていましたかいないのか、お答え願います。
  140. 小沢一郎

    小沢証人 金丸会長の進退につきましては、会長みずからが決せられました。そこに至るまでに生原氏が会長とどのような相談をし、打ち合わせしたかは私はわかりません。
  141. 草川昭三

    ○草川委員 我々は、生原秘書はその経過の中ではお見えにならないということを申し上げておるわけでありますけれども、お認めになりませんから、次に移りましょう。  では、昨年の八月二十二日に五億円献金報道があったときに、金丸氏側はその事実を当初否定されました。その直後、生原秘書から、このままほっておくと大変なことになる、先手を打たなければならないといった情報が金丸氏側にもたらされたといいますけれども、証人は承知をしておみえになりますか、お伺いをします。
  142. 小沢一郎

    小沢証人 そのような事実、経過については承知しておりません。
  143. 草川昭三

    ○草川委員 その情報が、まあ承知をしていないということでございますので、じゃ、生原氏以外からこういった情報を証人は聞かれましたか。
  144. 小沢一郎

    小沢証人 以外からも聞かなかったと思います。
  145. 草川昭三

    ○草川委員 そうすると、金丸総裁辞任会見については証人はどのような関与をなされたか、改めてお伺いをします。
  146. 小沢一郎

    小沢証人 最初お答え申しましたとおり、またただいまも申し上げましたとおり、具体的事実関係を全く承知しない私どもでは何とも申し上げようはありませんで、その結論は、最初に申し上げたとおり、生原氏が私のところに来て、会見してこうするという結論を私は聞いて、それに、じゃ、今後対応していこうというふうにしたのみであります。
  147. 草川昭三

    ○草川委員 証人は、佐川問題について小針会長と話をされたことはありますか。
  148. 小沢一郎

    小沢証人 小針さんと顔を合わせたことはありますけれども、具体的な話をしたことは一切ありません。
  149. 草川昭三

    ○草川委員 生原証人は本委員会で、五億円問題が新聞に出たので小針会長が非常に心配をし、その対応、対策について心配してくださったと証言をしております。  小沢証人は、小針会長金丸氏との対応について心配をしていたという認識を持っておみえになりますかどうか、お伺いをします。
  150. 小沢一郎

    小沢証人 心配はしておったと推測いたします。
  151. 草川昭三

    ○草川委員 わかりました。  じゃ、その認識を持った理由あるいは根拠をお伺いします。
  152. 小沢一郎

    小沢証人 会長のところで一、二度、その当時お会いしたことがあったということでございます。
  153. 草川昭三

    ○草川委員 じゃ、そのときにいろいろと話をされたわけですね。先ほど本件について、小針氏とは佐川問題については話をしていないというのとそれは若干食い違うと思うのですね。まあしかし、次に移りましょう、時間がありませんから。  小針氏から直接五億円の献金問題について、話はあったのではないでしょうか。
  154. 小沢一郎

    小沢証人 お言葉を返すようでございますけれども、その場の雰囲気でそう感じたというふうに 推測を申し上げただけでございまして、具体的な話を小針さんとは、この問題であれその他の問題であれ、一切したことはございません。
  155. 草川昭三

    ○草川委員 じゃ、生原氏と一緒に赤松弁護士と会われたときの経過についてお伺いをしたいと思いますが、実は生原氏は小沢さんと一緒に同行したと本委員会で言っておみえになるわけです。ところが、今小沢さんは、私一人で行ったと言っておりますね。どちらが本当なのでしょう。
  156. 小沢一郎

    小沢証人 私の記憶では、私はある会合に出ておりましたので、たしか私が一人で向かって、そちらに着いたところに生原さんがおったというふうに記憶しております。
  157. 草川昭三

    ○草川委員 これはまた別に、生原さんは一緒に同行したと言っておりますから、「御一緒したということでございます。」と言っておみえになりますので、改めて生原さんを私再喚問することをこの際ついでに申し上げておきたいと思うのです。  そこで、小沢さんにもう一回お伺いをしますが、赤松弁護士との会談については特に金丸さんに報告するような内容はないとおっしゃっておりますが、赤松弁護士は五億円の献金の時期を平成元年の参議院選挙前であるということをおたくに言っておるのではないですか。あるいはまた、赤松弁護士は五億円献金問題が既に東京地検に供述されている、これは渡邉被告ですよ、と小沢証人に言っていないのですか、改めてお伺いします。
  158. 小沢一郎

    小沢証人 そのような金丸会長のことについてのお話があったようには記憶しておりません。
  159. 草川昭三

    ○草川委員 そういうことの記憶がたいと言っておみえになるのですか、金丸さんにはその話が伝わっておるという御答弁ですか、どちらですか。もう一度念を押します。
  160. 小沢一郎

    小沢証人 私は、そのような具体的な金丸会長にかかわる話がなかったので、特に気にとめておくことはなかったというふうなことで記憶にないと、金丸会長にもしたがって特段なかったと報告したと思います。
  161. 草川昭三

    ○草川委員 さすれば、この会合を仕組んだ人というのは一体だれなんでしょうかね。非常にこれは重要な会合だと思うんです。どなたがこの会合を設営したのかお伺いします。
  162. 小沢一郎

    小沢証人 先ほど申し上げましたとおり、会長の指示だということで、たしか生原さんからお話がありました。弁護人と食えということでございましたので、わかりましたと言って私はその場に出席をしたということでございまして、どのような意図で、だれがどういうふうになっておったかということは、私は承知いたしておりません。
  163. 草川昭三

    ○草川委員 生原氏は、ああいう新聞記事が出たので、これから先どういう対応をするのかという情報収集をするのはおかしくないとこの席上で言っているんです。明らかに情報収集を目的生原氏はこの会合を見ているわけです。おたくは金丸さんに言われて行っただけだ、中身はなかったよと、その返事を金丸さんにしておるわけですが、金丸さんはそれを聞いてどう言われましたか。
  164. 小沢一郎

    小沢証人 会長は、特段の話はございませんでした。ああそうかといったぐいのことだったと思います。
  165. 草川昭三

    ○草川委員 生原氏は、九月の五日より再三にわたって東京地検特捜部の事情聴取を受けていますが、小沢証人や安部弁護士に逐一報告をしていなかったというように聞いております。このような生原秘書の行動についてどう思いますか。
  166. 小沢一郎

    小沢証人 私は弁護人でありませんので、私に対する報告をする必要はないと思います。多分、弁護人に対して報告し、相談しながら進めたものと思います。私もそれでいいのだと思います。
  167. 草川昭三

    ○草川委員 この生原さんは、実はこういう行動、こういうというのは、安部弁護士小沢証人の知らない間に東京地検の事情聴取に応じているわけです。それをおたくは知っているはずです。そして、その行動によって小沢証人らはその後の対応に困ったはずです。この点についての感想を求めたいと思います。
  168. 小沢一郎

    小沢証人 私は、いわゆる司直との関係につきましては弁護人に一切任せて、もちろん当然ですけれども、ありましたし、そのような具体的な事実についてどういう錯綜があったのかは存じておりません。
  169. 草川昭三

    ○草川委員 金丸氏の秘書である金丸信吾氏は、五億円の受領時期について、参議院選挙前、すなわち平成元年ではないかと主張していたことをおたくは御存じのはずですが、どうでしょう。
  170. 小沢一郎

    小沢証人 信吾さんとお会いしたのはずうっと後のことで、普通山梨の方におられますので、そのようなお話をした記憶はございません。
  171. 草川昭三

    ○草川委員 金丸氏の証言によると、五億円受領の時期については、生原秘書が悲壮な気持ちで衆議院選挙の前だ、こう言っていたから私はそれを認めた、こういうことを言っておみえになりますが、衆議院選挙前と主張したのは生原秘書だけではないでしょうか。
  172. 小沢一郎

    小沢証人 そこのところは、私は事実関係の確認について加わっておりませんので、どなたがどう主張したかはよくわかりません。
  173. 草川昭三

    ○草川委員 じゃ、時間がございませんので、五億円を六十数人に配ったと生原氏は供述しております。金丸さんはその金にさすりもしなかったと言っております。秘書一人に五億円もの金の配分を任せるはずはないわけでございます。五億円の配分先について、金丸氏に助言をする立場にある小沢氏はどのような関与をしたのか。私は詳しい内容を承知していたはずだと思うんですが、どうでしょう。
  174. 小沢一郎

    小沢証人 これも先ほどお答えいたしましたとおり、私は自由民主党幹事長として党全体の選挙対策に没頭をいたしておりました。また、他人の後援会の支出につきまして私が口を差し挟むというようなこと、これは一般論で言いましてもあり得ないことであり、私は、相談に乗ったり生原さんに指示したりという事実は全くございません。
  175. 草川昭三

    ○草川委員 平成二年二月の総選挙では、小沢証人自民党幹事長、今言われましたね、財界から集めた膨大な資金を自民党の各派閥に配ったとされております。その際、竹下派が独自に手当てをした資金規模を知っておみえになるはずでありますから、それをこの際明らかにされたい、こういうように思います。
  176. 小沢一郎

    小沢証人 今申し上げたとおり、私は党務に没頭するだけでもう精いっぱい、全精力を使っておりました。派閥の中のそういう問題については承知しておりません。
  177. 草川昭三

    ○草川委員 以上で終わります。
  178. 粕谷茂

    粕谷委員長 これにて草川君の発言は終了いたしました。  次に、木島日出夫君。
  179. 木島日出夫

    ○木島委員 日本共産党の木島日出夫でございます。  参議院選挙のあった一九八九年、総選挙があった九〇年、一斉地方選挙があった九一年、政治団体経世会の政治資金収支報告書が自治大臣に提出されておりますけれども、その代表者はだれでしたか。
  180. 小沢一郎

    小沢証人 確かではございませんが、私であったかもしれません。その年月日と符合してみないとわかりませんので、そう申し上げました。
  181. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたですね。  九一年、一斉地方選挙、都知事選挙がありました。それが終わった後、あなたは経世会会長代行になっております。経世会関係の政治資金の管理運営はだれがしていたのでしょうか。
  182. 小沢一郎

    小沢証人 それは事務の責任者がやっておったと思います。
  183. 木島日出夫

    ○木島委員 そういう形式的なことではなくて、実質上の、金をどのようにだれに配分するという、そういう実質的な実権はだれが握っていたのかという質問であります。
  184. 小沢一郎

    小沢証人 単に形式、実質の問題でありませんで、事務的なそういう政治資金の扱いについては、きちんと事務責任者がやっておられました。その使途につきましては、私ども執行部でもちろん相談を受けることがあり、相談したりすること ももちろんございました。
  185. 木島日出夫

    ○木島委員 それじゃ、改めて聞きますが、一九八九年から九一年、政治団体経世会の代表者はあなた、会計責任者はだれだったんですか。
  186. 小沢一郎

    小沢証人 そこをきょう調べてきたわけでございませんので、年月日を言われて、そのときにどうだったかと聞かれても正確には答えようございませんけれども、私が代表者になっておった時期はあると思いますし、事務方は八尋さんだったと、よくわかりませんが、じゃないかと思います。
  187. 木島日出夫

    ○木島委員 当時、経世会が利用している金融機関、どこだったでしょうか。
  188. 小沢一郎

    小沢証人 わかりませんけれども、ここにあります大和銀行もその一つではないでしょうか。わかりません。
  189. 木島日出夫

    ○木島委員 金融機関の中に日債銀はありませんでしたか。
  190. 小沢一郎

    小沢証人 そのような具体的なことについてわかりません、私は。
  191. 木島日出夫

    ○木島委員 政治団体経世会の代表者であるあなた、政治資金規正法によりますと、政治団体の代表者は、会計責任者が例えば報告義務に反したような場合には、監督責任があって、罰則まであるわけですね。大変重要な地位にあるわけでありますから信じられませんが、時間がありませんから、質問を急ぎます。  経世会会長であった金丸氏の秘書の生原氏は、政治資金の取り扱いにどのようにかかわっていましたか。
  192. 小沢一郎

    小沢証人 意味がわからないのです。
  193. 木島日出夫

    ○木島委員 経世会関係の政治資金に、金丸氏、経世会会長の秘書である生原氏はどのようにかかわり合っていたのか。
  194. 小沢一郎

    小沢証人 経世会の政治資金については、経世会の事務当局がきちんと整理し、届け出もすべてやっておったと思います。
  195. 木島日出夫

    ○木島委員 五億円の問題についてお尋ねをいたします。  八月二十七日、金丸総裁辞任会見メモ、先ほど証人が、経世会会長も辞する、辞任という言葉があったので、それはいけないことだと証言しましたね。その会見メモには、経世会会長も辞する決意でございますという言葉になっております。  このメモでありますが、この会見メモでは、金丸側が五億円を受け取った時期を九〇年総選挙の前としているわけです。知っていますね。ところが、初めてこの問題が出た八月二十二日、五日前の報道あるいは渡邉調書では、受け取った時期は八九年参議院選挙の前だったという報道であります。供述であります。どうして変わったのでしょうか。
  196. 小沢一郎

    小沢証人 先ほど来申し上げておりますように、私はそういう事実関係を全く承知しておりません。ですので、質問お答えはできません。わかりません。
  197. 木島日出夫

    ○木島委員 いや、知らないと言っても、あなたはあれでしょう、金丸総裁辞任の記者会見メモを見て、経世会会長辞任という言葉があったので、それは困る、それはまずいということを言ったというわけでしょう。その会見メモの中にこう言葉があります。「実は平成二年の総選挙の事前に、渡邉さんから献金の申し出があったので、ご辞退申し上げた」のですが云々。要するに、もらった時期は平成二年の総選挙の事前なんだとはっきりこの会見メモに書き込まれているわけでしょう。あなた、知らないと言うのは無責任じゃないですか。
  198. 小沢一郎

    小沢証人 ちょっと先生の御指摘、腑に落ちないのですが、私は事実関係を全くわからないから、どうぞ生原さんが一番わかっておられるのだから、事実を思い起こして、おやじさんとも相談してどうするかを決めてください、そう申し上げたと先ほど来言っているとおりでありまして、事実関係について私がどうだこうだと言う立場でも何でもありません。
  199. 木島日出夫

    ○木島委員 じゃ、証人は、この金丸メモがつくられる事前に生原氏なり金丸氏から、本当のところいつ五億円をもらったのかと聞くことはしなかったのですか。
  200. 小沢一郎

    小沢証人 これも先ほど来申し上げましていたとおり、そのようなことを聞いたり問い詰めたりするようなことは一切いたしておりません。
  201. 木島日出夫

    ○木島委員 証言では、金丸会長の命で赤松弁護人に食えということで会ったということだったようですが、金丸会長は会って何をしろという命だったのでしょうか。
  202. 小沢一郎

    小沢証人 その指示はたしか、ですから生原さんからとにかく赤松さんという人と会ってくれということを私は聞いたわけでございまして、先ほど来お話ししておりますように、どういう目的で、何で等といったぐいのことについては、私はそのとき問いただしもしませんでしたし、わかりません。
  203. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたは赤松弁護人とは面識なかったわけでしょう。面識もないような人と何の目的もなしに会うというのはとても信じられません。  次の質問に移ります。  証人は、その会ったときに赤松弁護士に対して、生原は九〇年総選挙前に五億円もらっていると言っておる、そういう話を伝えましたか。
  204. 小沢一郎

    小沢証人 これも先ほど来申し上げているとおりでございまして、そういう話を伝えるというようなことはいたしておりません。お互いにそういう話、しておりません。
  205. 木島日出夫

    ○木島委員 経世会がつくられたのが一九八七年七月ですね。竹下氏を総裁候補として擁立して、いよいよ竹下政権を樹立しようと、その目的のために経世会がつくられたわけですね。  八七年七月十三日付で政治団体として正式に経世会は自治大臣に届け出がされておりますが、当初の代表者はだれだったでしょう。
  206. 小沢一郎

    小沢証人 済みません、わかりません。
  207. 木島日出夫

    ○木島委員 非常に重要な団体ですね。あなた自身が当初から経世会の代表者ではなかったのですか。
  208. 小沢一郎

    小沢証人 そうだったかもしれませんけれども、今お尋ね受けて、知りませんと申し上げただけであります。
  209. 木島日出夫

    ○木島委員 私の調べによりますと、自治省政治資金課編の「政治団体名簿」によりますと、昭和六十三年版、これは対象は前年十二月三十一日現在、ですから昭和六十二年十二月三十一日現在、経世会の代表者はあなた、会計責任者は八尋氏なんですね。そんな重要な地位にあなたはあったわけです。経世会の正式の代表者だったわけですよ。  先ほどの証言で、若い者順番竹下氏の付き添いをしたんだとか、私にとって金丸竹下氏は大先輩であり、私は会長のもとで一会員という立場で行動したんだと証言されました。しかし、あなたは単なる一会員ではない。正式の、創立当初から経世会の代表者なんですよ。そんなあなたが、八七年十月五日の東京プリンスホテルでの会合について何も知らなかった、何も知らされなかったというのは到底信用できるものじゃないと思うのですが、どうでしょう。
  210. 小沢一郎

    小沢証人 過大な評価をいただいて大変恐縮でありますけれども、政治団体の代表者というのは、これはだれかやらなければならない、届け出のために必要なわけで、事務局に、私は当時総務局長ですね、最初、事務局にある者がだれか名前を連ねるということは当然のことでありまして、それがいわゆる派を代表するとかなどとかといったぐいのものではないと私は現実として認識いたしております。
  211. 木島日出夫

    ○木島委員 あなたは先ほど来、金丸氏が政治資金規正法で処罰されるのは政治家としては戦後初めてだとか、政治改革とか言っておりましたが、政治資金規正法上の代表者というのはそういう軽々しいものではないわけであります。  最後にお伺いします。  十月六日の朝、田中邸訪問しましたが、田中側は会わないと言っているのに、一体何のための田中邸訪問だったのでしょうか。
  212. 小沢一郎

    小沢証人 何のためかは、そう聞かれても私はわかりませんが、私はただひたすら、早朝に連絡を受けて、きょう行くという話がありました。そこで、田中先生のところへはとにかく一度あいさつに行ってほしいと私自身も心からそう思っておりましたので、喜んでお供をしたということでございます。
  213. 木島日出夫

    ○木島委員 終わります。
  214. 粕谷茂

    粕谷委員長 これにて木島君の発言は終了いたしました。  次に、中野寛成君。
  215. 中野寛成

    ○中野委員 まず、六十二年十月五日のホテルにおける会談からお尋ねをいたします。  一連の証言を聞いておりますと、小沢証人、そしてまた青木秘書は別の部屋にいて、竹下金丸渡邉三氏が協議をしておった。金丸証言によりますと、その前のパーティーから引き続いて水割りを飲んでおったので、自分は関心もなかったことに加えて、話の内容はよくわからない、こう言っておられるわけです。そういたしますと、竹下渡邉両氏で約一時間話し込んだということになりますが、そう考えてよろしいですか。
  216. 小沢一郎

    小沢証人 結果としてはそういうことだろうと思います。
  217. 中野寛成

    ○中野委員 これについては後ほどまた竹下氏への質問内容について聞きたいと思いますが、それでは、あなたはその際別室に青木秘書と二人だけ、もしくは、金丸証言が確かであれば、中尾代議士もいた、こういうことになりますが、これは仲間同士ですから、この三人が別々の部屋にいたとかというふうには私どもとしては考えられない。とすると、同じ部屋小沢、青木、中尾、もしくは小沢、青木両氏がいた、こういうことに特定されますが、そう考えでいいですか。
  218. 小沢一郎

    小沢証人 中尾さんのことはちょっと記憶に正確にはありません。青木伊平さんと私は大体同じような行動でおったと思います。
  219. 中野寛成

    ○中野委員 当番を決めて、その日は竹下氏の付き添いの当番であった、こういうことでありますけれども、しかし、それでは、先般民放のテレビに出演された際、この十月五日夜の会談で、ホテルのボーイに聞かせられない話だったので自分が飲み物や灰皿をかえた旨の発言をされた、先般、つい先日、と私どもは聞いておりますが、ということになりますと、ボーイに聞かせられない話があったことは御存じだったということになりますし、そしてまた青木秘書はそのとき何をしていたのでしょうか。あなたが飲み物や灰皿をかえなければいけなかったんですか、青木秘書と交代でやったんですか、青木さんもちょくちょく入って、あちこちに電話連絡をしたりした行動があったんですか。
  220. 小沢一郎

    小沢証人 私が申し上げましたのは、ボーイに聞かせられない話があったからというふうには申してないつもりであります。ボーイさんに頼むというあれでもなかったのでということで申し上げました。それから、五年も六年も前のことですから、正確に時間を追って何をしていたかは覚えておりません。  ただ、私も青木さんも出入りはしましたけれども、それが全く別の隣の部屋なのか、あるいは二間続きの部屋だったのか、その記憶も定かではありませんが、ほぼ同じような行動、役割だったと思います。
  221. 中野寛成

    ○中野委員 もう一人の青木氏が自殺をされておりますので、青木氏に確認のしようがありませんが、しかし、ここでおおよそ明らかになりましたことは、すべての人の証言が正しいとすれば、竹下渡邉両氏が一時間にもわたって話し込んでいた、このことが明らかになったわけでありまして、渡邉氏が丁寧に竹下氏に対して田中邸を訪れられてはいかがですかと言ったと、その一言では済まない、その背景の説明もあったことが類推されるわけでありますが、これは後ほど竹下氏にお尋ねをいたしたいと思います。  田中邸訪問について当日、すなわち十月六日の早朝に青木秘書から電話を受けて行った、こういうことでありますが、そういうことになるかもしれない等については、前日話は全くなかったのでしょうか。すなわち、竹下派は順番を決めて付き添っておられる方々に対して一切何の話も、そのたぐいの、そのときに何が行われているかについての話はしない習慣なんですか。
  222. 小沢一郎

    小沢証人 それはそのときどきでございますけれども、私が目白へ行く話を受けたのほかなり朝早い時期の突然でございました。それでけさもう行くことにした、だから朝も早いし、ほかの人に頼むよりもおまえに頼みやすいからということだったと思います。そういうことで突然の話だったけれども、私はぜひともそうしたいと願っておりましたので、喜んで一緒についていったという経過でございます。
  223. 中野寛成

    ○中野委員 ついていったが話にも加わっていない。まあ言うならば傘を差しかけておったというか立ち会っておった、見ておったということだけ、こういうことですね。それはそれで後で最後にまとめたいと思いますが、五億円の件についてお尋ねをいたします。  当時あなたは自民党幹事長として、大変資金集めも含めて苦労をされておった。マスコミ報道等では財界に二百五十億円要求をしたなどという報道までされたくらいであります。今そのことについて聞こうとは思いませんが、そういう苦労をしている、あなたが苦労しているときに、この例えは五億円もしくはそれ以外のお金でも、経世会または自民党のために金丸氏等から口ききがあったり、または、極端に言えばこの五億円の全部もしくは一部が経世会もしくは自民党に入れられるというようなことはなかったのでしょうか。
  224. 小沢一郎

    小沢証人 私は党の幹事長として党務に全力を尽くしておったことは申し上げたとおりであります。党の経理についてはすべてオープンに経理局でやっておると信じております。  また、派閥の、当時、資金の問題等については、私は幹事長として関知する立場にありませんでした。
  225. 中野寛成

    ○中野委員 そのときの肩書上の立場はわかります。しかしながら、金丸氏とあなたとの関係は密接不可分の関係にあったと思います。言うならばかけ離れた上下の関係であったのかどうかは私は知りませんけれども、少なくとも、言うならば、こういう言い方はどうかわかりませんが、まな弟子的関係にもあったと思いますし、それだけではない、実力派の若手代議士として、当然幹事長ですからあなたにいろいろなことが報告、相談がされたであろうと思います。しかし、あなたの証言を聞くと、これは金丸証言と合わせますと、この五億円は生原秘書しか受け取りも配付も知らなかった、こういうことに全く限定されてしまいますが、そう考えていいのですか。
  226. 小沢一郎

    小沢証人 私は幹事長の時代一度も派閥の事務所にも顔を出しませんでしたし、いろいろな皆さんの個人的なパーティーやら選挙の応援も、派閥の同志のためにということで行くようなことも一度も私だけはしなかったつもりでございます、そういう意味でいろいろ仲間から怒られたことはあるかもしれませんが。そういうふうにして、とにかく私は党として選挙に勝つこと、これを最大の目標にいたしておりました。したがって、派閥内の経理の話あるいは当然個人の政治資金の問題等については、私は全く関知しておりませんでした。  金丸先生との関係は、先生御指摘のとおり、まさに大先輩であり会長であり、私の個人的には、国務大臣にしてくれましたのも幹事長にしてくれましたのも金丸会長なかりせばなかったことでありまして、心情的には大恩人であります。しかしながら、会長とその上下の関係のことだけはわきまえて行動しておったつもりであります。
  227. 中野寛成

    ○中野委員 次に、平成四年八月の赤松弁護士との会談等についてお尋ねをいたしますが、これは生原証言等とも合わせますと、小針氏が心配をしてセットをした。きょうのあなたの御証言を聞きますと、生原氏から連絡があって、金丸氏からの要請、指図といいますかがあった、そういうことであった。そうすると、小針氏が心配して金丸氏 と連絡をとって段取りをしたのか、生原氏と連絡をとってしたのか、こうなってまいります、あなたは知らなかったと言うんですから。私は、八月二十七日、辞意表明を前にして、お互いに何かを確認し合わなければいけないことがあったのではないのか。小針氏が心配したという。しかし、その会談はあなたと赤松弁護士と二人だけ。別室で小針氏と生原氏は待機をしておった。そうすると、そのときにあなたがほとんど聞き流す程度の話でしかなかったということは、私は考えられない。小針氏も、それでは一体何をしたのか、何を心配したのか、ピエロだったのかということになります。そして、後ほど金丸氏に大したことはなかったと報告をされたということですが、これではこの会談は何だったのか。目的も何もわからないで、幹事長まで経験した実力政治家が果たしてのうのうと行く、そういう習慣があなたにあるのか、こういうことになってしまいます。  それから、時間がありませんからもう一つ聞きますが、去年の八月下旬から九月にかけまして、いわゆる金丸氏が窮地に陥っているときに、いろいろ会長代行として対策を講じる最高責任者とされたそのあなたが、約十日間ほどマスコミ上では行方不明と報道をされました。そして、その間にいろいろ工作をしているのであろうという記事も並びました。記憶に新しいところであります。しかし、先ほどから聞いておりますと、あなたは弁護士政治資金規正法等の法律趣旨を説明しただけだとおっしゃる。法務省対策も、またいろいろな関係者に対する対策も何にもしなかったのでしょうか。行方不明だった十日間というのはどこかで寝ておったんでしょうか。すなわち、先ほど、最初に聞きましたこの東プリにおける会合といい、その後のあなたのこの一連の事件に対する対応といい、そこに同席しておったり、または対策の責任者だと言われたり、経世会会長代行と言われたり、そうしてやってきたにもかかわらず、あなたが果たした役割は本日何にもまだ話しておられません。どう考えても、あなたがなぜ自民党の中で実力者と言われ、幹事長にまでなれたのか。竹下金丸両氏、もしくはその前の田中氏等があなたを溺愛し、実力以上に評価し、マスコミにそう流されたのか、それともそうではないのか。あなたらしい実力を発揮して何らかの工作をしたのか、そのことについてお述べいただきたいと思います。
  228. 小沢一郎

    小沢証人 私につきましては、多分実力以上に世間に伝わっておるのだと思います。  最初赤松弁護人とのことでありますが、先生おっしゃるように、私はどなたがどういうふうな心配をし、あるいはどういう目的でやったのかは全くわかりません。その場に小針さんがいるということも私は予想しておりませんでした。それで、何でおられるんだろうというむしろ感じでございました。まあそういう中で、結局、先生もおっしゃるとおり、記憶にとどめて何かしなければならないというような話は私はあったと思っておりません。ただ、弁護人と食えという指示、これはもう会長命という、会長の指示ということで生原氏から来ましたから、私は会うのが当然だと思って会いに行きました。ふだんも、最初から全く会う必要ないとかいったぐいの対象なら別ですけれども、会長の指示には大概のこと従ってやってまいりました。  それから、いわゆる私が世間の目から十日間ばかりいなくなったというお話でございますけれども、まあマスコミの実は目から逃れたというのが事実でありまして、マスコミを通すと、あるいはマスコミだけに限らず、いろいろ人の口、人の耳を通していろんな言葉が世間に伝わりますとつまらぬ誤解を生ずることがたまたまありますので、私は割合何かやるときにはマスコミの皆さんとは会わないようにいたしております。そういうことでございました。
  229. 中野寛成

    ○中野委員 最後に、委員長に要請をいたします。  本日、例えば東京プリンスホテルでの顔合わせのこの組み合わせのことや、また赤松弁護士との会談に関連してのことなど、幾つかの事実と疑問が新たに生じました。そのことによって、金丸氏、生原氏、小針氏の証人喚問はこれは当然必要になってきたと考えます。そのことを重ねて要請をして、終わります。
  230. 粕谷茂

    粕谷委員長 後刻、理事会に諮って協議をいたします。  これにて中野君の発言は終了いたしました。  以上をもちまして小沢証人に対する尋問は終了いたしました。  御苦労さまでございました。証人には御退席ください。  午後一時より再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時十七分休憩      —————◇—————     午後一時開議
  231. 粕谷茂

    粕谷委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  ただいま議題となっております平成五年度総予算の審査に関し、東京佐川問題について、竹下登君より証言を求めることにいたします。  この際、証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。  昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によって、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証人証人配偶者、三親等内の血族もしくは二親等内の姻族または証人とこれらの親族関係があった者及び証人の後見今後見監督人または保佐人並びに証人を後見今後見監督人または保佐人とする者が、刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのあるときであります。また、医師歯科医師、助産婦、看護婦弁護士弁理士公証人、宗教の職にある者またはこれらの職にあった者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについても、本人が承諾した場合を除き、宣誓または証言を拒むことができることになっております。  証人宣誓または証言を拒むときは、その事由を示さなければならないことになっております。  証人が正当な理由がなく宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または十万円以下の罰金に処せられ、また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることになっております。  一応このことを御承知おき願いたいと存じます。  次に、今回の証人喚問に関する理事会申し合わせについて申し上げます。  その第一は、資料についてであります。  証人は、証言を行うに際し、資料を用いることは差し支えありませんが、委員長許可が必要であります。また、これらの資料は、いずれも当委員会に提出していただくことになっております。  その第二は、証人メモをとることについてでありますが、尋問項目程度は結構でございます。  以上の点を御承知おきください。  それでは、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めることにいたします。全員御起立を願います。     〔総員起立
  232. 粕谷茂

    粕谷委員長 議院証言法第五条の三の規定によりまして尋問中の撮影許可しないことになっておりますので、これより竹下登君の証言が終了するまで、撮影は中止してください。  それでは、竹下登君、宣誓書を朗読してください。
  233. 竹下登

    竹下証人     宣 誓 書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、  又、何事もつけ加えないことを誓います   平成五年二月十七日                竹下  登
  234. 粕谷茂

    粕谷委員長 宣誓書署名捺印してください。     〔証人宣誓書署名捺印
  235. 粕谷茂

    粕谷委員長 御着席をお願いいたします。  これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。  なお、こちらから質問をしているときには着席のままで結構でございますが、御発言の際は起立して発言をしてください。  委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で重要な問題について証言を求めるのでありまするから、不規則発言等、議事の進行を妨げるような言動のないよう特に御協力をお願い申し上げます。     —————————————
  236. 粕谷茂

    粕谷委員長 これより証人に対して証言を求めます。  まず、委員長より委員会を代表して総括的にお尋ねをして、その後、委員各位発言を願うことといたしております。  それでは、私からお尋ねいたします、竹下証人に。  昨年の十一月二十六日、本予算委員会において、自民党総裁選挙が行われた昭和六十二年の日本皇民党の街頭宣伝活動につきまして、あなたは「皇民党街宣活動がなぜ行われたかということにつきましては、私もいまだにその理由はわかりません。これはあるいは私自身は永遠に突きとめることのできない問題ではなかろうかと思います。このように証言をされております。また、日本皇民党街宣活動の中止に石井進桶川会前会長が介在していた事実について、あなたは、昭和六十三年十二月以降に承知した旨証言されております。その時期がちょうどあなたの総理大臣在任中であることから、一部には結果責任を問う声もあります。本委員会におきましても、あなたの責任についての質問が宮澤首相に対してたびたび行われております。  一方、あなたは衆参両院において、いわば日本国の首班決定に暴力団が介入したということを是認するという行為は私はとることができない旨証言され、本問題に対する態度を表明されております。さらに、本問題に対しては、あなた自身真実を明らかにする努力を国会を通じてやるべきであると思っているとも述べられております。  そこで、本日改めてお尋ねいたします。ただいま現在の本問題に対するあなたの御所見をお述べください。
  237. 竹下登

    竹下証人 ただいま粕谷委員長からの尋問に対して、証人として証言をいたします。  まず第一番目の、私がこれがいかなる理由でなされたかということは永遠に突きとめることができない、そのような表現の発言をしたことは事実であります。永遠という言葉は、後から速記録を見て、必ずしも適当でなかった。車ほどさように難しいことだ、こういうようなつもりで申し上げたわけでございます。  その次は、いわゆる結果責任について、すなわち私が昭和六十三年十二月以降この話を知ったということにつきまして、それが総理大臣在任中であったから結果責任をとるべきだ、このような御意見があることもたびたびの尋問証言したところで、お答えしたところでございます。この点につきましては、私はそもそも自由民主党という公党の総裁選挙そのものと、そしていわゆる一政治結社、後にわかりました皇民党街宣活動がどうしても関係づけられるものではない、このような前提に立って今日もなおおるわけでございます。したがって、この問題につきましては、私に与えられた責任は何かとおっしゃれば、きょうもその一つの機会であります。すなわち、あらゆる機会をとらえてその誤解を解く、このことが私に課せられた使命である、このように思っております。したがって、本日出席いたしておるわけでございますから、皆様方の尋問に対して私が証言することによって、そのことが少しでも理解が深まれば幸いである、このように思っておるところでございます。
  238. 粕谷茂

    粕谷委員長 以上をもちまして私からの竹下証人に対するお尋ねは終わりました。  次に、発言の申し出がありますので、順次これを許します。小杉隆君。
  239. 小杉隆

    小杉委員 竹下さんには何回もお越しいただきましてありがとうございます。  佐川急便事件にかかわる疑問点を国民の前に明らかにして、政治の信頼回復ということを今も申されました。この予算委員会も、平成五年度予算の審議日程も大変詰まっている中で、何とかその予算審議の時間をやりくりして証人喚問を行うわけですから、この場は極めて重要な国民の不信感を払拭する場であるというふうに考えております。  竹下さんには衆議院、参議院合わせてこれで三回目の喚問になるわけでありますが、今まででもまさに異例のことであります。今もこの心境について若干お話がありましたけれども、証人席に立たれた現在の心境について率直にお述べをいただければ幸いであります。
  240. 竹下登

    竹下証人 議院証言法という法律は、昭和二十二年十二月、時の議院運営委員長浅沼稲次郎先生でありましたが、できた法律であります。そして、これは占領下の法律である。したがって、その後いわゆる人権とのかかわりにおいてたびたび議論がなされたことは、私もその一人でございましたのでよく承知しております。そして、六十三年にいわゆる改正が行われて今日に至っておるわけであります。  しかしながら、あくまでも法に定められたものであります。そしてまた、私は昭和五十四年、たまたま予算委員長をいたしておりまして、その際証人を喚問し、それに対して委員長としての尋問をした経験も持っております。今は証言する立場にありますが、より一層、法の示すところに従って一生懸命対応すべきものであると、さらに緊張して本日この席に参っておるというのが私の偽らざる心境であります。
  241. 小杉隆

    小杉委員 この委員会の持ち方についてはいろいろ意見がございまして、例えば今静止画像でやっておりますけれども、これを完全にオープンにして映像つきでやったらどうかというような意見もあります。一方、海部八郎さんでしたか、たしかテレビ中継のときに手が震えて筆記もできないというような状況を見て、人権問題もあるというようなことで現在の形になったと思われますが、今のような形をどう思われますでしょうか。
  242. 竹下登

    竹下証人 昭和六十三年の改正の際に静止画像、静止画像とは言いません、撮影が禁止されたわけでございます。結果として私はそれが今行われておる静止画像になるであろうというイメージは必ずしもその当時はございませんでした。しかし、あの当時議院運営委員会議論されたこと、これは私は総理大臣でございましたので報告を受けて、失礼しました、自由民主党総裁でございましたので報告を受けて承知しておりますが、確かにこの問題には両論ある。  しかし、我々もとかく、私を含めテレビを意識しがちでございます。それがいわばパフォーマンスが過ぎた場合、我々またじくじたることがありはしないか、このような意見もありました。したがって、法律でもって禁止、撮影禁止ということになったわけでございますので、今は私としてはその法律のもとで対応していく、これ以上私から申し上げることは適当ではなかろうと思います。
  243. 小杉隆

    小杉委員 それでは、少し具体的な問題に移りたいと思いますが、まず佐川急便再建問題へのかかわりでございます。  佐川急便再建のための話し合いにおきまして、金丸さんから三和銀行へ、あなたから住友銀行く働きかけることについて相談がなされたと言われております。その事実関係についてお述べいただきたいと思います。  渡邉調書によりますと、平成三年ごろ東京佐川急便が経営危機に陥ったとき、金丸さんとあなた が資金繰りの相談に乗り、協力を約束したとのことであります。九一年、平成三年六月十三日夕方、金丸竹下氏と渡辺秀央郵政大臣が小針会長の知人宅で話をして、金丸さんは三和銀行の頭取に連絡をすると言われ、竹下さんは再建計画ができたら住友銀行に連絡するというふうに話したと言っておられます庁その後、金丸さんから三和には連絡しておいたと電話があったと言っております。これは事実でしょうか。御存じであればお答えいただきたいと思います。  以上のことについて、事実関係を明らかにしていただきたいと思います。
  244. 竹下登

    竹下証人 今御指摘のありました平成三年六月のことでございますが、私の遠縁に当たります小針さんから御連絡をいただきまして、私も小針さんの知人宅へ参上したことはそのとおりでございます。ただ、そのときは後に予定があったりいたしまして、したがって二回私は行ったと思っております。その際、私は、いわゆる本業と本業でない部分の現在の業績等についての詳しいお話を承りました。それで私からも詳しく、その場合いわゆる長期の再建計画を立てて、それでもってまずメーンバンクとの協議に入るべきだと、およそその筋の話をかなり丁寧にしたことを記憶いたしております。しかし、個別の、三和銀行あるいは住友銀行ということについて私が言及いたしたことはございません。  また、金丸先生が三和銀行くお電話なすったということは、本人に確認をいたしたわけではございませんが、その事実はいろいろな報道等によって私も承知をいたしております。
  245. 小杉隆

    小杉委員 今お答えになったように、二回にわたってこの問題でお話があったと聞いております。もう一回は、六月十六日に早乙女潤元佐川急便常務とあなたが小針宅で会談したということであります。これは事実だということですけれども、渡邉元佐川急便社長から頼まれると協力しなければならない特別な義理があったのでしょうか。
  246. 竹下登

    竹下証人 二回目の会合渡邉小針両氏はいらしたというふうに記憶いたしておりますが、小針氏から、私として大変今までお世話になった間柄にある、したがって知恵をかしてくれと、こういう依頼があったことも事実でございます。したがって、私は、今までも頼まれ事に対してはどちらかといえば丁寧な方でございますが、かなり懇切な説明も聞きましたし、丁寧なお答えもしたというふうに記憶いたしております。
  247. 小杉隆

    小杉委員 事実関係だけをお聞きして、次に皇民党問題に移りたいと思いますが、総裁選の後、十月二十九日に都内の料亭で竹下金丸両氏と渡邉被告らが会食した席で、あなたは同被告にお礼を言ったと言われています。また、十二月二十三日の日には、金丸さんと石井前会長とのお礼の宴席があって、そこに金丸さんから誘われたが行かなかったと述べておられますが、これは事実でしょうか。
  248. 竹下登

    竹下証人 一つは、昭和六十二年の十月二十九日でございます。私は、本院に対しましてこの日にちを、その場合は十一月の十三日とかというふうに申しましたので、適切ではなかったということで訂正願を提出をいたしましたが、十月二十九日であろうと思われますので、この会合があったことは事実でございます。  そしてまた、その次は六十三年の十二月の二十三日でございますが、これは報道等によってその日を聞いておりますが、ただ、昭和六十三年の十二月二十二日には私は本院で内閣不信任案を受けました。二十三日には参議院で内閣総理大臣兼大蔵大臣竹下登君問責決議案を受けております。そのさなかでございましたので、私が誘われたというような記憶は全くございません。  ただ、前回ここで御質問がございましたときに、竹ちゃんも行こうやと言われたときに、竹ちゃんと言われたことはない、竹さんといつも言われておりますという趣旨のことを申したことはございますが、お誘いがあったという環境には今振り返ってみてもない。そして、その翌二十四日六時半に消費税が成立するときでございますから、とてもその余裕はなかったということでございます。
  249. 小杉隆

    小杉委員 午前中の証人喚問小沢一郎さんが、皇民党の褒め殺しについて無視するようにあなたに進言したというふうに述べておられますが、このことについて御記憶があるでしょうか。小沢さんからそういうもし進言をお聞きになったとしたら、そのときどう思われたのか、率直なところをお聞かせいただきたいと思います。
  250. 竹下登

    竹下証人 小沢一郎氏はそのような考え方であったというふうに私も記憶いたしております。あのとき各方面から、いわゆる褒め殺してございますから、私を褒めたたえた演説、連呼をしてお歩きになるわけでございますから、あなたがやらしているではないかとか、とめなさいとか、いろいろな忠告をいただいたことは事実でございますが、小沢さんの姿勢は、これはまさに黙殺すべきだという感じであったというふうに私は思っております。
  251. 小杉隆

    小杉委員 最近特に金屏風の問題がマスコミ等を通じて報道されておりますが、竹下さんと旧平和相互銀行にかかわる金屏風事件との関連、これが日本皇民党の街頭宣伝を竹下さんが気にかけていた理由の一つとするような向きもありますが、この疑惑にどうお答えになりますか。
  252. 竹下登

    竹下証人 皇民党街宣活動に対し私が神経をとがらしておったのは、何かおびえることがあったではないか、その中の一つとして金屏風問題ということが議論されたことは御承知のとおりであります。  しかし、私自身、この金屏風問題というのは参議院予算委員会並びに決算委員会、私が大蔵大臣であるときに出まして、かなり詳しく御質問が、そのときは御質問がございました。それに対して私もお答えをいたしたわけでございますが、その後いろいろな角度から、私にはおのずから限界はございますけれども、これは調べてみましたが、その金屏風というものを見たこともたければ、それの売買に関して金銭が動いたとかそういうことは全く私はあり得ないことだ、私の存じないところでございます。  しかし、これだけ週刊誌等に書かれますと、あり得ないという証明、よく専門家の皆様方が悪魔の証明とおっしゃいますが、これほど難しいものはない。こういう国会へ出て御質疑をいただいて、それに答えることが私は最大の証明になるだろう、このように思っておるところでございます。
  253. 小杉隆

    小杉委員 旧平和相互銀行事件の裁判で伊坂被告が証言したところによりますと、昭和六十一年六月に銀座の料亭で伊坂被告と竹下さんの秘書だった故青木伊平さんが会合したとのことです。そのとき、青木秘書は平和相互銀行のことを自分のノートにびっしり書き込んでいたと言われています。青木秘書はどのような立場で伊坂被告と会ったのでしょうか。あなたの指示に基づいたものだったのかどうか。これは今の御答弁によりますと、否定されるんだろうと思いますが。  続けて、この伊坂被告の証言、これはきのうの口頭弁論でも出ておりますけれども、八重洲画廊の真部氏が示したメモには、竹下、その後数字の三というのが書き込まれていたということであります。伊坂被告はこの三億円が当時の竹下大蔵大臣に渡ったと思ったそうですが、この点について証人の明確な説明を求めたいと思います。
  254. 竹下登

    竹下証人 まず、この真部さんというお方にお会いした記憶ももちろんございません。そして、金品の授受があったという事実も全くございません。  ただ、伊坂証言というものは、伊坂さんは伊坂さんで今裁判の当事者でございますので、それに対して私もいかにコメントすべきか昨日考えました。そういう事実を、伊坂さんはそう思っておる、こうおっしゃるわけでございますから、これは私にとっては大変迷惑なことだという表現以上はコメントしにくい問題だということでとどめたわけでございます。まさに、全く関係のない事実でございます。
  255. 小杉隆

    小杉委員 今のお話ですが、真部氏も竹下さんや青木さんに対して金屏風にまつわる金銭の授受は全くなかったと証言をしていることを承知しております。  それから、昭和六十二年六月十九日の、当時の法務省の石川刑事課長も、参議院の決算委員会で、金屏風事件については、捜査の結果、「犯罪となる事実を認めるに至らなかった」と答弁しているという事実がありますが、この点は確認さしていただいてよろしいですね。
  256. 竹下登

    竹下証人 刑事局の課長さんの答弁は、私が大蔵大臣をやめまして自由民主党幹事長をしておる際の会議録で私も読みまして、そのような答弁をなすっておるということを承知いたしております。
  257. 小杉隆

    小杉委員 時間が大分迫ってまいりましたが、このところあなたに関するいろいろな雑誌の報道が相次いております。月刊文春三月号や週刊ポストでは金屏風事件と竹下元総理の関係とか、週刊新潮二月十一日号では千代田生命との不明朗な関係とか、週刊文春二月十八日号では竹下元総理と白神組組長との兄弟杯とか、週刊現代二月二十七日号では竹下登と稲本皇民党総裁の手打ち式があったというような、枚挙にいとまがないほどであります。  この予算委員会でもたびたびこうした問題が取り上げられましたが、こうした報道が真実かどうか、時間の関係もあってちょっとすべてをお聞きするわけにはいきませんが、こうした報道についてどう感じておられるか、お答えください。
  258. 竹下登

    竹下証人 いわゆる金屏風問題、千代田生命、兄弟杯、手打ち式などにつきまして、私はその事実は全くないということをこの際証言さしていただきます。  と同時に、私自身顧みまして、今までは、体制側にある者は、いつも申しておる言葉でございますが、まずみずからが耐え忍ぶことだ、それに耐えてこそ体制側の真骨頂だというようなことを言っておりました。それは政治家として古い考え方だと最近はしみじみと感じておりますので、それらに対してはそれ相応の措置を講ずべきであるというふうにみずからに言い聞かしておる昨今でございます。
  259. 小杉隆

    小杉委員 終わります。ありがとうございました。
  260. 粕谷茂

    粕谷委員長 これにて小杉君の発言は終了いたしました。  次に、仙谷由人君。
  261. 仙谷由人

    仙谷委員 日本社会党の仙谷由人でございます。楢崎弥之助議員の関連質問をいただきまして質問をさせていただきます。  証人、昨日私のところへ島根県から十数本電話が入りました。証人が戦後間もないころに代用教員をなさっておったころに教えられたという人もございました。そのときに証人が、うそは泥棒の始まりだということを当時の生徒たちによく教えられた、こういうことでございますので、前回までの証人お答えを拝聴いたしますと、拝聴いたしますとというのは証人の教え子がです、拝聴いたしますと、とても本当のことを言っているとは感じられない、今度はどうか本当のことを言うようにあなたからも言ってほしい、こういうことでございましたので、きょうのひとつ証言では余り抽象的にならずに、具体的に、端的に、簡潔にお答えをいただきたいと存じます。  まず、中曽根さんから六日の午前九時に来てくれという話があったという証言を前回されました。いつごろ、どこにあったのでしょうか。
  262. 竹下登

    竹下証人 私が五日の日に決意表明をする前に行きたいという希望を申しておりましたが、恐らくその数日前じゃなかろうか。総理大臣の日程の中へ私の時間をはめ込むのはそれしかないというので電話がかかったというふうに思っております。
  263. 仙谷由人

    仙谷委員 そうしますと、常識的には、その中曽根さんの電話をあなたがお受けになったときに、前回の証言の論理的な脈絡から行きますと、そのころに田中邸訪問もしよう、こういう話になるはずですよね。何か中曽根さんのところへ行くのと物すごく関連づけておっしゃっていましたので、そう読んでおるのですけれども。  そこで、前回私が、十月の五日に証人の方から田中邸の方へもうあいさつに伺うのはやめたいという話をあなたがしましたでしょうという問いをしましたら、記憶がないというふうにおっしゃいました。前回時間がなかったものですからお示ししませんでしたけれども、きょう、十月六日付の朝日新聞と毎日新聞、両方持ってきております。委員長、ちょっと示すことを御許可いただきたいと思います。
  264. 粕谷茂

    粕谷委員長 はい。
  265. 仙谷由人

    仙谷委員 読んでください。緑で囲ってあるところです。  つまり、五日の多分、翌日の朝刊ですから、昼以降にあなたは、田中邸に訪問することは遠慮したい、田中邸の方でそういう環境にないから、こういう趣旨の電話をされた。これは二紙に載っていますからほぼ当時の行動記録としては正確だと思うのですが、そういう事実があっなかなかったか、記憶がよみがえりますでしょうか。
  266. 竹下登

    竹下証人 いつ、何月何日ということはもちろん決めておりませんでしたが、私がお仕えした、官房長官としてお仕えしたのは佐藤さんと田中さんですが、御健在なのは田中さん、幹事長としてお仕えしたのは中曽根さん、この二人だけには決意表明の前にあいさつに行きたいということで、人を介し連絡をしておったことは事実でございます。  しかし、決意表明前にはできませんでした、中曽根さんの方の都合で。私なりの気持ちでは、中曽根さんに最初行って、その後田中さんの方へ行きたい、こう思っておりましたが、五日の日は行くことをやめたというようなことを、記憶を呼び戻してもなかなか難しいのでございますが、あったということがあったとしても別に不思議ではないな、このような印象で仙谷先生お話をこの前も聞いて、きょう若干私の心の整理をしてお答えしたわけでございます。
  267. 仙谷由人

    仙谷委員 それでは、その問題はちょっとペンディングにして、次に進みます。  十月五日の東京プリンスホテル会合ですが、この会合で、金丸さんの証言を見ましても、小沢さんのきょうの証言を聞きましても、要するにこの東京プリンスホテルの一室で行われた話し合いといいますか、会談といいますか、会議といいますか、これは、結局あなたと渡邉さんの一対一の話し合い、実質的に一対一の話し合いだったようなんですが、そのとおりですか。簡単に答えてください。
  268. 竹下登

    竹下証人 簡単にと申しましても(仙谷委員「いや、イエスかノーかだけでいいです」と呼ぶ)ちょっと事情がございますので、イエス、ノーだけ言うのが礼儀だと思いますが、少し言わせてくださいませ。お願いいたします。お願いいたします。(仙谷委員「時間がないんですよ」と呼ぶ)はい、わかります、時間がなかったら、また後日でもお二人でお話ししても結構だと思いますが、(仙谷委員「いや、二人じゃだめなんですよ」と呼ぶ)申し上げますが、その日は私は決意表明して、平素の私以上に高揚しておりました。したがって、そのパーティーでも大演説をいたしました。したがって、まず入っていってかなりそういう雰囲気の話をしたというふうに思っておるところでございます。
  269. 仙谷由人

    仙谷委員 お答えに全然なってないじゃないですか。あなたと渡邉さんの一対一の話し合いだったのですかという質問を私はしているんですよ。金丸さんと小沢さんの話を聞くと、どうもそうらしいですよという話をしているんですよ。だから、イエスかノーかで答えてください。
  270. 竹下登

    竹下証人 高揚しておった気持ちの中でほかの話もしておりましたから、一対一というわけではありません。
  271. 仙谷由人

    仙谷委員 渡邉さんからは、結局田中邸に訪問してくださいという言葉のほかに、丁寧であるかどうかはどっちでもいいんですよ、内容的にその言葉のほかにどんな言葉が出たんですか。
  272. 竹下登

    竹下証人 いわゆるワーディングの問題ですが、正確には覚えておりません。ただ、丁寧にお話があったことだけは重ねて申し上げます。
  273. 仙谷由人

    仙谷委員 あなた自身は参議院証言でも衆議院でも、いわば条件、それを実行するという問題意識からはまずみずからが離れていなきゃならぬという意識をあなたが持ち続けていた、あるいは、その中に、つまり渡邉さんの話の中に街頭演説中止の条件ではないかという印象を持ったことも事実、こういう証言をされておりますね。端的に、いいですか、この条件というのは、あなたに対してだれが示した条件だという理解を、印象を当日持ったんですか。
  274. 竹下登

    竹下証人 だれがというわけではございません。
  275. 仙谷由人

    仙谷委員 答えは簡単じゃないですか。あなたがおっしゃっている街頭演説中止の条件を出すのは、皇民党か、あるいは皇民党とあなたの間に入っている人か、どちらかしかないじゃないですか。そういう想像ができなかったんですか。
  276. 竹下登

    竹下証人 だから私は、どちら、だれということを断定できないというふうに申し上げたわけであります。
  277. 仙谷由人

    仙谷委員 実は証人は十月の五日のこの東京プリンス以前に、皇民党の方からあなたが田中邸に訪問をすれば褒め殺しをやめるという話を間接的にでもお聞きになっていたんじゃないのですか。  今首を振りましたから、質問を続けます。  十月一日に、経世会の中の魚住さんという代議士さんが熊本県の青年愛国党の内村さんという人に頼んで、内村さんの仲介で初めて稲本さんに直接会っているんです。つまり、経世会の代議士として稲本さんに、皇民党の稲本総裁に会ったのは、魚住さんが初めてだったんですよ。これは十月一日の午後五時ころからホテルニューオータニのコーヒーショップで会った。魚住さんも認めていらっしゃるわけです。で、会ってどういう話がなされたのかということをあなたの方に魚住さんから報告が当時来ておりませんでしたか。
  278. 竹下登

    竹下証人 今仙谷先生のおっしゃったお話は私も週刊誌で見ましたが、魚住さんからその種の報告を受けたことはございません。
  279. 仙谷由人

    仙谷委員 魚住さんが当時稲本さんと直接会って、稲本さんから、あと二、三日たったらやめましょうと、やめますと、そういうふうに竹下さんに報告しておいてくれと、ただし竹下さんが田中邸へ行くことになっておるんですよという話を魚住さんにした。魚住さんも地元の新聞のインタビューなんかでは、あと二、三日したらやめると言ってくれました、そのとおりになっちゃったと、こう言っておるんですよ。で、魚住さんからしてみれば、当時の状況からすれば、ある種の手柄話ですよ。それを経世会あるいは竹下さん、あなたに報告をしないということは我々の常識では到底考えられないんですよ。その点はじゃその程度にしておきましょう。  そして、いいですか、その過程で、その日の過程で、あなたはその日に安倍晋太郎さんと金田中で夕刻食事をされていますよね、十月一日。どうですか、ちょっと答えてください。
  280. 竹下登

    竹下証人 まず、一つだけ申しわけございませんが、手柄話をするというようなお方ではないと、私にとっては善意の第三者であったと魚住さんは思っております。  亡くなられた安倍晋太郎先生とお会いしたことは事実でございます。
  281. 仙谷由人

    仙谷委員 その後に、九時ごろからあなたは竹下派の幹部の皆さん方と一緒に吉兆に行かれておりませんでしょうか。そして、その吉兆の席には石井会長の代理人と称する方、渡邉廣康さん、そして稲本さん、そして先ほど申し上げた熊本県の青年愛国党の内村さん、この方がいたという事実は、ございませんでしょうか。
  282. 竹下登

    竹下証人 その事実はどう思い起こしてもございません。当時覚えておりますのは、安倍さんと私が金田中で会談をしておるということで、外にいっぱい新聞記者の方等がいらしたということはよく覚えております。
  283. 仙谷由人

    仙谷委員 次の日に名古屋に遊説に参りましたね、名古屋に。名古屋に遊説に行く新幹線の車中で、食堂車かなんかで内村さんとお会いにたって、きのうはどうもというあいさつをされたんじゃないんですか。
  284. 竹下登

    竹下証人 どう記憶を呼び戻してみましても内村さんという人がわかりませんので、ごあいさつしたようなこともなかったろうと思います。
  285. 仙谷由人

    仙谷委員 六十三年十二月二十三日以降の話でございます。  金丸さんの証言ですと、竹下証人が、竹下証人自身はですよ、橋の上からおっこって川に流されてあっぷあっぷしている人に、子供に例えられているんですね。当然のことながらこれは皇民党の褒め殺し街宣活動によって、要するに川に流されてあっぷあっぷしているのと同じ状態だった、こういうことを言っておるわけですよね、金丸さんは。で、それを助けたのが後で暴力団だとわかった、こういうことなんですが、いいですか、金丸さんからその十二月二十三日以降受けた報告といいますか、あなたは何か察知したという話なんですが、どんな話で、ああ結局石井さんがやってくれたんだなということを察知したんですか。
  286. 竹下登

    竹下証人 あっぷあっぷの話につきましては、これは金丸さんはいつも助けてもらった人にはお礼を言う、頼まれたことには親切に応ずる、これが生きざまでございます。したがって、あっぷあっぷした子供が私であったという例えば自由でございますけれども、私にとっては余りいい例えではないというふうに思っております。  それから、察知したという言葉がございますが、この間の金丸先生の病床尋問、見てみまして、読ましていただきまして、私にも理解ができたわけでございますが、そのとき上座へ座りなさいと言っても座らない、あるいはたばこも酒もたしなまないというようなそのときの光景について私はお話を聞いた、その際私が察知したというふうに思います。
  287. 仙谷由人

    仙谷委員 随分勘がいいお方だと思いますが、なぜそんなことでわかるんですか。つまり問題は、石井さんが、あなたの表現だと介在したということなんだけれども、石井さんの力でコウメイ党の街宣活動をやめさせたということがわかったということなんでしょう。(「皇民党だよ」と呼ぶ者あり)皇民党街宣活動を、ごめんなさい、皇民党街宣活動をやめさせたということが察知したんでしょう。そうですね。そうでしょう。
  288. 竹下登

    竹下証人 金丸さんのお話で察知をいたしました。
  289. 仙谷由人

    仙谷委員 上座とか下座の話だけでは察知することはできないんでね。いいですか。そしてもっと言えば、金丸さんはお礼をするんだから、そのことがわかっておるからお礼したわけですよね。結局、あなたもこの段階では石井さんが稲本さんと交渉して中止をさしたんだということが確定的におわかりになったということですか。
  290. 竹下登

    竹下証人 やはりお答えすべきは正確と思いますと、察知したということに尽きると思います。
  291. 仙谷由人

    仙谷委員 結局、条件でないかという印象を持ったというんですが、いいですか、あなた自身渡邉さんとのやりとりの中で、どこかから条件が提示をされて、そしてあなたが田中邸へ行くということは、自発的に行くことのほかに、客観的に見れば条件履行を、条件を実行しているというふうに受け取られることもあり得るというふうに感じたから葛藤したり嫌な感じを持ったりしたわけですよね。ということは、そういうことも、つまりそういう受けとめ方をされる可能性もあるというふうにそのときに思ったことも確かなんですね。
  292. 竹下登

    竹下証人 私が印象を持ちましたと言いましたのは、今仙谷先生の御指摘のように、そういう受けとめ方があるとしたら私の真意でないと思ったからでございます。  ただ、葛藤という言葉につきましては、後日字引を引いてみまして、いささか適切な言葉でなかったというふうに思います。
  293. 仙谷由人

    仙谷委員 刑法上の用語で言いますと、証人の お気持ちは未必の故意に近いんですよね。そうかもわからない、そうあってもやむを得ないという気持ちなんですよ、それは。  で、結論として後でわかってみれば、石井会長皇民党の活動を中止さしたということがわかったというわけですから、ここは竹下証人、我々、証人と二十数歳違いますけれども、やはり先輩にこの種のことを申し上げるのは心苦しいところもあるんですが、もうこんなどろどろがあって、それを消すために結果としてであれ暴力団の力をかりたというふうな政治はやめにしなければいけないんじゃないでしょうか。マックス・ウェーバーが言うような結果責任の論理というのは、やはりここで竹下さんに、証人にちゃんとけじめをつけてもらわなきゃいけない、私はこう考えます。毒をもって毒を制す、毒をもって毒を制するということが法治国家で行われてはいけないということだと思います。  島根からも、三回も何ゆえに喚問されたのか、疑いをかけられて三回も喚問されるというのはいたたまれない、早く出処進退についてけじめをつけるように言ってくれという話がございます。どうですか、この辺でひとつ竹下証人決断をしていただくということはできませんでしょうか。
  294. 竹下登

    竹下証人 島根からのお話でございますが、代用教員ではございません。一級普通免許状の教員でありました。  それから、その御伝言が仙谷先生のもとにあったのは謹んで承ります。ただ、私の結果責任をとれということにつきましては、私はどう考えても皇民党の存在と自由民主党総裁選挙との関連がないと、したがって、そういう疑いがあるとすれば、それを果たすことが私に与えられた責任であると、くどいようですが重ねて申し上げさせていただきたいわけでございます。ありがとうございます。
  295. 仙谷由人

    仙谷委員 かわります。
  296. 粕谷茂

    粕谷委員長 この際、楢崎弥之助君から関連発言の申し出があります。仙谷君の持ち時間の範囲内でこれを許します。楢崎弥之助君。
  297. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 楢崎弥之助です。  竹下さん、御苦労さんです。私も、自分のこの胸のバッジと政治生命をかけて、以下真実を明らかにしながら、竹下証人質問をいたしたいと存じます。  まず、委員長にお願いします。  ここに戸籍謄本があります。これを証人に示したいと思います。
  298. 粕谷茂

    粕谷委員長 許可します。
  299. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 ここに、ある人の婚姻届を示す戸籍謄本があります。これは、昨年十二月九日、東京都下北沢にある世田谷区役所の出先の事務所に私が行きまして、やっと公用としていただいてきた謄本でありますので、この謄本の上段の最後二行、こう記載されておる。「杉田弘子と婚姻届出昭和参拾七年九月拾日受附 平成四年参月弐拾弐日妻死亡」、夫はUという方であります。その下に載っております。婚姻届をされたのは、一番右に書いてありますU・Iという方であります。間違いありませんね、書いてあることは。
  300. 竹下登

    竹下証人 これは公用でおとりになったものでございますから、私は正しいと信ずべきだと思います。
  301. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 この奥さんの杉田弘子という方は、有名な女優でありました。そう年は変わりませんから、証人もあるいは覚えておられるかもしれません。で、芸名と本名と同じであります。そして、私は当然こういう、片一方は富士車輌の社長の次男という地位の人、片一方は有名な女優さんのこの結婚式ですから、当然芸能誌等のマスコミがわっと押し寄せて取材するはずですよね。それで、私は助手を福岡から呼んで、二日間かけて図書館でその三十七年九月当時の週間雑誌を全部読みました。出てこない。どうしてだろうか。そして、いろいろと苦労した中に、やっと二年後、出てまいりました。  で、ここに週刊誌がありますが、これは昭和三十九年三月二十三日号のある週刊誌であります。必要なところだけを読んでみます。「昭和三十七年九月十日、大阪グランドホテルで披露宴を行なったが、新郎側の希望で報道陣はいっさいシャットアウト。出席者も少なく地味だった。媒酌人は現通産政務次官の竹下登代議士」、つまり、証人は三十八年から九年まで次官されておりますから、これは正確ですね。  で、何とまあ不思議な結婚式であろうか、私はそう思ったのですが、このお二人の結婚式の仲人を証人側夫妻でたされた事実はお認めになりますか。
  302. 竹下登

    竹下証人 楢崎先生もイニシアルで申されましたので、Y・Iじゃないかというふうに思いますが、お父様は私と同県の大阪県人会あるいは経済クラブ等の最高幹部をなすっておった方でありまして、私が、年齢も近いのでと申しましょうか、媒酌を依頼をされました。そのとおりでございます。
  303. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 今証人がおっしゃったYではないかというのは、証人の間違いであります。それはYとすぐ読みたい字です。しかし、Yではありません。Uです。それから先は言いません。(発言する者あり)いや、正確に言っておかぬといけませんから、個人の問題ですから。  で、もう一つの四十年九月二十五日の同じ週刊誌がここにあるのですが、その週刊誌は、必要な部分だけ読んでみますと、題名は「民間指名手配で潜行中の杉田弘子」という記事であります。そこに「(U・I・杉田弘子夫妻に近い、集会社役員の話)」としてこう書かれております。「別れ話も考えたそうです。ところがヤクザの道というのは、なかなか女を離そうとしないそうですなあ」とあり、またその続きにこうも書かれております。「U・Iとその一家の事情にくわしい某氏に語ってもらおう。「ドラ息子ですよ。彼はむかし、大阪でヤクザの組にはいっておったりしてね。」」とずっと続いております。つまり、ここに書かれている記事は、証人夫妻が仲人をした新郎のU・Iという人はやくざの組員であった事実を明らかにしておるのであります。このやくざの組員とは、後で明らかにいたしますけれども、山口組系南道会白神組の組員であります。そんな組員であったことは知らなかったとひょっとしたらおっしゃるかもしれませんが、これは後で実証いたします。その必要はありません。  で、この結婚式は、週刊誌も書いておりますとおり、新郎側の強い要望でマスコミを一切シャットアウトした内輪の式になった。富士車輌というこの大手企業の社長さんの次男であるU・Iという新郎ですよ。片や有名な女優さん。おかしいじゃないでしょうか。で、仲人としてそのころ、何でシャットアウトされたか、仲人として証人は、結婚される御両家からその間の事情について説明を受けるのが当然だと私は思います。証人は、いつだれから、どういう理由でそういうマスコミを一切シャットアウトしたかを説明をされたと思いますが、どのような説明をされましたか。
  304. 竹下登

    竹下証人 私が媒酌をいたしましたが、その披露宴にいわゆる報道関係の方がシャットアウトされておるとかいうことについてのお話は聞いた覚えがございません。
  305. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 ちょっと聞いた覚えが、何ですか。(竹下証人「ございません」と呼ぶ)ああ、ない。じゃ、そんな異様な結婚式を、何でシャットアウトすると、普通だとどうしてなんだと聞くのが私は常識であろうと思いますけれども、私は、そこに出席しておる人が、白神氏などの暴力関係者が多数出ておったんじゃないですか。だから、シャットアウトしたんじゃないですか。つまり、その新郎は、これは明らかに白神組の組員であります。  せんだって宮澤総理は、政治家と暴力団のいわゆるつき合いについて、これは厳に慎むべきである。じゃ、そのつき合いとは何か。それは暴力団関係の冠婚葬祭等に出席することだ、そう答弁なさいました。しかし、証人はそういう冠婚葬祭に出席するどころか、暴力団の方と女優さんの結婚式の仲人をされておるわけであります。  次に、時間がありませんから、いわゆる杯の問題に移ります。  証人が白神英雄組長と兄弟杯をしたという事実は、私もその立会人の一人から証言を得て、昨年十一月三十日及び一昨日の二月十五日、当予算委員会で明らかにしておりますし、週刊文春二月十八日号も、立会人の一人である笠原幸男氏がインタビューに応じてその事実を証言しております。つまり、杯の立会人三人は健在であると私は昨年十一月三十日、当委員会で述べておりますけれども、その三人のうちの一人が笠原幸男氏であることは間違いありません。そして、もう一人の立会人がU・Iという方です。そして、私がコンタクトしておるのがもう一人の、三人目の立会人であります。  つまり、その杯、杯も映画に出てくるような大仰なものやなかったでしょう。まあ、簡単なやり合いというんでしょう。さらに、その杯の席には、それが、いわゆる杯が終わって数人の芸者さんが呼ばれております。そのうちの一人もその杯の事実を証言しております。本日発売のアサヒ芸能では、また別の方が杯の事実を証言をしております。  その立会人の一人であります笠原氏は文春インタビューで、竹下氏には私とIとがともに、U・Iですね、U・Iとがともに白神組員であることをはっきりあなたに言っていると重言されておる。私がコンタクトした立会人もそのことを証言しておりますし、そして確かな筋からここに手紙が来ておる。私が昨年十一月三十日、質問をした明くる日、江別から来ておる。  この内容を私は全部裏をとりました。そして、私はおととい委員会で明らかにしておりますが、例えば湯川病院に、大阪の湯川病院に白神さんが入院されておった、六十一年に。それも私は裏をとりました。それから、あの「極道の妻たち」というものを書いた家田荘子さんのこともこの手紙に書いてある。私も裏をとりました。そうしたら、家田荘子さんはやはり白神氏のところに何日間か泊まっているんですね。そして、白神さんのあねさんという人からの紹介で石井進さんのあねさんという人にも会って、取材をされて、あの「極道の妻」というものをつくられておることもはっきりいたしております。  それで、私はここで、杯の場所をはっきりしておきましょう。日本橋浜町、昔は葭町と言っておった、そこの二丁目三十九。竹下証人は聞かれておりませんから今から申し上げるわけです。明治座の真裏に今もあります。名前は御半から今は花生と変わっておりまして、そして娘さんが、もうそのときのおかみさんは年とって、娘さんが六十歳ぐらいですが、今経営されておりますけれども。  ここに白神氏が八紘会のときの写真、それからサイパンで亡くなられる数日前の写真があります。委員長、これをちょっとお見せしたいと思います。
  306. 粕谷茂

    粕谷委員長 はい、許可します。
  307. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 証人は、それは白神さんですが、覚えがありませんか。
  308. 竹下登

    竹下証人 覚えがございません。
  309. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 ああ、そうですか。もうすぐ終わります。  いずれにしましても、私は、どうしてもそのことを否定されるなら、私はおととい委員長にお願いして、理事会に、その杯の立会人の一人であった笠原幸男という人を理事会に呼んでください、そしてその黒白をつけるべきだと。というのは、やはり証人の偽証問題に関係するからです。もし、あなたがどうしても今まで私が言ったことを否定なさるたら、堂々とその理事会に一緒に出て、その笠原さんと対決されたらどうでしょうか。そうしたら、すべて物事がはっきりする。  もしそれを避けられるたら、それは私は潔白をあなたが証明する自信がないんじゃないか。そうすると、議院証言法の第六条の偽証ということになる、このように思うわけです。それで、皆さんもおっしゃいましたけれども……
  310. 粕谷茂

    粕谷委員長 楢崎委員に申し上げます。時間が二分経過いたしました。
  311. 楢崎弥之助

    ○楢崎委員 結論を申し上げます。  もう三回も証人として呼ばれている。これは異例なこと、皆さんおっしゃっている。証人はそのことだけでも国会法第十五章の二、いわゆる政治倫理綱領に違反しておるということだけをはっきり申し上げておきます。
  312. 粕谷茂

    粕谷委員長 これにて仙谷君、楢崎君の発言は終了いたしました。  次に、矢追秀彦君。
  313. 矢追秀彦

    矢追委員 竹下証人にお伺いをいたします。  十月五日の証人及びまた金丸前代議士等の動きにつきまして、先般の証人喚問委員会の記録をつぶさに精査をいたしましたが、どうも腑に落ちない点、まだ明確になっていない面がたくさんございます。本日も、先ほど仙谷委員からもお話もございましたが、私も改めてお伺いをしたいと思います。  まず第一は、十月五日のお昼、金丸前代議士と証人は、証人の事務所でお会いになった事実はございますか。たしか、記憶にございませんとおっしゃっておりますが、今はいかがですか。
  314. 竹下登

    竹下証人 十月五日昼、四十分間という質問がいつかございまして、その事実はございませんと申しましたが、今なおそれと同じお答えをするわけでございます。
  315. 矢追秀彦

    矢追委員 保岡代議士に対する電話については、私はお認めになったように思います。といいますのは、先ほどお示しになりました朝日新聞の、同じ朝日新聞の違ったページに、この田中邸訪問の後の状況が書いてありまして、お読みになったかと思いますが、要するに保岡代議士から、もう来ない、こういう電話があったので、今来たのはにせものではないか、こういうとぼけて、田中直紀、当時は代議士でございましたが、そういうコメントをしたことが朝日新聞に出ております。  したがいまして、この保岡代議士を通じて行かないということは、その当時は、時間的にはわかりませんけれども決意をされておった。まだ行く気はなかった、こう私は判断をしたいわけでございます。  そこで、次に、先ほどの夕方の問題です。  東京プリンスにおきましての午後六時からは、田原前法務大臣の励ます会に出席をされ、その後、次の経団連の会合は一時間延期をされ、その間に渡邉廣康氏とお会いになっている。これが、先ほども出ておりましたが、お二人なのか、そこに金丸信さんあるいは小沢一郎さん等がいらっしゃったのかどうか、また青木伊平秘書、また中尾宏代議士、この辺が定かでございません。  渡邉調書によりますと、九時から明くる日の午前二時までホテルにいたということになっておって、それについては証人は、これは違うということをおっしゃって、七時からとおっしゃっていますね。  これはこれでいいといたしまして、その間は二人だけの会合なのか。午前中の小沢一郎代議士の証言によりましてもその辺は定かではございませんので、改めて記憶をたどっていただきまして、そのときは二人だけで会って、後に、その渡邉調書のように、九時以降またお集まりになったのではないかと思いますが、その点はいかがですか。まず、この七時から八時まで、八時ぐらいまでの間です。
  316. 竹下登

    竹下証人 十月五日のたしか、正確な時間ではございませんが、七時から一時間程度お会いをして、私の記憶では、渡邉社長さんと金丸先生小沢先生と、それから私の秘書でありました青木伊平氏とおったというふうに覚えております。  で、ただ当日は、何分私も決起集会をやりまして、決意表明したわけでございますが、大体非常に自分を抑える方でございますけれども、いささか興奮しておりまして、大演説を下のパーティーでもやっておりました。これはまあお互い政治家なら理解していただける環境でありますが、したがって、そういうような延長線の中で参りました。 から、まずはそんなような話をしておったんじゃないかというふうに思います、私自身。  そうして、いわゆるこの田中先生のところへごあいさつに行かれませんかという問題について、小沢さんは出入りしておられ、出たり入ったりしておられたでございましょうし、金丸先生証言を読んでみますと、ウイスキーも余計飲んでおったというような話でございますので、その話そのものは、いわば関心を持って聞いておったのは私一人であったかなというふうに御説明申し上げるのが適切かなと、今御質問を聞きながら私なりに整理してお答えをしたわけでございます。  それから後は、これはもう私のところへ、決意表明した日でございますから、たくさんのマスコミが自宅へ来ておりまして、それらの記憶、日誌等を見ておりますと、ずっと自宅に夜遅くまで皆さんもいらっしゃった。私もあるいは多少大きなことも言っておったのかな、こういうふうに思われます。
  317. 矢追秀彦

    矢追委員 その点が非常に私も疑問が残るところです。  ということは、それ以降証人は経団連の会合に出られて、それから自宅に帰られて、そのままずっとおられた。そして午前、まあ三時ごろが正確だと思うのですが、一時か二時に長谷川参議院議員から電話があって、で、田中邸へ行く、こういうことですね。  ということは、その渡邉調書は九時から二時と言っていますから、この辺は言い間違いもあるかもわかりませんが、少なくも午前二時に長谷川参議院議員と連絡がとれて、三時に長谷川さんが東京プリンスヘ来られたことは、これは間違いないと思うのですね。そこからお宅へ電話が行っている。こういうことですから、この間、要するに七時から八時に証人が帰られた、会合終わって。それから後ずっと夜中までどうだったのか。渡邉社長一人が頑張っていたのか。この辺がどうも食い違っているわけです。要するに、渡邉調書では二時まで全部おられたと。  ということは、これは私の想像ですからわかりませんが、一たんは自宅へ帰られたけれども、証人はまた、マスコミを煙に巻いてそうして出てこられて、また夜遅くまでおられた。というのは、証言でも言われているわけですね、要するに長谷川参議院議員と連絡がとれた時点で三人の方は帰られましたと。こういうことが出ているわけですから、その辺が非常につじつまが合わなくなってくるんです。  それともう一つは、証人がその渡邉廣康社長から田中邸に行ってほしいと言われた、そのころはまだ行く決意をされていなかったはずですね。即答は避けたということを証言されておりますから、まだそのときは行かれる気持ちにはなっておられないのではなかったか。となると、実は渡邉調書にいろいろドラマチックに出ているわけですね。要するに、証人が弱気になった、金丸さんが涙を流して説得をした、こういうふうなことが渡邉調書には出ているわけですから、その辺が非常に、この七時から八時までの間でそういうドラマチックなことが行われたのか。  私は、証人証言からいいますと、このときはまだ決意をされていたい、帰られた、後でまた来られてそういうことになったのではないか、まあこう推測です、これは。そうしないと、この渡邉調書とあなたのおっしゃっていることは合わなくなってくる。この辺はいかがですか。
  318. 竹下登

    竹下証人 あるいは今私は、その渡邉調書というのを入手して精読したわけではございませんが、今のその先生お話からいたしますと、渡邉さんの調書は別といたしまして、いわば私が自宅へ帰りまして、たくさんのマスコミの方が来ていらっしゃいました。それから、応援者の方も来ていらっしゃいました。それから、今は少し大きいうちへ留守番に行っておりますが、小さいうちでございまして、とてもその新聞社をまいてどっかへ行くというような環境ではございませんし、当時の新聞記者の方のメモなどをやってみますと、私がずっと自宅におって、あるいは少々将来の抱負なんかを語っておったではないかというふうに思います。  それから、次の問題は、私は行くことは初めから決意しておったわけです、いつの日か必ず。可能なことならば決意表明前と。しかし、それは中曽根先生の前に行くというのがいかがかという気持ちがございましたので、そのとき、じゃ何月何日に参りますということは申さなかったことは事実でございますが、長谷川信先生から、私がこの門前でお待ちしておりますので行くのが人の道じゃないですか、まああしたにしましょう、中曽根先生よりも一時間前になってもいいんじゃないですかと、こういうことでございましたので、では朝行こうというふうに決断をしたということが事実でございます。  いつか必ずごあいさつしなければならないというのは、多くの同志の諸君がそういう考えでありましたし、私もお仕えした人でございますから、やはり決意表明前に行きたい気持ちが十分にあったわけでございます。  それから、田中直紀前代議士等のコメントの話は知っておりますが、これは私が論評をすべきことじゃないというふうに思います。
  319. 矢追秀彦

    矢追委員 今の証人証言を聞いておりますと、余りにもこう、簡単といいますかあっさりし過ぎておりまして、また私は疑わざるを得たいわけです。  といいますのは、渡邉調書、まだ読んでいたいとおっしゃっておりますけれども、今さっき私が申し上げたように、面会はまた拒否される、「ぶざまだ。どうせダメなんだ。総理になれっこない。」金丸氏が「「田中のオヤジから反逆者だと言われながら手弁当で経世会を作った。竹下を総理にするためだ。何をいまさら弱気になっているんだ」と激励。小沢氏は何も言わず、ただウロウロする状況だった。」こういうことが出ているわけですね。じゃ、これは全然、間違いといいますか、になってしまいますね、さっきの話だと。  私は、まああなたが来られたか来られたいかは別といたしまして、関係者はずっとそのまま残っておられた、少なくとも渡邉社長が午前三時までおられたことは間違いないわけですから。そこで三人は、長谷川前参議院議員と連絡がとれた時点で三人は帰られたというのが調書にあるわけですね。非常に、あなたはずっと自宅におったとおっしゃいますけれども、ここが食い違うわけですよ。  もう一つの、これはずっとおっしゃっておりませんけれども、こういうやりとりがあったということ。あなたは田中邸へ行くように渡邉社長から丁重に言われた、それはそういう皇民党事件の印象を受けた、こういうこともおっしゃっておりますけれども、そんな私は生易しいというか、甘いものではなかった。やはりこのときは相当、もちろん自信はおありになったと思いますが、総裁選は、中曽根路線を継承する、あるいはまた平和研の問題もある、また経世会は多数を持っている、いろんなことで自信はおありになったかとは思いますが、やはり片方によって、こういう皇民党のいわゆる街宣活動によって相当の影響を受けたことは事実です。そうでなかったらあんなたくさんの代議士の方が一生懸命あなたのために行くわけないわけで、それは後でわかった、あなたが知った知らぬは別として。ということは、やはり相当この総裁選、特に大変な状況であったかと思うのですよ。  その中で、こういうときに、しかも渡邉社長は、ただここだけの問題ではなくて、竹下内閣成立は私が一番功労者だ、あのときの証人の困った顔、皆さんのことを考えたらこれは何かやらなければいかぬと思ったと言っておるわけでしょう。  こういうことを考えますと、やはり私は、今証人が言われたようなすっとした日程で、長谷川参議院議員から電話があって、はいわかった、行こう。もちろん行くことを決めておられたにせよ、どうもつじつまが合わなくなってくる。そこにあなたの証言の中に事実と違う点があるのではないか、こう疑わざるを得ないわけなんですが、その 点いかがですか、重ねて聞きますけれども。
  320. 竹下登

    竹下証人 いわゆる渡邉証言というものを前提として、これを正しいものとして私の証言とが異なっておる、だから疑惑はますます深くなる、この立論は、私は最近つくづくと思うのでございますが、やはりその辺は公正な判断をしていただきたいものだなと思います。しかし、渡邉さんは今裁判を受けておられる身でございますので、私が勝手に自分で評論する立場はとるべきでないというふうに思っております。  しかし、私自身はいかに平素おとなしい——まあおとなしいは取り消します。自制心が自分でも強いと思っておりますが、しかし、立候補表明をした当日でございまして、その前、同僚のパーティーでまた大演説をした後でございますので、私自身がまさに自身をなくして弱気になってしまうというのは、お互い選挙を体験しておる者としての常識からいえば、理解していただけるんじゃないか、そういうことにはならぬというふうに理解していただけるものではなかろうか、このようにお願いをしたいというふうに思います。
  321. 矢追秀彦

    矢追委員 重ねてもう一つ申し上げますが、私は、渡邉調書が真実を言う立場証人の言い分というのが疑惑が深まるということに対して今おっしゃいましたが、いろんな時間とか細かいことは、それは人間ですから間違うことはあると思いますが、雰囲気といいますか、そういったものは幾らどういう方であっても、しかも渡邉社長というのはそれなりの方ですから、相当の、なかなかの才覚のある人だと思います。ある面では相当ダーティーな人でもあると思いますけれども、あれだけのことをしてきた、相当しっかりした人だと思うのですよね。だから、そううそばっかり言うわけじゃない。  しかも、六月二十日の渡邉調書では、今も申し上げたようにこう言っているんですよ。十月五日から六日にかけて竹下先生の困り切った様子や、金丸先生の説得の態度や、小沢先生のろうばいぶりを見ると、皇民党問題を解決しなければ成立、これは竹下内閣成立てす、あり得ない雰囲気だった、こう言っているわけですよね。  だから相当、今確かに大演説をぶった後で意気揚々としておったとおっしゃいますけれども、また反面、一応二日に皇民党街宣活動をやめた。しかしそれは田中邸訪問という条件があった。それを証人は行かなかった。再び怒ってまたやるぞと、やはりそれにはおびえられたんじゃないでしょうか。  そこで、こういういろいろなやりとり等があって最終的に長谷川参議院議員が入り口で会う、こういうことで六日の朝の八時に証人は田中邸を訪問される。こういうことにならないと、ちょっとおかしいと思うんです。完全に渡邉調書がひっくり返ってしまうんですよね、証人のことを信ずると。  だからやはり、仮に少しは違うことがあっても、この雰囲気といいますか、こういうものは相当、渡邉社長、あるいは金丸前代議士、あるいは小沢一郎代議士、また青木秘書、また中尾宏さん、こういったところにはかなりあったんじゃないか、もちろんそれを証人は随分感じておられた、こう私は思わざるを得ない。その点重ねて聞きますが、いかがですか。
  322. 竹下登

    竹下証人 多くの同僚の皆さん方が、私からいえば善意の第三者として御心配をしていただいたことについては、当時も今も感謝をいたしております。  ただ、渡邉さんは今、裁判そのものの身でございますので、その調書と裁判との関係がどのようになっていくかは私にはわかりませんけれども、軽々私が感想を述べることは差し控えるべきだというふうに思いますが、しかし私自身、これは矢追先生わかっていただけるんじゃないかと思います。お互い政治家が、千万といえども我行かんというような演説をした後、急にしょぼっとなって、もうなれないというようなことには、私は現実問題としてそんなことはないではなかろうか、このように思います。矢追先生も長い国会議員です。私も長うございますが、まあその辺は一番御理解いただける立場にあるんじゃないか、このような感じすらいたすわけであります。
  323. 矢追秀彦

    矢追委員 しかし、人間というのはいろいろありますので、私は証人は相当の、これだけの、三回の証人喚問を受けられて、「おしん竹下」とよく言われましたけれども、本当にそういった点では私は大したものだと思いますし、そういう人ですから、片方においてそういう不安を持っていても私は堂々たる演説をやられる方ではないかと思うわけでございますが、もう時間も余りありませんので、金屏風事件でございますが、証人は先ほど来もおっしゃっておりましたが、事実は明らかにできなかった、こうおっしゃいますが、簡単に詰めて聞きますが、一つは青木伊平秘書とそれから伊坂氏との例の松山という料亭での会談、これは四名出席していますね。福本、それから桜井という両氏が。そのときの青木ノート、大学ノートと言われるもの、これはきのうも、証人、公判で出ておりますけれども、この中にびっしりといろんな資料があった。  私は、証人が大蔵大臣でございましたから、当時の平和相銀の内紛、あるいは大蔵省の決算承認銀行になっていたこと、さらにもう一つは佐藤茂氏が株を譲渡されたこと、この辺は知り得る立場にあった。しかも、秘書である青木伊平氏が、大蔵大臣という政府の閣僚の秘書としては、私は、越権行為としていろんな資料を持ってしまっておったのではないか。これはちょっとまずいのではないか。それを伊坂氏にある程度示すようなことをして、そして伊坂氏は信用して、そして自主再建の方で何とか頼む、そこにお金が流れた、流れないという問題が出てくるわけです。  もう一つは、佐藤茂氏と、もう時間がありませんから、証人はかなり佐藤茂氏はよく前から御存じですね。しかも、佐藤茂氏というのはどういう人かといいますと、これが実は佐川急便と絡むわけでございまして、この佐藤茂氏が例の岩間カントリーを石井会長、庄司社長に紹介をして、渡邉社長の方から債務保証を取りつけて五億五千万の融資をもらって、そしてあれを購入する。こういうことで、片方における佐川急便との接点もある。相当なこれも人物だと思いますが、この人が株を買った。この買い方にもいろいろ問題がある。  最終的には住友と合併になった。これも大蔵大臣のときでございますから、そこに何か青木伊平氏を介して、伊坂氏はだまされたと怒る。しかし大蔵省としては合併の方を進めた。そこの上に大臣がおられたんですから、何にも知らないというわけにはいかない。三億円の問題はこれは別です。あなたは恐らく否定されるでしょう。これはメモだけですから、これはわからないといえばわからないかもわかりません。しかし、この合併問題といろんな問題については相当知り得る立場にあったし、しかも当時の銀行局長や事務次官等がいろんな会談とか接触をしていることもわかっておりますし、そういった点では、これは全然その事実を明らかにすることはできませんでしたと、こう言い切るのは私はちょっとまずいんじゃないか、こう思う次第でございます。  こういった問題もございます。また馬毛島の問題等ある。また、あなたはリクルートにも関与された。したがってここで、あなたは今議員をやめたならば自民党総裁選に皇民党、右翼が絡んだことを裏づけるからだめだ、こうおっしゃいますけれども、私はそうではなくて逆に、国会の権威を高め、今政治改革が問われているこのときに、私は、証人が潔く結果責任をとって辞職されることを強く勧告をして、私の質問を終わります。  答弁、簡単にお願いします。
  324. 竹下登

    竹下証人 矢追さんの私に対するこの勧告、御要請、それはそれなりに私としては矢追さんの考え方として受けとめました。しかし、私自身は、いわば自由民主党総裁選挙に当たって、一政治結社そしてそれに対する暴力団、これが関与して政権が誕生したということはないという事実を、あらゆる機会を通じて、国内はもちろんのこと世界 に対しても明らかにしていくことで自分の責任をとろうという考え方でございます。  また、青木氏が大学ノートを持っておったというのは、彼はいろいろな処理に対してはいつも大学ノートを持っておりました、それはかなりきちょうめんな人材でございましたので。いわゆる職務上大蔵大臣として知り得た秘密を、いわば公設秘書でもない青木氏に私がこれを知らしめるというようなことはございません。  それから、今先生からもお話がありました、決算承認銀行という話がございましたが、そういう言ってみれば検査対象になっておるところに何かそれ以前に便宜を図ろうということは、これは常識で考えてもあり得ないことではなかろうか。  少しお答えが長くなりましたことをおわびを申し上げます。
  325. 矢追秀彦

    矢追委員 終わります。
  326. 粕谷茂

    粕谷委員長 これにて矢追君の発言は終了いたしました。  次に、正森成二君。
  327. 正森成二

    ○正森委員 あなたは昨年十二月七日の参議院予算委員会証言で、一九八七年十月五日のプリンスホテルでの会合について、渡邉さんが「非常に丁寧なお話で」「その中に街頭演説中止の条件ではないかという印象を持ったことも既に証言申し上げましたように事実でございます。」これは参議院の方で認めています。衆議院でまず私に対してそういう意味のことを認められました。  その後で、葛藤があったと証言したことについて説明を行われて、字引を引用した上で、「行くべきだ、行かなきゃならない、それをどういう日程に設定するかというまず第一義的なものにそれが条件ととられる誤解を生じやしないかなという付随したものが私の葛藤という言葉になったとここう証言しておられます。  私も念のために広辞苑を引いてみましたら、「心の中に、それぞれ違った方向あるいは相反する方向の力があって、その選択に迷う状態」「もつれ」というようになっています。  すなわち、葛藤があったということをあなたが衆議院証言され、参議院でも、適切ではなかったという表現もありましたが、それを一応維持されて説明までしているということは、右翼の街頭宣伝中止の条件であるということを渡邉の丁寧な話の中で知ったからこそ葛藤が生じたんじゃないんですか。そうでなきゃ葛藤なんか生じるわけがないんじゃないですか。
  328. 竹下登

    竹下証人 葛藤ということについての正森先生の「選択に迷う」ということは、あるいはその方が正しいのかなと、今聞きながらそう思いました。が、それは別といたしまして、非常に丁寧なお話でございますから、何か、そういうことが何かの条件というようなことにとられることは、何といいますか、嫌だなとでも申しましょうか、そういう気持ちがあったという意味のことは、やはりこれは重ねてお認めすべきであるというふうに思います。
  329. 正森成二

    ○正森委員 今御証言があったのですが、そういうぐあいに受けとめられると嫌だなという気持ちがあった、それでそういう葛藤という言葉に出たんだということですが、そうだとすると、渡邉氏と、今までの証言によりますと、主にお話をされたのはあなたである。小沢さんも金丸さんも別のいろいろなことがございましたのでね。  そうだとするとそのお話の中に、あなたは参議院で「丁寧な丁寧なお話の中でそんな印象を受けた」とか繰り返し言っておられて、初めのうちは「丁寧な言葉」というふうに言っておられたんですが、その後、「丁寧な丁寧なお話」でと、こうなっているんです。  だから、その「丁寧な丁寧なお話」というのは、なぜ田中邸訪問があす必要なのかということを渡邉氏なりにあなたに御理解いただくようにお話をするということ以外に「丁寧なお話」の内容はあり得ないんですね。  もちろんあなたは気分が高揚しておりましたから、千万人といえども我行かんとか、そういう演説をしてきたんだという話もそれはなさったでしょう。しかし、肝心の演説でも一時間なさったわけじゃないんですからね。その報告が一時間かかるわけがないんで、大部分は、なぜ行かなきゃならないかということだったんじゃないんですか。
  330. 竹下登

    竹下証人 丁寧な丁寧な言葉を丁寧な丁寧な話と申しましたが、大体私の答弁等は時に丁寧過ぎる点もございますのでその点は御容赦いただくといたしまして、私自身は、本当に丁寧なお話であればあっただけに、何か、それが何かの条件ではないかという印象を抱いたということはこれは事実でございます。これ以上なかなか、正森先生のような適切な言葉が浮かんでまいりません。
  331. 正森成二

    ○正森委員 ずばり言いますと、十月五日のあなたには葛藤が二つあったんじゃないんですか。一つは、田中邸に行かねばならない、これはもう決まっているんですね、しかし街宣活動中止の条件と外部にとられる、あるいは知られては困るという懸念、葛藤。もう一つは、田中家から門前払いを受けて総裁候補としてのあなたのメンツがなくなりはしないかという懸念、葛藤。だからこそ、本当の最後の決断をしたのは、参議院証言でも、長谷川さんから翌日の午前二時に連絡があった、そのときに決断した。  つまり、長谷川氏が行けば、田中氏側ともいいから、門前で持ち受けておって、あなたがたとえ三十秒でもお話をすれば、それを取り次いで田中家に通じるという格好がとれるし、また事実そうなりましたから、報道陣に、門前払いを受けるというそういう懸念がなくなるということで、あなたの葛藤や懸念というのは二つあって、初めの方の葛藤は行かにゃしょうがないなということで割り切ったが、後の方のことが午前二時についたので、いよいよ決断した。これがあなたの、別にあなたに成りかわったわけじゃないですけれども、お気持ちじゃないですか。
  332. 竹下登

    竹下証人 今のお話でございますが、要するに、六日、中曽根当時総裁よりも前の時間に行こうと決断したのは、まさに長谷川信先生のお電話があったからでございます。私は実は割に前後を気にします。だから、少なくとも現総裁が前だなという感じを持っておったわけでございますので、その点はまさに長谷川さんのお電話でお話をした。しかしそのとき、門前払い食ったらぶざまだなというようなものは、今正森先生おっしゃった三つ目の葛藤というのはちょっと私も今指摘されてみて、いや、しかしそれはなかったな。それで、読唇術というのは、御存じのようにそれでもって私がどういうことをあのときに言っておるかということもその後解明してみましたが、やはりそうかと、お会いできないならばよろしくお伝えをしてくれ、こういうことを申しておりまして、時間も四十五秒だそうでございます。
  333. 正森成二

    ○正森委員 それでは次の問題に移ります。  あなたは、衆議院で一たん十月二十九日に吉兆に行ったという可能性を否定した上で、その後の新聞報道や当時の新聞に十月二十九日吉兆に行っていることが公表されているので、訂正書といいますか訂正願をお出しになりまして、参議院証言を訂正された。また、会合の設定や支払いも竹下事務所で行っていることをお認めになりました。  当時の新聞を見てみますと、あなたは十月二十九日に吉兆で財界人の加藤幹夫氏らと会合をしておられますね。それは事実ですか。
  334. 竹下登

    竹下証人 加藤幹夫氏もその後亡くなられましたが、事実でございます。
  335. 正森成二

    ○正森委員 事実とお認めになりましたが、あなたは、参議院で同様二十九日につきましては、「私が定例の後援会のお方にお礼を申し上げるという状態の会合でありましてこというように表現しておられます。そこで、私が調べてみましたが、この財界人の定例の後援会というのは竹前会という会ではありませんか。
  336. 竹下登

    竹下証人 そのとおりでございます。
  337. 正森成二

    ○正森委員 そのとおりだとお認めになりました。  ここに私は時事通信社がつくりました「竹下総 理「全データ」」というのを持ってまいりました。この「全データ」の中には竹萌会のことが載っております。竹萌会というのは、これは加藤辧三郎さんなどが中心でおつくりになりました。島根の同郷人だそうであります。それで、大体奇数月に東京の築地の新喜楽で定例の会を開くことになっています。どうして奇数月でなく偶数月なのに、もう三日か四日すれば十一月になるのに開いて、しかもそれをいつもの新喜楽でなく吉兆で開いたんですか。  それは説明が余りつかないんで、本当は渡邉さんに会うということをあなたの事務所はセットされたんだけれども、それは公にすることができない。だから、総理や要人がよくやる外に公表してもいい財界人の会合をお願いして、新喜楽でなくて吉兆で開いていただいて、そしてこっちからこっちへ行って、本当の渡邉さんへのお礼がわからないようにする、そういうぐあいにあなたは意図的にやったんじゃないんですか。
  338. 竹下登

    竹下証人 竹萌会という会は今でも続いておりますが、大部分は今お説のとおりこの新喜楽でございます。ただ、吉兆でも時々やっております。  この場合は、確かに総裁になるという、総裁予定者になった時期でございますだけに、三十一日が党大会でございますから、その前でございますから、やはり私は、その加藤さんなどがまあお祝いのつもりで集まったらと、じゃあ、いや私の方でお礼のつもりでお集まりください、こんなやりとりの中に設定したというふうに思っておりますから、そこからかご抜けしてもう一つの会合をやろうというほど私も愚かではないと思っております。
  339. 正森成二

    ○正森委員 金屏風についても伺おうと思いましたが、時間がなくなりましたので、一言お聞きしたいと思います。  あなたは、一方では、青木秘書らの死に関連して「万死に値する」とも述べながら、他方、辞任すれば日本の総理・総裁選出に暴力団が関与していることを認めることになるから認められない、これの誤解を解き真実を解明することによってみずからの責めを果たしたい、こういうように繰り返し言っておられます。しかしこれは、言は壮とすべきかもしれませんが、実は、ロッキード事件で起訴され、一、二審とも有罪となり実刑判決を受けた田中角栄被告の言い分と全く同じなんですね。  私は調べてみました。田中角栄氏は、昭和五十二年の一月に裁判所で最初の冒頭の意見陳述をしておられます。その中でこう言っています。   起訴事実の有無にかかわらず、いやしくも総理大臣在職中の汚職の容疑で逮捕、拘禁せられ、しかも起訴に至ったということは、それだけで総理大臣の栄誉を汚し、日本国の名誉を損なったこととなり、万死に値するものと考えました。(中略)  このような意味において、国民に深くおわびし、自ら政界から身を引くことによってすべてが落着し、それが日本国家のためになるのであれば深くそうしたいと考えたこともありました。しかし、この事件はそれだけで済む問題ではなく、むしろ法の正当な手続によって真実を明らかにし、総理大臣であった私に違法な行為がなかったことを裁判所の法廷を通じて証明することによって、新憲法における内閣総理大臣の名誉と権威を守り通さなければならない。と、こう言っています。  「万死に値する」という表現といい、やめるわけにはいかぬと、これから真実を明らかにするのが私の任務だなんて言っていることも全部そっくりじゃないですか。そうすると、裁判所で一審も二審も有罪になったってやはりやめないと言うことだってでき得るわけなんで、これはあなたとしては客観的にいろいろなことが出てまいりましたが、政治家として、あるいは、あなたも総理をなさったから国土であります。ですから、国民の前に責任をとるのが私は今の段階では正当だと思いますが、重ねて伺って、時間になりましたので私の質問を終わります。
  340. 竹下登

    竹下証人 私は、今正森先生からも追及されておりますのはいわば政治的道義的責任と。裁判が私にはございません。しかし私は、それは先生とはいわば意見を異にしておりますよと、こう申しておるわけでございます。  そして、「万死に値する」という言葉につきましては、ちょうどお隣にお座りになりました中野先生から、あなたの生きざまの中にいろんな人が犠牲になったりしておると、そういう私の人生の生きざまに対しての、これを前提としたお尋ねでございましたので、その前提から考えれば、これは「万死に値する」と申し上げるのが私としてのお答えの道であろうと思ってあえて選んだ言葉でございます。
  341. 正森成二

    ○正森委員 終わります。
  342. 粕谷茂

    粕谷委員長 これにて正森君の発言は終了いたしました。  次に、中野寛成君。
  343. 中野寛成

    ○中野委員 お尋ねをいたします。  先日、平和相銀に関連した裁判において伊坂証言なるものが行われました。この当時、証人は大蔵大臣をしておられたわけであります。この伊坂証言の中で出てまいりますことで、この伊坂氏が自主再建を目指していろいろ努力をしている、そしてまた、その経過の中で金屏風の話が出た、その話について東京青山の真部氏の店でこの真部氏から佐藤十五、竹下三、伊坂一などと書かれたメモを見せられ、金屏風を四十億円で買ってくれれば云々の中でこれが二十億円の内訳であるという説明を受けたとされております。  この証言だけでは、結果的にこの佐藤十五、竹下三、伊坂一なるものが実行されたかどうかはこの証言では実はわかりませんでした。しかしながら、そういう背景があったことが証言をされました。そしてそれ以外に、たびたびこの伊坂氏は証人の秘書であった青木伊平氏に接触をし、たびたび電話を重ねたと、こうなっておりますし、当然、会いましたときに青木氏は、佐藤氏から株を取得したことや伊坂氏と会っていることも聞いて知っているなどと答えたと、これに対して、竹下さんによろしくお伝えくださいと言って別れたと、こういう証言がなされているわけであります。  当然このときに、これらの内容の詳しい証言を聞けば聞くほど、この青木氏と、青木秘書とこの伊坂氏が会ったこと、電話連絡をとったこと等々は決してつくり話とは思えない。彼もやはり被告の身でもありますが、宣誓をした証人としての証言をしているわけでありますから。そういうことを考え合わせますと、青木氏があなたに報告をしておったかどうかは別にいたしまして、こういう事実があったであろうということは想定されるわけでありますが、どうお考えでしょうか。
  344. 竹下登

    竹下証人 今のお話でございますが、最終的には、私は、参議院予算委員会と決算委員会お話がありましたその直後だったと思いますが、青木氏にお話ししたことがございます。そのときにその会った事実を申しておりましたから、会ったという事実は、私はそのとおりだと思います。  それから、電話が何回かかったとかいうことはわかりませんが、今もおっしゃったように、被告の身であられる、裁判受けている方のことでございますけれども、直通電話の番号も聞いたというような証言があったようでございますが、私もきのう聞いてみますと、竹下事務所には直通電話というのはございませんでした。私のところの普通の電話ではなかったかというふうに思いますが、最後のところの、会った事実があるかということについては、会った事実を私も聞いたことがあるというふうにお答えすべきだと思います。
  345. 中野寛成

    ○中野委員 大蔵大臣として、金融機関の合併だとかそういうものについては、しかもかなりの大手でございますから、大蔵大臣も当然報告を受けておられたであろうし、そしてまた大蔵大臣として、いわゆる自主再建がいいのか合併がいいのか、そういうことについての、いわゆる金融機関のあり方についての所見も当時当然お持ちであったろうと思いますが、その段階ではどういうお考 えだったですか。
  346. 竹下登

    竹下証人 これは、最終的にはこれは私の責任になるわけでございますが、私は大蔵大臣をやめます前でございましたから六月でございますか、双方の頭取と社長がお見えになって合併の報告を受けたのは私でございます。そしてまた、金融問題については、信用秩序の維持と預金者の保護、これをいつも念頭に置いておくわけでございますけれども、私自身が完全な専門家とはどうしても言えませんので、この問題につきまして、私自身が、かくあるべきだという結論を指示したということではなかった。やはり、だんだん積み上げたもので結構ですというふうに申したというのが偽らざる事実ではなかろうかた、このように思っております。
  347. 中野寛成

    ○中野委員 積み上げ、まあそういう意味では、ただいまの表現を、御答弁を聞いておりますと、証言を聞いておりますと、竹下さんらしいなと思えなくもありません。  しかしながら、この裁判の経緯等を聞いておりますと、大蔵省OBがそれぞれの銀行等にも関与し、役員をしたりしているわけでありますし、大蔵省がそれなりの指針を持って関与したであろうことは、これはもう当然だろうと思うのであります。また、それが仕事でもあると思うのです。私は、それが悪いとは思わないんですが、しかし一つの方式や、調査等をしながら行動を、一つの結論を見出していく、その中でやはり大蔵大臣にも報告があったであろうし、またそのことを期待するがためにあなたの秘書である青木氏への接触というものも当然伊坂氏などからあった、また青木氏も期待を持たせるよう言動が当然あったからこそ接触が電話も含めて続いたと見るべきであると思うのであります。そういう意味では、私は、この一連のものはある意味では壮大な詐欺事件なのかなとも思います。その一翼を青木秘書が担わされた、もしくは利用されたということがあるかもしれません。  しかし、いずれにいたしましても、そういうことにしばしば関与しやすい体質というものが竹下事務所にあってこの事件が起こったと私は見ざるを得ない。前回の証人喚問のときにも、今おっしゃられた、その「万死に値する」とおっしゃられたその前に、竹下さん御本人の政治的な体質というものがこういうものを生み出すと言いましたが、私は、これもその一翼だったのではないかという気がするわけであります。青木氏の行動もそれを受けての行動だったんだ、こう思うわけでありまして、青木氏がとった行動に対して、これは秘書のとった行動というのは、これは議員はやはり責任を持たざるを得ません。そういう意味での証人のお考えをお聞きしたいと思います。
  348. 竹下登

    竹下証人 確かに、私も大蔵大臣長いことやりました。で、金融、いわゆるこの預金者保護と金融秩序という問題を絶えず考えますから、検査等におきましても信頼関係がないといかぬから、それに捜査権があるわけじゃございませんから、大変苦労しながら銀行の、ある意味においては監督というものはやってきております。そういうさなかで、人材がおるということもございましょうが、いわゆる今おっしゃった天下りみたいな感じでOBの方がそれぞれのポストにいらっしゃっておるケースはたくさんございます。やはり信用秩序の維持ということからして、これは自然にそうなってきたものじゃないかなというふうに思います。これが一つでございます。  それから次の、私の体質についてお触れになりますと、これは一番私としては本当にいても立ってもおられぬぐらいな気持ちでございます。それが、今の問題は別としまして、いわば死につながるとか言われますと、後から読めば、私に対する偉大なる侮辱ともとれないことはないのです。しかし、それには耐えていかなきゃならぬし、だから今の、竹下さんらしい体質の中で竹下事務所がそういうことに介入する体質があったんじゃないかと。これは本当に、私なりに言わしてもらえば、いろんな人から頼まれたことをノーと言えないという体質がむしろあり過ぎたんじゃないか、私はそう思っておるんです。何かありそうだから、じゃあこれに溶け込んでいくかということじゃなく、頼まれたことに対しては親切に対応するというのがむしろ体質であるというふうにしていただげれば、私の気持ちも幾らか和むというのが、何分長い間信頼関係にあった方でございますので、そういうふうに理解していただきたいものだなと思います。  そして長くなって申しわけありませんが、参議院予算委員会そして決算委員会のときも、この問題は、大きな特別背任があるいは詐欺事件か、その辺をついてこられたという実績も残っておりますので、私自身にも、そのときのこの質疑を今思い出さしていただいて、そういう懸念も持ったことは事実でございます。
  349. 中野寛成

    ○中野委員 体質論は基本的な問題ですからこれ以上論じませんが、もう一つ、六十二年十月五日のホテルにおける会談のことについてお尋ねをいたしますが、けさほどの小沢証人証言等ともあわせて考えますと、その日は小沢氏と青木氏が別室に控え、竹下渡邉金丸三氏が話をしておられた。金丸証言に従えば、そのうち金丸氏は、その前のパーティーで酩酊をしており、引き続いて水割りを飲んでおった。竹下証人は、その同じ時間帯に経済界の方々との懇談があったが、それを延ばしてもらってあえてこの会談に臨んだ。ここまで今までのを全部並べますとそういうことになりますね。約一時間と言われておりますね。そうすると、結局実質上、竹下氏、証人が経済界の方々との会合まで延ばして一運送会社の社長に会い、そしてここで、まあ幾ら気分が高揚しておってその人たちとどういう話をされたかわかりませんけれども、いずれにせよ約一時間、丁寧に丁寧にお話をされたわけですね。  ということになりますと、当然これはかなり突っ込んで皇民党対策及び翌日の田中邸訪問の段取りに至るまで話した、また、そうでなければ長谷川氏との連絡をとることにもつながらなかった、こう思うのは当然であろうと思うのであります。まして、この顔ぶれからして、この会談をセットしたのは青木氏以外に考えられませんね。そう考えますと、これは明らかに竹下事務所の問題であり、そしてまた、証人を中心とした工作であった、こう考えざるを得ないのでありまして、このことについて、私はその丁寧な言葉ではなくて、丁寧に話し込んだ中身をこそ国民の前に明らかにすべきだと思うんですが、いかがでしょうか。
  350. 竹下登

    竹下証人 いつもお話ししますように、大変丁寧なお話であったということは今でも明快に覚えておりますが、その一つ一つの言葉につきましていわゆるQアンドAのような形で整理整とんすることは、私自身には難しい問題だというふうに思います。  ただ、今おっしゃった論理は、私は論理として、高揚したからいろいろな話もしたでございましょう。そしてそれに相づちも打たれたかもしれません。が、しかし、その話自身は大変丁寧なお話であったという印象だけは強く残っております。  これ以上のお答えのしようは、ちょっと工夫してみないと、今とっさに出てまいりません。
  351. 中野寛成

    ○中野委員 終わります。
  352. 粕谷茂

    粕谷委員長 これにて中野君の発言は終了いたしました。  以上をもちまして竹下証人に対する尋問は終了いたしました。  証人には、御苦労さまでございました。どうぞ御退席くださって結構でございます。     —————————————
  353. 粕谷茂

    粕谷委員長 この際、御報告いたします。  明十八日出頭を求めておりました佐川清君から、去る十五日、櫻内議長あてに、医師の診断書を添えて、書面をもって病気のため出頭できない旨の申し出があり、議長より委員長に通知がありました。  この際、診断書を朗読いたします。     診 断 書          住所 京都府京都市左京区             南禅寺下河原町五三          氏名  佐 川   清           大正一一年三月一六日生  病名 気管支喘息・肺気腫・慢性気管支炎     糖尿病・高尿酸血症    付記 頭書病名により現在当院にて安静加    療中につき外出・出張および臨床尋問等    種々の精神的・肉体的負荷は当分の間不適    当と判断する。詳細に関しては別紙診断書    を参照の事。   上記の通り診断する    平成五年二月一三日         金沢市田中町は一六番地          金沢循環器病院内科             医師 竹越  襄 右のとおりでありまして、佐川証人の不出頭の件につきましては、引き続き理事会において協議することにいたします。     —————————————
  354. 粕谷茂

    粕谷委員長 次に、平成五年度総予算の公聴会の件について申し上げます。  公述人の選定につきましては、さきに委員長に御一任いただいておりましたが、本日の理事会において協議いたしました結果、お手元に配付いたしました名簿のとおり決定いたしましたので、御報告いたします。     —————————————    予算委員会公述人名簿一、意見を聞く問題 平成五年度総予算について  ○二月二十二日(月)    静岡県立大学     中西 輝政君    国際関係学部教授    日本労働組合総連合会 山田 精吾君    事務局長    主婦連合会副会長   和田 正江君    立教大学教授     和田 八束君    京都大学経済学部教授 吉田 和男君    四日市大学教授長   谷田 彰彦君  ○二月二十三日(火)    秩父セメント株式会  諸井  虔君    ジャーナリスト    前田 哲男君    慶応義塾大学経済学  島田 晴雄君    教授    全国商工団体連合会  菱  健蔵君    会長    青山学院大学教授   館 龍一郎君    全国商工会連合会会長 近藤英一郎君     —————————————
  355. 粕谷茂

    粕谷委員長 次回は、公報をもってお知らせすることとし、本日は、これにて散会いたします。    午後三時四分散会