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小沢証人 まず
最初に、第一の御
下問につきまして
お答えをいたします。
渡邉前
社長の
弁護人であります
赤松弁護人とお会いいたしましたのは、たしか二十五日か二十六日、確定できませんが、その晩のことだったと思います。
私は、その
目的も、今もって、その
内容につきましても、なぜ面会しなければならなかったのかわからないのでありますけれども、いずれにいたしましても、
銀座のセゾン、
ホテル西洋に参りまして、そこで
赤松弁護人とお会いいたしました。そこに
小針社長もおられました。また、
生原さんも当然のことながらおられました。しかし、私、ただいま申し上げましたように、どういうことで
赤松弁護人と会えということになったのか、そのときもわかりませんでしたし、
会談した後もよくわからないまま終わっております。
したがいまして、ただいま
委員長の御
下問に、
対応を協議したという表現がございましたけれども、そのような事実は一切ございません。
この五億円の問題につきまして、順を追って御説明さしていただきたいと思います。
たしか
金丸会長の五億円
授受の話が報道されましたのは八月の二十二日のことだったと
記憶いたしておりますが、私はそのとき週末を利用して地方に
仲間の応援に出かけておりました。したがいまして、その日ではなくて、多分月曜日のことだったろうと
記憶いたしておりますけれども、
生原秘書を通じましてこの問題についてどのように
対応していこうかということの
相談がございました。
私はこのように申し上げたと
記憶いたしております。この五億円の
献金の事実について、いつなのか、あったのかなかったのか、その点
そのものについて私は全く知らない、関知しないことなわけですから、
生原さんがその事実
関係は一番よく御存じのはずだと。したがいまして、
生原さんとおやじさんとよく
相談をしていただいて
決断を、
結論を出していただく以外にないと思いますという
趣旨の
対応をいたしたと思っております。
そして、その最終の
結論といいますかをお聞きいたしましたのは、実は
会見の前の日の夕方、たしか二十六日の夕方、私の事務所に
生原さんがお出かけいただいたと
記憶いたしております。ただいま
竹下先生とも三、四時間
話し合いをしてきましたと、
結論といたしまして、あす
会見をして発表いたしたいと思いますと、そういう
お話を、
結論を聞きました。私は、そのように
決断をしたということであるならば、その方向で
お互いに
対応を全力でしていこう、こういうことでその日は別れたわけであります。
会見の
メモにつきましても、
生原氏からこのような
趣旨でということをお聞きいたしましたが、その中に
経世会の
会長を
辞任するという
お話が含まれておりましたので、この
経世会の
会長というのは、我々の
議員の任意のグループ、そしてその総意でもって、みんなで選んだ
会長なんだから、それをお一人で
辞任するということを公にしてもらうことだけは、いかに
会長の御決意であっても困るということを強く申し上げたのを覚えておる次第でございます。
私が、この五億円の問題について二十七日の
会見に至るまでの
経緯は以上のとおりであります。
その間、ただいま御
下問ありました
赤松弁護人との件でございますけれども、先ほど申し上げましたとおり、
ホテル西洋で、二十五日か二十六日の晩だったと思いますけれども、その日突然、
生原さんからだったと思いますが、
会長の命によりまして
赤松弁護人と会うように、こういう話が伝えられました。
私は、どういうことで会うのかわかりませんでしたけれども、
会長からの指示だということでありましたので、わかりましたということで、先ほど申し上げましたように、たしか
一つ会合を終えてからですから七時か八時か九時か、その辺の時間帯だったと思いますけれども、
ホテル西洋に出向きました。
そこには、これまた
先ほど話を申し上げたとおり、
赤松弁護人と
小針氏と
生原氏と三人おられました。私、
小針さんとは何回かお会いしたことがありますけれども、
赤松さんとは全くの初めてでこざいました。まあその
赤松弁護人から話があるということで、二人で話したいということでございました。その
部屋は、たしか二
部屋続きのようなところでありまして、一方の
部屋で
赤松弁護人から私
お話を伺いました。その話の
内容は、
渡邉氏の
弁護人として
赤松弁護人が
渡邉氏の今までのいろいろな
経緯やら
立場やらについて
お話をしておったように
記憶いたしております。具体的なワーディング、
言葉についてはどのようなことを
お話しなさったか
記憶いたしておりませんけれども、私といたしましては、それが
金丸会長の問題と直接関連することではないという
認識でありましたので、具体的に、ただいま申し上げましたように、どのようなことを
お話しなさったかは
記憶にとどめておりません。
趣旨、
意味としてはそのような、ただいま申し上げましたような、
弁護人として
渡邉さんの
立場を
お話しなさっておったというふうに
記憶いたしております。したがって、
金丸会長にもたしか特別何もありませんでしたというたぐいの報告をしたように
記憶をいたしております。御
下問の
赤松弁護人との件につきましては、ただいま申し上げましたような経過と
内容でございます。
それから、第二点の
東京プリンスでの
会合の点でございます。
この点につきましても、ただいま
委員長のお
言葉の中に、どのような
経緯で、どのような
目的で、そして
会談の
内容はどうであったのかというような御
趣旨だったと思いますけれども、私は、
結論的に申し上げますと、どのような
経緯でこの
会談がセットされたのか、あるいはどういう
目的で行われたのか、そしてその
会談でどのような話がなされたのか、私は全く存じ上げません。知っ
ておりません。
また、今
お話の中に
同席という
言葉がございましたけれども、
言葉づらを取り上げるわけではありませんが、
同席ということが一緒に隣に座ってあるいはそばに座って話をしたあるいは聞いておったという
意味で使われたとするならば、私は
同席をいたしておりません。それが
結論でございますけれども、この点につきましても若干説明をさしていただきたいと思います。
まず、当時の
皇民党の
街宣活動でございますけれども、基本的な
認識といたしまして、私は、このような
街宣活動、
妨害活動、これは全く
関心を持つことなく、無視してほうっておくべきだという
意見を持っておりました。幾らこの
街宣活動が行われようとも、
総裁選挙に何らの影響があるわけではない。当時、我々
経世会は既に
自民党内におきまして第一
派閥の人数を擁しておりました。私はその当時から、次の
総裁選びは、
民主主義のルールにのっとって、
自由民主党の党則に従って
公選すべしという
議論をいたしておりました。
公選になれば必ず
竹下総裁は実現する、必ず勝つと私は信じておりましたから、そういう背景的な
意味合いにおきましても、私は、また私
自身の
考え方からいきましても、このようなものに対して全く無視していくべきだというふうな
意見を折に触れて申し上げておりました。したがって、私
自身も全くその
内容につきましては
関心もないし、何も知っておりません。それが第一点でございます。
それから第二点は、これは
皆様も
総裁公選の際の
自由民主党の状況を思い浮かべていただけばおわかりと思いますが、当時はまさに
総裁選挙直前でございました。
竹下先生はその最
有力候補だったわけでありますけれども、
候補者としてあちこちを遊説したりあるいは出かけて歩く場合には、これはみな同じ光景がいつも見られますけれども、だれかかれか、ふだんのときとは違って、
国会議員が順繰りに都合のつく
順番で付き添っていったわけでございます。これはそのときもそのようなことでありまして、私がその日には
竹下総裁候補のお供をして、
順番として付き添っていたということでございます。
それから、よく
金丸、
竹下、
小沢ということで、その間柄で知らないはずがないではないかといったぐいの
お話いただくことありますけれども、
金竹小などという
言葉はマスコミがつくり出した
ごろ合わせの単なる
言葉でありまして、私にとりましては
金丸先生、
竹下先生は大先輩であり、しかも我々
仲間の
会長の
先生であります。私はその
会長のもとでの一会員でありまして、この
立場を混同するような
言動をとったことは私はありません。そういう
意味におきましても、私はそのような、特に当時は、今世間で俗に言われているような形の中で私が日常いたわけではないということであります。
それからもう一点、四点目は、私はその当時、
渡邉さんという方がどういう方なのか、どのような職業でどんなお人柄の人なのか全く存じ上げませんでした。見たことも聞いたこともありませんでした。したがいまして、その場におきましても、付き添いの人間という
立場と同時に、全くの知らない人でありますから
名刺交換さえしなかったと思いますけれども、そのときは、その場に
渡邉社長さんという方がいること自体私は
認識をいたしておりませんでした。それから、最後になりますけれども、それから三週間以上過ぎてからでしょうか、十月の下旬に、吉兆ですか、料亭におきまして御礼の会があったというふうに言われておるようでございますけれども、そのときの
メンバーも、皆さんももう御案内のとおり、顔をそろえましたのは、
金丸先生、
竹下先生、
渡邉さん、それから
青木伊平さんと、全く私を除いては
赤坂プリンスと同じ顔ぶれであります。私が本当にいろいろな
意味で
相談をし、あるいは
話し合いをした
メンバーであるならば、その場にも私が呼ばれてしかるべきだと思います。少なくとも私に何らかの
声がけぐらいあっても当然いいのではないかと私は思います、思っておりますけれども、その
会合あったことすら私はずっと知らずにおりました。
今五つばかり申し上げましたけれども、そういうようなことを
委員の
皆様もお
考えいただきますならば、私の
最初に申し上げました
結論おわかりいただけることと思います。私は、したがいまして、御
下問の
結論を繰り返しますれば、その
会談がセットされた
経緯も、また
目的も、そしてどのようなことが話し合われたのかも一切わかっておりません。
以上でございます。