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柳沢委員 新
農政も、我々特に
政権与党でございますから、その編成の過程というものについてはこれは
責任がなしとは言えないので、以下は私の
自省自戒、
反省を含めての話になるわけですけれ
ども、例えば今の話の
関連でいいますと、今度の新
農政の
理念というか目標は何だというと、私の記憶です、今ちょっとここにメモしたので正確な
言葉ではないと思うのですが、例えば
産業としての
農業の確立とか
環境保全型の
農業、こういうふうに言うわけですね。そうすると、これは
農業の中に閉じこもってその
理念を考えている、やはりそういう色彩は否定できないと思うのです。もっと
国家とか
国民の中において
農業というのはこう位置づけるのだというような、どうもそういう
言葉でない。これは今私、気がつきましたので、もうちょっとこの
あたりも、もっと
国民とともにある
農業ということで考えていかなければいかぬという、これは
反省です。
と同時に、中身についてもいささかの
反省がある。
反省があるというよりも、
大臣の
所信表明にもありますように、今後はこの新
農政の
方向を段階的かつ着実に具体化していくというわけですから、今すべてをやり切ったと言っているわけじゃありませんから、今後これを段階的に実現する場合に我々がよく考えていけばいいことなんですが、
お互いに共通の
認識を確立したいという
気持ちで申し上げますと、例えば、今度一番
トップバッターで出てくるのは
構造政策ですね。
構造政策というのは、
経営主体というものをどういう
人間なり
人間の集団に担わせるかということなのですけれ
ども、前回の当
委員会での
質疑の中でも、
野党の
委員の中から、大
規模化というのはうまくいくとは思わないぞというような御注意があったわけです。
私は話を簡単にする癖があるわけなので簡単にしますと、要するに大
規模化ができるというのは、
農地を手放す側に、手放した方が得だ、あるいは手放さないと損する、こういう
力学が生まれれば手放すわけですね、大体
人間というのはすぐれて経済的な動物だと考えていいわけですから。それからもう
一つ、今度は受け入れる側は、その
お金があるか、どこにそんな
お金があるんだということだろうと思うのですね、後に連なる問題ですが。もう
一つは、大
規模化すればもうかるんですねということがあれば、これは大
規模化していく。もう実に簡単なんですね。
ところが、なぜ
野党の
皆さんが、いや、そういって新しい
構造政策が出てきたけれ
どもなかなか大
規模化あるいは
農地、
農用地の
集積というのは難しいんじゃないかと言うのは、そこの
力学に直接触れたような方策というのをなかなか我々が見出し得ないということに実は原因があるんですね。これはそうなんです。今度の我々が出そうとしている、
政府が御
提案をされるという
構造政策も、実はその
資金の面、
受け入れ側が
農用地の
集積をするには
資金が要るわけだけれ
ども、その
資金はだれが提供してくれるんだということについては、私は、正直言ってかなりいい
政策が打ち得ていると思うのです。しかし、手放す側に、手放さなければ損するぞとか手放した方が得だぞという、そういうインセンティブをつくり上げるような
政策というのは、これはなかなか打てないのです、正直言って。我々も考えるところはあるわけだけれ
ども、それはなかなか打てない。どうするかというと、これはもう
道義的説得ですね。手放す
人たちのところへ
農業委員会の
諸君が一升瓶を提げて夜乗り込んでいくとか、そういうことで道義的な
説得をする、そういうことにならざるを得ない。これを称して
農政当局の
皆さんは、運動によって
集積を図っていくんだ、
制度でなかなか仕組めないんだというようなことを申されているわけなんですが、そのとおり。
しかし、我々はそういうことを考えているときに、
構造政策のときにも、
構造政策の限りで考えますから、どうしても
政策手法というのも
予算とか税制とかあるいは
金融、これで大体済み、こういうふうにやったりするわけなんですが、本当にそれでいいかということを、私はついせんだって
農業災害補償法、つまり
農災法の論議をしているときに、はっと気がついたのです。全くうかつでこれも
反省の種だったのですが、やはり
構造政策を打つときに、大
規模になってくると
リスクも大きいんですね。その大
規模になった
人たちが
失敗してまったのでは、我々の
構造政策はもう本当に悲惨な結果になる、我々の
政策の
失敗になるわけですね。そうなってはいけない。そうなると今度、大
規模化してやる
人たちはやはり今までの小さい
規模のときからすればはるかに大きい
リスクを負うわけですから、そういうものにきちっと手当てをしていく。もっと言ったら、さっき私がちょっと口を滑らした、大
規模にすれば今よりももうかるんだなということに的確にこたえる
価格政策、こういうものがないと、真に体系的なものだということは言えないのですね。ですからそういう
意味で、まさに
大臣がここで触れられているように、総合的、体系的なものでなければいかぬ、我々の
政策というのは。
ところが、これはちょっと付言なんだけれ
ども、どうしても
構造政策というと
構造改善局が仕事をしますから、ほかの局は、それは一生懸命
統合の
努力はしているんだろうけれ
ども、我が身のこととはちょっと考えない
傾向もあるのではないかと思って、これは私
どもが本来やらなければいけないことだけれ
ども、そういう
感じがするので申し上げるのです。
私の地元は
繊維産業が非常に盛んなところですけれ
ども、どういうことかというと、
通産省は
構造改善政策をやったのです。大
規模化して集約化してと、やったのです。そのときにどういうことになったかというと、非常にシニカルな
人たちですが、その
人たちが実は当たりだったのです。あの
通産省の
構造改善政策にのっとって大
規模化したら破産するぞ、やはりおれらは古い、もう
償却済みの織機に頼って、
父ちゃん母ちゃんで一生懸命やった方が倒産は免れるぞ、こういうことでやりました。そちらの方が見事成功なんです。
私は、今度の
農林省、我々
農政の担当者がやる新しい
農政が、こういう結果を招来しては困るのです。しかし、これは実は危険がないとは言えないのです。だから、そういうような危険を付保する、保険をする。あるいは
価格政策というようなものについても、これは非常に難しいですよ、親方日の丸になったのでは本末転倒でありますから難しいのだけれ
ども、そういうものが同時に裏打ちに、
構造政策とともに体系的にすっきりしたものにならぬとこれは成功しない、こういう危険性が私は非常に強いと思うのです。
そういう
意味で、これはまたマンスホルトのところに私は帰ってくるのですけれ
ども、マンスホルトの
政策というのは実に体系的なんですね。
構造政策をやる。集約をし、大
規模化して、そして
価格政策ではそういうような
人たちは、これは
日本の新
農政と同じですが、ちゃんとほかの部門の
人たちと同じ所得が上げられるというような価格でなければなりませんね、
国民の
皆さんはそういう価格であれば少々外国よりも高くてもこれは負担すべきものですよね、こういう
考え方で価格を設定するのです。
価格政策をやるのです。そうして
貿易政策も、輸入に対しては我々は社会構造的にこういう
農業者を守っていかなければなりませんから、その
人たちが競争に負けるような国境措置では困るのですよと言って、しかも為替が変動制になってきましたから、ちゃんと可変課徴金という格好で国境措置をぴしゃっとするということですね。
そういうことで、マンスホルトは、これは
理念型の話をしておったときですから、
輸出補助金というのはおかしいと言うのです。なぜなれば、
自分たちの
国内の取引価格よりも安い値段で外国で流通させてしまおうなんというようなことはあってはならぬ、それは外国の
農業者に対して本来あってはならない不当な負担を与えることになるからやってはならない、こういうことをマンスホルトは言うのですね。これは実にすっきりしている。
そして、先ほ
ども触れました、前回の
委員会で社会党の
皆さんが言っている所得
政策というのはどういうものかというと、所得
政策というのはそういう望ましい
経営者がちゃんとやっていける、そういうものは
価格政策でやるのですよ。しかし、そういう設定された価格ではとてもやっていけない条件不利な
人たちに対しては、それは足らないところは所得
政策でやるのですよ。実に体系的ですっきりした理論構成のもとでの
農業政策が行われているというのが
ヨーロッパの、もちろん現実の力が強いですからその若干の妥協はありながら、
基本理念型というのはこういうものなんですね。
ヨーロッパの
農業政策、私がこのマンスホルトの話から受けとめている
農業政策というのはそこまでかなり体系的なものだということは、これは
お互い知っておかなければいけない、こう思うのですね。
そういう
意味合いで申させていただくわけですけれ
ども、私は、
大臣が体系的なものにしたいというときにはぜひそういうことを考えてやっていかないと、
農林省の
農政にくっついてきた
人たちが、まあ、ほかの省のことを言うわけじゃないけれ
ども、私の地元で
繊維産業で大
規模化して
失敗して、そして小さいところでとどまっていた方がいまだに生き残っている、同じ結果が出てきはしないか、そういうことを心配しているということを申し上げるのです。いかがでしょうか。