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屋山参考人 屋山でございます。
私がきょう申し上げたいのは二点ございまして、
一つは
行政改革との絡みでありますが、私、縁があって
土光臨調以来ずっと
行政改革に携わってきましたけれども、最近非常にむなしくなっております。
といいますのは、小さな
権限を
一つ一つはがしていこうということなんですが、
権限を
一つやめる、小さな
制度を
一つやめるというときに、いわゆる
族議員というのか、
官僚の方は、
族議員が後ろにいるからといって絶対におりないですね。それで、いよいよそれをおろそうと思うと、今度は
本当に
族議員が直接出てきまして、その
制度を動かすことは相ならぬ、こういう話になりまして、結局小さな
改革でさえできない。
一方で、今我々が直面しているのは
国家的な
リストラクチャリングでありまして、よほど大きな
改革をやらなきゃいけないのじゃないか、そういう時期に来ております。
例えば、省の二つや三つつぶす、あるいは思い切って
地方分権に持っていくとか、そういう
国家的な大事業というか、私自身は非常に見えている気がするのですけれども、とてもそんなところまでいけない。せいぜい車検を簡素化してくれとか、その
程度の話にしかならないのでありますが、私は、こんなことをやっていると
本当に
日本がつぶれるのじゃないかという
恐怖心を時々持つのであります。
今、
日本の
貿易黒字が千三百億ドルでありますが、これは
日本人がよく働いたとかいうこともあるかもしれませんけれども、非常に構造的なものだと思うのですね。つまり、
日本からは
向こうに輸出しやすくて、
向こうからは
日本に入ってきにくい。いろいろな非
関税障壁がめちゃくちゃにある。例えば独禁法の
適用除外というのが四十二法律あります。それで、六十七
制度ありまして、これは
世界に冠たる
規制大国ということが言えると思うんです。
それから、これは公取が
産業連関表を使って調べたものですけれども、これで
規制がかかっているものをずっと調べていくとGNPの四割の部分で
規制がかかっている、そういう半
社会主義国家だ、こう私は言っているんですが、要するに、いわゆる
欧米の
自由主義、
自由経済という
立場から見ると、半分について、大体四割について
規制がかかっているという国は、これは
本当に
異質の国なんではないか。アメリカなんかに
日本異質論というのが出てくるのも当然でありまして、最近はドイツでもそういうのがあったし、それからフランスのル・モンドでも、
日本とはまともにつき合わない方がいいんじゃないか、そういう
論説が、つい二十日ほど前に
論説が出ました。今のままいきますと、
本当に
日本は特殊な国で終わる。特殊な国なら特殊なつき合い方をしようというふうになってくるんではなかろうか。
そういう
意味で、
欧米並みの流通、
透明性のあるそういう市場にしなければいけないんですけれども、それに全部がかわってくるのが官の
規制であります。この官の
規制を思い切ってやらなければいけないんですけれども、百やらなければいけないというときに、我々行革審でやっている仕事というのはそのうちの三とか二とかですね、そのくらいの小さなところで物を動かそうとして、しかし、それも最近は
官僚にすっかりなめられてにっちもいかない、そういう
状況なんであります。
そこで、こういう、いわゆる
官僚と
業界と
族議員、そういうものが
一体になっているということが
改革を妨げているものでありまして、ダイナミックな
改革、例えば
地方分権について
亀井さんがやっていらっしゃる
民間政治臨調というのが、ことしの一月五日に
市町村長さんと
国会議員と
知事さんの
世論調査をやりましたけれども、
中央集権の行き過ぎだと答えている人が
国会議員の九七、八%、
知事さんの一〇〇%、そう思っているんですね。そういう
意味では、みんながダイナミックな
改革は絶対に必要だということについてはコンセンサスがあるのに、
国会の方からはそういう声が全然出てこない。これはもう、何といいますか、官と
業界の
結びつきというのは、これは
規制するものとされるものというのでいたし方ない、これからも永久に続くだろうと思うんですけれども、ここで
政治家が、政が一段上に立って、そういうものを要るとか要らないとか、あるいは
改革すべきだというものを、指導的な
立場に立つものは
政治家しかいないと私は思います。
今の
制度ではそういう
立場を発揮できない。なぜできないかいいますと、やはり
選挙とかいろいろなことで
政治家が
官僚と
業界というのに世話になっている、それから離れたら
政治資金もままならない、こういう
状況だろうと思うんです。そういう
意味で、
国家の
リストラクチャリング、
行政改革というものと
政治改革というのは
一体のものだ、
政治改革がなければリストラは何もできないんじゃないか。そういう
意味で、
亀井さん同様、今度の
政治改革の
チャンスというものに非常に大きく期待しております。私も前身は
政治記者でありまして、三十数年こういうことをやってきたんですけれども、いまだかってないほど、何か曙光が見えてきた、初めてだな、そういう感じがして今の
事態を見ております。
そこで、
政治改革についての私の
考え方なんですが、私はまず小
選挙区にするということが必要だと思うんですね。やはり今の中
選挙区こそ、お金がかかり、それで
族議員を生む温床だ、そういう
認識からどうしても小
選挙区にすべきだ。一党から一人しかその
選挙区では立たない、こういう
状況がぜひとも必要だ。そうすれば、党ごとで、党対党でサービス合戦ということはあり得ないんで、やはり論争が非常に政策的なものにならざるを得ない。どっちの
政党がいいかという、
政党を選ぶ、そういうふうになると思うんです。小
選挙区で、今
自民党の単純小
選挙区制というイギリス型のやっと、もう
一つは社公両党が推されているドイツ型の
併用制というのがありますけれども、これは確かに似て非なるものではありますが、妥協できないものじゃない、小
選挙区という一点でつながっているわけですから。ここを何とかぜひ妥協していただきたい、こう思うんであります。
それから二つ目は、やはりイギリス型の
腐敗防止法、非常に厳しいものをそこに導入する。連座制とか
企業・
団体献金の
禁止とか、それから、違反した者についての公民権の停止とか、非常に厳しいもの、これは思い切って厳しいものを入れて結構だ、こう思うんですが、これを入れる。
それから三番目は、そのかわりに議員が自分でお金を集めなくて済む。それは、一万円以下の個人献金を集めるとか、そういうことはもちろんいいんですが、要するに今までみたいな、
選挙の費用を、個人後援会の費用を全部自分で賄ってくるというようなことは一切不要だというほどの
政党助成をやる。私は、これが結局
国民経済的に見て一番
経済的だと思うんですね。税金を思い切り入れる、そのかわり、悪いことしたらやめてもらいますよということをはっきりさせるわけですから。
政党助成というのを思い切って出す。
これ、もう
一つ加えれば、区割り
委員会の話がありますけれども、これは非常に事務的なことで進めればいいんで、
政治改革の柱は小
選挙区制、
腐敗防止法、それから
政党助成、これは三位
一体でありまして、この中から
腐敗防止法だけ、あるいは
政治資金規正法だけ先にやろうという
意見がありますけれども、これは、もしそういうことになれば、今の
選挙制度のまま、つまりお金がべらぼうにかかるという
制度のまま、お金が入ってくるところを締めようというんですから、恐らく私は余計悪いことになるんじゃないか、もっとお金が深く沈んで悪質なことになるんじゃないかという懸念がありますから、この三つはやはり
一体のものだ。
例えば
政党助成なんかでも、今の中
選挙区制のままで
政党助成やればどうなるかというと、
国民の税金で、複数立っているところは
自民党の方が多いわけですけれども、
自民党さんなら
自民党さんに行くと、そのお金で各議員は地元のサービス合戦をやる、こういうことにお金が使われるわけですから、私は今のままで
政党助成というのは反対であります。それから、
腐敗防止法というのも今のままでは無理だろうというんで、そこで、どうしても小
選挙区制というのを導入していただきたい。そういう大きな
選挙制度を変えれば、
国家のダイナミックな変化ということが
国会のイニシアチブで、
政治家のイニシアチブでどんどん変わってくるんじゃないか。
先ほど
亀井先生が、
陳情というのは
日本だけだということをおっしゃいましたけれども、私もたまたま今イタリアの
地方自治というのを調べているのですが、イタリアの
地方自治も、あそこは
日本と同じような
中央集権国家でありまして、自主財源が三割というところも
日本とそっくりなんですが、違うのは、
向こうは七割が国から来る。
日本も七割国から来るわけですが、
日本の場合は、七割について国の注文がいろいろつく。例えば、公園をつくりたいと言うと、どういう公園ですかと。滑り台にブランコに砂場ですと言うと、それじゃ補助金を上げましょう。こういうので、
日本じゅうの公園がブランコに砂場に滑り台、こういうふうになって、いわゆる一律化といいますか、ミニ東京といいますか、そういうものが
日本じゅうになって、それがあらかた百二十年も続いて、おかげで
地方の特色はなくなった。イタリアの場合は、七割国からもらってきて十割にしますと、その十割は、ちょっと例外はありますけれども、ほとんど
地方自治体の使いっ切りなんですね。どういうふうに使うかというのは一切その首長に任せられている。そういう
意味で、あらゆる都市がみんな個性がある。
それから、イタリアというのは、今
中央政界は
日本どころじゃない話なんですが、
地方の
経済というのは非常に落ちついているのですね。私も去年ずっと視察に行ったのですけれども、
地方経済は
中央にスキャンダルがあろうとなかろうと実に揺るぎない。
日本みたいに
中央が風邪を引くと
地方も一気にいっちゃう、そういうことじゃありませんで、非常に
地方は落ちついて、個性的である。それで、
陳情なんかに行ったことはない。大体、
陳情という
言葉を説明するのが一苦労だったですね。通じないのですね。なぜ行く必要があるのかなんと言って反間されましてね。
やはり、これから
地方自治をやるにはそういう
システムに
日本もやっていかなきゃいけない。そのためには、
中央の
権限を思い切って
地方に移さなければいかぬ。それの
一つの試みが行革審でやったパイロット自治体、特例
制度だったわけですけれども、これなんかは、名前はできたけれども、実際にそれに名のりを上げて自分がパイロット自治体になるというところはないんじゃないかと思うのですね。というのは、それに名のり出たら、おまえいい目に遭わないよとおどかされているわけですから。そういう
意味では、
地方分権なんと言っても
日本の場合だめなんです。
そこで、行革から
地方分権から山積していると私は思うのですけれども、それをやってくれるのは、
政治家が一段上に立って、それでいわゆる
政治家の見識を示す。それで、とにかく
官僚とか
業界という利害の上に立つという以外には、そういう
国家のリストラはできないのでありまして、今のままなら、
世界じゅうから総スカンという
状況にもなっておりますし、それからもう
政治が行き詰まっているのですね。
地方行政も行き詰まっている。そういうことをブレークスルーするには
政治改革しかないんだということを私なりに、説明が下手でしたけれども、
行政改革と
政治改革は
一体なんだということを特に申し上げて、終わりたいと思います。(拍手)