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1993-04-14 第126回国会 衆議院 厚生委員会 第8号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成五年四月十四日(水曜日)     午前九時三十五分開議 出席委員   委員長 浦野 烋興君    理事 粟屋 敏信君 理事 野呂 昭彦君    理事 平田辰一郎君 理事 持永 和見君    理事 山口 俊一君 理事 網岡  雄君    理事 池端 清一君 理事 遠藤 和良君       甘利  明君    伊吹 文明君       岩屋  毅君    衛藤 晟一君       小沢 辰男君    大石 正光君       岡田 克也君    加藤 卓二君       古賀 正浩君    坂井 隆憲君       鈴木 俊一君    住  博司君       近岡理一郎君    戸井田三郎君       畑 英次郎君    簗瀬  進君       伊東 秀子君    岡崎トミ子君       沖田 正人君    加藤 繁秋君       川俣健二郎君    菅  直人君       小松 定男君    五島 正規君       鈴木  久君    外口 玉子君       長谷百合子君    森井 忠良君       草川 昭三君    吉井 光照君       児玉 健次君    柳田  稔君  出席国務大臣        厚 生 大 臣 丹羽 雄哉君  出席政府委員        厚生大臣官房審        議官      佐々木典夫君  委員外出席者        内閣官房内閣外        政審議室内閣審        議官      木村 政之君        総務庁恩給局審        議課長     小山  裕君        外務省アジア局        北東アジア課長 武藤 正敏君        外務省アジア局        南東アジア第二        課長      林  景一君        外務省国際連合         局人権難民課長 吉澤  裕君        厚生委員会調査        室長      高峯 一世君 委員の異動 四月九日  辞任         補欠選任   吉井 光照君     伏木 和雄君 同日  辞任         補欠選任   伏木 和雄君     吉井 光照君 同月十四日  辞任         補欠選任   畑 英次郎君     古賀 正浩君   土肥隆一君      鈴木  久君   長谷百合子君     岡崎トミ子君 同日  辞任         補欠選任   古賀 正浩君     畑 英次郎君   岡崎トミ子君     長谷百合子君   鈴木  久君     土肥 隆一君 四月九日  社会福祉医療事業団法及び沖縄振興開発金融公庫法の一部を改正する法律案内閣提出第五六号)(参議院送付) 同月十三日  腎疾患総合対策早期確立に関する請願甘利明紹介)(第一三九二号)  同(粟屋敏信紹介)(第一三九三号)  同(井上喜一紹介)(第一三九四号)  同(伊藤宗一郎紹介)(第一三九五号)  同(伊吹文明紹介)(第一三九六号)  同(石井一紹介)(第一三九七号)  同外一件(石橋一弥紹介)(第一三九八号)  同(今枝敬雄紹介)(第一三九九号)  同(岩屋毅紹介)(第一四〇〇号)  同(内海英男紹介)(第一四〇一号)  同(浦野烋興君紹介)(第一四〇二号)  同(衛藤征士郎紹介)(第一四〇三号)  同(小沢一郎紹介)(第一四〇四号)  同(岡田利春紹介)(第一四〇五号)  同(奥田敬和紹介)(第一四〇六号)  同(加藤紘一紹介)(第一四〇七号)  同(海部俊樹紹介)(第一四〇八号)  同(梶山静六紹介)(第一四〇九号)  同(片岡武司紹介)(第一四一〇号)  同(金子一義紹介)(第一四一一号)  同(金子原二郎紹介)(第一四一二号)  同(瓦力紹介)(第一四一三号)  同(木村守男紹介)(第一四一四号)  同(熊谷弘紹介)(第一四一五号)  同(小坂憲次紹介)(第一四一六号)  同(古賀誠紹介)(第一四一七号)  同(近藤鉄雄紹介)(第一四一八号)  同(左近正男紹介)(第一四一九号)  同(左藤恵紹介)(第一四二〇号)  同(斉藤斗志二君紹介)(第一四二一号)  同(坂本三十次君紹介)(第一四二二号)  同(塩谷立紹介)(第一四二三号)  同(新盛辰雄紹介)(第一四二四号)  同外二件(住博司紹介)(第一四二五号)  同(田澤吉郎紹介)(第一四二六号)  同(武村正義紹介)(第一四二七号)  同外一件(戸塚進也紹介)(第一四二八号)  同外一件(中川昭一紹介)(第一四二九号)  同(中西啓介紹介)(第一四三〇号)  同(野坂浩賢紹介)(第一四三一号)  同(野呂昭彦紹介)(第一四三二号)  同(東力君紹介)(第一四三三号)  同(平沼赳夫紹介)(第一四三四号)  同(保利耕輔君紹介)(第一四三五号)  同(増岡博之紹介)(第一四三六号)  同(松浦利尚君紹介)(第一四三七号)  同(宮路和明紹介)(第一四三八号)  同外一件(亀井静香紹介)(第一四三九号)  同(持永和見紹介)(第一四四〇号)  同(山内弘紹介)(第一四四一号)  同(山下元利紹介)(第一四四二号)  同(山下徳夫紹介)(第一四四三号)  同(山中末治紹介)(第一四四四号)  同(山本拓紹介)(第一四四五号)  同外一件(渡辺栄一紹介)(第一四四六号)  同(愛野興一郎紹介)(第一五〇七号)  同(秋葉忠利紹介)(第一五〇八号)  同(浅野勝人紹介)(第一五〇九号)  同(網岡雄紹介)(第一五一〇号)  同(井出正一紹介)(第一五一一号)  同(井上普方紹介)(第一五一二号)  同(宇野宗佑紹介)(第一五一三号)  同(小川信紹介)(第一五一四号)  同(小野信一紹介)(第一五一五号)  同(緒方克陽紹介)(第一五一六号)  同(岡崎トミ子紹介)(第一五一七号)  同(岡田克也紹介)(第一五一八号)  同(岡田利春紹介)(第一五一九号)  同(坂井隆憲紹介)(第一五二〇号)  同(鈴木俊一紹介)(第一五二一号)  同(関谷勝嗣君紹介)(第一五二二号)  同外三件(田邊誠紹介)(第一五二三号)  同(武部文紹介)(第一五二四号)  同(谷洋一紹介)(第一五二五号)  同(寺前巖紹介)(第一五二六号)  同(戸田菊雄紹介)(第一五二七号)  同外一件(仲村正治紹介)(第一五二八号)  同(中山成彬紹介)(第一五二九号)  同(野田毅紹介)(第一五三〇号)  同外一件(長谷百合子紹介)(第一五三一号)  同(細田博之紹介)(第一五三二号)  同(牧野隆守紹介)(第一五三三号)  同(増子輝彦紹介)(第一五三四号)  同(松田岩夫紹介)(第一五三五号)  同(三野優美紹介)(第一五三六号)  同(村山富市紹介)(第一五三七号)  同(元信堯君紹介)(第一五三八号)  同(森田一紹介)(第一五三九号)  同(山口俊一紹介)(第一五四〇号)  同(山崎拓紹介)(第一五四一号)  同(山元勉紹介)(第一五四二号)  同(渡部恒三紹介)(第一五四三号)  脳死・臓器移植法制化早期確立に関する請願山本拓紹介)(第一四四七号)  公的年金制度改善に関する請願小沢和秋紹介)(第一四九六号)  同(寺前巖紹介)(第一四九七号)  同(三浦久紹介)(第一四九八号)  同(山原健二郎紹介)(第一四九九号)  豊かな老後のために公的年金制度改善に関する請願大出俊紹介)(第一五〇〇号)  同(金子満広紹介)(第一五〇一号)  同(佐藤祐弘紹介)(第一五〇二号)  同(古堅実吉紹介)(第一五〇三号)  同(不破哲三紹介)(第一五〇四号)  乳幼児から学童期までの保育充実に関する請願網岡雄紹介)(第一五〇五号)  同(金子満広紹介)(第一五〇六号)  公的年金制度改善に関する請願網岡雄紹介)(第一五四四号)  同(井上一成紹介)(第一五四五号)  同(上田哲紹介)(第一五四六号)  同(木島日出夫紹介)(第一五四七号)  同(児玉健次紹介)(第一五四八号)  同(菅野悦子紹介)(第一五四九号)  同(田邊誠紹介)(第一五五〇号)  同(辻第一君紹介)(第一五五一号)  同(東中光雄紹介)(第一五五二号)  同(藤田スミ紹介)(第一五五三号)  同(正森成二君紹介)(第一五五四号)  同(目黒吉之助紹介)(第一五五五号)  同(山中邦紀紹介)(第一五五六号)  同(吉井英勝紹介)(第一五五七号)  男性介護人に関する請願網岡雄紹介)(第一五五八号) は本委員会に付託された。     ――――――――――――― 四月十三日  児童扶養手当等支給延長に関する陳情書外一件(第一三一号)  老人ホーム入所措置事務等地方公共団体への権限委譲に伴う行財政上の支援措置の拡充に関する陳情書外一件(第一三二号)  健やかで活力に満ちた長寿社会の実現に関する陳情書外一件(第一三三号)  障害者福祉施策充実に関する陳情書外一件(第一三四号)  看護職員待遇改善に関する陳情書(第一三五号)  男性介護従事者の養成と介護従事者待遇改善に関する陳情書(第一三六号)  乳幼児医療費助成制度の創設に関する陳情書(第一三七号)  保育所における保母配置基準改善に関する陳情書(第一三八号)  早急なエイズ対策に関する陳情書(第一三九号)  地域における産業廃棄物適正処理のための制度強化に関する陳情書(第一四〇号)  原爆被害者援護法即時制定に関する陳情書(第一四一号)  戦没者遺族処遇等に関する陳情書(第一四二号)  輸入食品安全性確保に関する陳情書(第一四三号) は本委員会に参考送付された。     ――――――――――――― 本日の会議に付した案件  戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案内閣提出第三八号)  社会福祉・医療事業団法及び沖縄振興開発金融公庫法の一部を改正する法律案内閣提出第五六号一一参議院送付)      ――――◇―――――
  2. 浦野烋興

    浦野委員長 これより会議を開きます。  内閣提出戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案を議題といたします。  これより質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。加藤繁秋君。
  3. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 加藤でございます。  実は、浦野委員長商工委員会のときにお世話になりまして、私が一番最初商工委員会で質問するときに浦野委員長だったもので、今度厚生委員会に来まして、また浦野委員長最初の質問で、何かの縁だろうと思いますので、ひとつまたよろしくどうぞお願いいたします。  それで、何か丹羽大臣大平総理秘書をなさっていた方だそうでございまして、浦野委員長大平総理秘書だそうで、私は大平総理の選挙区なものですから、そして厚生政務次官木村先生香川県で、まさにこの厚生委員会香川県に関連のある人ばかりで、私は香川県の第二区でございますので、きょうしっかりとした答弁委員長大臣もひとつよろしくお願いしたいと思います。  まず最初に、援護法関係につきまして事実関係をお伺いをしていきたいと思いますが、旧日本軍として徴兵された軍人軍属、この方の名簿につきまして韓国の方から返還が求められているだろうと思います。強制連行者名簿につきましては、もう既に労働省の方で九万八百四人、一部ですけれどもお返しされて、その後も追加されたというようなことは聞いておりますけれども、この軍人軍属名簿返還については、いまだに返還がされていないというように聞くわけなんですが、どういう理由でまだ返還をされていないのかということ、そしていつごろ返すことができるのか。  これは実際に当事者になりますと、名簿が返ってきませんから亡くなったかどうかというのもわかりませんし、わからないということは、もちろんこれは葬式も出せないということですから、同じ人間として考えた場合に、片や朝鮮人がそのような目に遭っている、片や日本人はちゃんと葬式も出しているということで、しかもその方は日本政府が責任を持って軍人軍属として使ったということですから、速やかに返さなければいけないのではないかと思いますが、まずその点の事実関係についてお伺いをしていきたいと思います。
  4. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 お答えいたします。  朝鮮半島出身軍人軍属名簿引き渡し関係でございます。  実はこの朝鮮半島出身軍人軍属名簿につきましては、平成二年八月、韓国政府から引き渡し要請があったわけでございますけれども厚生省といたしましては、要請の趣旨に沿って協力すべく、旧陸海軍から引き継ぎました軍人軍属名簿調査作業を直ちに開始いたしたわけでございます。既に韓国政府に引き渡すための名簿コピー等作業を今進めているところでございます。  実は随分時間がかかるじゃないかというふうなことでございますけれども名簿コピー作業につきましては、名簿対象者が何分相当数、たくさんに上るというふうなことがございますこと、また、私どもの方で保管をいたしております資料については作成されましてから長年を経ておるということで、大分損傷している部分も少なくないといったような事情等がございまして、大変困難な作業になってございます。しかしながら、私どもとしましては、外務省を通じて韓国政府にできるだけ早く名簿引き渡しができますよう、今精いっぱい努力をいたしているところでございます。
  5. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 今、コピーに時間がかかっている、そういうお答えでしたけれども、何人でコピーなさっているのですか。
  6. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 何分資料の性格がございますものですから、私ども社会援護局職員、平常業務がございますが、そこを割きまして、交代で要員をつぎ込んでやってまいっているところでございます。  それで、コピー作業の段取りにつきましては、コピー漏れだとか、それから不鮮明なものがないか等の点検作業も必要になってまいるわけでございます。そんなことで、正確にはなかなか申し上げにくいのでございますけれども、現在のところでおおむね八割方は終了した段階というふうな状況でございます。  先ほども申しましたけれども、今後とも、できるだけ早期外務省を通じまして韓国政府引き渡しができますよう努力をいたしたいと思います。
  7. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 早期というお答えですが、大体一日に何枚ぐらいコピーできるかというのはほぼ計算できるでしょう。そうしますと、今の人数で計算しますと、あと大体一カ月後とか二カ月後とか半年とかという計算ができるだろうと思いますけれども、正確じゃなくていいですから、大体およその目安を教えていただきたいと思います。
  8. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 大体の目安ということでございますが、ただいま申し上げたとおりでございまして、なかなかこの作業コピー漏れやら不鮮明なものが多かったりいたしまして、困難な作業でございます。確定時期が申し上げにくいのでございますが、先ほど申しましたように八割方は済んでございますものですから、なお最後の大車輪をかけまして、最大限急ぎたいというふうに存じます。
  9. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 急ぎたいというのは、そんなに長く時間はかからないだろうと思いますので、できるだけ早く返してあげてほしいと思います。  問題はその名簿の数でございますが、これまで軍人軍属の数は大体二十四万二千人ぐらいだというふうに厚生省は発表していると思います。実は公安調査庁昭和二十八年に陸軍海軍軍人軍属一覧表を出しているわけなんですけれども、合計しますと三十六万四千人になるわけなんです。そうしますと、これまで厚生省が言っていました二十四万二千人、これは確認してもいいのですけれども、そちらが正解なのか、それともこの公安調査庁が出している三十六万四千百八十六人、この人数が正確なのか、どちらか、まずお伺いをしたいと思います。
  10. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 ただいま公安調査庁資料ということで、三十六万人という資料があるけれどもどうなんだというお尋ねでございます。  公安調査庁資料ということでお話をちょうだいしましたので、私どもの保管しております資料を取り急ぎ調査をいたしたわけでございますが、何分四十年前のことということもございまして、その根拠となった資料は実は確認できなかったような状況でございます。  いずれにいたしましても、厚生省把握いたしております朝鮮半島出身軍人軍属の数につきましては、昭和三十七年の日韓会談時に公表しました約二十四万人というふうなところが現段階数字でございます。
  11. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 そうすると、この公安調査庁の出した陸軍海軍軍人軍属の三十六万四千人、これは恐らくでたらめではないと思うのですね。何かに基づいて出したのだろうと思います。私きのうこれをお聞きしましたものですから、一晩では無理だろうと思うのですけれども、事実関係として一体どっちが正確なのかは、できるだけ早く厚生省の方として調査をしていただいて、正式に発表いただきたい。  同時に、この三十六万四千人という数字根拠になった名簿があるのかないのか。しかも十二万人という差ですから、大変な差なんです。三十六万と二十四万ですから、約三分の一は消えているということですから、これは重大問題ですので、ぜひ厚生省の方として調査をしていただきたいと思いますが、いかがですか。
  12. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 私ども、今申しましたとおり、現段階把握しております数字は、昭和三十七年時点に公表しました数字以上のものは持ち合わせておらないわけでございますが、今お話のございました公安調査庁資料ということで、確かに私どもも取り急ぎの調べでございますが、確たる根拠は見出せません。なお努力は続けますけれども、その点につきましては何とも今申し上げかねるところでございます。
  13. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 そうすると審議官、これはどういうふうに理解したらいいですか、こういう資料があるということについて。この理解の仕方、これは間違いだったというふうに理解するのか、厚生省としてはこれは関知しないというふうに言うのか、どういう理解でいいですか。
  14. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 ただいま申し上げましたとおりでございまして、私どもの保管いたしております資料を取り急ぎ調べた限りでは、その根拠を確かめることができなかったわけでございます。私どもとしましては過去に公表しております数字、あと私どもが今持っております冒頭お尋ねのございました資料、今鋭意コピー等作業を進めでございますが、いずれそれは韓国政府の方にきちっとお渡しをするということで臨んでおるところでございます。
  15. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 ちょっとそれはよくわかりませんね。ゆうべ言いましたから一晩では無理だったと私もわかりますから、ぜひ今後、今後という意味じゃなしに速やかに、この資料についての認識、どういうふうに考えるか、それは間違いだったのは間違いでいいから、こういうふうにひとつしっかりしてください。
  16. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 今初めて聞く話でございますが、公安調査庁の方に聞いてみたいと思っております。
  17. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 それでは、次の事実確認に移りたいと思います。  遺族援護法ができたのは一九五二年ですね。そのときに、援護法の申請をされた方で朝鮮人の方が何人いたかということについてお伺いをしたいのです。
  18. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 援護法の成立いたしました昭和二十七年当時、在日朝鮮半島出身の方がどの程度請求されたかというふうなお尋ねでございますが、在日朝鮮半島出身者であるという点に着目いたしました統計はとっておりません。このため、今のお話につきましては把握することができておりません。
  19. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 把握できてないというお答えですね。  もう一つ伺いしますが、現在もし援護法戸籍条項国籍条項がなければ、在日朝鮮人対象と思われるような人はどのくらいいるかということについては、事実をつかんでいますか。
  20. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 当初の状況を今申したわけでございますが、同様でございまして、在日朝鮮半島出身者という点に着目しました統計はとっておりませんことから、数を把握いたしますことは困難でございます。  なお、最近韓国籍の三名の方から障害年金請求がありまして、それぞれについて却下した事例がありますことは、私どもも当然よく承知をいたしてございます。
  21. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 三人の方が今請求裁判を起こしていますね。それについては承知している。それ以外に却下した事実というのは、何人いるかは統計はないけれども、そういう方がいらっしゃるという事実について認識しているかどうかについてはどうでしょうか。
  22. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 把握をいたしております例以外に却下した例があるかという点につきましては、過去に却下した例はあるというふうに考えます。何例あるか等は、今申しましたとおり把握はいたしてございません。例はあると思います。
  23. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 そういう例はあるけれども統計はとっていないというのが現段階認識ですね。  そうするとこの人たちは、今度日韓請求協定に基づいて日本側が無償三億ドルを韓国に払った。韓国の側にしてみれば、対日民間請求申告法と同補償法をつくって補償を実施しているわけなんですけれども、問題は、その補償の内容につきまして申告法第二条で、「申告対象については、一九四七年八月十五日から一九六五年六月二十二日まで日本に居住したことのある者は除外した大韓民国国民」と定めているわけですが、こういう事実について、厚生省は事実として認めているかどうかについてはどうでしょうか。
  24. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 お尋ねは、韓国におきます対日民間請求権補償に関する法律の中での位置づけというふうなことかと思います。  在日韓国人の方の補償請求の中身につきましては、国内法上の根拠を有します実体的権利でないということから、日韓協定によりまして法的には解決済みというふうな問題と承知しているわけでございますが、今お尋ね韓国国内法につきましては、厚生省の所管する制度でないという立場でございますものですから、詳しくは承知いたしてございません。  そういう意味では、私の方から御答弁を申し上げるのは適切ではないと思いますが、私どもの保有しております資料を見ますと、いわゆる在日韓国人の方につきましては、韓国国内法対象からは除外されているというふうに見ております。
  25. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 現に在日朝鮮人日本援護法からも除外されている人が、統計はないけれども裁判を起こしている三人を含めて、その他にも何人かいるという事実はここで明らかである。同時に、その人たちは、韓国法律からは対象外として除外されているということもここで明らかになった。この二つが明らかになっただろうと思います。  問題は、韓国の側についてはそういう状況でありますけれども北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国の方。これまで厚生省立場は、韓国については日韓協定がありますから、そこですべて戦後処理は終わったんだ、こういう解釈に基づいて一切何もできないということでしたけれども朝鮮民主主義人民共和国とはそういう戦後処理についての話し合いがまだされていないわけでございまして、そういう方についてはこの援護法関係について一体どのような対応ができるのかということについて、お伺いをしたいのです。
  26. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 北朝鮮の旧軍人軍属の皆さんへの我が国援護法の適用はどうなるのかというお尋ねでございます。  実は、我が国戦傷病者戦没者遺族等援護法国籍要件を設けてございますけれども国籍要件を設けまして日本人対象を限定しているということにつきましては、援護法恩給に準拠した法律であるということが一つと、もう一つ昭和二十七年でございますけれども、サンフランシスコ平和条約において、朝鮮半島あるいは台湾などいわゆる分離独立地域に属する人々の財産・請求権の問題につきましては、帰属国との特別取り決めの主題とするとされた、こういったような考え方に基づきまして国籍条項が設けられているわけでございます。このような観点から、それはそれぞれの当時国との外交的処理にゆだねられているというふうなことでございます。  韓国との間におきましては、その後、昭和四十年に日韓協定が結ばれて、財産・請求権問題は法的に一切解決済みというふうになっておりますことは御案内のとおりでございます。  なお、北朝鮮の方々につきましては、これも御承知のとおり、日本との間における外交が成立してないということから、昭和二十七年のサンフランシスコ平和条約に基づきます当事国との特別な取り決め、それがまだなされておらない、外交的な処理がなされておらないというふうな状況でございます。
  27. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 外交的処理がなされてないから、帰化すればできるのですか。
  28. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 今、帰化をするならば北朝鮮の方々につきまして援護法が適用になるのかというふうなことでございます。  実は、若干御説明させていただきますと、援護法におきます朝鮮半島それから台湾出身者の方が日本に帰化した場合の取り扱いにつきましては、昭和三十七年以降、私どもの援護課長通知によりまして、個人の意思に基づかない一方的国籍喪失は援護法の国籍喪失に当たらないという解釈をとりまして、年金等を支給するという取り扱いをしてきたところでございます。  先ほど申しましたけれども韓国籍の方につきましては、昭和四十年の日韓請求権協定の署名の日以降におきましては、たとえ我が国に帰化した場合であっても、援護年金は支給しないという扱いとされてまいったわけでございます。  しかしながら、同通知におきます個人の意思に基づかない一方的国籍喪失は援護法の国籍喪失に当たらないとの解釈につきまして、昨年以降、各方面と御相談し、慎重に検討を重ねてまいりました結果、サンフランシスコ平和条約の発効に伴い日本国籍を喪失した者について、援護法において日本国籍を喪失していないものとして取り扱うことには法制的に無理があることが一つ、それから二つ目には、援護法恩給法に準拠して制定された法律であるわけでございますが、恩給法における国籍喪失の解釈との整合性がとれないこと、この二点から、法律の解釈には無理があるというふうな結論に達したところでございます。  そういうような考え方でございまして、今申しましたような状況から、従来三十七年からとっておりました解釈を変更したいというふうに思っている次第でございます。
  29. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 その通達を撤回するということですか、審議官
  30. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 ただいまも申しましたけれども昭和三十七年の通知につきましては、いろいろ検討の結果、法律解釈に無理があるという結論に達したところでございます。  繰り返しになりますけれども……(加藤(繁)委員「いや、もう繰り返しは要らないですから、答えだけ。撤回するのですか、しないのですか、どっちですか」と呼ぶ)撤回するのかどうかということでございますが、三十七年通知におきます法律解釈に無理がありますので、これは変更せざるを得ないというふうに私どもとしては考えております。
  31. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 変更するそうですけれども、そうすると確認しますが、変更すれば北朝鮮朝鮮民主主義人民共和国の方も帰化してもできない、こういうことですか。
  32. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 三十七年の通知の解釈を改めますと、無理になるというふうに考えます。
  33. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 そうすると、これまで国会の答弁で、例えばここに、平成四年五月十九日の参議院で木庭健太郎先生が質問をしております。そのときに、多田政府委員朝鮮民主主義人民共和国の問題について「先ほど先生の御指摘ありました台湾の方々あるいは北朝鮮の方々、この方々についてはまだ特別取り決めが行われておらないという、解決済みでないという扱いでございますので、帰化されますと日本の法が適用になる。」こういうふうにお答えなさっているのですけれども、このお答えも間違いだった、こういうことですね。
  34. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 ただいま御説明申し上げさせていただきましたけれども昭和三十七年にとっております国籍喪失の解釈には、法的に無理があるというふうな判断でございます。  実は、今御指摘ございました昨年の国会におきます御答弁につきましては、昭和三十七年通知、それからこれに関連いたします昭和四十一年通知における法律解釈が正しいものという前提で御答弁を申し上げたものというふうに思っております。しかしながら、先ほど申しましたが、御指摘の答弁の後、各方面とも御相談をさせていただき、慎重に検討を重ねました結果、昭和三十七年通知に記載された法律解釈には無理があるという結論に達したものでございます。御理解を賜りたいというふうに存じます。
  35. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 もう一つは、三十七年に出した通達は間違いだったということでございますが、間違いだったということを今言うということは、三十一年間そのままにしておいたということでしょう。三十一年間そのままにしておったというその責任は一体どのようにとるおつもりですか。
  36. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 三十年間にわたって行政の判断として誤った扱いをしてきたことについてどうするんだということでございます。  今回解釈を変更します。その取り扱いにつきましては、先ほども申しましたけれども、予算委員会等での御議論を踏まえまして私どもも真剣に、慎重に政府部内で検討しました結果、三十七年通知に示された法律解釈に無理があるというふうな結論に達したために変更するわけでございます。私どもといたしましては、今後このようなことが生じないよう十分留意をしてまいる所存でございます。御理解をお願いしたいと思います。
  37. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 三十一年間もほっておいて、この場で今後起きないようにしますと言ったら、ちょうど今政治的な腐敗がいっぱい起きておって、悪いことしたけれどももう二度といたしませんと言うのとよく似ているじゃないですか。その三十一年間、間違った措置をやってきたことについて、一体どのような責任をだれがとるのかということについて明快にお伺いしたいですね。今のじゃ納得できませんね。
  38. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 繰り返しの御答弁で恐縮なんでございますけれども、私どもも昨年の御指摘を踏まえましていろいろな角度から検討をさせていただきました結果、先ほど申しましたような解釈の変更をせざるを得ないというふうに判断をいたしたわけでございます。  厚生省といたしましてこういう判断を示してきたということにつきましては、判断が甘かったということでおしかりを受けるわけでございますけれども、その点に関してはまことに恐縮をいたしておる次第でございます。二度とないように最大の留意をしてまいりますので、ひとつ御理解を賜りたいというふうに存じます。
  39. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 昭和三十七年に通達を出したときの条件が、例えば今日段階で変わった点があるのか。ほとんど条件は変わってないんじゃないですか。条件が変わってないにもかかわらず法律の解釈だけ変えるというのは、そんな勝手に、あのときはこうだったけれども今はこうだといって通達を変えてもいいのか、そのようなあいまいな行政を行っているということについて、丹羽大臣、どうでしょうか。
  40. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 今回の取り扱いは、昨年の予算委員会での御議論を踏まえて、十分政府部内において検討させていただいた法解釈論であるということをまず御理解を賜りたいと思っております。  それで、先ほどから審議官の方から経緯等について御説明をさせていただいておりますけれども、御案内のように、朝鮮半島におきましては一九一〇年にいわゆる日韓併合というのが行われまして、本人の意思にかかわらず日本の国籍にさせられた。そして、そういう経過を経まして、不幸な時代を経まして、一九五二年にサンフランシスコ平和条約の発効によって、日本の国籍を喪失して併合前の国籍に戻った、こういうことでございます。ですから、これは個人の意思とは関係なく、大変残念な悲惨な戦争の結果としてこういうことになったわけであります。  この問題につきましては、国と国との取り決めによって左右されたということが冷徹なる事実である、こういうことでございますけれども、長い行政の中には、時には結果的に判断が適切でなかったこともなきにしもあらずであります。とにかく大変不幸な出来事でございますけれども、そもそも昭和三十七年当時の援護課長通知というのは、私が想像するには、いわゆる善意の解釈からこういうものが出されたのではないか、こう思っておるわけでございます。要するに、国と国との取り決めによって決まっておることを、一片の課長通知によって国籍を云々すること自体どだい無理があったのではないか、顧みますればそういうように思っておるわけでございます。  大変遺憾なことと存じておりますけれども、過ちを正すにはばかることなかれ、こういうような思いからこの際過去のことを精算をして、先ほどから申し上げたような解釈に正させていただいた、このようなことでございますので、御理解を賜りたいと思っております。
  41. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 これは三十七年当時と今と全然条件が変わってないし、今の大臣答弁審議官答弁では、なぜ解釈を変えるのかというのが理解できませんね。しかも三十一年間という長い年月ですよ。去年出したことをことし変えるなら、それはまたわからぬこともないかもしれませんけれども、この三十一年間、営々とうとうと厚生省としてはそういう答弁をずっと繰り返してきて、きょうに至ってこれを変えるというのは、そんなこと私は納得できませんね。  したがって、その責任の所在についてはもう少し明確に、具体的に答えてもらわなければ、これ以上質問できまんね。理事の方、ちょっと協議してくださいよ、あんな答弁じゃ納得できませんから。
  42. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 いずれにいたしましても、行政を担当する者の心構えといたしましては、法律を厳正に執行していくということがまず第一であります。今回のことを重く受けとめまして、今後このようなことが起きないように、とにかく戦争という悲惨な結果の中で生じた混乱であって、私どもが深く遺憾の意を表するとともに、二度とあのような過ちを犯さないということが私どもに課せられた責任である、このように考えているような次第であります。
  43. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 納得できませんね。ちょっと話してください。そんな答弁じゃだめです。
  44. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 それでは、加藤先生に改めて答弁をさせていただきます。  三十年有余にわたって誤った解釈をしていたことに対し、心から遺憾の意を表したいと思っております。今後二度とこのようなことが起きないよう、厳に戒めていく覚悟でございます。なお、さまざまな未解決の問題につきましては、誠意を持って努力をしていく決意でございます。
  45. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 十分ではないですけれども、未解決の部分について今後誠意を持って努力するということですから、その部分に期待をして、次の質問に移っていきたいと思います。  私は、恩給法と援護法が違うということで、恩給法の方に合わすということは下方修正ですから、いい方に本当は修正を図ってほしいと思いますけれども、そういうふうに厚生省として判断をしたということについては、今後新たな委員会の中でまた質問をさせていただきたいというふうに考えております。  そこで今度は、同じ解釈についてですけれども恩給局にお伺いをしたいと思います。  実は私、恩給相談ハンドブックというのをここに持ってきているのです。この中で二百六十八ページに   平和条約の発効により、本人の意思とは無関係日本の国籍を喪失した韓国人等の場合には、日韓特別とりきめの効力発生の日、すなわち昭和四十年十二月十八日前に帰化して日本の国籍を取得すれば、平和条約発効のときに遡って恩給が受けられるような特別の取扱いがなされています。 こういうふうにあるわけです。そうしますと、恩給局の側はそれまでの厚生省理解と実は同じだったということなんですけれども、それについて恩給局の御意見をお伺いしたいのです。
  46. 小山裕

    ○小山説明員 お答え申し上げます。  ただいま委員のおっしゃられましたように、恩給相談ハンドブックにそのような記述が書いてあることは確かでございます。  ただ、この部分について御説明申し上げますと、まず基本的に申しまして、恩給法の場合は、日本の国籍を失ったときは恩給受給権を失うという旨の規定がございます。これにつきましては例外規定もございませんので、昭和二十七年にサンフランシスコ平和条約の発効によって国籍を失った方々、これらの方々についてもこの規定は適用されるというふうに解釈しております。  ただ、こういった方々のうちで、平和条約が発効してから比較的早いうちに日本に帰化して恩給請求された方、これらにつきましては、御承知のとおり平和条約発効に伴います国籍の喪失、これは本人の意思によるものではなかったという特別の事情がございますので、比較的早い時期に日本に帰化された方、これらの方々につきましては自己の意思により日本国籍を選択したものと考えられるのではないか。  それから、先ほど来お話がありましたけれども、当時援護法におきましては、帰化すれば援護法の適用を受けるとされておりました関係もございまして、いろいろな見地から考えまして、このような方々まであえて国籍条項を適用するのはいかがか、そういう判断がございまして、極めて特例的な措置でございますけれどもそれらの方については恩給を支給した、そういった例はございます。
  47. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 そうすると、おかしいですね。厚生省恩給局が解釈が違っていたのではなくて、恩給局も、個人の意思によるものの国籍離脱はだめだ、しかし、一方的に国籍離脱された者については、やはりそこまでのけるのはおかしいのではないかという理解をされていたのでしょう。したがって、厚生省が通達を撤回すれば、恩給局がそういうふうに理解しているということになりますと、今度は逆に厚生省恩給局とまた理解が違うのじゃないですか。その点について審議官、いかがですか。
  48. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 お答えいたします。  今、恩給局から御答弁がございましたけれども、先生お示しのハンドブックで取り上げられたケースというのは、あくまでも特例ということでやったというふうな御説明をちょうだいしておりまして、恩給法におきます国籍喪失という考え方につきましては、サンフランシスコ平和条約による国籍喪失は、当然国籍喪失に該当するという理解に立っているものというふうに私ども理解をさせていただいております。
  49. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 恩給局の方、特別な取り扱いをすると言いますけれども、このハンドブックの中には特別という字はありますけれども、ほんのわずかな期間だとか、余りにもしゃくし定規にするのはおかしいなどというのは書かれていないのです。したがって、このハンドブックによりますと、今でも帰化すれば恩給は支給できる、こういう解釈になるのですよ。それについてはいかがですか。  そして同時に、もう一つ質問しますけれども恩給法には戸籍条項がないのです。戸籍条項がないにもかかわらず、なぜ帰化という言葉を使うのか。援護法は確かに戸籍条項がありますから、帰化すれば国籍条項は適用されないけれども戸籍条項が当分の間適用されない。したがって、帰化すれば戸籍条項が適用されないので、国籍については、一方的に国籍を離脱した者については適用しないという条項があるから、ですから援護法の適用になった。  恩給法も、今言われるように、一方的にやった者についてはもうそれは当たらない、そこまでするのはかわいそうなんだ、そういうことをおっしゃいましたね。ということは、これまでの援護法の解釈と全く同じである。しかも同じであるという解釈に基づくならば、恩給法には戸籍条項がない。にもかかわらず、帰化という言葉はどういう法律に基づいて帰化すればというふうになったのか、お伺いしたいと思います。
  50. 小山裕

    ○小山説明員 お答え申し上げます。  恩給の場合におきましてそのような措置をとった、確かに帰化ということは恩給法には特に書いてございません。繰り返しの答弁でまことに恐縮でございますけれども、この恩給ハンドブックに書いてある措置、ここには現実が書いてあるわけでございまして、私が先ほど答弁いたしましたのは、そのような考え方によって、繰り返しますと、平和条約が発効してから比較的早い時期に帰化をされた方、この方について、この人の国籍に対する考え方と申しますか、それをどのように考えるかということだと思うのですけれども、比較的早い方については、仮に国籍の選択があったとすれば日本の国籍を選択されたのではないか、そのように考えて、行政的な措置として行ったというふうに私どもとしては理解しております。  それから、委員の方から、今でも同じではないかということでございますけれども、前々から申し上げておりますように、帰化の時期が比較的早いというふうに考えておりますので、今の時点で帰化をされた方についてまで適用するのはどうかなという考え方はいたします。  それから、恩給法には戸籍条項はないではないかということでございますがこれにつきましては、援護法恩給法の立て方が違っておりますので、そのような観点から特に戸籍条項は置いていないわけでございます。  帰化の関係でございますけれども、帰化について確かに恩給法には規定してございませんけれども、その帰化というものを、要するに平和条約の発効に伴って国籍を失った方、これらの方が比較的早い時期に帰化をされたという一つのシチュエーションをどのように理解するかという観点から行ったものでございます。
  51. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 この恩給ハンドブックは一九七九年に書かれたものでございます。そうしますと、比較的早い時期というのは、一九五二年にサンフランシスコ平和条約が結ばれて、援護法が五二年にできて、一九六五年に日韓協定が結ばれた。たとえ一九六五年に日韓協定が結ばれた以降でも、一九七九年までは十四年間あるのです。その十四年間はこの恩給ハンドブックで十分だという理解ですね。  つまり、幾らか早い時期に帰化された方とお答えになりましたね。そうすると、一九七九年というのは幾らか早い時期というふうに考えていいのですか。つまり、この恩給ハンドブックは一九七九年に出した。その当時もし帰化すれば、この恩給ハンドブックどおり認めるのじゃないのですか。それともハンドブックにはこう書いているけれども、これは実は間違いであって、幾らか早い時期の者だけであったのだと。したがって、今例えば一九七九年だとしますと、これを持っていきましたら一体どのような処置をなさるのですか。
  52. 小山裕

    ○小山説明員 この恩給相談ハンドブックの表現が適切であるかどうか、誤解を招くようなところがあるのではないかという御意見は承っておきたいと思いますけれども、先ほど来申し上げましたように、ここに書いてございますが、要するに「本人の意思とは無関係日本の国籍を喪失した韓国人等の場合には、日韓特別とりきめの効力発生の日、すなわち昭和四十年十二月十八日前に帰化して日本の国籍を取得すればという、まず一つの条件が置かれているわけでございます。それで「平和条約発効のときに遡って恩給が受けられるような特別の取扱い」、「特別の取扱い」というその背景は、私が先ほどから御説明しているようなことでございます。  したがいまして、確かにこの恩給相談ハンドブックが発行されましたのは昭和五十四年、一九七九年でございますけれども、ここに書いてあることの趣旨は、私が今答弁したようなことでございます。
  53. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 総務庁の方、申しわけないのですけれども、我々国民はこういう恩給ハンドブックを見てから相談に行くのですよ。こう書いている。ところが、書いているにもかかわらず、相談にいったら、いや、実はこれは速やかに早く帰化した方だけで、あとは関係ないのです、そんな不親切な行政をやっている。先ほど丹羽大臣が、三十一年間も間違いをほっておいて申しわけございませんでしたと言った。総務庁も同じ間違いがあるのじゃないですか。いかがですか。
  54. 小山裕

    ○小山説明員 お言葉を返すようでまことに恐縮なんでございますけれども、確かに表現につきましていろいろな御議論を呼ぶようなところがあるとすれば、それは遺憾なことかと思いますけれども、考え方としてはそういうことでございまして、特に解釈が間違っているとか、そのようには考えておりません。
  55. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 解釈が間違っているんじゃないですか。表現が違うから解釈が違うのですよ。そんなでたらめなことを言っては困りますよ。表現が違うから解釈が違うのでしょう。この書いたとおり読めば、帰化すればできるのじゃないですか。しかも恩給法は帰化という言葉はないのです。にもかかわらず、堂々とこれは帰化すればというふうに書いている。法に基づかないものをこうやって恩給ハンドブックに書いて、しかもそれに基づいて申請に行ったら、これは明らかに解釈が違うという。非常に不親切な行政の指導だというふうに言わざるを得ませんね。  したがって、この点については、私もきょう時間がありませんからこれ以上言いませんけれども、しっかりと申し上げておきます。  厚生省はこのたび通達を撤回して、恩給法と統一した。しかし、その恩給法さえこういう矛盾があるということ。したがって、厚生省の方、恩給とのバランスをもしやるならば、この点について一体どうするのか、こういう協議もぜひしてもらわなければいけませんね。したがって、これまでの常識は、日韓請求権協定で谷間にある人がいるんだから、そういうことについてはできるだけ救っていこう、こういう方向で行政としては扱うということが私は一番大事じゃないかな、こういうふうに考えるので、ぜひそういうことを申し上げて、この点についてはこれで終わりますけれども、決してあきらめたというのじゃなしに、ぜひこれはしっかりしてくださいよ。  さてもう一つ、こういうような矛盾が出てくるということは、もちろん国籍条項とかあるいは戸籍条項とかややこしく、最近ではこういう法律以外になかなか見つけるのは難しいということでございますけれども、この国籍条項戸籍条項を一体なぜつくったのかということなんです。その理由についてお伺いをしたいと思います。
  56. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 遺族援護法におきましては、国籍条項のほかになぜ戸籍の規定があるのかというお尋ねでございます。  援護法におきましては、昭和二十七年の制定でございますけれども、当時恩給を停止されました軍人等を救済するという趣旨で、国籍要件を有します恩給法に準拠して制定されたものでありますことが一つございます。それから二つ目には、サンフランシスコ平和条約におきまして、朝鮮半島や台湾などいわゆる分離独立地域に属する人々の財産・請求権の問題は、帰属国との特別取り決めの主題とすることとされた、この二点から国籍条項が設けられたというのがまず一つでございます。  そして、それではなぜ戸籍条項が重ねてあるかという点でございますけれども、朝鮮半島及び台湾出身の方につきましては、サンフランシスコ平和条約の発効、これは昭和二十七年四月二十八日でございますが、この条約の発効によりまして日本国籍を喪失することとなったわけでございますが、援護法は同じ年の昭和二十七年四月一日から適用されておりましたわけで、これらの方々に対しましてはこの間の適用を除く、適用を排除することを明確にする趣旨で戸籍条項が設けられたものというふうに考えております。
  57. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 確かに援護法は四月一日で、サンフランシスコ条約が二十八日ですね。その間におきましては国籍があったものですから、援護法だけ戸籍条項をつくって除外した。しかし、どうしてそれほどまでにして除外しなければいけなかったのですか。
  58. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 どうしてこの規定が設けられたかということでございますが、繰り返しの御答弁になって恐縮でございますけれども援護法につきましては、昭和二十七年制定当時の趣旨が、恩給を停止されました軍人等も含めての給付を行うということで、国籍要件を有する恩給法に準拠して制定されたことが一つ。それから、サンフランシスコ平和条約におきまして、朝鮮半島や台湾などいわゆる分離独立地域に属する人々の財産・請求権の問題は、帰属国との特別取り決めの主題、外交的処理にゆだねるというふうなことにされたことが国籍条項が設けられた趣旨であり、なお適用の期間のギャップがございますので、適用を除外する趣旨を明確にするということで、当時こういう立法がなされたというふうに考えております。
  59. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 そういうことを聞いているのではないのです。わざわざ援護法が四月一日にさかのぼって適用されるということになった。サンフランシスコ条約というのは二十八日に国籍が一方的に剥奪された。したがって、その間は、その法律そのものでいけば、つまり当時の朝鮮人、台湾人については援護法の適用になった。それを戸籍条項をつくってわざわざ除いたということで、どうしてそこまでして除かなければいけなかったのかということなんです。その点について明確にお答えくださいよ。
  60. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 繰り返しての御答弁で恐縮でございますけれども、外交的処理にゆだねるということにされたことに伴うものというふうに考えております。
  61. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 外交的処理というのは、サンフランシスコ条約で朝鮮人あるいは、台湾は台湾で別にやるとして、朝鮮人の問題については日韓の間で取り決めが行われる、つまり二国間で取り決めを行いなさい、こういうことがあったから、わざわざそこで除いたというふうに理解してよろしいですか。どうですか。
  62. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 昭和二十七年、サンフランシスコ平和条約が締結された。その時期に援護法が制定されたということで、当時サンフランシスコ平和条約におきまして、そういう当事国との間の特別取り決めにする、その主題とするということが予定されておりましたので、その外交的処理にゆだねられた、そういう理解でございます。
  63. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 そこで、大臣にちょっとお伺いをしたいのですけれども、私、きょうの質問は、まず在日ということに限って言えば、旧日本軍軍人軍属として徴用されたといいますか軍隊として使われた、その方で日本にいる人たちがいる。その方が日本援護法は適用されていないというこの事実は、先ほどからの答弁でもう皆さんお認めになりました。その方は同時に韓国申告法からも除外をされているということについて、これも厚生省は認めた。しかも援護法戸籍条項をつくった理由は、二国間で処理されるからそういうものをつくったのだ、そういうお答えが今ありました。  そうしますと、二国間で処理されるから戸籍条項をつくってやったけれども、現実に二国間で処理されないで、そのまま今まだ残っている人がいるという事実、これは大臣、認めることができますね。どうでしょうか。
  64. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 先ほどから審議官から繰り返し御答弁を申し上げておるわけでございますが、援護法恩給法と同様に、対象者日本の国籍を所有する者、これに限定をいたしておるわけでございます。そういう中で、韓国との間では昭和四十年に日韓協定が締結されまして、補償の問題は法的にはすべて解決済みであります。ただ、韓国内においていろいろな問題があるということは私も承知をいたしておりますけれども、御指摘の問題は韓国の国内の問題でございますので、私からこの問題について申し上げるような立場はない、こういうことで御理解を賜りたいと思っております。
  65. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 私は法的な問題を聞いているのではなくて、在日韓国人というのは、もちろん税金を納めています。永住権も与えられていますね。したがって、もうやっていることはほぼ日本の国民と同じなんです。  その人たちの問題は韓国の問題だから日本は知らない、大臣は今そういうふうにお答えになりましたね。しかし、私はそういう法律論争をするつもりではなくて、具体的に、援護法からも疎外されて、しかし旧日本軍人として働いた、そういう人が現に韓国からも外されて日本に住んでいる人がいるという事実、これについて認めるかどうかなんです。別に法的な問題がどうとかということじゃなくて、それを認めるかどうかなんです。
  66. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 承知いたしております。
  67. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 したがって、両方から、いわば韓国からも日本からも適用されないという人がいるということがここで確認された。  さあそこで問題は、つまり我々日本の旧の陸軍海軍がやったことでございますけれども、当然日本政府の責任ですね。この責任を、事実としてある問題を一体どのようにとっていくのか。確かに先ほどから言いますように、日韓協定があり、援護法があり、恩給法があるというとで、法的には非常に難しいでしょう。  しかし、同じ人間だという、しかもその人たち日本の軍隊が使ったというこの事実、そういうことから人道上的な何らかの特別な措置とか、あるいは一番最初に申し上げましたように、その人たちが何人いるかという事実関係もわからないということですから、したがって、当面はそういう事実関係から調査をしていって、そしてその調査に基づいて、今後人道上的立場から一体どのようなことができるのかというような方向性を示さなければいけないのではないか。  法律は永遠です。けれども、命は限界がありますから、早くやらなければ、少し待ってくださいというのでは命は待ってくれない、こういうことがありますので、大臣、ぜひその点について方向性を明らかにしていただきたいと思うのです。
  68. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 補償の問題につきましては、先ほどから御答弁を申し上げておるわけでございますけれども、私どもは既に解決済みだ、こういう考え方に立っておるわけでございます。  いずれにいたしましても、我々の先達たちによって大変悲惨な体験を強いられた韓国の方々を初め朝鮮半島の方々、さらに台湾の方々に対しまして、私どもは率直におわびを申し上げなければならない。そして、何よりも大切なことは、二度とこのような過ちを犯してはならない。平和への誓いを新たにすることがこれらの方々に対する最大の償いである、このように考えております。
  69. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 おわびをしなければいけないという認識は、私もそのとおりだと思いますのであれですけれども、二度と今後でなしに、これまでしてきたことの償いを、では一体どうするのかということについては、今の大臣答弁ではちょっと私、聞き取れなかったのですけれども、それはどうなんでしょうか。
  70. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 法的にはすべて解決いたしておる、こういうことであります。
  71. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 私、きょうの質問の目的は、法的に解決しているというのはもう既に知っていますから。しかし、実態として残っているではないかということを申し上げたので、その点、大臣は認めましたね。したがって、その実態として残っていることについてどうするのかということについて、お伺いをしたいのですよ。
  72. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 繰り返してで恐縮でございますが、これは韓国国内の問題としてとらえておるわけであります。国と国との取り決めによって、この補償の問題というのは既に決着がついておるわけでございます。  ただ、そういった立場を離れて、私どもが今後、国としてではなくて、いろいろな形において韓国の人々との友好をさらに深めて、そして我が国に対する、これまでの悲惨な体験を強いられた方々に対しましていろいろな面での精神的な償いというものは、時間をかけて韓国と朝鮮半島の方との友好というものをさらに深めていかなければならない、こういうような誓いを新たにいたしているような次第であります。
  73. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 大臣政府間の話し合いは、それはもう日韓請求権協定で終わったということになりますから、政府間だけの話し合いというのは、なかなかそれは難しいでしょう。  現に朝鮮人の方で終戦後向こうに帰れないという事情があったとか、あるいはもうそのまま日本に残って苦しい生活をやってきたという、しかもその上で税金も納め、みんなと同じように働いている、そういう日本の国内で働いている人たちなんですから、日本政府としてもそれでもう終わったんだということじゃなくて、実態としてそういう人がいるということですからね。  政府間で話をしていくといったら、なかなかそれは難しいに決まっておるのですから、したがって、それ以前に、同じ住んでいる人として在日韓国人だけ特別扱いするのではなしに、同じように扱っていくというのが私は法のもとの平等だと思いますので、ぜひそういう観点で、今すぐ何かしなさいというんじゃなしに、前向きでそういうことについては対処をしていく、事実関係についても洗っていくというような、そういうことをぜひ大臣から姿勢として私は伺いたいのですけれども、いかがでしょうか、
  74. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 加藤委員の御指摘は、御意見として承っておきたいと思います。
  75. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 私に続いて、今度伊東さんにやってもらいますから、ぜひその点についても引き続いて質問しますから。  時間がありませんから、最後にもう一つだけ私お伺いしたいのですけれども援護法は今度値上げになりますね。私は結構だと思います。この援護法が値上げになることはもちろんそうなんですけれども遺族援護法も、恩給法もそうですが、何年後になくなるかというのは非常に失礼な話で、なかなか予測は難しいのですけれども、しかし、第二次世界大戦の関連者、そういう方が今中心ですから、いずれはこれはなくなっていくということでございます。  そうしますと、いろいろな方がおっしゃいますけれども、例えば障害年金でいきますと、体に銃弾を受けたというだけではなかなか年金がもらえないとか、その程度によってもいろいろな段階があって、難しいということがありますね。したがって、いずれなくなっていくというこの段階において、その程度を少し範囲を広げていって、戦争に参加した人たちにとってはその程度に応じた範囲内でできるだけ枠を拡大して、援護法もそして恩給法の方でも見ていく。そういう趣旨が日本の国民に対する償いであるし、同時に起こさないという決意につながるのではないかなというふうに私は思うのですが、大臣、いかがでしょうか。大臣からお答えください。
  76. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 先に若干御説明をお許しいただきたいと思います。  ただいま援護法の支給対象を、特に障害の範囲を拡大するといったような措置を検討すべきではないかというふうなお尋ねと思うわけでございます。  具体的に障害給付に関して見てまいりますと、現在援護法に基づく給付の対象とならないのは第五穀症以下の障害というふうなわけでございますけれども、実はこの五穀症以下の障害ということにつきましては、身体に障害を有する方の福祉を図る基本法の性格を持っています身体障害者福祉法の対象とならない障害であるといった事情やら、あるいは国家公務員等共済組合法なり厚生年金保険法等に基づきます障害年金等の支給対象ともならない障害であるといったような状況でございます。  障害の評価というのは難しゅうございますけれども、そういうふうな目から見ますと軽度の障害ということでございまして、他制度との均衡からも、なかなか援護法で給付するというようなことは困難であるというふうに考えております。  ただ、第五穀症以下の公務上の障害を有する方でありましても、戦傷病者の方の特別の事情にかんがみまして、その障害について医療が必要な場合の医療の無料給付あるいはJRの無賃乗車の取り扱い等を戦傷病者特別援護法に基づき行っているというのが現状でございます。  事実を先に御説明させていただきました。
  77. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 大臣、いかがですか。
  78. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 ただいま審議官の方から御答弁を申し上げたことの範疇でございますが、いずれにいたしましても、今直ちに障害者の範囲を拡大するということは、現実問題として大変不可能ではあると思いますけれども、現に認めておる中において柔軟な対応ができないかどうか、今後検討してみたいと思っております。
  79. 加藤繁秋

    加藤(繁)委員 終わります。
  80. 浦野烋興

    浦野委員長 伊東秀子君。
  81. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 引き続き、加藤委員が問題にした点について、私も法律的に問題をちょっと取り上げさせていただきます。  まず、戦争犠牲者及びその家族に対する援護または補償、これは国際人権規約等に見られるような生存権的基本権の補償であるという趣旨と同じく考えてよろしいものでしょうか。
  82. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 お答えいたします。  援護法に基づきます補償はどういうふうな趣旨のものかというお尋ねでございますが、援護法におきましては、第一条におきまして「国家補償の精神」ということで規定しているわけでございます。この援護法につきましては、軍人軍属等国と一定の身分関係があった者が戦争公務によりまして死亡または障害の状態となった場合に、国が使用者の立場から補償するという趣旨のものというふうに理解をいたしております。
  83. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 直接的にお答えください。法はそう書いてございます。しかし、その法のもとになっている精神というのは、亡くなった者及びその家族の生存権を補償するという趣旨か否かを私は聞いているのでございます。
  84. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 繰り返しになりますけれども、国家補償、国が戦争公務に基づきます死亡なり障害に対しまして、使用者の立場からその損失を補償するというふうな性格だということで考えております。
  85. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 では質問を変えて、今言った答弁に関して伺います。  「国家補償の精神に基きこというのは、わかりやすく言えばどういうことなんでしょうか。
  86. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 お答え申し上げます。  繰り返しになって恐縮でございますけれども援護法の第一条で規定しております「国家補償の精神」というものにつきましては、軍人軍属等国と一定の身分関係があった者が戦争公務により死亡または障害の状態となった場合に、国が使用者の立場から補償する、そういった趣旨であるということであります。
  87. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 そうしますと、国が使用者である、そして、負傷した者はその被使用者であったという身分関係に基づいて発生する権利ということでございましょうか。
  88. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 繰り返し申し上げましたけれども、戦争公務による死亡なり障害に対しまして、国が使用者の立場から補償するという趣旨というふうに理解をいたしております。
  89. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 繰り返し同じこと言わないで、私が聞いた言葉に沿ってお答えいただきたいのですよ。つまり、一定の身分関係に即して発生するのか否かということを伺っているわけです。
  90. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 国の使用者の立場と申しました趣旨はそういう気持ちであったわけでございますが、国と一定の身分関係があった者を対象とするということでございます。
  91. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 つまり、その行為が行われた当時、発生した当時に国と一定の身分関係にあった者に対して補償するという趣旨だと今おっしゃいました。  としますと、一定の身分関係にあった者であれば、当然すべての者に、一定の身分関係ですから契約関係と言えばいいのでしょうか、そういうものと同じ考え方に立たなければいけないと思うのですが、なぜそこに国籍による排除の論理と言えばいいのでしょうか、一定の国籍条項を持ってこなければいけないのか、その点についてお答えください。
  92. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 先ほど来繰り返し御答弁申し上げておりますけれども援護法につきましては、恩給法に準拠して制定されてきたということが一つと、国籍条項がそういう趣旨で別途設けられているということでございます。使用者としての責任のほかに、援護法におきましては、受給要件として別途国籍要件が設けられているというふうに理解をいたしております。
  93. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 それでは、恩給法に関してお伺いしますが、恩給とはどのような関係に基づいて支給されるのでしょうか。
  94. 小山裕

    ○小山説明員 恩給法についてお答え申し上げます。  恩給の性格でございますけれども、これは公務員が相当年限忠実に勤務して退職した場合、公務による傷病のために退職した場合、または公務のために死亡した場合に、国が使用者として公務員またはその遺族に支給する。したがいまして、公務員と国との極めで特別な関係、それに準拠しているというふうに考えております。
  95. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 としますと、恩給法も公務員であったか否か、その身分関係に応じて発生するというふうに考えていいわけですね。
  96. 小山裕

    ○小山説明員 恩給法によります受給の資格要件は、恩給法に詳細に規定されております。その規定に基づきますが、今委員のおっしゃられたように公務員としての身分、それが恩給受給権発生の要件でございます。
  97. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 としますと、それは、その関係にあった当時が問題になるというふうに考えていいわけですね。
  98. 小山裕

    ○小山説明員 恩給受給権の発生は、その当時の身分関係かと考えます。ただ、その後の受給が継続されるかどうか、その後については国籍要件がかかってくるということになります。
  99. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 それは論理的にかかってくるのではなくて、政策の問題として国籍条項は出てくるのであって、権利の発生の原因は身分関係にある。国籍要件というのはその後の政策に基づいて設けられたというふうに考えてよろしいですね。
  100. 小山裕

    ○小山説明員 恩給法、これは大正十二年に制定されておりますが、その当初からただいまと同じような国籍条項が置かれております。ですから、その後の政策的な判断によりという趣旨がよくわからないのでございますけれども恩給法におきましては、現在の恩給制度が発足した当時から、先ほど申し上げましたような考え方に立っているということでございます。
  101. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 先ほど援護法の国家補償の精神ということを伺いましたときに、恩給法に倣った恩給法に倣ったというふうに大変言い逃れに近い言い方をなさっておられるわけでございますが、もう一度今度は厚生省の方に質問を戻します。  戦争の犠牲の発生の当時、国との使用関係にあったという身分関係から発生した被害に対して補償するんだということであれば、通常の損害賠償ないしは損失補償の考え方に基づけば、当然発生時における身分関係が問題であるわけでございまして、補償のときの国籍の有無というのは問題にならないはずである。考え方としてそうなると思うのですが、その辺はいかがでしょうか。
  102. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 先ほど来援護法恩給準拠ということを申し上げておりますけれども、若干御説明をさせていただきますと、援護法につきましては、GHQの指令を受けて出されました昭和二十一年勅令第六十八号によります恩給停止を受けていた軍人を含めまして、これに対する援護を行うために、恩給法に準拠して昭和二十七年に制定されたという経過は御案内のとおりであります。  その後、昭和二十八年に軍人恩給の復活したことによりまして、軍人については原則として恩給法が適用されることになったことに伴い、これら恩給法が適用される者に対しては援護法は適用しない。その結果、軍人については恩給法、それから主として軍属、準軍属につきましては援護法で処遇することになった、こんなような経過がございまして、国籍の考え方につきましても、恩給法に準拠して整理がなされているものというふうに考えております。
  103. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 先ほど加藤議員も追及したように、恩給法においても先ほどの三一八通達に倣った形の解釈をしてきたから、恩給相談ハンドブックに書いたような取り扱いをしてきた。そして、従来どおり本人の意思と無関係に国籍を喪失した外国人の場合には、この国籍条項の適用はないという取り扱いをしてきたのだというお答えでございましたが、恩給法、援護法ともにそういう法の趣旨からそういう取り扱いをしたにもかかわらず、なぜ今回この二つともに去年の予算委員会で取り上げられたのでそういう解釈はやめたというふうにお考えになったのか、その理由をお述べ願います。
  104. 小山裕

    ○小山説明員 まず、私の方からお答えさせていただきますけれども、先ほど加藤委員の御質問にお答えいたしました際に申し上げましたことは、私ども恩給法の解釈におきまして、本人の意思によらざる国籍喪失が恩給法の国籍条項の規定に当たらないという解釈ではございません。私どもといたしましては、サンフランシスコ平和条約によりまして国籍を失った方々についても、恩給法の国籍条項により恩給受給権は失ったという解釈でございます。  ただ、比較的早期に帰化をされた方についてはその特別な事情を配慮したという趣旨でございますので、繰り返してはございますが、改めてお答えをさせていただきました。
  105. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 お答えいたします。  先ほども御説明いたしてございますが、三十七年の通知の考え方をとったわけでございますけれども、当時の三十七年通知の考え方につきましては、昨年以来慎重に検討をしました結果、御答弁申しましたように、三十七年通知の解釈については無理があるということで、変更をするというようなことでございます。
  106. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 私が伺っているのは、無理があるというような判断、それはなぜそのように無理があるというように判断したのか。つまり、三十一年、それに無理がないと考えてずっとそれを適用してきた。それが突然無理があるというふうに変えた理由をお伺いしているのですよね。  恩給法も、その方がより人道的だというお考えのもとから、早期に帰化した場合には援護法と同じような取り扱いをしてきたからこそ、恩給相談ハンドブックという国民向けの説明書にはわざわざ援護法と同じ取り扱いをいたしますよ。だから無理があるのは、むしろ恩給法をそういうふうに考える方向に合わせるべきであって、突然三十一年後にそれに無理があると判断した根拠をお伺いしているわけでございます。
  107. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 繰り返しの御答弁で恐縮でございますけれども援護法におきます国籍喪失につきまして、サンフランシスコ平和条約、そういった条約によります個人の意思に基づかない一方的な国籍喪失は、援護法の国籍喪失に当たらないという三十七年の解釈につきましては、昨年来各方面と相談して慎重に検討した結果、先ほど申しましたようなことでございます。  平和条約の発効に伴いまして日本国籍を喪失した者につきまして、援護法において日本国籍を喪失していないというのは法制的に無理があるというのは、検討の結果そうでございまして、これは法解釈としてやはり国籍喪失は国籍喪失というふうなことを——実は私どももこの帰化の事例等当たりますと、この十年ほどそういう事例も現実になかったような事情がございます。昨年国会の場において御指摘いただいて、改めて慎重に検討しました結果、先ほど来申し上げましたような経過ということでございますので、御理解を賜りたいと思います。
  108. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 何か書いたものを読むかのように同じことの繰り返しはかり言っているのでは、答弁にならないわけですね。  解釈というのはいろいろ法解釈はできるわけで、やはり当事者に最も有利にという形で、非常に合理的な理由をもって三十七年も大きな検討の末に行い、三十一年間それを適用してきた。その法解釈が通用してきた。それがやはり無理だというのはなぜかということは、もう少し合理的理由を示さないと、オウム返しばかりやっていたのでは余りに厚生省の通達の問題点が浮かび上がるのではなかろうかと思われるから、何度も伺っているわけでございます。  それで、外務省が一九八二年六月三日に、米、英、仏、伊、独の植民地出身者に対する戦後補償という調査を行っております。これは外務省による報告書でございますが、その調査報告書によりますと、アメリカにおいても、英国においても、フランスにおいても、イタリアにおいても、ドイツにおいても、戦後補償について国籍を支払うか支払わないかの要件にはしていない。こういった戦後補償、つまり援護金とかいった補償金の支払いの要件は、要件の発生する事故、戦争なら戦争の起きた時期にその国の構成員であったか否かに基づくということをはっきり調査報告書でうたっているのですね。支給額等については若干の違いのあるところもあるというふうに報告書はなされておりますが、これが外務省の報告書にも出ているわけでございます。  こういう報告書があるにもかかわらず国籍要件をつけている合理性について、厚生省はどのようにお考えでしょうか。
  109. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 今お話がございました諸外国の状況については、詳しく存じないわけでございますけれども、例えば国際人権規約等の考え方等を見ましても、合理的な差別まで禁止したものではないというふうに私ども承知をいたしておるわけでございます。  何度か申し上げておりますけれども援護法におきましては、外交的処理にゆだねる、その他申しましたような事情で国籍条項が設けられているところでございまして、そういうふうな観点から合理性があるということで、我が国の法規としては国際人権規約等には違反していないというふうに思っております。  なお、援護法国籍要件の合理性につきましては、昨年の台湾人元日本兵の訴訟に関する最高裁判決におきましても、国籍条項を設けておることにつきましては認められているというようなことを承知いたしているところでございます。
  110. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 今そちらが答弁なさった台湾人元日本兵に対する上告審判決は、これは裁判所が判断する問題ではなくて、立法政策に属する問題だからという形で棄却しているわけでございまして、それが正しい、合理性があるということは一遍もおっしゃってはおりません。  もう一つ、これは非常に重要な問題で、今後の法改正、しかも、あらゆるアジア諸国からの戦後補償の問題、従軍慰安婦等も絡めまして出てきているときに、なお厚生省がこれに合理性があるとする根拠を、法のできた経緯、つまり、かつての問題ではなくて、今なお国籍条項が必要だとする今日的な合理性の根拠を国民にわかりやすく箇条書きで答えてください。
  111. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 戦傷病者の援護法におきまして国籍要件を設けておりますこと、対象日本人に限定しておりますのは、援護法が、恩給を停止された軍人等を救済するために、国籍要件を有する恩給法に準拠して制定されたものであることが一つ、それから、サンフランシスコ平和条約において、朝鮮半島や台湾などいわゆる分離独立地域に属する人々の財産・請求権問題は帰属国との特別取り決めの主題とするとされたこと、このことを理由に国籍要件が設けられているものというふうに、繰り返し御答弁申し上げているところでございます。
  112. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 それはもう何度も何度も先ほどから伺っておりまして、それは歴史的経緯である。しかし、歴史的経過はともかくとして、戦後四十数年たった今、諸外国の状況調査も報告されている。しかも最高裁の判決も、これについては法のもとの平等の原則に反する差別であるということを園部裁判官が述べた上で、さらには、しかし裁判所の判断することではなくて、立法政策の問題というふうに言っているわけです。  だから、現時点での立法政策の問題として、かつてじゃなくて今、なおこれを維持し続けなければいけないのだとする今日の言葉での合理性を挙げていただけないかというふうに私は質問しているわけでございます。  それと、一つそれにかかわることでございますが、国連の規約人権委員会でのセネガル・ケースというのがございます。この中でもはっきりと、これはもうそちらも御存じだと思いますので詳しく説明はいたしませんけれども、かつてフランス領だったセネガル人が独立に伴ってセネガル国籍を取った。セネガル国籍を取った後、若干支給額が低くなったというケースにおける差別が問題になったわけでございますけれども、それに対して規約人権委員会の最終見解というのが一九八九年四月三日に出されまして、こういうふうに言っているのです。「年金は国籍のゆえに支給されるのではなく、過去においてなされた軍務のゆえに支給されるものである。」こういうふうにはっきりうたっているわけです。ところが、厚生省はそうではないというふうに言われる。  この二つの歴史的経過、恩給法とサンフランシスコのことはわかりましたので、それを除いた、しかもこういう新しい人権委員会の最終見解ですら、年金等は国籍を要件に支給されるのではない、過去になされた軍務のゆえに支給されるものであるという見解があっても、なお国籍条項を維持しなければならない合理性について答えてください。
  113. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 合理性はなぜかということでございますけれども、若干補足をさせていただくわけでございます。  先ほども申しましたけれども平成四年四月二十八日の最高裁判決におきましては、台湾出身の兵の訴訟に対しまして   台湾住民である軍人軍属援護法及び恩給法の適用から除外されたのは、台湾住民の請求権の処理がサンフランシスコ平和条約及び日華平和条約により日本政府と中華民国政府との特別取極の主題とされたことから、台湾住民である軍人軍属に対する補償の問題もまた両国政府の外交交渉によって解決されることが予定されたことに基づくものと解されるのであり、そのことには十分な合理的根拠があるものというべきである。   したがって、憲法第十四条に違反するものとはいえない。というふうな判示をされておるわけであります。園部裁判官の少数意見等のついていることは、承知をいたしているところでございます。  それから、セネガルのケースということでございます。  先ほど申しましたけれども、国連の人権規約におきましては、合理的な差別までも禁止したものではないというふうに承知をいたしておりまして、ただいま最高裁の判決を長く読ませていただきましたけれども、合理的な根拠があるというふうな判示をちょうだいしているところでございますので、私どもとしては国籍条項、これは適法なものというふうに考えておるところでございます。
  114. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 過去の経緯についての合理性の問題を聞いているのじゃなくて、今後どうすべきかという将来の課題、今国際化社会と言われているこの時代にあってどうすべきか、しかも誠実な戦後補償の問題が、韓国や台湾やフィリピンやそのほか従軍慰安婦問題等を通して提起されている今日的課題としてどう考えるかということをお伺いしたいと思いますので、厚生大臣に今後の問題も含めて御答弁願います。
  115. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 先ほどから御答弁を申し上げておるわけでございますが、日韓問題については既に補償については解決済みである、こういうことでありまして、条約によって決められたものについて、この問題について私どもの方から何らかの方針を打ち出すということは、現実問題として、韓国国内の問題について私どもが何かを申し上げるということは、厳に慎ませていただきたいと思っております。  セネガルの国の補償の問題については、私ちょっと不勉強でよくわかりませんけれども、それぞれの国にはそれぞれの実情があるわけでございまして、それに基づいてそのような法律が決められて、そのような補償がなされておる、こういうことでございます。  私どもは、先ほどから申し上げましたように、日韓両国間におきましては、いわゆる日韓の締結においてこの問題が解決した、このように考えているような次第であります。
  116. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 日韓の問題については条約で解決済みだからという御答弁でございますが、先ほど最高裁の判決が問題になりましたけれども、日台間の負傷兵に関しては、人道的精神に基づきという形で見舞い金の支給がされている。だからこういうような形に基づくやり方だって、条約があったにしても、日台間にははっきり棚上げにされている部分があるわけでございますが、本来こういった問題は、このセネガルのケースにおける国連の規約人権委員会の最終見解にあらわれておりますように、国家補償の精神というよりは人道的精神、国境の壁のない人道的精神に基づきというような法の建前であるべきだと思いますが、その辺について厚生大臣はいかがお考えでいらっしゃいましょうか。
  117. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 台湾の問題につきましては、先生御承知のように、今国交が我が国との間で結ばれておらないわけでございます。そういう経過の中において、国交が断絶をいたしました時点、その以降におきまして、いわゆる特定弔慰金というものを一人当たり二百万円、あくまでも人道的立場からお支払いをした、こういうことでございます。
  118. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 台湾のことはわかりましたが、今後の課題としまして、こういった戦後補償について、国籍条項を今後も維持することについての合理性云々じゃなしに、より望ましい方向についての御見解はいかがでしょうか。
  119. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 いろいろな経過がありまして混乱も生じたことは、私先ほどからさきの委員にも申し上げたわけでございますけれども、私どもといたしましては、将来にわたってこの援護法の解釈が揺るぎないためにも、今後はひとつ国籍要件というものを大前提としながらこの問題に取り組んでいく決意であります。
  120. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 この国籍条件については撤廃する気はない、これを大前提に考えるというふうな御答弁かと思いますけれども、これはやはり大変問題ではなかろうか。  今後日本が国際化社会、国際貢献というようなことを、貢献というより責務としてあらゆる問題に対して誠実に対処しながら、世界のさまざまな問題にどうかかわっていくかという時代に、みずからの国が行った戦争の犠牲者に対して、国籍の違う者はしなくていいんだ、条約という国と国の取り組みであって、個人の問題にまで入らなくていいんだという考え方であれば、今従軍慰安婦の問題で突きつけられている誠実な補償と謝罪という問題とはほど遠いことになり、信頼関係は取り結べないのではないかというふうに、私は大変残念に思っております。  次の問題に移らせていただきますが、従軍慰安婦の問題につきまして外政審議室の方にまずお伺いします。  韓国の方では金銭的な要求ではない、日本国家に対してもっときちんとした事実の確認、事実の調査を求めるというようなことが言われているとマスコミでは伝えられておりますが、その辺がどうなっているのか。さらに、台湾、フィリピン、こういったところに対する調査状況等について御答弁願います。
  121. 木村政之

    木村説明員 いわゆる従軍慰安婦の問題の調査につきましては、韓国側より真相究明を尽くしてほしいという要望は強く受けております。先生御指摘のとおりでございます。  現在、政府を中心にいたしまして、昨年の七月に第一回目の調査結果を発表いたしましたけれども、その後も関係の六省庁に加えて、新たに法務省とか国会図書館とか国立公文書館において調査を進めております。  それから、東南アジア諸国につきましても、今までは朝鮮半島出身者ということでやっておりましたが、もっと広くそれらの地域にも広げまして、今鋭意調査を行っている段階でございます。
  122. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 強制連行により連れてこられたか否かということが韓国との問題では大変問題になっているのではなかろうかと思いますが、そのような調査についてはどういう形で行っているのか。さらには従軍慰安婦当事者からの聞き取り調査を行ったか、あるいは行う予定があるか否かについてはいかがでしょうか。
  123. 木村政之

    木村説明員 調査の最大のポイントは強制性の有無にあるということは十分認識をいたしておりまして、その点につきまして特に重点的に調査を進めております。  関係者のヒアリングも今広く行っておりますし、それから韓国におられる慰安婦の方々から直接お話をお聞きするということにつきましても、現在韓国政府を通じてその意向を伝えておるところでございます。
  124. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 強制に関するヒアリングを行っているということですが、そのヒアリングは今どういう形で行っているのか。  それから、その韓国の直接当事者への聞き取りというかヒアリング、それは日本政府としては何人くらいを対象に、いつごろ行いたいというような意向であるのか、その辺いかがでしょうか。
  125. 木村政之

    木村説明員 強制性の有無についての調査をどのようにやっておるかということにつきましては、特に資料調査に加えて、関係者の方々からのお話もお聞きするという形でやっておるということだけを今申し上げられる段階でございます。  それから、慰安婦の方々幾人かということにつきましては、その代表者からお聞きをするということで話を進めております。
  126. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 その関係者というのは、旧軍人とかあるいは連行に当たった人たちも含まれておりますでしょうか。
  127. 木村政之

    木村説明員 詳しくは申し上げられませんが、旧軍人とかそれから朝鮮総督府の方々、そういうものを広く含めてやっております。
  128. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 そうしますと、昨年ですか、法的にはともかく、人道的と言えばいいのでしょうか、何らかの補償はしなければいけないのではないかと思う、例えば慰霊塔とおっしゃいましたか、何かそういうようなお話をちょっと渡辺外相が予算委員会お答えになったこともございましたが、補償についての御意向はいかがなものなのでしょうか。
  129. 武藤正敏

    ○武藤説明員 お答え申し上げます。  いわゆる従軍慰安婦として筆舌に尽くしがたい辛苦をなめられた方々に対しまして我々の気持ちをいかなる形であらわすのか、各方面の意見も聞きながら誠意を持って検討したいということは、これまで何度も御答弁申し上げたところでございます。  我々の気持ちをどういうふうにあらわすのか、これは私ども日本政府として自発的に考えていかなければいけない問題だと思いますけれども、我々の気持ちをあらわすに当たっては、やはりいろいろな方々の御意見を伺った方がいいだろうということで、いろいろな方々から直接間接にお話伺いたいというふうに考えておりまして、日本国内、韓国その他の国々の方々とも意見交換をしているところでございます。  現在までのところ、特に韓国からでございますけれども、真相究明に全力を尽くしてほしいというお話がございまして、我々もこれはできるだけのことをしたいというふうに考えております。また、こういう調査をしたらいいだろうとか、ああいう調査をしたらいいだろうとかいろいろ御意見もございますので、我々としても、できるだけそういった御意見を誠実に伺いながら取り組んでいきたいというふうに考えております。  ただ、我々の気持ちをいかなる形であらわすかという点につきましては、この調査結果を待った上で考えるべきだというような御意見もございまして、我々内々いろいろ検討はしておりますけれども、現段階において、こういった形であらわすというようなことでまとまった意見というものはまだございません。
  130. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 大体いつごろをめどにそういった問題をまとめたいというような予定があるのかどうか。  それから、台湾それからフィリピン、特にフィリピンは今回また提訴されたわけでございますけれども、台湾及びフィリピンに対してはどのような交渉を行っているのか、お願いいたします。
  131. 武藤正敏

    ○武藤説明員 私、韓国を担当しておりますが、めどという先生の御質問についてだけお答えさせていただきたいと思います。  私どもとしても、できるだけ早くこの問題の解決に努力をしていくということが大事だと考えておりますけれども、ただ他方、いろいろこういった調査をしてほしいというような御意見もございまして、まずその調査に誠実に取り組むというのが第一だと考えております。したがいまして、まだめども立っていないという状況でございます。
  132. 林景一

    ○林説明員 フィリピンの部分についてお答えを申し上げます。  昨年の当時の加藤官房長官の声明の際から一貫して申し上げておりますことでございますけれども、私どものおわびと反省の気持ちといいますのは、国籍、出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として辛苦をなめられたすべての方々に対して向けられたものでございますし、そういう気持ちをいかなる形であらわすことができるのかということの検討に当たっても、やはり国籍、出身地のいかんを問わず検討していくということかと思います。  フィリピンにつきましては、先般、三月の上旬、具体的には十一日でございますけれども、国賓として来日されましたラモス・フィリピン大統領が宮澤総理との首脳会談におきましてこの問題を提起されまして、この問題の早期の円満なる解決というものを希望するという旨表明されました。これに対しまして宮澤総理の方から、フィリピンの方々を含めまして、改めておわびと反省の気持ちを表明されまして、我々のこの気持ちをいかなる形であらわすことができるのか検討していきたいということを発言されました。こういう総理の発言も踏まえまして、さらに引き続き調査検討を進めていくということかと思います。
  133. 武藤正敏

    ○武藤説明員 台湾につきましても、韓国、フィリピン、その他の国々と並行して検討を進めてきているところでございます。
  134. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 台湾とは今のような形での、政府レベルでの接触はないということなんでしょうか。
  135. 武藤正敏

    ○武藤説明員 私、台湾につきましては必ずしも正確に承知していないわけでございますけれども、私が存じます限り、直接は接触していないように理解しております。
  136. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 次に、国連の関係に移ります。  戦後補償の問題で、国連の人権委員会へだと思うのですが、政府が「市民的及び政治的権利に関する国際規約第四十条1(b)に基づく第三回報告」というのを出されておりまして、そのコメントの中の第二条関係というところの三項の部分に「外国人の地位、権利」というような部分がありまして、ここにこういうふうに報告しております。「外国人の権利については、基本的人権尊重及び国際協調主義を基本理念とする憲法の精神に照らし、参政権等性質上日本国民のみを対象としている権利を除き、基本的人権の享有は保障され、内国民待遇は確保されている。」というような報告を出しているわけでございます。  先ほどはずっと厚生省にお伺いしたのですけれども外務省にお伺いいたしますが、このような報告を出している。そして、一九七九年の九月二十一日に発効した国際人権規約とか、一九八二年の一月一日に発効した難民条約に基づいて、社会保障関係の国籍を理由にする差別的補償の継続というものをなくす方向に改正したわけでございますけれども、この報告に関しても今回の遺族援護等における国籍による差別ということには一切触れてない。これはどのようにお考えでいらっしゃいますでしょうか。
  137. 吉澤裕

    ○吉澤説明員 我が国が一昨年の十二月に国連に提出いたしました市民的政治的権利に関する国際規約、略称人権規約の第四十条1に基づきます第三回目の報告書では、先生御指摘のとおり「外国人の権利については、基本的人権尊重及び国際協調主義を基本理念とする憲法の精神に照らし、参政権等性質上日本国民のみを対象としている権利を除き、基本的人権の享有は保障され、内国民待遇は確保されている。」このように記述しております。  これは、参政権や公務員となる権利のようなもともと外国人には当然認められないような権利を除きまして、外国人も日本人と同様に基本的な人権は保障されている、こういう趣旨を述べたものでございます。  B規約の第二条の1は、この規約の各締約国は、その領域内にあるすべての個人に対して、いかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する、このように述べておりまして、この人権規約には、国家から補償を受ける権利というような権利は明示的な規定はございませんけれども、人権規約の第二十六条に「すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。」このようにございます。  ただ、B規約の第二十六条の「法律による平等の保護を受ける権利を有する。」という権利につきましても、外国人と自国民との間に合理的な差異を設けることまで禁じているものではない、このように解されますので、第三回報告書もこのような合理的な差異が存在し得ることを当然の前提として書かれたものでございまして、援護法にある国籍条項が不合理なものであるというふうに言えないと考えれば、B規約報告書に御指摘のような記述があるということと援護法国籍条項が設けられているということは矛盾するものではない、このように私ども考えております。  それで、先生から、今度の報告書になぜこの援護法国籍条項について記述がないのかという御質問がございましたけれども、私どもこの報告書をつくるに当たりましては、第二回目の報告書よりさらに、第二回の報告書の審査で委員の方々から質問が出されましたような事項を中心にいたしまして、例示を盛り込むとか内容を充実させたものでございますけれども援護法国籍条項につきましては、第二回の報告書の審査の際にも特に議論もなかったというようなこともございまして、特に今回の報告書には含めなかったのでございます。
  138. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 一昨年の十二月の報告書にはそういうことで載せなかったということでございますが、セネガルのケースでは、先ほどのことが人権委員会の最終見解として、この援護法と同じような形の問題、これは合理性のない差別であると。つまり、こういった戦争による疾病または負傷に対する障害年金等においては、国籍のゆえに支給されるべきではなくて、過去においてなされた軍務のゆえに支給されるものであるということが出ている。  こういう状況の中では当然、しかも援護法等における国籍条項は、カウンターペーパーとして国連人権委員会に出されているのではないかと思います。外務省として非常に困難な局面に出会うんじゃなかろうかと思うのですが、外務省の見解としては、援護法における国籍条項の合理性につきましていかがでしょうか。
  139. 吉澤裕

    ○吉澤説明員 このB規約の第二十六条におきましては、「すべての者は、法律の前に平等であり、いかなる差別もなしに法律による平等の保護を受ける権利を有する。」という規定がございまして、この第二十六条の規定というのは、不平等な扱いをする法律を設けることを基本的に禁止したものと考えられますけれども、しかし、それも外国人と自国民との間に合理的な差異を設けることまで禁じているものではない、このように解されるわけでございます。  援護法にございます国籍条項が外国人と自国民との間に不合理な差異を設けるものかどうか、あるいは合理的な差異であるのかという点につきましては、基本的にはこの法律を所管する厚生省の方から御答弁すべき問題であると考えますけれども、その点につきましては先ほどから御答弁いただいているところというふうに承知しております。
  140. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 セネガル・ケースと今回加藤議員、私が問題にしているこの援護法における国籍差別というのは全く同じ局面でございまして、今後国連の場面で大変大きな問題になろうかと思いますので、厚生省外務省という壁を超えまして、政府として前向きな形で、国籍における差別、これは合理性がない、むしろ日本国軍隊として勤務して負傷したか、疾病にかかったか、あるいは戦死したか、こういった事実に基づいて発生するんだというところでぜひ統一すべきだと私は考えます。  それから、もう時間がございませんので、最後に伺います。  同じく外務省でございますが、今従軍慰安婦の問題が国連に提訴されているわけでございますけれども、それに対する外務省の現在の進捗状況と言えばいいんでしょうか、どういうような状況にありますでしょうか。
  141. 吉澤裕

    ○吉澤説明員 この従軍慰安婦問題との関連におきましては、国連の人権委員会の下部機関でございます差別防止・少数者保護小委員会というところにおきまして、昨年の八月に、戦争中に売春に従事することを強要されていた女性の状況に関して、現代的形態の奴隷制に関する作業部会、これは差別小委員会の下部機関でございますけれども、及びその差別小委員会が受け取った情報を重大な人権侵害の犠牲者に対する補償等についての権利に関する特別報告者、これはオランダ人のヴァン・ボーベンという人がやっておりますが、これに提出するように国連事務総長に要請するという旨の内容を含みます決議が採択されております。  これに従いまして、その差別小委等で従軍慰安婦問題に関連してあった発言等がこの重大な人権侵害の犠牲者に対する補償等についての権利に関する特別報告者に提出されるわけでございまして、この特別報告者は本年八月の差別小委員会に最終報告書を提出することになっておりまして、従軍慰安婦に関する情報がどのように特別報告者によって扱われるかにつきましては、この特別報告者にゆだねられるものというふうに考えております。  なお、ヴァン・ボーベン氏は、昨年の十二月に来日したわけでございますけれども、その機会に政府としても、ヴァン・ボーベン氏に政府関係者がお会いして、政府立場をお伝えしたところでございます。
  142. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 といいますと、オランダの方も国連に通報というか提訴しているということなのかどうかということと、それから、国連を通じないでオランダ政府と直接に従軍慰安婦問題で何らかの折衝を持ったことがあるか否か、この点はいかがでしょうか。
  143. 吉澤裕

    ○吉澤説明員 先ほど申し上げましたヴァン・ボーベン氏は、国連の特別報告者、さらに申し上げれば国連の差別防止・少数者保護小委員会、略称差別小委員会によって任命された特別報告者でございまして、たまたま国籍がオランダ人である、こういう趣旨でございます。  なお、従軍慰安婦問題につきましてオランダ政府との間でどのようなやりとりがあるかにつきましては、今すぐにお答えすることができませんので、必要があれば後ほど先生の方に御報告したいと思います。
  144. 伊東秀子

    ○伊東(秀)委員 これで私の質問を終わらせていただきます。
  145. 浦野烋興

    浦野委員長 草川昭三君。
  146. 草川昭三

    ○草川委員 草川であります。本会議の時間がございますから簡潔に質問をしますので、答弁の方も簡潔にお願いしたいと思います。  厚生省における援護行政は戦後五十年近くの年月があるわけでありますが、私もきょうは最後に恩給の個別の問題を取り上げたいと思っておりますけれども、残された課題が非常に多いと思います。  まず第一に、中国の残留孤児、中国の残留婦人等の問題についてお伺いをしたいと思います。  引き揚げ援護の分野では中国の残留孤児の問題があります。過去二十三回にわたる訪日調査が行われており、六百四十人の方の身元が判明しておりますけれども、今後の肉親調査に対する厚生省の対応をお伺いしたいと思います。     〔委員長退席、山口(俊)委員長代理着席〕
  147. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 お答えいたします。  肉親調査につきましては、訪日調査昭和五十五年度から開始されまして二十三回、今お話しのとおりでございます。実は現在も肉親捜しを求める者、つまり、孤児として新たに申し出がある者が年間二十人から三十人ほど新たなケースが出て良いっております。そういう状況でございますので、まとまった孤児のいる限り、集団での訪日調査を今後も実施していきたいというふうに考えております。そういうことで、平成五年も所要の予算を計上いたしているところでございます。  それから、肉親調査に伴いまして、身元の判明しない孤児についての対応がございます。これまでも未判明孤児名鑑を作成しましたり、あるいは職員のキャラバン隊をつくりまして肉親調査班を出しましたり、最近は、当時の事情に詳しい元開拓団員等の関係者の方を調査員として都道府県に配置するといったようなことで、きめ細かな肉親調査を実施いたしているところでございます。  引き続き何らかの手がかりが得られるように、場合によっては再訪日調査を行うといったようなことを充実してやってまいりたいというふうに思っております。
  148. 草川昭三

    ○草川委員 残留孤児の方については、肉親調査も当然のことながら、帰国後の定着自立促進対策というのが極めて大切だと思いますが、具体的な対応についてお伺いしたいと思います。
  149. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 おっしゃいますとおり、肉親を捜すことは入り口でございまして、その後いかに日本社会に軟着陸していくか、定着促進が重要でございます。  五十年近くの間、日本とは異なる社会、文化の中で生活をしてきた帰国孤児等あるいはその家族の皆さんにとりましては、言葉の問題、生活習慣の違い、その他いろいろな困難に直面いたしております。こうした帰国孤児等の定着促進につきましては、私どもも引き続き重要な課題というふうに考えております。  このため、具体的には、中国帰国孤児定着促進センターに四カ月間入所させるということが出発でございますが、ここでの日本語や生活習慣の集中的な指導を行った後、定着先においてさらに八カ月間中国帰国者自立研修センターに通わせ、日本語指導、生活指導、就労指導等を行うことによりまして、帰国後一年間を通じた自立支援体制を現在行っているところでございます。  また、帰国後三年間につきましては、日常生活上の相談、各種指導等を行う自立指導員を派遣しておりますほか、さらに自立支援通訳、これは病院に行ったり、やや難しい言葉を要する場合等に使いますけれども、そういった施策を講じまして、一日も早く日本の生活に適応できるよう、自立支援体制の整備に努めてまいっております。引き続ききめ細かな支援の充実に努めたいというふうに思っております。
  150. 草川昭三

    ○草川委員 三年間のフォローというのですけれども、実際にはかなり問題が社会化しておるわけでありますので、ぜひその倍くらいの年数はフォローし、自立させてあげていただきたい、こう思います。  また、中国残留の婦人の方々が最近テレビ等でも紹介をされまして、非常に我々も胸が痛いわけでありますけれども、かなり高齢化が進んでおると聞いております。その実態あるいは帰国援護についての見解をお伺いしたいと思います。
  151. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 お話がございましたとおりでございまして、中国残留婦人、当時残りましたときの年齢が高かったというふうな事情の方々でございますけれども、高齢化が進んできております。私ども厚生省では、現在のところ、いわゆる残留婦人等と言われる方々は千八百人程度いらっしゃるというふうに把握をいたしているわけでございます。  この残留婦人等の問題につきましては、孤児の問題と並びまして今大変重要な問題と認識しております。実は従来から、その帰国援護に関しましては、帰国旅費を支給するとか、あるいは日本に帰ってくる場合の落ちつき先における自立指導員の派遣を行うといったような、基本的に残留孤児と同様の施策を講じてまいったところでございます。  さらに今年度、平成五年度におきましては、帰国時に日本語や生活習慣の研修を必要とする者につきまして、中国帰国孤児定着促進センターに短期間入所させるというような新たな事業を始めることにいたしました。孤児と違って当時の日本の事情も知っておる、日本語も基本的には話せるということでございますが、長年日本語を使っていないという事情がございますので、孤児と並んで短期入所をする、より軟着陸できるようにする、こんなことをいたしてございます。  あともう一つ、残留婦人につきましては、先生のお話にもございましたが、高齢化が進んでいる、孤児より年齢が高いということでございますために、特別の配慮が要るというふうに思っております。私どもといたしましては、残留婦人等で帰国を希望している者につきましては、必ずその希望がかなえられるようにするというようなことを目標にしまして、最大限の努力をしてまいりたいというふうに思っておる次第でございます。
  152. 草川昭三

    ○草川委員 ぜひお願いをしたいところであります。  その次に、戦没者追悼平和祈念館、これはことしの予算も二十一億という形でついておりますし、事業規模としては百二十三億という計画になっております。さきの大戦における悲惨な国民的な体験を後世に伝えていくことは非常に重要だと思うわけでありまして、この施設の具体的な内容ということについてはまだ一歩明確ではございません。少し本施設の趣旨あるいは大体のイメージのようなものをこの際発表していただきたい。お願いをしたいと思います。
  153. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 お答えいたします。  今年度予算を計上いたしております戦没者追悼平和祈念館、仮称でございますが、その設置の趣旨なりイメージはどうだということでございます。  私どもとしましては、今年度を初めとしまして三年間で祈念館を建設したいというふうなことで考えているわけでございます。ただいま先生のお話にもございましたけれども、終戦五十周年を目前に控えました今日、若い世代の中には、さきの大戦によりまして三百万人を超える方々の生命が失われ、また国民全体が困難な生活を強いられたという事実さえ知らない者もふえてきており、さきの大戦で亡くなられた方々を悼む気持ちも日々薄れつつあるといったようなのが実情であるわけでございます。  厚生省といたしましては、従来より慰霊碑の建設だとか追悼式の実施などの戦没者の慰霊、追悼事業を実施してまいったわけでございますけれども、このような状況を踏まえまして、戦没者を追悼する気持ちを新たにいたしますとともに、戦没者やその遺族の強い願いであります恒久平和の実現を祈念するために、戦没者追悼平和祈念館を建設するということにいたした次第でございます。  この施設は、このような趣旨を実現いたしますために、一つには、国民の生活面から見た戦争の悲惨さと、戦中戦後を通しての国民の生活上の労苦を後世代に伝承できるような展示の事業を考えております。二つ目には、戦争のあった時代の国民生活の姿等の情報を広く提供することによりまして、戦時下の国民生活などの戦争に関する学習活動や研究活動を支援する情報提供、研修・研究支援事業といったようなことを考えておるところでございます。三つ目には、将来散逸のおそれのある社会的な価値の高い戦争に関する資料などを後の世代に伝承できるよう、関係機関との調整を図りつつ収集・保存を行う。大きくこの三つの事業を行うことを考えているところでございます。  私どもとしましては、施設の機能面からは博物館的、図書館的、資料館的な諸機能を有するものと考えておりまして、広く国民に利用しやすい施設を目指して整備を図っていきたいというふうに考えておる次第でございます。
  154. 草川昭三

    ○草川委員 博物館的な施設ということもおっしゃったわけでありますが、実は私どもの地元にガダルカナル島の玉砕というのですか、引き揚げた方がお見えになりまして、この方が知多半島の先のところの山の私有地を開墾というのですか、ガダルカナル島のイメージでつくり直しまして、庭をつくりまして、全国から毎年ガダルカナルに派兵された方々を集めまして自分たちで亡き戦友の追悼をしている、こういう感動的な話もあるわけであります。  こういう話というのは私、多分全国にもたくさん埋もれていると思います。そういう方々の心情がぜひ今回の戦没者の追悼平和祈念館の中に反映をするように、役所ペースではなくて、現実に体験された方々の意見を聞くような、モニターをされるようなことをして計画をぜひ進めていただきたい。まだすべて固まっているわけじゃないので、幾らでも私どもそういう点では紹介をし、協力をいたしますので、お取り上げのほどをお願い申し上げたいわけであります。  その次に、シベリア抑留中の死亡者の遺骨の収集についてお伺いしたいと思うのです。  海外戦没者の遺骨収集は、南方地域を初めとして、私が先ほど申し上げたガダルカナルもそうでございますが、平成三年度には戦後初めて旧ソ連に遺骨収集が実現をしたわけであります。それで、関係者の心情を踏まえるとき、できるだけ早期にシベリア抑留中の死亡者の遺骨収集を進めてほしいと思います。  私もハバロフスクの現地のお墓へ行ってまいりました。それで、ハバロフスクの場合は飛行場の途中でございますので、日本人の方々もかなり立ち寄られているわけであります。手厚く処置はしていただいておりますけれども、我々としては胸の痛むところであるわけであります。そんな意味を含めまして、今までの実績と今後の方針についてお伺いをしたい、こう思います。     〔山口(俊)委員長代理退席、委員長着席〕
  155. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 シベリア抑留中死亡者の慰霊事業、中でも遺骨収集の事業につきまして、実績あるいは今後どういう方針で臨むのかというお尋ねでございます。  この問題につきましては、ソ連抑留中死亡者の遺骨収集、お話もございましたけれども関係御遺族の心情を踏まえまして、実は昭和三十一年の日ソ共同宣言以来、機会あるごとに相手国と交渉をするなどの努力をしてまいったところでございます。  その結果、平成三年四月に日ソ両国政府間で遺骨収集等の基本的枠組みを定めました協定を締結し、遺骨収集それから新たな埋葬地への墓参の道が開かれたというところでございます。この協定に基づきまして、平成三年十月にチタ州におきまして初めての遺骨収集を実施することができたわけでございます。このとき五十六柱の御遺骨を収集したところでございます。平成四年度におきましては本格的な遺骨収集に取り組むことといたしまして、ロシア連邦内のチタ州など五地域において遺骨収集を実施したところでございます。この結果、合わせて九百五柱の御遺骨を収集したというような状況でございます。  本年度におきましては、本格的実施の二年目といたしまして、引き続き抑留中死亡者の九割以上を占めますロシア連邦内のチタ州、ハバロフスク地方、イルクーック州、プリモルスク地方、それから新たにアムール州、これらの地域の埋葬地におきまして遺骨収集を実施する予定といたしておるところでございます。  以上のような状況でございますが、遺骨収集につきましては、本格的実施が始まったところでございますけれども関係御遺族の心情、それから関係の皆さんの高齢化が進んでおること等にかんがみまして、その実施に最大の努力をしてまいりたいというふうに思っておる次第でございます。
  156. 草川昭三

    ○草川委員 関係遺族が高齢化をしているわけでありますので、ぜひ遺骨収集と並行して墓参を実施できるように計画を進めていただきたい、こう思うわけであります。  いずれにいたしましても、死亡された方々は、ソ連で抑留中に亡くなった方は五万五千人、こう言われておるわけであります。しかも病弱のためソ連から旧満州あるいは北朝鮮関係に行った方々は、推定で四万七千人という資料もあるわけでありますので、これはぜひ私どもの希望をかなえていただきたい、こう思います。  そこで、次に外務省の方に少し並行してお話をお伺いしたいと思うのですが、現在政府が行っておりますところの在サハリン韓国人の一時帰国支援事業というのがあるわけです。相当進んではおりますし、私どももある程度のことは承知をしているわけですが、今までの実績をまず報告していただきたい、こう思います。
  157. 武藤正敏

    ○武藤説明員 お答え申し上げます。  在サハリン韓国人の一時帰国支援事業でございますけれども昭和六十三年度より予算措置を講じております。そして平成元年からは、日本赤十字社、そして大韓赤十字社が設立いたしました在サハリン韓国人支援共同事業体に拠出を行っております。この事業体を通じまして、昨年十二月現在の実績でございますけれども、これまで三千七百七十七人が韓国に一時帰国いたしております。
  158. 草川昭三

    ○草川委員 それで、本年度の政府の予算でございますけれども、この支援事業に対する拠出額というのは幾らになっていますか。
  159. 武藤正敏

    ○武藤説明員 本年度の予算は一億二千五百三十七万四千円でございます。
  160. 草川昭三

    ○草川委員 昨年度の予算から五百三十七万四千円の調査費というのがついているわけです。これは私どもも日韓議員連盟の一員でございまして、韓国側からもこのサハリン残留韓国人の方々が非常に高齢化している等々の問題提起もございまして、簡潔な言い方をするならば、老人ホームのようなものとか、何かお年寄りがサハリンで集まるような集会場、あるいはまた一たん永住帰国をされたような方々が韓国で、特に大都市の近くに多いわけでございますが、地方にもそういう何か受け入れるようなものはできないのだろうか、いろいろと話し合いをしておるわけでございますが、そういうことも念頭に置いて調査費が計上されたのか、あるいはまたどのような調査が現在行われているのか、お伺いをしたいと思います。
  161. 武藤正敏

    ○武藤説明員 お答え申し上げます。  この調査費は、在サハリン韓国人の問題の将来の効果的な支援のあり方、これを検討することを目的といたしまして、いただいている調査費でございます。在サハリン韓国人の永住帰国の希望実態、これまでに韓国に永住帰国された方々の生活実態、こういったものを調査しております。  昨年度につきましては、十一月に日本赤十字社がサハリンに調査団を派遣いたしまして、現地における永住帰国の希望の実態を調査いたしました。また、この調査には外務省からも担当官が同行いたしました。
  162. 草川昭三

    ○草川委員 ついでながら、これまでの永住帰国者の総数を報告していただきたいと思います。
  163. 武藤正敏

    ○武藤説明員 これまでに百二十一名が共同体の事業によりまして韓国への永住帰国を実現しております。
  164. 草川昭三

    ○草川委員 実は、この永住帰国の第一号を行いましたのは私であります。私が当時サハリンに行きまして、もう八十近い方でございましたが、ハン・ウォンスさんという方がお見えになりまして、この方は無国籍だと言っておられました。その点は定かではございませんけれども、ちょうどソウルのオリンピックの前でございますが、その方をお連れをいたしましたのが第一号であります。その方はオリンピックのオープンセレモニーを見て亡くなられました。私自身としては、一人の日本人として感慨無量なものがあるわけでございます。  この永住帰国をした、今トータルで百二十一名というようなことをおっしゃっていますが、受け入れ家族のある方々は成功してみえる場合もあります。あるいはまた、私がお連れをいたしましたお母さんでございますが、この方は御子息もサハリンに残っておりますし、受け入れ態勢のソウルでも非常に裕福な家庭でございまして、成功をしておみえになりますが、かわいい子供がサハリンにいるために、往来の自由ということを希望してみえる方もあるわけであります。  あるいは、つい最近、たしかNHKのテレビだと思いますけれども、望郷の念絶ちがたくソウルに戻られて、家族もお見えになるんだけれども、家族との関係というのは必ずしも円満ではない、非常につらい状況がテレビで浮かび出されておりました。  私は、この永住帰国者の数がふえてくることは大変ありがたいことだと思うし、本当にうれしいことだと思いますが、そのフォローアップというのですか、連れて帰って後どうなのかという問題について、もう少し関係者も深い関心を払わなければいかぬ、こんなように思っておるのでございます。その点はどのようにお考えか、お伺いしたいと思います。
  165. 武藤正敏

    ○武藤説明員 私ども、在サハリン韓国人の韓国への永住帰国希望の数、当初は大体二百人前後ぐらいかというふうに考えておりましたけれども、昨年調査に行きましてわかりましたことは、現地の一つの団体、これはサハリン高麗老人協会でございますけれども、この調査によりますと、若い世代を含めまして一万二千人以上が永住帰国を希望しているということでございます。  こうした増加の背景、これはいろいろな要因があると思います。昨今のロシア経済の混乱により、現地における将来の生活に希望が持てなくなったとか、こういったことが一番大きな原因だと思いますけれども、いろいろ原因はあろうかと思います。そういった状況もいろいろ調査をしなければいけないと思いますし、それから、今後永住帰国を行うに当たりましては、受け入れ国である韓国に大きな社会的、経済的な影響を与えるものだと思います。  そこで、今後韓国政府の意見も十分聞きながら、また御本人たちのお考えもよく伺いながら、どういう支援を行うのが適当か、本年も引き続き調査を行っていきたいというふうに考えております。
  166. 草川昭三

    ○草川委員 かかるものは役所としては当然一定の限界があると思うのです。また後で従軍慰安婦の問題についても私はお伺いをしたいと思うのですが、いわゆる役所ベースで予算を立てた、さあ建物をつくったというところだけで終わるのではなくて、実際はボランティアの方々も含めたり、あるいは赤十字の方々等も入れまして、本当に日本人というものが過去の歴史的な反省をきちっと踏まえて、お互いに人間的な立場から話し合いをしていきませんと、せっかくの好意というのも逆になる場合もあるので、このサハリン残留韓国人の方々ばかりではなくて、そういう人間的な目でぜひひとつ今後の対応を立てていただきたいと思うわけであります。  そこで、これは外務省に最後になりますが、在サハリンの韓国人の帰還には、今申し上げましたような共同事業体によって、かなりたくさんの方々が往来をしておみえになるわけです。  これまで大韓航空のチャーター便がたしか使用されていたと思うのでございますが、御存じのとおり、韓国には、日本でいうならば全日空のようなアシアナ航空という航空会社もあるわけであります。ですから、私は、外務省、余り細かいことを承知しないかもわかりませんけれども、確かに大韓航空は一番大きい国策会社ではございますけれども、やはり現地の事情も考えて、交互に運用するとかあるいは適宜に利用するとかということの細かい配慮がないと、せっかくのとうとい予算も一方に偏ってしまうという反発もあるのではないかと思うのです。そういう点では現地の事情というのを十分把握をしながら、飛行機会社の選択についても配慮して運航をされるよう希望したいと思います。その点についてのお答えを願いたいと思います。
  167. 武藤正敏

    ○武藤説明員 チャーター便の航空会社の決定でございますけれども、これは先生御指摘のとおり、共同事業体が行うということになっております。九二年の実績でございますけれども、十三回の事業のうち三回はアシアナ航空を利用しております。先生おっしゃるとおり、我々もいろいろなことに気を配りながらやっていかなければいけないというふうに考えております。
  168. 草川昭三

    ○草川委員 では、時間もどんどん過ぎておりますので、これは内閣の外政審議室の方にお伺いします。  従事慰安婦問題について、先ほども出ておりますけれども、現状の状況ということをいま一度お答え願いたいと思います。
  169. 木村政之

    木村説明員 いわゆる従軍慰安婦問題の調査につきましては、昨年七月に第一回目の調査報告をいたしましたが、その後調査範囲を広げまして、法務省、これはオランダの軍事裁判記録が保管されております。それから国立国会図書館、国立公文書館、ここにはGHQの資料などが保管されております。こういうところに調査対象を広げまして現在調査を行っております。  それから、従来は公的な資料を中心に調査をするということでやってまいりましたけれども、なかなかこれという資料が出てまいりませんので、今は関係者からの直接の聞き取り調査ということも含めまして、調査を行っているところでございます。したがいまして、その一環で、韓国におられます慰安婦の方々からも直接お話をお聞きしたいということで、現在申し入れを行っているところでございます。
  170. 草川昭三

    ○草川委員 今、公的ないろいろな機関の調査資料、これももちろん大切でありますし、一口に関係者の話も聞くということでございますが、これははっきり申し上げて簡単なことではないのです。  私どもサハリン残留韓国人問題を一番最初に取り上げたときには、ソ連側からの非常に強い批判がありまして、各政党ともぼろかすだったのですよ。サハリン残留の問題などを取り上げること自身がおかしいという批判ごうごうだったのです。それで、ソ連の嫌がることをなぜやるのか、こういう中で実は私どもはサハリン問題を取り上げてまいりました。  ようやく今は政府の方も関心を持っていただいて、こういうことになっていますが、私は日韓議員連盟で長い間このことは話をし、いずれ従軍慰安婦問題が出てくる。だから従軍慰安婦問題については、本来は日韓議員連盟の、議員の立場でお互いが調査をしないと、役所同士が話をするようになって円満解決なんか、これは絶対できませんよ。だから、軽々しく関係者に会ってどうのこうのとおっしゃいますけれども、そこはまず人間として、我々自身が過去の歴史的な反省をどの程度本当に胸に置いておるかどうかという立場に立ちませんと、これは日韓の間でも、その他の国々との間の友好を逆にしてしまう可能性がある。現実にはそういう状況というのは生まれてきておるわけです。  だから、まずその従軍慰安婦の方々にお会いされる前に、当時の従軍慰安婦を従事させたというボス、言葉が悪いですけれども、女衒という諸君もいるわけですよ。そういうような実態でいかに過酷なことを彼らがやったか、そういう中で日本の軍隊というものがどのように関与してきたのかということを正確につかみながら、そして、できたら役所ということよりも、もう少し有識者の方々がその当時の一番悲惨な目に遭った方々とひざを突き合わせてお話をするというようなことをしないと、今のペースで従軍慰安婦問題が進んでいきますと、私は日韓の関係にも非常にまずいことになると思っているのです。  例を挙げると切りがないほど私ども知っております、私ども韓国にたくさんの友人がいますから。だから、私どもは国会で従軍慰安婦問題を取り上げる場合にも、そういうことを配慮してやろうということで、私の友人にそういうことを伝えてきておるわけであります。  私の申し上げておることがどの程度政府の方で御理解になっているのかどうか、あるいはまた誤解をされて、何か変な形でブレーキをかけておるように思われると心外でございますが、事、従軍慰安婦の問題は、まず日本の教科書の反省から始めるべきだ、そして、そういうのを態度で示しながら、役所が対応していただきたいということを申し上げておきたいと思います。  時間がございませんので、最後に傷病恩給の問題について一つだけ事例を申し上げたいと思うのです。  これは残念ながらまだ受給をされていない方でございますが、なぜおくれたかといいますと、この方はパラオ諸島のペリリュウ島及びガドブス島というところで飛行場を建設したわけです。それで、何回か敵前上陸のようなことをして飛行場をつくり、また、米軍の敵前上陸によってその島全体が玉砕になってしまった。本人がたまたま三回か四回の戦いの中で、最後に玉砕をするのですけれども、米軍に意識不明の中で助けられるというような方で、愛知県に米山という方がお見えになるわけであります。  それで、この方がなぜ受給がおくれておるかといいますと、一口で言うならば、玉砕なものですから証明する人がいなかった。その玉砕のときに受傷したのも、当時の傷なのかどうかということについてわからないまま、ずっと長い年月がたったわけですが、米軍の方へ照会をしたところ、幸いにも米軍の方のカルテで、そういう日本の捕虜がしかじかかくかくの受傷をし、手当てをしたのがようやくわかったわけで、本人が申請をするという段階になりました。  ところが、今度は本人が、戦後非常に苦労をして生活しておりますので、病気になってしまって受給がおくれた。やっと恩給局の方で審査会を開いていただきまして、恩給審査会の議決によって傷病恩給の給与というのが支給されることが決まったのです。申請の時期から支給ということになりましたので、昭和十九年のけがでございますけれども平成四年五月という段階になったわけであります。こういう方々は気の毒でございますので、何とか遡及できないのかというのが私の要望でございますけれども、なかなかそれができないようでございます。  ひとつきょうはそのことだけの問題提起で、時間がもう五分前になりましたので、最後に、私の質問全体について大臣から今後の所信をお伺いして、私の質問を終わりたいと思います。もしよかったら年金の話も答弁してください。
  171. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 先ほどから草川委員のさまざまな御提起を拝聴いたしまして、私なりに大変勉強させていただいたような次第であります。  ただいまございました傷病恩給請求でございますが、私から申し上げるまでもなく、まず一般論として申し上げさせていただきますけれども請求に当たりましては、現在の傷病が旧軍人在職中の公務等に起因する傷病によるものである、こういうものをまず立証しなければならないわけであります。  期間の経過等に伴いまして、本人の力だけでは資料などの整備が十分に整わない場合には、国や都道府県がこういった請求者の立場を十分に考慮いたしまして、提出可能な資料を収集できるように、かつての上司であるとかあるいは同僚等の現住所等を調査いたしまして、行ってきておるわけでございます。  今、具体的に御指摘になりました問題につきましては、昭和十九年でございますか、十九年当時に遡及して適用できないかどうかという問題は、これは基本的な問題にかかわるわけでございますので、現時点においては極めて困難であるということを言わざるを得ないことを御理解賜りたいと思います。
  172. 草川昭三

    ○草川委員 以上で終わります。
  173. 浦野烋興

  174. 児玉健次

    児玉委員 日本共産党の児玉健次です。  援護法に関連して、ことしも旧ソ連抑留中死亡者の遺骨収集について簡潔にお尋ねをします。  一昨年、旧ソ連政府から死亡者名簿日本政府に渡されました。名簿に三万八千六百四十七名のお名前が載っているようですが、ソ連関係死亡者索引簿、そして留守名簿、こういった厚生省資料と照合して、確認できたのは何人でしょうか。
  175. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 旧ソ連政府から引き渡されました死亡者名簿につきましての厚生省におきます照合作業の進捗状況お尋ねでございます。  平成三年四月十八日に旧ソ連政府から引き渡されました死亡者名簿につきましては、名簿登載者本人の特定を行い、遺族に対して名簿の記載内容をお知らせするということといたしまして、名簿と私どもの持っております資料との照合をやってきておるところでございます。  名簿には三万八千六百四十七名分の氏名等が記載されていたわけでございますけれども、精査いたしますと二千名は重複しているというふうなことでこざいまして、重複者を除きますと三万六千六百名ということでございます。現在までにその約六割、約二万二千名でございますけれども、約六割につきまして本人の特定ができたというふうな状況でございます。  若干実情を申しますと、旧ソ連政府から引き渡されました名簿につきましては、埋葬地ごとにおおむね名前と生年、生年月日ではございませんで生年、それから階級、そして死亡年月日、この四つが記載されているというだけでございまして、本人の特定に必要な部分であります本籍地あるいは生年月日、こういった基礎的な部分の記載がございません。このために照合の作業が大変困難をきわめているというのが実情でございます。しかしながら、未特定者につきましては引き続き再度の照合調査等を進めて、できるだけの努力をしてまいりたいというふうに考えております。
  176. 児玉健次

    児玉委員 その努力を強めていただくことと、抑留者の中で亡くなった方は約五万五千人だと私たちは聞いております。旧ソ連政府が持ってきた名簿は、それ自体完全なものとは言えません。しかし、この後の厚生省の遺骨収集事業において大いに参考にすべきだと私は考えます。  名簿に五百七十二の埋葬地名がありますが、その場所、そして現在どのような状況になっているか、これらを遺骨収集事業と並行して調査することが今急がれると考えるのですが、この点はいかがでしょうか。
  177. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 ソ連におきます遺骨収集とそれから埋葬地のいわば全貌把握、どういうふうなことの努力をするのかということでございます。  先ほども答弁申し上げましたけれども、ようやく平成四年度から本格的な遺骨収集の事業を開始することができたわけでございますが、平成四年度におきましてその本格的な実施をしたこと、  これを基礎といたしまして、今年度におきましても引き続き事業の推進を図るということにいたしてございます。遺骨収集につきましては、抑留中死亡者の九割以上を占めますロシア連邦のチタ州を含めまして、五地域の埋葬地において充実した体制で今年度は取り組みたいというふうに思っております。   それで、お尋ねの、遺骨収集もさりながら、全埋葬地の位置、状況把握する必要があるのではないかということでございます。  実は、先ほども紹介もございましたけれども平成三年四月の日ソ間の協定締結の際に、約三万八千名分の死亡者名簿と五百四十九枚の埋葬地資料の提供があったわけでございますけれども、死亡者数につきましては、厚生省把握いたしております数に比べまして約一万五千人を下回ったものというふうな状況でございまして、また、ちょうだいしました埋葬地資料につきましても、必ずしも埋葬地の現状を示すには不十分なも のがございます。当時の古いままの資料コピーであったり、あるいは現実がその資料とは符合しないといったような状況でございます。  埋葬地の現状調査につきましては、基本的に、日ソ間の協定の趣旨からまいりますと、本来は旧ソ連側において行うべきものと考えておるわけでございまして、したがいまして、機会あるごとに旧ソ連邦政府あるいはロシア連邦政府に埋葬地の現状調査要請をいたしているところでございますが、いまだその先の回答は得られていないのが現状でございます。  このため、厚生省といたしましては、旧ソ連政府から提供のありました埋葬地資料とともに、私どもが保管しております資料や、あるいは民間の墓参団の方々が大勢行かれるわけでございますけれども、民間墓参団等の方々から提供される情報等の活用、あるいは私ども政府派遣という形で遺骨収集団あるいは墓参団を出しておりますけれども、その際に埋葬地の情報収集にさらに努めていくというふうなことで臨んでおるところでございます。
  178. 児玉健次

    児玉委員 大臣に申したいのですが、おととし私は櫻内衆議院議長を団長とした超党派の訪ソ議員団に参加しまして、そしてハバロフスクとイルクーツクの墓地に参ってきました。そのとき、故郷からはるか離れた場所で厳寒の中で亡くなられた方たちの無念さを思ったわけです。  去年この場所での質問で、厚生省は五年間を目途に進めるという話でした。私は五年間を目途というのは、それはそれで大いに急ピッチにやっていただきたいと思うのですが、南海の遺骨収集を含めて、この事業の推進においては計画をきちっと立てて、そして遺族がもうお年寄りになっていますから、そういったことを踏まえてさらに規模を拡大して進めなければならぬ、こう思っておるのですが、大臣のお考えを伺いたい、こう思います。
  179. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 まず、半世紀経過をいたしまして、なお変わらないソ連抑留中死亡者の方々の御遺族の心情、心中をお察し申し上げますとき、言葉には言い尽くせない哀惜の情を禁じ得ないものでございます。国といたしましても、この問題に誠心誠意取り組んでいくことが私どもの重要な責務である、このように考えておるわけでございます。  厚生省といたしましては、平成四年度から旧ソ連地域での遺骨の収集、墓参の本格的な実施に取り組んでおるわけでございます。先ほどから委員からも御指摘がございましたように、五万五千人の方々がお気の毒にお亡くなりになったということでありますが、現在の遺骨収集はざっと一千柱である、こういうことでございます。御遺族の方々の心情を踏まえつつ、また、これらの方々の高齢化が進んでおるということでございますので、一刻も早くこの遺骨収集、そして墓参、こういうものを実施しなければならない、こういうような決意でございます。  今年度、平成五年度におきましては、五地域においてこういうことを計画させていただいておるような次第であります。
  180. 児玉健次

    児玉委員 さて、もう一つ伺いたいのですが、先ほども御質問がありました。厚生省が本年度の予算で戦没者追悼平和祈念館、仮称と言われていますが、これに着工される。厚生省はこの施設の性格について、戦没者追悼の意をあらわす施設であることに加え、国民の生活面から見た戦争の悲惨さと、戦中戦後を通しての国民の生活上の労苦を後世代に伝えることを目指す、こう言われております。  私は、この施設が、よくありがちなんですが、戦史博物館的なもの、戦闘場面だとかそれから兵器だとか、そういったものを無批判的に展示し、結果として戦争を肯定するものになっては決してならない、こういうふうに考えます。広島、長崎の原爆被害、沖縄における厳しい地上戦の惨禍、各地における無差別空襲、こういった被害によって国民がどのような厳しい体験を余儀なくされたのか、この施設を見ることによって深い教訓が学び取れるようなものにならなければいけない、こう考えますが、いかがでしょうか。
  181. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 お答え申し上げます。  戦没者追悼平和祈念館につきましては、設置の趣旨については、先ほど申し上げておりますので略させていただきますけれども、私どもとしましては、この施設につきましては、戦没者追悼の意をあらわす施設であることに加えまして、国民の生活面から見た戦争の悲惨さと、戦中戦後を通しての国民の生活上の労苦を後の世代に伝えることによりまして、恒久平和に資することを目指しているところでございます。  事業内容といたしましては、このような性格を実現しますために、展示の事業だとか情報提供、研修・研究支援事業、あるいは資料の収集・保存事業を計画をいたしておるわけでございます。各事業の具体的内容につきましては、ただいま申しました本施設の趣旨あるいは性格に沿った内容とするために、今後有識者から成る委員会を設置いたしまして、意見を聞きながら検討をしてまいりたいというふうに考えております。
  182. 児玉健次

    児玉委員 私は、この施設が、日本国憲法の前文にあります政府の行為によって再び戦争の惨禍を繰り返すことがないようにすることを決意し、この決意を内外に示すものにする必要があるだろう、こう考えます。  それにつけても、私自身が想起することを一つ述べておきたいのですが、一九八一年二月にローマ法王のヨハネ・パウロ二世が広島の原爆の地を訪れたことがあります。そのとき法王は、原爆慰霊碑の前にぬかずきながら、旧約聖書のイザヤ書にあります「彼らはその剣を鋤に打ちかえ、その槍を鎌に打ちかえる。国は国に向かいて剣を上げず、戦闘のことを再び学ばない」こういう言葉を引用して、「過去を振り返ることは、将来に対する責任を担うことです。広島を考えることは、核戦争を拒否することです。」こういう平和アピールを出されました。  その後、法王は原爆資料館に行かれたのですが、「焼け焦げた学生服、ズボン、ゲートル。そして、熱線で溶けたアルミの弁当箱、裁縫針、貯金箱……。市民生活の営みに、突然襲いかかったことを示す遺品の数々に、法王は終始、寡黙であった。」と当時の新聞は伝えております。こういったものになっていかなければいけない、私はこう思うのですが、厚生省の考えをお聞きします。
  183. 佐々木典夫

    佐々木(典)政府委員 先ほども申し上げましたけれども、この施設の運営に当たりましては、施設の趣旨、性格に沿った内容とすべく、有識者から成る委員会を設置しまして、御意見を承りながら検討をしていく所存でございます。
  184. 児玉健次

    児玉委員 終わります。
  185. 浦野烋興

    浦野委員長 以上で本案に対する質疑は終局いたしました。     —————————————
  186. 浦野烋興

    浦野委員長 この際、本案に対し、持永和見君から修正案が提出されております。  提出者より趣旨の説明を求めます。持永和見君。     ————————————— 戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する修正案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  187. 持永和見

    持永委員 ただいま議題となりました戦傷病者戦没者遺族等援護法等の一部を改正する法律案に対する修正案につきまして、自由民主党を代表いたしまして、その趣旨を御説明申し上げます。  修正の要旨は、原案において「平成五年四月一日」となっている施行期日を「公布の日」に改め、平成五年四月一日から適用することであります。  何とぞ委員各位の御賛同をお願いします。
  188. 浦野烋興

    浦野委員長 以上で趣旨の説明は終わりました。
  189. 浦野烋興

    浦野委員長 これより本案及び修正案を一括して討論に付するのでありますが、その申し出がありませんので、直ちに採決に入ります。  まず、持永和見君提出の修正案について採決いたします。  本修正案に賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  190. 浦野烋興

    浦野委員長 起立総員。よって、本修正案は可決いたしました。  次に、ただいま可決いたしました修正部分を除いて、原案について採決いたします。  これに賛成の諸君の起立を求めます。     〔賛成者起立〕
  191. 浦野烋興

    浦野委員長 起立総員。よって、本案は修正議決すべきものと決しました。  お諮りいたします。  ただいま議決いたしました本案に関する委員会報告書の作成につきましては、委員長に御一任願いたいと存じますが、御異議ありませんか。     〔「異議なし」と呼ぶ者あり〕
  192. 浦野烋興

    浦野委員長 御異議なしと認めます。よって、そのように決しました。     —————————————     〔報告書は附録に掲載〕     ————————————— 浦野委員長 内閣提出社会福祉・医療事業団法及び沖縄振興開発金融公庫法の一部を改正する法律案を議題とし、趣旨の説明を聴取いたします。丹羽厚生大臣。     ————————————— 社会福祉・医療事業団法及び沖縄振興開発金融   公庫法の一部を改正する法律案     〔本号末尾に掲載〕     —————————————
  193. 丹羽雄哉

    丹羽国務大臣 ただいま議題となりました社会福祉・医療事業団法及び沖縄振興開発金融公庫法の一部を改正する法律案につきまして、その提案の理由及び内容の概略を御説明申し上げます。  本格的な高齢社会に向けて、国民が健やかで安心して老後の生活を送ることができるよう、お年寄りの保健、医療、福祉全般にわたる施策の充実を図っていくことが重要な課題となっております。  このため、要介護老人に対して在宅ケアを提供する指定老人訪問看護事業の普及を図るため、同事業に対する低利融資制度を創設することとし、この法律案を提出した次第であります。  改正の内容は、社会福祉・医療事業団及び沖縄振興開発金融公庫が、指定老人訪問看護事業を行う医療法人その他政令で定める者に対し、施設設備や運営に要する資金を貸し付けることとするものであります。  なお、この法律の施行期日は、公布の日から起算して三月を超えない範囲内において政令で定める日としております。  以上が、この法律案の提案理由及びその内容の概略であります。  何とぞ、慎重に御審議の上、速やかに御可決あらんことをお願い申し上げます。
  194. 浦野烋興

    浦野委員長 以上で趣旨の説明は終わりました。  次回は、来る十六日金曜日午前九時五十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時四十七分散会      ————◇—————