○草川
委員 今、公的ないろいろな機関の
調査資料、これももちろん大切でありますし、一口に
関係者の話も聞くということでございますが、これははっきり申し上げて簡単なことではないのです。
私
どもサハリン残留
韓国人問題を一番
最初に取り上げたときには、ソ連側からの非常に強い批判がありまして、各政党ともぼろかすだったのですよ。サハリン残留の問題などを取り上げること自身がおかしいという批判ごうごうだったのです。それで、ソ連の嫌がることをなぜやるのか、こういう中で実は私
どもはサハリン問題を取り上げてまいりました。
ようやく今は
政府の方も関心を持っていただいて、こういうことになっていますが、私は日韓議員連盟で長い間このことは話をし、いずれ従軍慰安婦問題が出てくる。だから従軍慰安婦問題については、本来は日韓議員連盟の、議員の
立場でお互いが
調査をしないと、役所同士が話をするようになって円満解決なんか、これは絶対できませんよ。だから、軽々しく
関係者に会ってどうのこうのとおっしゃいますけれ
ども、そこはまず人間として、我々自身が過去の歴史的な反省をどの程度本当に胸に置いておるかどうかという
立場に立ちませんと、これは日韓の間でも、その他の国々との間の友好を逆にしてしまう可能性がある。現実にはそういう
状況というのは生まれてきておるわけです。
だから、まずその従軍慰安婦の方々にお会いされる前に、当時の従軍慰安婦を従事させたというボス、言葉が悪いですけれ
ども、女衒という諸君もいるわけですよ。そういうような実態でいかに過酷なことを彼らがやったか、そういう中で
日本の軍隊というものがどのように関与してきたのかということを正確につかみながら、そして、できたら役所ということよりも、もう少し有識者の方々がその当時の一番悲惨な目に遭った方々とひざを突き合わせて
お話をするというようなことをしないと、今のペースで従軍慰安婦問題が進んでいきますと、私は日韓の
関係にも非常にまずいことになると思っているのです。
例を挙げると切りがないほど私
ども知っております、私
どもも
韓国にたくさんの友人がいますから。だから、私
どもは国会で従軍慰安婦問題を取り上げる場合にも、そういうことを配慮してやろうということで、私の友人にそういうことを伝えてきておるわけであります。
私の申し上げておることがどの程度
政府の方で御
理解になっているのかどうか、あるいはまた誤解をされて、何か変な形でブレーキをかけておるように思われると心外でございますが、事、従軍慰安婦の問題は、まず
日本の教科書の反省から始めるべきだ、そして、そういうのを態度で示しながら、役所が対応していただきたいということを申し上げておきたいと思います。
時間がございませんので、最後に傷病
恩給の問題について
一つだけ事例を申し上げたいと思うのです。
これは残念ながらまだ受給をされていない方でございますが、なぜおくれたかといいますと、この方はパラオ諸島のペリリュウ島及びガドブス島というところで飛行場を建設したわけです。それで、何回か敵前上陸のようなことをして飛行場をつくり、また、米軍の敵前上陸によってその島全体が玉砕になってしまった。本人がたまたま三回か四回の戦いの中で、最後に玉砕をするのですけれ
ども、米軍に意識不明の中で助けられるというような方で、愛知県に米山という方がお見えになるわけであります。
それで、この方がなぜ受給がおくれておるかといいますと、一口で言うならば、玉砕なものですから証明する人がいなかった。その玉砕のときに受傷したのも、当時の傷なのかどうかということについてわからないまま、ずっと長い年月がたったわけですが、米軍の方へ照会をしたところ、幸いにも米軍の方のカルテで、そういう
日本の捕虜がしかじかかくかくの受傷をし、手当てをしたのがようやくわかったわけで、本人が申請をするという
段階になりました。
ところが、今度は本人が、戦後非常に苦労をして生活しておりますので、病気になってしまって受給がおくれた。やっと
恩給局の方で審査会を開いていただきまして、
恩給審査会の議決によって傷病
恩給の給与というのが支給されることが決まったのです。申請の時期から支給ということになりましたので、
昭和十九年のけがでございますけれ
ども、
平成四年五月という
段階になったわけであります。こういう方々は気の毒でございますので、何とか遡及できないのかというのが私の要望でございますけれ
ども、なかなかそれができないようでございます。
ひとつきょうはそのことだけの問題提起で、時間がもう五分前になりましたので、最後に、私の質問全体について
大臣から今後の所信をお
伺いして、私の質問を終わりたいと思います。もしよかったら年金の話も
答弁してください。