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1993-05-13 第126回国会 衆議院 環境委員会公聴会 第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成五年五月十三日(木曜日)     午前十時開議 出席委員   委員長 原田昇左右君    理事 塩谷  立君 理事 高橋 一郎君    理事 細田 博之君 理事 持永 和見君    理事 斉藤 一雄君 理事 馬場  昇君    理事 大野由利子君       愛知 和男君    住  博司君       谷津 義男君    岩垂寿喜男君       岡崎トミ子君    田中 昭一君       時崎 雄司君    寺前  巖君       高木 義明君    柳田  稔君  出席公述人         農林中金総合研 清水  汪君         究所理事長         筑波大学社会工 安田八十五君         社団法人経済団         体連合会常務理 内田 公三君         事         スウェーデン大         使館科学技術部         環境保護オブ  小沢徳太郎君         ザーバー         (環境・エネル         ギー問題担当)         神奈川大学外国 猿田 勝美君         語学部教授         弁  護  士 梶山 正三君         弁  護  士 篠原 義仁君         尚美学園短期大 高木 邦雄君         学教授  出席政府委員         環境庁長官官房 森  仁美君         長         環境庁企画調整 八木橋惇夫君         局長  委員外出席者         環境委員会調査 西川 義昌君         室長     ————————————— 委員の異動 五月十三日  辞任         補欠選任   東  順治君     草野  威君   塚本 三郎君     柳田  稔君 同日  辞任         補欠選任   柳田  稔君     高木 義明君 同日  辞任         補欠選任   高木 義明君     塚本 三郎君     ————————————— 本日の公聴会意見を聞いた案件  環境基本法案内閣提出第六二号)  環境基本法施行に伴う関係法律整備等に関  する法律案内閣提出第六三号)  環境基本法案馬場昇君外二名提出衆法第四  号)      ————◇—————
  2. 原田昇左右

    原田委員長 これより会議を開きます。  内閣提出環境基本法案内閣提出環境基本法施行に伴う関係法律整備等に関する法律案及び馬場昇君外二名提出環境基本法案の各案について公聴会を行います。  この際、御出席公述人皆様に一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位におかれましては、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。各案に対する御意見を拝聴し、審査の参考にいたしたいと存じますので、忌憚のない御意見をお述べいただぎたいと存じます。  なお、御意見は、清水公述人安田公述人内田公述人小沢公述人の順序で、お一人十五分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  念のため申し上げますが、発言をする際はその都度委員長の許可を受けることになっております。また、公述人委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  それでは、まず清水公述人にお願いいたします。
  3. 清水汪

    清水公述人 清水注でございます。  私は、中央公害対策審議会委員を仰せつかっておりますが、昨年七月から十月にかけまして、自然環境保全審議会と合同で新しい「環境基本法制あり方について」という答申づくりに参加した者の一人として、また、日ごろささやかではございますが環境問題に関心を持つ市民の一人として、本日この委員会卑見を申し述べる機会を得ましたことを大変光栄に思います。  また、本店ではかつて種々御指導いただきました諸先生にお目にかかることができまして、心からごあいさつを申し上げたいと思います。  さて、私は、内閣提出環境基本法案に賛成であり、その速やかな成立を衷心より願うものであります。以下、そのような立場から意見を申し述べたいと存じます。  まず、新しい環境基本法必要性についてであります。これについては私は、次の二つのことをまず指摘したいと思います。  第一は、環境問題の範囲が大きく広がり、質的にも異なってきたということであります。すなわち、かつては産業公害開発のための大規模自然破壊が主たる問題でありましたが、今日ではいわゆる都市・生活型公害大量廃棄物が大きな問題となり、また、身近な自然の減少や森林、農地の持つ環境保全機能の衰退が問題となっており、さらには地球環境問題が新たに大きな問題となっております。  第二は、これらの環境問題の多くは、国民生活一般事業活動一般に起因する部分が多い。つまり、みんなが原因者であり被害者であるということでありまして、したがって、これを解決するためには、従来型の公害対策手法である特定発生源に対して規制する、あるいは助成するという手法だけでは到底不十分であり、新しい考え方に立った新しい対応が必要だということであります。  すなわち、今や政府事業者国民もそれぞれが役割を分担して、環境への負荷をできるだけ減らして持続可能な経済社会をつくることを基本的な目標とし、その方向に向かって経済社会システムあり方事業活動あり方生活様式を見直していくことが必要であります。  さらに、地球環境問題については、昨年六月の地球サミットで全世界の国々が連携してこれに取り組む枠組みが合意されたところでありますが、この問題については、各国から我が国に寄せられる期待は大きく、我が国としても、公害問題に対処した経験国際社会に占める地位等に顧みまして、みずからの経済社会活動を見直すとともに、地球環境保全のために積極的に協力していくことが必要であります。  以上述べましたような新しい課題に適切に対処していくためには、これまでの公害対策基本法自然環境保全法二つを柱とする法体制を改め、新たな視点に立って、この二法を総合的にとらえる、新しい環境保全理念を明確にする、新たな 環境政策基本的枠組み政策手法を整備する、地球環境保全のための国際的取り組み積極的推進に努める、これらのことを盛り込んだ新しい環境基本法を整備することが急務であると申してよろしいと思います。先般の答申もこのような考え方に立っているのであります。  このような観点から見ましたとき、政府案は、審議会答申を最大限尊重し、地球サミットの成果を念頭に置いて、これまでの環境政策経験を踏まえ、その継続性を保持するとともに、新たな課題に十分こたえることができる内容となっており、適切なものであると考えます。  次に、そういう観点から、政府案について、特に新味のある項目の主要なものについて、簡単に卑見を申し述べたいと思います。  まず、新しい環境政策基本理念について、法の第三条一四条、五条に規定されています。そこでは、第一に、環境人類の生存の基盤、わかりやすく言えば入れ物であり、生態系が微妙な均衡を保つことによって成り立つ有限のものであって、現在及び将来の世代の人間がその恵みを享受することができるように保全しなければならないという根本的考え方を明らかにしております。  第二に、そのためには、すべての者が環境への負荷を減らすように行動することによって、健全で恵み豊かな環境を維持しながら、持続可能な経済社会を構築することを目標としなければならないことを示しております。  そして第三に、地球環境保全という人類共通課題に対して、我が国公害克服経験技術を有し、また今日の国際社会の中において大きな地位を占めることを踏まえて、積極的にこれを推進していくということを宣明しております。いずれも適切な規定であり、この法律のバックボーンとして大きな意義を持つものと思います。  次に、第十四条の環境基本計画規定は、この法律の目玉の一つとして高く評価したいと思います。今後の実行に当たり、内容を充実させて、国全体の環境面のマスタープランとしての役割を発揮することが期待されますが、そのためには関係省庁間の積極的な協力体制が不可欠であります。  思うに、環境というものは、多面的、複合的なものですが、全体としてつながりのある一つのものであります。これに対して、このような環境保全のために寄与する施策は、多くの省庁にわたって分掌されていますから、それらの施策がばらばらでは効果が上がらず、あるいは非効率となりかねません。したがいまして、各省庁施策一つ環境基本計画という土俵の上で、総合的見地から過不足のないように整合性を図ることが必要であります。  また、今後は、政府地方公共団体事業者国民のそれぞれが役割を分担して取り組むことになりますから、環境保全のための施策の全体の姿がだれの目にもよく見えるようにすることの意義は大きいと思います。  次に、環境影響評価の問題について申し述べます。  悲惨な公害経験の中から、私どもは環境汚染未然防止こそが環境政策のかなめであることを学びました。そのためには、予見的に環境への影響について配慮する環境アセスメント考え方人間活動のさまざまな局面で生かしていくことが必要であります。  この法案の十八条、十九条、二十三条は、答申趣旨に沿い、施策事業、物の生産活動の場面においてこの考え方を適切に位置づけております。  ところで、特に問題になります事業環境アセスメントにつきましては、ちょうど十年前のことになりますが、政府提案環境影響評価法案が衆議院の解散で不成立となり、自来今日まで我が国においてはアセスメント制度についての一般的な法律はございません。  そのような経緯を背景といたしまして、先般の審議会における審議におきましては、一方では、閣議決定要綱その他の現行措置により実際にアセスメントは円滑に行われているとする現状肯定意見があり、他方では、現状には不十分な点が多く、アセスメント法制化が必要であるとする意見があり、したがってまた、基本法の中にアセスメント法制化必要性について盛り込むことの適否をめぐって議論が分かれるなど、さまざまな議論がございました。  そういう状況のもとで、十月の答申では、環境影響評価考え方、その重要性基本法に書いて法的に基礎づけることとし、事業に係る環境アセスメント法制化など具体的措置については、「経済社会情勢変化等を勘案しながら必要に応じて現行措置を見直していくことが適当」であるとしたところであります。私個人としては、新しい時代を迎えた今日、事業に係る環境アセスメントが一層適正で信頼性の高い充実したものになることを期待しております。  次に、経済的手法、法の二十一条第二項について申し述べます。  今日の環境問題の深刻化をもたらした要因の一つは、大量生産大量消費大量廃棄にありますのでは、なぜそうなったかを考えてみますと、いろいろ原因は考えられますが、根本的に次のような問題があると思います。すなわち、大気、水などの自然環境はただだと考えられていたため、人間活動によってこれを汚してもだれもその回復のコストを支払おうとしません。つまり、環境コスト経済内部化が図られていませんでした。そのために資源が浪費され、環境への負荷が大きくなり、環境の悪化をもたらすことになったということです。  これを直すためには、特定の人や特定の行為を対象にして行う規制的あるいは助成的手法では到底間に合いません。無理にそういうやり方でやろうとすれば、国民生活の隅々まで統制しなければならなくなります。それよりも、市場価格メカニズムを活用して、環境負荷を行う者に対して一定の経済的負担を課することを通じて負荷が低減される方向へ誘導するというやり方、つまり、市場志向型の経済的手法が最も合理的であり、効果的であるということであります。この手法は今日の課題である炭酸ガス排出の抑制には一番ふさわしい方法だと思いますが、中公審答申では、具体的な施策の導入については、その効果影響等について十分議論し、国民各層の合意を得ることが必要だと述べています。法律もおおむね同様の趣旨であると思われます。  私は、この経済的手法自由経済社会の健全な発展を支えるための安全装置だと言ってもよろしいと思いますので、この基本法が成立いたしましたならば、法文にありますように、積極的に具体的施策について調査研究し、国民の理解を得る努力をしてほしいと思います。  その点に関連して一言申し上げますと、負担ということの意味ですが、これは負担をしてもらうことに本来のねらいがあるのではなく、むしろ負担のかかるものの使用を減らすように誘導するとか、負担のかからない、あるいは負担のかかり方のより少ない商品、サービス、技術開発を刺激するというところに本来のねらいがあるということであります。また、具体策の例として、炭酸ガス排出を抑制するための炭素税北欧などの諸国で既に実施されており、また、EC、OECDでも前向きの検討が行われていますが、この場合、税という呼び名が使われていますが、上に述べた趣旨からいって、これは一国の財源目的のための税とは性格的に異なるものだということが言えると思います。  以上のほか、新しい項目として、事業者国民の責務の内容を見直したこと、民間団体等の自発的な活動に対する支援、情報提供などが挙げられますが、時間の関係でこれらは省略させていただきます。  最後に、第六節の地球環境保全等に関する国際協力について申し述べます。  最初の方でも触れましたが、地球環境問題は、我が国として世界が抱える問題に対して貢献するのに最もふさわしい分野の一つであると言ってよ ろしいと思います。従来とかく顔が見えない日本と言われていますが、今回法律の上で我が国積極的方針を明示することは画期的なことであり、高く評価してよいと思います。その内容答申趣旨が生かされていて適切であると考えます。  以上、主要な新しい項目について意見を述べてまいりました。私は、この法律は、環境の新しい基本法として今後の進むべき方向を示し、道を開いたものと確信しております。見方によっては異なった意見があるかもしれませんが、環境の問題は一日対応がおくれればそれだけ後のツケが大きくなるということを思いますとき、まずここから一日も早くスタートを切ることが大事ではないかと思います。  失礼にわたりました点をおわび申し上げまして、つたない公述でしたが、終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)
  4. 原田昇左右

    原田委員長 ありがとうございました。  次に、安田公述人にお願いいたします。
  5. 安田八十五

    安田公述人 筑波大学安田でございます。  内閣提出による環境基本法案環境基本法施行に伴う関係法律整備等に関する法律案及び日本社会党提出による環境基本法案に対して意見を陳述する機会をいただき、感謝しております。  私は、社会システム社会工学というのを専攻しておりまして、その立場から環境政策を研究してきた研究者の一人として、環境保全型の、それから資源循環型の社会を実現するためにはどのような政策が有効か、そういうことを主に研究しております。お手元に一応きょうの公述の要旨をお配りしてありますので、大体それに沿ってお話ししてみたいと思います。  現在、私はセブンキープロブレムと呼んでいるわけですが、昨年ブラジルの地球サミットでも代表されましたように、我々に解決を迫られている新しいタイプ環境問題が起きております。  これは、一つは二酸化炭素の増大炭酸ガス増大による地球温暖化の問題です。それから、フロンガスによるオゾン層破壊の問題、それから酸性雨の問題、地球砂漠化の問題、熱帯雨林減少の問題、放射能汚染の問題、さらには廃棄物、特に先進国における廃棄物の処理の困難の問題、この七つでございます。この問題に関しては皆さん方も既に御承知だと思いますので詳しくお話しするつもりはありませんが、この七つの問題を解決できるかどうかが新しい政策有効性を考える上では非常に重要だ、そういうものに有効な環境基本法にしていただきたいというのが私の希望でございます。  特に、この地球規模環境問題というものを考えてみますと、これは実は廃棄物問題であるというふうに私は認識をしております。環境問題はごみ問題であり、ごみ問題が環境問題であるという対応を考えております。  といいますのは、ごみといいますと、ここに私今空き缶を持ってきたのですが、こういう缶とか紙とか固形の廃棄物というふうに考えられがちです。しかしながら、炭酸ガスとかフロンガス、これは人類活動に伴う気体廃棄物ですね。気体廃棄物地球環境に出て、地球環境自浄能力限界を超えて地球を取り返しのつかないものにしてしまう。フロンガスによるオゾン層破壊フロンガス人類活動に伴う気体ガスで、これがオゾン層破壊してしまいますと、原始地球のように紫外線がじかに入ってきて、人類だけではなくて生命系が存在し得なくなってしまう、そういう問題でございます。  それから、私の勤務しています筑波大学の近くに霞ケ浦という、日本で琵琶湖に次ぐ二番目に大きい湖がございます。ここが今、アオコといいまして、富栄養化現象で緑のじゅうたんのようになってしまいまして、死の湖の寸前になっております。これは何かというと、我々流域住民の出す液体廃棄物です。特に、データを分析してみますと、工業排水よりも生活排水生活雑排水が非常に大きな原因になっておるわけです。  こういうふうに考えてみますと、結局は、人類の出す固体、気体液体という廃棄物地球環境に放出されまして、この地球環境浄化能力限界を超えて、そして地球を火星とか金星のような生命の存在し得ない死の星に追いやるかもしれないというところに大きな問題があるわけでして、この問題に対して日本はリーダーシップをとって解決に進んでいかなければならない、こういうふうに考えております。  特に、私は自由主義経済信奉者なわけですが、自由主義経済といっても野放しの自由主義経済では困るわけでして、環境とかそういうものになるべく負荷をかけない、それから、ごみをなるべく出さない、資源エネルギーをむだ遣いしないような、そういう意味での自由主義経済が必要だ、こういうふうに考えております。ソ連、東欧は計画経済の非効率性のために、国家破産というような存亡の危機になりましたが、アメリカとか日本西ヨーロッパ諸国、こういう自由主義経済環境問題が解決できないと、国家だけではなくて人類、さらには地球上の生命系が存在し得ない、そういう危機があるわけでして、この問題に全力投球しなければならない、こういうふうに考えております。  二番目でございますが、ただし現代のこの環境問題は極めて解決が難しいという特徴がございます。それを私は三つ特徴ということで御指摘したいと思います。  第一点は、従来の水俣病とか四日市の大気汚染、こういう問題は極めてローカルな環境問題だったわけですが、炭酸ガスによる温暖化の問題、フロンガスによるオゾン層破壊の問題はまさに地球規模のグローバルな環境問題なわけです。  これまでは加害者被害者がどちらかというと分離していたわけですが、我々自身が、人類全体が加害者であり、人類及びその地球上の生命系がすべて被害者である、これを私は重なり型環境問題というふうに呼んでいるわけですが、重なり型環境問題の特徴を持っております。ですから、解決が極めて難しいということになります。さらに、これまでの問題がどちらかというと比較的個別的な環境問題、水俣病は水俣の問題であったわけですが、最近起きていますセブンキープロブレムに代表されているような問題は複合的環境問題、例えばフロンガスをやめようとして代替フロン開発します。これが今度は温暖化原因になる、こういう構造になっていますから、これを同時的に解決していかなければいけない、こういう問題になってきているわけでございます。  こういう点を考えますと、私は環境基本法に不可欠な政策理念といたしまして、次の点をお願いしたいと思います。  まず、従来型の環境問題に対して、地球規模のグローバルな解決が極めて難しい重なり型環境問題、こういうものに対して、やはりグローバルな視点で取り組んでいく。さらには、私は社会システム論を専攻する立場から申し上げますと、これまでの経済社会日本は非常に高度経済成長で豊かな社会を築いたわけですが、これまでは生産流通消費が使い捨て型のワンウエー型の経済だったわけです。これを環境負荷をかけない循環型の経済社会システム全体、生産流通消費を再構築していく、こういう方向経済仕組みを変えていくということが必要である、こういうふうに考えております。そのためには、私は最も有効な方法環境経済政策であるというふうに考えております。  政策には一般三つタイプがございます。モラル型の政策、例えば空き缶をぽい捨てしないようにしましょう、そういうモラルに訴える方法ですね。第二番目は、規制禁止型の方策、例えば北欧の一部の国のようにワンウエーの容器は製造、販売、消費禁止してしまう、それからシンガポールのように、空き缶とかたばこのぽい捨ては禁止して、違反した場合は約八万円の罰金を取る、こういう規制禁止型の政策がございます。  それに対して、環境経済政策というのはどういうことかというと、我々がこういう缶入り飲料を製造して、流通して、販売して、消費する、そし てごみとして出てくる、これは経済仕組みから出てくるわけですから、これを経済仕組みの中で解決していく、そういう考え方環境経済政策考え方でございます。  昨年、この缶入り飲料が実に三百億売れております。三百億です。十年前には百億だったわけですから、この十年間で三倍になっているわけです。そして、調査等によりますと、大体一割から二割がぽい捨てされている。一割としても三十億がぽい捨てされているわけです。それから、日本空き缶回収リサイクルに関してはおくれておりまして、約四〇%くらいしかリサイクルしていません。アメリカは六〇%以上リサイクルしております。オーストラリアは六五%以上、北欧の国では八〇%以上が回収してリサイクルされているわけです。  そこで、環境経済政策を具体的に展開するためには、私は例えばデポジットリファンド・システムというようなもの、アメリカオレゴン州等の十の州で行われているものでありまして、それから北欧でも行われております。こういう政策が必要だと思います。日本ではこれはごみになってしまう、というよりも、これを回収してリサイクルしようとしますと、スチール缶ですからマイナス一円、一円払わなければならないわけです。しかしながら、アメリカではこれはオレゴン州が一九七二年に州の法律をつくりまして、リデンプジョン・バリューということで、返却価値が五セントある、六円です。ですから、これを捨てたら六円消費者は損してしまうということになります。そういうことで、これを回収してリサイクルするという仕組みがこのデポジットリファンド・システムという環境経済政策によって実行されて、この回収率が八〇%以上、さらには九〇%近くの回収リサイクルが行われているわけです。  こういうようなデポジットリファンド・システムは、理論的に申し上げますと、課徴金補助金を組み合わせた政策でございます。こういうような課徴金補助金を組み合わせた政策を実行していくことが必要である。日本ではそれがどうなっているかといいますと、皆様方承知なものとしては、ビール瓶で瓶代ということで五円上乗せされて、空き瓶を返すと五円戻る、空き瓶をぽい捨てしたりごみ箱に捨てたら消費者は損をしてしまう、そういう仕組みになっておるために、ビール瓶は平均十五回洗浄して再利用されています。これを我々はリュースと呼んでおります。そして、リサイクル率ということでは九五%以上のリサイクル率ということになっております。  ですから、このデポジットリファンド・システムに代表されるような環境経済政策、例えば温暖化問題に関しては、オランダ等で行われていますような炭素課税、こういうような政策、これを入れることが必要だと思います。  今回の環境基本法のところを見させていただきますと、第二十一条第二項で、負荷活動を与える者に経済的負担を課す施策有効性を取り上げておりまして、それを認識していることは評価できるわけですが、その施策の導入についてさまざまな条件がついている、そして具体的なデポジットリファンド・システムとか課徴金政策補助金政策、そういうものに対して記述がほとんどない、具体的な政策手段が書いてないというか、記述されていないわけです。私は、他の政策に優先してこの経済的手法を導入して、この経済仕組みを使い捨てのワンウエー型の構造から環境保全型、循環型の経済に切りかえていくことによって、最初に申し上げました地球規模環境問題の解決、さらには、身近なごみ問題も我々が解決できるのではないか、こういうふうに考えております。  さらに私は、この環境基本法に対する希望といたしましては、環境基本法に対しては、非常に難しい問題ですから、できましたら長期的、計画的な視点をぜひ入れていただきたいということをお願いしたいというふうに思っております。つまり、政策遂行に対して目標をきちんと出していく、それからさらには、中長期的な実施のスケジュール、さらに具体的な政策手段、そういうものを盛り込む必要があるというふうに考えております。そういう意味では、政府提出法案では環境基本計画を定めるということになっておりますが、これをぜひ充実させていただきたいと思います。環境基本計画の策定に当たっては、国民のさまざまな階層、特に生活者の意見を幅広く取り入れる、そういう市民参画というか、そういうものがぜひ必要だと思います。さらには、そういう計画過程につくられたものの情報をオープンにしていく、こういう形で環境基本計画をつくり、長期的かつ具体的に対応していく、こういうことが必要だ、こういうふうに考えております。  以上の点をまとめてみますと、このグローバルな地球規模環境問題に対して、今回の環境基本法を制定することによってその解決に貢献できる、こういう必要があるということで、まず第一番目に、地球規模の、地球全体を視野に入れた環境保全政策資源保全政策世界のリーダーシップを日本がとって展開していく、こういうことがまず第一番目に必要だ、私はこういうふうに考えます。第二番目には、先ほど申し上げましたように、モラル型な政策だけでは三百億も出ている問題をもう解決できません。それから規制、これは自由主義経済になじまない側面がございます。ですから、自由主義経済のメリットを生かしたデポジットリファンド・システムに代表されるような環境経済政策、これを導入して実現していく。そして、第三番目には、実行可能な環境基本計画をつくって具体的政策を実行していくことが必要である、こういうふうに考えております。  以上でございます。どうもありがとうございました。(拍手)
  6. 原田昇左右

    原田委員長 ありがとうございました。  次に、内田公述人にお願いいたします。
  7. 内田公三

    内田公述人 本日は意見陳述の機会をいただきまして、大変ありがとうございました。  環境基本法案審議に当たりまして、政府案に賛成する立場から、産業界が今日の環境問題をどうとらえ、どういう取り組みを行っているか、そして今回の環境基本法制定に当たりどういった考え方をしているかなどにつきまして、経団連の考えを中心に御説明申し上げたいと存じます。  まず最初に、経団連として今日の環境問題をどうとらえ、いかなる取り組みを行っているかについて、簡単に御説明したいと存じます。  昨年六月に地球サミットが開催されたこともありまして、地球環境問題への関心が急速な高まりを見せましたが、経団連ではかねてから地球環境問題の重要性を認識しまして、これを経営の最重要課題一つとして取り組みを強化するように、産業界内部の意識改革を働きかけるとともに、具体的な対策の推進に取り組んでまいりました。一昨年の四月には、経団連の平岩会長のイニシアチブによりまして、地球環境問題に取り組む上での理念と具体的な行動指針を盛り込んだ経団連地球環境憲章というものをつくりまして、これを発表しまして、会員企業あるいは会員の団体に対しましてこの憲章に沿った取り組みをしていただくように訴え、働きかけてきたわけでございます。  この経団連地球環境憲章では、今日の環境問題がごみの問題とか生活排水問題とかあるいはCO2の問題に見られるように、従来の産業公害問題とは若干性格を異にしてきて、いずれも私ども自身の身近な生活に起因している面が多いことを考えまして、これまでのように政府規制に基づく環境対策を行うことで事足れりというのではなくて、産業界を初めとして国民各層がそれぞれできるところから自発的な取り組みを進めなければいけないのじゃないかということを提唱したわけであります。またその意味で、まず産業界みずから経済活動全般にわたり環境配慮を自主的に進める姿勢を内外に示したということでございます。幸い、この経団連憲章の趣旨は、会員の企業、団体の御理解を得まして、それぞれ環境憲章を企業、団体ベースで発表するなど、さまざまな形で前向きな取り組みが展開されておると思っております。  憲章を発表して一年たった昨年の五月でございますが、フォローアップの意味でアンケート調査を行いました。その回答によりますと、ほとんどの企業が何らかの形で地球環境問題に積極的に取り組んでいるという回答がございました。企業ベース、業界ベースでも地球環境憲章というようなものをつくって、企業としての取り組み方針を明らかにするとともに、社内体制を整備して、具体的な環境改善の目標、省エネでありますとかリサイクルでありますとか、フロン、CO2対策などについて、具体的な環境改善の目標を打ち出している例が多かったのでございます。  なお、これは若干過去にさかのぼりますが、いわゆる産業公害問題につきまして、もう既に御高承のこととは存じますけれども、簡単にちょっと触れさせていただきます。  例えば大気汚染の場合には、低硫黄燃料の使用拡大とか燃焼改善とか、脱硫、脱硝技術開発といった環境対策に従来積極的に取り組んだ結果、SOxとかNOxの排出量を見ても、主要欧米諸国と比べて大幅に日本は改善しております。例えば、発電所などの例で申し上げますと、発電電力量一単位当たりのSOx、NOxの排出量は、一キロワットアワー発電するのに日本では欧米の十八分の一しかSOxを出していない、NOxは七分の一しか出していないということであります。  水質汚濁についても、これはちょっと古い話になりますが、かつて瀬戸内法というものができまして、CODの二分の一カットというような水質総量規制の導入、強化などの施策が次々と打ち出されましたが、これに対しましても産業界は、目標を上回る負荷削減を達成してきたというわけで、かなりな成果を上げてきたと考えております。  こういう従来型の産業公害対策については、もちろん今後ともこれでいいということではなくて、手を抜くことなく、さらに一層努力していかなければいけないと考えております。  それから加えて、最近ますます深刻化しているごみの問題でございますけれども、これはもう地球環境憲章をつくる前から産業界として自主的に取り組む問題ということで、課題目標を設定いたしまして、そして、毎年その取り組み状況を各業界から経団連の場で報告し合って、リサイクルの推進とかごみの減量化を働きかけております。  それから、昨年の十二月には、国や地方自治体、産業界の三者の協力で、当面十億円を目途としておりますが、産業廃棄物理事業振興財団というものを設立いたしまして、一番のネックになっております最終処分場の確保等の問題に具体的に取り組む体制をつくりました。これは国と自治体と産業界が環境問題の解決に共同して取り組むというパートナーシップの具体的なあらわれと考えております。  さらに経団連では、国際的な環境協力を行うことも地球環境対策の重要な一面である、また日本としての責務であると考えまして、一つは、さしあたり中国などを念頭に置いた途上国への環境技術移転のための政策対話を推進しようという話と、それから、途上国におきます自然保護プロジェクトへの協力、具体化に取り組んでおります。特に、途上国における自然保護への協力につきましては、昨年九月に経団連自然保護基金というものを設立いたしました。そしてたまたま、先週末でございますが、第一回分として、初仕事としてパラオ諸島やインドネシアの自然保護等、計六件に資金協力をするということで、国内外のいわゆるNGOに対しましてそういうバックアップをするということを決定したところでございます。  次に、いよいよこの環境基本法案に対する私どもの考え方について述べたいと思います。  まず、なぜ今環境基本法が必要かという問題がございます。これは、これまでの環境対策の中心がSOx、NOx、に象徴されるような汚染物質をできる限り削減するということにあったのに対しまして、今日問題となっております炭酸ガス人間の生活から必然的に生まれてくる物質で、それをいかにして地球規模で一定レベルに抑えるかが問われていると存じます。したがって、具体的対策の検討に当たりましては、やはりエネルギー政策とか経済政策との調整といいますか、総合的な取り組みが不可欠になってくると存じます。そしてまた、その際、やはり技術によりブレークスルーというのがまた決め手となってくるという意味で、科学技術の粋を投入した環境対策が課題になると存じます。  それから、CO2問題はもとよりでありますが、熱帯林の破壊とか砂漠化などの地球レベルの問題につきましては、国際的連携が重要であることも申すまでもございません。これまでの公害対策基本法とか自然環境保全法は、こういった問題を必ずしも十分念頭に置いていなかったという意味におきまして、私どもとしても、新たな環境問題に対応するため、環境基本法を制定することの重要性は十分認識しております。政府が昨年秋の中公審答申を受けて環境基本法案の策定に尽力されてきたことを評価しておる次第でございます。  そうした認識のもとに、国会における同法案審議及び今後の環境政策の展開に当たって、産業界の基本的考え方として五点ばかり絞って申し上げたいと思います。  第一は、これからの環境問題の解決に当たっては、国民各層の自主的な、自発的な取り組みが大事であるということであります。  今日の環境問題は、先ほど申し上げましたように国民生活とか経済活動のあらゆる局面にかかわる問題であるだけに、その解決には企業はもとより国民各層の自主的、積極的な取り組みが重要であると考えております。それから、産業界の自主的な取り組みにつきましては、現在、ISOという国際標準化機構といいますか、国際的な標準化を推進する組織におきまして企業の環境管理システムを強化して標準化しようという動きがございますが、これは企業の自主的な努力を裏打ちするものでありまして、経団連としてもこうした国際的な動きには積極的に参加して協力していこうというふうに考えております。  それから第二点は、政府役割は、こういった国民各層による主体的な努力を促進することにあり、また自治体の施策も国全体の施策と十分整合性を保った形で推進していただきたいということでございます。  それから第三に、環境保全経済成長を一体として考える視点が必要になってきているということでございます。  我が国が目指すべきは、国民がゆとりある生活に向かっているという実感を常に持ち、この躍動力をベースにして国際社会の発展に貢献し得る社会であると思いますが、これを実現するには、環境保全はもちろんのことでありますが、やはり経済の安定的な成長が不可欠であり、特に地球環境問題への対応においては、UNCEDのリオ宣言及びそれに至る議論にも見られますように、環境保全経済成長とを一体としてとらえることが必要であると考えます。  それから第四に、環境保全に関する経済措置でございますが、これにつきましては、広範かつ慎重な議論によります国民合意の形成が不可欠であるという点であります。  この経済措置というのは、市場メカニズムを通じて国民各層の自主的対応を誘導するというところに着目した手法でありまして、産業界はもとより、最終的に環境保全コスト負担する国民一人一人に大きな影響を与える問題であるかと存じます。したがいまして、その環境上の効果及びマクロ、ミクロ両面にわたる経済的な影響等を慎重に検討する必要があると存じます。今後広範かつ慎重な検討と国民合意の形成あるいは国際的整合性の確保が不可欠であると存じます。慎重な対応をお願いする次第でございます。  それから第五に、環境影響評価の問題でございますが、これにつきましては、現行制度のもとで自主的、積極的な取り組みが進められており、十分実績を上げている点を考慮していただきたいという点でございます。  事業にかかわる環境影響評価については、産業界としてもその重要性は十分認識しており、閣議決定等に基づき現実に自主的、積極的な取り組みを進め、すぐれた実績を上げているところでございます。法制化するかどうかという問題よりも、現行制度に問題があればそれを一つ一つ改善することによって現行制度の柔軟性を生かしつつ実効を上げることが重要ではないかと考えているわけでございます。  また、製品にかかわる環境影響評価につきましては、企業ベースあるいは業界ベースで取り組みが進んでおりますが、評価の項目とか手段とか判断基準が製品によってそれぞれ異なるわけでありますので、これもやはり事業者による自主的な取り組みを基本とすべきと考えております。  以上、今日の環境問題に対します産業界の取り組みと、それから今般政府提案環境基本法案に関します基本的な私どもの考え方について説明させていただきました。  最後に、産業界としては、今日、環境問題への対応を経営の最重要課題一つとして位置づけ、取り組みを強化しておる次第でありますが、こうした取り組みを促進する形で環境基本法が制定されることを重ねて要望申し上げまして、私の公述を終えさせていただきます。  ありがとうございました。(拍手)
  8. 原田昇左右

    原田委員長 ありがとうございました。  次に、小沢公述人にお願いいたします。
  9. 小沢徳太郎

    小沢公述人 小沢でございます。  私は、スウェーデン大使館という職場で環境とエネルギーの仕事を長いこと担当しておりました。私がきょうお話しすることは、私は日本環境の状況を多少とも知っておりますし、それからスウェーデンの状況も多少知っております。そして、それらの考え方をもとにして、私がきょうしゃべることは私個人の見解でございます。  私は、基本的に、今起きているいろいろな環境問題がありますけれども、何が現在の環境問題で一番重要な問題かといいますと、環境の酸性化と廃棄物の問題だろうと思います。地球環境問題といいますと九つぐらいずらずらっと挙がってきますけれども、それらは相互に関連しております。  私は最初に、この環境基本法議論する前に、二、三あらかじめのコメントをしておきたいと思います。  まず第一は、日本あるいはスウェーデン、どこでもそうですけれども、いわゆる法治国家と呼ばれるところでは法律というものが社会仕組みを構成する重要な要素になっておりますし、それから国家の機能とか自治体の機能、司法の機能あるいは国民活動、こういうものをいろいろな形で縛るということがあります。これは日本公害関係の裁判の話を見ていればよくわかることでございます。したがいまして、新しい法律をつくるというときには、その法の立て方とか制定する時期とか法の内容ということに非常に重きを置いて考えなければいけないと思うわけであります。法律には、そういう縛ることのほかに、実は国民を教育するという効果が私はあると思います。  私は、日本環境行政を眺めたときに、あるいは日本環境立法を眺めたときに、基本的な欠落する点があると思います。  それは一つは、我が国環境政策あるいは環境立法の中にエコロジーの視点が欠如している、この最も重要なことが欠如している、これが私は非常に問題ありだと思います。顕在してきた、我々の目の前に見えてきたものに対して反応するということのために、余りにも現実の本質を見きわめる時間がない、これが私は非常に重要なポイントだろうと思います。したがいまして、日本環境の分野で活躍している専門家がどういう方が多いかといいますと、大体が工学部を出た方とか医学部を出た医者とかあるいは経済学者とか、こういう方たちが環境の専門家としておられるわけです。そこには科学者というものが欠落しているのではないか、私はこんなような気がいたします。  それからもう一つは、この最大の問題である環境問題に対して社会仕組みとか今までの習慣を変更する、こういう作業をどうもやらない傾向がある。しかし、ここをいじることが解決の糸口だろう、こういうふうに私は思うわけであります。  それで、環境基本法に対する私の基本的な個人的な見解を申し上げたいと思います。  結論を先に言いますと、私は反対でございます。このままというのはどうも余りにも問題があり過ぎるのではないか、こういう感じがいたします。  それでは、いずれにしましても、私は案をいただいているわけですから、それについて簡単にコメントをしたいと思います。  まず、内閣が提出した環境基本法案というのがございます。これについてはいろいろなことがありますけれども、私は一つに絞って話をしたいと思います。  それは、第二条の定義であります。ここには「環境への負荷」「地球環境保全」それから「公害」と、この三つについて定義がされております。しかし、この定義を読んで私はよくわかりません。  なぜかといいますと、例えば「環境への負荷」というのに、定義では、「人の活動により環境に加えられる影響であって、環境保全上の支障の原因となるおそれのあるものをいう。」「環境保全上の支障」とは何か。これが私にはよくわからないわけであります。それから、「地球環境保全」というところにも「環境保全」という言葉が出てまいります。いろいろなところにこの環境保全という言葉が出ておりますけれども、それがどういうことを指しているのか、よくわからないわけであります。それから「公害」というところでは「環境保全上の支障」という言葉がやはり出てきます。しかし、公害というのは既に公害対策基本法で私たちは十保学習をしておりますから、この定義を読んでも、大体公害というのはこういうものだ、こういう理解があるわけです。しかし、環境についてはほとんどわからない、こういう気がいたします。したがいまして、私はこの定義のことについて「環境保全」とは何かという疑問を呈したいと思います。  それから第二の疑問は、「環境保全上の支障を防止する」とありますけれども、この「環境保全上の支障」とは何か。これも何かということ。  それから、三番目の疑問としましては、環境基本計画をつくる、こういう話があります。しかし、そこには「環境保全に関する基本的な計画」、これを環境基本計画だということになっておりますので、この「環境保全」という意味がわからないと、どんな計画を具体的にやろうとしているのか、全くわからないわけであります。     〔委員長退席、高橋委員長代理着席〕  もう一つ、内閣が提出した法律案の中に、環境基本法施行に伴う関係法律整備等に関する法律案というのがあります。これは私は別に異議はありません。これは最低の作業をしているだけの話です。今まである環境関係法律の字句等の調整をやるわけですから、これは別に私は異議はありません。  それから、第三番目の法案といたしまして、社会提出法案があります。これは、もとになった内閣提出法案自体が、私にとっては非常にわかりにくい法案である上に、この社会党のものは市民の声が幾つか入っている、こういう感じに私には受け取れるわけです。  しかし、いずれにしましても、この両法案、エコロジーの視点という観点からいきますと、極めて私は不十分だと思いますし、今後の方向性がどうかということも、これでは私はわからないのではないか、こういう感じがいたします。したがいまして、私は、この法案にはもっともっとエコロジーの視点を入れて議論をし、つくる必要があるだろう、こういうふうに思います。  私は、この法案の最大の欠陥は何かといいますと、既存の、つまり今ある開発志向型の法律群、例えばリゾート法とか都市計画法、そういうものに対してほとんど影響力がないような感じの法律 だと思います。私たちがエコロジーの視点から考えれば、今の環境問題を招いている多くの原因は何かといいますと、これは人為的なものでございます。リゾート法とか都市計画法とか、そういうものに基づいてつくられる構造物、その使用が環境問題を起こしているわけであります。したがって、そういう認識があれば、当然そこに影響の出るような法律をつくるべきであろう、こういうふうに私は思います。  我が国環境行政の中で、本当に環境がよくなっているんだろうか、環境の状態はどうなのかということについてちょっと触れたいと思います。私の認識では、日本環境の状況がよくなったというのは、二酸化硫黄の大気中の濃度と一酸化炭素の大気中の濃度、それから水質汚濁防止法が決めております八種類の有害物質の公共用水域中の濃度、これが国が決めた基準以下におさまっている、私は、極論をすればこれだけだろうと思います。そのほかの問題は大変悪くなってきている。これは日本だけではなくて、世界全体がそうであります。私たちは、過去に政府も、あるいは企業も大変な努力をして、大変なお金を投じてきましたけれども、その結果が今私が申し上げたとおりなんだろうと思います。  そうしたときに、一方、ちょっとスウェーデンのお話をいたしますと、スウェーデンと日本の間には、私は約二十年の環境に対する意識の落差があると思います。  ちょうどスウェーデンも、二十年前につくった環境保護法をもう少し発展させよう。ということで、この三ページの方に書きましたように、環境コードというのを今制定しようとしているところであります。今までの法律でもまだ十分使えるのですけれども、持続可能な開発を目指すために、これからもっと環境法制を円滑にできるように持っていこう、こういう努力をしております。そして、この四角に書きましたように、二十一世紀の初頭に我々が直面するであろういろいろな問題に対応するための法律をつくるんだ、ちょうど新しい法律をつくるという点では、今の我が国と同じだろうと思います。そして既に、私がここに持ってきましたように、政府の調査委員会がこういう厚い報告書をつくりました。これが、ここで言う環境コードと呼ばれる新しい環境立法の柱になるそれの政府答申、こういうことになるわけであります。  日本とスウェーデンの違いは何かといいますと、私はこの別紙の方にちょっと書きましたように、予防的な視点環境問題を考えるか治療的な視点で考えるか、こういうことに尽きるだろうと思います。予防的な視点という方が、社会コスト全体的に見ていかにコストが安くなるかということは環境庁の調査でもはっきりわかっていることでありますし、世界のいろいろな事例がそれを示しているわけであります。  スウェーデンの環境保護法というのは一九六九年にできまして、我が国公害対策基本法というのは一九六七年にできました。今から見れば二十年前の法律であります。しかし、そこには、この資料を差し上げておきましたように、表の一というのがあります、見ていただきたいと思いますが、内容がまるっきり違っております。スウェーデンの環境保護法は、まさにアセスメント法律であります。これは環境に対する認識の違いからこういう差が出てくるのである、こういうふうに思います。  私は、今提出されている法律については、もっともっと議論する必要があると思いますので、その議論をするときの多少材料になればと思いまして、この私の資料の後ろの方に幾つかの絵をたくさん載っけておきました。この中で、言いたいことはたくさんありますけれども、環境への負荷というのについてちょっとお話をしたいと思います。  今起こっている環境の問題の本当に重要な点は何かといいますと、私は、人体への負荷が高まる、こういうことだろうと思います。この「環境への人為的負荷」という題をつけた絵を見ていただくとわかりますけれども、環境には、交通だとか産業活動だとか農業だとかエネルギーの使用だとか、そういうものが負荷を与えております。そして、戦争こそ最大の環境問題だというのがスウェーデンの認識であります。そして、その負荷大気とか水とか食物を通じて私たちの健康にはね返ってくる、こういう状況が環境問題の一番重要な点であります。  そして、それをもう少し具体的に書いたのが、その下の「人体への負荷」という絵でございます。私たちの人体にはさまざまな負荷がかかっております。例えば、私たちはどう頑張っても、光を浴び、空気を吸い、水を飲み、動植物しか食べられない。我々人類の二百万年の歴史の中で、この機能は全然変わっていないわけです。しかし、この二百年ぐらいの科学技術の発達によって、汚染物質が大分環境に出てきて、それが我々に負荷を与えている、こういう認識がやはり必要だろうと思います。特に、持続可能な開発などということを考えるときには、こういう認識がないといけないと思います。このことは余りにも私たちは今までに考えてこなかった。考えてこなかったけれども、二百万年続いたわけです。しかし、今これが危ないんだということに気がついた、これが環境問題の本質だろうと私は思います。  そして、あとはこの絵を見ていただくとわかると思いますけれども、私がもう一つここで言いたいことは、この図の中に「今日の決断と将来の問題」というタイトルをつけたのがあります。今私たちが悩まされている環境問題というのは、実は今に原因があるのではないと思います。数十年前に決断したことが現在の環境問題として顕在化している、こういうふうに私は理解をいたします。そのように理解をしますと、今日決断したことは数十年先の問題を決めてしまう。これは別に難しい問題でも何でもないわけです。  したがいまして、今私たちが必要もないとんでもない構造物をつくったとすると、その構造物が、当然寿命があるわけですから、三十年、四十年生き続けるわけです。そうしたときに、たくさんのごみを排出し、電気を使うというようなことになると思います。  したがいまして、私が言いたいことは、今決断するということは、先を十分に読んで決断すべきである。特に、不動産を利用して建造物を建てる、あるいは製造設備をつくる、こういう場合にはそういう認識を十分にする必要があるだろうと思います。ちょうど時間になりましたので、これで私のお話を終えたいと思います。ぜひとも私は大議論をやりたいと思いますので、どうぞたくさんの質問をしてくださることを願っております。  どうもありがとうございました。(拍手)
  10. 高橋一郎

    ○高橋委員長代理 ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  11. 高橋一郎

    ○高橋委員長代理 これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。細田博之君。
  12. 細田博之

    ○細田委員 ただいま、清水安田 内田、小沢、四人の公述人皆様方のすばらしい御見解、御意見を拝聴したわけでございます。私は、四人の皆様方にそれぞれ御質問を申し上げたいわけでございますが、二十分という時間でもございますので、清水公述人内田公述人のお二人にいろいろ質問をさせていただきたいと思います。前半は清水公述人にお願いを申し上げたいわけでございます。  私は、今、日本国民にとって本当に環境問題で必要なことは、第一には国民の教育だと思っているわけでございます。さっき安田先生からは、モラルの問題が第一だと言われましたけれども、まさに我々、日常行動しておりますと、つばやたんを道路に吐くとか、犬のふんを捨てて回るとか、缶をぽい捨てするとか、吸い殻や灰を捨てる とか、分別ごみも分別しないで出してしまうとか、下水は高いから入らない、川に物を投げる、公衆トイレを汚く使うといったような、一人一人見ると非常にモラルの面でも問題がある行動があるのですが、これはどうやったら直るのかということを考えますと、やはり学校教育で厳しく国民一人一人を教育する、それでそういうことがもうできないという心理状態まで持っていかないとだめなんじゃないかと思うのですね。  小沢公述人もいらっしゃいますけれども、スウェーデンがまず何よりも一番すばらしいのは、欧米社会というのはそういうところが進んでおりますが、多分個人一人一人の認識が違うんじゃないか。だから、私はこの教育の必要性というものが非常にあると思いますので、これは第一点として、清水先生にその辺のお考えを伺いたいと思います。  時間の関係がありますから、全部申し上げたいと思います。  それから第二は、四十六年の七月に環境庁が発足してもう二十二年ということで、その間非常に、いわゆる環境基準だ、排出基準だということで、企業規制とか、大気、水、騒音その他のいわゆる公害規制という面では本当によく進んだと思うわけでございます。清水先生も長い環境行政の御経験がありますから、その点に関して感慨といいますか現状認識、二十年間にわたってどういう気持ちであるということもちょっとお触れいただきたいのでございます。  そこで、残った問題というのは、やはり第一には、先ほど申しましたことと関係するのですが、市民レベルの努力の問題、それから第二がグローバルな視点、そして第三がそのために国際協力を進めていくということだと思うわけでございますが、そういった意味でこの環境基本法を定めること自体に非常に意味がありますし、また、過去二十何年努力してきたこととこれから努力すべきことというのは、一つの踊り場といいますか、大きく展開するところまで来ておりますから、そういった視点で私は必要だと思っているわけでございます。  そういったことで申しますと、清水先生がおっしゃった中でも、アセスメントの問題というのは非常に大事でございますけれども、この御意見の中で、一層適切で充実したものとなることを期待するということをおっしゃっていますが、せっかくの機会でございますから、その具体的なお考えを御開陳いただけたらと思うわけでございます。  それから、これは三番目ということになるわけでございますが、環境問題については、非常に蓄積したものがあるわけですね。湖沼の汚れ、島根県でも宍道湖がどんどん汚れてくる。先ほど安田先生からも霞ケ浦の話その他ありましたが、そういうところがいっぱいあるわけですよ。それから、蓄積したごみというのがある。これは蓄積しておりますから、原因者原因者といって追っかけていっても、なかなかうまくいかない。そうすると、休廃止鉱山について国家がお金を出して、いわばその水の改善をやるとか、そういう事業を国がやるというようなこともやっておるわけでございますが、何らかの国なり地方公共団体による責任を持った体制というものもやらなければいけないのではないかというふうにも思うのでございますけれども、この点についてどういうふうに考えたらいいかということ。  そして、その蓄積するごみについて言いますと、特に消費者とか市民が非常に関係する。だから、第一には教育の問題であるわけでございますが、やはり基本的にいい仕組みをつくっていかなければいけない。その点について清水先生はどのように考えられるか。非常に広範でございますから、そのうち特にこの点お答えになりたいということをまた選んでお答えをいただけたらと思います。
  13. 清水汪

    清水公述人 大変重要な問題についての御質問、また先生御自身のお考えの一端を御披瀝いただいたように思いますけれども、まず第一の教育の問題につきましては、やはり同感でありますし、この法案の中でも教育の問題に触れておりますが、さらに言えば、私の個人的な見解ということで申しわけございませんけれども、単に学校の教育だけではなくて、いわば生涯教育という言葉も最近あるわけですけれども、そういう長い視野で教育の問題に取り組んでいくということが必要だろうと思います。  私は、かつて環境庁におりましたときも、環境は我々のモラルの鏡だ、こういうことをよく言ったことを今思い出したわけでございますけれども、そういう意味におきましては、今度の基本法でも、今のような環境問題に対応する一番のキーワードの一つは、事業者も含めて、政府もそうですが、国民がそれぞれの立場において役割を担っていく、そのことを法律の上で明確に宣言したということが非常に大きい意味だと思います。前の公害対策基本法のときはそういうふうには国民地位は出ておりませんでした。国民は単に政府等の施策に協力する責務を有するということでありましたけれども、今度はみずから取り組むべき分野があるよということを示している、これが基本だろうと思います。  その他ありますけれども、そういう意味でこの法律は、御批判の中にはやや理念に偏っているというような御意見も新聞等で見かけるわけですが、やはり今の段階でまず理念をはっきりさせる、そうして国民によく問題の所在を認識してもらうという意味が大きいのではないか、そんなふうに思うわけでございます。  それから、アセスメントでございますけれども、先ほど私の個人的な感想を申し上げましたが、やはりアセスメントというのは、客観性のある一つのルールによって実施されていくというところにその信頼性も持たれるということがあるわけでございます。  そういう点をやはり念頭に置いて、私が今一番お願いしたいと思いますことは、現状についてひとついろいろの方面の人たちからフランクな意見が出るようにしまして、実証的に検討していただくということがまず今日必要ではないか、こんなふうに思うわけですね。かつてアセスメント法の推進の立場にありました者からすれば、法律がないわけですけれども、現実は私よく知りません。実務は離れておりますからわかりませんけれども、そういう推進したという立場からすれば、やはり現在の状況にはいろいろ十分ではない点があるのではないかというふうな疑いはどうしても否定し得ない、こういうことであります。  それから、蓄積した汚染あるいは国際協力ということでありましたが、この蓄積した汚染を解決するというか、環境の汚れを直すということについて、やはりお金が必要だ。技術も必要です。例えば、スーパーファンドというようなのがアメリカにあるということも聞いておるわけです。ですから、アセスメント等を駆使して予防的にやるということが大事ですけれども、不幸にして起きてしまったことの後始末についてのいわば保険的なシステムも、それぞれの立場における責任も織り込んだ考え方でそういうものもつくっていくというようなことも一つ方法ではないか。デポジット制度というのも、結局はそれのもっと小型な身近なものがいわばデポジット、こういう感じにもつながってくるのではないか。  それから国際協力については、当然これははっきりと物を言ってやっていく、お金の量の伸びに余りこだわらない、むしろ内容のいいものをやる、相手の国に真に喜ばれる、相手の国民に喜ばれるものをやる、こういうところがやはりポイントであろうというふうに私は思います。  簡単でございますが。
  14. 細田博之

    ○細田委員 ありがとうございました。  次に、内田公述人にいろいろお尋ねいたしたいわけでございます。  御意見が、安田公述人内田公述人はいろいろな面で微妙に違うところもあると思うのですね。それぞれ非常に建設的な御意見であるわけでございますが、例えば安田公述人のおっしゃいましたデポジットリファンド・システムというよう な、確かに空き瓶空き缶その他の廃棄物、自動車なども含むのかもしれませんが、大変リサイクルの面で大きな問題がある。そこに、モラルだけでも足りないし、強制することもなかなか難しいし、経済的なメカニズム、こうおっしゃるわけでございます。  ただ、私自身も非常にこれは難しいなと思っておりますのは、一人一人の国民が相手でございますから、教育的にもっとかなりの部分をやればまずはスウェーデンのようになるのではないかとも思うのでございますけれども、それがなかなか十分でないということになりますと、こういった検討をしろということにもなると思うのでございますが、やはり今の経済メカニズム上は、いわばそれがうまく動くかどうかという点が非常に問題があって、一つの缶で五円、六円というものをリファンドするときに、一般市民はそれでやるんだろうかということがございますし、それから、価格体系、流通体系、あるいは市況、ボランタリーでどんどんやってきた公共団体あるいはNGOのようなものが非常に困っているわけです。そのときに、経済界としてはやはり無視するわけにはいかないと思うのですよ。例えば経団連の会員の企業というのは自動車会社もあれば食品会社もあればその他いろいろな会社、ガラス会社があったりすると思うのでございますが、それを一体どういうふうに考えていこうとされているのか、この点が第一点でございます。  それから第二点は、CO2などについて、確かに規制をすれば経済成長に影響がある。日本も随分これまで排出基準などで産業界もいろいろ、そこまではできないと言いながらもきつい基準に対応してきたということは実績としてあるわけでございますが、現状議論が行われておりますCO2について、率直にどういう感じなのかということ。それから、アメリカが非常に後ろ向きでございますね。そのことについてどのように考えておられるか。そしてそれに絡んで、税制などは非常に問題があるとおっしゃいましたが、私は個人的に言えば、それこそ全国民が税負担をすべき問題なんじゃないかなという気もしておるわけでございまして、どのように全国民負担するのかということも考えるべき段階に来ていると思うのですが、その辺の考え方についてお願い申します。  それから、第三には技術協力の問題でございますが、例えばロシアで原子力などが非常に危ないものがあるというようなこととか、あるいは日本海に何か大変な燃料を捨てたとか、あるいは中国が酸性雨原因を自分の方で認めたとか、いろいろ情報があるわけでございます。そう考えていきますと、彼らが簡単にお金を出して自分たちで、技術も余りありませんし、対応できるとは考えられないわけでございますから、日本の民間企業は長い間環境に関して技術を発展させ、対応してきたという蓄積がございますので、もっともっと具体的に対応していくということが経済界にとって大事なことじゃないかと私は思いますので、まずその三点についてお願い申します。
  15. 内田公三

    内田公述人 お答えいたします。  まず、デポジットリファンド・システムの問題でありますが、先ほど申し上げましたように、廃棄物の問題につきましては前々から経団連としても非常に真剣に積極的に取り組んでおりまして、各業界がそれぞれの業界で排出する廃棄物の再資源化とかその処理、処分とかということについてどういうふうに取り組んでいるのか、改善しているのかというのを一年ごとくらいにその実情をヒアリングして、その問題が改善するように経団連としても促進しているわけであります。  現状まででも、空き缶なんかもそれぞれの関係業界がそれなりの努力をしておりますし、紙なんかについては、御承知のように日本の古紙の回収率というのは世界の中でも一番進んでいるというような実情がございます。しかし、現状で十分かといえば、もちろん御指摘のようにまだまだいろいろ不十分な点もございます。  そこで、デポジットリファンド・システムはどうだとか、いろいろなことが今議論されつつあるわけでありますが、こういう廃棄物の問題について、確かにそういった経済性といいますか、それが一つのネックというか問題であるということは私も感じております。今までは、ごみを出すとむしろお金、新聞なんか出すと、古紙を出すと幾らかもらう、ティッシュペーパーをもらう。しかしこれからはどうも、いろいろな粗大ごみとか何か出すときにやはり幾らかお金を出して引き取ってもらうというような方向にだんだん行くのではないか、またそれによって廃棄物処理、処分産業というかそれについての経済性というものも出てきて進むのではないか、これは私見でありますが、そういうような気もしておりまして、この廃棄物問題についていかに経済的な手法を導入するかというのは、非常に重要な問題、検討に値する問題だと思っております。  しかしながら、いわゆるデポジット制、特に強制デポジット制の問題につきましては、私どもも経団連の廃棄物部会におきましていろいろ検討をしておりますけれども、やはりなかなかいろいろな問題がございます。例えば強制デポジット制を実施したとしても、日本のような土地とか住宅事情が非常に厳しいというところでたくさんの回収施設を設置したり運営したりするのは非常に困難である。回収経費が膨大になってしまって、結局かえって消費者負担増大してしまうのではないかというようなこともございます。いろいろな問題がありますけれども、しかし、そういった問題を前向きに解決していく姿勢が大事ではないかというふうに考えております。  それから次に、時間の関係で簡単になりますが、CO2の問題でありますが、これは本当に難しい問題で、先ほどの冒頭陳述で申し上げましたように、これもSOxとかNOxと違って、CO2というものは、そのもの自体は別に有害ではないし、人間が生存していく上でどうしても出てくる問題、つまりCO2による地球温暖化問題というのは、人間存在なり経済活動そのものが当面する自己矛盾といいますか、そういう問題なわけで、これをどう解決していくかということは非常に大きな問題で、日本だけでもだめですし、世界的な取り組みが必要なわけでありますが、やはりこれには、日本としては省エネとか省資源というのをできる限り、まずやれることはどんどんやっていくということが当面必要じゃないかというふうに考えます。  それからもう一つは、日本はかっていろいろな問題を技術開発解決してきたわけでありますけれども、このCO2の問題についても、幾つかの業界でCO2の対策についての技術開発が既に始まっておりますが、そういう技術開発でCO2の問題も何とか解決していけるのではないかという期待を私は持っているわけでございます。  それから、第三に原発の問題でありますけれども、これは私も余り専門ではありませんけれども、確かにロシアなんかの原子力発電所の問題なんか見ていると非常に寒心にたえないというか、そこで、日本では曲がりなりに、日本の原子力発電というのはそれほどの大きな問題もなく推進されているわけなので、日本の持っているいろいろなノウハウとか技術とかいうようなものを使って、そういうロシアとかその他の国における原子力の安全な推進にできる限り協力していくということが必要ではないか。これについては、原子力産業会議とかいろいろな関係機関もありますし、政府の方も直接関係があるわけでありますけれども、そういったところで大いに検討していただきたいと思っておるわけでございます。  簡単でございますが。
  16. 細田博之

    ○細田委員 最後に、小沢先生からも御反対の立場で、この法律の問題点をいろいろ書いたりまたおっしゃったわけでございますけれども、私はこう思うのです。  一九六〇年代から七〇年代は、いわゆる排出基準であり、企業の責任であり、公害規制の問題ということが最大の問題であった。また八〇年代になりますと、やはり総合的な地域の問題としてアセスメントその他のアプローチを一生懸命やって きた。そして九〇年代に入ると、グローバルな視点国際協力視点というふうに変わってきて、それらがいずれも必要がなくなったというのではなくて、いわば発展的に議論が進んでくるということだと思うのです。  ですから、小沢さんがおっしゃっていることも今後の、例えばエコロジーの視点とかその先のことをおっしゃっているような気もしますから、この法案が一〇〇%完全でないという御指摘はよくわかるわけでございますけれども、この基本法というもの自体も、法律でございますし、時代の考え方を反映したということでございますから、その点は私どもは、この基本法が完全なものであるとして今後改正しないとか不磨の大典であるということでなくて、とりあえず現段階で見ると最善のものとしてまず国民に提起をし、教育も行い、また関係の法制も整備し、国際的に協力する、こういうふうに私自身は思っております。  時間がなくなりましたから御答弁いただかなくて結構でございますけれども、所感を申し述べさせていただきます。どうもありがとうございました。
  17. 高橋一郎

    ○高橋委員長代理 時崎雄司君。
  18. 時崎雄司

    ○時崎委員 政府環境基本法第一条から四十四条までつぶさに読ましていただいて、一番わかりにくい文章というのが第二十一条の二項だと思っておりまして、安田先生、それから内田先生、さらには清水先生に、まず最初に法第二十一条の二項関係について意見を聞かしていただきたいな、こう思います。  この二十一条は、先ほどから出ております経済的手法法律では経済措置ということになっておりますが、一項の方は「助成を行うために必要な措置を講ずるように努めるものとする。」これはもうずばり理解しやすいのでございますが、この第二項にいくとどうもよくわかりません。  それで、先ほど内田先生でございましたか、この経済措置については、慎重に、さらに国民の合意、国際的連携等々のお話がございましたので、ああ、経済界の言われるとおりに環境庁はこのような条文にしたのかな、逆に言えば、この項は経済界からの強い要請だったのかな、こう思っているところでございますが、これは国語的にいえばどう読むのですか。  これは安田先生によく教えていただきたいのですが、「国は、」というのが主語で、そしてずっときて「国民の理解と協力を得るように努めるものとする。」というのでマルなのですね。その前には「その措置を講ずる必要がある場合には、」こういうことなのです。これはあるかないかは調査研究しなさいということなのですね。そして最後には、「この場合において、」「国際的な連携」にさらに配慮せよ、こうなっているのです。これは何を言っている文章なのか、私よくわからないのです。そしてタイトルは「環境保全上の支障を防止するための経済措置」、こうつけているのです。  そこで、助成の方は「必要な措置を講ずる」ということでずばり言っておりますが、課徴金さらにはデポジット等に関する部分はこの第二項なのでしょうけれども、安田先生、これについて先ほど三つ挙げた中で特に時間をとられて発言をされておりますので、この条文は先ほど言われるように経済措置がきちっととられるような条文になっていると感じているのかどうか、まず最初にそのことについてお尋ねをいたします。     〔高橋委員長代理退席、委員長着席〕
  19. 安田八十五

    安田公述人 政府提出案もいろいろ調整した結果出されたものと思いますが、我々研究者というか理論家から見ますと、先ほども申し上げましたように、私は三つ政策があるということを申し上げました。モラル型の政策規制型の政策、それから経済政策環境経済政策。そういうことを考えますと、最も有効な政策は、私はやはり環境経済政策であるというふうに考えております。  といいますのは、モラルだけに頼っていては、モラルは先ほどおっしゃいましたように教育等で大事なことは大事なのですが、モラルを制度化し、システム化していくことが必要であろう。そうしますと、やはりそれが実行できるような枠組みをある程度法律でづくっていく。  それから、経済的な措置を行うという場合には、やはり具体的な経済措置が想定できるような文章というか、我々が経済政策といいますと、一つ課徴金政策ということになります。それから補助金政策。そして、課徴金政策にもいろいろなレベルの課徴金政策がございます。例えばオランダなんかでやっている炭素課税、これは税金というよりも炭酸ガスを減らすための課徴金政策一つなわけです。そして課徴金政策補助金政策を組み合わせたものとして、例えばデポジットリファンド・システムというものがございます。これに関しては、産業界では一部疑問があるようですが、既に欧米では、アメリカではオレゴン州を初めカリフォルニア州、ニューヨーク州、そういう十の州で州の法律で実行しているわけです。それからヨーロッパにおいてはドイツ、それから北欧の国、スイス、こういうところでも制度化して有効性が確かめられているわけです。  一つお見せしますと、これはPETボトルなのですが、日本のPETボトルですと、一回出てしまうと、もうごみになって埋立処分せざるを得ないのですが、ドイツでは五十回ぐらい使えるPETボトルが開発されている、リュースということですね。さらにこれにデポジットがかかっていまして、約五十冊、ですからだれも捨てる人はいないわけです。捨てたら損じます。単に経済的に損するのではなくて、社会的にも損する、個人の心理としてモラルとしても損する。そういうような仕組みがもう世界じゅうで、特に先進国では行われているわけです。そして有効性が確かめられているわけです。それなのになぜ日本でできないのか。私はいったか国情の違いということを言われてびっくりしたのですが、日本先進国一つでして、日本だけがそういうものをやらないということは全く理解できないわけです。  そういう意味では、もう少し具体的にどういう経済政策を展開するのかを踏み込んで書いていただいて、政令等はつくるかどうかわかりませんが、課徴金政策補助金政策デポジット政策、具体的には炭素課税、そういうものが展開できるような形の環境基本法に持っていっていただきたいというのが私の希望でございます。
  20. 時崎雄司

    ○時崎委員 続きまして内田さんに、先ほどのお話の中で、経済措置については、慎重に、そしてまた国民の合意を得るようにする、国際的な連携、こう言われたのですが、慎重にという言葉、日本語では大分意味のとり方が違う場合がございますので、先生が言われた慎重にというのは、やるという前提で慎重に検討せよというのか、慎重にということはやるなということなのか、どういうつもりでおっしゃったのか、お聞かせをいただきたいと思います。
  21. 内田公三

    内田公述人 お答えします。  まず、二十一条の二項の文章が非常に難解で、先ほどの私の発言で、経済界の要望でこんなことになったんじゃないかというようなお話が最初ございましたが、文章の書き方は政府の方にひとつ聞いていただきたいと思うわけでありますが、経済措置についての私どもの考え方は、まず一つこういうことがございます。  つまり、地球環境問題の議論が始まったときに、地球環境は大事だ、だから環境税だというような何か非常に短絡した議論が行われたというふうに私どもは感じております用地球環境問題が大事だということは間違いないとは思うのですけれども、じゃ一体何をしなければいけないのか、具体的な対策というのはどういうことをやればいいのか、そして、何をやるについて一体その費用というのはどのくらいかかるのかとか、それはどういうふうに負担さるべきなのかということをやはり議論してから、そこで初めて、場合によれば何らかの環境税がどうしても必要だということになるのかもしれませんが、まず何をやらなければいけないのか具体的な検討、それから費用負担とか対策のあり方というものを議論してから、それか らコスト負担あり方というのが出てくるべきではないか。それが何か、何やっていいのかわからぬうちに、地球環境は大事だ、だから環境税でというのはちょっと軽率な議論じゃないかというふうに私どもまず考えたわけであります。  したがいまして、環境基本法案経済措置ということが盛り込まれるということになってきました際にも、私どもはその点を大変心配しまして、環境対策をやる財源をどう調達するかという問題と、それからCO2も含めまして汚染物質とか、そういったものをなるべく出ないようにするためのインセンティブとしての、つまりそういう環境政策としての、環境対策の一つの手段としての経済措置というものをまずこれは峻別してもらう必要がある。  この点については、幸いに現在の基本法案における経済措置というのは、財源対策じゃなくて、要するに環境をよくするための一つ手法としての経済措置ということにはっきりなってきているようなので、その点は私どもは評価しているわけですが、さて、じゃその経済措置にしても、それは課徴金もあるでしょうし、あるいは税金もあるでしょうし、あるいはアメリカなんかで排出権売買というようなことも行われているように聞いておりますが、いろいろなやり方があり得るわけであります。したがって、どういうことやれば最も効果的な対策であるのか、そして負担すべき者が正当に負担することになるのか。  それから、こういう問題もございます。というのは、日本だけで幾ら減らしてみても、ほかの国でどこかで盛大にCO2をどんどん出されたのではこれまた意味がない。やはり国際的にある程度の協調というか整合性を持って、全体で低減させていくようなそういうシステムでなければいけないという問題もあるかと思うのです。  そういう意味で、経済措置というのは、何をやるにしてもやはりかなり多面的な検討をした上で、ベストのものを選択していく必要があるんじゃないかという意味で、私どもは慎重にとか国民の合意形成とかいうようなことを申し上げているわけであります。  慎重にというのは、一体やりたくないのか、やるつもりなのかということでありますけれども、それはいろいろ検討した上で、やる気になるか、変な案だったら余りやる気が出ないかもしれませんということだと思います。失礼しました。
  22. 時崎雄司

    ○時崎委員 同じことについて清水さんにもお尋ねをいたしますが、先ほどのお話では市場メカニズムを活用してというようなことでございました。この二十一条の二項、経済措置についてどのようにお考えであるか、お聞かせいただきたいと思います。
  23. 清水汪

    清水公述人 先ほどちょっと申し上げましたように、これは市場志向型の措置だ、こういうことであります。ちょっと一項との比較で、感想めいて恐縮ですけれども申し上げますと、一項は現に行われているような施策も視野の中に入って書かれているということだと思います。そういうものは主としてどうかというと、税制上の特別償却とか公的金融による低利融資というような、物によってはあるいは補助金もあるかもしれませんが、そういうことではなかろうか。それはもらう方からすれば経済上の現象だから、やはり経済措置ということだなと私も理解しております。  それからもう一つ、一項の方は、日本語的英語に言えばいわゆるインセンティブですね。あめをやるからしっかりやりなさい。二項の方は、日本語的英語で言えばディスインセンティブですね。しかし、それによって誘導しよう、価格メカニズムを通じて誘導しよう、こういう違いがあるわけであります。  もう一つ違いは、一項のようなやり方をしますと、一定の基準とかなんとかいうものを役所が決めていくということが前提になると思いますけれども、そうすると、努力が基準に合格するとそこでとまるのですね、ちょっと大学へ入学したら勉強しなくなるというような感じで。  ところが、二項の方にいきますと、努力をして技術開発して、例えば炭素税を例に挙げれば、炭素税のかかり方の少ないものをやっていけば、それだけよく安く売れて、買う人もそれを買ってくれる、そういう誘因が働く。ですから、いわば努力が無限に続く、こういう意味が大きいと思います。そういうことが市場経済のシステムを利用する場合のメリット、こういうことだろうと思います。  私は、二十一条二項の前段は全部のことが書いてあって、例えばデポジット制というようなものはローカルにできるという意味において、こういうものは典型的に前段ですぐに出てくるということだろうと思います。  炭素税というのは炭素ガス対策ということであります。こうなりますと、これはやはり国際的な連携でいかないと、先ほどのお話にもありましたように、地球環境問題というのは、一人だけがやっても効果が十分ない、一人がサボっても、ほかの人が全部やれば効果があるかもしれない、こういう性質のものでありますから、連携が大事だと思いますけれども、しかしその点については、さっきちょっと申しましたように、既にかなりほかの方で進んでいる動きもあるわけですね。  ですから私は、大事なことは、デポジットも、結局はみんなエネルギーを使っているというところがそのもとにあるわけですから、根本は同じなんだけれども、やはりそういうふうに究極的には炭酸ガスというところにいくのではないか。負担ということについて、先ほどちょっと申しましたように、これは負担をさせること自体に本来の目的があるわけじゃないということを国民によくお話をして、理解してもらうことがポイントではないか、こんなふうに思います。
  24. 時崎雄司

    ○時崎委員 ありがとうございました。  時間もありませんので、最後に清水さんに、環境アセスメントについて冒頭言われた後、細田さんからの質問にもお答えになりましたが、既に閣議決定というやり方で約十年近く行ってきているわけですね。ここへきて、政府案でも「必要な措置を講ずるものとする。」こういうことで第十九条に規定をしているわけでございますが、先生としては、法制化について、ずばりやるべきか、現行の閣議決定でよろしいか、それをお聞かせいただきたいと思います。
  25. 清水汪

    清水公述人 閣議決定の措置というようなものも、この法律で言うところの「必要な措置」ということにいわば法律の方が後から追いかけていって、現在存在するいろいろのものについての座布団ができた、こういうふうにこの法律は解釈していいと思うのですけれども、さっき申し上げましたことは、私はかつて役所におりましたときにアセスメント法案の推進の立場にあったということ、その後は実務を離れておりますから、しかしいろいろ伺いますと、閣議決定要綱等で非常に順調にいっているということも聞きますので、私としては非常にそれはうれしく思っておりますけれども、しかし前からのいきさつからしますと、やはりさっき申しましたように、もう少し現状をよく検証していただいたらどうかということがまず申し上げたいことになるというふうに思います。  それで、どういう形のものにせよ、客観性のあるルールなり手続でやるというところにまた一つ意味があるということであります。したがって、直ちに法律でということは、これはやはりいろいろ条件が熟さなければ無理だという点もあるわけでございますので、手始めにはそういう現状の分析というようなことがいいのではないか、こんなふうに思っておるわけでございます。
  26. 時崎雄司

    ○時崎委員 時間になりましたので、終わります。ありがとうございました。
  27. 原田昇左右

  28. 大野由利子

    ○大野(由)委員 内田先生と小沢先生、お二人に同じ質問をさせていただきたいと思うのですが、日本高度経済成長期に事業活動に伴います著しい産業公害が大変多発をいたしまして、日本環境行政はこうした産業や開発の後始末対策というものが主という形で現在行われてきたのではないか、そのように思っているわけでございます。  これから今の状況を考えてみましたときに、今までの公害生命、今の破壊にまで及ぶような大変な公害病を引き起こしてきた、そうした反省点に立ちまして、これからの環境行政というのは対症療法的な環境行政ではなくて、予防的と申しますか、未然防止型の環境行政でなければいけないのではないか。今までの典型七公害に見られるような、これについてはこう、これについてはこうというのじゃなくてということで、一応今回の基本法もそういったものを背景につくられたわけでございますが、今までの経済、産業、生活、あらゆる面で大きく転換をしていく、産業優先といったものを大きく転換をしていく、そういう姿勢が必要なのではないかと思っているわけですが、今回の基本法を見ましたときに、そうした視点とか理念はうたわれている面はあるわけですが、その今までの反省が生きているのかどうかと非常に疑問を思う点が多々あるわけでございます。  環境アセスについても法制化ということが明確に出ていない。重要性はうたわれてはいるわけですが、環境アセスの法制化については先送りをされておりますし、初めて政府が音頭をとって環境基本計画をつくろうとしたことは評価できると思うのですが、もれも開発計画よりも上位性を持つのだとか、開発計画に対して環境基本計画がどういう位置づけがあるのかというようなことに全く触れていないとか、そういった問題、情報公開につきましても、生命に及ぶような問題、環境保全について必要な情報の公開等々についても何ら触れていないというようなことがございます。  それで、今回の環境基本法の制定に当たりまして、私は詳しくわからないのですが、新聞の情報等々によりますと、かなり産業界の圧力があって当初のいろいろなことから多少後退をしたというようなこと等々が報道されているわけでございますけれども、今までの環境行政がこれでは不十分だったという反省が本当に十分生かされているのかどうか、その点についてお伺いをしたいと思います。  初めに、では内田公述人からお願いいたします。
  29. 内田公三

    内田公述人 お答えします。  いろいろな点がございましたが、まず対症療法から未然防止へということは全くそのとおりで、環境基本法案もそういう趣旨で提案をされておると存じますが、私ども経団連の方では、何遍も申し上げるようですけれども、地球環境憲章などを契機に、未然防止をもちろん積極的に、しかも日本環境のみならず、地球環境の改善というか環境保全に取り組もうじゃないかということで産業界に訴えているということでございます。  そういう意味で、とかく従来、経済優先、産業優先みたいな傾向がなきにしもあらずだったかもしれませんけれども、今やむしろ、この地球環境憲章をごらんいただくと前文の方に書いてあるかと思いますけれども、環境保全なくして企業の存立もない、地球環境破壊されてしまったのではもう産業活動それ自身も企業も存立てきないということなわけでありまして、そのことを各企業も真剣に認識して、それぞれの企業活動環境配慮を徹底していくということを私どもは今訴えているし、産業界もだんだんそういう認識に変わってきているのだと思います。  産業優先とか生産優先というものから、むしろ消費者、生活者本位といいますか、そういうふうにしなくてはいけないということは、ようやく最近経済界でもそういうコンセンサスが出てきておりまして、これは地球環境問題とは直接つながらないかもしれませんが、経団連でも消費者・生活者委員会というようなものをつくりまして、そういう立場でいろいろ検討を始めているということでございます。  環境アセスメントはそういう意味法制化になっていないのは後ろ向きじゃないかということでございましたけれども、これにつきましては、私どもは、現在の閣議決定なり、あるいは電力については通産省議による環境アセスメントの運用で今まで大体うまくいっているのじゃないか。もし何か不十分な点があればその運用を改善する、評価項目を追加するとか、評価手法を改善するとか、そういうことで運用を改善することによって十分対応できるのじゃないか。つまり、法律にするとかえって柔軟性が失われて、法律にすればいいことずくめというわけじゃなくて、逆に法律によるデメリットもあるのじゃないかと思いまして、私どもはとりあえずは、少なくとも当面はこの現在の運用の充実、改善ということでいくべきじゃないかということを言っているわけでございます。  それから、環境基本計画の問題は、経済界というよりも政府の中で、各省のいろいろな計画の総合性の問題という面で強いかと思い、ますけれども、経済界から見れば、環境はもちろん重要であり最優先事項であるけれども、しかし人間が生活をしていくということも必要なわけで、そういう意味で、電力とかエネルギーも必要なわけなので、環境を最優先としつつも、やはり適切な経済成長とかエネルギー確保とかいうことも必要なので、そういう意味でいろいろな政府の計画というものも環境配慮を十分徹底しながら、全体として整合性を持ってつくられる必要があるのじゃないかというふうに考えておるわけであります。  それから、情報公開の問題については、いろいろ難しい問題があるので今度の法律ではとられてないのだと思いますけれども、ある意味での情報公開というものが必要だということはそのとおりでありまして、この経団連の地球環境憲章でもその何項目目かに、環境問題に関するいろいろな情報を、その企業が取り組んでいる環境対策に関する情報をできる限りその関係住民とかに公開していく、知らせていくということを一項目に取り上げております。  それから、何か経済界の圧力で基本法案の中身が後退したのじゃないかというような御指摘でございましたけれども、私どもから見ると、ちょっとこれは言い過ぎかもしれませんが、かってに比べれば産業界、経済界の取り組みは格段に進歩というか、いわばさま変わりのような、私も長年担当しているのですけれども、そういう感があるわけで、むしろ経団連の地球環境憲章とかそういったようなものがきっかけになって、それでやっとむしろ政府の方も環境基本法案みたいなものを考え出したのじゃないかというふうにすら考えております。ありがとうございました。
  30. 大野由利子

    ○大野(由)委員 では、小沢先生、お願いします。
  31. 小沢徳太郎

    小沢公述人 環境計画につきましては、私が最初にお話ししましたように、環境保全という概念がこの資料からは私にはわかりませんので、それがどういうものかわからないというのが本音でございます。  それから、アセスメントにつきましては、私は日本アセスメントを考えたときに、アセスメントをする項目というのは、既存の法律、例えば公害関係大気汚染防止法とかそういう法律が決めている汚染物質、それから条例が決めている汚染物質、つまり日本の法令の中にあるもので押さえているわけです。しかし、これでは極めて不十分だろうと私は思います。なぜかといいますと、国が決めているアセスメント項目というのは、過去に健康被害等があって、それの治療のために決めたものでありますから、将来を考えなければいけないアセスメントには、ないよりはもちろんいいわけですけれども、十分かといえば、私は不十分だろうと思います。  それから、情報公開について言えば、これは環境のみならず、すべてについて情報公開が必要であろうと私は思います。ちなみに、スウェーデンの場合には、二百年以上前から情報公開があります・それはなぜかといいますと、いいか悪いかは別にして、国民がみずからのことはみずから決定したい、そのためには行政機関が持っている情報を公開すべしということがありまして、既に二百年前から定着しております。  それから、予防かどうかというのは、私は当然これは予防の話、予防以外にないと思うわけであ ります。  差し上げましたものの中に、大阪万博のスカンジナビア館の絵が出ております。これも実は、二十年前にこういうパビリオンをつくって、ここに「「プラス」と「マイナス」」と書いてありますが、産業活動、我々の活動が広まれば当然、プラス、いい面もあるけれども、マイナス、悪い面も出るよ、だからそのバランスをとりなさい、こういうことを言っているわけです。つまり、スウェーデンの視点でいけば、地球環境とか公害という分け方はないわけです。彼らはずっと昔から環境ということ一本で来ました。たまたま日本公害があり、それが今度は地球環境ということになっただけであって、これは私は、きょう一番最初に申し上げました、日本法律の教育効果ではないかと思うわけであります。
  32. 大野由利子

    ○大野(由)委員 今、教育効果というお話が出ましたので、それに関連して伺いたいと思うのです。  環境税の経済的手法に関しましても国民の皆さんの幅広いコンセンサスがなければ進まないし、デポジット云々のことについてもある程度国民の皆さんの本当に幅広い支持が必要、そういった意味での鶏が先か卵が先かというような論点になってくる面もあるわけです。いずれにしても、私ども国民全般の環境に対する意識が高まってくるということが非常に大事ではないか。そういった意味で私は、学校教育はもちろん、環境の日みたいなものを設けて国民全般の皆さんの喚起を促すということも必要でしょうし、また、地域で環境アドバイザーみたいなものがたくさん誕生して、日常的にこういうふうなことが行われることも大事ではないか、そのように思っているわけでございます。  こうした環境教育という面について、安田先生、小沢先生に伺いたいと思います。
  33. 安田八十五

    安田公述人 私も大学で教鞭をとっている人間の一人として、環境教育の重要性は強調してもし過ぎることはない、こういうふうに考えております。  私どもの筑波大学では、大学院に環境科学研究科という特別修士課程がございまして、定員は一学年九十人、実際は百二十人くらい在籍しておりますが、大学院レベルで、私どものやっている自然科学から社会科学まで含めたものを行っております。それから、最近では学部段階でも全国の大学に似たようなものができつつあります。  そこで、私は、最も大事なのはやはり学校教育だというふうに思います。環境教育は先ほどもありましたように生涯教育でございますが、学校教育、特に小中学校のレベルで、まだ子供の段階から環境の持つ重要性というものを十分に認識して、地球環境がこのままでいっては滅んでしまうかもわからないのだという視点から、きちんとした、単なる理論だけではなくて実践教育、例えば社会科とか理科の学習にごみ拾いなんかも入れてやっていくべきではないか。そういう視点で、まず子供の段階から環境教育を教育の大きな柱にして、そして当然、生涯学習、学校から離れて地域での環境教育、そういう形の展開が必要だ。  それは、重要な点は、私の持論の環境経済政策ということになりますが、一つモラル、意識を高めると同時に、社会仕組みがそれと両輪で展開していく。教育とか意識によるモラルを制度化して、そしてシステム化していく。そして、システムが動くとそういうモラルも増進していくという、両輪で展開していくということが極めて重要だと思いますので、今度の環境基本法にもそういう視点を十分盛り込んでいただきたいというのが我々の希望でございます。
  34. 大野由利子

    ○大野(由)委員 では、小沢先生にも、スウェーデンの環境教育を例に引きながらお願いいたします。
  35. 小沢徳太郎

    小沢公述人 私は、環境教育については一言言いたいことがあります。  それは、日本で今考えている環境教育というのはどうも目的的な環境教育だと思うわけです。重要な環境教育というのは、私たちが生きていくために何が必要なのかということを教えるのが教育だと思います。日本では教育を、環境教育、消費者教育、産業教育というふうにみんなぶつぶつに切ってやります。これは明らかに目的的なものであります。こういう環境教育はほとんど意味がない、私はこういうふうに考えます。  先ほど私は法律に教育的効果があるというお話をいたしました。きょうのこの議論を聞いていて、それをつくづく感じました。実は、今起きている環境問題なんというのはずっと昔から続いてきていることであります。それをたまたま私たちは、日本公害対策基本法という法律で、公害はこういうものだというふうに思っていた。そうしたら、新しく地球環境が出てきた。ところが、スウェーデンでは公害なんというものはないわけですから、最初から環境ということが彼らの頭にあるわけです。つまり、日本では、法律があったために、公害というものはこういうものだという認識ができちゃった。つまり、認識が遅かったということが原因だろうと私は思います。  それから、ぜひ見ていただきたいのは、この絵の中に「環境政策の策定手順」という図がかいてあります。この中に四角がたくさんあって、政府の下にいろいろな団体の名前が出ていますね、産業界とか労働組合とか消費者団体とか。わかりますか、一番最後のページです。政策をどうやってつくるかということが書いてあります。  それで、ここの中に、これはたまたま環境政策ですけれども、スウェーデンの政府がつくった報告書はこういう利害を伴うところに必ず送られるわけです。そういたしますと、例えば環境の場合には、消費者団体のところにもレポートが来るし、労働組合のところにも環境のレポートが来るわけです。これがもし税制の政策の場合には、やはり労働組合に今度は税制が行く。そのように、国の政策を決めたときには、関連の団体に必ず報告書が行くということになります。そうしますと、例えば労働組合は、労働組合のことばかり考えるのではなくて、環境のことが来れば環境の勉強もする、税制の話が来れば税制の勉強もするということで、こういうシステムができているために、産業団体もトータルに勉強ができる、こういうことであります。  したがって私は、これも教育の一環だろうと思いますし、それから法律も教育の一環だろうと思うし、学校教育もそうだと思います。
  36. 大野由利子

    ○大野(由)委員 最後に小沢先生に、スウェーデンのエネルギー政策について伺いたいと思うのです。  御存じのように、化石燃料は地球温暖化という大変な弊害をもたらすし、水力発電も自然破壊になる。原子力発電も、温暖化の面ではクリーンと言われているわけですが、非常に廃棄物の問題等々がございます。スウェーデンは原子力発電を廃止する政策を一応打ち出しておりますが、現実にはどういう方向で今進んでいるのか、時間が余りございませんので、手短にお答えいただければと思います。
  37. 小沢徳太郎

    小沢公述人 お答えいたします。  スウェーデンは原子力発電で約半分の電気をつくっておりますし、水力で半分の電気をつくっております。それから、化石燃料では電気はほとんどなし、数%でございます。その中で原子力発電を二〇一〇年にゼロにしよう、こういう目標で進んでおります。  それはなぜかといいますと、一つは、将来原子力に負うた場合に果たして十分な電気が得られるか。つまり具体的に言いますと、プルトニウムにいかないとだめなわけです。しかし、プルトニウムを使った原子炉がうまくいくかどうか。スウェーデンはこれに疑問を持っております。したがって、原子力に依存しないエネルギー体系をつくろう。  それはなぜかといいますと、化石燃料も将来の資源の埋蔵量の関係から制限があるらしい。原子力については今のようなお話で、ちょっとスウェーデンは見込みを持っていない。そういうことになりますと、どうしても自然エネルギーを 使ったようなエネルギー体系に変えなければいけない。原子力が二〇一〇年までに非常にうまく多分動くでしょうから、その動いている間にそちらにかける予算を再生可能なエネルギー体系の開発に向ける。そうして、エネルギー体系を今までの集中型から分散型のものに変えていく。こういう努力をしないと、持続可能な、開発のために必要なエネルギーが結局供給できなくなるおそれがある。こういう視点に立っているんだろうと思います。
  38. 大野由利子

    ○大野(由)委員 ありがとうございました。
  39. 原田昇左右

    原田委員長 次に、寺前巖君。
  40. 寺前巖

    ○寺前委員 最初に、清水さんと小沢さんにお聞きをしたいと思います。  今日国会でも再々問題になるのですが、三十数年前に水俣の被害が生まれました。私は水俣の問題について、裁判記録なりあるいは現地の方々のお話を聞いておってつくづく感ずるのですが、もしも情報公開が行われていたならばもっと早い段階にあんな被害を受けなくても済んだものをと。私は、そういう点では、会社にとってもあるいは国家機関にとっても、情報公開をしなかったことが非常に悪い役割をしてきているということを強く感ずる者です。  お二人の皆さんは、リオ宣言についてもよく御存じのとおりであって、情報公開について指摘をわざわざやっています。ところが今度の基本法を見ると、私たちの経験から考えても、はっきりしなければならないこの問題が欠けているのではないだろうか、強く気になるところなんです。そういう意味では、水俣の問題についてどういうふうにお感じになっているのか、情報公開との関係において御指摘をいただきたい。  まず清水さんからお願いします。
  41. 清水汪

    清水公述人 水俣の問題につきましては、私も大変胸の痛む思いがしております。この問題については、やはり時代がかなり違っていたな、全体として高度成長志向型の時代が続いたということですね。これは、今の日本から見ると過去のことでありますけれども、その時代に起きた不幸な問題だった、こういうふうに思います。  もう一つは、行政法体系全体としていろいろ許認可とか免許とか届け出とか報告とかいうのがいっぱいありますけれども、これらはやはり長い年月の間でずっとたまってきて、そうして社会情勢等の変化との間でときどきに変わるというか進歩するというか、そういう現象ももちろん見られるわけですけれども、そういう行政法の体系なりあるいはそれの考え方、そういう問題もやはりある。現時点の目から見て過去のことを批判するということになりますと、それはなかなか難しいということがあって、現に今でもそういうようなことからだろうと思うのですけれども、結論が出ないという問題もあるわけですね。  今、情報公開ということがありましたが、これについては、公開という言葉がなかなか我が国においてまだ必ずしもよくわかっていないといいますか、熟していないということもあると思いますが、例えば今度の基本法では、したがって公開という言葉はあえて避けているわけですけれども、情報提供ということを法律の上ではっきりうたっているわけです。この情報提供という立場から極力これを充実させていくということがまず望まれるのではないか、こんなふうに思っております。
  42. 小沢徳太郎

    小沢公述人 情報の公開につきましては、先ほどお話ししましたように、スウェーデンの場合はもう二百年ぐらいの歴史があります。これは、先ほどお話ししましたように、国民が、自分たちのことは自分で決定したい、そのために、行政が一番情報を持っているわけですから、とりたい、そういう非常に強い熱意が二百年以上前にあって、それが今社会に定着しているということであります。  スウェーデンでは、基本的には行政の持っている情報は公開されていて、ただし、民族関係とかプライバシーに関するものとかあるいは安全保障に関するものについて、あるいはもう少し事例があったかもしれませんけれども、そういうものについて除かれている。原則的に公開されていて一部制限するものがある、こういう形であります。  それから、水俣の話が出ましたけれども、私は、直接この水俣の話としてお話しするのではなくて、環境問題が起きた場合の日本とスウェーデンの情報公開の決定的な違いを一例を挙げて申し上げたいと思います。  これは、例えばダイオキシンのような国際的に環境に有害な物質というのが発見された場合に、スウェーデンでは、どこから出たかということを国民が非常に気にするわけです。そして、どこから出たかということがわかればそこに対策をすればいい、そうすれば安心できる、こういうふうにスウェーデン人は考えるわけであります。ところが、我が国の新聞報道を見ていますと、ダイオキシンが出た、出た場所を公表すると国民があるいは市民が不安になる、だからやらないんだということが数年前の新聞に書いてありました。不安だから公開をして、その所在を知って対策を政府が打つから安心していられると考えるのと、公開するといろいろ不安が出るという、これは考え方の違いだろうと思います。
  43. 寺前巖

    ○寺前委員 現にそういう水俣のような経験を我々してきているわけですが、それでは、現にどういうことになっているだろうか。例えば、ゴルフ場をつくる、ゴルフ場がどういう農薬をどういう量を使っているのかということを、それでは聞きにいったからといって市民に公開はするものではない。あるいは、電気製品の洗浄をやる、それに何を使っているのかということを公表するわけではない。こういうのは国家機関なり地方機関で情報を収集することができるだろう。情報を収集したけれども少しも現に公表しない。  私は、そういう点では、社会環境に対して現実的にそこで泣いてきた市民との関係で言うならば、今度の法案の中で情報の公開ということを国家的な責務として明らかにしていないということは、この問題に新しい発展を遂げさせるということにはならないんではないだろうか。私は、やはり過去の経験から考えても情報公開というのは、ずばりやはり提供すべきではないか、いや、公開をむしろ住民に対して行うべきではないかというふうに思うわけですが、内田さんはどういうふうにお考えになりますでしょうか。
  44. 内田公三

    内田公述人 お答えします。  一般論として情報の公開ということでありますけれども、これについては、やはり企業でいえば企業のいわゆる企業秘密とか、いろいろなそういう財産権についての情報とかいう問題もございますし、また一般市民レベルでいえば個人のプライバシーというような問題もありましょうし、また国レベルでいえば、外交関係というか、安全関係なんかに関する情報で機密を要するものというようなものもあると思われますので、情報の公開というのは、一般論としては望ましいようにも思いますけれども、実際にそれを法律規定するというようなことになるとやはりこれはまさに慎重に、いろいろな問題を配慮しながら検討すべき難しい問題じゃないかというふうに考えます。  他方、私ども産業界自身のことを振り返ってみますと、これは何遍も申し上げて恐縮ですが、経団連の地球環境憲章の中では、まず、企業の環境に関する情報は行政当局にはなるべく提供する、これはよりよい環境政策の形成に資するという趣旨でありますけれども、そうしようじゃないかということをうたっておりますし、また、特に海外なんかで日本の企業が事業活動する場合には、いろいろなそういう環境関係の情報を海外の関係の地域の住民とか、地元の政府はもちろんですけれども、そういったところになるべく提供というかある意味での公開をして、納得ずくでいろいろ事業を進めていくことが必要だというようなことも申し上げております。  以上です。
  45. 寺前巖

    ○寺前委員 一般論としては望ましいとおっしゃったわけですが、一般論として、さっきから言いましたように、ゴルフ場であったら、どんな農薬使っているのと言うたって現に絶対に提供し ないですよ、公開はしないですよ。一般論として、電気の製品メーカーに行って、どんな洗浄をやっているのと言ったって市民には公開しない。それじゃどこが公開してくれるんだ。だれもその責任をかわってやってくれる機関はない。これである限りにおいては市民生活の環境の不安に対する問題の解決はできない。私は、これが現実に生きた姿だと思う。だから、そこへメスを入れなかったならば、私は本当に環境基本法とか公害基本法とかいろいろ言ってきたけれども、この問題に対する積極的な役割を担うことにならぬじゃないか。私は、気になる点であるのであえてお聞きをした点です。  もう一つ、あえてお聞きをしたい点というのは、水質や大気汚染など、一定の規制措置が行われるようになりましたけれども、しかし、一定の措置をとる過程における七〇年公害国会を忘れることはできないのです。それは、企業の発展なくして、経済の発展なくして福祉なし、経済の発展は、福祉を本当に要求するんだったらそれは必要なんだということが基本的に流れておったのを、あの七〇年公害国会ではそれを消してしまった。そんなことを言って結局公害野放しになったじゃないか、これは最大の問題だったと思うのです。  さて、今日、企業の経済活動環境の問題を論じるときに、一体のものだとかあるいは今日ではもう産業公害から生活公害への段階に変わってきたんだとかいうことが、私には気になって気になって仕方がない問題であるわけです。  私は、何といったって環境破壊しているのは産業活動に大きな原因をやはり求めなければならないと思うのです。環境破壊の第一義的な責任は、やはり原因を生み出した、製品そのものをつくり出しているところにあるということをきちんとしておく必要がある。  そうすると、そういう製品を生み出していったための社会的責任を負わなきゃならぬから、だから製品については、社会的責任を負うような製品にしなかったら売り出すわけにはいかないんだとか、あるいは環境破壊したことによって住民に被害を与えたんだから被害者補償はやらないかぬのだとか、あるいは環境破壊した結果をつくっているんだからそういう環境をもとの環境に復元する責任を負わなきゃならぬのだ。やはり私は、第一義責任はどこが持つのかという問題を今日も依然として重要な課題だというふうに思うのですが、この点について、長年環境問題について見てこられた清水さんは、今日時点に立ってどういうふうにお考えになっておられるのか、あるいは安田さんはその点についてどういうふうに見ておられるのか、お聞きしたいと思います。
  46. 清水汪

    清水公述人 まず一つ、私自身も、公害は決してまだなくなってないということは機会があるごとにむしろ申し上げているわけであります。  ただ、先ほど来の議論の中で言われておりますことは、そういうことに加えて、さらに地球規模環境問題にまで今日なったという点、それからそれに応じてその原因の構造が変わってきた。産業公害は、特定発生源が隣にいる人に被害を及ぼすというような構造が中心でしたけれども、今度は、いわばみんなが原因者であり被害者だ、もっと言えば、現代の世代の人間原因者で、将来の世代の人間被害者になりかねない、こういうことはあると思います。  経済環境については、リオのときでも統合という言葉が使われ、持続可能な開発という言葉が使われましたが、私は、これは言葉のようにそんなに簡単な問題ではないともともと思っております。  長く言う時間がありませんので結論だけ申し上げれば、私は、環境経済の調和というのは言葉のとおりそうでいいんだけれども、例えば調和といっても、夫唱婦随というのを一つとってみれば、かかあ天下でもあるいは亭主関白でもその家庭は円満なんだけれども、環境経済については、それはそうはいかない。じゃ、どうか。つまり、さっき申しましたように、環境は入れ物なんですね。ただ、この入れ物は非常に受容力が大きい。だから、大事なことは、環境の許す浄化能力、復元力の範囲を超えないようにやっていくということがすべての人間活動について必要なことだろう、こういうふうに思います。だから、もっとそれを突き詰めていえば、どちらが基準かといえば環境が基準だ。私は、優先とかそういう言葉はやはりちょっとまた誤解を生むと思うのです。しかし、やはりこれは入れ物が基準であることは明らかだ、こういうことを思っております。  それから、企業の責任の中でいわゆるPLに当たるようなものというのは、もっと直接的な、さっきの公害に近いような現象に、製品の場合にそれが出てきているのだろうと思います。こういうものは原因者が直接負担する、あるいはまたそれを規制するということで、規制手法あるいは賠償手法というものがむしろ妥当である。  ですけれども、今地球環境問題というふうに論じられているものは、究極的には、物をつくるけれども、つくったものを大量に消費しているというところまでつながって今日の問題が起きている。一つ一つは正当業務という面、例えば炭酸ガス自体は有害物質ではないわけですから、そういう構造の中でどう考えるかということであると思います。  そうすると、やはり市場メカニズムを使ったような先ほど来出ている手法、こういう手法は漸進的にやっていくことができる、その効果影響の両面を見計らいながらやっていくことができる、こういうメリットもあるわけですから、やはりそういうところに手法としてはいくのではないか、こんなふうに思うわけでございます。
  47. 安田八十五

    安田公述人 私は、原則的には環境問題は汚染者負担原則というか原因者負担原則で解決すべきである、こういうふうに考えております。  ただ、先ほど霞ケ浦の例を出しましたが、霞ケ浦では確かに工業排水よりも生活雑排水のウエートの方が大きくなっております。これは生活者が、最終的には消費者が合成洗剤等を使って出していくわけですけれども、じゃ、だからといって生産者とか流通業者に責任がないのかというと、私はそういうふうに考えてはおりません。そういう汚染しやすいものをつくっているメーカーの責任、それからそういうものを売っている流通業者の責任、これは当然原因者、広い意味での原因者として、汚染者として責任を負担すべきである。極端な例を言いますとあれですが、有害廃棄物を出すようなものに関しては、やはり使う人も責任があるわけですけれども、それをつくっている人、売っている人の責任をきちんと求めなければいけない、こういうふうに考えているわけです。  ですから、農薬とかそういうものに関しましては、特に日本は有害廃棄物の指定がアメリカとかヨーロッパと比べますとちょっと少ない。廃掃法との関連で言うと特別管理廃棄物に、もう少しアメリカのように、アメリカは四百五十種類指定しておりますが、指定して有害廃棄物としてきちんと生産段階から管理していく、そして、汚染者負担原則で、もう明らかに害が出るものは事前に規制していく、それから、低レベルのものに対しては、そういうものを使わないような経済的ディスインセンティブを与えていく、そういう形で解決して、汚染者負担原則、原因者負担原則がそれぞれ個別のケースで実行できるような仕組みをつくっていかなければならない、そういうふうに考えております。
  48. 寺前巖

    ○寺前委員 地球規模に話が広がりましたから、あえてこの際もう一つ聞いておきたいのは、例えばマレーシアにおいていろいろな事故が起こっている、トラブルが起こっている、あるいはまたフィリピンなり南方において森林破壊が行われておる。これは事実の経過から見ると、企業の利益優先活動に従属して開発途上国に対する被害を与えていっているというのが実態上の姿であろうというふうに思うわけです。  そうすると、そういう点では企業の海外へ持ち出していく活動、こういう問題に対して日本として責任を感じなければいけないのじゃないだろうか、そういう規制ということはできないものなの だろうかということを私は強く感ずるものですが、もう時間も来たようでございますので、清水さんと小沢さんに、ひとつ御見解をお聞きしたいと思います。
  49. 清水汪

    清水公述人 御指摘の熱帯林問題などは、やはり非常に重大な問題だと思います。ですから、やはりこの法律のような理念をベースにして、国民全部がその立場でこういう問題について負荷を減らすという行動を具体的に起こしていく、こういうことがとりあえず必要ではないか、こんなふうに思っております。
  50. 小沢徳太郎

    小沢公述人 私は、それはできることだろうと思います。  スウェーデンはほかの国に比べてそれがもう少しできるだろう、こういうふうに思うわけです。それはなぜかといいますと、スウェーデンという国は福祉国家という表題を掲げて、そして人の健康というもの、それから人権というものを国の中心に据えているわけです。ですから、自分の国の人間とそれから他国の人間との間にそれほど大きな差を認めていない。一般論ですけれども、もちろん例外はあると思いますけれども。そういう意味で、相対的ではありますけれども、自分の国の法律の中にしっかり人間というものを入れて、人間が大切なんだという視点に立ては、そういう法律ができるでしょうし、事態は変わると思います。
  51. 寺前巖

    ○寺前委員 終わります。
  52. 原田昇左右

    原田委員長 柳田稔君。
  53. 柳田稔

    柳田委員 まず最初に、小沢公述人にお伺いをしたいのでありますけれども、「この法の制定により、環境問題が改善の方向に向かうとは到底考えられない。」だから反対だというふうな結論であります。私は逆に、先生が望んでおるような、ここまでできればと、例えばスウェーデンの先ほど言った環境コードですか、までできればそれはすばらしいものかもわかりませんけれども、現段階でこの環境基本法をつくっていって、さらに、先生も書いてあるとおり「法律には国民を間接的に教育してしまう効果がある」ということですから、国としてもこういうふうに環境に対して大変関心を持って前に進めるんだ、そういうふうなことも出てくるんではないかと思うので、私は、なぜ反対をされるのか、まだ少しわからないのでありますけれども、いかがでしょうか。
  54. 小沢徳太郎

    小沢公述人 反対というか、あるよりない方がいいかと問われれば私はあった方がいいという程度の話でして、つまり実効があるかどうかという点を考えたときに、もう少し環境問題ということを真剣に考えてやればもっと別なものができるであろう、こういうふうに私は思うわけです。  それはなぜかといいますと、今私が聞いている範囲では、この法律ができたときになくなるものは何かというと、公害対策基本法がなくなる、それで、そのほかのものは残るというわけですね。つまり、公害対策基本法のもとでできた大気汚染防止法とか水質汚濁防止法とか、そういうたぐいは残るわけです。そうしますと、過去の行政の対応と、つまり法律というのは生きているわけですから、変わらないではないか。もし許認可事項をやるとしても、今までの大気汚染防止法に沿ってやるのでしょうし、水質汚濁防止法に沿ってやるわけです。あるいは廃棄物もそうだと思います。そうだとすると、私の認識では、二十年前よりも今の環境の状態は一部のものを除いて悪くなっている、こういうふうに考えているわけです。ですから、従来と同じ法律が生きていて、それを早く変えるというなら別ですよ。早く変えるということがあればそうですけれども、既存の法律として生き続け、それに基づいて行政が判断をする、アセスメントもそうです、そういうことになれば汚染物質はふえてしまうじゃないか、そういう意味で反対だと言うわけです。
  55. 柳田稔

    柳田委員 また小沢先生に質問でありますけれども、基本法、これで環境を守るのだという理念を我々は打ち出すわけですね。これが国会で成立し、そして行政がこれに基づいて動き出す。となれば、ほかのいろいろな法律についても基本法に従って徐々に改正をしていかなければならない。理念も何もない、基本法も何もないのに改正しろというのは無理な問題で、まずこれをつくって、それをもとにしていろいろな法律も改正していこうというのが行政の手腕でもあるし、またそうせざるを得ないとも思うのです。だから、あるかないか問われればあった方がいい、私もそう思いますけれども、もっといろいろな面の具体策はこれから本格的にやろうということなので、まあ反対とおっしゃらずに、まだまだ不十分であるという程度ぐらいかなと思うのですが、いかがでしょうか。
  56. 小沢徳太郎

    小沢公述人 可及的速やかに成立してほしい、こういうふうに法律案には書いてございます。したがって、私はそれは反対だと言っているわけです。今おっしゃったように、こういうものができて徐々にというよりも、なるべく早い時期にほかの法律が変わっていくということが明確であれば、私はあえて反対はいたしません。  ただ、私がこの際申し上げたいことは、現実問題を考えますと、こういう新法をつくるというよりももっと効力があるのは、いわゆる行政の縦割りというところ、ここにメスを入れるべきだと私は思います。私は、環境問題は実は社会システムの問題だ、特に我が国を考えたときには社会システムの問題だということを基本的に考えております。ここにも書きましたように、環境基本法をつくっても、それがほかの省庁が抱えている法律影響を及ぼさないようであればこれは意味がないと私は思う。なぜかといいますと、人間活動すべてが実は環境負荷にかかわるものであります。そういう認識に立ては私の主張していることは全然不思議ではないと思います。
  57. 柳田稔

    柳田委員 この基本法は多分いろいろな省庁にまたがります。だから、環境庁がどうのこうのという以上に縦割り行政が、これ一つとっても相当変わってくるのではないかという気もしますので、これを通していろいろな面で、これを基礎にして変えていこうという気持ちもありますので、小沢公述人には御理解賜ればと思います。  次に、安田先生にお尋ねしたいのであります。  地球環境、先日ブラジルの環境サミットでもありましたけれども、特に南北問題という大きな課題があるのではないかと思うのです。エネルギー問題もそうでしょうし、さらには天然資源の問題にも波及するかと思うのです。この南北問題、大変大きな課題なんですが、解決しなければならない、しかし利害が大変絡む。逆に言いますと、先ほどから出ていました、国内で産業界がどうのこうのという問題以上に複雑で難しいだろうと思うのですが、これに対する御意見、サジェスチョン、何かありますでしょうか。
  58. 安田八十五

    安田公述人 昨年の地球サミット、国連の環境開発会議で地球規模環境問題が議論されまして、特に南北の認識とか違いが出されましたが、特に南側はまたいわゆる環境よりも開発にウエートを置いて、環境環境先進国が言って開発をストップされるのは困る、そういう認識等も出されたわけでございます。  それで、いわゆる持続可能な開発というか、発展、成長という考え方、サステーナブルグロースという考え方が出されたわけですが、私の認識、個人的な見解なんですが、日本高度経済成長をしたように、ある程度環境を犠牲にして成長をするというのは今後はやはり許されないんじゃないかというふうに認識しております。日本経験なり技術移転、それからさまざまな援助を通じて南の方々が環境破壊とか公害を出さないような形で成長できるようなさまざまな国際協力日本がリーダーシップをとってやっていくというのがこれからの極めて重要な日本役割でして、日本国内だけの環境問題ではなくて、特に南の問題に関して、例えば東南アジアの熱帯雨林破壊の問題、これは一部は日本の企業が輸入するということでかなり破壊をしているわけですけれども、サステーナブルグロースの形の森林の利用、そういう形での技術的、経済的、社会的、さまざまな協力を今後やっていくということが我々に課せられ た課題でして、そういうところまでできたら踏み込んでいただきたい、こういうふうに考えております。
  59. 柳田稔

    柳田委員 先ほど安田先生、二酸化炭素、酸性雨砂漠化といろいろなお話が出まして、セブンキープロブレムですか。私は持論として、発展途上国ですか、エネルギーをつくるためには単純に天然資源を燃やして酸化させてエネルギーをつくろう、それが一番安いわけですから、そういうふうなことがだんだん顕著になってまいりまして、日本にも酸性雨の問題がどうのこうのという話にもなってまいりました。  ということで、できれば日本の、世界でも一番安全な原子力発電、これを世界に持っていって、エネルギーの問題は我々に任せてというふうなことをやったらどうかなと私自身は思っているんです。逆に、任せますと簡単な、安いエネルギーを補給しますから、つくりますから、そうすると大変なことになるから、逆に日本の持っているそういう技術を出したらどうかなという気はしているんですけれども、いかがでしょうか、安田先生。
  60. 安田八十五

    安田公述人 私、先ほどの最初の公述で申し上げましたように、日本社会システム、特に経済システムを、大量生産、大量流通、それが同時に大量廃棄社会環境に非常に大きな負荷をかけ、資源エネルギーをむだ遣いしてきたわけです。そして、ごみを大量に出してきた。この構造をまず変える必要があると思います。そのためには、これまでのような大量エネルギーを使う生産技術流通システム、消費構造、これを変えていかなければいけない。そういう形の展開をしていく。  そして、エネルギーに関しても、私はやはり原発は過渡的なものとして考えるべきだと思います。ですから、長期的には再生可能なエネルギーに切りかえていく。そういう形の展開の中で、原発を過渡的なものとして使うというのは確かに有効なんですが、原発を例えば石油火力のかわりに全部、燃やすと炭酸ガスが出るから原発にかえるというのは私は正しい選択だとは思えません。そして特に、途上国に日本の原発技術を入れていくということに関しても、決して望ましいとも思わないわけです。  逆に、例えば石炭火力でも石油火力発電所でも炭酸ガスとかNOxを出さない技術がかなり日本開発されております。そして、日本は厳しいということで、日本はできないということがありますので、そういう技術を中国とか東南アジアとかそういう国に技術移転していく、テクノロジートランスファーしていく、経済的な援助もしていく、そういうところにぜひやっていただきたい、こういうふうに考えております。
  61. 柳田稔

    柳田委員 安田先生おっしゃることも理解できます。だから、両方でやっていったらどうかな、しかし日本の原子力の技術ももっと高めなくてはならないかなと思っておるのですけれども、いずれにしても、このエネルギー問題一つとってみても大変難しい。我々はここまで豊かになって、そろそろ環境を考えようか。これは非常におくれているかもしれませんけれども、しかし発展途上国はこれからだ。それに対してどう対応していくのか。具体的に考え出すと、本当にいろいろなことを思い悩みながら現実的に一歩も踏み出せないのではないか、そういうふうな感じも若干するんです。  ということで、日本のことも大変重要でありますけれども、こういう海外、特に発展途上国に対してどうすればいいのか。先ほど内田公述人は、自分たちで資金をつくっていろいろなもので資金の供与をしながら環境を守るために努力をしているというお話がありましたけれども、産業界の立場で、いろいろなプラントとか工場をつくるために海外へ出ておりますよね。そういったときに海外の、特に発展途上国の皆さんのこの環境に対する考え方、それに対して我々日本としてどういうふうな話し合いをしておる、結果としてどういうものができ上がっているのかを、もしおわかりになれば、その範疇で御示唆願えればと思います。
  62. 内田公三

    内田公述人 お答えします。  二点ばかりお答えしたいのですが、まず第一点は、先ほど自然保護の基金をつくって今やっと仕事を始めたところだということを申し上げましたが、その一つの例を申し上げますと、これはエクアドルの例なんですけれども、エクアドルにタグアヤシというのがありまして、そこの住民は今まで焼き畑農業で生活している。したがって、どんどん森林をいわば破壊して自然を破壊している。そういうことをしないでそこの住民が何とか生活していけるようにしてやるのがひいては自然保護になるということで、タグアヤシ、ヤシの実というのがありまして、そのヤシの実で従来は何かボタンかなんかをつくっておったようなんですけれども、ボタンは合成の製品に押されて最近振るわないということなんですが、それを使って何かいろいろ民芸品のようなものをつくって、それでもってそこの地域の住民がやっていけるようにする。そういうプロジェクトがありまして、これはアメリカのNGOかなんかが取り組んでいるんでしたか、それに経団連のこの自然保護基金では何がしかの資金を援助してバックアップするというようなことをやっております。  それから第二点は、私は、そういう特に開発途上国なんかの自然保護に経済界が協力するということも非常に大事だし、やっとこれは始めたところでありますが、大いにやらなくてはいかぬと思います。しかしながら、経済界としてやはり一番大事なことは、自分のやっている事業活動環境配慮を徹底させる、自分の提供している製品とかサービスが公害環境破壊を起こさないように生産から流通消費まで徹底してそれをやるということが本来の企業の使命だ、責任だと私は思っております。  そういう意味で、海外の事業活動につきましても、地球環境憲章ではいろいろなことを訴えておりますけれども、最近環境庁さんの方の慫慂もありまして、私どもの職員も海外の日本企業がどうやって環境保全に取り組んでいるかという調査をしてきました。その結果わかりましたことは、そんなに日本の一部マスコミで日本企業の公害輸出というようなことが言われているほどには、少なくともインドネシアとかタイなどではそういう問題はそれほど起きていない。むしろ事態はいい方向で動いている。  しかし、これからやらなければいけないのは、やはり現地政府との対話というものをもっとやる必要がある。それから、海外に出ている工場については、日本の東京というか本社の人が、とかくお留守というか配慮が行き届かないという嫌いがありますので、やはり本社サイドがそういう海外における環境保全ということに本当に真剣に、本気になって、そういう気持ちで海外の支店なり工場にいろいろ指示していくことが非常に大事であるということを痛感しているわけであります。
  63. 柳田稔

    柳田委員 私もこういう仕事をする前はある鉄鋼会社のサラリーマンでありまして、その中にちゃんとエンジニアリング事業部というところがありまして、海外にプラントをつくるためのいろいろな仕事をしておりました。その人たちと話をしますと、日本で考えている以上というか、以下と言った方がいいのか、環境に対する認識は大変乏しい。だから、我々としても努力をしたいのだけれども、いかんせんこれは仕事、商売でありますから、契約金に応じてせざるを得ないということがあって、まあ難しいなという話も聞いたりもしておるのです。  先ほど、冒頭、日本の国内においても教育が必要だというお話もありましたけれども、私は、国内は教育、しかし海外は本当に対話をしていかなければならないなと。さらに、日本としてODA予算、基本法ができるかどうかわかりませんけれども、その辺ともいろいろとタイアップしながらこの環境問題を世界に広めていかなければならない、そういうことも大事になるのではないかと思うのです。  最後に清水公述人、この辺の、世界に対して環境問題の認識を広めるためにはどうしたらいいか、何かサジェスチョンがありましたらお聞かせ 願えればと思います。
  64. 清水汪

    清水公述人 大変大きな問題で、私ごとき者が十分お答えできるとは思えませんけれども、この法律でも言っておりますように、世界人類が共通に取り組むべき課題だという認識をまずしっかり持って、そうなりますと、やはりこの分野は日本がみずからいろいろ経験も持っておるし、また能力もあるし、ついでにお金もあるということでございます。ほかに日本世界的な場で演ずべき役割というものも当然あり得ると思いますけれども、この分野は、やはり日本が、俗に言えばイニシアチブを発揮して取り組んでいくのにふさわしい。開発途上国援助自体がいっぱいありますけれども、それを含めても、環境の面で日本がひとつ真価を発揮してみるということの意味は非常に大きいのではないか、そんなふうに思っております。
  65. 柳田稔

    柳田委員 ちょうど時間になりました。大変いい御意見を賜りまして、心から感謝を申し上げます。本当にどうもありがとうございました。
  66. 原田昇左右

    原田委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  午後三時三十分から再開することとし、この際、休憩いたします。     午後零時四十三分休憩      ————◇—————     午後三時三十分開議
  67. 原田昇左右

    原田委員長 休憩前に引き続き会議を開きます。  この際、御出席公述人皆様に一言ごあいさつを申し上げます。  公述人各位におかれましては、御多用中のところ御出席をいただきまして、まことにありがとうございます。各案に対する御意見を拝聴し、審査の参考にいたしたいと存じますので、忌憚のない御意見をお述べいただきたいと存じます。  なお、御意見は猿田公述人、梶山公述人、篠原公述人高木公述人の順序で、お一人十五分以内でお述べいただき、その後、委員からの質疑にお答え願いたいと存じます。  念のため申し上げますが、発言をする際はその都度委員長の許可を受けることになっております。また、公述人委員に対して質疑をすることはできないことになっておりますので、あらかじめ御承知おき願いたいと存じます。  それでは、まず猿田公述人にお願いいたします。
  68. 猿田勝美

    ○猿田公述人 猿田でございます。よろしくお願い申し上げます。  本日は、現在国会で御審議中の環境基本法案につきまして、このような意見陳述の場をお与えいただきまして、まことにありがとう存じます。  私は、横浜市におきまして、公害行政といういわゆる地方自治体での環境政策を形成し、実施する立場で長年環境問題に携わってまいりました。また、各種国の検討会あるいは審議会等を通じまして、国の環境政策の立案等につきましても関与するさまざまな機会をちょうだいいたしました。特に環境基本法制あり方につきましては、中央公害対策審議会自然環境保全審議会での審議には、委員の一人として参画する機会を与えられたわけでございまして、本日は、こうした経験も踏まえまして、環境基本法案につきまして、私なりの意見を申し述べたいと存じます。  まず第一に、環境政策における地方公共団体役割の問題でございます。  我が国での環境行政の歩みを見てまいりますと、いわゆる高度経済成長の時期に各地で地域的な公害問題が激化したわけでございますが、それに直面いたしました地方公共団体を中心に、当時は十分でない公害防止技術といわゆる未整備な制度の中で、当初は対症療法的なものでありましたけれども、公害防止対策の率先的な取り組みが始められたわけでございます。  このような状況の中で、昭和四十二年には公害対策基本法の制定どこれに引き続きます関係法の整備が行われました。また、昭和四十七年には自然環境保全法が制定されるなど、法制度が整備強化されまして、各地方公共団体が国の法制度や政策とも整合を図りながら、創意工夫を重ねつつ施策を実施してきたところでございます。いわゆる国、地方公共団体が一体となりました環境公害行政が推進されるようになりまして、順次、規制の強化や事業者あるいは国民の方々の取り組みによりまして、公害問題の危機的な状況を脱することができたというふうに考えております。これが、今日世界的にも高く評価されております我が国公害防止対策の成果に結びついたのではないかと思っておるわけでございます。  今日の環境政策課題は、地域的な公害防止あるいは自然保護にとどまらず、地球全体の環境保全大量生産大量消費大量廃棄というような経済効率優先の経済活動からもたらされる環境負荷増大をどのように低減させていくかという、長期的かつ地球規模課題に拡大してきたわけでございます。こうした時代の要請にこたえますためには、今まで蓄積してまいりました経験と実績を生かすとともに、国と地方公共団体との連携を一層強化した取り組みが必要でございます。  こうした見地から、環境基本法案では、第七条に地方公共団体の責務、また第三十五条には地方公共団体施策ということで、地方公共団体の基本的役割として、国の施策に準じました施策と地域のいわゆる自然的、社会的条件に応じた施策を策定し、実施することとされておるわけでございます。こうした位置づけは、公害対策基本法規定を踏襲したものではありますけれども、地方の自主性を生かしながら、国と地方公共団体施策が相まって、今日的課題であります環境保全の取り組みが進められるべきであるというふうに考えておるわけでございます。  第二に、環境基本計画についてでございます。  今日の環境政策に求められておりますのは、個別の公害防止や一定地域の自然の保護にとどまらず、社会経済活動に伴う環境への負荷をいかに低減し、持続的に発展することのできる社会の構築を目指すべきかということでありまして、そのためには、また、社会の幅広い主体の公平な役割分担のもとに、自主的、積極的に環境保全の努力が進められることが必要であります。そうした国全体にわたる環境保全施策の総合的かつ計画的な推進を図るための環境基本計画というものをつくることは、極めて重要なことであると考えております。  この基本計画の中では、環境政策の総合的、計画的な大綱のほか、広範多岐にわたります環境保全施策を、有機的連携を保ちつつ長期的な観点から推進するため、政府全体としての環境保全施策の全体像を示すものと理解しております。今後の環境政策の展開の土台になるものとして期待しておるわけでございます。  基本計画の中身につきましては、法律制定後の新たにできます中央環境審議会における議論等を通じまして具体化されていくこととなるわけでございましょうが、環境政策を国政の重要課題として位置づけ、個別政策間の調整を図る上でも大きな機能を発揮するのではないかと思っておる次第でございます。  また、地方行政におきましても、従来のような環境施策を個別に実施するだけではなく、新たな視点に立ちまして、総合的、計画的な環境行政を推進することが必要でございまして、これまでの公害の著しい地域につきましては、総合的な公害対策の実施計画といたしまして公害防止計画が従来策定されております。より広い環境保全施策のマスタープランといたしまして、最近一部の自治体におきまして、昨年末で二十七自治体ございますが、地域環境管理計画が策定されまして、地方の自主的な努力によりまして環境行政が推進されてきております。  環境基本法案におきましても、公害防止計画を 引き続き推進するほか、環境基本計画によりまして国の環境政策の全体像が示されることになるわけでございますが、先ほど申し上げました第七条あるいは第三十五条にもありますように、地方公共団体としては、地域特性であります自然的、社会的条件に応じた環境保全のための必要な施策を総合的あるいは計画的に実施するための施策といたしまして、この環境基本計画に準じたような中長期的視点に立ちました地域特性を生かした地域環境管理計画を策定するなど、地方公共団体における全庁的な公害行政を推進することが可能になるのではなかろうかというように思っております用地方公共団体が自主性を持って、さらなる施策の展開に期待できるのではないかというように考えておるわけでございまして、そのためには、今後のまた地方自治体のさらなる努力も必要かと存じます。  第三番目には、環境影響評価の問題でございます。  環境政策を総合的、計画的に推進し、環境悪化を未然に防止いたしますためには、環境影響評価、いわゆる環境アセスメントは重要な施策一つでございます。環境基本法制あり方に関する答申においても示されておりますように、環境影響評価考え方は内外でも定着してきておるわけでございまして、今回の政府案では、これを推進するために、第十九条におきまして「必要な措置を講ずるもの」というようにうたわれておりまして、その重要性法律的に位置づけておるのではないかと考えております。  現在、環境影響評価に関する個別の措置といたしましては、閣議決定による要綱、いわゆる閣議アセス、個別法に基づく個別法アセス、地方公共団体が条例あるいは要綱によりまして作成しております地方アセスというものがございますが、これを適切に推進していくということが重要であろうと思います。私個人といたしましては、将来、法制度化が望ましいと考えておりますが、中央公害対策審議会でもいろいろと議論がありましたように、これについてはいろいろな御意見がございます。  基本法は、政策の基本的な方向を記述するというような視点から考えますと、環境影響評価重要性を位置づけた政府案で、先ほど申し上げましたように、今後いろいろ検討した上で必要な措置を講ずるというようなことで、現段階においては妥当ではないかというように判断いたしておりますが、個別の措置については今後の検討課題であろうというように考えております。まず、現在の制度が十分であるかどうかについて今後調査を行い、社会経済情勢の変化を見ながら、必要に応じて現行制度を見直していくということが大切であろうと思います。  次に、第四番目には、事業者国民の積極的な取り組みへの支援の問題でございます。  環境基本法案では、環境保全のための施策といたしまして、従来の規制措置に加えまして多様な政策手段を規定しておりますが、環境教育、学習あるいは民間活動の支援もその一つでありまして、これからの環境保全推進の上で特に大切なものであろうと考えます。  今日の環境政策の目指すべき方向といたしましては、社会のすべての者が公平な役割分担のもとに自主的に環境保全に努め、社会経済活動環境への負荷の少ない持続可能なものに変えていくことが求められておるわけでございます。これは行政のみならず、国民事業者が、社会経済活動環境関係、あるいは環境現状と将来の見通し、環境保全のための対策の必要性効果などにつきまして適切な理解をし、みずから行動するという機運が促進されなければ実現は難しいものであろうと思います。  このためには、できるだけわかりやすい情報を適切に提供し、学習の機会を豊かにしていくという地道な努力がいろいろなところで進められる必要があるだろうと思います。こうした努力につきましては、これまでも自然と親しむ運動などを通じまして続けられてきておりましたけれども、今後はさらに一層広い分野で、国民事業者の自主性を生かしながら展開されることが期待されるわけであります。  また、この分野では特に地域住民に密着いたしました地方公共団体が大きな役割を果たすであろう、また果たすべきであるというように考えております。  近年はマスコミも環境問題を大きく取り上げるようになってきておりますが、これを抽象的な関心からさらに具体的な問題意識へ、行動へと結びつけていくには、やはり社会やあるいは学校、家庭の場における環境教育、学習というものが根づいていくことが必要であります。そのためには、地方公共団体が地域の環境状況や住民のニーズにこたえて、関係者と協力しながら取り組んでいくことが不可欠でありまして、国はそのための技術的助言、あるいは情報の適切な提供、あるいはネットワークづくりといった基盤整備の面で支援していくべきであると思います。環境教育、学習、あるいは民間活動への支援につきまして、特に二十四条、二十五条におきまして規定が置かれましたことは、今後の環境行政の方向を示すものとして重要なものと考えております。  第五番目には、国際協力における地方公共団体役割でございます。  環境保全に関する国際協力世界共通の課題となっておりますが、これにこたえるためには、我が国環境問題に関する経験技術力を生かすことが必要でございます。特に、開発途上国における環境問題の解決には、資金面での援助のみでは不十分でありまして、我々が試行錯誤を重ねる中から学び、工夫をしてきましたその経験と知恵、いわゆるノウハウを相手国の実情に合わせつつ活用していってもらうことが長期的に見て最も重要なことであろうと思っております。  こうした経験やそれを担う人材は、これまでの地方公共団体における公害対策などの取り組みを通じまして蓄積されてきておるわけでございまして、地方公共団体では積極的に国際協力に取り組むところも次第にふえてきております。  こうした事情から、政府案では、国際協力を推進する上での地方公共団体が果たす役割重要性にかんがみ、そうした活動の促進を図るため、国は必要な措置を講ずるよう努めるものとするという、第三十三条に今定められておるわけでございまして、現在こうした努力が拡大しつつあるものと考えられますが、開発途上国における環境問題に関する情報の収集、整備、相手国に合った適正な技術の提供といった課題に加えまして、派遣職員の身分保障の問題あるいは語学の訓練の問題など、さまざまな条件を整え、問題を解決していく必要があるわけでございます。  今後は、国と協力しながら、この規定に沿った施策を一層充実し、世界から真に信頼されるような国際協力を推進していくことが重要であると考えます。  第六には、環境政策の基礎となる調査あるいは監視、測定、科学技術の振興の問題でございます。  私がおりました横浜市における経験からしましても、環境保全にかかわる施策を適切に策定、実施し、その効果を把握する上で、環境問題の調査あるいは環境状況の監視、測定、環境保全にかかわる科学技術の振興といった基礎的な取り組みは極めて重要でございます。我が国公害対策効果をおさめましたのも、地域と密着した課題解決について、地方公共団体事業者が科学的データをもとに創意工夫を重ねながら取り組んでまいりましたことが大きな役割を果たしてきたものと思っておるわけでございます。  環境基本法案におきましては、第二十七条以下におきまして、調査の実施、監視、測定等、あるいは科学技術の振興を規定しております。また、基本理念におきましても、第四条でございますが、科学的知見の充実のもとに環境保全上の支障を未然に防止することを旨とすべきことを定めておるわけでございまして、自然科学、人文・社会科学等の分野を通じまして科学的知見の充実あ るいは科学技術の振興を図ることは、予見性をもって総合的、計画的な環境政策を推進する上で大きな役割を果たすものでございます。さらに、調査あるいは監視、測定や研究成果等、科学的データに基づく情報が適切に提供されることによりまして、環境教育、学習の成果も一層上がるものと期待しております。  近年の地球環境問題あるいは化学物質による環境汚染など、従来の問題以上にさらに高度で学際的な監視、測定、観測あるいは予測評価等が求められておるわけでございます。また、我々の人間活動による環境への負荷の解明、いわゆるグリーンGNPの開発など、環境経済の統合を目指す上での新たな調査研究も必要でありまして、こうした基本的な研究分野にも一層力を注ぐべきであると思っております。  最後に、この環境基本法案は、地球環境時代の環境政策の土台となる基本理念と多様な基本的施策枠組みを内外に明らかにいたすものと認識しておるわけでございます。その視野は、将来の世代の生存基盤と地球全体の環境保全までを含んでおりまして、ここに示された課題を実現していくためには、地道で息の長い努力が必要でありましょう。我が国が今までたどってまいりました公害問題等からさらに一歩前進して、将来へ向かっての基本を示すものというふうに考えておりますが、我が国地球サミットでの合意を実行していく出発点といたしまして、この法案の速やかな成立を私としては期待しておるものでございます。  以上でございます。(拍手)
  69. 原田昇左右

    原田委員長 ありがとうございました。  次に、梶山公述人にお願いいたします。
  70. 梶山正三

    ○梶山公述人 梶山でございます。環境基本法案に関して私の意見を申し上げます。  まず、立法をなすには、その基礎となる社会的事実の認識が重要であることは言うまでもありません。本件環境基本法については、それが特に強く当てはまります。  例えば、水質汚濁防止法に定められる総量規制が実態は全く無意味なものと化している事実、同様に、同法の直罰規定が実際にはほとんど機能していない事実、このように、規定があっても空洞化している多数の実態に加えまして、大気汚染防止法の窒素酸化物の基準値が理由もなく大幅に緩和された事実、河川敷の植生を意味もなくブルドーザーで一掃する工事が全国的に日々行われている事実、目的不明の林道が日本じゅうの山を削って精力的につくられている事実、過疎の水源地に三百六十万人もの広域廃棄物処分場が二つもつくられようとしている事実、不必要なダムやせきがつくられ、またはつくられようとしている事実など、日本環境行政の存在自体を疑わせるような事実が日々生起しているのが実情であります。  このような事態は、一つには、これまでの環境行政の及ぶ範囲が典型七公害及び原生林等の希少価値を有する一部の自然の保護にとどまっており、縦割り行政が大きな足かせになっていたこともありますが、環境行政自体、身近な自然の保護を軽視してきたことも否めません。これからの環境行政は、地球環境を言う前に、まず河川、森林、海、湖沼等、日常的かつ身近な自然を急速な荒廃から保護することが極めて重要な課題であることを認識すべきであると考えます。身近な自然を荒廃させる行政に地球環境問題を論ずる資格はないと考えます。  私は、事態を大げさに言うつもりはありません。しかし、日本環境行政は、実態を無視した楽観論、知らしむべからず、よらしむべしの伝統的なトップダウンの姿勢、縦割り行政による環境行政立入禁止の広範な聖域の存在、マテリアルバランスを無視した資源の大量輸入、経済成長とのバランスを言いながら、実際には経済優先の政策などによって大いに毒されてきたことは疑いのない事実であります。  今回の環境基本法は、まずこのような実態認識を基本にして環境行政の根本的転換を図るものでなくてはならないでしょう。そして、そのように重要な法律ですから、拙速は最悪の選択であることを銘記すべきであります。国民各層の幅広くかつ十分な討論のもとに制定されるべきものと考えます。  次に、環境基本法において守られるべき環境の概念は、単なる理念論争の問題ではありませんで、政策の基本方向を左右する極めて重要な問題です。政府案環境概念は、その点について明確な視点を欠いているものと考えられます。  まず、都市施設としての道路、公園、下水道などは、都市生活に快適環境を与える要素かもしれません。しかし、環境基本法保全されるべき対象は、このようなアメニティーの要素ではなく、自然環境そのものだと考えます。このような自然環境は、必ずしも人間にとって快適なものではありません。しかし、生物としての人類の永続性や地球のエコロジカルな循環機能は、このような自然環境の存在によってのみ保持されているわけです。  これは一見当然のことのようですが、十分に理解されているとは到底考えられません。例えば、河川敷のヨシなどの雑草を一掃し、そこを芝生やベンチで都市公園的施設をつくるというのは、全国どこでも行われています。ひどい例では、ほとんど人の来ない山奥でもこのような工事が行われているわけです。しかも、これらは快適環境の整備事業としてなされているのです。環境について明確なフィロンフィーが必要とされるゆえんです。  現在の環境行政には、このような問題に関与できないという、いわば半身不随ならぬ、ほとんど全身不随の現象があると思います。要するに、環境行政が都市計画決定、道路、公園、下水道などの都市施設の計画決定に介入し、かつ、主導権を握る制度が不可欠だと考えます。  政府案社会党案ともに、その点について何も触れていないのは大変遺憾であります。しかも、いわゆる快適環境自然環境について、これがある意味では対立する概念であることの認識が欠けているように思われます。  生態系保全環境保全との関係についても同様の問題があります。  生態系の複雑さは、永遠に人間による理解を超えております。ある種の土壌微生物が絶滅するだけで人類も絶滅しなければならないという事実は、多くの人には理解しがたいところでしょう。生命誕生以来三十五億年の歴史の中で、地球は何度も温暖化と冷却を繰り返してきました。我々が地球温暖化を問題にするのは、温暖化それ自体ではなく、それが途方もなく急激に起こるために地球上のあらゆる生命がついていけないからだと考えるべきです。なぜなら、温暖化自体が人間にとって、またあらゆる生命にとっていいことか悪いことかを決定できると思うのは、思い上がりだからです。  私は、環境は管理するものではなく、また管理できるものでもないと考えます。人間にとっての環境と他の生物にとっての環境を区別できると考えるのも誤りでありましょう。我々のなすべき環境保全とは、自然環境の改変を最小限にすることに尽きると考えます。  生物の多様性は、単に遺伝子資源の問題ではありません。人間と他の生物は、運命共同体なのであります。かつての針葉樹林による拡大造林政策が、今、日本の森林の危機を招いているように、エコロジカルな目で環境をとらえないと、環境保全のための施策がかえって環境を荒廃させる結果になりかねません。  本法律案の目的及び理念においては、このようなエコロジカルな視点が欠けていると考えます。例えば、環境基準の設定一つをとってみても、それは、人間の健康に問題があるかという観点で決定されるべきではありません。魚や虫のことを考えない環境行政は、根本的に誤っていると考えます。  第三に申し上げたいことは、国民と自治体軽視の行政では環境は守れないということであります。  法は、その基礎となる立法事実と社会的コンセンサスがなければその本来の効力を発揮しません。環境基本法に関して言えば、立法事実とは、環境保全しようという国民の欲求であり、社会的コンセンサスとは、基本法の示す社会システムに対する国民の合意であります。  大量生産大量消費のライフスタイルの見直しということが環境問題に関してよく言われますが、それ自体は異論がありません。しかし、そのような意識を持った人間が集まっても、高度に複雑化した社会においては、ばらばらでまとまりのない個々の行動が環境保全という目的の達成を妨げることは疑いがありません。個々の主体の役割を具体的に位置づけ、社会システムを構築する、それが必要です。国民、自治体、事業者にそれぞれ環境保全に参加する権利を与え、かつ、それに相応した義務が設定されなければなりません。  私が申し上げたいのは、環境問題は、何よりもまず個々の国民、企業及び地域の問題であり、自分が感じ、日常見通せる範囲での活動が基礎になるということです。ですから、地域の環境は住民が主体になり、自治体が責任を持って保全していく、それが当然であり、そうでなくては地域の環境保全は果たせないと考えます。  今までの環境行政は、住民や自治体の主体性が余りにも希薄でした。広域行政の名のもとに中央集権的な環境行政が行われてきたと思います。住民の参加と自治体の責務が健全に果たされるためには、何よりもまず開かれた行政が保障されなければなりません。そのためには、言い古されたことですが、住民参加と情報の公開がすべての基本となります。  地域の自治が環境行政の基本です。環境保全は地域の自治なくしては守れません。しかもこれは、地方自治は民主主義の学校という言葉と同様に、環境における住民自治はあらゆる環境教育など問題にならない最高の環境教育であることを銘記すべきであります。このような環境における住民自治を軽視しながら、白々しい環境教育など言うべきではありません。  地域の自治に反する広域行政は、必要最小限であるべきです。広域行政が必要な場合があることは否定できませんが、例えば、水資源開発廃棄物処分場の建設の場合などに常に問題にされるように、山村と都市、河川の上流域と下流域との間に見られるような地域的な不公正、つまり国内における南北問題を発生させる危険を常に有していることに思いをいたすべきでありましょう。  環境行政においては、地域自治との関連でいえば、条例が重要です。国の法律は一地域の必要だけでは変わりません。相当地域に需要が生じないと変わらないのです。つまり、法の規制社会の発展におくれ、かつ硬直的なのは宿命的なのです。国が権限を握っていて、それを小出しに地方におろしていくという従来の手法は、住民や自治体の役割を正当に評価しているとは到底言えません。それは、環境保全に対する住民パワーを萎縮させる結果を招いています。私は、住民、自治体を主体とした環境行政の展開を強く望むものです。その点、政府案は、従来の中央集権的構想から一歩も出ていないと考えられます。大変遺憾であります。  次に、環境基本法における企業の行動及び責任の問題について意見を申し上げます。  個々の国民に抽象的な責務を規定しても環境保全社会の形成はできないことは、企業についても同様に当てはまります。企業社会と言われる今日、環境保全社会のための社会システムを形成するためには、企業の行動及び責任の原理を明確にすることは極めて重要です。  企業の責任については、原因者負担原則ないしPPP原則が言われます。また、環境税、外部不経済の内部化など経済的手法の導入が言われます。これらの原理は、大変あいまいで、かつ抽象的ではありますが、政府案社会党案においても見られます。しかし、余りに抽象的です。  企業はもともと営利を目的とし、その行動の動機は利潤の獲得ですから、環境保全への動機は外部から付与しなければなりません。企業行動のこの狭まれた行動原理を考慮すれば、そこには単なる経済的誘導政策にとどまらず、企業行動についての新たな原理の確立と社会的責任の所在を明らかにする制度が必要と考えます。  企業行動を環境保全型に誘導するための経済政策はもとよりですが、具体的な問題として私が申し上げたいのは、第一に、企業に営業資金を提供する金融機関の責任を強化して、融資した企業の環境責任を金融機関が連帯して負う制度及び環境監査制度であります。特に金融機関の責任制度は、企業社会の意識転換に決定的な役割を果たすものと考えられます。この点はぜひ御検討いただきたいと考えます。  第五番目に申し上げたいのは、理念法よりも具体的手続法をということであります。  今回の環境基本法案は、いずれも若干の規定を除いていわゆる理念法であり、具体的なものは今後の問題として残されています。しかし、基本法だからといって理念的なものにとどまるべき必然性はありません。諸外国の例を見ても、一九九〇年十一月のイギリスの環境保護法、九一年六月のデンマークの環境保護に関する法律、準備中のドイツ環境法典総論編などにおいても、極めて個別的かつ具体的な規定が多数置かれています。  日本における今日の環境問題は、今すぐにでも具体的な施策の転換を求められている点が多数存在します。理念法をつくり、それから何年かかけてこれを順次具体化していくというのは、余りに悠長であり、状況判断を誤っているものと思います。しかも、法案においては、環境保全社会形成のための具体的困難な問題はすべて先送りした感があって、将来における具体化の展望を国民に示しているとは考えられません。アメリカ、EC、EC諸国が、その政策の当否は別として、次々と具体的な環境政策を打ち出しているのに比べて、基本的認識に欠けるところがあると思います。  私は、今回の環境基本法においては、理念はもとより不可欠ですが、具体的法の定立が不可欠であり、かつ、実体法よりも手続法を重視すべきだと考えます。公正な手続が保障されれば、環境保全をどのようになすべきかは、その手続をもとに社会的合意を形成することによって決めていけばいいのです。要は、そのような公正な手続をどのようにつくるかです。  しばしば環境権の問題が議論されていますが、私は、これは実体的権利として規定すべきものではなく、環境破壊、汚染等の行為に対して、個々の市民がその直接の利害の存在を超えて、だれもが行為者や行政に異議申し立てをし、一定の措置を請求し、さらに訴訟を提起するなどの参加及び手続規定の中に解消されるべき問題だと考えます。  このような基本的手続要求権を保障するためには、情報公開、自治体や住民の権限、企業、金融機関の責任制度など、その周辺の制度や手続がどうしても必要になります。環境基本法においては、まさにこのような具体的手続規定こそ重視されるべきであり、またこれは、抽象的理念や実体規定よりも重要という意味では、基本法において規定するのにふさわしいと言えます。  次に申し上げたいのは、他の法律等との関係であります。  今回の環境基本法の提案に伴って、若干の関係法律の廃止及び改正が提案されています。しかし、それは公害対策基本法及び自然環境保全法を除くと微々たるものです。  しかし、環境保全のための行政課題は、河川、森林、海、湖沼等の自然環境保全が最重要課題であることは先ほど申し上げました。そうすると、従来の環境関連法はもとより、例えば都市計画法、河川法、海岸法、港湾法、公有水面埋立法、リゾート法、森林法、廃棄物処理法、原子力基本法など関係する法律は多岐にわたり、さらにはODA基本法のような法律の策定も必要になる可能性があり、自治体の権限や住民参加に関しては、地方自治法などの大幅な見直しが不可欠であ ります。  環境基本法環境行政の質的な転換を図るものだとしたら、これら関係法令の大幅な見直しがどうしてもなされなければなりません。ですから、基本法においてその点に配慮した規定が必要です。具体的には、他の関係法令による施策環境保全施策との優劣や調整に関する問題です。法案にはその点に関するものが全く見当たりませんが、仮にこのような問題を全く考慮せずにこの法案が作成されたのだとしたら、余りに容易と言わざるを得ませんし、真に環境行政を転換するつもりがあるのか疑念を生じさせます。  最後に、政府及び社会党案における環境基本計画について意見を申し上げます。  これらの法律案においては、環境基本計画環境行政の基本的かつ総合的施策を定める重要な計画として位置づけられていると考えられます。しかし、本法律案の目玉とも言うべきこの環境基本計画については、次のような問題があると考えます。  第一に、この基本計画の策定手続が旧態依然たる方法であり、このような重要な位置を占める環境基本計画の策定について国民の意思を反映する手段は何も示されていないという点であります。民意を反映しない基本計画に基づく行政に国民の協力を望むべくもないことを想起すべきでありましょう。そもそも政府は、基本的な環境施策の決定に国民が参加する権利がないと考えておられるのでしょうか。大変疑問であります。  第二の問題は、環境基本計画に盛り込まれる事項が余りに抽象的で、白地法規に等しいという点であります。このように真っ白で内容不明のものを環境行政の中核に置いているために、法律案全体の趣旨を不明確なものとし、そのインパクトを著しく弱めています。  第三に、他の法令等に基づく諸計画との関係が何ら示されておりません。例えば国土総合保全計画、都市計画、国土利用計画、河川工事基本計画、都市再開発計画、水資源開発基本計画など、他の無数の計画との体系的位置づけや調整の規定がないのです。最低限、環境基本計画の原則的優位を明らかにすべきと考えます。  第四に、計画行政が計画倒れにならないための担保がありません。私が危惧するのは、環境保全のための計画は現在でも国や自治体で無数につくられていますが、計画どおりにならないことに関して、すべてが無関心に放置されている実態があることです。環境基本計画環境行政の中核に据えるならば、計画の達成を常に監視し、その実現のための施策を修正、強化する手続や権限が不可欠です。計画が計画倒れにならないことを保障する手続は、まさにこの基本法で同時に具体化されるべき問題です。それを欠いているということは、従来の無意味な計画行政と選ぶところがなくなってしまう危険があると考えます。  限られた時間で、ごく要点のみを申し上げました。舌足らずの点が多々ある点は御容赦願います。御清聴ありがとうございました。(拍手)
  71. 原田昇左右

    原田委員長 ありがとうございましに。  次に、篠原公述人にお願いいたします。
  72. 篠原義仁

    ○篠原公述人 篠原です。  公害環境問題懇談会の担当幹事として、全国公害弁護団連絡会議副幹事長として、環境基本法案の検討に参加してきた立場から、そして公害裁判に約二十五年かかわってきた立場から、意見を述べさせていただきます。  私たちの環境基本法を検討する上での基本的な視座は、四大公害裁判以来の二十五年にわたる公害裁判、公害反対運動をどう総括するのかという点にあります。裁判の場で私たちが主張してきた内容を踏まえて述べてみたいと思います。  一九六七年に公害対策基本法が制定され、四半世紀が経過しました。公害対策基本法の制定どこれを受けた個別法の展開によって公害環境問題は解決したのか、答えは依然ノーと言わざるを得ません。公式発見以来三十余年を経過しても、水俣病は全面解決に至っていません。一九六〇年代以降大きな社会的問題となった大気汚染公害も、当時問題とされた固定発生源だけでなく、今日、移動発生源の問題も含めて現在進行形で未解決です。  一九六〇年代以降の政策が産業優先政策であったことは明白で、それが七〇年の公害対策基本法の改正により、経済との調和条項は削除されましたが、しかし、若干の改善はあったものの、その実質は依然として産業政策の優先、経済至上主義にあったと言わざるを得ません。それは、外から見た目で言えば、例えばアセス法案、NO2の環境基準緩和、公害健康被害補償法の指定地域解除のときに見られたように、その局面局面での環境庁の姿勢、環境庁と通産省、建設省等の綱引き関係に象徴されているように見えます。  そのことの総括として、環境政策の優先性をわかりやすく法案規定し、その上で、実定法上の根拠がないとして判例史上排斥されてきた環境権を、私たちは差しとめ権限ということで主張してきたわけですが、その排斥されてきた環境権をこの環境基本法で、まさに実定法上で明示する必要があると考えます。  環境政策の優先性、環境権の明示に関しては、多くの議論が既に行われていますので、ここではその明示の必要性を強調することにとどめ、次の論点に移りたいと思います。  私がこの後強調したいのは、三つの柱です。その第一が、アセスメント法制化必要性です。  公害裁判の二十五年の歴史は、加害者、とりわけ加害企業の責任追及の法理、責任論確立に大きな労力を費やしました。その結果、公害裁判で示された責任論、過失論は、一九七二年七月二十四日の大気汚染公害裁判の四日市判決で示されたもの、あるいは翌年三月二十日の熊本水俣病判決によって明確に定式化されています。その過失論は、立地、操業に先立つ事前の徹底した調査義務を要求しています。判決が要求したわけです。しかも、それは立地上の過失レベルだけでなく、操業上の過失レベルでの絶対的安全確保義務、調査義務を要求しました。  ですから、今回の環境庁案をこういった観点から検討してみますと、私たちは、この判決の総括としては、二つの結論を導き出したいと思っています。  一つには、現在発生している、あるいは進行している公害問題に対する調査義務と公害防止義務、アセス法案との関連でいえば事後モニタリングに相当すると思います。二つには、今後の開発、すなわち公害環境問題に対する事前予測、調査義務、文字どおりのアセスメントですが、これを要求しているんだというふうに考えます。  こうした二つの判決と対比して、今回の環境庁案を検討してみますと、その点、文言規定は極めてあいまいと言わざるを得ません。法案の説明では、アセスの法案化を含めた趣旨と言われていると聞いていますが、私たちのシンポでも、環境庁の方はそう説明しましたが、そして、この表現に至るまでの環境庁の努力があったことに対しては敬意を表しますが、もっと簡明にアセスの法制化規定すべきでしょう。  私たち自身が幾つかのシンポジウムをやり、私たち自身参加した団体で、あるいは日本環境会議、私自身事務局次長を務めていますが、東京、大阪で二回シンポジウムをやった過程でも、一番多く国民が要求を出したのは、アセスの法制化でした。一番関心が高く、要求の強いのがアセスメント法制化であったわけです。その意味では、基本法国民要求にこたえる必要があると思います。  次に、私自身六年間、川崎の審議会委員としてアセスの審議に参加してきましたが、川崎市のアセス条例では、これは一九七六年十月に制定されて、これが全国の自治体での第一号となり、その後、各地の自治体で条例、要綱が数多く制定されていったわけですが、その実践例が現在積み重ねられています。地方自治体でてきたことが、なぜ国のレベルではできないのか。もうこの判断のときに来ていると私たちは判断します。  第四に、四日市判決後、七二年十二月十八日 に、中公審防止計画部会は、環境アセスメントの確立を重要事項として取り上げた「特定地域における公害未然防止の徹底の方策についての中間報告」、少し長ったらしい中間報告ですが、発表しまして、政府においてもアセスメント法制化重要性を認識するようになったわけです。以来何年経過したでしょうか。そして以後、一九七五年二月、昭和五十年には公明党案、十月には社会党案、十二月には日弁連案が相次いで提唱されました。政府は、それを受けて数次にわたり立法化を試みましたが、産業界等の反対の前に、あるいは通産省の反対もあったのでしょうか、流産に流産を重ねたことは、歴史の事実として重視しておく必要があると考えます。  私の記憶では、その後八一年、昭和五十六年四月に、幾つかの内容的後退を繰り返して、発電所を除外して政府案が国会に提出され、一年間の審議棚上げの後に、八二年五月に国会で第一回の審議がなされ、八三年の通常国会へと審議が持ち越されました。ここで関与した先生方も数多くおられるのではないでしょうか。その審議の過程で、私自身、衆議院のこの委員会で、公述人ではなく、当時参考人という形で意見陳述をしたのを鮮明に覚えていますが、結局廃案となりました。  いずれにしても、政府も各政党もこぞってアセスメント法制化に熱意を示したわけです。地球規模環境問題も含めて、当時よりもより広範に、そしてより大きな世論、国内世論、国際世論が高まっている今、本当に今こそアセスメント法制化は必要と思っています。少し危機的な言い方で強調するならば、この時期を逃したならば、再び法制化の時期はないと思われます。  以上述べた理由から、アセスの法制化に向けて、基本法議論だけでなく、個別法への具体的展開に連なるような議論をぜひ国会の場でお願いしたいと思っています。基本法の中身でそうなるのか、附帯決議でそうなるのか、技術的な工夫は私にはわかりませんが、基本法の制定だけでなく、個別法への具体的展開へ連なる議論を強調しておきたいと思います。  公害反対運動にタッチした者の実感として、公害被害の発生自体極めて深刻なものと受けとめています。同時に、公害被害の発生が初期のころになぜ食いとめられなかったのか、裏返して言いますと、なぜこれほどまでに被害が拡大、進行してきたのかを考えると、心を痛めます。  水俣病の歴史がそれを痛烈に告発しています。水俣で、あるいは私自身直接関与している大気汚染で、被害の拡大、進行をさせた責任の根源に何があったのか、そのことが問われる必要があります。調査資料の秘匿、被害発生の事実の隠ぺい、非公開が被害の拡大を助長しました。水俣でいえば、チッソは猫実験の結果を当時隠しました。環境庁も、一九九〇年六月の国会で明らかになりましたが、IPCSの有機水銀規制強化の問題で、内容はここで議論されたと思いますから繰り返しませんが、残念ながら被害者側から見て不当と言わざるを得ない対応をしました。  大気汚染の問題では、一九八七年三月、補償法の指定地域解除問題に関し、中公審専門委員会報告の発表時期との関連で、マスコミ情報によれば、環境庁は東京都に働きかけ、三月に発表予定の、後に私たちが入手した印刷物の日付はまさに三月になっていましたが、その三月の東京都の道路沿線疫学調査の発表を五月におくらせました。中公審答申議論に都調査が使われない、盛り込まれないように工作をしたというわけです。  加害企業の点でいえば、東京電力川崎火力発電所は、燃焼方式の改善はしたけれども、脱硝装置の取りつけはしていないのに、長年にわたって川崎市の環境白書に脱硝装置ありと記載させ続けました。これは、昨年被害者が通産省と交渉する中で改善指導を求めた結果、一番新しい白書では、脱硝装置ありは訂正削除されるに至りました。  こうした事実を見てみると、昔から今に至るまで、国民にすべての情報が正しく公開されること、住民参加の道を保障することは、公害根絶の立場から必須のものだということが言えると思います。アセス制度においても、きめ細かな住民参加の制度的保障が必要でしょう。また、正しい情報の提供とその有益性は、私たちの取り組みの経験からも裏づけられています。そして、それは地域住民との信頼関係の回復、確立のために、発生源企業からも実は歓迎されていることを紹介しておきたいと思います。  経験の第一ですが、イタイイタイ病に関する三井の神岡鉱業所への立入調査があります。これは、控訴審判決に、昭和四十八年ですか、被害者が勝利した後に、被害者側と企業との間に自主的に締結された科学者を含む住民の立入調査、資料の提供、採取などを骨子とする公害防止協定に基づいて約二十年間続いています。今、神岡鉱業所では国が定めた基準をクリアし、しかし、そこにはとどまらないで、自然界値まで近づけようと住民と企業の共同の努力が続いています。  経験の第二として、群馬県安中市の東邦亜鉛への立入調査があります。ことしで七年目で、ことしは四月十一日の日曜日に行われました。毎回日曜日に実施しますが、私自身、毎回参加しています。  これらの経験を通じて言えることは、当初は企業は警戒もし、決して立入調査を喜んで実施するという雰囲気はありませんでした。しかし、お互いに確認し合った方式で調査し、資料を相互に公開し、相互の検討会を持ち、その上で公害防止努力について一つずつチェックする、立入調査をする、そして一歩一歩防止対策等を改善充実させていく。そのことを通じて信頼関係が確立し、今では企業も、立入調査の帰りには花の植木鉢を用意して私たちに渡してくれる、極めて友好的に推移しています。この経験は、公害防止は行政のチェックと企業の自主的努力だけでは足りなくて、住民参加が必要ということを実証的に示していると思います。ぜひこの基本法の討議の中で、具体的な情報公開、住民参加手続の個別法の展開につながる確認が行われるよう期待いたします。  時間の制約があるので、あと一点に絞って述べます。  それは、地方自治体の権限問題です。猿田先生、梶山先生、こぞって言われましたが、別の観点から述べてみたいと思います。  今、川崎では、いつも全国に先駆けてと新聞見出しがつくのですが、環境関連条例として公害防止条例、これは一番先ではありませんでしたが、いわゆる緑の条例、アセスメント条例、情報公開条例、環境基本条例の五つの条例を持っています。そして、これも新聞見出しで言う先進的内容として、国との関係でいうと、条例で上乗せ、横出し規制を持っています。  例えば公害防止条例でいえば、美濃部都政時代の東京都公害防止条例とともに硫黄酸化物の総量規制を実施しました。国の横やりに近い圧力にも屈せず、東京都も川崎市も実施しました。しかし、総量規制有効性は、その後のSOx改善の歴史が証明しています。そしてこの点は、地方自治体がリードし、私たちの表現で言えば、国の環境行政を突き上げて、ようやく国も重い腰を上げて総量規制を実施してきたという関係になっています。この事例が示すように、その地域の特性を最も身近において把握し、住民との交渉、意見徴収も最も身近で可能な地方自治体が上乗せ、横出し規制を行うことは、国民の側から見れば、歓迎こそすれ、非難されるいわれはありません。  今、NOx削減法、自動車排ガス規制法の成立に伴って、関係都府県にその基本計画づくりがおろされています。これに対して東京都は、法律が、検討会の最終報告にあった事業者のNOx削減計画の都道府県知事への提出、二番目に大都市への車の流入規制、三番目にトラック協会などへの物流効率化の指導を削ったことに対し、いわゆる上乗せ、横出し規制として、事業所のディーゼル貨物車のNOx排出量、走行量の規制指導を行う、乗り入れ規制を実施するなど、東京都自動車交通量対策検討委員会の六つの提案を具体的に検討しています。  また川崎市は、川崎の場合は神奈川県レベルで 計画を立てるわけですが、市独自としてもNOx削減の方策として、自動車だけでなく、川崎の場合は自動車だけやっても達成できませんので、工場にもNOx削減の目標削減量を定めて実施しようということを検討しています。  いずれにしても、東京も川崎も、深刻化する大気汚染問題の解決については国の提示した削減メニューでは不十分として、上乗せ、横出し規制を検討しているわけです。  結論を急ぎます。  硫黄酸化物の総量規制の論争の結論、国が正しかったのか地方自治体が正しかったのか、もう結論は出ています。その結論が示すとおり、地方自治体の上乗せ、横出し規制の実施は極めて有効であり、今日、地方自治体の施策の正当性が証明されています。したがって、この法案においても地方自治体行政の尊重はぜひ明示すべきと考えます。  以上、大きな骨子に沿った形になりましたが、大枠の私の意見陳述を終わらせていただきます。ありがとうございました。(拍手)
  73. 原田昇左右

    原田委員長 ありがとうございました。  次に、高木公述人にお願いいたします。
  74. 高木邦雄

    高木公述人 高木でございます。  本第百二十六回国会に提出され審議中の環境基本法案及び環境基本法施行に伴う関係法律整備等に関する法律案について、意見の一端を述べさせていただきます。  本法律案の立法の意義は、既に内閣の法律案提出理由と日本社会党案の提出理由に加えまして、各政党の代表質問で明らかにされております。  周知のように、一九九一年のロンドン・サミットの政治宣言は、環境問題は今世紀の人類の最大の課題であると述べ、昨年六月に開催された環境開発に関する国連会議、地球サミットではアジェンダ21を採択し、具体的行動計画を決定し、国際機関と各国政府は鋭意そのフォローアップに努力をしているところでございます。  しかしながら、今日の自然と社会と文化の三環境の実相を直視するに、月ごとに汚染は累増し、年ごとに破壊は累積し、保全の実質的な効果は余り上がっていない実態でございます。  国際社会においては、今日なお各地域で内戦や民族紛争や社会的争乱が続き、核爆発や、核廃棄物と有毒化学物質が海洋に投棄され、旧式の原発事故の危険さえ指摘されております。  日本国内では、CO2とNOxなどによって都市を中心に大気汚染は微増し、土壌と湖沼の汚染は累積しており、各地域で産廃物と一廃物の不法投棄事件が多発し、特管廃棄物の不法処理さえ行われております。また、大都市の水道系飲料水から高濃度の有害化学物質が検出され、交通事故は年間六十六万件を超え、交通事故死は一万一千余人となり、医療機関の汚染も社会問題となるなど、環境汚染が拡大し、深刻な事態を迎えております。  この状況のもとで、多年各政党が提唱し、多くの国民が要望してまいりました環境基本法案が今国会に提案され、近代的で総合的な環境憲法とも言うべき環境保全の法制体系を整備し、確立することは画期的な意義を持つものでありまして、多くの国民が期待しているところでございます。深く思慮すれば、今日論議が高まっている政治改革の諸法案とともに、この基本法は、現在と未来の国民生活に及ぼす影響は重大なものがあります。  以上の認識に立って、まず環境保全に関する基本法制のあり方について、二点を挙げて私見を述べさせていただきます。  第一は、環境保全基本理念と基本計画の確立を目的として実定される法律は、その社会的規範と法益を具体的に確定し、施行と運営については厳しい基準を設定することによって実効を上げることができます。  環境保全社会的規範と法益は、環境開発に関する世界委員会の最終報告に記された、持続可能な開発による我ら共有の未来であります。具体的には、国連が望ましい未来の人間社会とした、平和で、安全で、健康で、便利で、審美性のある社会であります。これらが人類が共生じていくことのできる自然と社会と文化の環境であり、共通の法益だと私は考えております。  最近、環境先進国と言われるスウェーデンとドイツでは、環境政策を治療的なものから予防的なものに転換し、単なる環境規制による問題解決だけではなく、目標管理的な環境マネジメントを強化しております。我が国環境先進国を目指して、目標管理的な環境保全施策を樹立すべき年でございます。  環境保全法制のあり方の第二の意義は、この法律の効能と運営のシステムと機能などによって、民主主義の機能を賦活し、新生させることができるのであります。  現代社会は、地域も国家国際社会も、民主主義のシステムが機能不全に陥りつつあることは否定できない実態であります。しかし、すべての環境保全は、より多くの人々がシンク・グローバリー、アクト・ローカリーの意識を持ち、態度をとって、身近な生活の場で実践することが基本であります。子供から老人まで、人間性豊かな友愛と連帯の精神と英知と勇気を持って、社会のよりよい運営に責任ある積極的参加をすることが民主主義の機能の基本であり、環境保全を通じて新しい社会世界の秩序を形成する中枢の働きでございます。  ローマクラブの「第一次地球革命」のレポートでも、環境保全のためには、新しい価値観と道徳観に基づいて、自然と生命開発と報道と連帯と時の七つの倫理が重要なことを強調しております。人間環境をつくり、環境人間をつくるのでありますから、複雑で多様な現代社会に生きていく私たち一人一人が、その立場役割と責任に応じて環境保全のために積極的に参加していく社会的道義的義務があることを法案中に明記すべきだと思います。  次に、本法案の各項目その他について、六点意見を述べさせていただきます。  第一は、本法案の中心の環境基本計画の中に、環境の管理と保全と回復の目標目標達成の基本プログラムを明示すべきであります。  第二は、環境保全の日を設け、すべての国民が自分の身近な生活の場で、自発的に、かつ協力して環境保全活動に取り組み、その意識を高揚することが肝要であります。  第三は、環境情報の公開と情報ネットワークづくりを積極的に進めるためのシステムをつくることであります。  第四は、最近、地球環境保全のために国際協力が強く求められ、バーゼル条約やロンドン条約など、多くの条約や協定が締結されております。国際国家日本は、これを誠実に遵守し、批准されていない条約は早期に批准すべきであります。また、経済大国の我が国は、多数の企業が海外諸国に進出しております。これらの企業は、日本国内の諸環境保全の法制に準拠した管理をし、また発展途上国等の環境調査と環境保全に積極的に協力することを明記すべきであります。  第五は、環境アセスメント制を強化し、信頼性と科学的に精度の高いシステムをつくるべきであります。環境アセスメントは、影響評価と監査だけでなく、プロレス管理とモニタリングを含めて環境保全の歯どめとして極めて重要な機能でございます。よって、公正で信頼性と実効性に裏打ちされた制度を確立し、開発保全とを調整し、総合的なシステムサイエンスによる政策決定方式によって実施されなければなりません。この測定と観測システムは絶えず見直し、改善することも必要であります。さらに、新型産業革命がダイナミックに進行してまいります現代は、絶えず新技術と新合成物質が開発され、特管廃棄物や適困廃棄物が増加するので、この分野の環境アセスメントも強化すべきです。  ECの環境管理と監査規則は、各企業は、各自の事業所に環境施策環境プログラムと環境管理マネジメントを実施すること、定期的に評価して、市民に対し環境パフォーマンスに関する情報 を提供することとしております。  我が国におきましても、近年、事業組合や経営者団体も地球環境指針や地球にやさしい企業行動指針を策定し、少数の企業では環境管理システムをつくり、監査制度を実施しておりますが、ECの事例を参考にすべきであります。  また、労働組合も、自治体や事業所内の環境保全活動に積極的に取り組む連合体や産別組織や単組が多くなりました。また、新時代の産業民主主義を推進するため、労使協議制の中に環境保全を議題とする事業所や企業も増加してまいりました。我が国の全事業所数の九〇%以上は中小企業でございます。これらの事業所の環境の改善と保全を促進するためには、諸助成措置と種々の行政指導を継続して行うべきであります。この点を考慮した法制化を希望いたします。  第六は、環境庁を環境省にし、環境行政を統合一元化することを要望いたします。環境行政は多岐にわたり、環境保全の基準も、都道府県の条例や要綱なども地域の特性によって差異があります。これを調整し、効果的で効率的なシステムを機能させ、充実すべきであります。  付言をいたしまして、産廃事業環境税とPL法の問題について、簡単に意見を述べさせていただきます。  経済と産業と技術の大国に成長した我が国環境保全にとって重要な課題は、年間約三億トンと言われる産業廃棄物の適正な処理とリサイクル化であります。  産廃事業は、産廃物の適正な処理をするだけでなく、生産資源再利用のリサイクルを進める静脈産業であり、資源の乏しい我が国にとって産業と経済のよりよい円滑な循環を図る重要な産業でございます。  しかるに、なお不法投棄や不適正処理による環境の汚染と破壊が多発するのは、廃掃法において処理責任者の排出事業者と処理業者の双方とも、新しい時代の環境保全経済社会システムの価値観と倫理性に欠け、また産廃処理を環境保全能力と技術レベルの低い集運業者に任せている例が多いからであります。また、一昨年十月から施行された再生資源の利用の促進に関する法律リサイクル法で産廃物や一廃物のリサイクル化の促進が定められ、種々の民間の努力と技術開発と機器の開発が行われてまいりましたが、著しい効果を上げていないのは、利益追求中心の市場経済機能だけでは経営が成り立たない分野が多いからであります。  今後、環境保全社会リサイクル社会を両立させつつ経済と産業の安定的成長を図るには、資本主義的な自由市場経済の長所を活用しつつ、新時代を創造する社会経済産業システムを新たに構築し、機能させて、環境保全と持続的開発と福祉の拡充とを調和させ得る新しい経済社会指標を策定すべきであります。  また、早急に産業廃棄物理事業法を制定し、適正にして公正で厳しい処理規制をすることを提唱いたします。加えて、改正処理法で示された廃棄物処理センターを地域または地域ブロックごとに増設し、資金と技術の援助制度を拡充し、専門的な技術者を養成し、適正な広域処理体制を確立するとともに、効果的なリサイクルシステムを構築すべき年であります。  環境税の導入については、この新税が経済と産業と国民生活に及ぼす影響を考量し、そのあり方や税収の使途を明確にし、近々予測される税制改革と関連して論議を深め、国民の合意を形成すべきで、安易な導入をすべきではありません。  また、近い将来の問題として、国民生活審議会などが提唱している製造物責任法については、その法制が各企業と産業社会に与える影響を精査検討し、我が国社会状況に適合したものを制定することが賢明であります。  以上、私見の一端を述べて、法案審議の御参考にしていただければ幸甚に存じます。  環境基本法案が今国会で可決され、我が国における新時代の環境保全の第一歩が始まることを期待し、公述を終わらせていただきます。御清聴ありがとうございました。(拍手)
  75. 原田昇左右

    原田委員長 ありがとうございました。  以上で公述人の御意見の開陳は終わりました。     —————————————
  76. 原田昇左右

    原田委員長 これより公述人に対する質疑に入ります。  質疑の申し出がありますので、順次これを許します。住博司君。
  77. 住博司

    ○住委員 環境基本法について猿田先生、梶山先生、篠原先生、高木先生の各公述人の方々から大変貴重な御意見を賜りました。ありがとうございました。  環境の問題は、豊かさとゆとりを実感できる社会をつくり上げていく上で決して欠かすことのできない重要な政策であるというふうに感じております。同時に、人類のみならず、生きとし生けるものの生産基盤として限りある環境を守ることは、全世界共通の課題でもあり、これはみんなが同時に思っておることだと思うのです。  私たちの国も御多分に漏れず、今まで経済の高度成長期において激甚なる公害というものを経験いたしました。篠原先生は、公害裁判にかかわる立場から、いろいろな意味でそのことをよく御存じであろうと思いますし、私自身もかつて水俣病というものを取材をした経験から、一度破壊された環境を取り戻すために、そして破壊された健康を取り戻すために、どんなに苦労があってもそれが二度と取り返しのつかないことになるということも私どもよくわかっておるつもりでございます。  しかし、そういう中で、激甚公害に象徴される環境汚染であるとか、あるいは自然破壊経験したことによって、実を言うと昭和四十二年の公害対策基本法、その後の公害関係の十四法、あるいは自然環境保全法ということがあって、私どもはやはり一定の効果が上がったというふうに感じておる次第でございます。そして、今度の基本法はまさに環境保全基本理念と基本的な施策の総合的枠組みを示す法律であるということでありまして、若干理念的過ぎるんではないかという御批判もあるようですけれども、私どもは今日、経済活動そのものが原因になる環境への負荷増大が世代を超え世界規模に広がっていくことを考えてみますと、まずこの基本法が制定されること自体に私は意義があるというふうに考えて、その立場から四公述人の方々に御質問をさせていただきたいと思います。  まず最初に、篠原公述人にお聞きをしたいのです。  私の聞き方が悪かったら大変失礼かもしれません。この環境基本法について、具体的に個別法についていろいろと御意見を述べられましたけれども、この基本法そのものの制定について御意見はいかがなものなんでしょうか。そのことを端的にお聞かせいただきたいと思います。
  78. 篠原義仁

    ○篠原公述人 私自身、全体の公害法体系の基本法として環境基本法ができること自体は賛成です。ただし、内容については、私きょう三点に絞りましたが、その他、私たちの関係団体が意見を出していますが、私たちの意見を取り入れて、修正された上で基本法はできてほしい、そういう希望は持っています。
  79. 住博司

    ○住委員 そうしますと、個別法というものについて十分な課題に対する対策がとれてない、これからまだまだやることがあるから、それが十分でない限りは基本法を定める意味がないということになるのでしょうか。私自身は新たなる基本法のもとでその実現に向けて努力していけば、その方が私どもの環境問題についての方向性が示せるのではないかと考えますけれども、その点についての篠原公述人のお考えをお聞かせいただきたいと思います。
  80. 篠原義仁

    ○篠原公述人 もっと具体的に言いますと、私は去年の十一月三十日、そしてことしの一月三十日、環境庁の方も交えてシンポジウムを環境会議でやったんですが、例えばアセスについて言うと、それの制定の趣旨も含まれているんだという 説明はするんですが、そうだとすればもっと明確にすっきりと書かれて、明文規定をして、そしてあとは個別法にゆだねるという表現はできないんでしょうかとか、あるいは被害者救済について、先ほど言うのを落としましたが、私の本来の業務のところですが、そこについてもPPPの原則を踏まえて被害者救済のあり方についてもっと踏み込んだ形で規定するとか、そういう部分ももっと取り込んでほしいということです。  それが基本法の中でやれるならば一番いいし、附帯決議という形になるのかは国会の審議でしょうからお任せするしかないかもしれませんが、修正の部分はどうしても取り入れてほしいという要望をつけて、そういう中身が加わるならば、基本法の制定は今まさにやるべきだと私は思っています。
  81. 住博司

    ○住委員 どうもありがとうございました。  それで、私どもは、過去の地方公共団体公害に対する取り組みというものは本当に、法律が十分でないとき、あるいは技術的にいろいろな能力がないとき、そのときの御努力は大変だったろうというふうに思っておりますし、そういう各自治体の御努力があればこそ今のような方向に物が進んでいるような感じがいたします。  そういう意味で、猿田公述人はまさに公害行政に直接携わったわけでございますから、いろいろとこの法律案を見られて、地方自治体との関係からすると一体これによって何ができるんだろうかという感じを具体的にお持ちになっておられると思うのですね。先ほど御意見の中で、行政のみならず国民事業者が、人間活動環境関係環境現状と将来の見通し、環境保全のための対策の必要性、こういうものを挙げながら、地方自治体が国からいろいろなことをやっていただきながら進めるべきであるということをお話しになられました。  実際に地方公共団体環境行政に取り組まれたお立場として、国からの地方に対するどんな対策があれば本当に地方自治体がやりやすくなっていくのか、そのことを具体的にお考えがあればちょっと御教示いただければありがたいと思うのです。
  82. 猿田勝美

    ○猿田公述人 ただいまの御質問、具体的にどういうものがあればということでございますけれども、今までのいわゆる地方における公害環境行政を見てまいりますと、やむにやまれず対症療法的に始まったというのが最初でございまして、その後いろいろな法整備に基づいて国と協力しながらやってまいりました。  今回の基本法の中で先ほどいろいろ論議されております環境基本計画等をお示しいただければ、それに準拠して今度は地域特性化したものができるであろう、やはりその辺の一つのバックボーンになるものとしてそういうものは必要ではないかと考えております。  それと、今後、地球環境問題も踏まえて地方が行う中では、やはり技術的な問題とか、そのほかのいろいろな支援を国からいただくことが必要であろうと思います。
  83. 住博司

    ○住委員 先ほどから公述人の中で情報公開についてのお話がございました。  猿田公述人にお伺いしますけれども、情報公開そのものについての先生の御見解は一体どういうものをお持ちになっておられますのか、それをお聞かせいただきたいと思います。
  84. 猿田勝美

    ○猿田公述人 情報公開でございますが、私も二十年近く地方で環境問題に携わってまいりまして、その中では、いかにして正確な情報を適切に提供するかということで苦労してまいりました。環境アセスメントなども、実際に横浜の場合には要綱で行っておりまして、私も退職後は審査の立場で携わっておりますけれども、やはりそういうものの内容、科学性を持った正しい情報をどう提供するか。今先生、情報公開というお話でございましたけれども、どのようにしてそれを伝えていくか、提供していくか。物によりましては、請求があればその情報を提供していく、それを公開と言うことも可能だろうと思いますが、そういう形で正しい情報の提供に、苦労してといいましょうか、積極的に対応してきたということでございます。
  85. 住博司

    ○住委員 先ほど篠原公述人は、情報公開が公害の問題について非常に効果を上げている例を挙げていただきました。これは基本的にどんな形での、制度化というのでしょうか、そういったことが必要だというふうに、篠原公述人側自身はどんなふうに考えておられるのでしょうか、その点もちょっとお聞かせ願いたいと思います。
  86. 篠原義仁

    ○篠原公述人 私の専門分野は大気汚染ですから、そこに例をとって説明させていただきますが、例えば裁判の事例でも典型的なんですが、川崎市の場合には、要するに発生源企業があって、どういう発生源設備があって、どういう煙突があって、そこでどういう硫黄分の重油が使われていて、どういう燃焼工程をたどって、鉄鋼ですと鉄鉱石あるいは重油等も使いますが、鉄鉱石だけで硫黄分がどうだというふうな燃料関係の資料、あるいは発生源施設関係の資料、一つ一つの煙突ごとの資料が公開されているかいないか。川崎の場合は公開されていますから、ただし一本一本のは出されていませんが、トータルの形では公開されていますから、極めて発生源問題についてチェックしやすい。  一方、大阪の場合ですとか、裁判では倉敷の裁判、名古屋の裁判含めて、この資料がなかなか自治体から出されない。裁判でも困ると同時に、一つ一つの交渉事について、この点をこう改善してよと住民が言う場合に非常に困っているのが実情なんですね。  そういう意味で、発生源の中身のチェックができるほどに、結果できたからこそさっき言った川崎火力の脱硝装置がついていないのにつけているということが誤記ではないかということもわかったことに象徴されるように、そういったデータが明確に示される必要があるのだろうというふうに思っています。  それは、今川崎の場合には、一応情報公開条例では企業秘密に関しない限りについては出すという条例になっていますし、ただし企業秘密であっても、人体、生命、健康に影響する場合については、それは拒否理由にならないということで、一応条例を持っています。それが各地で、あるいは法律の中で組み込まれてくれば、もっともっと国民注視の中で、住民参加の中で公害規制ができるのではないか。具体的な事例は私たち川崎の実践例で持っていますので、ぜひ参考にしていただければと思っています。
  87. 住博司

    ○住委員 今の話をお伺いしますと、それはやはり自治体でもきちんと対応できるわけでございますね。だとすれば、それは基本法で大枠をくくっておいて、その中で、要するに国と地方との関係できちんとそれを対処できるということにもつながっていくというふうに私は感じます。  それからもう一つ、ちょっと時間もなくなってまいりましたけれども、先ほど高木公述人の御意見の中で、まさに私どもの気持ちの問題をお話をしていただいた部分がございました。シンク・グローバリー、アクト・ローカリーという意識を持つんだ、こういうふうに先生おっしゃられました。私自身も、生活の中で自分の生活を享受しながら、実を言うと、最大の公害発生源になっているのじゃないか、こう思うことがあるわけです。そして、いろいろなところを回ってまいりますと、実に人間が生活すること自体がまさに公害発生源だということもあるわけでございます。  そういう観点からいたしますと、私どもは環境に対する、自分たちの環境をいかに自分たちでどう守っていくのかという、言ってみれば意識改革を子供のうちからどうしていくかということが何よりも必要だと思うのです。まさに今大量消費の時代になって、本当にそういう意味で言えば、その意識改革をどう進めていくのかというのは重要な課題になっていくと思いますけれども、高木先生はこの問題について、教育の場で例えばどんなことを中心に据えて子供たちに伝えていけば意識の改革につながっていくのか、あるいは生活の中 でどう考えていけばその意識改革につながっていくのか、もし妙案がありましたら、御教授いただければありがたいと思うのです。
  88. 高木邦雄

    高木公述人 妙案というのはないのですけれども、今から数年前に埼玉のしらさぎ幼稚園で三歳の園児が三人、おかしな水で亡くなった事件がございます。したがいまして、やはり幼稚園児から小学生、中学生、あらゆる教育の場におきまして、自分の身の回りの環境を自己みずから直していこう、そういうのをマニュアルとか、アメリカにも「子供たち向けの環境改善の五十の方法」というベストセラーの本がございますし、それから日本でも小学生が漫画で、坪田愛華さんというのが地球環境の漫画を残して十二歳で亡くなった事件がございます。  私は、短大ではそういうものを生徒に見せているのですよ。そしてテストをするのですね。自分の身の回りの生活環境をどう守っているかというテストをしてみて、何回もマニュアルでテストしてみて、そして自己を見直してみて、自分のあらゆる行動の場で環境をよくしていくことをみんながやろうじゃないか、こうしているのですよ。結局知識で教えるよりも、マニュアルとか訓練とかいう、行動学習というものが一番効果があるのじゃないかと思うのですね。
  89. 住博司

    ○住委員 本当にそういう観点が全部に広がっていかないと、私どもの理念を幾ら言っても、それから具体的個別法規を幾らつくっても、なかなか全体としてよくならないということがあると思います。  それと同時に、同じ観点で言えば、私ども地球環境規模で考えますと、例えば発展途上国と、それから私どものようにもう既にある程度の水準に達した社会と同居をしているわけでございます。そして、私どもは今環境の話について、地球的にいろいろと考えていこうじゃないかという話ができる状況になってまいりました。しかし、発展途上国の方々にしてみれば、そうはいかない、私どもは自分たちの環境を切り売りしてでも生活を向上せねばならぬ、そういうふうに思っている人たちもいらっしゃるわけですね。その方々に対して、私どものように既にある水準に達した国々の人たちが、一体どんな話し方あるいはどんな援助の仕方をすれば一番いいのかというふうに私ども常に悩んでおるのです。  高木公述人にお伺いいたしますけれども、そのことを発展途上国の中のこれからの要するに国の発展と絡めて、私どもどういうふうに考えていけばいいのか、その点について御意見があればお聞かせをいただきたいと思います。
  90. 高木邦雄

    高木公述人 我が国から海外諸国に進出している企業数は五千と言われておるわけでございますけれども、その五千の事業管理者が、やはり私、先ほど申しましたように、日本環境基準に準拠したことをきちんとやろうということで、行動で示していくということがまず第一点ですね。  二番目は、海外で公害垂れ流しをしていると非難されていることがございますけれども、そのところの民度に合わせた経済開発環境保全とのバランス、福祉というもの、三つをどういうふうに調和していったらいいか、ここが非常に難しいと思うのですね。しかし、途上国におきましては、まず環境保全調査、それから資金、技術供与、この面で一つのマニュアルをつくっていったらいいのではないかな、こう思っております。
  91. 住博司

    ○住委員 まさに私どもは本当に、経験をしてはいけないことも経験をしながら、こうやって発展をしてきたわけですから、これからの発展途上国に同じことが同じように起きないようにするための我々自身の範を垂れなければいけない部分がある、そういう意味で、実を言うとこの基本法というのは大変重要な意味を持っている、私はこう思うわけでございます。  最後に、抽象的な御質問で大変恐縮なんですけれども、猿田公述人にお願いをしたいのですが、もう一度地方自治体の立場から、これからの環境政策、地方自治体の立場から国に望むこと、優先順位をつけるのはなかなか難しいかもしれませんけれども、一体どんなことが今まで視点として欠けていたのか、もし欠けているところがあればどういうところなのか。それから、これからどこを重点的にいろいろと物を考えていかなければならないとお考えになっているのか、もしよろしければその話を聞かせていただきたい、こういうふうに思います。
  92. 猿田勝美

    ○猿田公述人 これからの地方公共団体における環境行政も非常に難しいものがあろうかと思います。現在までの中では、公害対策基本法、いわゆるその問題に対応するような対症療法的と言うとちょっと言い過ぎでございますけれども、それぞれの規制法的なものの範疇でいろいろな個別法をベースに行われてまいりました。今後この基本法をもとにいたしまして、環境政策の総合的な、そして計画的な方向づけがなされれば、地方公共団体としてはよりやりやすくなるであろうということがございます。  一つお願い申し上げたいのは、先ほど環境基本法、基本計画でもいろいろ先生方から御意見ございましたけれども、やはり国の立場で各省庁が一丸となってこの基本計画の策定に当たっていただきたい、いわゆる地方の場合には首長のもとで、知事あるいは市長のもとで一丸となってやりやすいという面がございますけれども、国の場合にはなかなか難しい面もございますが、国の政策としての基本計画でもございますので、一丸となって基本法にうたわれた政策の推進をお願いしたいというのが一つでございます。  それからもう一つは、今まで地方公共団体が創意工夫をベースにいろいろな独自の政策展開を行ってまいりました。今後、さらに難しいいわゆる地球環境問題を踏まえてやらなければならないわけでございますし、総合的、計画的という視点からも行っていくわけでございますので、そういう中でのいろいろな国との連携あるいは技術的な援助、支援というようなものをさらに一層の立場でお願いしたいと思うのでございます。
  93. 住博司

    ○住委員 時間の関係でちょっと散漫な質問になりまして大変申しわけありませんでしたけれども、御丁寧に御答弁をいただきましてありがとうございました。  これで終わります。ありがとうございました。
  94. 原田昇左右

  95. 岡崎トミ子

    ○岡崎(ト)委員 本日は、お忙しい中を公述人皆様方にお越しいただきまして、心から感謝を申し上げます。  さて、環境の憲法とも言えますこの環境基本法ができますに当たって、現在及び将来の市民に与える環境ということを考えますと、本当に市民の人たちがこの論議に大いに参加するということが不可欠ではないかというふうに前回の委員会のときにも申し上げてまいりました。そして、今回のこの法案の策定に当たりましても、やはり市民に対して積極的な情報公開と参加の機会がちょっと少なかったのではないかなということが残念でございますし、きのう地方公聴会で大阪に参りましたときにも、弁護士の方から、日弁連の声明としても広く市民の意見を聴取してこれを法律に反映させることが大切なんだということを強く希望されておりました。  そして、実は私ども、仙台では、環境フォーラムということで市民の皆さんの御提言を聞く機会もございました。その中で、カキ、海のカキですね、このカキを三十年間づくり続けてきたという漁業にかかわっている方のお話を伺いました。  その方は、カキというものは育てるためには海に健全な川が流れ込んでいることが絶対に大切なのである、その海で養殖されているカキの稚貝は河口のところでとれる、川の源は水を蓄える森である、山の豊かな森林がカキの稚貝の発生には絶対に密接な関係を持っているんだということで、河口が命の源だということを言っておりまして、その森の栄養を含んだ水が川となって海に流れて植物プランクトンをふやして、これをえさとしてカキが育つということで、私たちはそのカキを食べているんだけれども、結局は森を食べていることになるんだ。そんなお話がございまして、ちょ うど仙台から気仙沼に行くところに、やがて海が見えるところ、そして山の中腹のところに「森は海の恋人です」と書かれた大きな看板がありまして、その意味が私自身もやっとわかるようになったわけなのです。こういったことは多くの方々に知っていただきたいというふうに私自身は思いました。  魚がだめになってしまうほど川が汚染されてしまう。それは、例えば農薬が原因であったり合成洗剤であったり生活雑排水であったり、さまざまな原因がありますし、また、荒れている山に植林をする人がいないというような現状を考えますと、私はこの環境基本法の中にあります第四条の理念というものがとても大切になってくるというふうに思います。  いわゆる持続可能な開発という考え方についてお伺いしたいと思います。これは、基本法制のあり方についての答申を出された座長でありました猿田先生、そして梶山先生にもお伺いしたいと思います。  先日の環境委員会におきましても、この点につきましては、環境庁は、七〇年の公害国会の際にいわゆる経済発展条項を取り除いたのは、経済環境はかつては水と油であり、環境に配慮するコストはむだな費用と考えられていた、しかし、現在は経済活動のためのコストであって、両者の統合は可能である、当時の考え方とは違うということをおっしゃっております。その点について、猿田先生のお考え、そして梶山先生のお考えをお聞かせいただきたいと同時に、経済環境の統合というこの考え方が具体的にはどのような施策としてできるのかも含めてお聞かせいただければと思います。
  96. 猿田勝美

    ○猿田公述人 非常に難しい問題でございますけれども、昭和四十二年に制定されました公害対策基本法の時代には、いわゆる高度経済成長の中での産業公害的なものを中心とした対応というもので進められてきたものと理解しております。  今回の基本法の中に示されております基本理念となりますと、環境の恵沢の享受と継承というような問題、あるいは負荷の少ない持続的発展が可能な社会の構築、あるいは国際的協調による地球環境保全積極的推進というようなことで、やはりその後の世界的な環境の変化、これは地球環境という自然科学的な変化だけではなくて、経済環境を含めていろいろ変化してまいりました。  そういう中で、いわゆる国民の場合にも、地球国民と申しましょうか、私は地球市民という言葉をよく使っておりますけれども、地球市民として何ができるか、何をすべきなのか、またそれが、現段階における我々だけではなくて、次の世代に地球をどう残していくかというようなこともやはり必要になってきたわけでございまして、単なる典型七公害公害事象を解消するだけではなくて、次の世代にどう残していくかというようなこともあわせ考えつつ問題に対処していかなければならない。そういう中でこの今回の基本法における基本理念は示されているもの、その辺が従来の施策と異なって一歩前進したものであろうというように考えておるわけでございます。  では、どのようなことができるか。これはこれからの、国を初めといたしまして各地方公共団体あるいは事業者あるいは国民、それぞれの主体がどのような努力をしていくかということで、努力をしつつ対応しなければならない問題でございまして、そういう中で具体的にこれがということを、先ほど高木先生からもいろいろお話ございました。具体的に最近、地球環境対応する百三十とか百三十幾つとかいうような方策もございますけれども、それぞれが事業者立場で、国民立場で、あるいは行政の中でも国、地方自治体、それぞれの主体が自主性を持って積極的な対応をしていくことが必要であろうというように、総論的に申し上げますとそういうことだろうと思います。
  97. 梶山正三

    ○梶山公述人 大変難しい問題なのですが、私、弁護士ですけれども、もともと化学とか生物関係を専門にして十二年間地方自治体の行政に携わってきた立場から、少しこの問題を理論的なものから考えてみたいと思うのです。  というのは、サステーナブルディベロプメントと一言に言いますけれども、ディベロプメントを、例えば公害防止施設をつくる、それから環境配慮のためにいろいろな事業をする、これが一定の経済成長を生むことがある、これは間違いないと思うのです。ただ、問題は、統合ということを安易に使うというのは誤りだと私は思います。  と思いますのは、どんなやり方をやるとしても資源消費は避けられないわけですね。資源消費は避けられない。資源というのはどういうものかといいますと、例えば石油について言えば、これは地球の地下で何万年もかけてつくってきたものです。これを使っちゃってもとに戻す、これは理論的に無理なのですね。無理というのは、技術的にはできます。だけれども、もとに戻すときにそれ以上のエネルギーと資源消費します。これは熱力学第二法則というもので疑いのない事実なのです。見かけをどんなにごまかしたって必ず資源というのは減っていきます。そうしますと、いわゆるディベロプメントに資源消費を伴う以上、紆余曲折はあっても限界があるのは明らかだというふうに私は考えます。  ですから、そういう意味で言いますと、資源消費、しかもその資源というものが、地球がもう一度それを回復する速度に合ったものしか、サステーナブルディベロプメントというのは理論的には絶対にあり得ないというふうに私考えるのですね。考えるといいますか、これはまず理論的にも間違いのないところだと思います。ですから、ディベロプメントにはまずどこかに限界がある。ローマクラブの言った「成長の限界」は、その意味でまさに真理だと思います。  それで、サステーナブルということは可能かどうか。これもよく考えてみますと、それは相当の期間継続する、寿命を延ばす、本来百年であったものを千年に延ばす、それぐらいのことは可能だと考えます。ただし、サステーナブルについても、資源というものを、例えば地球資源を回復する、例えば石油をもう一度地下で生成するぐらいの速度で石油を使っていく、そういうことは極めて限られた経済活動に抑えられてしまうはずであります。  リサイクルについても先ほど申し上げましたけれども、これは一時的に資源を長もちさせることはできます。しかし、その過程で確実に資源は減っていきます。例えば、原子力を使う。これは管理不能の廃棄物、つまり管理コストが計算できない、ある意味では無限大の廃棄物を次々とつくり出していくわけですから、これも基本的には将来的には使えないものであるというふうに考えます。  そういう意味でいいますと、サステーナブルディベロプメントというのは、ごく短期的な、それが百年になるか二百年になるか、それはわかりませんけれども、短期的には妥当すると思いますが、長期的にはやはり方向転換を見ながら考えていかなくてはいけない問題ではないかと思います。以上です。
  98. 岡崎トミ子

    ○岡崎(ト)委員 次に、環境教育について伺いたいと思います。  先ほど梶山先生のお話の中で、住民自治は最高の教育機関である、これを無視して白々しい環境教育は言うべきではないというふうに、かなり厳しい御指摘でありまして、それぞれの先生方が皆環境教育がとても大切だというふうにおっしゃり、私自身も環境教育が大切だというふうに思っておりましたので、ややショックを受けながらお話を伺ったわけなのですけれども、もう少しその点について詳しく御説明をいただきたいと思います。
  99. 梶山正三

    ○梶山公述人 あの部分は、若干舌足らずな部分があったかと思います。  環境教育というのは確かによく言われるのですけれども、また子供の環境教育ということはよく言われますが、いろいろな住民運動にかかわってきた私自身の経験からいいますと、むしろ大人の環境教育の方がまずやらなくてはいけない。  もう一つの問題は、環境教育の基礎となるテーマは何かといいますと、これは自然のすばらしさを実感することではないと思います。それから、日々環境破壊されていくということを実感することでもないと思います。これはそれぞれに大事なことですけれども、例えばエベレストに通っている人間がエベレストを汚す、自然の中でいかにその自然をすばらしいかと思っている人であっても、環境意識が高いかというと、決してそうではありません。一番大事なことは、人間と自然との相克といいますか、人間の行為が現実に環境破壊していくということを目の当たりに見て、それでどういうことをすれば実際にそういうものが保全されていくかということを事実として体験する、自分の生活の中で体験する、これが一番大事だと思います。  地方自治が民主主義の学校と言われるのはまさに政治的な意味でそれを言ったのであって、環境教育というのも、やはり住民がみずから自分の地域の環境についてプランニングをして、それを形成して、それがうまくいくかいかないか、自分たちのやったことが直ちに自分たちにはね返る、これがやはり人間と自然と自然環境保全というものの相克を最も体験できる場、これ以外に本当に体験できる場というのはないと思います。  よく言われることですが、例えば下水道というものは自分が水を汚しているという行為を全く忘れさせてしまいます。ところが、これを個々の個別合併処理浄化槽にすれば、仮に水洗トイレに使ってはいけないような乱暴な薬品、例えば昔よく使った塩酸のようなものを投げ込めば、直ちに汚泥がいかれて詰まってしまいます。これは自分にはね返るわけです。やはり自分にはね返るということが一番大事で、それが目の当たりにない場合には、これはどんなきれいごとを言っても、私は本当の環境教育にはならないと思います。
  100. 岡崎トミ子

    ○岡崎(ト)委員 ありがとうございました。  環境アセスメントについてお伺いしたいと思います。高木先生と梶山先生にお伺いしたいと思いますが、大変時間が短いので、できれば簡単にお願いしたいと思います。  アセスメントについては、社会的にもニーズが高まっておりまして、環境を守るためには不可欠だと考えております。その点について、高木先生は先ほど、強化ということと信頼性ということでおっしゃいましたけれども、法制化ということを考えていらっしゃるかどうか。そして、現行のアセスについての問題を含めて、アセスメントあり方についてどんなふうにお考えになっているか、これは梶山先生に伺いたいと思います。
  101. 高木邦雄

    高木公述人 先ほど申しましたように、環境影響評価だけ先にしまして、そうすればもう、土木建設とかダム建設とか、そういうものが通っていくということでありますけれども、さらに私は、監査だけでなくて、プロセスを管理し、モニタリング、後をずっと見ていくということで精度を高めていかなければならない。それから、モニタリングやプロセス管理のときに、住民の方々がプロセス管理とモニタリングに参加していくという制度をつくったらいいのじゃないかというぐあいに考えているのです。
  102. 岡崎トミ子

    ○岡崎(ト)委員 法制化は。
  103. 高木邦雄

    高木公述人 それはもちろん、プロセス管理とモニタリングのときにさらにアセスメントをしますから、そのときに住民の皆さんの参加を得て、そして合意が得られるかどうかという問題がまた一つ来るわけです。そういうぐあいに何回も段階をやる。先ほど言ったとおり、環境のパフォーマンスというのは、環境がどのくらい、環境管理がどのくらい実績を上げているかという過程をきちんと監査していかなければいけないのではないか、ただ何でもアセスメントしたら後はそれで通ってしまったということだけでは済まない問題だというぐあいに考えているのです。
  104. 梶山正三

    ○梶山公述人 時間の関係もありますので、ちょっと簡単に申し上げます。  日本のアセスは、今、年間約三百件やられていると言われていますが、ごく特徴だけを私まずちょっと申し上げて後、法制の問題に触れたいと思います。  日本のアセスは、非常に特異、諸外国に比べて変わったといいますか、本来のアセスと違うというのがまず通説です。それからppm重点主義といいまして、汚染というものは評価するのだけれども、土地の改変とかそういう自然環境の改変自体は非常に軽視されている。それから貴重種偏重主義といいますか、貴重な生物種には注目するのだけれども生態系全体としてどうかという視点がない。それから、これも非常によく準備書に出てくる表現ですけれども、例えば計画区域内は確かにある種のものはぽしゃってしまう、だけれども周辺にあるからいいとか、そういうアセス準備書が極めて多いということがあります。それから、仮に影響があってもこういう保全対策をやるからいいのだ、こういう形でアセスが行われている。それから最後の問題、これはやはり非常に大きいのですけれども、実際にやってきたアセスを全部後で振り返ってみると、現実にやっていることの後追いができない。つまり、アセス評価書に、準備書に記載されたものと全く違う方法でやられているというケースがほとんどだというのが、これは島津康男先生なんかの報告でも出ております。  こういう問題を含めて、法制化がどうかという問題がございます。基本的に私は、いわゆる住民自治、環境基本法で自治体に物事を任せるのだという方向がはっきり示されれば、これはアセス法ではなくて、アセス条例という形の方が好ましいと思っております。ただ、そういう過渡的な過程としては、国でアセス法の大枠を示して、あとは自治体ごとに条例でそれなりの取り組みをする。基本的にはアセスというのは地域性の非常に高いものだと私は考えますので、条例で対応できるものであれば条例でいいのではないかというふうに考えております。
  105. 岡崎トミ子

    ○岡崎(ト)委員 最後に、もう一つ伺いたいと思います。  企業の行動責任について、梶山先生は、金融機関の責任という、今までにない、どなたも提唱していらっしゃらない新しい視点だというふうに思うのですが、実際に実効性のあるシステムとしてどのようなことが考えられますでしょうか。簡単にお願いいたします。申しわけありません。
  106. 梶山正三

    ○梶山公述人 簡単に申し上げます。  企業の責任、いわゆるレンダーズライアビリティー、LLというのはアメリカで今大変な議論になっております。つまり、これはスーパーファンド法を契機にしたフリートファクターズ判決で大きな問題になったわけですが、企業がある行動をしたために環境破壊し、あるいは汚染し、あるいは人の健康に被害を及ぼした、その場合に、日本では、最終的にその企業がお金がないために被害者も救済されないし、環境も回復できない、そういう事態がしばしばあるわけです。それを、一方では基金で対応しながら、一方では金融機関に責任を求めていく、これがいわゆる金融機関の責任の基本的な考え方です。  その根底として、いわゆる企業活動の資金を握っている金融機関というのは、やはりその企業が環境に優しい企業かどうかというものをチェックする社会的責任を負っているのではないか。これは全米銀行協会では、ほぼそういう線に沿って声明を出しております。日本ではそういう議論が余りにも乏しいわけですが、やはり金融機関の責任というものをこれからきちんと位置づけていくべきだと考えます。
  107. 岡崎トミ子

    ○岡崎(ト)委員 どうもありがとうございました。終わります。
  108. 原田昇左右

    原田委員長 次に、大野由利子君。
  109. 大野由利子

    ○大野(由)委員 きょうは、大変お忙しい中ありがとうございます。  私も、初めに環境アセスについて、四人の公述人皆様にちょっとお伺いをしたいと思います。  初めに猿田先生に伺いますが、猿田先生のお話の中で、社会経済情勢を見きわめつつ環境アセスを見直していくことが大事である、そのようにお話がございました。調査等を含めてというような お話もあったかと思いますが、社会経済情勢を見きわめつつということは、具体的にはどういうふうな状況になれば社会経済情勢が変わっていったというふうにみなすことができるのかどうか。それから、見直していくということの中にはその法制化ということを含んでいるのかどうかについてお伺いしたいと思います。
  110. 猿田勝美

    ○猿田公述人 先ほど申し上げました中で、環境アセスは基本的には法制化が望ましいということを申し上げました。それを進めるに当たって、今後の社会経済情勢等を見きわめながらということでございます。この中には現在、先ほど申し上げましたけれども、閣議アセス、それから地方アセス、個別法アセスとございます。その対象案件等もそれぞれ違ってきております。ただ、地方アセスの場合には、その地域の特性を生かしながらいろいろな対象事業あるいは環境の範囲等を決めておるわけでございますけれども。  そういうような中で、開発行為、先ほどサステーナブルディベロプメントというような、持続可能な開発についてのお話ございましたけれども、今後の開発がどういう形で行われていくのか。今いろいろと環境問題については厳しい状況下にございますから、そういう開発状況等もこれからまた変わってまいりますでしょうし、特に地方の場合にはいろいろなリゾート法との関係等もありまして、開発が行われているところもございますけれども、それに対する批判も出てきておるわけでございまして、そういうようなもろもろの社会的な要因と申しましょうか、それから今後の経済状況の中で外部不経済をいかに内部化していくかというような経済環境の中で事業者も経営していかなければならないわけでございますので、そういうことによるいろいろな情勢の変化もあるだろう。そういうものを踏まえて、やはり今後の、それともう一つは、現在ある閣議アセスとか個別法アセスの中でのいろいろな環境項目とかそういうものの統一性が現在ないところもあるわけでございまして、そういうようなものを調査しながら、あるいは検討して見直していく必要があるだろうというようなことで申し上げたわけでございます。  ですから、基本的にはそういうものを見直しながら、国として幾つかある、もう一つ省議アセスという通産省などでやっておるのもあるわけですが、そういうものを将来は環境項目から評価の内容等について統一する必要があるだろう、そういう意味での法制化を期待したいということでございます。
  111. 大野由利子

    ○大野(由)委員 篠原先生に伺いたいのでございますが、先ほどのお話の中で、五十六年に政府案環境アセス法が提案をされましていろいろ審議がされまして、五十八年に廃案になったわけでございますが、このときの国会審議の模様を私詳しく存じ上げないわけですが、いろいろ反対もあったり、市民団体の人からも提案された環境アセスが余り支持もされなくて、そしてせっかく政府提案環境アセスメント法が廃案になった、そういう経過がございます。  五十九年以来閣議アセスという形でずっと行われていて、今日、法制化も含めた検討を行うという状況が九年間続いているわけですが、これから例えば環境アセスメント法制化に向けて準備を進めていくに当たりまして、このときの教訓というものはどういう教訓があるかどうかについて伺いたいと思います。
  112. 篠原義仁

    ○篠原公述人 五十八年に廃案になったときに参考人で僕が話したのは、当時の議論としては、ないよりまし論と、中途半端の法案だが賛成がという議論で、私はむしろ後者にくみしました。といいますのは、当時の状況としては、川崎市を初めとして、私の記憶では三十の自治体が条例、要綱で持っていた時期ではないかという記憶ですが、まだ自治体のアセスの実施が緒についた段階であって、自治体権限を下手に縛るよりも、私は自治体の実績をまつべきだという議論からの反対論でした。しかし、それがもっと実効性があるものなら反対はしない。  なぜ実効性がないかということは、主として対象事業関係がかなり議論されたはずですね。電力立地を落としてしまった等々に始まってですね。そういった経験を踏まえて、今日でいいますと、対象事業の問題については、五十六年法案でよかったかどうかはやはり見直すべきでしょう。  実は、川崎では東京電力がそのころ立地を図っていまして、国が落としたのに川崎の条例にのっかってくるかどうかということは大議論だったのですが、やはり社会資本の提供は自治体から受けなければいけないということで、東電は川崎市の条例にのせてきたのですね。そのときの審議に私は川崎市の委員で参加したのですが、そういった対象事業の問題。  ごく最近の五月四日の新聞報道では、アセスの手法の問題、評価の問題、業者の選択問題、環境庁自身が今反省しているわけですから、そこの手法の問題については大いに議論があると思います。  環境管理計画というふうに川崎市は呼んでいますが、国のレベルでは環境基本計画と呼ぶのでしょうか、その段階から、もっと平たく言えば町づくり、この地域にどういうものを立地していいのか悪いのかも含めて、環境基本計画の段階から住民の意見なしのアセスメントは非常に危険なんだろう。環境基本計画、つまり法案の段階から環境基本法も住民参加が少なかった。アセスができた場合でも、環境基本計画、町づくりの段階から住民を参加させないと恐らく禍根を残すだろうということに始まって、対象事業、アセスの手法、評価の方法等々かなり内容的に、率直に言わせてもらえば五十六年法案を抜本的に改善して法制化を図ってほしい。そして、その素材としては各地の経験が今相当程度山積みになっている。そこを国レベルで議論する場合でも、一回総括した上で法制化を検討してほしいというふうに私は思っています。  とりわけ強調したいのは、梶山先生と同じなんですが、川崎のアセスやっても、実感ですが、本当に数値論争にアセスが終わっていて、業者の数字合わせのアセスメント、みんな平たく合わせメントだというふうに駄じゃれで言っていることですが、実感しますね。量だけでなくて、質の問題について、どういう観点からアセスを図っていくのかということが物すごく厳しく問われていると思います。川崎市の環境アセスメント条例の適用も、どうしても量の方に傾向が行ってしまうという反省を私自身持っています。そのことだけは強調しておきたいと思います。
  113. 大野由利子

    ○大野(由)委員 梶山先生と高木先生に伺いたいと思います。  先ほど岡崎議員からもちょっと質問があって、似たような質問になるかと思いますが、この環境アセスメントを強化をし、信頼性と科学的に精度の高いものにしていく、まさにおっしゃるとおりだと思うのですが、どうしても各地方自治体をまたがるような大きな事業もございますし、現在条例で行われています地方自治体のアセスメントも、典型七公害等を想定したものはあっても、地球環境という大きな視野でのアセスをやっている内容のところもなかなか少ないし、そういった意味ではまだまだ不備なものが多いのではないか。そういった意味では、地域の特性というものが十分生きるような形にすることはもちろん最も踏まえなければいけないことだと思いますが、国の事業、また地方公共団体の条例のもとになるような法制化みたいなものが必要なのではないか、そのように思うのでございますが、もう一度重ねて梶山先生と高木先生にこのことについて伺いたいと思います。
  114. 梶山正三

    ○梶山公述人 法制化のお話ですが、私は法制化自身に反対するつもりはございません。ただ、法制化をする場合に、少なくとも二つポイントがあると思います。  と申し上げますのは、本来のアセスメントというのは合意形成の手続、日本ではそういうふうに理解されていないかと思いますけれども、環境影響評価というよりもむしろ合意形成をしながら環 境を見ていく、それが本来の手続であって、そこにやはりみんなが参加する、それが欠かせないところだと思います。  それから第二点として、いわゆる合わすメントになっているのはなぜかというのは、要するに事業者自身が準備書をつくり評価書をつくるという過程で、事業者自身が自分のやろうとしている事業に対してノーというようなものをつくるかどうか。これは人間経験則からいけば明らかに矛盾するわけで、評価をきちんとやればいいじゃないかという話はよくありますけれども、それも一理あるのですが、実際にはアセスメントというのは膨大な基礎データに基づいております。それが準備書の段階で都合の悪いものはみんな落とされていく。その段階で第三者がきちんと評価しても本当に評価できるのだろうかという根本的な疑問がございます。  そういう意味でいいますと、準備書をつくる段階からいわゆる第三者機関がむしろ主体的に関与していく、この二点がやはりアセス法をつくる場合に不可欠だと思いますし、そういう大もとを決めた後で条例で大幅に自由度を持ったものをつくらせる、そういう形が一つの理想かなと思っております。
  115. 高木邦雄

    高木公述人 環境アセスメントでございますけれども、これははっきり申しますと非常に未来の不確定な要因があるわけです。その評価した時点から着工しまして、していくうちに不確定な要因を政策決定しなければならないというアセスメントの難しさがございます。  したがいまして、私はさっきモニタリングとかあるいは監視、測定の基準の見直しというようなことを申し上げておりますのは、過日原発の事故がございまして、基準値以下の被曝でございましても白血病が出ているという事態がございます。したがいまして、それを想定してその不確定な要因が顕在化してくる、レスポンスというのですが、最初にインパクトがあってこういう評価だろうと想定しますね。それからプロセスがあります。それからレスポンスという思いがけない顕在化ということが起きてくるわけですね。それを全部モニタリングしていくということをしなければ、ただ環境アセスメントをつくったからこれでいいじゃないかということでは完全なる、そしてまた公正なるアセスメントはできないのじゃないかなと私は思っているのですね。  したがいまして、私は、法制化でなくて今までのように閣議決定でもようございますが、環境庁がきちっとした基本をつくっていくことが大事だと思う。それと同時に、先ほど申しましたように、そのプロセスを管理しながら、レスポンスという顕在化した場合における対応までフォローしていくということが大事じゃないかなと思っているのです。
  116. 大野由利子

    ○大野(由)委員 猿田先生に伺います。  国と地方公共団体の連携が一層強化されることが大事であるというお話がございました。私もまさにおっしゃるとおりだなと実感をしております。環境行政が有機的に、効果的に行われるためには、それぞれがばらばらではなくて、その地域の特性というものを生かしながら国と地方公共団体の連係プレーが非常に大事ではないか。そういう連係プレーを図りながら総合的見地に立った行政組織の整備と行政運営の改善に努めるということが大事ではないかと思うわけですが、今回の環境基本法をそういった観点からよく見てみたときに、ちょっと何かその点がどうなのかなという気がいたします。  十六条、十七条に国と地方公共団体関係が出ておりますが、これは公害防止計画の達成の推進という観点から出ているので、全体の環境そのものについてというふうにはなっておりません。それから三十五条の中にやはり「地方公共団体は、」という規定があるわけですけれども、国の施策に準じた施策地方公共団体が推進をするといった観点での述べ方であって、国と地方公共団体が本当に連係プレーをしっかりしていくといった意味でのこの法案の中の記述がちょっと弱いんじゃないか。果たしてこの辺はどうなのか、そのように思うのですが、地方公共団体での環境行政に非常に詳しい猿田先生の御意見を伺いたいと思います。
  117. 猿田勝美

    ○猿田公述人 ただいまの国と地方との関係ということでございます。  第七条で「地方公共団体の責務」「国の施策に準じた」という、三十五条でもございます。それとは別に先ほど公害防止計画のところがございますが、これはまた「「公害」とは、」ということで公害対策基本法に書いてありました公害の現象、いわゆる典型七公害が残されておりまして、その公害対策基本法にも述べられております公害防止計画の作成というようなことがここで踏襲されておるわけでございまして、それに基づいて公害防止計画の達成の推進というのは、ですから、ここのところは恐らくいわゆる公害の著しい地域、あるいはそのおそれのある地域ということが前提でございますが、そうではなく、今先生のお話のように国と地方とが一体となってどうできるか、そのためにどこにそれだけの根拠があるかということだろうと思います。  きょうの陳述の中で申し上げましたように、七条あるいは三十五条の内容に述べられておりますように、国が示す施策に準じた施策を地方がとり、またその中で今先生のお言葉にもございましたように、地方の特性を生かしながら自主的にやっていくというところにまた一つポイントがあるのではなかろうか。すべて細かに規定されてしまいまして、地方自治体はこの枠の中でやりなさいということになりますと、これは私も経験上、ちょっと逆に問題があるのではないか。むしろ地方自治体の自主性、主体性がそこに確認されたということに意義があるのではなかろうかと考えております。
  118. 大野由利子

    ○大野(由)委員 梶山先生に伺いたいと思いますが、エコロジカルな視点が非常に抜けているというお話がございました。まさに私も、例えば真夏でもできるような大きなスキー場をつくるということが果たしていいのかどうなのか、その辺から問い直さなければいけない問題がたくさんあるのではないか。しかし、一たん便利な生活を身につけてしまうとなかなかそれを改善することの難しさ、大量生産大量消費大量廃棄型のライフスタイルの見直し等々が非常に大事なわけですが、そうした観点で言うはやすく、エコロジカルな視点、言葉のみあって実態がなかなか今の日本環境行政の中にはないということを非常に強く感じるわけです。  一つ、例えば、何というのでしょうか、現在のGNPというものが、いろいろ破壊だとかそういうことも全部含めた上でのGNPの算出方法になっているわけでございまして、私は、ここにグリーンGNPとか環境GNPとかそういう考え方というものが導入される必要があるんじゃないか。森林とか水とか土壌とか石油とか石油資源等々、環境資源がいかに消耗されているかということもきちっと入れる。資源の再生とか環境の浄化とか回復等々、そうしたものもきちっと計量化して入れる。そして、環境経済の状況全体をきちっと総合的に評価したそういう指標、グリーンGNP、環境GNPといったものを開発する必要があるんじゃないか。そういったところから一つのエコロジカルな視点というものも連動してくるのではないかと思いますが、御意見を伺いたいと思います。
  119. 梶山正三

    ○梶山公述人 難しいお話ですが、エコロジカルな視点が欠けている一つの理由は、私の考えでは、環境行政自身が今まで聖域が多過ぎた。例えば河川がいじれない、海がいじれない、森林がいじれない、環境行政が及ばない、廃棄物問題にも基本的には環境行政が直接タッチできない、それが一つは総合的な視点というのを妨げてきたというところがあると思います。  それで、グリーンGNPのお話ですが、これはお話としては大変そのとおりだと思います。ただ、現実問題として、それはそう簡単なことではないと思いますし、そこにエコロジカルな視点を きちんと入れたようなグリーンGNPというものが果たしてできるのかどうか、私は多分に疑問を感じております。ただ、そういうものができたとしたら、それは確かに利用価値はあるというふうには考えます。  ただ、もう一つは、そういう意味でいいますと、グリーンGNPを云々する前に、GNPというのは環境保全環境の豊かさとはまた別問題であって、オランダの国家環境政策が、あえてGNPというものが計算上減っていくということをきちんと示しながら国民にその環境政策というものを問うていった、やはり当面はこの姿勢を一つの範とすべきではないかというふうに思います。
  120. 大野由利子

    ○大野(由)委員 ありがとうございました。
  121. 原田昇左右

    原田委員長 寺前巖君。
  122. 寺前巖

    ○寺前委員 まず第一番目に、私たちが環境問題を見るときに思い起こすのは、かつて水俣の公害とか四日市ぜんそくとか、いろいろの環境公害と言われる事件を忘れることはできないと思うのです。  それで、ちょっとお聞きしたいなと思いますのは、先ほど篠原弁護士さんがおっしゃっていましたが、例えば水俣の場合だったら、あの猫の実験をやっていて問題点は非常に明確に出たじゃないか、それでは出た段階で情報を住民に提供したならばあれだけの被害が広がったということにならなかっただろう、あるいは新潟に波及するということにはならなかっただろう、私はやはりこの問題を忘れることはできないのです。  だから、本当に環境を守っていこうと思ったら、知っている情報を、知る権利を国民に与えて情報を提供するのだ、また情報を知りたいという市民が参加する形態を、環境を守るための形態としてはしっかりやらなければいかぬのだということを私は常々考えているわけです。去年のあのリオ宣言を見ると、そのことはやはりうたってあると思うのです。私は、せっかくここまで到達した問題なのですから、今度基本法をつくる場合においてもこの視点が何とか生きてこぬものだろうかということをつくづく思うわけです。  そこで、先ほどからお話を聞いていると、猿田先生も梶山先生も、何か自治体でお仕事をなさっておられたようなことでございますので、実際に自分の体験からも、この情報の公開という問題が、あるいは市民参加の問題というのが大きな位置を占めるから、法案をつくっていく場合にはそういう位置づけをきちっとする必要があるというふうに私は感ずるのですが、体験的に見て、水俣の問題といい現状の問題といい、この問題をはっきりさせる必要があるように思うのですが、いかがなものでしょうか。御意見をお伺いしたい。     〔委員長退席、塩谷委員長代理着席〕
  123. 猿田勝美

    ○猿田公述人 情報の問題でございます。  私の経験を踏まえて申し上げたいと思いますが、やはり市民の方々が知りたいということに対しましては、そういう情報、いわゆる正しい情報をわかりやすく、また場合によれば加工してわかりやすくして情報を提供するということを行ってまいりましたし、またそういう請求があった場合にもできるだけ公表していくというような形で情報は提供して、ある意味では公開してまいったわけでございます。  ただ、その中で、先ほど篠原先生もお話ございましたけれども、特定の企業の操業過程とか薬品の内容とか、企業の機密に属することの要求がないわけではございません。そういうところまで要求されることもございますが、やはりそういうところはなかなか難しい問題がございます。  しかし、例えば環境の情報などについては、これは白書というようなもので毎年各自治体でやってきておりますし、あるいは公害防止協定など企業の立地に伴って結ばれた場合には、それに関連する資料も公表してきたわけでございますので、そういう意味では今までの中で特に隠ぺいしたとかそういうことの経験、私自身が余りございませんけれども、ただ、企業機密を除いては、やはり市民の信頼を得るということでは情報というものをいかに正しく提供していくかということが大事だろうと思いますし、それに基づいてまた市民の方々が環境というものに対しての認識をさらに進めていただくという意味でも必要だろうと思っております。
  124. 梶山正三

    ○梶山公述人 まず一つだけ私の体験を申し上げますと、水俣病が問題といいますか、水俣湾の汚染が非常に問題になっていた昭和四十年代に、私、ちょうど東京の多摩川で汚泥の水銀分析をやっていまして非常に高濃度が出ました。それを公表しようじゃないかという話をしましたら、するなという話があったのですね。その理由については今ちょっと時間の都合もあって申し上げませんけれども、実はこういう事例は自治体ではたくさんございます。  それから、データを改ざんするということもこれは日常的にございます。これは私の体験として、少なくともその部分は間違いないところであります。それから、今は逆に住民の方と一緒になって自治体にデータを出せということをあちこちでやっておりますが、逆に本当に出しても問題ないようなものでもなかなか出さないという実態がございます。そういう意味でいいますと、情報の開示というのは住民参加と並んで環境を守るためのやはり基礎的なツールであるというふうに私自身も認識しております。  そういう意味では一番いい例がアメリカの地域住民の知る権利法ですね。あれは極めて厳しい情報公開を規定しておりまして、しかもそれに対する罰則も、今のレートだと一日当たり二百五十万円ぐらいですか、とにかく大変な罰金を取られる。しかも企業からEPAに開示された情報というのはデータベースで全米どこでも手に入れられる。それで、これができたとたんに企業というのはまるっきり変わったのですね。それが適用される前に全部自主的にこういうものはこれだけ何年かけて減らします、これは大手の化学会社がみんなそれをやりました。それぐらい情報公開というのは、そういう意味では環境のためには鋭い武器になるというふうに私は思っております。
  125. 寺前巖

    ○寺前委員 今梶山先生は基礎的なものだというふうにおっしゃったし、またアメリカの例もおっしゃったわけですが、私も非常に重要な位置を占めるというふうに思いますので、これからの基本法をつくっていく上においてもこの問題はきちっとしておく必要があるだろう。ましてデータの改ざんとかそういうことが行われてくるとなると本当に重要だ。  私自身も最近の体験からいうならば、例えばゴルフ場ができていく、どんな農薬を使っているのだろうか。農薬には発がん性の物質もあれば、いろいろある。そういうものを集中的に使われたときに、その下流に取水口があってそれが市民の水になっている。その水道水を見たらやはり侵されている。私、この前、大阪の淀川の河川の枚方の水道を見に行った場合にそういうことに直面しました。  それで、建設省に聞いてみたら、建設省は自分が所管するところにおいては、その取水口の上流部分にそういうものは使ってはなりませんよということを直轄の河川のところでは指導しているけれども、その土地をゴルフ会社に貸してしまったら、貸した先のことについては私は知りません。これでは自分の省内における指導は徹底したかしれぬけれども、人に貸したところまで責任を持たぬような直轄河川などというのはあったものではない。現実にはこういう不合理がある。現実には、依然としてどんな農薬が使われているかというのを関係する会社に聞いたって言わないのだから、だからこれは企業に公開させる責任を負わせる必要がある。自治体なり国も、そういうものを市民に提供する責任を負わせるということをはっきりさせる必要があるというふうに強く思うわけです。  また一方、最近トリクロロエチレンとかテトラクロロエチレンとかいう問題が出てます。ああいうような場合でも、地下水を調査した結果この町には何カ所こういう数値が出ておりますと言うけれども、どこの地点でそれが出ているのか、怪し い工場はあそこやで、おまえのところのものは発表せいといかないと、どこの住民が一番不安な状態に陥っているのかわからないままに不安だけが残っているというのが現実の事態としてあるのだから、そういうことを考えてみた場合に、私は、先ほど篠原先生が水俣の問題をおっしゃったときに、これは過去の話ではなくして、現実にも市民参加と情報の公開という問題ははっきりさせていくということの責任が大事な問題だなということをつくづく強く感じたので、ちょっとお聞きをしてみたところです。  ところで次に、今度は現状の認識の問題で、最近、今度の法律が出されてくる過程の中で、あたかも公害が終わって、事態はもう地球環境の時代になってきたんだということで、産業公害から生活公害へ話が広がってきているというふうに問題を提起する人々がふえてきていると思うのです。  しかし、社会の発展の法則から見ていくと、産業公害の果たしている位置というのは離すわけにはいかない性格を持っているというふうに見るべきだと私は思うのですが、現状公害問題についてどういう事態にあるのか、配られたところの篠原先生の資料はそのことを意味しておられるのだろうと思うのですけれども、ちょっと御説明をいただければ幸いだと思います。
  126. 篠原義仁

    ○篠原公述人 資料は大気汚染関係の資料がほとんどで、余り引用せずに、所与の前提で先ほどしゃべってしまったのですが、いずれにしましても、今お話しのあった水俣については、今裁判上の和解の土俵に国がのるかどうかということのようですから、余りこの場では生々し過ぎるので避けますが、大気汚染問題について言いますと、現状はどうか。  公害健康被害補償法が一九八七年、昭和六十二年の九月十八日の国会で成立したわけです。そのときの政府側の説明では、現在の大気汚染の状況では大気汚染被害者はいないという趣旨のことで、翌年の三月一日に四十一の指定地域を解除したわけです。ただ、私はその席で注目したかったのは、その九月十八日の国会審議を実は傍聴していまして、参議院の委員会に中曽根さんが最後入ってきたのですが、中曽根答弁というのがあったわけですね。いずれにしましても、国会での中曽根さんの答弁は、大気汚染が再び憂慮すべき事態となったら再指定を考えるという趣旨のことを言った。その答弁に置きかえてその後の状況をちょっと整理してみたかったということで資料をお配りしたわけです。  道路公害の実態については、お手元の資料にあるとおり、神奈川と東京がむちゃくちゃに環境基準をオーバーしている。神奈川川崎中心です。ワーストテンに三つしかない。三つしか測定点がないからです。川崎の沿道にもっと測定点を設ければ、恐らくワーストテンにもっと川崎は入るでしょう。むちゃくちゃな環境基準のオーバーです。  と同時に、中曽根さんが言った憂慮すべき事態というのは、その直後の環境白書でも明らかになっているのですね。六十三年十二月に環境庁が環境白書を六十年データということで発表しました。そのときに、マスコミは一斉に日本大気汚染は十年前に逆戻りということで報道しました。なるほど、SO2は改善したけれども、NO2については、一般測定局、自排局とも七八年、七九年をピークに横ばいだったのが、八五年度以降に上昇に転じた。東京、神奈川、大阪の総量規制地域では、新環境基準未達成局が前年度に比べてはるかにふえた。それどころか、千葉、埼玉、兵庫の周辺地域にも未達成局が増大している。SPMについては一般測定局で達成率が五三%、自排局では達成率二九%ということが報道されました。  以後、六十三年データ、平成のデータも含めて、改善されるどころか深刻になったことは御承知のとおりで、だからNO2削減法の制定という流れになっているんだろうと思います。まさに中曽根答弁をそのまま額面どおり受け取るならば、政府答弁ですから現在の総理大臣に引き継がれるのでしょうと思いますが、その履行を政府が責任を負うとしたら再指定すべきなんだろうという実感を持っています。  汚染だけでなくて、被害者関係についても東京都の患者会のデータをお配りしておきました。見ればわかるとおり、六十三年三月一日の新規認定を打ち切って以降の、条例で救済される患者等々はふえています。これは東京だけでなく、私たちが調べた別の資料として、要綱あるいは条例で各地で治療救済の認定患者、いわゆる条例患者を認定していますが、その患者もふえています。汚染の状態も以前に比べてはるかに悪くなっている、被害者が増加もしているということですから、まさに現実の理解としては被害が深刻だというのが私は筋だろうと思います。  とすれば、環境法の議論の出発点として、やはり被害がなくならない限り、被害者が救済されない限り公害対策はないというのが原点ですから、補償法は即時に僕は改善すべきである、再指定すべきであるということを強調したいし、それが恐らく私たちの共通の現状認識になるのではないかと思っております。     〔塩谷委員長代理退席、委員長着席〕
  127. 寺前巖

    ○寺前委員 時間がないので残念なんですが、製品を使うのは消費者国民かしらないけれども、製品が有害であったり廃棄困難なために環境影響を与えるという場合に、製品をつくったところ自身にやはり責任を持たすということを基本に据えなかったならば、製品が環境破壊するようなものの開発というのは引き続き行われていくことになるから、やはり原因者は製造元なんだということを明確にしていくということは私は今後も重要な課題であろう。それが明確になることによって、どういう製品をつくっていくかということの責任が問われることになるし、被害を与えたら被害者に責任を負うということにもなるだろうし、それからまた環境の復元の責任もとるということが非常に明確になってくる。私はそういう意味で、今日でも被害者であると同時に加害者であるなんというような理屈を言って、現実には大気汚染にしたって、その他全面的に環境破壊が広がってきている中では、この原則問題というのはあくまでも守っていかなければならない問題であろうというふうに思うわけです。  時間の都合がありまして、もう一つだけちょっとお聞きしたいのは、今度は日本公害の輸出国になっているという批判を受けます。私もそう思います。例えばフィリピンから南方の山を崩壊させていった事態を見ると、日本の国が大量の木を切って、そして日本にどんどん持ってくる、ああいうやり方はいいんだろうか。あるいはマレーシアにおけるところの公害の問題とかODAによるところのお金の使い方によって破壊していく姿、こういうことを考えたときに、私は、日本の国内でやれないことを外国において平気でやるというのは、本当に利潤第一主義の典型だろうと思うんです。  だから、そういう意味では、私は地球規模の問題を議論する以上は、やはりそういう公害企業を外国へ持ち出したり、あるいは外国に対するところの対応の問題の基本的考え方を改める必要があるという問題を強く感ずるんです。ところが、何かいろいろ理屈を言って一向にやろうとしないんですが、この問題について高木先生と篠原先生に最後にお聞きして、終わりたいと思います。
  128. 高木邦雄

    高木公述人 発展途上国に対する環境の浄化の問題、保全の問題、極めて難しい問題でございます。御承知のとおり、アマゾンの森林の破壊が進んでおるわけでございますけれども、アマゾン川流域の五つの国の方々は、それが自分たちの経済あるいは生活の糧になっているのだというお考えを出していらっしゃるわけでございます。しかしながら、それは、長い目で見ればその国の人々にとっても世界にとってもいいことではございませんので、先ほど私が申し上げましたように、資金、技術、その他を供与いたしまして、そして同じように環境保全を図っていくという国の政策が必要ではないだろうかと思っております。  同時に、先ほど申しましたように、日本から海外に進出している企業は、今度日本環境基本法ができましたら、それに準拠した環境管理をしていくということが当然だと思うのでありまして、そういう面も基本法の中に一つ規定していただきたいと私は希望します。
  129. 篠原義仁

    ○篠原公述人 私は、東南アジアの方の話をしようと思いますが、フィリピンとかマレーシア等々私たちの同僚の弁護団が調査していますが、とりわけマレーシアのARE問題については、私自身ある意味では涙をともにしたという経験を持っています。二年半ほど前に、ジャヤバラン氏とチャ・コ・レオン氏を日本環境会議で呼んでシンポジウムをやりました。その半年後に、全国の患者会でライ・レム・カンちゃんを呼んで、実は日本公害輸出しているので環境庁長官何とかしてくれというふうに彼女は訴えて、十何歳で、女の子で、髪の毛が一本もない、原子力汚染で侵された人が環境庁長官に訴えて、長官はわかった。その半年後にこの女の子は死亡したわけですね。  昨年、AREについてはマレーシアの一審では差しとめ請求が認容されました。今最高裁で闘われていて、そろそろ判決で、情勢は微妙なようですが、四日市判決で加害責任を断罪された同じ三菱がマレーシアでこのような犯罪的事実を犯していることについて、日本国民として深刻な共通の認識を持つべきだ、そのことが公害輸出に対する私たちの視点の第一歩だろうと思います。  そして、その当然の帰結としては、やはりODA開発、今のままでいいのか、政府援助、今のままでいいのか、抜本的に見直す必要があるのでしょう。確かに開発を望んでいるけれども、公害の輸出までは望んでいるわけではないわけですから、ODA開発あり方が基本的に問われるべきだと思いますし、もし仮に現地が望むような正しい開発であるならば、用語は熟していないかもしれませんが、せめて国を超えた国際的なアセスメントはやるべきだと思います。日本法制化できずして国際的アセスメントができるかという疑問もありますから、同時並行的に考えるべきだと思います。今回の基本法の中には国際問題が盛り込まれていますが、国内の環境アセスでなくて国際的なアセスも重視して取り組むべきだ、その内容をぜひ盛り込んでほしいというふうに私は強調しておきたいと思います。
  130. 寺前巖

    ○寺前委員 ありがとうございました。
  131. 原田昇左右

  132. 高木義明

    高木委員 公述人の先生方には、それぞれ貴重な御意見を賜りまして、大変参考になりました。時間の関係もございますが、なお御意見を賜りたくお尋ねをしてみたいと思います。  私は先ほど高木先生からお話があった中で、何といっても社会的道義的義務というのが今から一番大切なことではないか、一人一人の環境に対する倫理、モラル、これに尽きるのではないかというふうに思っておるわけであります。そういう意味で、政治倫理ではございませんが、その倫理だけに頼ることはなかなかできないということから、制度の面でこれを補充していくということになるわけであります。  そういう意味で私は以下お尋ねをいたしますが、特に環境行政の機能強化という点でありますけれども、今お話がありましたように、よく縦割り行政の欠陥が言われております。いわゆる弊害が出ております。例えば、同じ環境問題でも、建設省があってみたり、厚生省があってみたり、あるいはまたほかの省庁に絡む問題がたくさんあります。そういう中で私どもは環境庁の機能を強化すべきだ、従来から提言をいたしておりまして、いわゆる環境庁の省への昇格を含めて今の行政の権限強化をやっていくべきだ、そういうことを考えておるわけでありますが、各公述人の先生方に、環境行政、現状の評価について御所見をお尋ねしてみたいと思います。よろしくお願いします。
  133. 猿田勝美

    ○猿田公述人 現状の評価からというお話でございますけれども、きょういろいろと先生方が御質問いただいた中にも、環境の最近の変化という問題がいろいろございます。対応すべき現象というのも、昔の典型七公害から地球規模あるいはアメニティーというような快適性を含めた環境ということで、非常に幅広い対応を求められておるわけでございまして、そうなりますと、なおさら関係する省庁も拡大してきているわけだろうと思います。  そういう中で、これは私、地方行政を経験した立場から申し上げますと、やはり横断的な対応というものが一番基本になるものでございまして、縦割り行政の中での環境となりますと、やれる範囲は非常に狭くなってしまう。それを全庁的に調整しながら政策を実行していくというところに環境行政を担当する者の一つの使命があるだろう、いわゆる環境行政を担当する部局としての使命があるだろうと思っておるわけでございまして、今高木先生のお話の、環境庁から省への昇格というようなことも、より一層そこに機能的なものが強化されるという前提で考えますと、これは結構なことではないかと思われます。  現在の状況から見ますと、地方でもなかなか統一的な、県レベルあるいは政令指定都市レベルでございますと全庁的に環境を調整するような組織もできておりますけれども、なかなかそういうことばかりではございません。国の場合にも、今回の基本法をベースにしているような全省庁的なものがそこで調整されればより成果が上がるものではないかというように考えております。
  134. 梶山正三

    ○梶山公述人 ちょっと一言ではお答えしにくい難しい問題だと思いますけれども、私は現状環境行政の評価ということを考えますと、一番問題なのは、公害対策基本法自然環境保全法を読めばわかるのですが、法律枠組みの中から既に環境行政というものが非常に狭められているということが言えると思います。ですから、例えば河川について、原則として環境庁はここに手がつけられない。それから、廃棄物処分場の問題についても原則として環境庁は、例えばその構造をどうするかとかという問題について手をつけられない。それから、これを水濁法の特定施設に入れるかどうかという問題についても原則として手をつけられない。海を埋め立てるについて、どういう埋め立てをするかということについても基本的に手をつけられない。ですから、いわゆる典型七公害というような形で外に出てきたもの、それから自然環境保全法で言っているごく貴重な、ごく希少性のある一部の自然、こういうものしか今まで環境行政というものはなかったと思うのです。  ですから、もし環境行政というものをもっと権限を広げるという、これ自体一般論として私賛成ですけれども、その場合には法の枠組みをまず変える必要もあるでしょうし、ただ広げるということを基本法でうたったって、それはすぐにはとても変わるものではないというふうに思います。  バーゼル条約の場合にも、結局通産省と環境庁が非常に対立した、通産サイドと環境サイドが非常に対立した。これはいろいろなところで何度も報道され、私自身も両方の人たちと会って本当にそれを実感したわけですけれども、やはりそこに縦割りというものをどうやって本当にみんなで環境という方向に持っていくかというのが、今度の環境基本法を見た限りその辺の展望が見えないというのが私の実感であります。
  135. 篠原義仁

    ○篠原公述人 私の環境庁に対する評価は、一番最初の十五分の中でアセス法案の流産、骨抜き化、NO2の基準論争、補償法の、私の用語で言うと改悪等々に批判的な見解を言いましたので、評価はそんなことだろうと思います。  じゃどうするかの問題です。だから、環境基本法の中にこれを盛り込んでほしいという期待があります。それは先ほど言ったとおり、やはり環境権ということを実定法上の根拠を与える、それが環境行政の出発点だということを明示する必要があるのだろうと思います。  それと、今私が批判した幾つかの事例については、絶えず環境庁と通産省、建設省等々の綱引きがあって、外目で見るとよその省の方が力関係が強かった結果ということが大きな影響、影を落と しているのではないかというふうに感じます。そうだとすれば、環境政策の優先性は単純な理念ではなくて、具体的な実践の課題として明示すべきだし、経済との調和、先ほどは経済環境の統合という目新しい用語を私は教えてもらいましたが、そういうこととは比較のない絶対的優位性を明示すべきなんだろうということが大前提だろうと思います。  繰り返して言えば、弁護士会の要請にこたえた私の書いた文書でいえば、やはり省庁の縄張りを越えた国の政策遂行上の上位置念として環境政策優先の確認、それをまずすること。そのためには環境権の明示があります。そして管轄分野を広げて、環境庁の権限分野を広げて一元的な体制として確立する。それをさらに制度的に裏づけるシステム体系の整備が必要なんだろう。というと抽象的な単語ばかりなんですが、具体的には、日弁連案の後ろの方に、その制度、システムについて日弁連は具体的に提案しています。あのまま即いくかどうか、私は日弁連は理念的過ぎて即いくとは思いませんが、そういうシステム化も恐らく必要なんだろうというふうに思います。  そういった議論の中で環境庁を環境省にするというならば、私も大いに賛成です。トータルで物を考えて、単純に環境省にすればいいという問題ではなくて、トータルに考えてぜひ基本法の中で討議してほしいと思います。
  136. 高木邦雄

    高木公述人 環境行政につきましては十八省庁にわたっているわけでございまして、共同管理部門というのはほんのわずかなんですね。これが環境情報の公開と環境情報ネットワークと環境のマネジメントの障害になっているというぐあいに私は考えているのです。したがいまして、行政改革の一つの大きなポイントといたしまして、やはり環境庁を環境省に昇格しまして、環境の行政の一元化、調整、そして充実、この三点を私は提唱しているわけでございます。  先ほど私、産業廃棄物の話をいたしました。ここに一つの調査がありますが、特別管理産業廃棄物という有害産業廃棄物の排出量を把握してないという県が三七%ございます。日本では医療廃棄物の廃棄事故が大学病院ですらも起こっているわけであります。それから、適正処理困難廃棄物、適困廃棄物と言いますが、こういうものが出てくるわけです。とても適正な処理はできない、困難なもの、これがどんどん捨てられておるわけです。それから、産業廃棄物の許認可は各県ごとになっているのですね。都道府県ごとになっている。  ところが、一般廃棄物でも産業廃棄物でも、一般廃棄物で四三%は県外へ持ち出しているわけですね。各地のクリーンセンターというのがございまして、山梨県とか東京都が持ってきました。それから、産業廃棄物は一〇〇%県外から持ち込まれているわけです。こういう広域処理というものは、県の許認可だけでは到底その規制ができませんので、これが不法投棄と不法処理の根源だということから申しまして、環境庁を環境省に昇格して環境行政の一元化、それから調整、そして基準の統一化、そして環境行政の拡充、充実ということを私は提唱しているわけでございます。  以上です。
  137. 高木義明

    高木委員 梶山先生、そしてまた猿田先生のお話の中に、今後はさらに地方公共団体役割が重要である、こういう趣旨のお話がありまして、私ももっともだと思っておりますが、では、果たして今現実に、地方分権と言われておりますけれども、そこまで至ってない。したがって、環境行政についても、住民と直結した地方公共団体役割が大きくなっておるにもかかわらず、現実にその能力はあるのかというところに大きなポイントがあるような気がしてなりません。例えば人材の面あるいはノウハウの面、こういったものをどんどん強化していく必要があると思っておりますが、この環境行政に絞った中での地方団体の役割、そして能力についてどのようにお考えになっておられるか、その点についてお尋ねをしておきます。
  138. 猿田勝美

    ○猿田公述人 ただいまの地方公共団体役割重要性、これはもうそのとおりでございまして、地方公共団体の最近のいろいろな様子、私、環境庁が持っております研修所で職員研修などよく依頼されるわけでございますが、各地方自治体でもそういう環境に関与する職員の研修など頻繁に行ってきております。確かに私が地方の環境行政を担当いたしましたころは人もいなくて、本当に自分ですべてやらなければ、一人で何事も、大気から地盤沈下まですべてやるというような時代でございましたけれども、最近はそれぞれの専門家が養成されておりまして、それなりの職員の充実が図られております。  しかし、最近の人員抑制というふうなこともございまして、案件と申しましょうか、環境という範囲の拡大に対応してそれだけ人的なものがなかなか充実しないという問題があるようでございますけれども、これは今後研修とかそういうことを通じて一層の内容的な充実を図っていく必要があるだろうと思います。  地方自治体は住民と直結しておりますので、やはり住民から不信感を持たれるということは一番もう行政にとってはマイナスでございます。住民の方々に安心感を与えるといいましょうか、安全な環境である、快適な環境であるということを保全するためにも、行政側でやはりそういう人的なあるいは質的なものの向上を図らなければならないわけでございますし、それから、今まで蓄積してまいりましたノウハウをいかにまた次の職員に伝えていくか、その辺の連係プレーというものも必要であろう。  そのためには、今後国の技術的な支援、援助、それから地方自治体独自に、その地域の中においてはやはり特殊な環境問題もございますので、そういうものの情報、技術の蓄積というものは必要であり、そのための地方における予算的な措置あるいは研修等の開催、そういうものを積極的に行う必要があるだろう。これは地方自治体が独自に積極性を持たなければならないことだろうと思います。
  139. 梶山正三

    ○梶山公述人 私、今各地の自治体の住民運動と職員にあちこちで接する機会がございます。例えば、千葉とか津市、伊東、木更津、東京都はもちろんですが、あと福井県の大野市とか徳島、そういうところで条例を制定したり、いろいろな住民運動に接する機会がございます。  私、一言で言いまして、今の地方自治体のレベルでのいわゆる環境にかける人材というのは決して国に劣っていないと考えております。もちろんそれはばらつきがありまして、レベルの低いところもはっきり言ってございます。ただ、現場の強みというのがありまして、やはり常にそういう身の回りの公害環境問題に接している住民、それと正面から立ち合いといいますか、ぶつかっているのはまさに自治体の職員なんですね。そういう現場の強みということによって彼らはやはり鍛えられつつあるというのが私の実感です。  例えば政策を見ましても、津市の条例、真鶴町の条例、伊東市の条例、それから木更津がやろうとしている条例、それから大野の地下水を守る運動、こういうものを見ますと、中央にはない姿勢、それと、いわゆる国の法律を超えてやらなくちゃいけないんだという姿勢がやはりあちこちで見られます。実際に、例えば廃棄物処分場の問題に関していえば、水源保護条例という形で国の法律を少なくとも超えたもの、見かけ上は少なくとも超えたものができて、そのために訴訟が何件も起きているわけですね。  そういう意味でいいますと、もちろん国の方からそういういろいろ援助すべき点はあるでしょうけれども、もう一つは、法制度としてもっと自由に条例がつくれるというような形での援助も必要だろうと思います。
  140. 高木義明

    高木委員 終わりに、アセスメント制度について高木先生にお尋ねをしてみたいと思いますが、私たちは、環境というのは地域地域によって異なるということを踏まえて、地方の自主性、主体性をやはり十分に尊重していく制度であらなければならぬと思っております。  そういう意味で、いわゆるアセスメント制度というのは、国が最低限度のガイドラインを定めて、そしてそれぞれの地方公共団体でこれをクリアしたところのアセスメント条例等を制定をして環境保全をしていく、これが現段階においては最も妥当ではないかと私たちは思っておりますが、その点についての御所見をお尋ねしたいと思います。
  141. 高木邦雄

    高木公述人 私も先生の御意見に賛成でございます。  ただし、アメリカに比べまして、日本の有害廃棄物の指定につきましてごく少ないわけです。アメリカよりも三分の一未満だと思います、日本の有害産業廃棄物の指定の物質がですね。そういう最低の基本的なものはやはりアセスメントでしっかり決めなきゃなりませんし、それから手続ですね。それから、先ほどから申しておりますように、モニタリングその他についてきちんと手続をアセスメントの中に盛り込むということが非常に大事でございます。  そうしませんと、ただ地方だけに任しておく、特性にもちろん征しておけば環境問題はいいのでありますけれども、先ほどからお話がございますように、すぐれた市や地域は別といたしまして、日本の地方自治体は環境観念について極めて貧弱だということが言えるわけでございまして、例えば、一般廃棄物の減量目標のない県や市が五四%を占めておるわけです。減量目標を決めていないわけです。それから、産業廃棄物資源目標がない県というのが六八%もあるのですよ。いかに地方が環境の問題について人材的に、技術的に、それから行政として貧弱であるかということは、この事態が示しておるわけです。  だから、やはり国がきちんとしたアセスメントをつくって、そして地方もそれに応じてやらなければいけないということでございまして、一昨年十月二十五日施行リサイクル法でも、去年の調査でこの始末でございますから、実態が。そういう点を加味しながらネットワークというものでやっていこうじゃないかというのが私の考えなんです。
  142. 高木義明

    高木委員 ありがとうございました。終わります。
  143. 原田昇左右

    原田委員長 これにて公述人に対する質疑は終了いたしました。  公述人各位には、貴重な御意見をお述べいただき、まことにありがとうございました。厚く御礼申し上げます。  これにて公聴会は終了いたしました。  次回は、明十四日金曜日午前九時五十分理事会、午前十時委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後六時二十六分散会