○田中(昭)
委員 今も、最後に水俣病の問題についてのやりとりがあったわけですが、
長官もきょうは
環境庁からこちらに来たと思いますけれ
ども、きのうもきょうも、春とはいえまだ肌寒い風の吹く中で、
環境庁の前に水俣病の患者の皆さん、お年寄りばかりです、座り込みをして、何としても生きているうちに救済をということを訴えているわけです。
私は、三十数年もたってまだ水俣病の問題が解決をしない、こういう問題を解決せずして
環境基本法などという極めて壮大な
法律を
議論をする資格が
自分にあるのかないのか、そういうじくじたる気持ちを実は持っています。今度制定される
環境基本法は、こういう悲劇が二度と起こらない、そういう実効ある
法律にしなければ、きれいな文章で絵にかいたようなものであっては絶対にいけない、こういう気持ちを私は率直に持っているわけでございまして、そういう立場から、きょうは第一回の
議論ですから、提案者である
環境庁長官のお
考え方などについて、幾つかについて少しお聞きをしたい、こういうふうに思っております。
〔
委員長退席、高橋
委員長代理着席〕
私は、
環境基本法を制定するに当たって、その前提といいますか基本的な柱として、最低三つのことが必要ではないか、こう思っております。
その第一は、
基本法でありまして、一般的な、単純な政策法でないわけですから、これはやはり憲法上の
視点を明確にすることが必要だということが第一点であります。
それから第二は、国際的な視野に立った
法律でなければいけないと思います。昨年、地球
環境が確実に変化してきている、悪化してきている、そういう実態からの脱却策として国際的な合意が必要だ、そういう意味で地球サミットが開催をされまして、我が国もこれに参加をしているわけでありまして、この中で国際的に合意した内容については最大限尊重しなければいけない、二つ目、こういう
視点が必要であろう、こう思っております。
それから三つ目は、もう御存じのとおり、我が国において高度成長政策の中で、今も申し上げましたけれ
ども、水俣病を初めとする公害が激発をして以来、今日に至るまでの我が国の公害
環境行政の歴史の総括、その反省、それが
議論のスタートでなければいけないだろう、こういうふうに思います。そして、
先ほど申し上げましたように、でき上がった
環境基本法というのは、絵にかいたものでなくて、実効あるものでなければいけない、こういうことを明確にしなければいけない、こういうふうに
考えております。
そこで、若干御
意見を申し上げたいわけでありますけれ
ども、憲法上の
視点について、私の
意見を申し上げたいと思います。そして、
長官の御
意見もいただきたいと思います。
憲法には、確かに
環境権などについて直接的には文字として触れていません。しかし、憲法の精神というのは、
国民が健康で豊かな
環境の中で
生活するということ、良好なる
環境、自然の恵沢を享受するということ、このことは当然実現されるべき目標として、
国民全体に課せられた課題であるということが明確になっておると私は思います。そして、政府、国、
地方自治体は、この実現のために努力する任務と責任がある、
国民がこれを要求するのは
国民の基本的人権として
国民の権利であるということ、このことも憲法の精神として明確であろう、私はこう思っております。
憲法十三条では、すべての
国民は、生命、自由及び幸福追求に対する権利が保障されています。そして、この権利は、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大限尊重する、これも非常に重要なことだと思います。明確になっております。また、二十五条では、すべての
国民は、健康で文化的な最低限度の
生活を営む権利があるということも明確に定められておるわけです。
公害の防止、公害、
環境破壊の根絶を怠ったがために、そういう対応がきちんとできなかったために、その被害者は、まさに今申し上げましたこれらの憲法上保障されている権利が生涯を通じて踏みにじられていくことになるわけです。水俣病の皆さんの実態をごらんになればおわかりのとおりであります。
このことを
考えるとき、私は、今回の
環境基本法の中には、憲法の精神に忠実な正しい原則、権利、そして
法案というのは抽象論で終わるのでなく具体化できる、そのための
制度や
施策がきちんと定められなければ、抽象的であってはいけない、私は、こういうことを、まず第一に憲法上の
視点として明確にすることが必要ではないか、このことについて
意見の不一致があるのかないのか、このことをまず第一に、
視点としてお聞きをしたいと思います。
それから、二つ目に申し上げました国際的な視野に立つべきであるという
視点でございますが、
先ほども申し上げましたように、地球
環境保全についての国際的合意を図るため、昨年地球サミットが開催をされまして、百八十の参加国の一員として、我が
日本政府も参加をしたと思います。
この中で、具体的な国際協定としては、地球
環境憲章的文書として「
環境と
開発に関するリオ宣言」、行動計画としてアジェンダ21などが締結をされたと思います。
この中で、アメリカや
日本などの
経済大国と多国籍企業の
活動が引き起こしている地球
環境破壊の行為に対して、
活動を規制し、新たな
経済社会
活動の概念として、持続可能な
開発という
考え方を確立させた。反対に言いますと、持続不可能な
経済開発はやらない、こういう
考え方が確立したと私は思っております。そして、人類は自然と
調和しつつ健康で生産的な
生活を送る権利があるということを確認し合ったと思います。この
考え方は国内にとどまらず、国際的、地球規模での積極的な取り組みが必要であることを、確実に今回の
基本法の中に生かし切ることが必要だ、私はこういうふうに思っております。とりわけ、
先進国日本として
環境の
保全や公害防止については国際的視野での対応が極めて必要だということも、この
基本法の中で明確にすることが必要ではないか、このことを二つ目に基本的な
考え方として申し上げまして、この点についても御
意見をいただきたい、こう思います。
それから、基本的な三つ目の
視点ですけれ
ども、私はここを大変重視をしたいと思っています。
先ほども申し上げましたけれ
ども、我が国における今日までの公害
環境行政の歴史と総括とその反省が、今回の
環境基本法論議のスタートでなければいけない、こう実は思うわけです。
公害の原点と言われ、世界最大の公害と言われる水俣病は、御承知のとおり、チッソの企業
活動が生み出した歴史上類例のない大規模な
環境汚染による悲惨な公害であります。御承知のとおりであります。しかも、
先進国を自称して地球
環境問題のリード役たらんとしている我が国において、三十八年間も未解決で、今日まだ紛争状態が続いておって、国際的にも注目されている公害事件である、このことはもうおわかりのとおりであります。そして、この水俣病は、その発生、拡大の構造、企業や行政の対応、被害者の置かれている
状況などから見て公害事件の典型だ、私はこう思うわけです。
したがって、水俣病がなぜ発生し、拡大し続けたのか、行政はなぜこれをきちんと規制しなかったのか、なぜ大量の被害者が三十八年間救済されずに放置されて、そして悲劇を繰り返しているのか、世界各地でなぜ同じような有機水銀中毒事件が続出するのか、これらの疑問点を明確にしながら、その反省と教訓を
基本法の中にきちんと生かし切ることが極めて必要だ、こう私は思います。
環境基本法とは、水俣病のような公害を未然に防止をして、完全に
環境保全を図るための実効ある
法律でなければ意味がない、こういうことを私は申し上げたいわけであります。
御承知のように、今和解に積極的に参加をして何とかこれを解決しようとしている熊本県の場合、御承知のように熊本県
環境基本
条例というのがございます。この前文の中にこういうことが言われております。「私たちは、水俣病という世界にも例のない悲惨な体験を持ち、
環境破壊の恐ろしさと、その復元の困難さを深く
認識するものとして、この様な深刻な事態を防止し、ひたむきに快適な
環境を創造する責務があると信ずる。」
こう熊本県の
環境基本
条例の前文には書かれておるわけでありますけれ
ども、国にはこのような
考え方があるのかないのか、そのことを明確に自覚をしておられるのか、このことをはっきりしなければ、
環境基本法制定の意味がないと私は思っているわけです。今基本的な
考え方、このことがはっきりすれば、私は、
個々の各論についてはお互いに
議論をしていけばまとまる内容であろう、こう思っております。
以上申し上げました三つの基本的な
考え方についてどういうふうにお
考えになっておられるのか、このことについて
認識が合うのかどうなのか、この点について、まず
長官の方から明確に
お答えをいただきたい、私はこう思います。