○田中(昭)
委員 今のは、あなた、
環境保健部長さんでしょう。よく承知をしていないということはどういうことなんですか、これだけの問題で。これは、
日本の
新聞でも、主張欄でも全部取り上げられておる問題ですよ。あれだけのマスコミ報道がなされて、いろいろな
資料がいっぱい出て、その歴史をずっと見た場合、その
環境庁における当該の部長さんが、和解案についてよく承知をしていない、参加をしていないからという言い方は、私は極めて無
責任だと思う。その無
責任な
姿勢が、この問題についてここまで無
責任に放置をされた結果になっているということを私はきちんと申し上げたいと思うのです。
それで申し上げたいのですけれ
ども、確かにこ
れは、長い歴史の中で
被害者の団体というのは幾つかございます。ですから、訴訟に基づいて和解で解決をするという立場に立っていない、自主交渉で
会社や国と直接交渉をやって解決しようとするグループもおられることも私はよく知っているのです。こんなことはもう百も承知の上。しかし、自主交渉で、訴訟抜きで幾ら国と直接交渉しても、
チッソと交渉しても、解決つきませんよ。だから、幾つかの解決の方法を、三十数年模索をしてきた結果として、今先ほど言ったように、病像論とか
責任論とかその他金額などについてクリアをして一致したというのは、これは権威ある三権分立の中での司法の側が、多くの地裁なり高裁が最終的にまとめ上げた、これを突破口にして解決をしなければ、この問題は解決しないのです。
三月二十五日に判決が出てしまえば、どちらかが不満足で控訴してしまう。これは、みんな死んでしまうのです。だから私は、公害史上
最大の悲劇というよりも、
日本の歴史上まれに見る悲劇で終わるということをさっきから言っているわけです。そういう
意味では、今部長が答えられたような紋切り型の
答弁だけでは解決は絶対つかないということを改めて申し上げておきたいというふうに思うのです。
そこで、時間がありませんから申し上げたいと思うのですが、先ほ
ども言ったように、和解で解決をしないとすれば結局は国は判決待ちの
姿勢だ、こう私は思うのです。これも御承知のように、高裁から最高裁までいけばどれくらいかかるかもおわかりだと思っておるのです。おわかりの上で発言をされておると思っておるのですが、今まで、御承知のように熊本地裁の判決がございました。これは原告勝訴になっておるわけです。その後東京地裁で判決が出されました。これはもう御承知のように原告敗訴。私は、この東京地裁の判決によってそれまでの取り組みが後退をし、極めて残念なことになったと思うのです。
環境庁もまた、それまでは、
環境庁がない時代から、園田直厚生
大臣から三木武夫
環境庁長官、大石武一
環境庁長官、
石原慎太郎環境庁長官、
北川さん、ずっと皆さん水俣に行かれて、何とかしなければいけないと、いろいろな
意味で、今
環境庁長官が悩んでおるように悩んでこられた。そして、何とかしなければいけないなという気心が合うと
大臣かわられていくわけですが、東京地裁というのはそうい
意味では非常に残念だったと私は思っているのです。
環境庁はこの東京地裁の判決を契機にして、
水俣病に対する
姿勢が大きく変わってしまった。原告とも、患者とも、陳情に行っても
要請に行っても会おうともしない、門前払い。
環境庁の前で会いたいと言っても会わしてくれない。ピケを張って入れさせない。あのお年寄りが寒空に座って、トイレに行きたいと言ってもトイレにも行かせない。
環境庁のまさにこの問題に対する差別的な攻撃が、東京地裁判決を契機にして変わってしまった、私
どもはそう思っておるのです。
そこで、部長もよく聞いておいてください。皆さん方が依拠をしている東京地裁の判決は、確かに原告敗訴で終わりました。残念な判決だと思っております。しかし、この判決文の中で、これはもう読み上げる必要はないと思いますけれ
ども、「現在、被告
チッソの経営状態からみて、被告国・県の関与なしに
水俣病紛争の解決を図ることは事実上不可能な
事態となっている。」これはこのとおりですよ。「
水俣病は、被告
チッソの不法行為によって生じた疾患ではあるが、人間の生命、健康を何よりも尊重するという精神を欠いたまま高度経済成長を志向した国家、社会が生み出したという側面があることは否定し難く、被害の拡大を防止し得なかったことについて被告国・県にも政治的
責任があるということができるから、国家、社会全体の
責任において解決が図られるべき問題であると思われる。したがって、被告国・県に国家賠償法上の
責任がないとしても、」ここが大切なんです、
責任論の中では。「国家賠償法上の
責任がないとしても」というこれは国の立場に立っているわけですから。「被告国には、本件から分離した事件の和解
手続において行政上の解決
責任を認めている被告熊本県とともに、本件の解決のために尽力すべき責務があるといえよう。」こう言っているわけです。
これは、皆さん方がよりどころにしている国家賠償法上の
責任はない、
責任論においても、ある種の病像論においても、皆さん方の立場に立って出された東京地裁判決においても、今言っているように、「被告熊本県とともに、」行政上の解決
責任を認めて「本件の解決のために尽力すべき責務がある」ということを言っているわけです。ということは、裁判所が出してきたこの和解案をやはり謙虚に受けとめて、政治的な解決を図るという立場に立つことが極めて必要であるということは明々白々なんですよ。
ですから、なぜ
責任論とか病像論に依拠して、そして国がこの問題の解決について、行政の基本にかかわる問題であるということだけでいつまでも放置をしておるのかということについては私はどうしても納得ができないわけで、この点について、どうですか
長官、国が依拠している判決ですら、それは国家賠償法上の
責任はありませんよと言っているんだけれ
ども、今読み上げましたような立場で、やはり解決
責任があるのではないかということを言っているわけです。
それで、先ほ
ども言ったように、病像論についても
責任論についても一応クリアされている、一時金についても、
手続についても。確かに幅とか厚みとかという問題になると、ミクロに詰めていきますといろいろあると思うのです。しかし、私は、福岡高裁のあの最終案に基づいて今まで三十数回も和解協議をやって、あれだけ懸隔のあった被告熊本県と原告が
意見の一致を見ようとしているということですから、話し合いをすれば解決はおのずからできる、こういう判断に実は立っているわけです。ですから、そういう
意味で、先ほ
ども申し上げましたように、ぜひ
関係閣僚
会議の中でこういう問題をもう一度総括をしていただいて、何とかこの議論のまないたにのせていただきたい、このことを申し上げたいのですが、
長官、いかがですか。