○秋葉
委員 この
条約の
審議について、そのプロセスを、これは
外務省の方は御存じだと思いますけれ
ども、記録に残すために改めて申し上げておきますと、この作業が始まったのは一九七〇年代の末です。より具体的には、これは
国連の
人権委員会、一九八七年、八八年、八六年ごろからやっているところもありますけれ
ども、八八年の三月に
人権委員会の、第一読み会というのでしょうかファーストリーディングというのが行われたわけです。これは各条項ごとにそれぞれ原案があり、その原案についての
意見を
各国代表が述べながら、最終的にはたたき台をつくるということになっています。これが最終的にできたのが一九八九年ですけれ
ども、それが
国連総会にかけられて採択をされたといういきさつがございます。
したがって、一九八九年に
国連総会にかけられた成案というのは、ここに私が持っている、
外務省がお出しになった英文というのが英語の正式文章として出されているわけですけれ
ども、実はそれ以前の段階として、討議をする段階でワーキンググルーブというグループがつくられて、その中で詳細な議論をした記録が残っております。私はそれを集めたものを持っています。
経済
社会委員会の中でこの
人権委員会のさまざまな議論が行われておりますけれ
ども、その中での一例をとって申し上げますと、今の三十七条の(c)⑥と言われておりますのは、最初のうちは条項の
名前が違っていたのですけれ
ども、
内容は全く同じです。その一つ一つの変化について時系列的にすべて、どういう原案が出て、それがどういうふうに変わっていったかという変遷を今述べているだけの時間はございませんけれ
ども、最終案ができる直前の一九八九年の文書に残っているものでは、この(c)の項目に属するところが(c)というふうにはなっておりませんで、第四パラグラフというふうに書かれております。しかも、こういう条文の議論をする際に、あるいはいろいろな文書の起草をする際に、これは便宜的に私
たちが常にやっていることですけれ
ども、第何パラグラフということだけでは非常に混乱を生ずる、同じ
言葉が何カ所にも出てきて、そこの
言葉はこういうふうに変えた方がいいというときに議論に混乱が生じますので、ほとんど各センテンスごとに、あるいは一つの考え方のまとまりごとにいろいろな記号をつけます。これも、
国連での議事も全く同じようなことをやっています。
その中でこの(c)に相当するところは、後半の
部分を(a)、(b)、(c)というふうに三つに分けて、これを分類をしてそれぞれを議論をしております。それで、その(b)のところは確かに、これは例えば国際
教育法研究会訳あるいはユニセフ訳と同じように、この前半の
部分になっている、
子供の最善の利益に従えば成人から分離すべきでないと判断される場合を除き成人から分離されるものとし、というのが(b)になっております。それから、(c)として、これは別の項目です、それとは全く別の項目として、かつ特別の事情のある場合を除き通信及び面会によって家族との接触を保つ
権利を有するというのが(c)として出ております。その後の文書では、これは番号の振り方が違っている場合もありますけれ
ども、そこのところは、つまり「セーブ・イン・エクセプショナル・サーカムスタンシズ」というのはそれ以前の、家族の訪問それから家族との通信というところだけにかかっているというのは、このワーキンググループの議論をしてきた経過、さらにはそこでのたたき台になった文章を見れば一目瞭然です。
しかも、
日本の代表もこのワーキンググループに参加しておりました。
幾つかの発言をしております。その中で
日本代表が、今
外務省の
小西さんがおっしゃったような形でこれが両方にかかるというような解釈を示した方は一人もいらっしゃいません。それだけで十分だと思いますけれ
ども、この訳は間違っております。
外務省。