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永井参考人 永井でございます。
私は、
憲法及び
教育法学の研究の
専攻者といたしまして、
子どもの
権利条約にかかわりまして、私の知るところを次の四点で
お話をさせていただきたいと思います。
まず
一つは、本
条約制定の歴史的な経緯と
条約の持つ歴史的な
意義でございます。第二は、本
条約の
内容と
特徴について私の認識するところを御説明申し上げたいと思います。第三に、そのような本
条約を
国内法として迎え入れる場合に、これまでの
国内法等に与える影響の問題についてでございます。そして
最後に、
政府から提出されました本
条約に関する議案についての若干の
問題点を申し上げたいと思います。
時間が十分ではありませんので、早速
内容に入らせていただきたいと思います。
まず一でございますが、この
条約は、今
波多野先生からも
お話がございましたように、第二次
世界大戦後におきまして、
国際連合が、平和な
社会の
実現に向けて
各国が相談する、それに向けて
協力をするという申し合わせをした際に、平和と
人権の
実現を同時に行っていこうということを申し合わせました。
そうする中で、従来どこの国でも男の
人権の
保障ということを主として進めてまいりましたけれども、
戦争の
経験から、
戦争で大きな痛手を受けた
女性と
子供の
人権について特に配慮をして、その
人権保障を進めていこうという自覚に立って、片や
女性の
差別撤廃条約を生み、片や今日の
子どもの
権利条約を生む、そういう経過でつくられてきたものでございまして、
女性の
差別撤廃条約は男性との
差別の
撤廃であり、
子どもの
権利条約は、
未成年者として
大人のいわば
保護の
対象として置かれた
子供について、特にその
存在を
人間としての
存在として認めて
人権を
保障しようとするそういう考え方に基づき、
地球上のだれ一人も残らない、すべての
人間の
人権の
保障に向けてということのいわば
一つの重要な位置を占める
条約であるわけでございます。
このような
条約の持つ歴史的な
意義をまず御理解いただくことが、
条約について考える場合の基礎的に、そして極めて基本的に重要なことであろうかというふうに思いますので、特にその点を強調しておきたいというふうに思います。
第二の、それでは本
条約はどういう
内容のものなのかということでございます。
今
波多野先生からも御説明ございましたけれども、この
条約はさまざまな
内容を含んでおります。これまでにつくられてまいりました
国際人権規約あるいは
女性の
差別撤廃条約等において
実現をされておりますものの中で、
子供にも認めていこうというようなものをすべて反映する形でつくられているのがこの
条約の
一つの専門的に見る
特徴でございます。
その
条約の
特徴として
一つまず
最初に指摘しておきたいのは、この
条約は
子供の無
差別平等を
保障するという観点でつくられているものであるという点でございます。
例えば、この
条約の
前文三項や第二条などの
規定に見られますが、言うまでもなく、
子供はだれでも親を選んで生まれてきているわけではございません。性別を選んで生まれてきているわけでも、時代を選んで生まれてきているわけでも、国を選んで生まれてきているわけでも、本人が選んで生まれてきているわけではないわけでございます。
しかも
人間は、だれでも
一つしかない人生を生きているわけでございまして、それなら、
国連が
世界人権宣言や一九六六年の
国際人権規約によって
保障してきたように、すべての
人間は、親の
社会的な地位や財産、人種、
言語、宗教あるいは皮膚の色や出生または障害の有無などのいかなる理由によっても
差別されないのでありまして、その
人間の無
差別平等を
子供に
保障しようとするものであります。言うまでもなく、これこそが
子供や
大人を含むすべての
人間の
人権保障の基盤となる大原則である、無
差別平等の
保障がその基本的な認識でございます。
第二は、この
条約は、従来
大人だけに認めてきた
人権を
子供にも認めようとするものであります。すなわち、これまでは、
子供は未発達だから、未成熟だから
保護する
対象としていたというわけでございますが、
大人と同じように
権利を享有する
主体、そして
権利を行使する
主体、つまり
子供の
存在を
人間の
存在として、そして
子供を
人権の
主体として
保障しようとするものであります。
例えば、
刑事事件の
容疑者とされたような場合、
大人ですと、これまでの歴史的な
人権保障の
発展の成果として、仮に裁判を受けるようなときには、経済的に貧困であれば
むしろ国が費用を払って弁護士を雇ってくれる
制度、すなわち
国選弁護人制度が既に現在
各国に用意されているわけであります。
日本の
憲法にも第三十七条にそれが認められているわけであります。しかし、
子供にはそれが認められておりません。
それについて、この
条約は第四十条でいわゆる
少年司法の
刑事適正手続について
規定しておりまして、
弁護人その他の適当な
援助を受けること及び「使用される
言語を理解すること又は話すことができない場合には、無料で通訳の
援助を受けること。」などを決めております。
ほかにもこの
条約には、
地球上の
子供を含めたすべての
人間の
人権を
国際的規模でひとしく
保障することを目的とした
国際人権規約の中に置かれた条項が多く取り入れられております。例えば、
現代社会の
市民的権利、シビルライツといって
各国共通に理解されております表現の自由、
情報の自由、思想、良心の自由、十三条、十四条、十五条、プライバシーの
権利、十六条、
情報への
アクセス権というような、
国際的規模で
大人の
人権として既に
国際人権規約等によって認めたものを
子供にも認めようということをこの
条約の中に
規定しているわけであります。
これは若干
波多野先生と
意見の違うところでありますが、
世界各国の
子供にひとしく認めて、
地球規模における
子供の一人一人に残らず
人間の
存在としての
人権を
保障しようとする趣旨をこういうところに反映しているものだと私には思えるわけでございます。
その中の、我々は俗に目玉と称しておりますのが第十二条の
意見表明権でございます。
条文に則して言えば、自己の見解をまとめる力のある
子供に対して、
子供が自己に影響を及ぼすすべての事柄について自由に
意見を表明する
権利というふうに書いてございます。したがって、それは、
子供の年齢と成熟度の高い段階では
大人の言う表現の自由と同じ意思と言えると思いますし、いわゆる自己決定権と同義語となると思います。この
権利は、少なくとも自分に影響を及ぼすすべての事柄の決定過程に参加する
権利として、そういう手続的な
意味で特に重要視されなければならないものだというふうに思います。言うまでもなく、
子供はまだ未成熟であります。
伝えられるところによりますと、この
条約に対して
一つの妙な疑義が出されておりまして、この
意見表明権をつかまえて、
子供の
意見表明権は、
大人の
権利よりも優先して
子供の
権利を取り扱わなければならないのだ、だからこの
子どもの
権利条約について一定の疑義があるというような言い方をなされる識者もおられるようでございますけれども、この
条約は決してそうではございません。
発達の程度に応じて
子供の
意見を尊重しろ、
大人が
子供を見て、
子供にこういうことをしてあげることが
権利保障だと
大人が勝手に考えて、
子供を管理したり支配するという結果
子供が不幸な状態になることの決してないように、
子供の
意見を一応聞いて、そして
子供の
意見が生かせる場面においてできるだけ
大人が生かしてやれという趣旨のことでございます。
三番目に、
子供はやはり
子供でありますので、
保護されることそれ自体が
権利の
保障でございます。その
保護につきまして、さまざまな点、特に三十三条以下に、麻薬からの
保護あるいは性的搾取からの
保護等についての
規定がございます。
なお、この
条約は、今
世界に
存在しているさまざまな、先ほど
波多野先生からも
お話がありましたような不幸な状態に置かれている
子供を緊急に
救済ないし
保護しようとするのが主要な目的の
一つであることは否定できないわけでございます。それが
条約を制定してきました客観的な推進力になっていたということは、この
条約がつくられた
国連の審議過程の中にもよくあらわれていることは承知しております。
したがって、この
条約は、
子供の健康や医療等の
社会保障などの一般的な
権利規定に加えて、難民の
子供の
保護、
援助、二十二条、少数者、先住民の
子供の
権利、三十条、障害者の
権利、二十三条、経済的搾取、売買からの
保護、三十二条以下、武力紛争からの
保護、三十八条などについての
規定をも持っているわけであります。
また、この
条約は、
子供自身の生来的
権利、教育については、
子供の人格、才能並びに精神的及び身体的能力を最大限可能なまでに発達させることを目的として
規定する二十九条のようなものもございます。さらに、中等教育の無償化などの
規定を詳細に
規定している二十八条のような条文がございます。
しかも注目すべきなのは、これらが明らかに従来のような、いわば教育をする側から
規定をして、
子供の
権利を受ける
権利として
規定しているのと違いまして、
子供を
権利主体として、教育に対する
権利、教育にかかわる
権利ということから、
子供を
権利主体として
規定しているところにこの
条約の
特徴を見ることができるのであろうと思いますし、したがって、そのような
権利主体としての
子供に遊ぶ
権利等の
規定をしている三十一条なども注目されるわけでございます。
四番目に、これまでの国際
社会が
条約などによって認めてきた
大人の
子供に対する役割を確認することを通して、
子供の
権利を
社会的に
人権として
保障しようとするものであります。
すなわち、この
条約は、
子供の発達のために親及び家庭との関連を重視しまして、
子供は親を知り、親により養育される
権利を七条で
保障し、親の意思に反して分離されないことを九条において
保障し、家族再会のための出入国の自由と
権利を十条において
保障するなど、そして親には、
女性の
差別撤廃条約が採用いたしました子育ての男女平等原則を確認しまして、母親だけでなくて、両親が、両方が
子供の養育及び発達に対する
共通の
責任を有するものとしているわけであります。そして、そのようなことが可能なように、国が親の生活を
援助し、親の
権利保障をしていくということを
規定しているわけでありまして、そういう
意味では、この
条約は、前の
国際人権規約や
女性の
差別撤廃条約の国際
社会における実効性を実質的に補完する役割をも期待されている
条約であるということを認識しなければならないものだというふうに私は思うのであります。
そうでありますと、三番目の大きな柱に入りますけれども、
子どもの
権利条約をこの
国会が
承認し、いずれ
政府が批准をするということになりますれば、従来の
国内法との関係においてどういう関係が出てくるであろうかということであります。
ちょうだいいたしました
児童の
権利条約という外務省からの、
国会に提出された議案及びその附属文書等を拝見いたしますと、
国内法の改正は必要がないというふうに書かれておりますが、私は必ずしもそうは思いません。
まずは、
児童というネーミングをもし使ったままでありまするとすれば、
学校教育法において中
学校の生徒あるいは高等
学校の生徒を、生徒と呼んでおりますものを
児童というふうに
学校教育法を改正して書きかえなければならないということにもなりましょう。全部
お話しすることはとてもできません。私ども、研究をいたしましたもののある部分の成果を一冊の本にまとめてみると、その中に、一冊に全部書き込んでも足りないくらいにたくさんの問題を抱えておりまして、影響は大きいと思います。改正を必要とするもの、あるいは運用によって賄えるもの、あるいは新しい立法を必要とするもの、いろいろな問題を生じてくると思いますが、限定して、改正を必要とするのではないかと思われる幾つかの点だけを申し上げますと、そのほかにも幾つかございます。
例えば、本
条約の第二条にかかわる問題でございますが、民法の九百条及びその取り扱いについて
規定しております非嫡出子の問題でございます。
過日、本
会議において趣旨説明があり、各党からの質問がありましたときに、私は傍聴をしておりましたら、宮澤総理は、非嫡出子は、合理的な届け出主義の婚姻法のもとにおいては、合理的な
差別として考えたらよろしいというような御答弁をなさっておりますけれども、
子どもの
権利条約はそういう趣旨ではございません。
親がどのような、合理的であろうが非合理的であろうが、若干言い過ぎでございますが、合理的であることの方が望ましいことは言うまでもございませんけれども、そこに生まれた
子供の
権利を平等に
保障するというのが趣旨でございまして、非嫡出子について、嫡出子の二分の一の財産分配しか受けられないということを
規定しているような民法
規定については、ぜひともこれは改正する必要があろうというふうに思わざるを得ないのであります。
なお、ほかにも、民法の
規定に、養子縁組の場合に、近親関係の場合には家庭裁判所の許可を得なくてもよろしいというような
規定が
存在するわけでございますが、このような
規定は、
子供を
主体に
権利を
保障するこの
条約の趣旨に合わないということは、これはもう客観的に否定するまでもないことだというふうに思うわけでございます。
そのほかいろいろな
問題点を含むわけでございますが、残念ながら時間がないので、
最後の問題について
お話をしたいと思います。
大学において一時間半ぐらいを単位に話をしておることになれておりますと、どうも十五分というのはとても話しにくいことを、
経験しておって今内心焦っております。
先ほども申し上げましたように、本
条約に関する
政府提出の案に対して、幾つかの問題だけ指摘をするということでとどめさせていただきたいと思います。
まず、
条約の正文が
各国語訳になっておりまして、不幸にも
日本語訳にはなっておりません。したがいまして、議案につけられて、正文と
児童の
権利条約という名前の
条約の訳が出されておりますけれども、そのような
政府訳、これが果たしてこの
条約の趣旨を正しく受けとめた形で翻訳された文章になっているかどうか、
条約の文章がその正文と間違いなく訳されているかどうかということを確認するのは、この
国会でしか方法がございません。ぜひこの点をきちんと
国会で確認をしていただきたいというふうに思います。
そして
一つは、問題は、ネーミングの問題でございます。
先ほども申し上げますように、私は、この
条約は歴史的な
意義を踏まえてこの
条約にネーミングをするとすれば、これは「
児童の」ではなくて、「
子どもの」でなくてはならないというふうに思います。「
児童の」ということであると整合性が保てるというふうに
政府は答弁なさっておることを私は知っておりますけれども、むしろ「
児童の」とネーミングすることの方が、
女性の
差別撤廃条約あるいは先ほど申し上げました
学校教育法などとの関係において整合性が保てないのでありまして、「
子どもの」の方が保てると私には認識できるのであります。
二つ目に、
国内法の改正及び予算措置は不要というふうに外務省の説明文書にはございますが、果たしてそうなんでしょうか。私は、
子供にも知らせるということを
義務づけておるこの
条約の四十二条の趣旨からするならば、予算措置を伴わないでこの
条約をみんなに知らせるというようなことを
責任として果たすということは不可能ではないかと思います。
三つ目に、訳文の問題でありますが、幾つかの問題でその指摘だけをしたいと思います。
一つは、三十条の「原住民」という訳、
政府自身が国際先住民と訳しておりますのに、「原住民」という訳をこの
条約につけておりますのは、いささか不整合性になるのではないか。
二十八条のいわゆる中等教育の無償の問題も、過日の
人権規約の際と訳文が違うのではないかというふうに思います。
四十五条の(d)条項につきましても、私、新聞等で指摘をしておりますように、
国連の
子供の
権利委員会の暫定規則七十一条等との関係において、いささかこれはケアレスミステークが訳文にあるのではないか。
どうもそのようなことを考えてまいりますと、結論的に申しまして、この
条約は、私はこのまま
国会で
承認をされるということに対して大変大きな疑義を持ちます。私は、できることならば、国民の前に恥ずかしくないように、
政府は国民の英知を集めて出し直すか、あるいは、そんなことをしておりますと——もう既に国際
社会では百三十数カ国が署名をして批准をしているという状態でありますので、出されている議案について相当大幅な修正をするというようなことをすべきではないだろうかというふうに思います。決して今までのように、先例でそういうことをしたことがないということにこだわらず、この
国会では、
憲法四十一条に言う国権の最高機関として、そして国の唯一の立法機関として、新しく
国内法として迎える
条約の審議に万全を期していただきたいということをお願いいたしまして、私の
意見を終わります。
永井ですので長くなりまして申しわけございません。(拍手)