○寺田
政府委員 お答え申し上げます。
先生の御
指摘になりましたように、中南米におきましても冷戦の終結というのは大きなインパクトを持ったということ、同じ認識を有しております。
私
ども、やはり二つの要素を常々
考えておりまして、冷戦構造の崩壊というのがどういうふうに中南米に
影響を及ぼし、我々がそれに対してどう対応していくべきかという点が一つ。第二の点は、やはり八〇年代、俗に失われた十年と言っておりますが、そこから何が出てきたか。この二つを常に
考えておるわけでございます。
第一の冷戦構造の崩壊、実はこの冷戦の対象になりました中南米地域といいますのは中米が主たる対象地域であったことは、これはまさに先生も御
指摘になったとおりでございます。かつまた、この冷戦の終結とともに一番最初に平和が戻ってきましたのはニカラグアでございます。これは、当時のサンディニスタ政権が民主的な手続によって政権を移譲することを明らかにした結果、御案内のとおりチャモロさんが大統領になった。一九九〇年四月からニカラグアにおきまして民主的な政権ができた。最後に残りましたのはエルサルバドルでございました。昨年の一月十六日にようやく和平協定が
締結された。それでエルサルバドルにおきましても、国連の監視のもとに和平の
プロセスが始まったわけでございます。
したがいまして、私
どもの対中南米
外交、なかんずく中米地域につきましては、一つはマルチラテラルな形で援助をしていく。これはまさに先生の御
質問の中にございましたPDDの枠内における援助でございます。
日本のみならず、他の工業先進国と力を合わせてこの中米の平和と安定のために
協力するということでございます。
もう一つ、これは
日本がより主体的に動いておるわけでございますけれ
ども、まずニカラグアに対する援助から始まりまして、先ほど申し上げましたように、エルサルバドルにつきましても平和が訪れましたので、エルサルバドルについても積極的に援助する。具体的に申し上げますと、今までエルサルバドルにつきましては、ゲリラ戦といいますか、内戦状況にございましたので、八〇年の初めから大使館を一時閉鎖を余儀なくされておりました。それを昨年の五月に再開する。それから、初めてでございますけれ
ども、
政府レベルの
経済協力の
調査団というものを昨年の七月、エルサルバドルそれからニカラグアに対しても派遣いたしました。
そういう手続を経まして我々やっておりますことは、約一億ドルに近い
経済協力というものを、先般のPDD
東京会議にエルサルバドルのパカス
外務大臣が来日された際に
日本政府として発表したわけでございます。
私
どもの
基本的な
考え方は、こういうふうに冷戦構造が終結して中米に平和が来た、平和が来たときには
経済協力を最大限使うことによってこの平和の
プロセスに寄与する、こういうことでございます。その点は中米においても大変高く評価されておりますし、私
どもといたしましては、そういった中米諸国の期待に沿うように、今後もマルチ、バイ、両方組み合わせて
協力していくということでございまして、これはまさに冷戦構造が終わった後の我々の新しい対中米
外交政策の展開と思っております。
次に、第二の側面でございます。
これは
大臣の御
発言の中にございました、一九八〇年代というのは大変難しい
時代であったわけでございます。
基本的に申し上げますと、一九八二年の八月にメキシコが債務支払いが困難であるということを宣言した。この結果、まさに先生の御案内のとおりでございますけれ
ども、中南米全般に債務危機というのが訪れた。その結果、経済問題というのがある
意味では大変大きな比重を持つ問題になってしまった。そういう
意味で、インフレの問題も出ました。それから債務の不払いの
動きも一部に出ました。そういうことの結果としまして、
日本の中南米に対する
経済協力もテンポがかなり落ちてしまったというのは事実でございます。
しかし、こういった苦しい
時代におきまして新しい
動きが出てきましたのが、まさにこの民主化の
動きでございます。八〇年代にまず最初にペルーから始まるわけでございますが、この十年間を通じて今までの軍事政権が民主化政権にかわってきたということでございます。
そこで、八〇年代について出てきましたことは、一つは、この債務危機を乗り越えて新しい経済改革を実施しようとする国々が中南米の主流を占めた。同時に、それと並行的に、まさに民主化の
プロセスを進めていく、こういうことでございます。
したがいまして、九〇年代になりまして、私
どもの対中南米
外交の柱というのは二つございまして、一つは、こういった
時代の背景に進んでいます中南米の経済開発、あるいは市場経済を目指す彼らの
努力を
支援してあげるということ、それから同時に、民主化へ向けての
努力も
支援する、こういうことが我々の
外交の柱になったわけでございます。
そういうコンテクストにおきまして、昨年の我々がペルーにおきましていろいろと、マルチ、バイの形で行いました
外交努力もそのあらわれでございます。また、この中南米地域、
大臣の御
発言にございましたように、もう一つの要素でございますが、やはり百三十万の日系社会を抱えているということ、これはまさに常に我々の念頭にあるわけでございます。
私
どもとしましては、今申し上げたような新しい国際環境の変化に対応し、今までにないより主体的な、自発的な
外交を行っていく、こういうことでございます。