○
宮里委員 私が
指摘をいたしましたのは、国が国の立場から
沖縄の
基地の
整理縮小を
計画的に求めていかれる、
地元は
地元の立場で率直に
地元の
意見を伝える、これはそれなりに必要だというふうに思います。ただそこで、その
要請の基礎となること、例えば日米安保体制をどうするのかあるいは
米軍基地を最終的にどうしようというのかというような
基本的な部分について全く反対の立場で
議論をいたしますと、相手に通ずることも通じなくなってくる、あるいは誤解を招くおそれもあるわけであります。ですから、こういうときには、
外務省はやはり
地元の
知事に対して踏み込んで
意見を調整しながら、国はこういう形で今アプローチをしている、県もひとつそういうことを心得てこうしてほしいという
意見調整などが必要であろう、私はこういうことを申し上げたわけであります。恐らくこれからもあることでございますから、
地元の意向を尊重しながらも、ひとつ国は国としての立場で物事を整理していただきたい、こう思います。
それから、
佐藤北米
局長はこれまで何度か
沖縄にも来られました。
米軍基地の
実態をよく
承知しておられます。それで、私
どもとも何度か
議論をいたしました。
米軍基地の
整理縮小、特に那覇軍港でありますとか、あるいは嘉手納のマリーナとか、国頭のレストセンターでありますとか普天間の
飛行場の問題でありますとか、個々の問題についても何度か
議論をいたしました。昨年
復帰二十周年にクエール副大統領がお見えになりましたときに、恩納村にありました都市型訓練施設が撤去をされた。副大統領が来てお土産にするには余りにも小さかったという感じもないわけではありませんが、これな
ども局長にいろいろと御尽力いただいたと私はよく
承知をしております。
ただ、
復帰して、もうことしは二十一年でございます。しかも、
沖縄の
米軍基地は
沖縄戦で米軍が
沖縄全域を占領した、そこに勝手に
基地をつくった、対
本土作戦を遂行するための
基地を。後に施政権をその背景にして、さらに土地を強制接収して
基地をどんどん拡張していった。こんな経緯があるわけであります。
基地に対する
県民の思いは非常に複雑なものがあるわけであります。率直に言って、戦後のあの厳しい歴史の中の怨念もこれには含まれているわけでありまして、私は、この辺で、
日本と
アメリカとの外交交渉の中で、
沖縄の
米軍基地は日米安保体制の
もとで将来どのようにしていこうという
基本的な
議論をしてもいい時期になったのではないだろうか、こう思います。東西冷戦構造が解けました。ある程度平和への
期待も膨らんできたところでありますから、この辺で、
沖縄の
米軍基地を将来どのような形にしていく、こういう
議論も必要であろうと思います。これまでもしばしば
指摘をしてまいりました。ハワイには
沖縄の
米軍基地よりもはるかに大きな
基地機能を持った強大な
基地がございます。御
承知のとおりです。ところが、ハワイのワイキキのあたりを歩いてみて、ハワイに
米軍基地があるという感じは全くいたしません。これは、
基地をつくる当初から州民の
生活と
基地とをセパレートいたしまして、両方が平和共存できるような形でつくられたからであります。ところが、
沖縄の
米軍基地はそのようにはなっておりませんで、
先ほど指摘いたしましたように、占領をして勝手に
基地をつくって、使いやすいところに
基地をつくって、それがそのまま継続をしてきた、このような経緯があるわけでありますから、この辺で
整理縮小を図ることがどうしても必要なことであります。そのような意味で、ひとつ御尽力を賜りたいと思います。
もとより、軍用地主の立場から見ますと、今
基地に土地を貸してその地料で
生活をしている、ある意味で
生活が
米軍基地に依存をし切っている、こんなこともありました。
関係地主の中には
基地の返還に反対する人も
かなりおられます。これは御
承知のとおりでありまして、そのために、
復帰のころから返還が合意されていながら現実には返還されていない、返還が実現をしていない、こういうところもあるわけであります。私は、またそのような事情もよく
承知をしているつもりであります。しかし、それにもかかわらず国と国との
関係では、つまり
日本と
アメリカとの
関係では、もう
沖縄の
米軍基地の
整理縮小を
計画的に、ある程度長期的展望を持ってやる時期が来たのだろう、こう思います。そのことについて御所見があれば、伺っておきたいと思います。