○磯村修君 当
委員会でこれまでずっと佐川問題あるいは政治と暴力の問題、政治と金の問題が論議されてきたわけなんですけれども、私の印象から申し上げますと、大変この問題の疑惑というものは深まるばかりで決して晴れた状況にはない、こういうのが私のこれまでの審議の中に加わってきた今日の印象でございます。
竹下元
総理の証言等を聞いておりますと、竹下政権が誕生するに当たって右翼あるいは暴力団の介入があった、当時は知らなかった、しかしその後一年くらいたってからそういう状況にあったということを察知した、こういうふうなことで、その存在が、右翼あるいは暴力団の存在というものがあったということをお認めになる発言と私は受け取っております。
そうした中で、なぜ当時
総理であったお方が敢然としてそうした言われているところの褒め殺しというものに対する対決をしなかったか、これがまず私は非常に疑問に思うわけでございます。今、宮澤
総理が述べられましたように、そういう決意というものは、政治家あるいは
総理のお立場にある方というものは大変強い悪に対する決意というものを持っているはずなんですね。しかし、それに対決しなかったという、大変私は疑問を持つわけなんですね。
それから竹下元
総理が、自分で調査を命じ明らかにすべきということに思いが至らなかったというのでありますけれども、なぜ責任ある立場にある方がそうした問題を察知したときに直ちに事の真相というものを調べでそれなりの対処ができ得なかったのか、私はこういう疑問も持つわけなんですね。
そういう
意味合いにおいて、その当時の元
総理の責任というものは大変重大なものがあると思うんです。それをなし得なかったということは大変重大な責任があると思うんですね。そういう
意味合いにおいても、今日こういう状況の中でも、政治家としてまた当時の元
総理としての責任というものを
国民の前に示すのが本筋ではなかろうか、こういうふうに私は思うわけでございます。
そういう
意味合いにおいても、宮澤
総理はこうした問題に関連した
答弁の中で、
議員の責任というものは選挙民の負託を受け重い責任を持っている、もしその負託にこたえられないようになったときにみずから判断するべき問題であるというふうにお答えになっております。しかし私は、今申
し上げましたように、元
総理が当時なぜその責任を果たし得なかったかという問題、それを今日
国民の前に明らかにし、みずからの責任を示すべきである、こういう考えから、やはりもう竹下元
総理に対する
国民世論というものは信を失っているんだ、こういう立場に立ってその姿勢を示すべきであるというふうに私は感ずるわけなのであります。
そういう
意味合いにおいて、もしどこまでも宮澤
総理は、それはみずからの判断によって決めるべきであるとおっしゃるのであれば、私はやはり宮澤
総理自体が自民党の最大派閥である竹下派という大きな支えをもって今日の
内閣が誕生したということを考えれば、またその責任の一端もあるというふうにもつながってくると思うんですね。そういう
意味合いにおいても、私は、宮澤
総理自体もみずからもその考え、政治家としてみずからに厳しい姿勢というものを
国民の前に示す必要があるんではなかろうかと思うのでありますが、いかがでしょうか。