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下村泰君 私はきょう非常にやるせない悲しい
気持ちなんです。恐らく
竹下さん
自身も情けないお
気持ちじゃないかなと思うんです。本来ならばこういう
お話をこういうところでやるべきような内容じゃないことをやらなきゃならないということに関しまして、大変私は寂しくも悲しい思いをしております。
例えば、暴力団新法というのができまして、「ミンボーの女」という映画をつくった伊丹十三さんが暴漢に襲われて、しかも負傷した。警察の方はこれは法に対する挑戦状だというので必死になって捜索の結果、五人の被疑者が逮捕されました。それと、
国民全部が何とかしてこの暴力団に対抗しなければならないというときにこういう事件が起きて、しかも
総理が誕生するときに、あってはならないような暴力団がこれに関与したという、これはうわさだけでも私はゆゆしき問題ではないかと思います。
恐れ入りますが、過去を振り返りまして元
総理の御
心境をいろいろただしたのがあるんです、ここに。例えば、税制問題等に関する特別
委員会のときに私はこういうお尋ねをしました。「何が動機で
政治家を志したのか、」、その
お答えが、
政治家に、動機と申されますと、私は学徒動員の一番最後の帝国陸軍最末期の陸軍少尉でございます。したがって、復員して帰ります道すがら、今後の
自分の行くべき人生というものを、私は山の中の育ちでございますから、荒れ果てたそういうところを見ながらやはりみずからの生きる道は
政治家だというような
決意をした思い出はございます。それほど肩怒らして言うほどの話じゃございませんが、素朴にそういう感じはございます。
そして、
総理大臣になろうなどと思ってはおりませんでした。今日たまたまこうなっておるということでございます。
そこで私が、
ただ漠然として
政治家になろうと思ったんじゃないと私は思うんです。やはり
総理は
総理なりに何かお考えがあって、
日本という国をこうしたいんだ、ああしたいんだという夢とか希望とかというものはあったと思います。
そこで、その若き情熱と今と、そのときに持っていた
政治に対する情熱と今とどのくらい変化がありましょうか。変化があったらどういうところに変化があったのでしょうか。
それに対して
竹下さんは、
難しい
質問でございますが、やはりその当時は肌でもって
国民大衆と接触しておったということが一番今に比べて。重要なポイントではなかろうか、だんだん長ずるに及びまして、そのことを意識しつつもやはり乖離が生じておるんじゃないかなというふうに思います。
こう
お答えになりました。
そこで私が、「
政治家というのは
国民の目から厳しく問われるのでしょうか。それをお
伺いしたい」、こうお尋ねしますと、
難しく言えば、憲法のもと、国権の最高機関の一人である、
国民の
選挙という洗礼を受けてその地位を獲得した者である。したがって、
国民がみずからの代表であると同時に、ある種の
自分の描く理想像をそこに求める。それと乖離が生ずれば大変な批判を受けるだろうというふうに私は感じております。
こういうお
言葉なんです。これが、
昭和六十三年十二月二日の
委員会のお
言葉です。
そうしまして、今度はリクルートでいろいろ問題がございました。
平成元年三月七日の
予算委員会で私がこうお尋ねしました。「
政治家をやめようと思ったことがありますか。あればどんなことでしょうか。」。そのときの
竹下さんの
お答えは、
これは、倫理綱領ができましたときに、果たして
自分がその倫理綱領の中へ埋没、どっぷりつかっているだけの自信があるかと自問自答したときに、やっぱりバッジを外すべきかな、別の職業を選ぶべきかなと、こういう感じを持ったことはございます。
これが私と
竹下さんの今までの一連の流れの中の
お話の内容なんです。
この最後のお
言葉の中に今の御
心境はどういうふうにあるのか、
お答え願えますか。