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1992-12-17 第125回国会 参議院 国際問題に関する調査会 閉会後第1号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成四年十二月十七日(木曜日)    午前十時開会     —————————————   出席者は左のとおり。     会 長         佐々木 満君     理 事                 尾辻 秀久君                 谷畑  孝君                 荒木 清寛君                 上田耕一郎君                 井上 哲夫君     委 員                 上野 公成君                 大島 慶久君                 北澤 俊美君                 下稲葉耕吉君                 宮澤  弘君                 会田 長栄君                 翫  正敏君                 及川 一夫君                 國弘 正雄君                 田  英夫君                 和田 教美君                 島袋 宗康君    事務局側        第一特別調査室  下田 和夫君        長    参考人        杏林大学教授   須之部量三君        防衛庁顧問    西廣 整輝君     —————————————   本日の会議に付した案件 ○国際問題に関する調査  (二十一世紀に向けた日本責務について)     —————————————
  2. 佐々木満

    会長佐々木満君) ただいまから国際問題に関する調査会を開会いたします。  国際問題に関する調査を議題といたします。  本日は、二十一世紀に向けた日本責務につきまして参考人方々の御出席をいただき、御意見をお伺いし、質疑を行います。  本日は、参考人として、杏林大学教授須之部量三君、防衛庁顧問西廣整輝君に御出席をいただいております。  この際、参考人方々に一言ごあいさつを申し上げます。  須之部参考人西廣参考人におかれましては、お忙しい御日程にもかかわりませず本調査会に御出席を賜りまして、まことにありがとうございます。  本日は、二十一世紀に向けた日本責務につきまして忌憚のない御意見をお伺いし、今後の調査参考にさせていただきたいと存じます。どうぞよろしくお願いを申し上げます。  本日の議事の進め方でございますが、まず、両参考人からそれぞれ二十分から三十分程度意見をお伺いいたしまして、その後、正午までの約一時間程度質疑を行いたいと存じます。  本日は、あらかじめ質疑者等を定めないで、皆様には懇談形式で自由に質疑応答お願いいたしたいと思います。質疑を希望される方は、挙手をお願いいたしまして、私の指名を待って質疑を行っていただきたいと思います。  なお、御意見の陳述、質疑及び御答弁とも御発言は着席のままで結構でございます。  それでは、須之部参考人に御意見をお述べいただきたいと存じます。須之部参考人
  3. 須之部量三

    参考人須之部量三君) それでは、お手元にレジュメをお配りしてあると思いますが、時間が極めて限られておりますので、このレジュメに沿いまして私の考えを若干申し上げてみたいと思います。  もう現役をやめまして大学の教師十年になりますので、いささか講義調になって恐縮でございますが、お許しいただきたいと思います。  レジュメに沿ってまいりますと、二十一世紀といいますけれども、今重要なのは実は一九九〇年代、この十年間が大切なんじゃないのか、その先のことはなかなかわからないというのが正直なところだと思います。  それで、九〇年代の特徴は何かというと、そこに書いておきましたとおり、ひとりではもう生きていけない。つまり、相互依存性が非常に強まった世界、しかも国際摩擦が多い。もう世界が小さくなりまして、国境を越える物とか金、情報、人の交流が非常に多くなります。そうすると、国際理解もふえますが、それ以上に国際摩擦が多い。それから、不透明な、つまり冷戦構造がすっかり崩壊しまして、しかも冷戦というのは自由主義が勝ったんじゃなくて、自由主義社会主義も双方とも、よく言われておりましたコンペティティブデカダンス、競争的堕落、それで社会主義の方がむしろ崩れたということであって、自由主義世界にも非常に大きな問題がございます。したがって、これからどうなるか極めて不透明、それぞれの国が自分の行く道を自分で模索して進んでいくほかない、これが九〇年代の特徴であろうと思います。  そういう不透明な時期であるだけに、日本として重要なのは、日本世界はどういう目で見ているかということであろうと思います。  それで、日本を見る世界の目は、私、いろんな目で見ているわけなんですが、三つだけそこに挙げておきました。  第一が近代日本対外進出。つまり、第二次大戦前日本のいろいろな行動の歴史を通じて日本を見る目が第一。第二が戦後日本経済復興、それと日本を取り巻く世界がどう変わってきたか。第三が世界的な経済格差。その三つでございます。  資料一、二、三とつけておきましたので、資料一をまずごらんいただきたいと思います。  それで、近代日本アジアとのかかわりでございますが、一八六八年に明治維新、それから御存じのとおり朝鮮半島に足がかりをつけたのが一八七八年の日朝修好条規江華島条約でございます。それで朝鮮半島をめぐって、清国との利害衝突日清戦争。そのころちょうどグローバルな意味でのイギリスとロシアとのいろんな衝突等もございまして日英同盟、そしてそれを背景にして日露戦争ということになってまいりました。それで、日露戦争契機として日韓保護協約、当時は李氏朝鮮王朝大韓帝国と言っておりましたので、日韓乙巳保護条約。それから一九一〇年に韓国併合。それで第一次世界大戦が始まって、中国に対する二十一カ条要求というふうに進んでいった、これはもう御存じのとおりでございます。  それで、日本を見る世界の目ががらりと変わってきたのは、私はやはり日露戦争契機としてであろうと思います。殊に日本朝鮮半島への進出、それから中国への進出というようなところから日本に対する不信感が非常に強まってきたと。それが具体的にどうあらわれたかといいますと、そこに書きました一九一九年の三・一運動。つまり、朝鮮における対日独立運動でございます。それから同じく五・四運動中国における国権回復運動というように、アジアにおける民族主義運動が高まってきた。  同時に、国際的に言えば一九二一年、二二年の ワシントン会議。ここで四カ国条約、これは西太平洋の現状維持であると同時に、日英同盟条約がこれで廃棄されます。それから九カ国条約、これは中国に対する日本の単独での進出を抑えるという意味でございます。それから海軍軍縮条約、十・十・六、これも皆さん御存じのとおり。これはいろんな意味がありますが、日本アジア進出にブレーキをかける担保としての意味があったということだと思います。  このころからアジア民族主義運動あるいは世界日本に対するいろいろな不信感、それをめぐって日本国内の国論が分裂いたしまして、どう対処するかということで議論が分かれるわけでございますが、たまたま排日移民法とか世界恐慌もございまして、一九三一年の柳条溝事件、三七年の盧溝橋、その後真珠湾攻撃と進んでいったのは御存じのとおりでございます。  したがって、今からこの流れを見てみますと、やはり一九二〇年、三〇年代に日本を見る世界の目が変わってきたということを日本としてそのとき自覚し、そして、さらに一歩立ちどまってそれからの日本の行く道を考えるゆとりがあれば、私は日本のその後の行き方は違ったと思うわけでございます。  それから、一枚繰っていただきまして、今度は資料の二でございます。  戦後の流れを私なりに分けてみますと、まず占領期、これは何といっても米ソ冷戦が激しくなってまいりまして、一九四九年の中華人民共和国の成立、五〇年の朝鮮戦争勃発ということで、日本に対する占領政策ががらりと変わったということはもう御存じのとおりでございます。  その後、米国の支援を得まして高度成長期ということで、五〇年代、六〇年代は日本経済高度成長を遂げまして、大体六〇年代の末までには日本経済復興が完全に定着したということだと思います。そのころになりますと、今度は日本を取り巻く世界はどうなったか。  そこで、世界経済動揺期、一九七〇年代に入りますと、金ドル交換停止から始まりまして、為替相場変動相場制になる、あるいは中東戦争契機に第一次オイルショックが起きるというようなことで、世界経済は非常に動揺してまいります。日本経済復興は定着した、しかし世界経済動揺期に入る。さらに七九年のイラン革命、それからアフガニスタン侵入、それから二重決定等々で、一九七〇年代は政治的にはある意味でデタントであったのでございますが、政治的にも対立が激化してくるということでございます。  ここで私が申し上げたいことは、世界日本を見る目が一九五〇年代、六〇年代と七〇年代以降とがらりと変わってきたということでございます。ちょうど戦前流れに見合っておるような動きでございまして、今非常な流動化をしておるわけでございますが、世界日本を見る第二の視点というのは、今申し上げましたように、経済は回復して大きくなった、しかし日本を取り巻く世界経済的、政治的にも動揺してきた。したがって、日本に対する経済摩擦であるとか防衛摩擦と言われるようないろんな外圧というのは、皆七〇年代以降、殊に八〇年代に入ってから激しくなってきた。それはそういう背景があると思います。  それから、第三の日本を見る目は、もう一枚繰っていただきまして、資料の三につけておいたわけでございます。これは今からもう十年前のいささか古いものでございますが、一番左をごらんになりますと、一人当たり平均国内総生産の八千ドル以上の豊かな国、これは国数が二十七で世界人口の中に占める割合は一四%、それが世界GDPの六〇%を占めている。それから、一等下の五百ドル未満の一番貧しい国をとりますと、国数が四十七で人口は五〇%、それがGDPの五%しか占めていない。それで、一人当たり平均をとりますと、一等上が一万一千五百二十一ドル、一等下が二百六十六ドル。その相対比一等上を一〇〇とすると一等下が二・三、これだけの格差が生じてしまっている。この点から日本を見る世界の目があるということでございまして、九〇年代に日本として自分の行く道を模索する場合には、この一、二、三というような背景から日本を見る世界の目というものを十分認識した上で考えなければなるまい、そういうことでございます。  そうなりますと、レジュメの一枚目にお戻りいただきまして、じゃ日本課題はどういうことになるのだろうかということでございます。  この点、いろいろな考え方があり得るわけでございますが、いわゆる対外問題、外交というのは、私は氷山の一角であろうと思います。つまり、言うならば国内の基本的なあり方があって、それが外におのずから反映するのが外交本質であろうというふうに考えております。したがって、そういう意味日本課題はどういうものがあるだろうかということを考えてみますと、あえてそこに一、二、三と三つ挙げておいたわけでございます。  第一は、国際摩擦、これから強まるわけでございますが、それとの共存ということでございます。共存に対する言葉は対決でございます。戦前日本国際摩擦ワシントン体制と対決する形で進んだわけでございますが、これからの日本は、まず国際摩擦共存する、対決せず、また摩擦の圧力に押しつぶされるということもないということであるべきだと思います。  それで、じゃ共存するためにどうしたらいいのかということになるわけですが、そこでイロハと挙げておきました。  イは総合的な平衡感覚を持つことでございます。それは具体的にどういうことかといいますと、国際問題というのはすべていろんな立場から検討をしなくちゃならないんですが、突き詰めると基本的に相矛盾する二つ立場があるんじゃないか。第一が国内的立場国際的立場、第二が短期的視点長期的視点でございまして、例えば牛肉の問題とか米の問題なんかをとっても、国内的立場から考える結論国際的立場から考える結論、それから短期的視点に立つ場合と長期的視点に立つ場合、それぞれその結論は違ってくるはずでございます。  そこで、総合的な感覚で相矛盾する二つ立場をどうバランスをとるかということでございますが、結局私は、それぞれの問題の性格にもよりますが、世界における日本の位置づけあるいは現時点において日本を見る世界の目というものをどうとらえるか、それによってどちらの立場、どちらの視点に重点を置いて判断するか、それが基本的な平衡感覚であろうと思います。  したがって、一九五〇年代、六〇年代ならば、日本が例えば国内的立場短期的視点結論を出しても世界は何とも言わないけれども、最近になると、国際的立場長期的視点に立たないと日本が頭を壁にぶつけるというようなことになりかねない。そういう意味で、総合的な平衡感覚を持つことが国際摩擦共存するために必要である。  それから、第二に、日本側経済論理相手側民族心理とのバランスの問題でございます。  日本は今まで何といっても経済論理で進んできたわけでございますが、経済論理というものは、相手側民族心理から見ますと非常に感情的にいろいろな問題を起こしかねない要因を含んでおるわけでございまして、経済論理民族心理とのバランスをどうとるか、これが非常に大きな問題だと思います。  そうなりますと経済本質論に入ってくるわけでございまして、そもそも経済というのは手段なのか目的なのかという問題もございますし、本当に高度成長高度消費大量廃棄経済でいいのか、むしろ安定成長安定消費、少量廃棄というような経済に変えなきゃいかぬのじゃないかというような問題にもつながってくると思います。  それから、そこに書きました「非経済分野における交流」、これが経済分野における交流と量的にも質的にもバランスをとることが必要になってくると思います。経済というのは資本の論理マーケットメカニズムてほっておいても伸びるときは伸びるわけなんですが、非経済分野における交流は意図的、政策的に推進しませんとなかなか伸びません。その意味で、特に非経済分野における交流ということがこれから日本にとって必要なんじゃないのか。  それから、ハといたしまして、日本単一民族国家ではございませんが、単一民族国家的な色彩が非常に強い。システムでも意識面でも制度面でもそうでございます。これからは複合市民社会という要素が急速に強まらざるを得ないし、また強めざるを得ないということになると思います。複合市民社会ということになってきますと、どうしてもそこに書きました「個の尊重」ということが重要になってくるわけでございまして、国際摩擦との共存ということになりますと、実は個の尊重ということが見落とされてはならないと思います。  それから、日本課題の第二でございますが、日本自己主張。これは日本のエゴを主張するというんではなくて、今まで日本の顔がないということをよく言われておりましたが、日本のはっきりした主張を持つべきである。ただその場合に、日本自己主張というのは、ややもすると情緒的特殊性を根拠として主張しがちでございますが、やはり普遍的論理性というものに裏づけられた主張でなければなりませんし、同時に日本ならでは国際的寄与ということがこれから求められるというふうに思います。  それで、冷戦崩壊後は軍事の面は後退して経済が物を言う時期になったというようなことがよく言われますけれども、私はこれから日本に求められるのは広い意味での政治だと思います。つまり、軍事力も結局政治がどう使うかということでございますし、経済についても同様でございます。その点からいいますと、日本政治大国になれということではございません。むしろ、もっと知恵を出して、いろんな問題が起きたときに、こうしたらどうだ、ああしたらどうだという知恵を出して、それについてもし世界関係国のコンセンサスが得られれば、日本として日本に期待される歯車の役目を果たすということだと思います。  この点、私、イギリスなんかのやり方を見てみますと、本当にいろいろと知恵を出す、それが非常にうまいように思います。イギリス以外にヨーロッパもそうでございますが、その点になると日本あるいはアメリカなんかはいささかまだ知恵の出し方が足りないような気がするわけでございまして、日本ならでは国際的寄与ということを考えますと、これから政治というのは要するに知恵を出すことだと思います。  それから、第三の問題として、戦後処理ということが最近よく言われております。ただ、私がこの戦後処理という問題を考えたのは、最近の慰安婦の問題等々ではございません。むしろ韓国とかインドネシアとかアジアの問題をずっと取り扱っておりまして、要するに日本に対する感情底流、それが依然としてまだ根強いものがある、どうしてなんだろうかというのが私の持ってまいりました問題意識でございます。つまり、賠償であるとか請求権であるとか、法的には一応解決がついたはずだ。ついたけれども感情的になお釈然としない底流が非常に強い。どうしてそうなんだろうかというのが私の現役当時から持っておりました問題意識でございます。  ただ、そこで考えてみますと、イに書きましたようにいろいろな問題を考えますと、韓国台湾戦争中また戦前日本の一部でございまして、韓国の方、台湾の方で日本人として戦争に参加した方も決して少なくないということです。中国はどうかというと、中国日本に対する軍事的な脅威であったわけじゃなくて、中国をめぐる日本欧米諸国との利害対立から中国日本軍事侵入したということであろうと思います。それから東南アジアも、東南アジア日本に対していろんな脅威であったということではございません。むしろ欧米諸国植民地であり、また日本戦争遂行に必要な資源を持っておったというようなところから日本が占領したということでございます。  そういうふうにずっと見てまいりますと、韓国台湾に対する日本のいろいろな処理ぶり中国東南アジア、それぞれ先方感情といいますか、基本的には情念の問題、心の問題でございます。それをどういうふうに対処するかということを念頭に置かないといけないというふうに思うわけでございます。  殊に東南アジアとの関係で、そこにサンフランシスコ条約第十四条の(a)の賠償の条項をこの資料の四として一等最後の紙につけておきましたが、これはごらんいただければわかるとおり、元来の英米合同条約案では、賠償はもう日本には支払う能力がないというのが原則として打ち出してありまして、「もっとも」ということで、日本に占領された国は賠償を請求してもいい、ただしそれはむちゃをやるなというようなことが書いてあったわけです。  それに対して、殊にフィリピンでございますが、その他インドネシアもそうですが、東南アジアの国が非常にこれに抗議しまして、そしてこの現行のような第十四条(a)ということになったわけでございます。これは逆にひっくり返って、賠償は支払うべしということを原則にして、ただし余り行き過ぎないようにということになっておるわけでございます。その辺のところがありますものですから、東南アジアあたり賠償はとったんだけれども依然として何か釈然としないという気持ちが残っておるのだと思います。  それで、これにどう対処したらいいか、これはいろいろな問題があるのでございますが、一番基本は、そのロに「古い葉と新しい芽(徒然草)」というふうに書いておいたわけでございます。徒然草の中に、実は、冬が去って春が来るんじゃない、冬がおのずから春になるんだ、古い葉が落ちて新しい芽が出るんでなくて、新しい芽が下からもえ出してくるから古い葉が落ちるんだという一節がございます。これは兼好法師が住んでいた関西方面の常緑樹の落葉と新しい芽を見ればまさにそのとおりでございます。  私もこの問題を考えるときに、古い葉を落とそうとするのか、新しい芽を出そうとするのか、新しい芽が出ないから、つまり日本の新しい姿がはっきりと見えないから古い葉がいつまでも落ちないんだという考え方がとれるんじゃないかという気がしております。したがって、狭い意味での補償という面、これは日本人として戦った韓国人台湾人の方への補償なんかは私はやはり考えるべきであったし、またべきであるというふうに考えますけれども、しかし一番ポイントは、日本の今までの歴史の反省に立っての新しい姿あるいは新しい行き方というものが、アジアの人から見て一向に見えてこないというところにこの問題の基本的な本質があるんじゃないかというふうに私は考えます。  それから、最後に「見蚊抜剣」というふうに書いておきましたが、これは韓国人の私の友人が韓国人向けに書いた本の中で、韓国人日本問題というとすぐ蚊を見て剣を抜く、そういうことはするなということを書いております。つまり、過剰反応するなということでございます。  それで、アジアの問題をいろいろ考えますときに、先方の国にもこのような日本問題について良識を持っている人たちは決して少なくありません。要はむしろ、そこに「迂回的アプローチ」というふうに書いておきましたが、相手の国でそういう良識派の声がどうしたらば出やすくなるだろうか、またそういう声がどうしたらば相手の国の人たちに受け入れられやすくなるだろうかというそういう意味での迂回的アプローチです。そういう点を念頭に置いて日本としてはいろいろ発言もし、また相手と接する必要があるんじゃなかろうかというふうに考えておるわけでございます。  これでちょうど時間になりましたのでやめますが、要するに、レジュメでもう一度申し上げますと、一九九〇年代の特徴はそういうものだ、そういう不透明なこの十年間であるだけに日本を見る世界の目というものを日本は十分に認識すべきで あるし、その認識の上に立って見ると、日本課題としては一、二、三と挙げたような問題が考えられるんではないのかというのが私の申し上げたいポイントでございます。  ありがとうございました。
  4. 佐々木満

    会長佐々木満君) どうもありがとうございました。  それでは、次に西廣参考人お願いをいたします。西廣参考人
  5. 西廣整輝

    参考人西廣整輝君) 西廣でございます。よろしくお願いします。  二十一世紀に向けた日本責務という課題をいただいたわけですが、このことは二十一世紀へ向けての世界グランドデザインをどう描くか、それをどのように考えるかという話と裏腹の問題ではないかと私は考えております。  そこで、将来を展望して、世界グランドデザイン中心課題が何であろうかということを考えてみますと、御案内のように冷戦時代世界の各国の関心事というのは、もう現実の脅威といいますか、核戦争が起きるかもしれない、そういったことで人類が破滅してしまうかもしれない、そういった危機、東西の衝突をいかにして回避するかということがもうほとんどの関心事であったわけです。  ところが、そういう冷戦が終わりまして、今我々が抱えている問題というのは、私は大きく言いますと、非常に長期的なしかも避けて通れない問題と、それから冷戦という非常に長い間続いた割合固定的な世界の仕組みというものが変わった、その変わった直後といいますか、現在、一九九〇年代の過渡的な時代、いわば短期的な諸問題という二つの問題に対応できるものでなくちゃいけない。つまり、ダブルトラックグランドデザインというものを私どもは考えなくちゃいけない。その中で日本が何をするかということではなかろうかというふうに自分なりに思っているわけであります。  そのうち、長期的な根源的な諸問題というのは何かということになりますと、これはこの有限な地球の中で地球環境とどう折り合いをつけながらよりよい生存を達成していくのか、それを確保するのかという問題ではないかというふうに私は思っております。  そして、目下といいますか、一九九〇年代を中心にした過渡的な時代中心課題というのは、やはり冷戦が終結をしてすべての国際関係、これは政治経済も安全保障もすべてでございますが、そういったものが構造的に変化をしている。その構造的な変化をした、つまり冷戦時代の二極対峙による座標軸がはっきりとしたわかりやすい時代から、多軸的といいますか多極的というか、非常に難しい状況になっている。そういった中で新たに生じてきている脅威といいますか、そういった問題にどう対応し、それを次の時代へ軟着陸させていくかという二つの問題を私は考えてみたわけであります。  まず、当面の短期的な諸問題から入りたいと思うんですが、私は冷戦時代は、先ほど申したように、まかり間違うと核戦争にまでなってしまうかもしれない、そういった断崖を背にしたような東西の対決の中にあったために、東西両陣営に所属する国は当然でございますけれども、第三世界の国を含めて非常に自制した格好の時代というのが続いていたと思うんです。それぞれの国が息を潜めてじっと自制をしていた、そういった時代でもあったと思うわけです。ところが、もう冷戦がなくなった、東西の激突というものはないんだということになりますと、その自制というものが外れてしまっている。そこで各国がおのがじし国益に基づいていろいろ自由に行動をしたりあるいは自由に策略をめぐらせたり、そういうことができる状況になってきていると思います。  そういう状況の中で、今、私の専門といいますか私が従来やっておりました安全保障の面から見ますと新しい脅威が出てきている。それは御案内のように、一つは民族であるとか宗教であるとかそういったものに基づく、低いレベルでありますけれども、さまざまな紛争なり対立というものが一斉に噴き出してきている。そういったものがたくさん起きているということが一つあると思います。  もう一つは、世界を二分するような対立というものはなくなりましたけれども、各地域に依然として大きな軍事力を持った国が残っている。そして、その国がどういう意図がははっきりしませんけれども、その地域におけるヘゲモニーを持とうということで、そういった動きが後を絶っていないのではないか。端的な例が、湾岸戦争のときにイラクというあの地域における軍事大国がクウエートを侵略した。つまり、あの湾岸という地域で覇権を握ろうという行動をとったわけでありますが、その種のおそれのある国というものが引き続きまだ残っている。それが周辺に対していろいろな不安を与えているといったような、冷戦時代とはまた違った脅威というものが出てきていると思います。  そして、この冷戦後の新たな脅威についていいますと、アメリカであるとか西ヨーロッパの旧NATO諸国がこれら新しい脅威に対して持っている不安と、第三世界日本も含めての話でありますけれども、それ以外の国がこういった現在起きているような状況に対して感じている不安というものとにはかなり差があるんではないかというふうに私は思っております。  それはなぜかと申しますと、アメリカはもちろん世界的なパワーでありますし、また西ヨーロッパの国々も地域のパワーセンターであるわけです。したがって、先ほど私が申しました新しい脅威というのは、率直に言って、アメリカや旧NATO諸国にとっては、あるいはロシアにとってもそうかもしれませんけれども、死活的な脅威ではないんだろうと思うんです。しかしながら、そうでない国、東南アジアの諸国であるとかアフリカの諸国であるとか中東の諸国であるとか、あるいは日本もそうでありますけれども、その種の脅威もそれぞれの国にとっては死活的な問題であるというところにかなり違いがあると私は思っております。  つまり、ヨーロッパ、旧NATOについて言えば、ワルシャワ同盟というものが崩壊をしソ連邦というものが崩壊をしてしまった、そして東欧という非常に広大な緩衝地帯が生まれているということで、ロシアという軍事大国と西ヨーロッパの間には非常に大きな緩衝地域ができたわけですね。しかも、ロシアそのものがかなり混乱をしている。軍隊も縮小し、組織的にも指揮の面でも非常に混乱をしている。そういう状況下で、ロシアが外に向かって軍事的な圧力をかけるという状況は非常に少なくなっているわけです。これはもうNATO諸国にとって言えば、脅威のほとんどが解消したに等しいんではないかというように思われるわけであります。  一方、クウエートにとってイラクの侵略というものが死活的に重要であったように、その種の国がそれぞれの地域に存在するとしますと、その周辺の国にとっては依然として死活的な脅威というものが残っている。そしてそれは、冷戦時代以上に地域的な覇権を握ろうとしているのではないかという国の行動の自由が出てきているという意味で、決して安全保障上の脅威が消えてしまったわけではないというふうに思われるわけです。例えば、東南アジアとか日本韓国等にとっていいますと、冷戦の終了というのは、脅威の減少というよりも、かえって日本であるとか韓国あるいは東南アジアの安全保障政策のよりどころというものが揺れてきている、失われてしまったのではないかという不安を感じる要因にすらなっていると言えるのじゃないかと思うわけです。  一例を申し上げると、私は韓国を例に申したいと思うんですが、従来、韓国というのはアメリカとの同盟の中で北朝鮮と対峙をしていたわけであります。そして、ある意味ではソ連と対峙をしていた。東西対決のアジアにおける一つの中心と言ってもいいような地域だったと思うわけですが、現在の冷戦が終わった状況で見ますと、朝鮮 半島の南北の対立というのは、極端な言い方をすれば朝鮮という一つの国の中の内政的な対立と言ってもいいかもしれない、そういったものにもう変わってしまっているのではないかと思います。したがって、アメリカの韓国に対する考え方、私はすぐそう変わったとは言いませんけれども、にも随分違いがある。  要するに、東西冷戦下での一つの典型的な地域と考えるか、朝鮮半島国内二つ政治勢力の対立と考えるかによってアメリカの思い入れというものも随分変わってくるわけであります。それは韓国の安全保障政策というものに対して非常に大きな影響を与えていると思います。恐らく今韓国が感じているのは、十九世紀の末ごろと同じような気持ちではないかと思うわけです。それは、十九世紀の末に、東アジアにはロシア、中国日本という三つの大国があって、そのはざまにあって韓国というのは非常に苦吟をしたわけでありますけれども、その状況にまた戻ってしまうんではないかというような不安があると思います。  それと同じように、日本も私は韓国と同じような今立場にあるというように考えております。あるいはまた、東南アジア等におきましても、東南アジアは決してアメリカともソ連とも同盟を結んでいたわけじゃありませんけれども、東西冷戦構造、東西対立という枠組みの中でそれぞれがあの地域に手を突っ込まないという一つの枠組みが固まっていたわけであります。したがって、東南アジアの諸国は余り国防ということにそれほど目を向けなくてもよかった。どちらかといえば、彼らは国内の治安のために軍隊というものを持っていたというような国が多いわけであります。  ところが、冷戦が終わって、アメリカの前方展開あるいはソ連の前方展開というものがだんだんなくなっていく。そういう状況になりますと、改めて自分の国の国家間の安全保障というものを考えなくちゃいけない状況になってきている。そして、例えば南沙列島の問題とかいろんなことが起きてまいりますと、その中でどう対応していくかということを考えなくちゃいけない。という意味で、安全保障の従来当然のものとして考えておりました政策のよりどころである冷戦構造というものがなくなったことに対する不安感というものが出てきているということではないかと思います。その点が、NATO諸国のようにみずから大きな力を持っている国と我々との違いがある。そこを何とかしなくちゃいけないというように思うわけであります。  そこで、さらにそういった状況を加速しているのは、西側の今言ったようなNATO諸国等の主要な国の政策というものが、東という大きな脅威がなくなったことによりまして、それぞれの国が少し内向きな政策をとり出している。安全保障というものについては先ほど申したように、もう彼らにとって死活的な問題ではなくなってきておりますから、それぞれが内向きの政策になってきて、安全保障については幾らか政策の重点が移ってきているのではないかということになります。そういったことも、そういった西側先進諸国以外の国の安全保障というものに対してマイナスに作用するのではないかということが第一点としてあります。  さらにつけ加えれば、冷戦が終わったことによりまして冷戦時代に蓄積をされた膨大な武器あるいは武器技術というものが拡散をし始めている。そして、この拡散はどうも現状ではなかなかとめることが難しいんではないかというような状況になってきておりますが、そういった悪い状況もある。そういったことを含めて、どうこの問題に対応するかというのが私は短期的な問題の非常に重要な部分であるというふうに考えております。  次に、長期的な問題であると同時に、実はこれは現在、現実の問題でもあるわけですが、課題というのは、先ほども申したように、さまざまな不安定なり紛争の根源であります貧困をどう解消していくか、貧しさというものをどう解消していくかということに絡んだ問題であります。その達成のためにあるいはその過程を通じていろんな問題が起きるわけでありますけれども、これをどう解決していくかというのが私は長期的な問題だと思っております。  そして、この問題を一番困難にしておりますのは、やはり開発途上国の人口の爆発的な増加というものだろうと思います。現在、開発途上国の人口増加率というのは年率大体四%ぐらいになっております。ということは、十六、七年で人口が倍になっていくという状況であります。  そういうことを考えますと、これからどういう格好で経済発展していくのかということはわかりませんけれども、仮に世界が今の先進国のようなライフスタイルを追いかけていく。途上国が追いかけていく。そして、世界じゅうの国が現在の日本並みぐらいのレベル、生活水準、消費水準になったというふうに仮定をいたしますと、現在考えられている地球の資源あるいは地球環境との共存ということを考えますと、これはある研究所の研究の成果によれば、地球は三十億人ぐらいしか養えないんじゃないかというように言われております。  ところが、現在もう五十数億、それの倍近い人口になっているわけであります。そして、近い将来百億を超えようかという状況でありますので、今のままでいけば必ずある壁にぶつからざるを得ない。これは避けて通れないのではないかというふうに思われるわけであります。  そして、この人口の増加ということが、よく言われておりますように、森林であるとかあるいは土壌の自然治癒力といいますか、そういう能力を破壊してしまっている、自然を破壊してしまっている。さらに、農村の自給自足体制というものが崩壊をいたしまして、途上国では人口がどんどん今都市に集中をして都市のスラム化というものが起きております。それは途上国の中でありますけれども、同時に、人口が途上国から先進国へどんどん移動をしている。そして、それが途上国の中におきましても政治的あるいは社会的な不安を生んでおります。ヨーロッパその他日本も含めてそうですけれども、北の国にもそういう途上国からの人口移動というものがどんどんふえることによって、政治経済、さらには文化を含めて非常に大きな影響を与えているわけです。これも大変な大きな不安定要因になっているわけであります。  さらにつけ加えれば、そういった人口がどんどんふえていくことによって、保健衛生の問題であるとか教育というもののそれぞれの国のサービスというものがどんどん低下をしていくというような、いろんな問題をこの人口増加が生んでいるわけであります。  そこで、我々としては人口を抑制していかなくちゃいけない。ところが、人口の抑制というのは非常に難しゅうございます。よく言われているのは、女性の識字率と非常に連関性が高いと言われているわけですけれども、女の人の識字率を上げていくということは、結局のところ生活水準を上げていく、経済的な成長をしなくちゃ識字率なんか上がってこないということになるわけです。ところが、経済成長をさせるためには人口の増大がそれを阻害しているというような堂々めぐりのような格好で、袋小路に入っているというのが現状だろうと思います。そういったことで、この不安定なり紛争の最大の根源である貧困の追放というものがかなり難しい問題というか、非常に難しい問題であるということが第一点としてあります。  同時に、仮に途上国の経済成長というものがうまく順調に進んだという状況を考えましても、そこにまた新たな問題があるわけであります。そこで生じるのは、やはりそれだけの多くの人口というものが経済成長していくわけでありますから、今のライフスタイルというものが続くならば莫大なそこで資源の消費が行われる。当然のことながら、この有限の資源というものを考えますと、そこで新たな資源の争奪といった深刻な問題が起きてまいります。それをどうするかという問題があります。それがまた新しい紛争の種になってしまうということがあります。  さらに言えば、途上国もどんどん経済発展をしていく。そして、そこで非常に多くの商品をつくっていくわけであります。現在、貿易等で先進国の中でいろんな摩擦が起きておりますけれども、途上国が発展していくことによってそこでいろんなものが生産をされていく。そうしますと、今度は市場への参入の問題についてもいろんな摩擦が起きてまいります。それをどうするかという問題も当然ございます。そのように、経済成長がうまくいくにしてもまた新しい問題が生まれる。これらはどうも避けて通れない問題ではないかというふうに私は考えております。  そういった短期的あるいは長期的な問題を踏まえて、日本あるいは先進国がどういう責務を果たしていかなくちゃいけないかという問題だろうと思いますが、まず我々がしなくちゃいけないことは、やはり途上国の継続的な経済成長というものを実現していかなくちゃいけないんじゃないかと思います。  先ほど申したように、現在の先進国のライフスタイル、資源なりエネルギーの大量消費型のライフスタイルというものは、アメリカから始まって西欧や日本がそれに追随して達成したものでありますけれども、もう限界が見えているわけであります。しかし、途上国に、あなた方はそういうことをしちゃいけませんよと言って、生活水準の向上をとめることは私はできないと思います。やはり途上国がそれを追求していくことはやむを得ないし、それを応援せざるを得ないと思います。  現に、我々がおります東アジアが比較的冷戦後安定しているというのは、世界じゅうどの国もが国民を豊かにする、生活レベルを上げるということを国家目標の第一に置いていると思うんですけれども、この東アジアの国、東南アジアを含めてそれが順調にいっているわけですね。だからこそ安定をしているわけです。経済的な発展というものが結果的にも順調にいくというためには、国際関係も安定していかなくちゃいけない。そういうことが、東アジアの諸国については皆さんが利害が一致をしている、共通の認識になっているというところが安定の理由だと思います。この順調に進んでいる経済発展というものをとめてしまいますと、必ず安定というものも私は崩れてくると思います。合うまくいっているからこそ、みんながそれで満足しているというところがありますから。そういう意味で、この継続ということは非常に大事だと思います。  そこで、そのために何をするかということになりますが、やはり開発途上国に資金、技術の援助をするということは当然であります。と同時に、やはり経済のあるいは貿易のルールをつくらなくちゃいけない。よく自由貿易ということを言いますけれども、自由貿易、経済の自由な競争というのは、私はある意味ではジャングルのルールだと思います。これは強い者が勝つルールでありまして、それではやはり成り立っていかない。やはり豊かな国、先進国はハンディキャップを負わなくちゃいけないんじゃないかと私は思っております。  そういう点では、途上国も参入ができるような産業というものはやはり途上国に与えていく。それで、先進国は、そういったものは遠慮して途上国から輸入をしてやるとか、そういった途上国が継続的に発展していくようなルールというものをやはり取り入れていかなくちゃいけないのではないかというふうに思っております。同時に、先進諸国間におきましては、より永続性のある、やはり地球環境と調和可能なライフスタイルというものを見つけていかなくちゃいけない、そしてみずからのライフスタイルというものを変えていかなくちゃいけないんじゃないかというふうに私は考えております。  さらに、先進国の間で重要なものはやはり技術革新だろうと思います。  今のままの技術でいく限りは、先ほど申したように環境の破壊とか資源の不足とかいうものが必ず起きるわけでありますから、やはり画期的な技術というものを我々はつくり出さなくちゃいけない。例えばよりクリーンで有限でないエネルギーを見つけ出すとか、そういったことに先進国はもう取り組まないと遅いわけであります。ところが、先進国間では、今のところは冷戦が終わったために、お互いの不協和音が高まっているというような難しい状況にあるということだろうと思います。  最後に、安全保障の問題でありますけれども、冷戦構造という座標軸のはっきりした枠組みから、今多極的な状況になっているわけでありますけれども、やはりこの状況により安定した安全保障の枠組みというものをつくらなくちゃいけないと私は思っております。  先ほど申したように、武器の拡散防止というものは、私はどうもほとんど失敗してしまったんではないか。というのは、東側の国、東側だった国、ロシアであるとか中国であるとかあるいは北朝鮮にとって武器以外にどうも目ぼしい商品がないということで、これはもう引き続き売られるのではないかと思います。一方、西側の国でもアメリカなりフランス等を見ておりますと、あれだけ肥大した軍事産業というものを一挙に縮小することはなかなか難しい。やはりかなりのものが今後とも出ていく、輸出されていくということがあります。  したがって、この武器なり武器技術の拡散防止というのは極めて困難だなというふうに私は思っております。しかし、それでもなお努力しなくちゃいけない、不拡散について。我々としては売り手じゃございませんので、買い手の方にそれを買わさないようにいろいろしていくということにも努力をしていかなくちゃいけないなというふうに思っております。  それから、もう一つ大事な点は、やはり武器を買うということは相互に信頼関係がないからでありますので、信頼醸成の場を創出していくということが非常に重要だと思います。ヨーロッパには御存じのようにCSCEというものがありますけれども、アジア地域というのは非常に広いせいもありますし、各国の関心が散らばっているという点もあってそういうものがないわけでありますけれども、信頼醸成の場をつくるということは非常に重要だと思っております。それは何もアジア全体でなくても東アジアあるいは東南アジア、中央アジアというふうにばらばらでもよろしいわけですが、ともかくそういうものを早くつくっていくということが大事だろうと思います。  と同時に、私はそういった信頼醸成の場というのはお互いの信頼感を生む、あるいはコンセンサスを確認するということは可能でありますけれども、何か起きたとき、あるいは何かを起こさせないためにCSCEのような仕組みが力を発揮するとは思えないわけであります。やはりそういう実際の安定というものを提供するもう一つ別の仕組みが要るんじゃないかというふうに私は思っております。それは最近国連等で言われておりますけれども、国連の平和維持のための新しいいろいろな機能、単に当事国が同意した後の監視とかいうことだけではなくて、紛争を未然に防止するための抑止のための機能であるとか、あるいは何か起きたときに強制的にそれを抑える機能とか、そういったものをやはりつくっていかなくちゃいけないんではないかというふうに私は思っております。  今やはり一番懸念されておりますのは、そういった国際的な平和維持機能なり機関に頼らないで自分の国だけで自分の国を守ろうとしている、あるいは同盟関係等に頼らずに自分だけで国防をやろうとしている、そういった国がやはり今や世界の中で一番不安の種なわけですね。例えばイランがそうでありますし、中国やインドもなぜ余り国際機関だとか同盟関係に頼らずに自分だけでしこしこと軍備を増強しているのかよくわからない。それは何も覇者になろうとしているわけじゃないと思いますけれども、よそから見るとそれが不安であることは間違いないわけです。そういったことがないように、できるだけ国際的な集団安全保障の枠組みの中にみんな参加をしていく、そ れを強化していくということが私は必要ではないかというふうに考えております。  ちょっと時間が長くなって、このあたりでやめたいと思いますけれども、今申し上げたような先進国が力を合わせてしなくちゃいけないこと、その中で特に日本は、日本独自の市場の閉鎖性であるとか、あるいは国際的なさまざまな安全保障の仕組みへ参加することへの非常な消極性というのがありますし、あるいは日本自身の経済活動というものが非常にアグレッシブであって、あるいはシェア拡大といいますか、そういったことで大量消費型といいますか、そういった将来への方向からいえば余りよろしくない方向に走っている。そういったことも含めて、日本自身が改革すべきことがまず非常に多いというふうに考えておる次第であります。  ちょっと話がばらけましたけれども、このあたりで終わらせていただきます。
  6. 佐々木満

    会長佐々木満君) 大変どうもありがとうございました。  以上で両参考人からの御意見の聴取は終わりました。  これから御質疑お願いいたしますが、どうぞ御質問の方は挙手をお願いいたします。
  7. 谷畑孝

    ○谷畑孝君 本当にきょうは須之部先生、西廣先生、お忙しいところ参加をしていただき、また貴重な意見をいただきましてありがとうございました。  両先生にお聞きするんですけれども、今西廣先生の方からもお話があったわけですが、東西の冷戦が終結をし、非常にそういう状況の中でもまた一方では大きな不安が今高まってきている。特にその中では地域紛争も実は多発しておりますし、しかもそういう状況の中で、先生の話では南北問題、とりわけ大事な問題なのは貧困問題であるんではないか、そういうようなお話がございました。だから、そういう意味では、貧困問題をどういうふうにして解決していくかということも非常に大事な問題であるというそういう話であったと思います。  そこで、やっぱり武器の拡散もそうだと思うんですが、私自身、過去三回バングラデシュにスタディーツアーということで、民間のいわゆる識字を克服するためのプログラムを私も一緒になって参加して勉強してきたわけでありますが、三回行ってつくづく思うんです。バングラデシュはODAの中で非常に大きな橋ができたり道路ができたり、私もバンクラデシュへ三回行って大きな橋を渡っているんです。三回行って三回そこへ行きましたけれども、そんなに車が通っているわけでもなければ人も通っていない。しかも、その橋をつくるのには大変な金が要っている。  しかし、片方の識字を克服するプログラムの中に、非常に古い伝統を持った日本のNGOが年間六名で二十人の成人学級を組織しているんです。それが各地域で百四十カ所も組織している。そういう中で例えばお母さん方がいわゆる保健の問題だとか栄養の問題だとかそういうことで活躍されたり、また同時に自立している農民として活躍している。そこに投入されていく資金、民間で行っている六名で二十人の成人学級ができて、そしてその中で先ほど言いましたように鶏を飼ったり牛を飼ったりして、そういう自立的な状況ができ上がっている。片方では何億という橋ができている。  私が言いたいのは、橋をつくることが私悪いとは言わぬのです。大いにインフラを整備して、その国自身が立派になっていくことは非常に大事だと思うんですね。しかし、そこで感じることは、時間が長くなりますのでもう一言で言いますと、やっぱり今先生おっしゃったように、武器の拡散であったりあるいは貧困の問題であったり、南北の問題というのは結局私はODAというものが非常に大事じゃないか。  しかも、ODAがNGOとのかかわりをもう少しクロスしていくような、そういう形をやはり追求していくことが効果が大きいのではないか。NGOではそこの国の自立ということについて協力していくということですから、そういうところの考え方からすると非常にこれから大事な問題じゃないだろうか。そういう意味では、ODAのこれからのあり方というのはまさに大事なポイントではないかなということが一つ。  それから二つ目は、やっぱり外国人労働者の問題で、非常に日本も外国人労働者がふえてきた。最近では、不況ということの中で新たな問題がまた起こってきている、こういうことなんです。  そこで、私東南アジアを回っていく中でつくづく感じたことは、日本の中小企業だって、後継ぎがいなくて、しかも長い間の蓄えてきた技術が消滅してしまう、こういう不安があります。ところが中小企業が海外へ行こうとすれば、今日は海外に行くには輸出入銀行とかも含めて、大体大企業が資源であったり共同開発であったり、そういう資源中心のものについては整備されたと思います。中小企業が海外に行こうとすれば、情報がない、行っても出発後が不安であるという、こういう点があると思うんですね。  そこで結論ですけれども、むしろそういう国際交流をしていこうとすれば、中小企業がもっと行けるようなものにして、そして中小企業の持っているよさ、日本で言えばのれん分けといいましょうか、やっぱり現地の人らと一緒になってしながら、そこの現地のリズムに合うた国づくりに役立っていくような、そういう意味では、海外の労働者が日本に不法でどんどん来るというよりも、むしろ日本の中小企業が出かけていく中でそこの国のやっぱり自立につながって、またそこの地域の雇用も拡大していくんじゃないか。  そういう意味では、ODAの問題は、そういうところにもっと使われていくこと、そこの国自身が自立していくことが大事ではないか。そんなことを最近つくづく思っているものですから、その点についてひとつ、冷戦構造が終わって南北問題も非常に大きな問題になってきている、そういうことの中で私の問題意識でもございますけれども、ぜひその点についてのサジェスチョンなり助言がいただけたらありがたい、こう思います。  よろしくお願いいたします。
  8. 須之部量三

    参考人須之部量三君) 一口で言って私もいい知恵があるわけじゃございません。これだけ問題がいろいろ複雑に絡み合っているときに、どこからどう手をつけていったらいいのか、そしてまたこれだけやればずばりその問題は解決される、そういう方法は本当にないと思うんです。ですから、今までやってきたことをどういうふうに変えていくかという地道な努力をやっていくほかないとは思います。  まず、南北問題の重要性については私も先ほど申し上げたとおりでして、世界経済格差というのは非常に大きくなっちゃっている。それを何とかしないといけない。これが大きな問題であることはもうそのとおりだと思います。それで、ただ南北問題をあれするときに、非常にいろいろあるんです。私アジアで仕事しておりまして、ややもすると、こちらが善意あるいは好意でやっておっても、向こうから見ると非常に内政干渉であり、また強者の論理を振り回しているというようにとられることもありますので、その点は私十分踏まえた上でやらなくちゃならないと思います。具体的に言えば、まずODAの問題。これはもう非常に重要だと思います。  それで、総合的に見た場合、今までの日本のODAのやり方は要請主義、つまり向こうからの要請に基づいてやるということでございますので、それが非常に効果的であったかどうかということになりますと、私は、やはりインフラの建設ということで全般としては大きな効果を上げたというふうには考えられると思います。例えばバングラデシュの場合は、先ほどのお話のような橋をつくっても、その他の経済の一般が伸びなければなかなかそのインフラも生きてこないという面もあるわけでして、逆に言えば、タイであるとかインドネシアとかを見ればインフラが随分生かされて使っている、そういう点はあると思います。  しかし、同時にNGOが非常にいろいろな立派 な仕事をしておられる。これも事実でございまして、最近、私数字は存じませんが、ODAの中でもNGOに割り当てる比率はまだ少ないですけれどもかなりふえてきている、それなりにふえてきているということは言えると思います。  したがって、NGOにもっとてこ入れするということは、それ自体私は賛成でございますが、恐らく私今の日本の行政で一番欠けているのは失敗の研究じゃないかと思うんです、今までやってうまくいかなかったこと。どうしてもやはりいや全部うまくいっていますというそういう態度ばかりとるものですから、むしろ失敗は失敗としてそれを研究してみる。ごく最近ですが、アメリカのチャレンジャーでしたか爆発したのがありましたが、あれがどうして爆発したかというのに米国政府が膨大な調書を出していますですね。ああいうような私失敗の研究というのが日本の行政にまだまだ欠けているのかなと。そういうことによってODAなんかの使い方も改善されるんじゃないかというふうに思います。  それから、中小企業が進出するためにもう少してこ入れできないかと。  これは確かにそういう点はあると思います。ただ中小企業が出ていった場合に、非常にやはりクイックリターンというんでしょうか、すぐ資本を回収できなければならないというような動きを見せることも多いものですから、その意味で私はプラスになる面とマイナスになる面とあるのじゃなかろうか。  それで、基本的になってきますと、日本経済というものはこれからどうしていくんだというところにもはね返ってまいりますので、日本経済のあり方、今までのような高度成長、大量消費、大量廃棄でいいのかという問題にまではね返ってくると思いますが、そういう点も含めた全体図の中でODAの問題にしろ中小企業の進出の問題にしろ考え直さなければならないと思います。  その問題だけを取り上げるというよりも、その底にある問題から掘り返してみるということが必要になるんじゃないのかというふうに考えます。
  9. 西廣整輝

    参考人西廣整輝君) 私の方から気づいた点を一、二申し上げたいと思います。  私は、従来のODAというのは、冷戦時代御存じのようにまさに冷戦の基準で、我が陣営に役立つかどうかということが判断の基準に大部分なった。その中で言えば、日本のODAというものは私は比較的ニュートラルだったというふうに思っております。それはそれで非常によかったんではないかと思っております。  ただ、今の時期になりますと、日本のODAについて言えばもう少し戦略性を持っていいんではないか。それは、先ほど申し上げたように武器不拡散につながるようなものにするとか、あるいは今先生もおっしゃられましたけれども、単にすぐ物をつくってやるというようなことでなくて、教育だとか保健とかそういったサービス面なり、そういったものに力を入れたものを重視していくとか、ODAのやり方そのものについても私は変革の余地があるんではなかろうかと思っております。  と同時に、日本国内の方のことを考えますと、これまた先生も触れられました外国人労働者の問題ですけれども、やはり日本は少し安易に人手が足りなくなかったから入れるということをし過ぎているんじゃないかと私は思っております。実を言いますと、日本自身の労働の生産性というのは、ごく一部の大きな設備を持った生産分野を除いては非常に低い。OECDの中でも最下位に近いわけであります。そういう生産性が低いにもかかわらず、安価な外国人労働者を入れて今の日本国内のシステムを守っていこうというところに非常に問題があるんじゃないか。やはり、日本の中の生産性の低い部分というものはだんだんに変えていかなくちゃいけない。そして、あるものは外国に依存していくということを考えた方がいいんじゃないかと私は思っております。  よくお米の問題等で安全保障のことを言われる方がいますが、現在の安全保障というのは相互依存関係がどこまで深まるかということが安全保障でありまして、何でもかんでも自分でやるということは一つも安全保障にならない。お互いに切っても切れないような依存関係をできるだけ多くの国との間に持つということが最大の安全保障でもあるものですから、そういう点で、現在日本がやっているようなシステムなり体制というものをいつまでも維持しようということで無理をする、そして不足するからといって外国人労働者を安易に入れるというようなことは戒めていかなきゃいかぬのではないかというふうに思っております。
  10. 谷畑孝

    ○谷畑孝君 どうもありがとうございました。
  11. 翫正敏

    ○翫正敏君 翫です。  最初に、元外務事務次官で元駐韓大使をやっておられた須之部さんの方からアジアの対日感情の原因とか底流というそういうお話がありましたので、それについてちょっとお聞きしておきたいんです。  アジア、特に韓国の方の人たちの対日感情がよくないと思うんですが、原因の重要な一つは、一九一〇年の日本韓国を併合したことについて日本韓国の方の考え方が百八十度違っている。日本の方は、これは合法であるというふうに言っているし、そしてそれが日韓条約が結ばれた時点で消滅したという立場をとっている。韓国の方は、もともとこれは不法なものである、不当なものであるというそういう考え方に立っているわけですね。そういう原点のところから違うものでずっとこう感情が今日まで残ってきているんじゃないかというふうに思うんですけれどもね。  それで、日本の方の立場韓国がもともと不法であるというふうに言っているのに合わせようとすると、今まで日本が言っていたことと整合性がつかないので困るというようなそういう整合性の話は別にして、政治の整合性といいますか行政のそういうことは別にして、どうしてまずいのかなというのがよく私にはわからないんですね。それをお話ししていただきたいのが一点です。  それから、では、日本立場でいって合法なんだということになると、日本人であったということも合法であるということになりますね、韓国の人が当時日本人であったということ。そうしますと、今度逆に日本立場からいくと、必然的に朝鮮半島人たちが、南北一緒ですけれども、戦時中日本のために働いたということについては、これは強制であろうがなかろうが日本の国や政府がそれを強要したというこの事実さえ明らかになれば、もう年金とか補償金とか、そういう日本国民に対して払っているのと同じものが全部必然的に支払われなければならないというこういう理屈になるというふうに思うんですね。  そういう入り口のところから不法であるという立場に立つとまた違う考え方が出てくるかもしれませんが、日本立場からいくと必然的にそういうふうにならざるを得ないんでないかと私思うんですが、その点についてはどういうふうにお考えかというのをお話しいただきたい。  ちょっと西廣さんの方も一緒に言いますね。
  12. 佐々木満

    会長佐々木満君) なるべく簡潔にしてください。
  13. 翫正敏

    ○翫正敏君 かなり簡潔にやっていると思うんですが、西廣さんに聞きたいのは、国連の平和維持機能のことについて、防衛庁の顧問の方ですから、今後は未然防止型とか強制力を持つような形になっていくだろうということをおっしゃったんですが、そのことは最初の部分におっしゃった短期的な対応ということと長期的な対応、長期的なもので一番重要なのは貧困の解決であるとか新しい紛争の種を摘んでいくといいますかなくしていくというような問題、短期的には民族問題や宗教問題、そういう問題にどう対応していくかという問題だというお話をされた。  この国連の平和維持機能の問題を未然防止型とか強制力を持つような方向に持っていくというようなことは、最初におっしゃった短期的な問題、長期的な問題ということの中ではどのように位置づけられるのか、それをお話ししてください。  以上です。
  14. 須之部量三

    参考人須之部量三君) 一九一〇年の条約でございますが、実は韓国の対日感情底流がいつまでも、もう毎日毎日すぐかみついてくるわけじゃないんですが、その底流が強いのは基本的に条約の解釈の問題、それが問題としてあるのは事実でございます。  要するに、一九一〇年に併合されたときに大韓帝国という独立国だったわけですね。李氏朝鮮朝は五百年間の独立国。その前の高麗が四百年。その前の統一新羅が百年以上で、つまり千年の独立国だった国が主権を奪われたというところが一番基本にあるわけでございまして、第二次大戦植民地から独立した国たくさんありますけれども、植民地になったときに独立国であった国というのは韓国しかないんです、世界の例で。  ですから、そこのところが一番基本になるわけでして、それで日本人の若い人はもうそういうことも全然知らぬわけですね。ですからそこでいつも感情論が出てくるんで、今の法律の問題は一つの議論でありまして、一般の韓国人がそういうところまで余り実は意識していないのが現状だと思います。むしろ、独立国であったのが主権を奪われた、それが一番根本だと思います。  それから、条約をどうするかということになりますと、もしこれが初めから無効であったとすれば日本植民地時代にとった措置についてすべて補償しなければならない、いろんなとった措置が全部無効になるわけですから。そうすると、それをどうするんだという非常に大きな問題が出てくる。それが条約はもちろん有効だということを日本側主張する一つの、実利実害という面からいいますとその点があるんだと思います。  それから、日本人であったときの補償の問題。これはやっぱりやるべきであったし、もし今からでも考えられるならやっぱり考えるべきじゃないかというのが私の個人的な意見でございます。実はタンガニーカ、今はタンザニアになっていますが、第一次大戦後は英領植民地でしたが、その前はドイツの植民地。それで、したがって第一次大戦のときはドイツ軍等に入ってタンガニーカの人が働いたんです。その人たちに今でも年金を、もう人数は非常に減っておりますけれども払っているというふうに私は聞いておりますし、やはりその点は今からでも日本として考えるのが筋ではないかというふうに考えております。
  15. 西廣整輝

    参考人西廣整輝君) 私、短期的という言葉を使ったのは若干誤解を与えたかもしれませんけれども、私が申し上げたい短期というのは、半世紀近く続いた冷戦構造というある意味ではしっかりした枠組みというものが今一挙に崩壊をして、次の国際的な各種の政治経済、安全保障についての枠組みが確立するまでの過渡的な期間という意味で申し上げて、そしてこの過渡的な期間というのは決して二年とか三年とかというような短いものではなくて、十年二十年、それができるまでにかかる相当長い過渡的な時期があるんじゃないかというように私は思っております。  その中で、私が貧困の解消と安全保障という二つの例を出しましたけれども、これの状況というものについては、南北の格差ということで考えれば時差があるんじゃないかと思うんです。例えば経済が発展していくというスピードと南北間の軍事力格差の縮小というものと時差がある。現在武器の拡散等が非常に急激に行われておりますし、特に先進国は今軍備をふやそうだとかあるいは近代化しようという気持ちがずっと落ちておりますから、そういう点でどんどん追いついてくる。  そういう点では、軍事力格差の縮まるのが非常に速い。一方、経済格差の縮まるのには非常に時間がかかるということで、そこがまた危険の原因でもあるわけですね。なかなか経済的には追いつけない。うまく自分たちが考えているようにならない。そこで手っ取り早く力を使ってしまおうというようなことになりかねないわけでありますが、そういう意味でそこに時差があるということを少し申し上げたいと思います。  それと、もう一点つけ加えますと、安全保障の枠組みにつきましても、例えば国連なら国連の仕組みというものが私は一挙に完成された形で出てくるとは思いません。現在、冷戦時代よりは国連の力というものが徐々に上がってきてはおりますけれども、国連が地域的なあるいは世界的な安全保障の確固とした役割を果たすにはまだ相当な期間がかかるんじゃないかと思うんです。  今までの経過を見ましても、湾岸戦争そして今度のソマリアとかユーゴスラビア等の状況を見ても、結局のところ、まだまだ国連ではなくて、アメリカがどうするかというようなことの方が大きくきいてきているわけですね。ところが、アメリカがやるかやらないかということは、もちろん国連の協賛の中でやるわけですけれども、アメリカの国益にそれが合うか合わないかということがやはり相当重要な部分を占めるわけです。湾岸のように石油の資源をたくさん持っているところであればアメリカはそこだけに介入するかもしれない。  それで、ソマリアになぜ介入したか、ユーゴになぜ介入しないかということになると、それはアメリカの国益にどこまで関係があるかということと、どの程度たやすくて易しいことかどうか、どれだけこれがアメリカのプレステージを上げるのに役立つかというようなことによってやはり判断されることになるわけですね。そうでないように、まさに本当の意味で公正な国際的な機関が判断をし行動をしていくようになるには、いろんな仕組みをこれからつくっていく必要がある。それには相当時間がかかるんではないかというふうに私は思っております。  ですから、短期と申し上げたけれども、数年ででき上がるとかそういうものじゃないんじゃないかと思っております。
  16. 翫正敏

    ○翫正敏君 わかりました。
  17. 下稲葉耕吉

    下稲葉耕吉君 ODAの話が出ましたので、一言付言させていただきます。  実はこの調査会の前身でございます外交・安全保障調査会で六年前にODA問題を取り上げました。和田先生、上田先生いらっしゃいますが、大変な論議を重ねていただきました。与野党いろいろ意見はございましたけれども、最終的にはこの調査会意見をまとめて、そしてそれが参議院の決議として本会議で決議されたいきさつがあるわけでございまして、あの内容を見てみますと、今でも私はあの精神というものが基本にあるんじゃないか、もう少しあの中身を具体的に実現すべくお互いに努力しなければならないんじゃないかというふうな感じがするわけでございます。  そこで、日本のODAが始まりましたのは、私の記憶によりますと昭和二十九年から始まっていると認識いたしております。最初は本当にわずかでございました。そして今日までまいりまして、今や世界のトップの援助国になっているというところまできているわけでございます。その長い歴史の過程で、日本のODAそのものもいろいろ変わってきているし、理念なり哲学というものも変わってきているし、それから実際のやり方も変わってきている。  昭和二十九年以降というのは日本もやはり復興の途上にあったわけですから、外国に協力すると同時に日本自身の復興も考えたいというふうなことから、いろいろな問題もあっただろうと思うんです。しかし、そういうような意味でタイトな協力というのが多かったと思うんですが、だんだん日本の国際的な立場というものも上がってきています。現在の実績を見てみますと、やはり私はやり方は相当うまくいっているんじゃないだろうかと。中にいろいろ問題ございます。  先般、参議院の派遣の調査団といたしましていろいろ参りました。その中でエジプトへ行きました。エジプトで、先ほどバングラデシュですか橋の話が出ましたけれども、あそこではオペラハウスみたいなものをつくりまして、それが大変いろいろ評判になって、参議院でも問題になったように聞いているんですけれども、あれはあれでエジプトの文化の向上に大変機能しているという事実もございます。  片や、あのピラミッドの近所の町に上下水道を 完備するためのポンプ場をつくったり何だかんだいたしまして、十万人ぐらいの人たちが大変喜んでいる。日本通りという名前までできている。さらに、それを援助するために今度も政府は予算を組んでいるようでございます。あるいはカイロ大学に行きましても、あそこに小児科病院をつくりまして、ほとんど日本の援助とそれから技術援助。日本のお医者さん、看護婦さんがおられるわけでございまして、そういうふうな人たちが中心で、あの貧しい国で心臓の小児科の手術をするのに二年待たなくちゃならない、しかしもうそれがなければ大変だというふうなことでございまして、大変な役割を果たしているなという感じを持って実は十月帰ってまいったわけでございます。  そこで、ODA全般を考えてみますと、今申し上げましたように金額が大変ふえている。NGOに対する支援も、たしか私の記憶が間違いなければ二年前からODAの予算の中に組み込まれてきている。これも年々歳々ふえる方向にあるわけでございますし、我々の努力でもう少しふやさんといかぬ、このように思います。  ただ、ODAの現場について、できるだけ私も現地へ参って拝見したりいろいろ議論もしているんですが、最大の問題はやはり援助体制が大変弱い。大変弱いものですから、金額はふえるから余り人手のかからないようなそういうふうな援助がこなしやすいと言ったら言葉は悪いんですけれども、そういうような結果になっているんじゃないかという感じがするんです。もちろん要請主義とかなんとかということもだんだん、要請主義とは何ぞやというふうなことから始まりまして、実際はその被援助国の人たちの自助努力を助けるということが援助の本質だろうと思うのでございます。  そういうような意味須之部参考人にお伺いしたいわけですけれども、現在JICAの体制は千名そこそこだと、これも若干ずつふえている程度ですけれども、諸外国のそれに比べますと圧倒的に少ないんじゃないかというふうな感じがします。だからそういうふうな意味で私どもも頑張りたいと思いますが、実態として須之部参考人よく御承知のことだと思うし、どの程度人たちをどういうふうな形で充実することによって、今、日本世界日本のODAに期待しているような体制ができるだろうか、私は、これは基本的に大変大事なことだと思いますので参考人にお伺いしますと同時に、皆様方のそういうようなことに対するお力添えなりなんなりというものもお願いせぬといかぬのじゃないかな、このように思います。  以上です、
  18. 須之部量三

    参考人須之部量三君) 実は今御指摘のとおりでございまして、これはOECD、DACなんかでもしばしば指摘されているんですが、日本の場合は金に応じた援助体制ができてないということがしばしば指摘されておりまして、ごく最近出ました報告でもそれが出ておるはずでございます。  もっと具体的に私が耳にします問題点でございますが、まあ全体の体制が何名ぐらいになったらいいかということもございますが、二つ問題があるようでございます。  第一の点は、各在外公館あるいは東京の本省等々でも、経済協力をやっている本当の専門家というのは案外いないわけでございます。殊に外へ出ている経済協力担当官というのはそのために特別に訓練された人が出ているわけじゃなくて、それぞれの、大体はもう各省の方ですけれども、各省で一般的な仕事をしておられた方が外に出られて経済協力を担当するというような仕組みになっている。それが、もっと端的に言えば、専門家を育ててほしいというのが一番強い希望だと思います。  それで、じゃ専門家をつくるのにどうしたらいいか。これはなかなか日本の行政組織というのは難しいわけでございまして、一つの狭いフィールドだけの専門家をつくるというのは、いろんな昇進の問題とかも考えますとなかなか難しい点があるんですが、しかし、いわゆる研修システムというものをもうちょっとはっきりさせて、要するに経済協力を担当する人間、専門家を養成する、繰り返しになりますが、それがまず第一点だと思います。  それから第二点は、ドイツのこういう援助のあれとか、殊に米国のなんかを見ましても、いわゆるアカデミックな学問よりも、もっと実務を含めてなんですけれども一つの教育のシステムができ上がっているんです。これが日本には全然ないというのが非常な問題でして、要するに、日本の大学で教える開発経済学、開発政治学等は実は余りにもアカデミックになってしまって、現場では余りすぐ役に立つというわけにはいかない。  それから、それに対してドイツの一つの例ですが、プロジェクト・サイクル・マネジメントといってPCMという手法があるんですが、これなんかはドイツで開発されたんですが、これあたりは非常に具体的に、つまりODAのプロジェクトをどうやって開発し、それをどうやって発展させ実施し後で評価するかというような一つの手法がございます。そのような手法が日本ではまだ開発されてないというような面がございます。  したがって、この人材の育成、それから数の問題はもちろんですけれども、その質の育成、人材の育成の問題、どうやったらそういう人材を育成できるかというその教育といいますか研修の手法の開発、それが一番望まれているんじゃないかというふうに私は感じております。
  19. 國弘正雄

    ○國弘正雄君 國弘でございます。  両次官に御質問したいんですけれども、ただ、私のきょうこれからの御質問はお二人が論じられた主題とやや外れるかもしれないということを承知の上で、あえてお伺いしたいと思うんです。  それは、近未来における米中関係をどのように見ておいでになるかということなんです。私自身は、米中関係はクリントン・ゴア新政権の登場とともに劣化の方向に向かうだろう、つまり悪くなっていくだろう、よくなっていく材料が余りないんじゃないかというふうに考えています。  米中関係が悪くなると、てきめんに困るのは我々だろうと思うんですね。日米関係というのは我々にとって非常に大事な関係であるし、同時に中国との関係も我々にとって非常に重要な関係である。ところが、その肝心の米中がいろんな理由がありますけれども悪くなっていくとすれば、困るのはあちらを立てればこちらが立たず式の立場に追い込まれる日本だということが言えると思うんですね。  そういう米中関係の劣化をいわば利用するというとおかしいんですが、その両者の間に立って時の氏神を買って出るだけの心構えとか力量とか経験とかいうものがもし我が方にあれば、それは一つの新しい機会を提供してくれるということだろうと思いますし、それによって日本外交が重きをなすということもあろうと思うんですけれども、正直言ってそれだけの覚悟ないしは力量はお互いの間にないのではないか。そうすると、あちらを立てようとしてこちらが立たなかったり、こちらを立てようとしてあちらが立たなかったりして、両者のはざまにおっこっちゃって右往左往するというぶざまなことになりかねない。私はそれを非常に恐れているわけです。  どう考えても、私は米中関係がよくなる方向にないというふうに思います。これは人権問題というようなものがいまだに後を引いているということもございますし、それから、先ほど西廣次官がおっしゃった中国自体の軍事力強化路線というようなものが明らかにあたり近所に対していろいろな波紋を呼んで、それがアメリカとの関係にも広がっていく。  こういうようなことをいろいろ考えて、米中関係はよくならない、風雨強かるべしという感じなんですが、その際に、日本は一体どうしたらいいのか、何ができるのか。どのようにそのあたりを見据えておいでになるか、両次官の御意見をぜひ伺いたいと思います。
  20. 須之部量三

    参考人須之部量三君) 実際、米中関係がこれ からどうなるかというのは確かに頭の痛い心配される問題でございます。人権問題にしろ武器輸出の問題あるいは貿易問題等々もございますし、それから台湾問題をめぐっても非常に、なりかねないので、これは一番私も心配になる問題でございます。  それで、その間に日本がどういうふうになるかということでございますが、私はアジア全体を通じて見たときに、依然として反植民地主義的な底流は相当強いので、人権問題ということを米国から言われたときに、リー・クアンユーさんなんかまさにそうなんですが、非常に反発しやすいという面がございます。それで、日本でできることは、やはり日本日本国内で人権問題についてまじめに努力する。中国に対しては日本もこういう問題を抱えて一生懸命やっているんだから一緒に苦労しようじゃないかということが言えるようになれば、私は日本発言力は中国に対してだんだん強まっていくと思います。  ですから、なるべく真ん中に落ち込まないようにするためには、中国に対する日本発言力も強めていくためには、日本国内でのいろんな人権問題も含めましてそれにどう対処するかということ、その覚悟がないとどうにもならなくなるんじゃないんでしょうか。どう対処するかは、米国あるいは中国に対してどういう理屈で相手を納得させるかというよりは、そういう問題について日本国内で何をやっているかというその実績が物を言うというふうに私は考えております。  しかし、この問題は、本当に米中関係というのは大変なことになりかねないと、日米関係自体が難しくなるにかぶさってこの米中関係がくるものですから、難しい。この数年間大変なあれだと思いますね。ですから、私は、日本国内における地道な実績の積み重ねということが最も対外的に物を言うときの手がかりになる、そんなふうに考えております。
  21. 西廣整輝

    参考人西廣整輝君) 直接的なお答えになるかどうかちょっと疑問なんですけれども、実は私は数年前、まだ現役のころでありますけれども何度も何度もアメリカに、例えば中国、例えばロシア、あの当時はソ連でございましたけれども、あるいはある地域について、その地域がどうなってほしいのか、あるいはその国がどうなってほしいのか、そのために我々としてどういうことができるか、それをどういう負担でやっていくのがいいかと、その種のストラテジックなダイヤル、要するに戦略調整というものをやりましょうということをしきりにアメリカに言ったことがあります。  その際に、最後、当時スコウクロフトという安全保障担当補佐官ですが、彼が言ったのは、私はまさにそのとおりだと思うんですけれども、例えば中国のような国は非常に伝統もあり大変大きな国で、よそから手を突っ込んでああしろこうしろと言ってもそう変わるものではないんで、やはり中国そのものの国民がどうするかということによって決まっていくんで、はたからいろいろ言って直ちにどうなるものではない。しかし、その中でもやはり望ましい方向に行ってもらうためにできることがあるだろう、中国についてやりましょうということを向こうが言い出したわけです。ところが、その後湾岸戦争なんか始まってうやむやになってしまったわけですが、私はアメリカの中にもそういう考え方の人がたくさんいると思うんです。  私は、これは何も中国だけではなくて、ロシアについても同じことだと思うんです。ロシアもやはりはたがどう言ったからといってすぐ変わるものじゃない。今、アメリカにしろ西ヨーロッパにしろ、ロシアに対してどういう援助をしようとか、えらい性急なことを言っておりますけれども、そう簡単にロシアが変わるものじゃないと私は思っております。  ですから、その点アメリカにもばらつきがある、考え方にですね。ロシアに対する思い入れと中国に対する対応と、少し違っているように思うんです。どちらも私は同じように、その国の国民が自分たちで取り組まなきゃそう変わるものじゃないし、はたが少々お金を援助したりあるいは文句を言ってみても、すぐ変わるという代物じゃないと思うんです。その点は、ですから私はまず日米間、あるいは日米間だけじゃなくてECの主要な国々等と、ある国なり地域についてあってほしい将来の方向なり、それに対して何ができるかというようなことをまず相談するということは非常に大事なことじゃないかと思っております。  いずれにしましても、先ほど来申しているように、あちらを向けこちらを向けというような、要するに内政干渉をやるわけにはまいりませんし、そういうことはできないと思っております。  今、先生がおっしゃられたようになかなか難しい話でありますし、中国の方も私は今の状況というものをそう急激には変えないと思うんですね。御案内のような今経済的なレベルにあるわけです。日本人口の十倍ありながら、国民総生産からいえば日本の十分の一近いところでありますから、それだけであれば非常につまらない国になってしまうわけです。  にもかかわらず、これだけの政治的な発言力を中国が持っているということは、彼らがあれだけの人口を持ち、そして軍事力を持っているから今の国際的な地位を占めているわけですから、そういった状況を中国がそう変えるわけがないと私は思っております。もし変えるとすれば、中国人口並みに世界の二〇%近い経済力をつけたときだろうと思うんですね。だけれども、そういう状況になるのはまた難しいんですけれども、それまで中国に急に変われといっても変わらないということで、要は、やはり中国自身が行き詰まって何か冒険主義に出ないような形にさえしていけばいいんで、余り中国をこうしようああしようという気持ちを持たない方がいいと私は思っております。  お答えになってなくて恐縮です。
  22. 上田耕一郎

    上田耕一郎君 須之部参考人西廣参考人、ありがとうございます。  二つお伺いしたいと思うんです、多少私の意見も交えながら。  第一は、二人ともお触れになった冷戦構造の崩壊に関してなんですけれども、私も、四十年近く続いた米ソ中心の核戦争の危険を含んだ核軍拡競争の時代、これが破綻して新しい時代に入りつつあると思うんです。確かに構造は崩壊したけれども、どうも冷戦政策をアメリカがとっているということが、これは終わってないんじゃないか、そう思うんですね。  二、三年前のアメリカの国家安全保障戦略で、アメリカの軍事力行使の対象は今後ソ連ではなくて第三世界だというのを非常にはっきり書いてあるんですね。それで、また大問題になったペンタゴンの内部文書の国防計画指針というのがありますね。ああいうのを見ますと、やっぱり第三世界に向けて、非常に紛争が多発しますので、そこに対してかなり冷戦的な、いかなる大国、いかなる挑戦も許さないという、そういう政策が実際にはとられ始めている。  西廣さんが触れられた国連のPKO問題でも、予防PKO等々そういう動きがあるし、国防計画指針には、集団的行動がうまくいかない場合アメリカ独自に行動するということを言って、ガリ国連事務総長はこれは国連の終わりだと言って心配したなんというのがあるんですけれども、そういう危険がクリントン新政権のもとでどうなのか。アメリカのそういう安全保障戦略方針などそういう冷戦的なものの継続、この危険があるのではないかと私思っているんですけれども、その点についてひとつお伺いしたいと思うんですね。  二番目は、お二人のお話で、一種の戦後期のような今の激動期で、南北問題が非常に重大な軸になるということがやっぱり共通して浮かび上がったと思うんですね。地球サミットを見ても、かなりやっぱり重要な内容の一つは南北問題ですからね。  配っていただいたお二人の書かれたものを拝見しますと、須之部参考人は入亜大欧、アジアに入りヨーロッパに入ると。これが必要だというふうにお書きになっているんだけれども、それから、 きょうもアジア諸国との共存の問題触れられたんですが、本当にアジア、南に日本が入れるのかどうかということがやっぱりあると思うんです。  この間ジャカルタで非同盟諸国首脳会議が開かれて、これは一時アルゼンチンが脱退したりして非同盟の路線はもう破綻かと言われたんだけれども、そうじゃなくて、かつてない百八カ国集まった。フィリピンを初め七カ国の新しい参加国があった。フィリピンは今まで米軍基地があるので入れてもらえなかった。ところが、御存じのような米比安全保障条約廃棄しましたので、非同盟諸国首脳会議に入ったと。  そこで出た呼びかけを読みますと、やっぱり非常に自信を持って非同盟の路線というのは正しさが確認されている。この路線の上に新しい世界秩序をつくるというんですね。だから、やっぱりアメリカの新世界秩序の路線に対してはかなり批判的な討論や、それから結論が出てきているんですね。  私、思うのは、やっぱり日本も本当はこの非同盟諸国首脳会議に参加して、それこそアジアに入る、南に入るということになると思うんです。非同盟諸国は南の集まりではあるんだけれども、日本は発達した資本主義国で北の国だけれども非同盟になれば入れるんですよ。障害はやっぱり安保条約にあるのね。今、安保条約は、アメリカの冒頭述べたようなことで前方展開の拠点となっていますから、下手をすると、第三世界に対するアメリカ的政策のある拠点まで日本がそれに協力させられる。カンボジア問題なんかそうだと我々見ているんですけれども、そういう危険がある。  かつて進藤榮一教授は、この調査会にお出になって、ソ連がもうなくなったんだから安保条約はなくすべきだとお述べになりましたけれども、私もこういう安保条約をやっぱりなくして非同盟の路線を日本がちゃんととると。そうすると、北に属する国でも非同盟諸国首脳会議に参加できる資格ができますからね。もちろんアメリカとも対等、平等の立場をとって、日本が非同盟諸国首脳会議に入りますと、これは非常に大きな世界情勢を動かす力になるんじゃないか。  それで、私は、今のこの激動期に日本の進路に対して非常に鋭く問われている問題ではないかと思うんですけれども、これは二番目の問題で、お二人にその二つの問題についてお考えをお聞きしたいと思います。  かなり意見が違うでしょうけれども、結構ですから、どうぞ。
  23. 須之部量三

    参考人須之部量三君) 最初の、第三世界に向けての冷戦的発想を米国は持っているんじゃないか。  これは、冷戦的というのか、それとも冷戦後の今までと違った形の紛争が依然として発生しそうなんでそれにどう対処するかという発想なのか。私はやっぱり後者じゃないかと。したがってそれを冷戦と言うかどうか、これはいささかちょっと表現の問題もございますし、それから内容的にも、当時の米国がいわゆる冷戦で考えておった措置とは違ういろいろな措置が考えられるんじゃなかろうかというふうに考えます。  第三世界におけるいろいろなローカルな紛争が起きるのを何とかしなくちゃならぬ。これについては、私は日本も同じ考えであるべきだと思いますし、その意味で日米間の両方の考え方を調整することは可能でもあるし、また調整すべきだろうと思います。  それから非同盟の内容、これは、今度のインドネシアで開かれたのを見ても、非常に現実主義的になってきたというむしろ印象でございまして、世界のいわゆる先進国に対する初期のころのような敵対的といいますか、それを批判するという態度よりは、むしろ一緒にやっていこうという空気が強まってきたのが今度のインドネシアの首脳会議じゃないかというふうな印象も私は持っております。  日本が入るかどうかということになると、向こうがまだまだ入れてくれないかもしれません。むしろそれよりは非同盟諸国といろいろと協調関係、協力関係を強めていく。これはもちろん必要なことでございますので、その組織、同盟に入るか入らないかという問題を離れて、非同盟諸国と事実上協調関係を深めていくというラインで考えていけばいいんじゃないのか。  それから、日米安保条約廃棄するかどうか。  私は、どうもやっぱり日英同盟というものが廃棄された後の日本の動き方が非常に不安定になったことを考えますと、やはり今そのことを考えるのは時期尚早ではないかというふうに私は考えております。
  24. 西廣整輝

    参考人西廣整輝君) まず第一の問題につきましては、私はちょっと少し違った見方をしておるんです。  この冷戦という非常に長い期間を通じて、主要な国がともかく軍事について、技術の粋を尽くし国力を傾けて、長い間対峙をしてきたわけですね。そして、そういった中を通じて、もともと戦争という手段に訴えるということはトータルでマイナスサムの話なんですね、戦争というのは御存じのように。そういうことに私は気づいたと思うんです。だからこそ冷戦で終わったわけですね。戦わずして終わったんだろうと思うんです。  ところが、またそれに気づいてない国がある。それが南に私はたくさん残っているんだと思うんです。端的な例がイラクであります。イラクは自分でこつこつと経済建設をやるよりも、隣の豊かな国をとってしまえばその方がプラスだと、軍事力を使ってもそれが十分賄えると。こういう国が残っているということで、これからは南が問題であるという意識じゃないかと私は思うんです。恐らく歯も、自分が発展をしていき、戦争をすることによってみずからの国も破壊をされるということを考えれば、武力に訴えて自分の国の発展を図っていくというような考え方世界からなくなっていくと思うんですけれども、その点主として南の方に、まだ戦争が十分ペイするものだと考えている国が残っているということから来ているのではないかと私は思っております。  それから、第二の点でありますけれども、これは実を言いますと、私、上田委員と全く正反対の考え方を持っておりまして、非同盟といいますか、ある意味じゃ一国国防主義ということになろうと思うんです。要するに、国際的な枠組みに入らない国というものは、どうも何かよからぬことを考えているんじゃないかということにこれからはだんだんなっていくんではないか。やはり国際的な仕組みの中に入ることによって安全を図っているという国が安心できる国であるという方向にこれから進むんではないかというふうに私は思っております。  現に国連憲章そのもののつくり方が、確かに個別的自衛権というのを認めておりますけれども、個別的自衛権というのはどちらかというといろいろ恣意的に利己的に考えられがちで、それはそれで膨らんでいくわけでありますから、それよりもやはり国際的な集団的な安全保障という手段で考えましょうという考え方の方が国連憲章の主流の考え方であるし、そういう方向に進むべきではないかというように私は考えております。  また、日本アジアの一員とよく言われますけれども、今後の南北問題ということを考えてみますときに、日本が南側に入っていくという考え方を私はとらないわけであります。  人口一億そこそこの日本アジアの中で埋没してしまうということになります。例えば中国と比べてみますと、人口は十分の一ということで、将来的には恐らく二十分の一ぐらいになってしまう。人口的にはそのぐらいの差がついてしまうわけです。そういうことですと、あっという間に南の中に日本はのまれてしまうというだけであって、それでは南北問題の解決にはならないわけでありまして、やはり日本は現に北の有力な一員でありますから、北の国々と相談をしながら南北問題をどういう形で軟着陸させていくかということに努力をしていくということが私は重要ではないかというふうに考えております。  それから、最後に日米安保の問題であります が、先ほど申したように、これからの世界の進むべき方向としては、国際的な仕組みというものを強化し、その中にそれぞれが参加していくということが方向でありますが、そういったものが直ちには実現しないという状況が今あるわけです。その間において、日米安保というものが引き続き重要であるというふうに私は考えております。  ただ、日米安保そのものが、冷戦が終わったこと、さらに、これからアメリカの国力その他を通じて、逐次その役割というものが望むと望まざるとにかかわらず私は機能的には低下していくと思うんです。それを補強する意味も含めて、やはり急いで国際的な仕組みというものを強化していく必要があるというのが私の考え方であります。
  25. 佐々木満

    会長佐々木満君) そろそろ時間でございますので、もうお一万。
  26. 荒木清寛

    ○荒木清寛君 私から簡単に須之部先生にお尋ねしたいと思いますけれども、先ほど日本ならではの国際的な寄与というのを今後考えていくべきであるというお話がありまして、特に知恵を出すという形での貢献というお話をされましたが、具体的に何かイメージを持っておられましたらお教え願いたいということと、あと、軍事的な寄与ということでは、平和憲法のもとで日本が何かできることがあるのかという点と、さらに、国連への貢献ということにつきましては、安全保障理事会の常任理事国になるかどうかというような議論もあるわけですけれども、その点について先生の御見解をお教え願いたいと思います。
  27. 須之部量三

    参考人須之部量三君) 実は、日本ならではということを言いましたのは、例えばPKOの問題なんかがありますときに、それをめぐってのいろいろの御議論があるわけなんですが、私は、一番発想の原点は、つまり日本ならでは国際的寄与は何だろうかということが一番考え方の出発点になって、その延長線上でいろいろなことが考えられなければならないんではないか、そういう意味日本ならではという発想を申し上げただけで、じゃ具体的に何をやったらいいかということになりますとまた難しいんです。  いずれにしましても、冷戦後は軍事じゃなくて経済だ、だから日本経済力で大いに寄与すればいいんだというのではどうも今の状況では済まないんで、むしろ先ほど言いましたいろいろな難問に対して、それを建設的に解決する知恵をどうしたらば日本として出せるかということを考えなくちゃならぬし、そうなりますと、政策構想力とでもいうんでしょうか、何か具体的な、この問題にはこうやったらいいじゃないか、それがだめならこうしたらいいじゃないかと、次々に日本としての政策を打ち出せるような制度といいますか、そういうような考え方、態度、そういうものがこれから日本に望まれるんじゃないかということで申したわけでございます。  それで、具体的にどういうイメージを持っておるかというようなことになりますと、実は私は、アジアにCSCEというような制度はもうとてもできないというふうに考えております。それで、むしろその意味でいいますと、私のペーパーの一に書きましたいろいろな問題を突き詰めて考えて、それで日本のやり方、日本国内での実績の積み重ねという形で、それでこれからの新しい世界秩序といいますか、もう最近はニュー・ワールド・オーダーといってもできっこないんで、ア・モア・オーダリー・ニュー・ワールドと言われているわけなんですが、より秩序のある世界をつくり出すというために日本での実験の結果を世界に提供できるような日本国内のあり方をつくる、それがやっぱり一番基礎になるのじゃないかなと、そういうふうに思っております。  したがって、外交外交と言いますけれども、結局それは日本国内のあり方に立ち戻ってくるという発想が非常に必要なんであって、そういうそれらの積み重ねで結局日本ならでは国際的寄与ということを実現していくということではないか、私はその程度の考えでございます。
  28. 佐々木満

    会長佐々木満君) ありがとうございました。  両参考人に対する質疑はこの程度にとどめたいと思いますが、よろしゅうございますか。  両参考人に一言お礼を申し上げます。  本日は、御多忙の中、長時間の御出席をいただき、貴重な御意見を賜りましてまことにありがとうございました。本調査会を代表して厚くお礼を申し上げます。ありがとうございました。  本日はこれにて散会いたします。    午後零時二分散会