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1992-11-26 第125回国会 衆議院 予算委員会 第4号 公式Web版

  1. 会議録情報

    平成四年十一月二十六日(木曜日)     午前十時開議 出席委員   委員長 高鳥  修君    理事 中山 正暉君 理事 原田昇左右君    理事 町村 信孝君 理事 村岡 兼造君    理事 村上誠一郎君 理事 串原 義直君    理事 野坂 浩賢君 理事 松浦 利尚君    理事 草川 昭三君       相沢 英之君    愛野興一郎君       粟屋 敏信君    池田 行彦君       岩村卯一郎君    内海 英男君       越智 伊平君    鹿野 道彦君       狩野  勝君    唐沢俊二郎君       倉成  正君    後藤田正晴君       志賀  節君    戸井田三郎君       萩山 教嚴君    浜田 幸一君       原田  憲君    松永  光君       松本 十郎君    村田敬次郎君       村山 達雄君    柳沢 伯夫君       井上 普方君    伊東 秀子君       加藤 万吉君    小岩井 清君       新盛 辰雄君    関  晴正君       仙谷 由人君    高沢 寅男君       筒井 信隆君    戸田 菊雄君       楢崎弥之助君    日野 市朗君       水田  稔君    和田 静夫君       石田 祝稔君    日笠 勝之君       冬柴 鐵三君    児玉 健次君       正森 成二君    中野 寛成君  委員外出席者         証     人 竹下  登君         予算委員会調査         室長      堀口 一郎君     ————————————— 委員の異動 十一月二十六日  辞任         補欠選任   小澤  潔君     岩村卯一郎君   越智 通雄君     狩野  勝君   井上 普方君     高沢 寅男君   筒井 信隆君     仙谷 由人君   正森 成二君     木島日出夫君 同日  辞任         補欠選任   岩村卯一郎君     萩山 教嚴君   狩野  勝君     越智 通雄君   仙谷 由人君     筒井 信隆君   高沢 寅男君     井上 普方君 同日  辞任         補欠選任   萩山 教嚴君     小澤  潔君     ————————————— 本日の会議に付した案件  平成四年度一般会計補正予算(第1号)  平成四年度特別会計補正予算(特第1号)  平成四年度政府関係機関補正予算(機第1号)      ————◇—————
  2. 高鳥修

    高鳥委員長 これより会議を開きます。  平成四年度一般会計補正予算(第1号)、平成四年度特別会計補正予算(特第1号)、平成四年度政府関係機関補正予算(機第1号)、以上三案を一括して議題といたします。  ただいま議題となっております平成四年度補正予算三案の審査に関し、東京佐川問題について、竹下登君より証言を求めることにいたします。  この際、証言を求める前に証人に一言申し上げておきます。  昭和二十二年法律第二百二十五号、議院における証人宣誓及び証言等に関する法律によって、証人証言を求める場合には、その前に宣誓をさせなければならないことになっております。  宣誓または証言を拒むことのできるのは、まず、証人証人配偶者、三親等内の血族もしくは二親等内の姻族または証人とこれらの親族関係があった者及び証人後見人後見監督人または保佐人並びに証人後見人後見監督人または保佐人とする者が、刑事訴追を受け、または有罪判決を受けるおそれのあるときであります。また、医師歯科医師、助産婦、看護婦、弁護士、弁理士公証人、宗教の職にある者またはこれらの職にあった者は、業務上委託を受けたため知り得た事実で他人の秘密に関するものについても、本人が承諾した場合を除き、宣誓または証言を拒むことができることになっております。  証人宣誓または証言を拒むときは、その事由を示さなければならないことになっております。  証人が正当な理由がなく宣誓または証言を拒んだときは一年以下の禁錮または十万円以下の罰金に処せられ、また、宣誓した証人が虚偽の陳述をしたときは三月以上十年以下の懲役に処せられることとなっております。  一応このことを御承知おき願いたいと存じます。  なお、今回の証人喚問に関する理事会申し合わせについて申し上げます。  その第一は、資料についてであります。  証人は、証言を行うに際し、資料を用いることは差し支えありませんが、委員長許可が必要であります。また、これらの資料は、いずれも当委員会に提出していただくことになっております。  その第二は、証人がメモをとることについてでありますが、尋問項目程度は結構でございます。  以上の点を御承知おきください。  それでは、法律の定めるところによりまして、証人宣誓を求めることにいたします。全員起立を願います。     〔総員起立
  3. 竹下登

    竹下証人 宣 誓 書  良心に従って、真実を述べ、何事もかくさず、  又、何事もつけ加えないことを誓います   平成四年十一月二十六日                竹下  登
  4. 高鳥修

    高鳥委員長 署名捺印をお願いいたします。     〔証人宣誓書署名捺印
  5. 高鳥修

    高鳥委員長 議院証言法第五条の三の規定によりまして尋問中の撮影許可しないことになっておりますので、これより竹下登君の証言が終了するまで、撮影中止してください。  これより証言を求めることといたしますが、証人の御発言は、証言を求められた範囲を超えないこと、また、御発言の際には、その都度委員長許可を得てなされるようお願いいたします。  なお、こちらから質問をしているときには着席のままで結構でございますが、御発言の際は起立して御発言ください。  なお、委員各位に申し上げます。  本日は、申し合わせの時間内で重要な問題について証言を求めるのでありますから、不規則発言等、議事の進行を妨げるような言動のないよう特に御協力をお願いいたします。
  6. 高鳥修

    高鳥委員長 これより証人に対して証言を求めます。  まず、委員長より委員会を代表して総括的にお尋ねして、その後、委員各位発言を願うことにいたします。  それでは、私からお尋ねいたします。  昭和六十二年の自民党総裁選挙にあなたが出馬を表明された際、日本自民党という右翼団体が褒め殺しという手段であなたを激しく攻撃し、この中止佐川急便渡邉廣康社長が故石井進稲川会会長に依頼し、同会長仲介街頭宣伝活動中止され、あなたは暴力団の力をかりて自民党総裁、ひいては総理大臣になったと非難されています。  そこで、端的にお尋ねいたしますが、日本自民党がこのような行動に出た原因について、何か心当たりはありますか。  第二番目。渡遷廣康社長行動は自発的なものだったのでしょうか。それともだれかに依頼されたものであったのか御存じでしょうか。また、あなたは、渡邉社長石井会長仲介を依頼することを知っておられましたか。  三番目。自民党中止条件履行のため、あなたは目白の田中角栄邸を訪問されたと言われておりますが、反面、けさ新聞報道によりますと、衆議院議員小沢辰男氏、参議院議員浦田勝氏、同長谷川信氏などが要請し、それを実行されたと思っておったという報道もございます。その間の事情について説明してください。  四番目。暴力団の前会長が介在したことについてあなたに非難が集中していますが、事前に承知しておられたとすれば、あなたは自民党被害者であったとしても責任は重大だと思います。あなたの立場を御説明してください。  以上です。
  7. 竹下登

    竹下証人 お答えいたします。失礼いたしました。証言をいたします。  まず、私に関する自民党問題とは、委員長から御指摘のありましたとおり、私が自由民主党に就任いたしました昭和六十二年一月から約九カ月間、私を総裁にすべきだという種の街頭宣伝車による街頭演説ないしは連呼行為等が行われ、多くの国民の皆様方交通渋滞あるいは騒音等被害を与えた問題であると思います。  そして、これを中止するために私が石井さんに依頼をしたということが言われておりますが、この問題については私は全く心当たりがございません。  そして、この行為に対して渡邉さんが自発的に参加されたかということでございますが、私は当時、多くの善意第三者の方の一人である、このような認識をいたしておるものであります。それは当時、あれをやめさしたらどうだ、私が意思を通じておると思っておる方もいらっしゃいました。また、何とかならぬか、あるいはまた、いわゆる取り締まれないかとかいうような御忠告をたくさんの方からいただきました。しかし、警察等には御相談いたしましたが、当時、道路交通法違反以外これに対して適切な対応はなかった。私はこれはじっと我慢するしかない、このように思っておったわけであります。したがって、多くの方のいわば第三者善意というふうな範疇に入るものではないか、このように思っております。  それから、渡邉さんが石井さんという方にこの仲介を依頼されたという事実は、私自身全く存じておりませんでした。  そして次が、田中邸訪問でございます。これは、たしか十月五日の晩、私が、同僚議員のパーティーがありました際、突然私を同じホテルの上の階へ私の秘書が呼んでまいりました。そこで渡邉さんとお会いをいたしました。非常に丁寧なお言葉でありましたが、田中邸立候補のごあいさつに伺われたらいかがですか、こういう趣旨のお話でありました。  私自身、私は田中先生内閣官房長官でございます、また、中曽根先生自由民主党幹事長でありましたので、五日の日、実は所信表明を行って立候補決意表明を行ったわけでございますから、その前にごあいさつをすべきだと思っておりました。しかし、中曽根先生の方が六日の九時にしてくれ、こういう御連絡をいただきましたので、これについてはこの五日の日には実行することができませんで、六日に訪問した次第でございます。これについては、かねて私がそういう意思を持っておった。また、今もお話のありました長谷川信さんが、自分が入り口で待っておって名刺を取り次ぐからということを、それこそ六日の未明であったと思いますが、御連絡をいただいたから決断をいたした次第でございます。  それから、事前にいわば石井さんを中心とするあっせんというようなことについては、先ほど申し上げましたとおり全く知らなかった、こういうことであります。
  8. 高鳥修

    高鳥委員長 竹下証人に申し上げますが、今発言中、中曽根先生都合でということをおっしゃいましたが、これは田中先生の方の御都合でということですね。(発言する者あり)何か発言に誤謬があるようですから……。よろしいですか。明らかな間違いだと思いましたので、申し上げました。  じゃ、続けます。  以上をもって私からのお尋ねすることは終わりました。  次に、発言申し出がありますので、順次これを許します。中山正暉君。
  9. 中山正暉

    中山(正)委員 予算委員会理事会では、汚名をかぶせられた方に自主的に国会証言をするような制度を、何とか政倫審でそういう制度をつくろうではないかという相談がいろいろとあったわけでございますが、それがこの国会改革の中でいまだ実現しておりませんで、きょうは証人ということで御出席をいただいております。  かつて総理大臣として御答弁をなすったその位置で、証人としてきょうはお出ましをいただいておりますわけでございますが、これは民主主義国家にとって私は重大なことであると思っております。ソビエトが崩壊をいたしましたが、ノーメンクラツーラ、帳簿に記載されざる人々といって三百万人、共産党の幹部は訴追を受けないという権利を持っておった。そのために国家崩壊をいたしました。これは亡くなりました中川一郎から聞いた話でございますが、十七年間水産大臣をしておったイシコフは、サケの缶詰の中にキャビアを詰めてパリに送って、その差額を自分預金口座預金をしておった。そのために、イシコフは十七年間務めておったのが年金生活に入った、しかし下は百五十人ばかりが銃殺に遭ったという話を聞いております。中川本人から聞いた話でございますが……。  その意味では総理大臣を、かつて田中角栄総理大臣三木武夫総理大臣が逮捕された。それからまた、栄光の座におられた竹下総理が、きょうは自分立場を鮮明にするためにここにお越しいただいた。私は、日本という国は大変いい国だ、こういう自浄作用によってこれからこの日本を運営をしていかなければならないと思いますが、最大の問題は、かつて竹下内閣が誕生するに当たりまして暴力団関係したのではないか。これは東京佐川急便事件に関して商法違反特別背任罪に問われております渡邉廣康氏が六月の二十日の検事側調書で大変なことを言っております。   竹下内閣成立問題は、私の一生で一番大きな  出来事でございました。私の力を日本の将来に  示すことができた大きな出来事だった。確かに  この問題が解決されなくても竹下内閣成立し  たかもしれないが、昭和六二年十月五日−六日  にかけて竹下先生の困り切った様子や、金丸先  生の説得の態度や、小沢先生狼狽ぶりをみる  と自民党問題が解決しなければ成立はあり得な  いという雰囲気だった。このような大問題を私  の力で解決できたのだから竹下内閣成立につい  て、民間人での第一の功労者は私だという自負  心を持っていました。こう供述をしております。  このことで竹下内閣誕生暴力団関係をしたというのは、これはゆゆしき問題ということになるわけでございますが、総理大臣としてどういうそのときの印象を持っておられますか、御答弁をお願いしたいと思います。
  10. 竹下登

    竹下証人 私は、竹下内閣成立に当たって暴力団が介入したというような認識は、もとより持っ ておりません。  まず、そもそも私は公党たる自由民主党総裁選挙立候補いたしました。自民党問題と総裁選挙は全く無関係であると思います。なぜならば、当時の党則に基づいて、四人以上の候補者があれば党員投票でまず予備選挙を行う、そして立候補者が三名以下であった場合は国会議員の方の投票によって決定する、その仕組みの中で私は駒を進めてまいりました。そして話し合いがたびたび行われまして、たしか十月の十八日に三者で合意いたしまして、当時の総裁後任総裁をお決めいただこうということで、あの申し入れをしたわけであります。その結果、中曽根当時総裁が、内政問題の諸改革と充実した国際国家としての外交の展開、このようなことを念頭に置いて、熟慮の上、竹下登君を指名すると、厳粛な指名をいただいたものでありますから、いわゆる自民党問題とは全く無関係のものであると、このような問題意識をいたしております。
  11. 中山正暉

    中山(正)委員 今、中曽根総理大臣からの指名を受けられたことに関してのお話がございました。  私も二十五日の夕刻、中曽根元首相にお目にかかりまして、当時の、私、いきさつを伺ってまいりました。確かにあのときは総裁指名ということになりましたわけでございますから、それに関しまして、中曽根総理のお考えを伺いましたら、中曽根総理は、自分が党から指名権をもらうのが第一段階であったと。その次に三人の候補者、亡くなられました安倍先生、そして現総理大臣宮澤先生竹下証人、この三名の中から指名をするのに、全く、自民党意識は全くしていなかったというお話を伺ってきたわけでございます。  特に、今委員長からもお話がありました、議員席から今やじが飛んでおりましたが、中曽根総理大臣のもとへの、その日程関係で間違いではないかというお話でございますが、八時に田中邸を訪問された後、九時から九時二十五分まで総理官邸総理大臣中曽根康弘先生を訪問しておられます。これは、私は、中曽根総理に伺いましたら、奥の部屋から総理大臣当時の日程を持ってこいということで日程を持ってきて見ていただきましたら、六日の日の九時から九時二十五分に中曽根総理のところへ行っておられる。そのお話をされたのが皆さんにちょっと誤解を受けたようでございますが、この件に関して、私は、偶然そこヘマスコミのテレビがあって、田中邸に行かれたことと自民党の褒め殺し中止の問題とが絡んでいるような気がしてなりませんが、その辺についての御感想を伺いたいと思います。
  12. 竹下登

    竹下証人 六月五日の二時から私は総裁選立候補決意、十月、失礼しました、十月五日の午後二時から総裁選立候補決意表明ホテルで大々的に行いました。  実は私は、幹事長として仕え、また官房長官として仕えた方の元気でおられるのがお二方でございますので、その決意表明の前に行きたかったわけでございます。しかし、先ほどお話しのように、中曽根先生の方から六日の九時に来てもらいたいというお話がありましたので、それは中止をいたしまして、六日に田中邸、そして総理官邸ではございません、総理大臣の公邸でございました、へお伺いしたわけでございます。したがって、その五日の晩に渡邉さんと話し合いをしましたときに、私はそのとき初めて会ったような感じがしておりましたが、とにかく大変丁寧な言葉田中邸立候補のごあいさつに行かれたらというお話がございました。  その中で、私自身いわゆる自民党という名前を知っておりませんでしたが、街宣活動をしていらっしゃる、竹下輝励会とかいう名前であったように思いますが、この方々のいわば条件というような形であったならば、私はそれに従うわけにはいかないと、こういう意識を持っておりました。したがって、その席では私は正確にそのことを申し上げなかったわけでございます。しかし、報道によれば、そのとき大変私は弱気になっておったという報道がありますが、二時に立候補を声明して、私、どっちかといえば自分の感情を抑える方でございますけれども、意気軒高たる大演説をやった後でございますので、ふさぎ込んでおったという状態にはなかったろうというふうに思うわけでございます。  したがって、私自身整理して、いつの日伺おうかと思っておりました。そこへ長谷川信さんが、私の大学の先輩でもございます、自分が玄関で名刺をお受け、取り次ぎますからぜひ朝いらっしゃい、それは中曽根さんの日程が九時ということを知っておるから、その前で結構じゃないですかと、こういうお話がありまして私が参上した次第でございます。そのときテレビが二台ぐらいおったと思います。これは私の方からあらかじめ連絡したものではございません。したがって、私が田中先生立候補のごあいさつを申し上げに田中邸を訪問したこと、そのものはいわば街宣活動中止する条件を果たしたという問題意識は全く私にはございません。
  13. 中山正暉

    中山(正)委員 この委員会の席にもいらっしゃいますが、中曽根総理大臣官房長官をされました後藤田正晴先生が十月の二十二日に、毎日新聞に「思うぞんぶん 「佐川」と政治」というところでおっしゃっておられるのが、「はっきりしておきたいが、右翼団体をどう抑えるか、と政権成立とは関係ない。中曽根裁定にいささかの影響もなかった。政治の名誉のために言っておく。」というのが十月の二十二日、木曜日版の毎日新聞の「思うぞんぶん 「佐川」と政治」に載っているわけでございまして、私もそうであろうと。総裁選挙のような選挙ではなかったわけでございますから、指名権というのは神聖な党の決定によって中曽根総理大臣に付与されたものでありましたから、それが右翼活動に影響されるわけは私はなかったと信じております。竹下内閣、二次にわたる竹下内閣に閣僚を務められた方々も大勢いらっしゃるわけでございますから、私もその一人でございますが、その名誉が傷つけられるということは、日本国家並びに日本政治の将来に暗雲を投げかけるということであろうと思います。  そこでお伺いをいたしたいのでございますが、金丸元副総裁東京佐川急便社長渡邉氏から五億円の政治献金を受けて、規制された額を超えたということで略式命令で二十万円の罰金の刑に服されたのでございますが、竹下証人のお嬢様が金丸元副総裁の御令息のお嫁さんに行っておられる、御親戚ということでありますし、政治的にも長い長いおつき合いで、親友であられて、同志であられる。いろいろな関係があるわけで、竹下内閣も支えてこられた、党の内外でそれを支えてこられたという実績があるわけでございますが、しかし、この元副総裁が五億円という多額の政治献金を受けておられたということでみずから辞任をなさいました。このことが世間に大きな政治不信を招くきっかけとなったわけでございますが、このことについてはどういうふうにお考えでございましょうか。
  14. 竹下登

    竹下証人 確かにおっしゃいますとおり、金丸さんとは昭和三十三年以来三十五年間議席をともにいたしております。私より十歳年が上でございますので、どっちかといえば、同志であると同時に兄事しておったという感じが私自身にはございます。金丸さんの今回の決断というのはあの方の人生哲学そのものである、辞職されたことそのものは私は残念なことでありますが、その行為はあの金丸さんの人生哲学そのものである、このように感じております。したがって、その議員辞職を無にしないように、政治家としてその意思を生かしていかなきゃならぬというふうに私は考えております。
  15. 中山正暉

    中山(正)委員 昭和六十二年の十月の五日に、先ほどからお話のあっております東京プリンスホテルにおいて、金丸代議士やら渡邉廣康氏らと対策協議をされたということにこの検事調書ではなっております。自民党の出した条件に対して、もう総理にはなれないかもしれないと言われたとか、それから金丸代議士が、ここまでやってきたのはあんたを総理にするためだと涙を流された ということが渡邉被告供述書ではなっておりまして、何人かの議員が、これは七人になられると思いますが、大変な、認めていらっしゃる方もおられますが、認めていらっしゃらない方も四人ばかりおられるという中で、その自民党街頭宣伝中止のために働いたとされている方々の問題がございます。  渡邉さんに会われたのがその日が初めてなのか、そういうことも含めて、きょうのこれは毎日でございますが、「竹下氏、知っていた 浦田議員申し出に「ありがとう」」。それから、ここにみずから御署名になったというものが、きょうの、けさ新聞に載っておりますが、これは御存じでございましょうか。
  16. 竹下登

    竹下証人 けさ新聞は私も読んでまいりました。この署名は、念書は、私のきよう署名した字よりもはるかに崩しなど立派で、とても私の書いたものだというふうには思っておりません。そして、当時私は、どなたとお会いしましても、ありがとうございますという心境であったことだけは事実でございます。
  17. 中山正暉

    中山(正)委員 それにしても大変な自民党の運動があったわけでございます。イタリア政府などは、P2、プロパガンダ2という組織、イタリア憲法は、憲法八条でございましたか、秘密結社を禁止しております。秘密結社によってつくられたというマフィアがいる国でございますから、政治にいろいろな面で関与をしてくるのを憲法が禁止しているというところもあって、日本も将来考えるべき点ではないかと私は思っておりますが、十八都道府県、百四十回、七カ月にわたる自民党の攻撃、一体何が原因でそんな目に遭われたのか、それから背景に何があったのか、そのお心当たりがおありでございましょうか。  それからまた、政治頂点に立つという方に対しては、反対の側もありますし賛成の側もありますし、そういう波風に胸を張って生きていくのが私は政治家だと思っております。そんな意味で、権力の頂点に立つ方のこれは宿命かもわかりませんが、そういうことのない方もいらっしゃるわけでございますので、こういう問題が起こりましたときには徹底的にやはりその原因を究明しなければならないと思います。そういう問題で調査とか、それから警察なんかに御依頼をなすったでしょうか。それからまた、身辺警護には要職を務めておられると必ずSPがついておられるわけでございます。その方々にもそういう行動は目に映るでございましょうから、そういう方々に対してそういう警察に届け出るというようなことはあったのでございましょうか。
  18. 竹下登

    竹下証人 まず、この自民党街宣活動がなぜ行われたかということにつきましては、私もいまだにその理由はわかりません。これはあるいは私自身は永遠に突きとめることのできない問題ではなかろうかと思います。ただ、私が何かにおびえておったとかいうようなことはございません。私は学生のころから、体制側にある者は絶えず厳しい批判に耐え抜いてこそ体制側の真骨頂だということを聞かされておりましたので、ひたすら耐え抜くという考え方でありました。  そして、この問題につきましていわゆる警察当局等、それは出先の私の応援者がそれぞれの最寄りの警察署へ相談した向きもあるようでございますが、私も実態について何かできないかと、道路交通法違反以外はこれに対応することは困難だということも十分承知の上で、その都度お願いをしておったということは事実でございます。書面でお願いしたというようなわけではございません。
  19. 中山正暉

    中山(正)委員 最後の質問になります。時間がございません。  金丸元副総裁は、自分みずから五億円という違法な政治献金を受けておったということで、民心を反映をして、あの方の率直な性格の一面があらわれたと思いますが、即座に国会議員を辞職されるというようなことを実行されたわけでございます。私は、竹下総理は、国内にあっては新しい時代への税制というものを導入されたという大きな功績、それから対外的にはオレンジ・牛肉の自由化という大きな、対外的な日本の世界貢献度を高めるような行動をとられたことを高く評価をいたしておりますが、その後のこういう話でございます。議員を辞職せよという話まであるわけでございますが、この後いかがな身の処し方を考えていらっしゃいますでしょうか。  それから、そういうことに関して民衆にひとつこたえて、御自分考え方をひとつおっしゃっていただいて、今後ともどういう方式をとっていかれるか、この際お述べをいただきたいと思います。
  20. 竹下登

    竹下証人 三つあろうかと思っております。  まず、当面おまえは何をするかということは、私は今までいろいろなところから記者会見、単独インタビュー等を求められましたが、国会でやはり明らかにするということ、国権の最高機関たる国会で明らかにすること、お話をさしていただきたいということを申し続けて今日になりました。したがって、一生懸命でまずは真実を明らかにする努力を国会を通じてやるべきであるというふうに思っております。  そして、私に対する議員辞職の問題でございます。この問題につきましては、これを分析してみますと、結果として竹下内閣成立暴力団が介入しておったことは国内外に対して非常な不評を買っておるではないか、だからみずから議員を辞職すべきではないか、このような御要請であると私は思っております。したがって、私がその職を辞することは、この全く自民党問題と関係のない公党の総裁の選出、なかんずく内閣の首班、これとがまさに連動しておるかのごときを立証することになりはしないか。したがって、私はその職を辞するわけにはまいらない、このように思っておるところでございます。
  21. 中山正暉

    中山(正)委員 以上で質問を終わります。ありがとうございました。
  22. 高鳥修

    高鳥委員長 これにて中山君の発言は終了いたしました。  次に、高沢寅男君。
  23. 高沢寅男

    高沢委員 ただいまから私、竹下証人に対して御質問しますが、必要に応じてここにおります仙谷代議士がまた関連の質問、こういうふうに考えておりますので、その点をよろしくお取り計らいをお願いいたします。  さて、竹下さん、あなたにまずお聞きしたいことは、あなたと日本自民党関係の中で非常に大きな役割を果たした先ほど来出ている稲川会の石井会長、この人の生前にあなたはお会いになったことがありますか。いかがでしょう。
  24. 竹下登

    竹下証人 お会いしたことは一度もございません。
  25. 高沢寅男

    高沢委員 先ほど来、その石井会長自民党の運動を抑えるという大きな役割を果たした、しかし私は全く知らなかった、こう言われているわけでありますが、しかし、これは日本の現代史の中のだれでも否定のできない客観的な事実です。  今あなたは、じゃ今あなたは、石井会長の働きによって自民党活動が抑えられた、そしてあなたは総理総裁になった、この事実は今は御承知でありますか。いかがですか。
  26. 竹下登

    竹下証人 先ほどお答えしましたように、お会いしたことはございません。そして、石井さんというお方がこの問題に介在しておられたという事実は、昭和六十三年の十二月以降に承知をいたしました。  しかし、お言葉をお返しするようでございますが、総理総裁自民党活動関係がないというふうに御理解を賜りたいと思います。
  27. 高沢寅男

    高沢委員 私は、この十一月の二日に、ここにおります仙谷代議士と一緒に京都へ参りまして、京都の会津小鉄の幹部の三神忠さん、こういう方にお会いしました。その三神さんはこう言っておりました。  昭和六十二年の九月末ごろ東京の稲川会の石井会長から電話が来た。そして、自民党は今こういう活動をやっておるが、これをとめてくれぬかというふうに石井会長から頼まれた。そこでこの三神氏は自民党の稲本総裁連絡をとって、そし て、これをやめてくれぬか、こう言ったところが稲本総裁は、やめてよろしい、ただし条件がある、その条件というのは竹下が目白の田中さんのところへ謝りに行くことだ、おわびに行くことだ、それが条件だ、こういうふうに言ったそうであります。で、三神氏はそれを東京の石井会長に伝えた。これは石井会長から佐川渡邉さんとか、等々を通じて金丸さんにその連絡が来ておる。あなたはそういうことを金丸さんからお聞きになったことはありますか。
  28. 竹下登

    竹下証人 今、高沢先生の御指摘のことは私も報道で、定かではございませんが承知しておりますが、そのようなことを、条件というようなことをそのような時期にお話を聞いたことはございません。
  29. 高沢寅男

    高沢委員 実際のところはあなたも御承知のとおりです。この自民党の褒め殺し活動というのは十月の二日までやっていた。三日からぴたりととまったわけです。この段階で自民党の稲本総裁と例えば稲川会の石井会長、この間でもう褒め殺し活動はやめるという話し合いがついた、こういうふうに考えられます。  あるいはまた、このころに石井会長も出ていた会があって、そういうところへあなたも出席されて、そして石井会長竹下さん、あなたの間で、それでは自民党条件を守りましょう、こういうふうな話をされた。こういう会に出られたことがありますか。どうですか。
  30. 竹下登

    竹下証人 先ほど来申しましたように、石井さんという方に一度も会ったことはございませんので、その会合に出たという事実もございません。
  31. 高沢寅男

    高沢委員 会ったことはないと、こう繰り返し言われますが、しかし、そういう会に出ていたという事実が、もし出ていたとすればこれは歴史的な事実です。必ず明らかになってくるというようなことも私はこれからあると思うのですが、そのことを前提としながら、そういう会であなたは、この褒め殺し活動をやめる条件として、それじゃ石井さんにあるいは稲本総裁にお金を出しましょうというふうなことを約束されたことがありますか。
  32. 竹下登

    竹下証人 お金の話など全く約束した覚えはございません。
  33. 高沢寅男

    高沢委員 先ほど金丸さんからお聞きになりましたかと、こう聞きましたが、金丸さんがそういう自民党条件石井会長を通じて聞いた。それで金丸さんは、十月の三日にあなたに目白へ行けよ、こう言われたんじゃないんですか。また、三日の日にあなたは目白へ行ったんじゃないんですか。行ったけれども、目白にマスコミが待ち構えていた、それを見てあなたは引き返した、こういうことが十月の三日にあったんじゃないんですか。いかがですか。
  34. 竹下登

    竹下証人 まず、条件だということを、金丸さんからそういうようなお話を聞いたことはございません。  それから、目白へ、田中邸へお伺いいたしましたのを、私も、五年以上前の話でございますが、五日にそのことを行おうとしたような感じがしておりますが、あのころの日程調べてみましたが、月末から、確かに九月の二十八日に土井委員長が北朝鮮からお帰りになったその後の日程全部私なりにとっておりますが、どうしてもその事実が浮かんでまいりません。五日ではないかなと、こういう感じがいたします。そのときにいわゆる中曽根さんの分が六日に決まったからというので延期したということであると思います。
  35. 高沢寅男

    高沢委員 これもその京都の三神氏から聞いた話です。あなたは三日に目白へ行かなかった。行かなかったので、自民党の方では、これは目白へ行くという条件で褒め殺しをやめた、ところが行かなかった、これは約束が破られたということで、自民党の稲本総裁はもう一度褒め殺し活動を大々的にやるぞということを三神氏に通告したそうです。三神氏はそのことを急いで東京の石井会長連絡して、大変なことになるということを報告したそうですが、そのことがまた石井会長から渡邉社長を通じ、金丸さんを通じてそのことが来て、それが私は、あなた方が五日の日の今度は行動で、あなたと金丸さんがこの問題で目白へ行くかどうかで大変協議されたというようなことにつながってきているのじゃないのか、こう思うんですが、その辺の事実関係はどうですか。
  36. 竹下登

    竹下証人 今三日とおっしゃいましたが、私の記憶では、三日大阪、四日仙台と、まだ党員投票を前提としておるときでございますから、そのような日程であったかと思います。  五日の会合は、先ほども申しましたように、お認めいたしております。しかし、そのときの中身につきましては、私も記憶を呼び戻しておりますが、渡邉さんから非常に丁寧な言葉お話があったということは私も覚えております。そして、その場で即答を私がしなかったというふうにも記憶しておりますが、その後長谷川信先生などの連絡があり、六日に実行したわけでございますけれども、条件、それを実行するという問題意識からはまずみずからが離れていなきゃならぬという意識を持ち続けておったわけでございます。
  37. 高沢寅男

    高沢委員 この年の十月の三日の読売新聞、これが読売新聞のスクープ、こう言われるわけですが、きょう、三日の日、竹下当時幹事長竹下幹事長は目白へ行くということを読売新聞が記事に書いた。書いたからまた多くのマスコミが駆けつけたということになるわけですが、この読売新聞の書き方は、全く根拠のないことを書いたのか。私は、あなたが三日の日は目白へ行くんだという予定があった、これを読売新聞がキャッチしてそういうふうに書いたということではないかと思いますが、どうですか。
  38. 竹下登

    竹下証人 その辺は、高沢先生、ちょっと私も、それをどうだかという、新聞の責任で書かれた記事を私がどうであったかということを確定することは非常に難しいことだと思います。
  39. 高沢寅男

    高沢委員 そういたしますと、今度は、あなた自身がさっき言われた、四日に仙台へ行った。仙台で、私は目白へ行くということを発表されておる。四日ですから、先ほど来の話の、六日の日に中曽根さんからこうあったというようなことより二日前です。この辺の時間の関係というものは一体どうなるのですか。
  40. 竹下登

    竹下証人 私が気持ちの中で思っておりましたのは、五日の二時から決意表明をしましたものですから、その前に、直接お仕えいただいた中曽根総裁と、直接内閣官房長官としてお仕えいただいた田中先生のところへごあいさつに行きたいという希望を持っておったことは事実でございます。  しかし、その後、中曽根先生の方から、総理大臣でありましたから、六日の九時にしてくれと言われましたので、やはりその日に、前に行くのはいかがかという感じがいたしておったことは事実でございます。
  41. 高沢寅男

    高沢委員 先ほどあなたも認められた、十月の五日に東京プリンスで皆さん集まられた。その集まられた中で、これは報道によれば、あなたは、もうとてもこれはだめだ、おれは目白へ行っても会ってもらえない、もうとてもこれじゃ総理にもなれない、こう言ってあなたは大変嘆かれた。それに対して金丸さんが、何を言っているんだ、ここまで田中に反逆してやってきたのは君を総理大臣にするためだ、何が何でも目白へ行け、こう金丸さんは言ったということですが、この金丸さんの何が何でも目白へ行けということは、つまり京都の三神氏から、もし約束を守らなければもう一度やるぞというこの大きな通告が来ていたということが背景にあった、こう私は思いますが、あなたはそう思いませんか。
  42. 竹下登

    竹下証人 私がそういうことを憶測する立場にはございません。  ただ、先ほども申しましたが、あの五日の日は、平素気分を抑えておりますけれども、いささか大声を発して決意表明したときでございますので、その夜、急にもうなれないかもしらぬというふうな嘆きをする心境にはなかったんじゃないかと思います。
  43. 高沢寅男

    高沢委員 そういたしますと、ここにまた若干の矛盾が出てきます。その五日の段階で、あなた の意を受けた小沢一郎氏が田中邸へ電話した。田中邸には保岡さんがいたわけですが、竹下さんは田中邸へ行きたい、ひとつ会えるように計らってくれ、こう言ったところが、保岡さんはそれはできないと断る。その電話の後今度は、あなたは自分で今度は電話した。そして保岡さんに、そういうことだと私はもう行けない、目白へ行くのは私はやめました、こういうふうにあなたは連絡をされた、こういうことが言われるわけですが、その上に立ってあなたは六日の日に行ったわけです。  そうすると、田中側の、田中直紀氏などは、何だ、来たいと言って、今度は来ないと言って、そして今度は連絡もなしにいきなりやってきて、こんな失礼な話はあるか、こう田中直紀氏は言ったということですが、このことはあなたは御承知ですか。
  44. 竹下登

    竹下証人 当時の新聞紙上で、だれが来たか関知しないとかいうようなお話が載っておったことは私も覚えております。先ほど申し上げましたように、長谷川信さんが、これが、自分名刺を受けて取り次ぐのでということが、私をしてその日に決行せしめた大きなゆえんでございます。
  45. 高沢寅男

    高沢委員 六日の朝あなたは行かれた。しかし、そのときの状況は、今あなたの説明されたような状況とは全く違っていた。何かあなたは大変なスピードで、小沢さんが一緒についていたそうですが、車で走ってきて、田中さんの玄関の門の前の歩道へはあっと自動車が乗り上げた。そして出てきて、そこに長谷川さんが待っていた。待っていたけれども、あなたは田中邸に、会いたい、ごあいさつしたい、こういうことを通ずることもしないで、やる気ならばそこにインターホンがあったからそういうことできるわけだ。ところが、それもしないで、長谷川さんと何かぼそぼそっとささやいて、そしてすぐに取って返した、すぐに逃げるように行ってしまった。その間、時間はわずか三十秒、こういう話です。  一体、ごあいさつに行くということで行かれたあなたが、そんな行き方、そんな帰り方、一体これは私は成り立つはずはない、こう思うのでありますが、どうなんですか。
  46. 竹下登

    竹下証人 長谷川信さんとの話で、私が取り次ぎますので、もう中曽根先生の時間も決まっておりましたから、私が取り次ぎますということをきちんと、その前の晩というよりも午前二時ぐらいだったと思いますが、お話もありましたので、そのとおりに実行をしたわけでございます。
  47. 高沢寅男

    高沢委員 それなら、本当に取り次いでくれたんですか。取り次いでくれたなら、あなたは田中邸の門の中へ入ってお話ができたはず、ごあいさつができたはずです。それが門はあかずで、わずか三十秒ですぐ取って返した。一体これは、長谷川さんは取り次いでくれたんですか。そうじゃなかったでしょう。田中邸からは、会う必要ない、会いませんと断られたんでしょう。どうですか。
  48. 竹下登

    竹下証人 その前に確かにいろいろな接触があったというふうに私も思います。しかし当日は、私自身、時間的にも門内へお入りする余裕はなかったというふうに思います。あくまでも長谷川さんと約束の上でごあいさつをした、こういうことでございます。
  49. 高沢寅男

    高沢委員 あなたは田中邸に午前八時に着いた、こういうことですね。長谷川さんはもう七時から来て待っていた。一時間時間がある。あの人が本当に名刺を出して田中邸に取り次いで、あなたを会えるように、あいさつできるようにともし本当にしてくれていたら、私は、それができたはずだ。しかし、今繰り返しあなた説明されますが、そうなっていない。これは結果が明らかです。ということは、結局あなたがごあいさつに行くという趣旨は実現できなかった。ただ、それでも行ったということは、とにかく自民党に、おれは目白へ行ったんだということをただ見せる、その目的で、会えなくたっていいんだ、とにかく行ったということを見せればいいんだということであなたは行ったんじゃないんですか、どうですか。
  50. 竹下登

    竹下証人 私にも人格がございますが、私は、お仕えした方にごあいさつに行きたいというのはかねて思っておったわけでございます。したがって、私が行ったという事実を外に見せるために行った、それほど落ちぶれていないというふうに私は思っております。
  51. 高沢寅男

    高沢委員 私は、わずか三十秒で取って返す、こういう訪問の仕方は、今言われた御恩のある方にごあいさつに行ったという、そんな行き方では全くない、そう思います。ですから、これはあなたが何と言われようと、やはり背後に自民党問題があったんだ、そして稲川会の石井会長がそれをあっせんして抑えた経過があった、そのときに条件が出た、必ず目白へ謝りに行けという条件が出た、この条件をやらなければまた褒め殺しやられるということでもって、無理やり、行きたくないがとにかく行ったという形だけつくった、こう私は思うんですが、この点は繰り返しあなたは否定されますが、しかし、今や日本の国民の人は皆それを知っておる、そういうふうに国民の人は皆あなたの田中邸訪問を見ているということを私はここではっきり申し上げておきたいと思います。  それで委員長、次へ進みますが、結局あなたはめでたく中曽根さんの指名を得て総裁になった。その総裁になられた後、その年の十月二十九日ですね、銀座の吉兆で、あなたと渡邉さん、金丸さんが会合された。そこであなたは渡邉社長に対して、それこそテーブルに手をついて深く頭を下げて、このたびは本当にお世話になりました、こうお礼を言われたということですが、この、このたびはお世話になりましたというのはどういうお世話ですか。
  52. 竹下登

    竹下証人 十月二十九日とおっしゃいましたが、これはあるいはだれかの思い違いかとも思います。私は、三十日が党大会でございましたので、承認を受けますので、二十九日はそういう余裕が、どうも日程調べてもございません。その後の十一月の中旬であったらその日程がとれるということがわかりました。これは私の調査でわかりました。したがって、そのときに私が会合に参っておりまして、そしてこの下の部屋に金丸さんと渡邉さんが飯食っておられると、お顔をお出しになったらということで私は参りまして、大体私は必ずテーブルに手をついてどなたにもごあいさつするという習慣が自分であると思っておりますので、ありがとうございましたと、このようにお礼を申し上げたことは事実でございます。当時はどなたに会いましても、ありがとうございましたという心境でございました。
  53. 高沢寅男

    高沢委員 十月二十九日の日取りについては、御本人がその日でなかったかもしれぬ、こう言われますので、それはそれで受けましょう。しかし、お会いになった、三人で、そこで手をついてお礼を言われた。まあだれにでも手をついて私はお礼を言うんだと、こう言われますが、そのお礼というのは、お世話になりましたというのは一体何がお世話になったのか、これを答えてください。
  54. 竹下登

    竹下証人 これは、あのときは私は総裁にしていただいて、多分そのときは総理になっておったと思いますが、だからどなた様にもありがとうございました、お世話になりましたという立場にあったことは事実でございます。
  55. 高沢寅男

    高沢委員 あなたは認めませんけれども、とにかく東京佐川渡邉社長、稲川会の石井会長、この連係プレーで自民党を抑えてあなたが総理総裁になったという、このことは歴然たる事実であって、あなたがそのお礼を言われたのはこのお礼以外にはあり得ない、これもまた日本の国民の皆さんはそう見ておるということを申し上げたいと思う。  以上まで参りましたが、この後、仙谷代議士に交代して、また関連質問をひとつやってもらいたいと思います。よろしくお願いします。
  56. 高鳥修

    高鳥委員長 仙谷由人君から関連発言申し出があります。高沢君の持ち時間の範囲内でこれを許します。仙谷君。
  57. 仙谷由人

    仙谷委員 仙谷です。  先ほどの質問の中でお答えをいただいてない部 分があるのでお伺いするのですが、十月五日に結局あなたが保岡興治君さんに直接電話して、田中家側が遠慮してもらいたいということなのでやめることにしたという電話はなさったという記憶がありますか、ないですか。
  58. 竹下登

    竹下証人 ちょっと私、記憶がございません。
  59. 仙谷由人

    仙谷委員 新聞各紙にすべて書かれておるのですよ。先ほど高沢議員からも申し上げたように、にもかかわらずあなたが十月六日、田中邸訪問した。田中真紀子さんは著書の中で、「礼を尽くすふりをして写真を撮らせようとするだけのものだった。」というふうに断言しているのですね。あるいは田中直紀さんは、記者会見で、昨日断ってきたのに不可解である、真意は不可解である、竹下氏への不信感を一層強めたという記者会見をされておるのですよ。だからあなたは、一たんやめるということを田中家側に伝えながら、どうしても行かざるを得ない事情があったということだったんじゃないかと我々は考えます。  そこで、十月の五日、あなたは昼ごろ、金丸さんと四十分にわたって会談をしておりませんか。
  60. 竹下登

    竹下証人 田中家の方の御心境を私が推察することは控えたいと思います。(仙谷委員「いやいや、最後の質問だけで結構です」と呼ぶ)最後の問題は、ちょうど今言われましても、実は日程表を持ち合わしておりませんので、記憶にございません。
  61. 仙谷由人

    仙谷委員 そこで、改めて自民党側が、あなたが田中家訪問をしないものだから褒め殺し活動を再開するという連絡が、石井金丸石井渡邉金丸という経由で入ってきて、さあどうしようかという対策会議があなたと金丸さんと二人の間で行われた。金丸さんはその場から渡邉さんところに電話をして、それじゃ九時ごろ東京プリンスで集まろうという話になったようなんですが、あなたはそのことを知らないのですか。
  62. 竹下登

    竹下証人 五日でございましたら、私は日程を繰ってみましたら、同僚の励ます会、その後にいま一つ経団連の会とございまして、その間の時間であったと思いますので、九時というのは違うと思います。これは私が調べたところでございます。  したがってそのような、今おっしゃいました石井さんから渡邉さんへ、渡邉さんから金丸さんへ、そこで九時が決まったというような事実は私は覚えておりません。
  63. 仙谷由人

    仙谷委員 ちょっと細かい事実になり過ぎるようなんですが、お伺いしておきましょう。  東京プリンスホテルですね、あなたの記憶では、結局何時に渡邉さんと会った部屋へ行って、何時までいらっしゃったんですか。
  64. 竹下登

    竹下証人 正確でないかもしれませんが、六時から励ます会がございまして、私はスピーチしました。したがって、七時ではなかったかと思います。そうして次の会合が七時でありましたのを、おくれることを予告いたしまして申しましたから、一時間程度ではなかったかというふうに思います。それから自宅へ帰って、その自宅に集まった人の記録はございました。
  65. 仙谷由人

    仙谷委員 そうすると、渡邉さんの調書の中では、長谷川さんを一生懸命探したけれども午前二時までつかまらなかった。で、午前二時に長谷川さんと連絡がついて、その段階で竹下さんと金丸さんは帰った、三時ごろ長谷川信さんが東京プリンスホテルに来た、こういうことになっておりますね。そういう事実はないわけですね。もう七時から八時の間にあなたは長谷川さんと会っている、こういうことを言いたいわけですか。
  66. 竹下登

    竹下証人 長谷川さんではございません。七時から八時の間というのは渡邉さんでございます。長谷川さんから私に連絡がありましたのは、それこそ五日というよりも六日、一時とか二時とかじゃなかったかというふうに思っております。
  67. 仙谷由人

    仙谷委員 そうすると、あなたが家におると長谷川さんから電話連絡があった、こういうことですか。じゃ、渡邉さんとのその会議は、会合は一時間ぐらいで終わったと。何が話されたんですか。
  68. 竹下登

    竹下証人 先ほど申しましたように、めったに会ったことのない方でございましたから、当時渡邉さん、非常に丁寧な言葉で、田中先生のところに立候補あいさつに行ってもらいたいという趣旨のお話がございました。
  69. 仙谷由人

    仙谷委員 渡邉供述と大きく食い違うわけですが、時間の関係で、私は、じゃこれで終わります。
  70. 高鳥修

  71. 高沢寅男

    高沢委員 いろいろお尋ねをし、またお答えもいただきましたが、もう時間が参りました。  今仙谷代議士からお聞きした十月五日のその東京プリンスの会、この会に金丸さん、それから小沢一郎さん、そこへさっきからも渡邉さんも出ていますが、そしてあなた。こういう金丸さんや小沢一郎さんはその会にいたんですか。
  72. 竹下登

    竹下証人 たしか同席したと思っております。
  73. 高沢寅男

    高沢委員 要するに、四人でそういう会議をやられた、そしてあなた方はうちへ帰った、長谷川さんと連絡ついたのは午前二時かそのころについた、こういう、さっきからのあなたの話ではそういう展開になったわけですね。そこで長谷川さんは、じゃ自分が先に行って田中邸に話をしておく、こういうことを言われたわけですか。
  74. 竹下登

    竹下証人 長谷川さんは私の早稲田大学の先輩でございますが、かねてから人の道として立候補あいさつに行くべきだというお考えがあったことは事実でございます。したがって、自分名刺をお受けいたしますから、あさって、しあさってと言わないで、中曽根さんのところへ行く前に来てください、こういうお電話を、お電話を自宅でいただいたということでございます。
  75. 高沢寅男

    高沢委員 もう時間が参りましたから、結びの御質問というか、あるいは結びのあなたに対する要請をしたいと思います。  先ほど来、この自民党の経過、あるいは石井会長の経過は全く知らなかった、こう言われた。けれども、今となればそういう経過があったことは事実として自分は知っておる、こう言われたわけですが、そういたしますと、何といってもそういう働きが背後にあってあなたは総理総裁になられた。この事実の関係は、これはもう明らかであります。  そうすると、このことの責任ということを、政治家というものは、原因はいろいろあっても、どういう結果になったかというその結果の責任が政治家は私は問われる、こう思います。ですから、その点では、あなたはそういう背景があって総理大臣になった、総裁になった、この結果に対して大きな責任があると思う。  あなたもよく御承知のとおり、我が国の議会政治は明治二十三年から始まって、ことしでちょうど百二年。この百二年の間に代々内閣ができてきている。今の宮澤内閣は八十七代の内閣。この八十七代の内閣の中で暴力団の力をかりて内閣総理大臣になったという人はあなた一人しかいない。あなた一人であります。こういう責任について、当然あなたはみずから恐らく心の中では考えておられるということではないかと思います。  今いろいろの言論機関の世論調査がありますが、その世論調査の中で、どれを見ても八〇%、九〇%の人は竹下さん、あなたは責任をとって議員をやめるべきである、こういう答えが出ている。これは御存じでしょう。いかがですか。
  76. 竹下登

    竹下証人 そのような世論調査報道とかは私も承知しております。
  77. 高沢寅男

    高沢委員 この承知されているという、八〇、九〇%の人がやめろと言う、このことの重みをあなたはどう受けとめておられるか。  私は、考えてみると、あなたが総理総裁になるその陰で非常に犠牲になった人がいると申し上げたいのです。例えば金丸さん。五億の金もありますが、しかし、あなたのこの自民党、稲川会、この関係をつなぐ役割をした金丸さんが、その一つの政治責任として議員をおやめになった。私は、あえて言えば、あなたの盟友の金丸さんはあなたの犠牲になった、私はそう言いたい。東京佐川渡邉社長、どうでしょう。それを石井会長に 助けてくれと頼んだ。大きな負い目ができた。負い目ができたから石井会長の要求に対して次々に金を貸し付け、債務保証をやって、その結果とうとう特別背任で今被告として拘置所の中にいる、こういう身になった。この人もあなたの犠牲じゃないですか。  あるいはまた青木秘書。青木秘書というあなたと一心同体の関係にあった人が、あなたにとって一番出されては困る、そういう大きな秘密を持って自殺をされた。私は、青木秘書という人もあなたの犠牲になった、こう思います。  私は、亡くなった青木秘書にはここで哀悼の意を表しながら、しかしそれに対してあなたが今、そういう自分の犠牲になった人たちに対して自分自身が一体どういう責任があるのか。このあなたの責任は、もし人間であれば重大な責任を感じておられると思う。この責任をあなたはどう見ているか、お聞きしたいと思います。
  78. 竹下登

    竹下証人 私と高沢先生と基本的な相違は、私は暴力団の介入によって内閣総理大臣になったという問題意識は持っておりません。全く別次元の問題であると思っております。したがって、この問題については国会の場をかり、私が真相を解明していくことが私に課せられた使命であろうというふうに思っております。  それから、人間としておまえはというお話もございました。私も人の道は心得ておるつもりでございます。  なお、青木君に対して弔意を表していただきましたことは、お礼を申し上げます。
  79. 高沢寅男

    高沢委員 きょうは、恐らく竹下さんは何が何でも自民党問題と総裁選挙は別だ、これで通そうと決意して来ておられると思います。それを盛んに言っておられる。しかし、それは先ほど言った国民の八〇%、九〇%が責任をとってやめるべきだという、この国民の人は決してそうは見ていないのであります。  実は、八十歳を超したお年寄りの方から私は最近手紙をもらった。その人は、あなたが総理総裁になったときに非常に喜んだ、うれしかった。ところが、今は怒りというよりは、本当に悲しみを込めて、竹下さん、あなたにやめてほしい、こういうふうな手紙を私にくれました。これもまた私は大きな国民の声だと思います。  あなたも選挙で選ばれた議員です。私も不肖ながら選挙で選ばれた議員です。お互い自分選挙区の有権者との関係を大事にするということは変わりありません。けれども、今あなたに対して寄せられている声は、島根の選挙区の皆さんの声よりもはるかに大きな国民の声があなたに対して、責任をとってやめるべきだ、こう言っておる。このことに対するあなたの責任ある出処進退、これを私は要望しながら、あなたのまたお考えをもう一度お聞きしたいと思います。
  80. 竹下登

    竹下証人 高沢さんの御意見は御意見として私も承らしていただきました。  私自身は、日本国の総理大臣暴力団の介在によってできた、そういうことを認めるような結果になることだけはどうしても避けなければならぬ、このように思っております。
  81. 高沢寅男

    高沢委員 国民が認めているということを最後に言って、質問を終わります。
  82. 高鳥修

    高鳥委員長 これにて高沢君の発言は終了いたしました。  次に、草川昭三君。
  83. 草川昭三

    ○草川委員 公明党・国民会議の草川であります。  竹下証人にお伺いをいたしますが、竹下証人の青木秘書がリクルート事件で東京地検から事情聴取を受けた際、いわゆる平和相互銀行事件についても特捜部より熱心な事情聴取を受けていたことを御承知でしょうか。
  84. 竹下登

    竹下証人 この平和相互銀行の問題について事情聴取を詳しく受けておったという事情は承知しておりません。(草川委員「おりません」と呼ぶ)はい。
  85. 草川昭三

    ○草川委員 この平和相互事件、平相事件で政界工作を行ったとされております、当時東京地検から事情聴取を受けました豊田一夫さんという方がおみえになりますが、御存じでしょうか。
  86. 竹下登

    竹下証人 豊田一夫さんというお方は、随分前に、青年運動をしておる当時にお会いしたことがあったと思います。
  87. 草川昭三

    ○草川委員 その豊田一夫氏は、その平和相互銀行から政界工作資金として二十億円を受け取りまして、馬毛島を自衛隊のOTHレーダー基地にするため政界工作資金を十数人の国会議員に配ったと東京地検特捜部に供述をしていると言われていますが、この件であなた自身、もしくはあなたの秘書、または事務所関係者などが豊田氏から資金提供を受けたことはございませんか、お伺いします。
  88. 竹下登

    竹下証人 馬毛島事件というものは、私、不敏にして存じておりませんし、豊田さんからそのようなことがあったとは思っておりません。
  89. 草川昭三

    ○草川委員 青木伊平秘書は、東京地検に何回か呼び出しを受けておるわけでありますが、その最後のところでございますが、出頭する前日に、平相の金びょうぶ事件というのがあるわけでございますが、有名な話ですが、金びょうぶに関係をした画廊の経営者を訪ねております。その画廊の経営者を訪ねて、中曽根総理の秘書は大丈夫だろうかというようなお話をしておみえになるようであります。その翌朝、出頭を前に青木氏は亡くなったわけでありますが、このことを、この経過については前夜かなり青木さんとお話しになっておられると思うのですが、御承知でしょうか。
  90. 竹下登

    竹下証人 その画廊の方というのも金びょうぶの話も、本当はこれだけは、私、参議院で指摘を受けまして、総理大臣のときでございます、やめてからも随分調べてみましたが、これはついにその事実を明らかにすることは私もできませんでした。
  91. 草川昭三

    ○草川委員 先ほど来、中曽根総理とのお会いをするお話がありましたが、いずれにいたしましても、竹下証人中曽根首相から後継者の指名を受けられたわけです。そのとき、その前のいろいろなお話があったと思うのでありますけれども、中曽根首相と竹下証人の間には何か指名に当たりまして条件があったのではないか、お伺いをします。
  92. 竹下登

    竹下証人 二人の間に条件というものはございませんでした。
  93. 草川昭三

    ○草川委員 世に言われる世界平和研究所の設立は後継者指名条件であったと常識的に言われておりますが、そのようなお話はございませんか。
  94. 竹下登

    竹下証人 まず、私が指名を受けましたのは十九日で、指名に三人の候補者が同意したのが十八日でございます。したがって、その間に条件があろうはずがないというふうに思っておりますし、平和研につきましても全く条件等ではございません。
  95. 草川昭三

    ○草川委員 じゃ話を十月五日の四者会談にいきたいと思います。  いろいろとお話がありましたので重複するところは避けますが、渡邉社長がこの会談にいたことは認められました。それで、それが一番最初の、与党の質問のときには、初めてのような御印象でございましたが、先ほどの社会党の御質問には、めったに会ったことのないというお話でございますから、何回か会っておみえになった。毎日ではないけれども、めったに会ったことはないということは以前に会ったのではないかと思うのですが、その点どうでしょう。
  96. 竹下登

    竹下証人 私はあのときが初めてというぐらいな気持ちでございましたが、あるいはその前に会ったことが、パーティー等ございますし、あるかもしらぬ。したがって、大変そのときは新しい関係であったということでございます。
  97. 草川昭三

    ○草川委員 新しい関係というのは非常に意味があるわけであります。  そのときに、自民党対策に石井稲川会前会長がかかわっていたことが話に出たはずですが、どうでしょう。
  98. 竹下登

    竹下証人 六十二年十月五日の会合には、もとよりその話は出ておりません。
  99. 草川昭三

    ○草川委員 非常にこの点は重要なところですからくどく申し上げますが、私の調べたところによりますと、この席上、渡邉被告石井会長からの話として、自民党との約束である竹下証人田中邸を訪問をすることは門前払いでもいいから実行しろと伝えられましたね。そういう言葉が出たのではないですか。お伺いします。
  100. 竹下登

    竹下証人 大変丁寧な言葉でおっしゃいました、ごあいさつに行ってほしいという意味のことを。したがって、そういうような具体的な話はございませんでした。だれが介在してどうかというようなことは、ありませんでした。
  101. 草川昭三

    ○草川委員 そこが非常に重要でございますが、めったに会ったことのない人が大変丁寧にしゃべられたわけですよ。しかも一時間見えたわけです。当然ここではその渡邉氏がどういう行動をとったかというのは、別にいろんなところで言っておみえになりますが、私は、この田中邸訪問というのが自民党が引き揚げる条件なんだからという、逆に竹下さんを説得をした時間だと思うのですが、もう一度、これは否定なされるかどうかお伺いをします。
  102. 竹下登

    竹下証人 丁寧な言葉と申しましたのは、めったに会わない人だから丁寧な言葉お話しなすったというふうに私は受けとめたわけでございます。したがって、そういう、今のような筋書きで説得を受けたという感じはございません。
  103. 草川昭三

    ○草川委員 もう一度お伺いをしますが、石井さん、石井稲川会前会長名前は一切出ませんでしたか。
  104. 竹下登

    竹下証人 出なかったと思っております。
  105. 草川昭三

    ○草川委員 思っておるというのと記憶にないというのは違いますが、絶対そういう話はなかった、こう断言なされるのですか。
  106. 竹下登

    竹下証人 記憶にないというと何かイメージが一つの言葉にございますものですから、きょう使わないでおこうと思いましたが、記憶にございません。
  107. 草川昭三

    ○草川委員 じゃ、押し問答になりますから、以上、避けます。  最初に、もう一度前の質問者に戻りますが、浦田参議員竹下証人との関係でございますが、本日の新聞にも出ておりますが、その際、「田中角栄を守ることを諸君に約束する。竹下登」、このような達筆の字を書いた覚えがないとおっしゃいましたが、これは御記憶ございますか。
  108. 竹下登

    竹下証人 全く、私がこんないい字書くはずがないと思っております。
  109. 草川昭三

    ○草川委員 じゃ、ありがとうございます。この「竹下登」は違う字だと、こうおっしゃるわけですね。わかりました。  では、十月二十九日の渡邉氏へのお礼のところへいきますが、総裁指名後の六十二年の十月二十九日という質問について、そうではないという先ほどお話がございました。十一月ではないかというようなお話でございますが、渡邉被告にお礼を言うために渡邉被告を料亭吉兆に招いたのではないでしょうか、お伺いします。
  110. 竹下登

    竹下証人 それも記憶にございません。だれが金を払ったかという記憶はちょっと今調べてみなきやわかりませんが、別の会合におったことは事実でございます。そこからこのお呼びがありまして、いわば我々の言葉で言います飛び込み日程であったことは事実でございます。
  111. 草川昭三

    ○草川委員 十月、その日に金丸氏と渡邉被告と料亭で会ったことは事実だ、これは今お認めになりました。  その席に青木伊平秘書もいたのではないでしょうか。
  112. 竹下登

    竹下証人 青木伊平君もおったというふうに言われれば、そうではなかったかというふうに思います。ただ、二十九日の日ではどうもないという感じがしております。
  113. 草川昭三

    ○草川委員 実は、青木伊平さんの方から、渡邉被告にお礼を言いたいから来てくれというお話があり、確かにおっしゃるように、上の方で、一階か二階かわかりませんが、別の会合があって、料亭吉兆の地下の部屋に行かれたわけです。  地下の部屋の見取り図をお見せしたいと思うのです。多分ここだと思うのです。どこへ座られました。——御記憶ない。要するに、私が申し上げたいのは、料亭吉兆の地下のこの見取り図を持ってきたのは、かなり大きな部屋なんです。ですから、私は、あらかじめ竹下証人側の方から、この会合が、大きな部屋ですから、金丸さんもあるいは渡邉東京佐川急便の元社長も来ていただく、そして青木さんも準備していただいたところへ竹下さんがお見えになって、いろいろな表現がございますけれども、ここは洋間でございますけれども、わざわざ両手をついて深々と頭を下げられた。一般的にだれにでもおじぎをするというのとは条件が違うのではないか、私はそんなように思うのですが、そのことをもう一度御記憶を戻していただきたいと思います。
  114. 竹下登

    竹下証人 最初からあった会合が大きな部屋であったような気がいたしますが、いずれにせよ、そのどの部屋であったかという記憶はございません。  それから、前にも申しましたが、私は、必ずテーブルのあるところでは両手をついてごあいさつするというのが私の習性になっております。
  115. 草川昭三

    ○草川委員 細かいことを申し上げませんけれども、金丸さんはお足も悪いわけですから、いすの部屋を指名され、そして、ちょうど地下室ですから人目がつかなくて、私は、ごゆっくりとお礼を申し上げられたのではないかと、こう思うわけであります。  まあそのことはさておきまして、次にいきましょう。  私の調査によりますと、昭和六十二年十二月に、住友銀行の紹介により、日債銀系のノンバンク、日本トータルファイナンスが東京佐川急便の債務保証で、石井稲川会前会長が実質的なオーナーである岩間開発に百十億円を融資をしています。この融資について、あなたかあなたの秘書があっせんをされたのか、また、相談を受けられたことを認めますか。
  116. 竹下登

    竹下証人 そのようなノンバンクの存在も、実は今知っておりませんので、そういう事実は全くございません。
  117. 草川昭三

    ○草川委員 日債銀というのは別名竹下バンクとも言われるぐらいに御関係の深いところ、あるいは住友銀行もそうでございますし、この日債銀の年間の売り上げの約半分に及ぶ百十億、二百数十億でございますけれども、そのお金が特別に融資をされているわけであります。常識的には考えられません。  我々が調べたところによりますと、いわゆる親会社は日債銀、しかも日債銀だけではだめでございますから、住銀の介添えがあってこの融資が行われたと我々は調査をしております。これは、当時の状況から見て、稲川会の石井会長に対するお礼の融資と私は考えなければならぬと思うのですが、もう一度御返事願いたいと思います。
  118. 竹下登

    竹下証人 住友銀行といい、日本債券銀行と申せ、まあ竹下銀行と、それほどの私に影響力があるとも思っておりません。そしてまた、今おっしゃいました融資については、全く私が今初めてお聞きしたことであるというふうに御了解をいただきたいと思います。
  119. 草川昭三

    ○草川委員 大変御謙遜なされるのは結構でございますが、ここは真相を確かめる場でございますので、ぜひ前総理、国民の大変強い我々は今政治不信を受けておるわけでございますから、できる限り御協力をお願いを申し上げたいと思うのです。  石井会長は日ごろどういうことを言っているか。石井稲川会の前会長は側近に、おれたちはお礼を金でもらっちゃいけないんだ、仕事でもらうんだということを言っているのですよ。そういう背景のもとに、この石井稲川会前会長が実質的なオーナーである岩間開発に百十億の金が行くというのは、私どもは認めるわけにはまいりません。  続いて次の話に移ります。再建の問題についていきましょう。  竹下証人は、昨年の六月十三日と十六日の二 回、小針氏の知人宅で東京佐川の再建の話し合い出席をされておみえになります。間違いありませんね。
  120. 竹下登

    竹下証人 二回参っております。
  121. 草川昭三

    ○草川委員 しかし、そのとき既に東京佐川急便というのは、稲川会前会長に八十億の資金提供をしておった時期がございます。  ここに新聞がございます。いろんな新聞がございますが、「稲川会前会長の三百八十四億円調達全容が判明 十二社一個人 一社最高八十億円」、この一社最高八十億が東京佐川、もうこれは新聞に出ておる。  こういう時期に、東京佐川急便再建のために竹下証人が住友銀行だとか日債銀に紹介をしようと言わざるを得なかったということは、こういう時期に、ということを言わざるを得なかったのは、竹下証人自民党総裁になられるときに稲川会と東京佐川急便に恩義があったからでなければ、このような時期にそういう銀行を紹介するということを言うわけがないと思うのです。その点どうでしょう。
  122. 竹下登

    竹下証人 恐らくは昨年の六月の話であろうかと思っております。  最初、実は小針氏は私は遠縁に当たりますから、お呼びかけがありまして参りましたが、時間もなくて余り話ができないままに散会をいたしました。二回目は私が参りました。そして、私はお話は懇切に聞いてあげたというふうに今でも思っております。したがって、本業はいわゆる高収益企業である、しかし、他のことに対してこの会社に損害を与えたので本業の中でもって念をかけてこれを再建したいというような筋の話でございました。  したがって、それに対しては、まず会社内部で長期の再建計画を立て、そしてそれをメーンバンクへ協議してまず出発すべきであるという筋のお話を私も丁寧にお話し申し上げたつもりでございます。しかし、それによってそういう金融をあっせんしますとか、そういうことは全く関係のないお話でございます。
  123. 草川昭三

    ○草川委員 相談には乗られた、しかしその金融のことについては何もタッチしておりません、こういう御答弁ですが、それはいささか我々は納得できませんね。なぜ、総理を経験なされたような大変な地位の高い方々が、言っちゃ悪いですけれども、東京佐川急便、幾ら大きいといっても運送会社です、これは。もちろん運送会社が経営危機にあることもあるでしょうが、その相談の際にわざわざ二回も御出席になる、しかも一回はラフな姿で、ネクタイなしでお見えになったという、こういう話があるわけでございますけれども、私は、今申し上げましたように、六月の一日ですよ、この新聞は。稲川会前会長は三百八十四億円の資金を調達した。その中に八十億東京佐川が資金提供しておる。御存じないことはないと思うのですよ。二枚も三枚もあるのですから、これは。天下の朝日、毎日等々が夕刊に発表している、六月一日。その二週間もたたないときに相談を受ける。金融の話は私は知りませんよでは、私は、通りません。こういうことを承知ならば、だから私は、金融の相談には応じられませんよ、あなた何ですか、暴力団のところに金を貸しておってつぶれるのは当たり前だ、私は席を立って帰るというのが常識ではないでしょうか。どうでしょう。
  124. 竹下登

    竹下証人 私は、別に内閣総理大臣という地位にあれ、また一運送会社とはいえ、職業に貴賎はないと思っております。したがいまして、お話に、物事の相談に対しては、これは与党、野党を問わず、いつでも親切丁寧にお相手するべきものだと思っておりますので、また、稲川会の保証問題を論じたわけではございませんし、席をけって帰るというような非礼なことはすべきでないと思っております。  それから、草川先生にお願いしますが、先生ほど有力な方がそうしたお話をなさいますと、あるいは国民がそう思うかもしらぬということに対して、時には私の弁明の機会も与えていただきたいと思います。
  125. 草川昭三

    ○草川委員 でございますから私どもも竹下先生お話は十分聞いておるのですが、納得のいかない点が多過ぎる。竹下さんほど長く大蔵大臣もやられ、総理の御経験者にしては、今の話は通りません、それは。多くの国民、多くの企業に全部そういう熱心な御相談をされるわけでもないわけですから。  しかも、この状況、去年というのは、昨年発覚をいたしました証券会社、それから金融機関、この金融機関等々がこの国会にも来て証人喚問に参加をしておるのです。出席をしておる時期ですよ。金融機関としかも暴力団との癒着スキャンダルがあったわけでありますから。そういう企業なんですから。なぜそこへお見えになるかというと、やはり総裁選のときに稲川会から自民党の説得があったからこそおいでになったのではないかと我々は言わざるを得ません。想像ではないです。これは国民の多くの疑問点だと思うのです。もしこういうことに否定をなされましても、結果として竹下証人はそれに加担をしたことになります。私は、国民の政治への不信感を増大をさせた結果になっています。きょう竹下さんのお話を例えば是としても、結果としては明らかに暴力団が介入したということは、これだけ国民、世界に示されたわけですから、そのことに対しても総理としての、私は、元総理の経験者として、竹下証人は責任をとられたい、辞任をされたい、こう思うのですが、この辞任の要求に対してどのようなお考えか、お伺いをして私の質問を終わりたいと思います。
  126. 竹下登

    竹下証人 重ねて申し上げるようでございますが、私が今の論理の上に立って辞任をするということは、日本国の首班決定に際し暴力団が介入しておったということを事実上証明することにもなりますだけに、その御勧告に対しては、はい、そうですがと言うわけにはまいりません。
  127. 草川昭三

    ○草川委員 以上で終わります。
  128. 高鳥修

    高鳥委員長 これにて草川君の発言は終了いたしました。  次に、正森成二君。
  129. 正森成二

    ○正森委員 私から証人に伺いたいと思いますが、今お話を伺っておりますと、総裁選がありました八七年の十月の五日夜に、自民党議員の励ます会があって行っておったら、秘書から急に連絡があって東京プリンスホテルの上の階に行ったというように言われております。そして、初めてだと思う渡邉さんに会ったということですが、その席は渡邉さんだけだったんですか。そうではなしに、金丸氏あるいは小沢一郎氏という人がおられたんじゃないんですか。あるいは同席されたんではないんですか。
  130. 竹下登

    竹下証人 先ほども申しましたように、私の日程には入っておりませんから、飛び込みで上へ部屋がとれたから上がった、こういうことでございます。同席しておったのは金丸さんであり、そして小沢一郎さんは、当時経世会総務局長でございましたので、私が総裁立候補いたしておりますときはずっと同行しておりましたので、一緒におったことは事実だと思います。
  131. 正森成二

    ○正森委員 そこで、お話を伺いますと、非常に丁寧な言葉で、田中さんのところに立候補のごあいさつに行ってほしいという話が渡邉さんからあったというようにおっしゃいました。  しかし、これは常識的に見ておかしいのではないでしょうか。あなたが非常に信頼されている経世会の幹部がそういうように言われるとか、あるいはあなたが何回も会っておられる後援者が言われるというのなら別ですが、思い出して一回しか会うてもおらぬというようないわば初対面のような人が、いきなりあなたに対して、当時幹事長であり、そして総理総裁立候補するという人に、田中邸あいさつに行ってほしいという、いわば半ば、どんな丁寧な言葉でも、あなたに身の処し方を指図するようなことを言うというようなことは考えられないですね。それには必ず、私のような者が失礼ながらこれこれこう言うわけにはこういうわけがございますということを言わなければ、非常に唐突になるんじゃないですか。です から、あなたのそういう言い方あるいは証言の仕方は、客観的には合理性が持たないんじゃないか。もし仮に渡邉さんがそういうように言えば、必ず横から金丸氏が、渡邉君がこう言うのにはこういういきさつがあるんだという補足があってしかるべきであります。それがなしに、あなたの証言どおりとすれば、一時間もお話がある。  それで、結局そのときには、あなたは行かれることに同意されなかったんでしょう。後で、六日の未明になって、長谷川さんから門前で待ってお伝えするという手順、段取りが決められて初めて決意したんでしょう。そういうように長谷川さんを探すとか、段取りをつけてもらうということも含め、なぜ行っていただかなければならないかという話がないなどというのは、客観的に信じがたいんじゃないですか。
  132. 竹下登

    竹下証人 私が丁寧な言葉でと申しましたのは、平素会っていれば、おまえ、おれみたいな形になりますけれども、余り会ったことがないからそれで丁寧な言葉だったという印象を私は深く持っておるわけでございます。  で、お話自身は、私はそのお話の中で、いわばこの問題がいわゆる街宣活動中止につながっておるんではないかという印象を持ったことは事実でございますから、したがって御丁寧な言葉であったという印象が非常に深いわけですが、どのようなやりとりがあったかということは、今定かに記憶しておりません。
  133. 正森成二

    ○正森委員 どのようなやりとりがあったかは今定かに記憶してないのに、自民党関係のことや石井さんの関係のこと、会長ですね、それの話が出なかったということは記憶にはっきりあるんですか。記憶がないというなら、全部ないというならわかるんですが、こういうことだけはないというのはかえって不自然じゃないですか。
  134. 竹下登

    竹下証人 いや、全部記憶にないと申し上げてもいいのでございますけれども、やはり正確に申し上げた方がいいと思いまして、私なりに一生懸命でお答えしておるわけでございます。
  135. 正森成二

    ○正森委員 あなたの証言は私の常識からしては納得できない点もございますが、そうおっしゃるのでありますからそう伺っておきましょう。  次に、八九年の十二月二十三日と言われているんですが、藍亭という料理屋で金丸さんが石井会長と会談をなさったというように言われております。八八年ですか、八七年の翌年ですからね、八八年。そのときに金丸氏は、竹ちゃんも一緒に来ないかと、非常に失礼な言い方ですが、そういうように言われたと言われておりますのでそのまま言わしていただきますが、そういうように、時の総理である、当時そのときは総理でございました、八八年ですから、誘われたということが言われております。これは極めて異例のことで、もし金丸氏がそういうように言われたとすれば、時の総理暴力団会長との会合に一緒に出ないかと言われるにはそれだけのわけがあったに違いないというように思うんですが、記憶はございませんか。
  136. 竹下登

    竹下証人 一つ、金丸さんが私に竹ちゃんと言ったことは三十年来ございません。竹さんと言っております。  それで、それから、そのおっしゃっております八八年十二月二十三日という日は、私も今思い出しましたが、実は参議院で徹宵で私の問責決議案等をやっていただいて、そして二十四日の午後六時に消費税が成立した。私にとっては非常に記憶すべき日にちでございますので、そのような事実はなかったというふうに申し上げて結構だと思います。
  137. 正森成二

    ○正森委員 同僚委員先ほどお伺いになりましたが、去年ですね、六月の十三日と十六日に小針氏の東京の自邸といってもいいところで、あなたのおうちから非常に近いのでラフな格好でげた履きで行かれたというような報道もございますが、行かれたことはお認めになったようであります。  そのときに集まられたのは金丸氏と渡辺秀央議員、そして小針、青木という方が六月十三日には集まられたことは間違いございませんね。
  138. 竹下登

    竹下証人 十三日と十六日、どっちにだれかというのが……
  139. 正森成二

    ○正森委員 十三日です、今聞いておりますのは。十六日は政治家としては証人だけだったということは承知しております。
  140. 竹下登

    竹下証人 そのとおりであったと思います。  ただ、近いといってもげた履きで行くようなところじゃございませんので、ちゃんと車に乗って行ったと思っております。
  141. 正森成二

    ○正森委員 その六月の十三日のときに、渡辺秀央、現在は郵政相ですが、なぜ来たのかというように渡邉さんは疑問に思ったようなんですが、私どもが入手しております供述調書によりますと、渡辺秀央氏は六月の三日に東京佐川急便に行かれまして、東京佐川急便が非常に金融的に苦しいということを聞き、また金丸竹下両氏に御協力をお願いするということを聞いて、それでは両先生と相談して私もできるだけのことはさせてもらうということを言ったということが供述されております。渡辺さんからあなたに六月十三日の会合について何か問い合わせがあったということはありませんか。あるいはあなたから知らせたということはありませんか。
  142. 竹下登

    竹下証人 恐らく私が先ほど申しました遠縁に当たります小針からのお誘いじゃなかったかと思います。私からこのお話しした記憶はございません。
  143. 正森成二

    ○正森委員 その席で、小針氏あるいは渡邉氏から住友銀行に融資について口をさいていだだきたいという話があり、あなたは、住友銀行の幹部に親しいから話をしてやってもいいが、しっかりした再建計画がなければ言いにくいということをおっしゃったんではないんですか。
  144. 竹下登

    竹下証人 メーンバンクに対して、しっかりした再建計画をつくった上協議に入るべきだという趣旨のことを申しましたが、住友銀行とかいう話は私はなかったと、期待感の中にあったのか知りませんけれども、直接聞いた覚えはございません。
  145. 正森成二

    ○正森委員 しかし、私どもが入手しております、また法廷でも朗読された調書によりますと、住友銀行の支援を受けることができるかどうかというのが非常に大きな問題になっておって、そのことを難物とか難敵とかいう言葉も使っていますからね、それで話が出たということになっているんですが、そういうことはございませんでしょうか。特に、住友銀行と竹下先生が非常に顔がきくということを言っているのは、結局、住友銀行と平和相互銀行との合併などのときにはあなたは大蔵大臣でしたから、そのときに非常に力を尽くされたので、それで影響力がある、顔がきくというように皆さんが思ったんではないんですか。
  146. 竹下登

    竹下証人 そういう期待感みたいなのはあったかもしれません。しかしそれは私の想像の域でございますので、それほど私が金融機関に顔がきくというふうに思ったこともございません。
  147. 正森成二

    ○正森委員 それでは、このことについて最後に一問伺いますが、その席であなたは渡辺秀央氏に、渡辺先生は官房副長官をしていたときに大蔵省の銀行局の幹部とも親しいから、大蔵省銀行局への根回しは渡辺さんにしてもらったらどうかという、そういうサジェスチョンまでされたんじゃないんですか。
  148. 竹下登

    竹下証人 私も長らく大蔵大臣しておりましたので、その種の話はしてはならない話だという自覚は持っておるつもりでございます。したがって、そのようなサジェスチョンはいたしておりません。
  149. 正森成二

    ○正森委員 それでは、時間ですので最後に一問伺います。  あなたの秘書でありました青木伊平氏、非常にお気の毒なことですが、八九年の四月二十六日の朝に自殺しておられます。これは、あなたがリクルート事件の責任をとって首相退陣を表明した翌日であります。それで、青木さんはいろいろ東京地検から聞かれたときに、リクルートじゃないんですよ、私が本当のことを言えば自民党がつぶれますよとか、あるいはかについて検察から聞かれ て弱っているとか、かというのは金びょうぶ絵のことだそうでありますが、そういうことを言っていたと。それで、死ぬ二日前には金丸氏に検察庁で聞かれたことを洗いざらい言って、そして自殺したという報道もあります。  あなたは、非常に親しい、あるいは頼りにした秘書ですから、金びょうぶ事件について大蔵大臣であるあなたとの関係をいろいろ聞かれたというようなことを気にして青木伊平氏が自殺の道を選んだというようなことは、全くお耳に入りませんでしたか。
  150. 竹下登

    竹下証人 リクルート問題等につきましての事情聴取を受けておる際、そうした金びょうぶ等のお話は全く私は聞いておりません。
  151. 高鳥修

    高鳥委員長 これにて正森君の発言は終了いたしました。  次に、中野寛成君。
  152. 中野寛成

    ○中野委員 まずお尋ねをいたします。  ことし七月ないし八月ごろ、自民党事件に絡んで検察筋とお会いになったことはございませんか。検察筋とお会いになったことはございませんか、ことしの七月ないし八月ごろ。
  153. 竹下登

    竹下証人 ちょっと検察筋ということもよくわかりませんが、自民党事件でそんなようなことはないというふうに思います。
  154. 中野寛成

    ○中野委員 この自民党の褒め殺し事件というのは、膨大な資金、これは同僚委員等からも指摘がありましたが、私どもの試算でもやはり一億は下るまいと思うのであります。  これらのことを考えますときに、だれかが頼んだか、または竹下さん御本人の長い間のおつき合いの中で、この自民党関係者との間に何かの確執があったか、そのどちらか、またはその二つがドッキングしたか、このケースしか考えられないと思うのであります。  そこでまず第一点。長い間の確執がなかったかどうかに関連してお尋ねをいたしたいと思いますが、例えば大阪の、暴力団といいますかそういう世界の中からこういううわさが流れているということで我々に聞こえてきますのは、竹下さんと、そして自民党をつくりました稲本総裁が若頭をしておった昔、山口組系白神組、この白神組の組長との関係があったのではないか。すなわち、白神英雄組長、これはサイパンで変死を遂げておりますが、そして自民党をつくった稲本総裁と御面識があったのではないかという話がよく聞かれるのでございますが、いかがですか。
  155. 竹下登

    竹下証人 私も、その種の怪文書とでも申しましょうか、見たことがございますが、私の全く知らない方々お話ばかりでございます。
  156. 中野寛成

    ○中野委員 そういたしますと、これは単に正義感に駆られてやったというふうには、あの自民党の規模、そういうものから考えても考えられない。そうすると、だれかに依頼をされたというふうに見るのが普通ではないだろうか、こう思うわけでありますが、そこで先ほど来の質疑も聞きながら時系列的にこう考えるわけでありますが、十月二日に褒め殺しがやまっている。十月二日をもってやんでいる。そして十月五日にこの東京プリンスホテルでの四者会談もしくは、ほかの方もいらしていたかもしれませんが、少なくとも主な方は四者、この四者会談が行われている。そしてまた六日の朝には田中邸を訪れられた。そしてその後、中曽根総理とお会いになってあいさつをされた、意思表示をされた。七日の日には二階堂先生がこれまた不出馬宣言をされているわけですね。出馬断念を十月七日にされているわけであります。  私が不思議に思いますのは、この十月五日の夜、今お聞きしますと七時から四者会談が行われている。そして、長谷川信議院議員連絡がとれたのが六日の朝一時ないし二時、その間約六時間。これはつながりがあるのですか、全くないのでしょうか。
  157. 竹下登

    竹下証人 もう一つの会合におくれて、しかし顔出しして自宅へ帰りまして、それからはちょうど五日でございますから、その日に所信表明をしたわけでございますから、たくさんの記者諸君が、竹下番、俗に言う、来ておりまして、かなり遅くまで懇談をしておったという状態でございました。
  158. 中野寛成

    ○中野委員 この四者会談で長谷川信氏を探すことになったのでしょうか。全く長谷川信氏は無関係連絡があったのでしょうか。
  159. 竹下登

    竹下証人 恐らく渡邉さんから長谷川さんに連絡が行ったんじゃないかと想像します。したがって、私の方へは長谷川信先生自身から電話がありました。だが、その間それを追跡調査しておったという状態では、私はございませんでした。
  160. 中野寛成

    ○中野委員 結局、渡邉氏から長谷川信氏に連絡があった。当然四者会談に同席をされた金丸氏や小沢氏も御存じあったであろうと思うわけであります。すなわち、この四者会談とは自民党対策についての打ち合わせの会であった、こういうふうに見る以外にないわけであります。ゆえに、そこで竹下さんもまたこの打ち合わせに一時間も同席をされているわけです。初めて会ったとしか思えない人、一運送会社の社長。  政治資金を東京佐川からお受けになったことありますか。
  161. 竹下登

    竹下証人 東京佐川からの資金提供はございません。
  162. 中野寛成

    ○中野委員 政治資金の提供もない、そういう方に青木秘書からの連絡があったということでありますが、一時間も、日程をしかもずらしてまでおつき合いになったということについては随分と突っ込んだ話がなされた。しかも長谷川信氏を夜っぴて探すというところまでその会議は練られているわけです。作戦練られているとしか思えませんが、そういう重要な会議で、ほとんど自民党のことやその他の対策について御本人である竹下さんがお聞きにならなかったんでしょうか。
  163. 竹下登

    竹下証人 先ほど来申しておりますように、大変に丁寧な言葉お話がございまして、そこで私はその話を聞きながら街宣活動停止の問題とかかわりがあるではないかという印象を抱いたことは事実でございます。それなれば、私は条件だからその務めを果たしたというわけにはまいらないというので、心の中の葛藤が私にございました。しかし、必ず私は行きたいという希望を持っておりましただけに、明日は中曽根さん一人になってもいずれか行かなきゃならぬという気持ちでございましたので、明快な答えをしては帰らなかったというふうに思っております。
  164. 中野寛成

    ○中野委員 人の心の中をのぞくことはできませんけれども、しかし、こうしてこの重要な四人の人がこれだけの長時間をかけて、しかも忙しい時間を差し繰って会議を持たれている。そのときに渡邉氏が田中邸へ行かれてはいかがですかとお勧めになり、また、その関係の中で長谷川信氏から連絡がある。これは当然条件考えざるを得ません。そして、それに基づいて六日の朝に行かれた、こう思うわけでありまして、これはすなわち自民党との関係、それに基づいて、その対策として田中邸を訪問することになるということは、心の葛藤がおありになったという今のお答えですが、であれば、意識は当然しておられたことになります。ただ、そのことを自分の気持ちの中で自民党対策ではないよと言い聞かせながらいらっしゃったのかもしれませんが、少なくとも自覚は持っておられたということはこれで明らかだと思うのであります。  そこで、私は時間がありませんから申し上げたいと思いますが、その後、今回の事件というのは、例えば竹下さんのお名前が出てくるそういう事件、例えばイトマン事件、これは近畿放送の役員を娘婿さんでいらっしゃる内藤さんがやっておられたことも含めて、あります。それから平和相互銀行の問題、そして今回の東京佐川の問題、債務保証、再建の相談、すべてここで話が出てくるのは、竹下さん、住友銀行、右翼暴力団と、三題ばなしてはありませんが、この三つがセットで必ず出てくるということが一つあります。私は、随分竹下さん今日まで御無理をなさって政治の世界を歩んでこられた。その結果、気配りの竹下、言語明瞭、意味不明瞭とか、辛抱などという言葉 が出てきたのではないかという気がするわけであります。  そういう中で随分と多くの悲劇が生まれたと思っております。今回も、青木伊平氏の自殺がありました。また、最近では地元の金庫番とも周囲では言われます桑原安俊元秘書のこれまた自殺がございました。関係者の自民党稲本総裁、稲川会石井会長等は病死をされておりますが、そのことによってまた今回のこの事件の真相解明にかなり邪魔になっているわけでありますが、結局、いろいろな竹下さんを取り巻く中に悲劇が生まれる、また疑惑が常につきまとうということに、私は、竹下さん御本人政治的な体質の問題がやはり基本的にあると言わざるを得ないのではないか、こう思うのであります。  そういう意味で、今回は言うならば総裁にあなたをするために渡邉氏が石井氏に依頼し、石井氏が三神氏に依頼し、三神氏が自民党に依頼をする。その中で言うならば右翼、やくざの世界でいう借りができた。借りができたからこそ渡邉氏は債務保証を、膨大な金までも石井氏に工面をせざるを得なかった。そして、その金が結局地上げとかそして仕手戦、株の投機に手をかした、日本の経済を混乱させる一翼を担ったという構図になるのではないのか。そして、その東京佐川の債務保証、膨大に膨れ上がったことによっての再建策をまた協議に応じざるを得なくなったという貸し借りのつながりが出てきた、こういう構図。これはもう既に現在行われている裁判等でも明らかにされているわけであります、最終的な判決はまだでありますが。  そういうことを考えますときに、私は、金丸氏の辞職、そして経世会竹下派の分裂的状況、青木秘書が亡くなられたこと、また石井氏は亡くなり渡邉氏は拘置所にいるということ等を考え合わせますときに、私は竹下さんの政治的社会的責任というのは極めて重いと言わざるを得ないわけであります。そういう意味では、現在の国民の声でもありますけれども、ここで、私は、歴史的政治的使命というものを竹下さんはむしろここでみずからお閉じになるというのが最後のお仕事なのではないか、こういう気が強くするわけでありますが、いかがでしょうか。
  165. 竹下登

    竹下証人 今おっしゃいました、私という人間の持つ一つの体質が今論理構成されましたような悲劇を生んでおる、これは私自身顧みて、罪万死に値するというふうに私思うわけでございます。  ただ、議員辞職の問題は、私が重ねて申し上げますように、いわば日本国の首班決定には暴力団が介入したということを是認するという行為は、私はとることができないというふうに考えておるものでございます。
  166. 中野寛成

    ○中野委員 終わります。
  167. 高鳥修

    高鳥委員長 これにて中野君の発言は終了いたしました。  以上をもちまして竹下証人に対する尋問は終了いたしました。  御苦労さまでございました。証人には御退席くださって結構でございます。  次回は、明二十七日午前十時より委員会を開会することとし、本日は、これにて散会いたします。     午後零時四分散会