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鳩山国務大臣 私は、本当に国民の皆様に率直におわびをしなければいけないと思って、テレビカメラの前で頭も下げました。というのは、
業者テストの存在は知っておりましたし、青田買いというようなことが行われていることも知らないわけではなかったのですが、このようにいわば統一された形で、ほとんど一社というような業者が
一つの県を制覇して、その偏差値が選抜のために試験を受けたときの内申書とともに点数に加わるとかなんとかということだっておかしいと思うのに、そうではない、試験の前に事実上それで合否を決めてしまう、単願とその単願確約と
業者テストの結果で。この恐ろしい実態がここまでひどいということを私はこの夏過ぎまで知らなかった。知っておればもっと早く行動を起こせたのになと思うと、みずからの不勉強や不明を恥じる気持ちでございます。
ただ、こうしたことで火がついて次々といろいろな実態が明らかになってきておりますので、これからも新しい情報を寄せられると思いますし、これからが正念場だなと思っておりますが、私のこの職におるのもあと二日半ぐらいしかないという気もしますので……。いずれにしろ、どういう場に身を置いても、内閣であれ党であれ、この問題は私は命がけで取り組んでいきたいと思うし、幸い、固有名詞を出していいかどうかは別にして、日教組の
先生方も大変横山
委員長以下御理解があるというような報道にも接しておりますから、各党がほとんどそろって御支援をいただけるならば、これは御支援という問題じゃなくて、当文教
委員会挙げて解決に取り組むべき問題ではないかというふうに
基本的に思っております。
こうした問題が起きた原因については、もう
先生御承知のとおりで、私よりはるかにお詳しいわけでしょうから、いわゆるフィクションというのでしょうか、こういう物差しを使うことによって十五の春を泣かさないために便利だというのでみんなが使い始めた。これは偏差値を持っていく方も受け入れる方もみんなそういう気持ちで始めていったんだろうと思いますが、私は、考えてみれば本当に情けないことで、これは
教育の世界にあってはならないことだと何度も申し上げているわけであります。
すなわち、白昼堂々
業者テストを授業時間をつぶして行うべきではないと私は断言いたしますし、そのように指導ができたらというふうに願っておりますが、どういう方法か知らないが、
学校で一回か二回
業者テストをやってみたと。例えば何々君はこういう点数であった。偏差値でいえばこういう偏差値ではある。科目別に見ると、こういう科目は得意でこういう科目は不得意だというのもわかるな。しかし、ふだんの
学校の試験の成績から見ると、これはちょっとずれているな、これはどこが違うんだろう。運動はどの程度得意なんだろう。ボランティア活動とかいろいろやっているんだろうか。興味は、例えば自然が好きだとか絵が好きだとか、そういうのはどうなっているんだろう。そういうことを総合的に勘案をして進路指導というのはなされるべきだと思うわけであります。
もし今私どもが理想として追い求めている
個性化の部分を仮に除いたとしても、これは私どもの
子供のころによくありましたが、あなた、模擬試験受けてこの程度だったら、この辺ちょっと高望みかもしれないけれども、ここ一発勝負かけてみい、滑りどめはここだな、こういうのが進路指導だと私は思うし、そういう進路指導のために腕試しというのか何らかのちょっとした目安に
業者テストが使われるというならば、その白昼堂々授業をつぶして行うのではない、と言うと、日曜日に
子供を来させるのか自由参加でやるのかわかりませんけれども、何らかのそういう資料を中学側がそういうふうに使うんだったら私はまだ許せる話だと思うわけで、その偏差値が私立の高等
学校の合否の決め手というか、その偏差値を背中にくっつけた
子供のいわば売り買いみたいな状態になっているというところに私は大変怖いものを見出しますので、これはとにかく徹底して闘わなくてはいけないと思っております。
なお、例えば
一つでも偏差値が高い
子供を高等
学校側が採ろうとするのは当たり前だという考え方があります。私のことを新聞とか週刊誌等で、あれは大体温室育ちのお坊ちゃんで世の中のこと何にもわかってねえからあんなあほなこと言うんだとか、そういうようなことで私に対する批判が時々出ますが、概してそういうものを読んでいますと、偏差値の高い
子供を高等
学校側がそろえて集めようとするのは当然だということから始まっているのですね。私はそれは当然ではないと思う。野球のドラフトだったら、少しでも戦力に、少しでもホームランを高校
時代いっぱい打った者を採ろうとして、いろいろあるけれども、それでもドラフトはくじを引かなくてはならぬでしょう。スポーツのスカウト活動だったらまだしも、あるいは会社が売り上げを上げて、経済的な効率をアップさせるために優秀な社員を求める、あるいは技術者を求めようとするのは、経済のためにはこれは当然のことかもしれないけれども、
学校という公的な機関は、私立の高等
学校だって、これは公
教育を担っているわけですから、建学の精神を持って自由にやっていただくが、あくまでも公の、パブリックな存在であるということを忘れてはいけない。パブリックな存在だから
私学助成だって出るわけでありまして、そういうところが、そういうパブリックな存在である
教育機関というのは、本来、とにかくどんな
子供でも
教育しなくてはならない責任と義務があるわけです。だからいろいろな目盛りで、いろいろな物差しでいろいろ集めて、集まってきた
人間を
教育するというのが公
教育を担う
学校の使命であって、一点でも多い、一点でも偏差値の高い
人間をがさがさ集める権利がそうした公
教育を担う
学校にあるとは私は実は思っていないので、本当はそこまで考えないとこの問題はできないのではないかと私は思っております。