○下村泰君 私は、日ごろ障害児・者とか難病児・者という言い方というのは、これは余り好きじゃないんですね。何か病気にくっついているような人間という感じで、やっぱり人間は人間として、人間が基本ですから、こういう言い方というのは余り好きじゃないんです。今のところこれはしようがないとして使ってはおりますけれ
ども、余り好きじゃない。むしろ使うなとか使わないということではなくて、使うときの心構えといいましょうか、その言葉の本質を失うなということを言いたいわけです。
これまでの難病、小児慢性疾患への施策というのは病気だけに焦点が当たっていて、そこにいる人間の生きざまとか暮らしとかいった、まさにいわゆるQOLという面を全く無視してきたと思います。
具体的に言えば、先ほどの検討会で述べられているとおりなんですが、福祉サービスや親の宿泊
施設、これは海部前総理のときもそうでした。それから、厚生大臣が下条さんのときもそうでしたけれ
ども、この方たちは、前向きなんという言葉は余り好きじゃありませんけれ
ども、大変その方向に向いたすばらしい
お答えが出てきました。
教育、学力の保障、そして成人になれば、所得、年金、雇用、就労の問題までカバーされてこそ総合的対策となるわけなんです。毎年一疾患ずつふやすなどというやり方や十六年ぶりに一疾患群をふやすとか、あるいは十八歳、二十歳で打ち切られる。これは皆さんの方がよく御存じでしょうけれ
ども、先天性免疫不全症なんというのがあります。これはある程度の年齢までは面倒を見てくれます。例えば成人なら成人、二十過ぎると、もうおまえらは自分で勝手に仕事しなさい、仕事ができるんだから自分でその費用は持ちなさい、こういうやり方なんです。
治りゃようござんすよ。ところが、先天性不全症というのはそんなに簡単に治る病気じゃないんです。だから、その病をずっとしょっていかなくちゃいけない。成人式を迎えようが迎えまいが、その病気はしょっているわけです。その人に対して、おまえはこの年になっているんだからもうだめだよと、こういうやり方というのはどうも私は気に食わないんです。
胆道閉鎖の方を伺います。
小児と成人の対策、これは全くつながってないんです。これ、はっきり申し上げて。継ぎはぎもいいところなんです。とっくに限界を超えているとずっと私が言ってきたんですが、残念ながら継ぎはぎを繰り返すだけで終わっています。きちんとした法体系を整え、その理念を明らかにし、
厚生省の中で縦割りを超えて、また省庁との枠を超えた施策が必要だと思うんです。
確かに、もう縦割り
行政はしっかりしていますよ。それこそあなた、今は暴対法ができてだんだんやくざの数が少なくなってきているんですが、やくざは同じなんです。縦割りがしつかりしている、横のつながりがない。皆さんの方も同じなんです、それと。
こう言うと、すぐに財政のことや所管の違いを挙げますけれ
ども、私は政治の基本が問われていると思っています。政治改革も大変なことです。防衛問題も同じように大変でしょう。国の姿勢が問われる問題だと私は思っています。その覚悟と信念がなければ、私なんかとっくにバッジを外していますわ。どうか大臣も、そこにお座りの
局長以下の担当の方々もその心意気と熱意というものを財政当局や他の省庁にぶつけてほしいんです。
この
決算委員会が始まっても
佐川献金問題で明け暮れているわけですよ。政治家の資質が問われているんです、今。こういう問題で政治家自体一人一人がその資質を問われている今日こそ、国民に対して国民のためにという姿勢が示されないというと、何のための
国会だか意味をなさなくなります。
小児慢性の方は法定化も含めて検討中のようですが、いろんな疾患があります。一面的な見方でなく多面的な検討をしていただきたいと思いま
す。さまざまなサービスを整えるときも、既に行われている障害を持った人々への制度の抱える問題をよく整理してやってください。安易に今あるサービスを持ってくればいいなどというのでは意味がないと思います。手帳制度もしかり、ヘルパー制度もしかりです。よく考えて法定化の方向を進めてほしいと思います。
もう一度、今後に向けて、保健医療
局長、
児童家庭局長、そして大臣、難病の人たちやそういう子供たちに答えるつもりでひとつお考えをお聞かせください。