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国務大臣(宮澤喜一君) 外務大臣がしばらくして出席をいたしますので、その間の時間をいただきまして。
先ほどから長い間の御経験と深い学殖に基づいて
大蔵大臣、
日銀総裁、
経済企画庁長官に対していろいろお話を承りました。与党の立場ではいらっしゃいますけれども、大変厳しいお話でありました。また、伺って得るところも極めて多かったということを申し上げさせていただきます。
プラザ合意がございましたのが、御記憶のように一九八五年の秋のお彼岸のころでございます。当時、円が二百四十二円であったと思います。その後今日まで七年足らずでございますが、今百三十三円、百三十円がらみの円をもって、あの当時の我が国の
経済と今の我が国の
経済と、これはこの間の
バブル、バストについて
斎藤委員が何度も最初から警告され極めて厳しい御批判をしてこられたことをよく知っておりますが、やはりこの二つの
経済を二つの時点で比べたときに、我々はこの六年余りの間に何も得なかったかといえば、やはり得るものは相当あったであろう。
一九八五年のときの
日本経済と今日の
日本経済と、国内を
考え、また海外、殊に東南アジア等々への投資を
考えてみますと、我が国の
経済自身はやはりこの六年間に内外ともにかなりのものを得ることができた、また我が国の通貨もそれだけ高く評価を受けることになったということは、二つの時点を比べて申し上げてもいいことであると思いますが、ただその間の
バブルとバストが非常に強うございましたから、我が国
経済の持っております幾つかの面にかなりの衝撃的な影響を与えたことも確かでございます。
先ほどからお話しになっておられます
証券の問題もそうであると思います。あるいは
土地に関する問題もそうであると思います。これらについては、かなりもとに返って今までうやむやにしていた問題を
考え直さなければならないような苦しみを今味わっておるということは間違いございません。それとの関連で、一九六五年、
昭和四十年の
証券についての、いわゆる山一問題についてのことにもお触れになりまして、このことは私もよく記憶をいたしております。
このような今の我々の制度の幾つかについて、基本的な問題を起こしておるということはよく存じておりますし、私としては、したがって根本的にはオーソドックスな対策で立ち向かうのが本来であろうと思います。ただ、そうではあるが、いろいろお話がございましたように、それに添えてまたこれを促進する方途というものはあり得るではないかということは十分によく承っておかなければならない点だと思います。
そのようなことでございますから、今日このバストの
状況においてこの解消に、どう申しますか、正常化という言葉はちょっとよろしくないかもしれませんが、これをもう
一つ正常な発展の線に戻しますために相当の時間と相当な苦労が要るということは私は御
指摘のとおりだと思いますし、政府はそれに対して国民の御理解を得て対応していかなければならない。それはかなり厳しい道であることも存じておりますが、基本的にはオーソドックスな方法でできるだけの総力を挙げてこれに当たってまいりたい。
斎藤委員の言われますように、私どもが
考えておりますよりは在庫の
調整の時期が遅いかもしれないということも、これは生産財であるか耐久消費財であるか機械であるか等々によっていろいろまちまちであろうと思いますが、そういうことも
考えたから、臨機に対策をしていかなければならないと思います。この点は、概して申せば、先ほど
大蔵大臣が基本的にお答えをされたとおりでございます。また、将来の問題については企画庁
長官がお答えいたしましたが、その中に住宅というものを
考えておくことが大事だというのは極めて示唆に富んだ御
指摘であるというふうに伺いました。
そのような過程に今我々はございますが、さて、ポール・ケネディの言いましたように、我が国の
経済が今いわば頂点にあって、これから長い目で見ると凋落の過程にあるかどうかということは、実は私は、本来楽観主義者である点もあるかもしれませんが、やりようによっては我が国はまだまだ世界をリードする力を持っていると
考えております。
二〇二〇年になりますと六十五歳以上の人口が四分の一を占める。いわば老齢化の頂点と申しますか、一番最下点と申しますかになりますので、そのことは十分
考えて今から施策をしていかなければなりません。私の申し上げた生活大国というのもそういう意識でおるわけでございますが、そうではあっても一国の
経済でございますから消長はあろうけれども、しかし我々の持っている資質と申しますか、努力に対する志向と申しますか、あれこれ
考えまして私は、策を誤らなければ決して将来を悲観することはない。その策は、しかしまさに、まさに御
指摘になりましたように、研究、学術ということにどれだけこれから努力をしていけるかにかかる。もうこれ以外にない。それはまさしくペルーのフジモリ大統領が言われたように、教育ということであるということは私は間違いないことだと思います。
したがいまして、
平成四年度の
予算編成に関しましても、シーリングといういろんな問題がございましてなかなか思うとおりにはいきませんでしたけれども、国立学校施設であるとかあるいは国立大学の特別会計に資金を設けるとか、とにかく何とかしてこの研究、学術にだけはアクセントをつけようという努力をいたしました。これはもっともっと続けていかなければならないところであると思います。
第二にコーンローにつきましてお触れになられました。そういう歴史を、一八一八年から四六年までの歴史を私どもも習って存じておりますが、やはりこのところは、殊に米ソの冷戦というものが終わって、そして世界が平和の配当を求めようとしている今の時点で
考えますならば、平凡なようでありますけれども、自由貿易、
市場経済というものに立って
考えていく。このことは我が国にとって時として非常につらい問題がございますこと確かでございますけれども、やはりフリートレードという立場に立って
考えていくということが原則ではないか。
他方で、ブレトンウッズでつくられました体制は実はかなりぼろぼろになっておりますので、いろんな
意味で新しい体制を
考えていくことが必要になっておることは存じておりますけれども、方向としてはやはりフリートレードということで
考えていくことが過去の穀物条例等の経験を生かすゆえんではないかというふうに
考えております。
最後のところで孔子の言葉をお引きになりました。確かに、国民全体がいわば表面の豊かさというものにやや心を許している嫌いがあると思います。我々はかつて貧乏でございましたから、貧に処する道徳というものは親からも世間からも習ってまいりました。しかし、豊かになったときにいかにあるべきかという道徳は実は習わずに今日に及びました。それがにわか成金と言われたりすることでございますけれども、しかし
日本が豊かになったということは、その豊かさを世界の人と分かち合わなければならない。しかし、豊かさを分かち合うということは、やはりよほど慎重にいたしませんとそれだけまた世間から嫌われるということでもございます。
そういう
意味でのしつけ、
考え方を身につけていかなければならないと思いますので、もう一遍もとの点に返りますならば、これはかって、これも先哲が申しましたように、君子の
一つの楽しみは英才を得てこれを養うことであって、天下に王たるはあずかり存せず。まさに富ではない、教育であるとおっしゃることは私も極めて同感するところが多うございます。