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参考人(姜尚中君) 姜と言います。どうぞよろしく。
本日は良識の府である参議院に呼ばれまして、
意見陳述の機会を与えられ、非常に
感謝しております。
私は、生まれは、個人的なことなんですけれども、熊本県に生まれまして、私の親類の中には旧戦争中にいわゆる憲兵をしていた人物がおります。彼は一九四五年八月十五日に当然敗戦を迎えるわけですけれども、その間の
経緯についての話を小さいころからいろいろな形で聞いたことがあります。そのような非常に長い
日本での在留という、旧
植民地にかかわるような在留者に関するさまざまな
法律についてきょう御審議のことと存じますので、私の
意見を少し述べさせていただきます。
まず、私の全体的な
印象なんですけれども、今回の
改正案について非常に厳しい言い方をいたしますと、お金を借りた債務者が、長い間お金を返してほしいという催促をしても返さずに、そして利子の一部だけでも今やっと返済しようとしているという段階ではないでしょうか。この利子の返済をもってお金を返さないよりはいいだろうという
議論があるかもしれませんけれども、やはりそれは非常に本末転倒な
議論です。全体の
印象はそういうことです。
したがって、結論から先に述べますと、私は、附帯決議なり附帯条項に何らかの形で、将来的にはこの外登法の全面撤廃というものを入れていただきたい、これが単純な私の結論です。
なぜそういうことを考えるかということについて
三つの問題点と、それからその
三つの問題点の根幹にある
基本的な問題点、これは二つに絞ることができると思いますけれども、そういうことを述べつつ、最終的に、もっと広い角度から
日本とアジアの関係について私の
意見を述べさせていただきます。
まず、今回の
改正案を見ていくときに、第一番目に指紋の問題が出てくるわけですね。この問題については
衆議院の
法務委員会でるる御
議論されたことと思いますし、大体の問題点は皆様も御存じのとおりと思います。要するに、指紋は、その
制度自体は何ら変わっていないということだと思うのです。
制度自体は何ら変わっておりませんし、いわゆる永住権者に対して指紋を押さなくて済むという、それが非常に大きな
改正案の目玉になっているわけですけれども、実態的にはこれは、いわゆる永住権者の子孫というものは年間大体一万人前後で、そういう人々は指紋を押さなければならない
外国人の中でたかだか六%ないしは七%にすぎません。そういう点から見ますと、指紋を支えている
基本的な
考え方というものは全然変わっていない。まず、ここが私は最大の問題点だと思います。
それから第二番目に、
外国人登録証の
携帯及び
提示義務についてです。これはやはり私は
基本的には、悪い言い方をすれば犬の
鑑札だと思うのです。南アフリカ共和国でも、アパルトヘイトをやっているあの国でさまざまなそういう
登録証に類似した
携帯義務等々厳しい条項があると言われてきました。
日本においてもこの
登録証の
携帯、
提示義務ということは一貫して変わらない。
しかも、この
改正案を見ましても、いわば
携帯義務に
違反した場合の
罰則というものは刑事罰になっているわけです。これも
衆議院でるる
議論されたとおりです。私は、その禁錮あるいは
懲役一年以下、さらに二十万円以下の罰金、これは
日本の場合の
住民基本台帳法に定められているさまざまな規則
違反、五千円以下の過料に比べると非常に重い
罰則だと思うのです。なぜそういうことまでしなければならないのか、私は非常に理解に苦しむわけです。
さらに、その二つの問題点から
三つ目には、私は、やはり
基本的に
日本人と
外国人というものを根本的に二つに分け、そして
外国人の中でもさまざまな幾つかの
差別をつくるという、非常に
差別と監視、こういう
考え方がこれを貫いていると思います。これは、はっきり申し上げて非常に刑事警察的な発想法、あるいはその技術というものが一貫してそこに貫かれている。
日本人の場合には、御案内のとおりいわゆる
戸籍法、
住民基本台帳法に従って一応さまざまな
登録というのが行われているわけです。それに対して永住権者に対しては、家族
登録、さらには署名、写真ということで、今回代替措置がとられるようになりました。しかしながら、考えていきますと、永住権者以外に非永住権の
外国人がいるわけで、その場合の一年以上の滞在者に関しては指紋
制度というものは一貫して生きているわけです。したがって、
外国人の側の中にも幾つかの
差別をつくるという、そういう発想がここに貫かれていると思います。
私は、世界のGNPの十何%をつくり出している経済大国
日本にしては余りに貧弱な、正直申し上げて恥ずかしい
法律ではないかなと思うのです。やはり
基本的には
内外人平等、そして
人権の
立場から明確な法を支える
基本的な原理を明らかにし、その上に立脚して、運用の具体的な局面においては幾つかの
差別をつくらざるを得ないる面もあるでしょう。
しかしながら、私は、今回の
改正案の中から
基本的なポリシーというものが見えてきません。やはりこれは正直申し上げると、法務官僚、具体的に言いますと検察庁を中心とするような今までの
管理制度のシステム、あるいは技術的な方法、こういうものを何とか維持したいという非常に現状維持的な発想から生まれてきた。そういう点では、私は
政治の明確な見識というものが生きていないと思うのです。そういう点を私は
三つの問題点として指摘しておきたいと思うわけです。
最後に、この
三つの問題点が一体どこから来るのか、私は、それはやはり二つの問題点に最終的には帰着すると思うのです。
第一点。それは、なぜ
内外人平等でないのか、つまり、
外国人に関しては何らかの形で
差別を設けてもいい、あるいは違うという
考え方、その根拠は一体どこにあるかということです。これは
衆議院の
法務委員会で、要するに
外国籍を選択しているということは、外国に対してロイヤルティー、忠誠義務を持っているからだという御
議論がありました。実定法を云々するような局面において、その忠誠心という非常にわけのわからない、あいまいもことした心理的な要因を持ち出し、それによって
外国人と
日本人とを区別する根拠にしようという論拠は、これは非常にあやふやな
議論です。
例えば、
日本の若者の中に、
日本が侵略された場合に、国を守りたいという人間よりは早く外国に逃げたいという人がたくさんいるわけです。こういう若者は、じゃ忠誠心がないわけですから、
外国人扱いということになります。いかがでしょうか。まさしくこれは非常にばかげた
議論です。あるいは、例えば多
国籍企業が海外に自分たちが進出していく、そうすると
日本の雇用
状況は非常に悪くなります。そうすると
日本の経済を悪くするわけですから、この多
国籍企業に勤めている社長さんや重役さんは忠誠心がないことになる。いかがでしょうか。全くばかげた
議論によって
日本人と
外国人を分けている、その忠誠心という根拠が私にはわかりません。
我々は、
日本に定住して
日本に対しても愛着を持っております。少なくとも
社会に対しては。さらに国際化の局面の中で、いわゆるハーフというか、あるいは二重
国籍者がたくさん出てきているわけです。これは、
現実の問題として人間の動き、資本、技術、さらには労働者等々が国境を越えでいろいろな相互依存関係に立っております。そういう
社会において、非常に前近代的というか、そのような発想に従って
日本人と
外国人を身分法的に分ける
考え方、これは私は早晩内外からの批判に遭っていつかは撤廃ないしは是正に向かわざるを得ないと思います。
現在の
日本は、私は外登法の問題だけではなくして、さまざまな局面において内外の圧力によって少しずつ今までのようなシステムを変えなければならないる面に来ていると思うのです。こういう事態に関しては、私は官僚によってではなくて
政治家によって明確なポリシーを打ち出し、そして自分たちの意思に基づいてはっきりとしたポリシーのもとに内外に、こういう
観点から我々はこのような形で
日本に
居住する
外国人に対しては対処していきたい、そのようなメッセージをはっきりと私は出すべきだと思うのです。そういう
考え方が今回の
改正案にはほとんど生かされていない。したがって、忠誠義務という非常にあいまいな、これは小学生が考えても非常におかしい
議論だと思っております。そのことをまず一つ申し上げておきたい。
それから第二番目に、
日本国家は主権
国家である。いわば主権
国家である以上は
国家主権に基づいて
日本国内に
居住する
外国人に関して合理的な理由の範囲に従って何らかの
差別を設けることは
妥当性があるという
議論があると思います。
しかしながら、どうでしょうか、皆さん。日米の構造摩擦、構造
協議で、これは
日本の主権
国家の管轄事項をアメリカがいちゃもんつけているに等しいわけです。少なくともこれは何十年前であれば戦争が起きていもでしょう。現在は戦争は起きていません。つまり、主権というものを盾にとって、それが絶対的であるという発想はもう既に十九世紀的な発想で、現在の我々の
社会、しかも
日本のように経済大国においては主権
国家の純粋性というものはもう崩れているわけです。さらには、国境を越えたさまざまな問題がございます。したがって、主権を盾にとって、そしてその絶対性を立脚点として
外国人に関してさまざまな
差別規定を設けることが合理的であるという
判断は、私は世界の趨勢に合わないと思います。
日本は少なくとも、これほど大きくなった経済大国としての
国家の一つの威信なり、あるいは風格というものが私は必要だと思うのです。個人にも
国家にも私は風格というものがあると思うのです。大きくなれば大きくなったでそれに対応するいわば名誉とそして風格というものが必要なわけであります。そこには、何らかの形で今申し上げたような主権
国家という十九世紀的な発想から脱却して新しい事態に積極的に対応できるような指針を打ち出す必要があるのではないかと思います。それが私の全体的な、
基本的な
考え方です。
さらに
最後に、一つだけ申し上げておきたいことは、PKOの問題が非常に巷間をにぎわしていることと存じます。この
外国人の
登録法についてはもう非常にマイナーな問題として
議論されているのではないかなと思いますが、私は国際貢献ということを言うならば、
日本の中のアジア、アジアの中の
日本という
基本的な
観点に立ては、PKOの問題もあるいは
日本の中のアジアとしての
外国人登録法の問題も根っこは同じです。この
外国人登録法の発生、さらにはその
対象になっている人々を考えますと、圧倒的にアジア系の
出身者が多いわけですから、この
外国人登録法において
差別規定を設けているということは、実は
日本とアジアの関係がどのような関係であるかということをいわば集約的にこの
外国人登録法はあらわしているのじゃないでしょうか。
私は、
日本が国際貢献ということを言うならば、外に人を出す以上に
日本の中のアジアに対して
日本という国はどのように対応していくのか、それがまずあって初めてアジアの中の
日本という国際貢献論というものが出てくるのじゃないでしょうか。そういう
観点から、良識の府である参議院において末梢的な法技術上の問題にとどまらず、もう少し広い
観点からこの問題について御
議論願いたいと思います。
以上です。